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田中貢太郎『日本天変地異記』年表

出典:MT*2_26-日本天変地異記 田中貢太郎
※ 太平洋岸の東北〜房総までを太字でマーキング。


四一六(允恭天皇五)七月 河内国の地震。『日本書紀』
五九九(推古天皇七)四月 大和国の地震。
六七三〜六八六(天武天皇在位)のとき 大地震。一夜にして近江の地が陥没して琵琶湖ができるとともに、駿河に富士山が湧出したという伝説。
六七八(天武天皇六)一二月 筑紫に大地震。大地が裂け、民舎が多く壊れた。
六八四(天武天皇一二)一〇月 諸国に地震。土佐が激烈をきわめた。俗に白鳳の地震。土佐では黒田郡の一郡が陥没したと言い伝える。
七一五(霊亀元)五月 遠江国に大地震。山がくずれて�玉河をふさいだが、続いてそれが決壊。敷智、長下、石田の三郡の民家一七〇余区を没した。
七三四(天平六)四月 畿内七道みな地震。
七四五(天平一七)四月 美濃、摂津両国に地震。
七六二(天平宝字六)五月 美濃をはじめ、飛騨、信濃の諸国に地震。
七六六(天平神護二)六月 大隅国神造新島。
八〇一(延暦二〇)三月 富士山噴火。
八一八(弘仁九)七月 相模、武蔵、下総常陸、上野、下野の諸国に地震。
八二七(天長四)七月 京都の地震。余震が翌年まで続いた。
八三〇(天長七)一月 出羽に地震。その他、三河、丹波、伊豆、信濃、出羽、越中、越後、出雲にも大きな地震があったらしい。
八五六(斉衡三)三月八日 大和地方もひどかったとみえて、『方丈記』に奈良の大仏の頭の落ちたことを記載。
八六四(貞観六)七月 富士山の噴火にともなうて大地震。噴出した鑠石は本栖、�の両湖をはじめ、民家を埋没。
八六四(貞観六)一〇月 肥後の阿蘇山が鳴動して、池の水が空中にわきあがった。
八六七(貞観九)一月 豊後の鶴見山が噴火。
八六七(貞観九)五月 阿蘇山、噴火。
八六八(貞観一〇)七月 地震。山城一円と播磨とにまたがる。
八六九(貞観一一)五月 陸奥に地震・海嘯。無数の溺死人を出した。
八七七(元慶元)四月 地震。京中を垣墻ことごとく破壊し、宮中の内膳司屋転倒して、圧死者を出した。陰陽寮で占わすと東西に兵乱のきざしがあると奏した。
八七八(元慶二)九月 相模、武蔵をはじめ関東一円に地震。
八八〇(元慶四)一〇月 地震。京都と出雲が震う。
八八〇(元慶四)一二月 京都付近が震うた。
八八六(仁和二)五月二四日夜 安房国の沖に黒雲がおこって、雷鳴震動が徹宵止まず。小石や泥土が野や山に二、三寸の厚さに積んでいた。海中の噴火か、三原山の噴火か、原因は不明。
八八七(仁和三)七月 山城、摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震。海に近い所は海嘯の難。摂津の被害はもっともはなはだしい。
九三九(天慶二) 将門・純友の東西に蜂起。
九七六(貞元元)六月 地震。山城と近江がひどく、余震が九月まで続いた。
一〇三二(長元五) 富士山噴火。
一〇七〇(延久二)一〇月 地震。山城、大和の両国が強く、奈良では東大寺の巨鐘が落ちた。
一〇九一(寛治五) 山城、大和の強震。
一〇九七(永長元) 山城、大和の強震。
一一七七(安元三)四月二八日 「風烈しく吹きて静かならざりし夜、亥の時ばかり、都の巽より火出で来たりて、乾に至る」『方丈記』。
一一七七(治承元) 山城、大和の強震。東大寺に災してまた巨鐘を落とした。
元暦元(一一八四)十月を初発として鎌倉に地震が頻発。幕政時代の終わりごろまで百四、五十回の地震。
一一八五(元暦二)七月 地震『平家物語』。九月まで余震。区域は、山城、近江、美濃、伯耆の諸国にまたがる。宇治橋が墜落し、近江の琵琶湖では湖縁の土地が陥落し、湖の水が減じたらしい。
一二一三(建暦三) 和田義盛が反逆。
一二一三(建保元)五月 鎌倉で大地震。大地が裂け、舎屋が破壊。この建保年間には、元年から二年、三年と続けて十数回の強震。
一二二七(安貞元)三月 鎌倉で大地震。地が裂け、所々の門扉・築地がたおれた。古老はこれを見て、去る建暦三(一二一三)和田義盛が反逆をおこしたころにも、こんな大地震があったと噂しあったという。
一二四〇(仁治元)四月 鎌倉地震・海嘯。由比ヶ浜の八幡宮の拝殿が流れた。
一二五〇(建長二)七月 鎌倉地震。余震が十六度におよぶ。
一二五七(正嘉元)八月 鎌倉地震。もっともひどい地震で、関東の諸国にも影響をおよぼす。
一二五八(正嘉二)八月 鎌倉大風。
一二五九(正嘉三) 鎌倉で大飢饉。
一二五九〜一二六〇(正元)に入ってから二年続けて疫病。日本全国の同胞は大半死につくしたように思われた。日蓮『立正安国論』はこのさいに出たもの。
一二九三(永仁元)四月 鎌倉で地震。正嘉の地震におとらない。
一三二五(正中二)一〇月二一日 山城、近江に強震。日吉八王子の神体がおち、竹生島がくずれた。後醍醐天皇が、藤原資朝、藤原俊基らの近臣と王政の復古を謀って、その謀の泄れたいわゆる正中の変のおこった翌月のこと。
一三三一(元弘元)七月 紀伊に大地震。千里浜の干潟が隆起して陸地となり、その七日には駿河に大地震。富士山の絶頂が数百丈くずれた。この月、藤原俊基が関東を押送。
一三四六〜一三七〇(正平年間)は非常に地震の多い年で、約百回も地震の記録。
一三五〇(正平五)五月 京都の大地震。祇園神社の石塔の九輪がおちてくだけた。
一三六一(正平一六)六月 山城、摂津、大和、紀伊、阿波の諸国に大地震。摂津、阿波に海嘯。
一三六九(正平二四)七月 京都に大地震。東寺の講堂が傾いた。
一三九四〜一四二九(応永年間)も地震の多い年で、約八十回にわたる記録が見える。
一四〇〇(応永七)一〇月 伊勢国に大地震。京都の地も震うた。
一四二五(応永三二)一一月 京都ばかりの大地震。
一四三三(永享五)一月 伊勢、近江、山城に大地震。
一四三三(永享五)九月 相模、陸奥、甲斐に大地震。
一四四九(宝徳元)四月 山城、大和に大地震。
一四六六(文正元)四月 山城、大和に大地震。
一四九四(明応三)五月 大和、山城に大地震。大和がもっとも強く、奈良の東大寺、興福寺、薬師寺、法花寺、西大寺の諸寺に被害。
一四九八(明応七)八月 伊勢、遠江、駿河、甲斐、相模、伊豆の諸国に大地震。海に臨んだ国には海嘯。伊勢の大湊がつぶれて千軒の人家を流し、五千の溺死人を出す。鎌倉の由比ヶ浜にも二百人の犠牲者。また遠江の地が陥没して浜名湖が海と通じた。この月は京都にも奈良にも、陸奥にも会津にも強震があって、余震が月をかさねた。
一五〇〇(明応九)六月 甲斐の大地震。
一五〇一(文亀元)一二月 越後に大地震。
一五一〇(永正七)八月 摂津、河内、山城、大和に大地震。摂津には海嘯。
一五二五(大永五)八月 鎌倉に大地震。
一五五五(弘治元)八月 会津に大地震。
一五七八(天正六)一〇月 三河に大地震。
一五八五(天正十三)一一月 山城、大和、和泉、河内、摂津、三河、伊勢、尾張、美濃、飛騨、近江、越前、加賀、讃岐の諸国に大地震。海に瀕した国に海嘯。
一五八五(天正一三) 秀吉が内大臣となる。
一五八九(天正一七)二月 駿河、遠江、三河にまた大地震。
一五九六(慶長元)閏七月 二回の大地震。はじめの地震は、豊後、薩摩の二か国がひどく、豊後の府内の土地が陥没して海嘯がおこった。その日は京都にも地震があった。つぎの地震は、山城、摂津、和泉の諸国の大地震で、伏見城の天守が崩壊して圧死者が多かった。この伏見の地震には、加藤清正が伏見城にかけつけ、城の内外の警衛にあたる。秀吉の勘気解ける。
慶長十九か年間に約八十もあった。
一六〇〇(慶長五) 関ヶ原の役。
一六〇〇(慶長五)から一八六六(慶応二)にいたるまで、全国にわたって四百七、八十回の大小の地震。
一六〇四(慶長九)一二月 地震。薩摩、大隅、土佐、遠江、伊勢、紀伊、伊豆、上総、八丈島など。海には海嘯。『土佐国群書類従』に載せた「谷陵記」には「まず一つに七月十三日大風洪水、二に八月四日大風洪水、三に閏八月二十八日また大洪水、四に十二月十六日夜地震、同夜半に大潮入って、南向の国はことごとく破損す、西北向の国は地震ばかりという。
一六一一(慶長一六)一〇月 三陸の地震。仙台南部津軽および松前の諸領に海嘯。
一六一四(慶長一九)一〇月 地震。越後、相模、紀伊、山城。越後に海嘯。
一六一六(元和二)七月 仙台に大地震。城壁・楼櫓が破損。
一六二六(寛永三) 温泉岳が噴火。
一六三〇(寛永七)六月 江戸に大きな地震。
一六三三(寛永一〇)一月 江戸、相模、駿河、伊豆に大地震。小田原は城が破損して、町は一里の間一軒の家もないようにつぶれる。熱海に海嘯。
一六三九(寛永一六)十一月 越前に大きな地震。
一六四一(寛永一八)正月 江戸大火。
一六四四(正保元)三月 日光山に大きな地震。
一六四四(正保元)九月 羽後の本荘で大きな地震。
一六四六(正保三)四月 陸前磐城、武蔵に大きな地震。
一六四七(正保四)五月 武蔵、相模に大きな地震。
一六四八(慶安元)四月 相模、武蔵、山城に大地震。
一六四九(慶安二)二月 伊予、安芸、山城に大地震。
一六四九(慶安二)六月 武蔵、下野に大地震。江戸城の石垣がくずれ、諸大名の屋敷・町屋がつぶれる。江戸の人心に動揺のきざし。
一六四九(慶安二)七月 武蔵の大地震。
一六五一(慶安四)七月 由比正雪の隠謀、あらわれる。
一六五七(明暦三)一月一八、一九日 江戸大火。
一六五九(万治二)二月 岩代、下野、武蔵に大きな地震。
寛文年間も大きな地震の多い年。
一六六一(寛文元)一〇月 土佐に大きな地震。
一六六二(寛文二)三月 京都、江戸に大きな地震。
一六六二(寛文二)五月 山城、大和、伊賀、伊勢、近江、摂津、和泉、丹波、丹後、若狭、美濃、信濃、肥前に大きな地震。
一六六二(寛文二)九月 日向、大隅に大きな地震。海嘯。
一六六三(寛文三)七月 胆振に大きな地震。有珠岳が噴火。
一六六三(寛文三)一二月 山城に大きな地震。
一六六四(寛文四)六月 紀伊の新宮、京都に大きな地震。
一六六五(寛文五)五月 京都に大きな地震。
一六六五(寛文五)一一月 越後に大きな地震。
一六六八(寛文八)七月 仙台に大きな地震。
一六七〇(寛文十)六月 相模の大住に大きな地震。
一六七六(延宝四)六月 石見に地震と海嘯。
一六七七(延宝五)三月 陸中の南部に地震と海嘯。
一六八三(天和三)(*2)五月 江戸と日光山で地震。
一六八三(天和三)(*2)九月 日光山で地震。
一六八四(貞享元)(*3)二月 伊豆大島に地震。三原山が噴火。
一六八五(貞享二)(*3)九月 周防、長門で地震。
一六八六(貞享三)(*3)八月 遠江、三河、山城で地震。
一六九四(元禄七)五月 羽後の能代で地震。
一六九七(元禄十)一〇月 相模、武蔵に地震。
一七〇三(元禄十六)一一月一四日 江戸大火。
一七〇三(元禄十六)一一月二三日 武蔵、相模、安房、上総に大地震。江戸と小田原がひどく、江戸には火事。小田原、鎌倉、安房は長狭、朝夷の両郡、上総は夷隅郡に海嘯。
一七〇三(元禄十六)一一月二九日 江戸大火。
一七〇七(宝永四)(*4)一〇月 山城、大和、河内、摂津、紀伊、土佐、讃岐、伊予、阿波、伊勢、尾張、美濃、近江、遠江、三河、相模、駿河、甲斐、伊豆、豊後の諸国にわたって大地震。人畜の死傷するもの無数。土佐、阿波、摂津、伊豆、遠江、伊勢、長門、日向、豊後、紀伊などの海に面した国には海嘯。そのうちでも土佐などは海岸の平地という平地は海水があふれて被害が大きかった。
一七〇七(宝永四)(*4)一一月 駿河、甲斐、相模、武蔵に地震。富士山が爆発。噴火口のそばに宝永山を湧出。山麓の須走村は溶岩の下に埋没し、降灰は武・相・駿三か国の田んぼをうめた。
一七〇八(宝永五)一一月 浅間山が噴火。
一七一一(正徳元)二月 美作、因幡、伯耆、山城に大きな地震。
一七一四(正徳四)三月 信濃に大きな地震。
一七一七(享保二)一月三日 日向の鶴鳴山が噴火。
一七一八(享保三)七月 信濃、三河、遠江、山城に大きな地震。
一七一八(享保三)九月 信濃の飯山に大きな地震。
一七二〇(享保五)三月 江戸火事。
一七二四(享保九)二月 江戸火事。
一七二五(享保十)九月・一〇月 長崎に大きな地震。
一七二九(享保十四)七月 能登、佐渡に大きな地震。
一七二九(享保十四)九月 岩代の桑折に大きな地震。
一七五一(宝暦元)四月 越後に大きな地震。
一七五五(宝暦五)三月 日光に大きな地震。
一七六二(宝暦十二)九月 佐渡に大きな地震。
一七六六(明和三)一月 陸奥の弘前に大きな地震。
一七六六(明和三)二月 弘前に大きな地震。
一七六九(明和六)七月 日向、豊後に大きな地震。
一七七二(安永元)一二月 江戸火事。
一七七八(安永七)七月 伊豆大島の三原山の噴火。
一七七九(安永八)一〇月 桜島の大噴火。山麓の村落に火石熱土を流して、死亡者一万六千余人、牛馬二千余頭を斃した。島の付近に新島嶼が湧出。
一七八二(天明二)七月 相模、江戸に大きな地震。
一七八三(天明三)七月 浅間山の大噴火。
一七九二(寛政四)一月 肥前温泉岳の普智山の噴火。
一七九二(寛政四)(*5)七月 江戸火事。
一七九九(寛政十一)五月 加賀の金沢に地震。宮城浦に海嘯。
一八〇〇(寛政十二)閏四月 島(桜島)民六口をこの島に移す。
一八〇二(享和二)一一月 佐渡に地震。小木湊に海嘯。
一八〇四(文化元)六月 羽前、羽後に地震。象潟に海嘯。
一八〇六(文化三)三月 江戸火事。
一八一二(文化九)一一月 武蔵に地震。
一八一五(文化十二)三月 江戸火事。
一八二一(文政四)一一月 岩代の地震。
一八二二(文政五)閏一月 胆振に地震。有珠岳が噴火。
一八二八(文政十一)一一月 越後の地震。
一八三〇(天保元)七月 山城、摂津、丹波、丹後、近江、若狭に大きな地震。
一八三一(天保二)一〇月 肥前に大きな地震。
一八三三(天保四)一〇月 佐渡に大きな地震。
一八三四(天保五)一月 石狩に大きな地震。
一八三六(天保七)七月 仙台に大きな地震。
一八三八(天保九)四月 江戸火事。
一八三九(天保十)三月 釧路に大きな地震。
一八四一(天保十二) 駿河に大きな地震。
一八四三(天保十四)三月 釧路、根室、渡島に大きな地震。
一八四四(弘化元)一月 江戸火事。
一八四六(弘化三)一二月 江戸火事。
一八四七(弘化四)三月 信濃、越後に大きな地震。
一八五三(嘉永六)二月 相模、駿河、伊豆、三河、遠江に大きな地震・海嘯。次にくる安政大変災の前駆をなす。
一八五四(安政元)二月 江戸に大地震後、大きな地震。
一八五四(安政元)六月一五日 山城、大和、河内、和泉、摂津、近江、丹波、紀伊、尾張、伊賀、伊勢、越前の諸国にわたって大きな地震。
一八五四(安政元)一〇月 江戸に大地震。
一八五四(安政元)一一月四日 地震。その日に東海、東山の両道が震い、翌日になって、南海、西海、山陽、山陰の四道が震うたが、海に沿うた国に海嘯。この地震は豊後海峡の海底の破裂に原因があって、四国と九州が大災害をこうむる。
一八五五(安政二)一一月二日 江戸に地震、大被害。紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、豊前、豊後、筑前、筑後、壱岐、出雲、石見、播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門、摂津、河内、若狭、越前、近江、美濃、伊勢、尾張、伊豆一帯が震うて、摂津、紀伊、播磨、阿波、土佐、伊豆の諸国には海嘯。江戸が非常にひどかった。変死人は七千人。
一八五六(安政三)七月 渡島、胆振に大地震・海嘯。
一八五六(安政三)一〇月 江戸に大地震。
一八五七(安政四)閏五月 駿河、相模、武蔵、大地震。
一八五七(安政四)七月 伊予、大地震。
一八五八(安政五)二月 越中、越前大地震。
一八五八(安政五)三月 信濃、松代大地震。
一八五九(安政六) 武蔵の槻に大地震。江戸時代のしんがり。
一八六六(慶応二) 江戸火事。
一八七二(明治五)二月 島根県浜田に大地震。
一八八九(明治二二)七月 熊本に大地震。
一八九一(明治二四)一〇月 濃尾に大地震。七千余人の死人を出す。
一八九四(明治二七)六月 東京に大地震。
一八九四(明治二七)一〇月 庄内に大地震。
一八九六(明治二九)六月 三陸に大地震。海嘯二万余の死人を出した。
一八九六(明治二九)八月 陸羽に大地震。
一九〇六(明治三九)三月 台湾の嘉義に大地震。
一九〇九(明治四二)八月 江州に大地震。
一九一四(大正三)三月 秋田の仙北に大地震。
一九二三(大正一二)九月一日 関東の大地震。約十万の犠牲者と約五十万の家屋とをうしなった。

(*2)テキストでは「元和」となっているが、「天和」とした。
(*3)テキストでは「貞保」となっているが、「貞享」とした。
(*4)テキストでは「寛永」となっているが、「宝永」とした。
(*5)この前後、江戸の火事に関する項目の年号の並びに不整合(年代順に並んでいない)。
※ 確認のため Wikipedia「地震の年表」と比較したところ、九割以上は一致。若干(5〜8%くらいか)の項目に差異あり。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。



公開:2011.4.2 八面玲瓏。
更新:2011.4.3
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最終更新:2011年04月03日 11:44