M-Tea*3_29-火山の話 今村明恒

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M-Tea*3_29-火山の話 今村明恒

2011.2.12 第三巻 第二九号

火山の話
今村明恒
 一、はしがき
 二、火山のあらまし
 三、噴出物
 四、噴火の模様



【週刊ミルクティー*第三巻 第二九号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/122559
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(1.1MB)

定価:200円  p.199 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(94項目)p.522
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.


ひきこもれ! 週刊ミルクティー*

 桜島噴火はいちじるしい前徴を備えていた。数日前から地震が頻々(ひんぴん)におこることは慣例であるが、今回も一日半前から始まった。また七、八十年前から土地がしだいに隆起しつつあったが、噴火後は元どおりに沈下したのである。そのほか、温泉・冷泉がその温度を高め、あるいは湧出量を増し、あるいは新たに湧出し始めたようなこともあった。
 霧島火山群は東西五里にわたり二つの活火口と多くの死火山とを有している。その二つの活火口とは矛の峰(高さ一七〇〇メートル)の西腹にある御鉢(おはち)と、その一里ほど西にある新燃鉢(しんもえばち)とである。霧島火山はこの二つの活火口で交互に活動するのが習慣のように見えるが、最近までは御鉢が活動していた。ただし享保元年(一七一六)における新燃鉢の噴火は、霧島噴火史上においてもっとも激しく、したがって最高の損害記録をあたえたものであった。
 磐梯山(高さ一八一九メートル)の明治二十一年(一八八八)六月十五日における大爆発は、当時、天下の耳目を聳動(しょうどう)せしめたものであったが、クラカトアには比較すべくもない。このときに磐梯山の大部分は蒸気の膨張力によって吹き飛ばされ、堆積物が渓水をふさいで二、三の湖水を作ったが、東側に流れ出した泥流のために土地のみならず、四百余の村民をも埋めてしまったのである。

矛の峰 ほこのみね 高千穂峰か。韓国岳?
新燃鉢 しんもえばち 新燃岳。 


3_29.rm
(朗読:RealMedia 形式 396KB、3'12'')
milk_tea_3_29.html
(html ソーステキスト版 296KB)

今村明恒 いまむら あきつね
1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1)
地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。

◇参照:Wikipedia 今村明恒、『日本人名大事典』(平凡社)。


底本

底本:『星と雲・火山と地震』復刻版 日本児童文庫、名著普及会
   1982(昭和57)年6月20日 発行
親本:『星と雲・火山と地震』日本兒童文庫、アルス
   1930(昭和5)年2月15日 発行
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html

NDC 分類:K450(地球科学.地学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndck450.html
NDC 分類:K453(地球科学.地学/地震学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndck453.html


難字、求めよ

北の池、中の池、南の池 阿蘇山、中岳。
オッタヤーノ ヴェスヴィオ火山北東の町。
冠岳 かんむりだけ 箱根山の中央火口丘の一つ。
矛の峰 ほこのみね 霧島火山群の御鉢がある。高千穂峰?
三浦宗次郎 みうら そうじろう 農商務省技師。
西山省吾 にしやま しょうご 農商務省技手。
シラキュラニウム ヴェスヴィオの山麓にあった町。
煙輪 えんわ
閃弧 せんこ
ペアレット 人名。一九〇六年のヴェスヴィオ噴火において閃弧を撮影。

年表


七九 イタリア、ヴェスヴィオ大噴火。ポンペイ市を降灰にて埋没。

八五九〜八七七(貞観年間) 富士山噴火。

一三〇五年五月二日(嘉元三年三月三〇日) 阿蘇山、午後四時ごろ、地中から太陽のごとき火玉が三つ出て空に上り、東北の方へ飛び去ったという。

一七〇七(宝永四) 富士山噴火して、火口の下手に堆積した噴出物で宝永山を形作る。
一七一六(享保元) 新燃鉢の噴火。霧島噴火史上においてもっとも激しく、最高の損害記録をあたえたもの。
一七一六〜一七三六(享保年間) 岩手山噴火。
一七四八 ポンペイ遺跡、一農夫の偶然な発見によりほとんど全部発掘される。
一七七二 ジャワ島のパパンダヤング火山、噴火。わずかに一夜の間に二七〇〇メートルの高さから一五〇〇メートルに減じ、噴き飛ばしたものによって四十か村を埋没。おそらく有史以来のもっとも激烈な噴火。
一七五九(宝暦九)七月二八日 弘前において西北方、にわかに曇り灰を降らしたが、その中には獣毛のごときものも含まれていたという。これは渡島大島の噴火によったもの。
一七八三(天明三) 浅間山噴火。現在、鬼押出しと名づけている溶岩流を出したのみならず、熱泥流を火口壁のもっとも低い場所から一時に多量にあふれさせ、北方上野の国吾妻川に沿うて百数十村をうずめ、一二〇〇人の死者を生ぜしめる。
一七九二年五月二一日(寛政四年四月一日) 肥前の温泉岳噴火。一里ほども離れている眉山が崩壊、有明湾に大津波をおこし、沿岸地方において合計一万五千人ほどの死者を生じる。

一八〇一〜一八〇四(享和年間) 鳥海山噴火。
※ 西暦一八〇九年ないし一九一一年の十回においてエトナ火山、合計〇・六一立方キロメートルの溶岩の流出量。
一八八三 クラカトア、大爆裂をなして島の大半を噴き飛ばし、跡には高さわずかに八一六メートルの小火山島を残す。
一八八八(明治二一)六月一五日 磐梯山、大爆発。大部分は蒸気の膨張力によって吹き飛ばされ、堆積物が渓水をふさいで二、三の湖水を作ったが、東側に流れ出した泥流のために土地のみならず、四百余の村民をも埋める。
一八九三(明治二六) 吾妻山、突然噴火。調査に向かった三浦宗次郎・西山省吾が犠牲となる。

一九〇二年五月八日 マルチニック島プレー山の噴火。山麓にあるサンピール市を襲い、二万六千の人口中、地下室に監禁されていた一名の囚徒を除くほか、こぞって死滅。
一九〇二年一二月一六日〜 ラクロア教授、赤熱した火山灰がプレー火口から市街地に向かって発射されるのを数回にわたり目撃。
一九〇六 ヴェスヴィオ大噴火。わずかに三十分間同方向に降り続いた火山灰が、山の北東にあるオッタヤーノの町に九十センチメートルも積り、多くの屋根を打ち抜いて二二〇人の死人を生じる。
一九〇八(明治四一) 浅間山、このころから始まった活動において溶岩を西方数十町の距離にまで吹き飛ばし、小諸からの登山口、七合目にある火山観測所にまで達する。
一九〇九(明治四二) 北海道樽前山、噴火。
一九一〇(明治四三) 有珠山噴火。数日前から地震を先発せしめたので、時の室蘭警察署長飯田警視が爆発を未然に察し、機宜に適する保安上の手段を取る。

一九一四(大正三) 桜島噴火。土地が噴火前にしだいに隆起したこと、始めて気づかれる。
一九二三(大正一二) 桜島、噴火。
一九二四(大正一三) 琉球諸島のうち、西表島北方において海底噴火。水柱あるいは鳴動にともなって黒煙を実見。
一九二六(大正一五) 十勝岳、近ごろまで死火山と考えられていたが、突然の噴火をなし、雪融けのため氾濫をおこし、山麓の村落生霊を流亡。
一九二七(昭和二) ハワイ島のマウナ・ロア、大噴火。


◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。

スリーパーズ日記

あそざん → あそさん
こまがだけ → こまがたけ
ふたこやま → ふたごやま
なかたけ → なかだけ
ばんだいざん → ばんだいさん
ちょうかいざん → ちょうかいさん

 底本は左辺のとおり、もしくは混用。現代表記版は一般的と思われる右辺の読みに変更・統一してみた。山の標高は底本のままにした。たとえば阿蘇山の中岳は、底本では「1640m」、Wikipedia は「1506m」、『広辞苑』にはない。岐阜・長野県境の硫黄岳(焼岳)は底本が「2458m」、Wikipedia が「2554m」、『広辞苑』は「2455m」とある。
 底本には誤記・誤写・誤植の可能性がつねにありうるし、『広辞苑』も100% 信頼できるとはいえない。Wikipedia に限らず、できることといえば情報ソースを複数に求めてクロスチェックの機会をふやすことと、ソースの手がかりを残しておいて次の走者へバトンタッチすること。『日本国語』と『歴史地名』と『国史』と『日本人名』が串刺し検索できたらなあ……。

 安田喜憲『気候変動の文明史』(NTT出版、2004.12)読了。あいかわらず鼻につくような記述はあるし我田引水の感もなくはない。ローレンタイド氷床(大陸氷河)融解から、稲作渡来民ボートピ−プル説、古墳寒冷期、大仏温暖期、マヤ文明の崩壊、魔女狩り……と、やりたい放題、言いたい放題、やりすぎ都市伝説、関のフリーメーソン陰謀論といい勝負。東西の人類史を一冊、二五〇ページで概観しているので、かけ足気味、つっこみ不足でもある。が、たたかれるのを覚悟で数々の仮説を提示している姿勢は良。
 いくつか認識をあらためる。関西の百舌鳥古墳群・伝、仁徳陵に見るように、沿岸近くの古墳は少なくない。作った当時は、もっと海岸線が近かったのではないかと想像していたのだが、安田は山本武夫の朝鮮『三国史記』研究をよりどころに、日本の古墳製作時期(430〜520ごろ)は寒冷で湿潤な時代だったとしている。
 また、ポリネシア人の大民族移動は2800年前の著しい寒冷期だったという(片山一道を参照)。南方民族の日本列島(沖縄諸島)への到来は、温暖期の海進によって居住地を失った者たちの移動かと想像していたのだが、ハズレらしい。

 六日(日)晴れ。山寺公民館にて講演と発掘調査報告を聞く。天童、山形、山寺ともに積雪が多いようには感じられない。二〇〇名くらいか。六〇〜七〇代男性が八割ぐらい。終了後、『峯の浦発掘通信』なるものを見せてもらおうと事務所に。保管・設置分はないとのことで、自宅あてに送ってもらう。八日、着。



2011.2.13:公開
2011.2.18:更新
日本には、八百長の神さまがいるんやで〜♪
目くそ鼻くそ。PoorBook G3'99
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  • ん〜、atwiki にはインデント指定がないんだろうか。 -- しだ (2011-02-16 02:04:21)
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