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M-Tea*3_12-日本人の自然観/天文と俳句 寺田寅彦

2010.10.16 第三巻 第一二号

日本人の自然観 寺田寅彦
 緒言
 日本の自然
 日本人の日常生活
 日本人の精神生活
 結語
天文と俳句

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【週刊ミルクティー*第三巻 第一二号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/95258
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(564KB)

定価:200円 p.205 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(43項目)p.356
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。


飛び出せ! 週刊ミルクティー*


日本人の自然観

 もしも自然というものが、地球上どこでも同じ相貌(そうぼう)をあらわしているものとしたら、日本の自然も外国の自然も同じであるはずであって、したがって上記のごとき問題の内容吟味は不必要であるが、しかし実際には、自然の相貌がいたるところむしろ驚くべき多様多彩の変化を示していて、ひと口に自然と言ってしまうにはあまりに複雑な変化を見せているのである。こういう意味からすると、同じように、「日本の自然」という言葉ですらも、じつはあまりに漠然としすぎた言葉である。(略)
 こう考えてくると、今度はまた「日本人」という言葉の内容が、かなり空疎な散漫なものに思われてくる。九州人と東北人とくらべると各個人の個性を超越するとしても、その上にそれぞれの地方的特性の支配が歴然と認められる。それで九州人の自然観や、東北人の自然観といったようなものもそれぞれ立派に存立しうるわけである。(略)
 われわれは通例、便宜上、自然と人間とを対立させ、両方別々の存在のように考える。これが現代の科学的方法の長所であると同時に短所である。この両者は、じつは合わして一つの有機体を構成しているのであって、究極的には独立に切り離して考えることのできないものである。(略)
 日本人の先祖がどこに生まれ、どこから渡ってきたかは別問題として、有史以来二千有余年、この土地に土着してしまった日本人が、たとえいかなる遺伝的記憶をもっているとしても、その上層を大部分掩蔽(えんぺい)するだけの経験の収穫をこの日本の環境から受け取り、それにできるだけしっくり適応するように努力し、また少なくも、部分的にはそれに成効してきたものであることには疑いがないであろうと思われる。

3_12.rm
(朗読:RealMedia 形式 428KB、3'28'')

寺田寅彦 てらだ とらひこ
1878-1935(明治11.11.28-昭和10.12.31)
物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。

◇参照:Wikipedia 寺田寅彦、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

日本人の自然観
底本:「寺田寅彦随筆集 第五巻」岩波文庫、岩波書店
   1948(昭和23)年11月20日第1刷発行
   1963(昭和38)年6月16日第20刷改版発行
   1997(平成9)年9月5日第65刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2510.html

NDC 分類:121(東洋思想/日本思想)
http://yozora.kazumi386.org/1/2/ndc121.html

天文と俳句
底本:「科學と文學」角川書店
   1948(昭和23)年12月25日初版発行
   1949(昭和24)年9月20日3版発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card1691.html

NDC 分類:451(地球科学.地学/気象学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc451.html
NDC 分類:911(日本文学/詩歌)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc911.html


難字、求めよ

島環
壊家
日表 信州の地名?
灰砂
ワイスハイト
相地の学
地口(じぐち)やパン
順風耳(じゅんぷうじ)
中井(なかい)博士 著「東亜植物」。
東洋思潮 雑誌。

気象学(メテオロジー)
メテオロス
徳圃
『句解大成』 正岡子規の著。
秋風来
落下縞(ファルストライフェン)


むしとりホイホイ

日本人の自然観
ところである、 → ところである。 【。か】
生み出した、 → 生み出した。 【。か】
状況である、 → 状況である。 【。か】
ゲーム → ゲノム 【ノ、か?】

天文と俳句
おかげて → おかげで 【で、か?】

以上、5件。


スリーパーズ日記


 年週期、週期的……の「週」は「周」におきかえた(五か所)。
 サイの化石……国内でサイの化石が見つかったことがあるのか、未確認。

 現場から七〇mの側溝に、凶器のナイフ見つかる。事件から一週間。見つけたのは住民。いまのところ警察批判の声はない。(2010.10.12)
『宗像教授異考録』(ビッグコミック、小学館)。前々号を購入しておきながら前号を見逃す。よりにもよって今号、連載最終回。珍しく購入したせいだろうか(泣)。

 龍馬の風景。
 洋式灯台もGPSもない当時、操船では目立つ山・岬・離島の位置・見える角度から自分の現在位置をわりだして目的地へ運行していた。とくに曇りがちな日本近海では太陽や星の位置を確認できないことが多い。長崎の雲仙、北九州の英彦山のような目につく山は、船をあやつる民たちにとって早くから信仰の対象となりやすかった。山目(やまめ)を立てる。海を知るほど、高い山への信仰が厚くなる。とりわけ残雪の白く目立つ山は、夜間でも格好の目じるしとなっただろう。
 神奈川県の三浦海岸には、当然ながら雲仙も五島列島も見えない。高杉晋作も見たであろう下関の対岸や行きかう船舶も見えない。

 十六日(土)晴れ。空気が冷たい。県立博物館にて市民考古学講座、金子昭彦「東北地方の縄文時代」。奥羽線沿いの田んぼは半分ぐらいが稲刈りずみ。街路にさくらんぼのような赤い実。よく見るとアバタ顔。



2010.10.17:公開
2010.10.18:更新
心配ご無用、横髪やぶりな女たち。
耳垂《ミミタリ》鼻垂《ハナタリ》。PoorBook G3'99
転載・移植・印刷は自由です。
カウンタ: -

  • 雲仙を実際に見たことがないので、長崎湾沖から見えるのか・どう見えるのか・どう信仰されているかも未確認。標高1359m、長崎市街から直線距離で40kmくらいか。ほぼ真東。 -- しだ (2010-10-18 06:52:13)
  • 山目(やまめ)を立てる。もしくは、山を立てるともいう。四、五年ほど前だったか、戸川安章氏(歴史家)の文章中で言葉を知る。波乗りをしていた当時、その意味を実感。大型古墳は、沖合いから見てこの山目を立てられることが造築目的のひとつだったのではないかという説もある。 -- しだ (2010-10-18 06:52:36)
  • 学校の保健室にひきこもるということはなかったけれども、保健室のかわりに図書室にひきこもっていたような気がするし、それは今も変わらないような気がする。日中に図書館で常連の顔を見ると、このひとたちもなんだなあと思う。図書館にひきこもれるひとはまだいい。目に悪いデジタル校正を続けているのは、リストカットのような自傷行為と同源で、自殺願望が強いせいだろうと想う。足音、ページをめくる音、舌打ちの音、つぶやき、真後ろを歩く人、タバコ臭、アルコール臭、刺すような視線、疑いのまなざし……こまかいことが異常に気になって仕方なく、発狂をこらえるのに甘いものを口にする日が続く。図書館にも行けなくなったら、おそらくそのときは自宅ひきこもり。 -- しだ (2010-10-18 08:08:25)
  • 欧米に遅れをとるのは、そんなに不思議なことじゃない。256文字程度で表現できるアルファベット圏と、ざっと5万字ある漢字圏では、要求される解像度も記憶量も処理速度も桁数はかんたんに2つ3つ異なる。いまだにユニファイ問題ぐらいでさわいでいるようじゃあ、供給側がしらけて後回しにするのも無理ない。グーテンベルクが2006年で19000点、青空文庫が2010年で9500点。保護期間が20年延長されたグーテンベルクのほうが青空文庫よりも収録件数はずっと多い。 -- しだ (2010-10-19 08:10:31)
  • 今日現在、グーテンベルクのトップページには「Download over 33,000 free ebooks to read on your PC」という一文がある。(http://www.gutenberg.org/wiki/Main_Page) -- しだ (2010-10-22 03:35:26)
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最終更新:2010年10月22日 03:35