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M-Tea*3_10-最古日本の女性生活の根底/稲むらの陰にて 折口信夫

2010.10.2 第三巻 第一〇号

最古日本の女性生活の根底
  一 万葉びと——琉球人
  二 君主——巫女
  三 女軍(めいくさ)
  四 結婚——女の名
  五 女の家

稲むらの陰にて


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【週刊ミルクティー*第三巻 第一〇号】
http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/92843
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(608KB)

定価:200円 p.138 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(57項目)p.425
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。


飛び出せ! 週刊ミルクティー*


最古日本の女性生活の根底

 古代の歴史は、事実の記憶から編み出されたものではない。神人(かみびと)に神憑(がか)りした神の、物語った叙事詩から生まれてきたのである。いわば夢語りともいうべき部分の多い伝えの、世をへて後、筆録せられたものにすぎない。(略)神々の色彩を持たない事実などの、後世に伝わりようはあるべきはずがないのだ。(略)女として神事にあずからなかった者はなく、神事に関係せなかった女の身の上が、物語の上に伝誦せられるわけがなかったのである。 
(略)村々の君主の下になった巫女が、かつては村々の君主自身であったこともあるのである。『魏志』倭人伝の邪馬台(ヤマト)国の君主卑弥呼は女性であり、彼の後継者も女児であった。巫女として、呪術をもって、村人の上に臨んでいたのである。が、こうした女君制度は、九州の辺土には限らなかった。卑弥呼と混同せられていた神功皇后も、最高巫女としての教権をもって、民を統べていられた様子は、『日本紀』を見れば知られることである。(略)
 沖縄では、明治の前までは国王の下に、王族の女子あるいは寡婦が斎女王(いつきのみこ)同様の仕事をして、聞得大君(きこえうふきみ)(ちふいぢん)と言うた。尚家の中途で、皇后の下に位どられることになったが、以前は沖縄最高の女性であった。その下に三十三君というて、神事関係の女性がある。それは地方地方の神職の元締めのような位置にいる者であった。その下にあたるノロ(祝女)という、地方の神事官吏なる女性は今もいる。そのまた下にその地方の家々の神につかえる女の神人がいる。この様子は、内地の昔を髣髴(ほうふつ)させるではないか。沖縄本島では聞得大君を君主と同格に見た史実がない。が、島々の旧記にはその痕跡が残っている。

3_10.rm
(朗読:RealMedia 形式 476KB、3'52'')

折口信夫 おりくち しのぶ
1887-1953(明治20.2.11-昭和28.9.3)
大阪府西成郡木津村(現在の大阪市浪速区)生まれ。民俗学、国文学、国学の研究者。釈迢空と号して詩歌もよくした。1913年12月「三郷巷談」を柳田國男主催の『郷土研究』に発表し、以後、柳田の知遇を得る。柳田國男の高弟として民俗学の基礎を築いた。

◇参照:Wikipedia 折口信夫、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

最古日本の女性生活の根底
底本:「古代研究 I —祭りの発生」中央公論新社
   2002(平成14)年8月10日発行
初出:「女性改造 第三巻第九号」
   1924(大正13年)年9月
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/card16032.html

NDC 分類:380(風俗習慣.民俗学.民族学)
http://yozora.kazumi386.org/3/8/ndc380.html

稲むらの陰にて
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
   1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店
   1930(昭和5)年6月20日
初出:「郷土研究 第四巻第三号」
   1916(大正5)年6月
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/card46324.html

NDC 分類:384(風俗習慣.民俗学.民族学/社会・家庭生活の習俗)
http://yozora.kazumi386.org/3/8/ndc384.html
NDC 分類:812(日本語/語源.意味)
http://yozora.kazumi386.org/8/1/ndc812.html


難字、求めよ

万葉人 まんねふびと
倖寵 こうちょう
喜田博士 喜田貞吉か。
泳ノ宮ノ弟媛 くくりのみやのおとひめ
八坂入媛 やさかいりひめ 泳ノ宮ノ弟媛の姉。
印南都麻 いなみつま 島名。加古川の川口。
内間まか うちま まか

梵天塚
丹生 にふ
丹生神
伊原生
僚窓の下


スリーパーズ日記

 むせかえるようなキンモクセイの甘い香り。夕刻、図書館を出ると、それにまじって、ハシブトガラスの生臭い香りがただよう。

 樋口清之『卑弥呼と邪馬台国の謎』(大和書房、1985.7)、千田稔『図説 地図とあらすじでわかる! 邪馬台国』(青春新書、青春出版社、2010.4)、読了。

 当時の気候を推測するに、樋口は「ハンチントンの気候周期説」を紹介。そこから独自の「寒期六〇〇年周期説」を提示。「倭人伝のころは、寒期が終わって向暖期に入ったとき」であろうとする。
 一方、千田は三ページを使って、(1) 山本武夫(気象学)の『三国史記』をもとに、当時は現代より寒冷。小氷河期に相当。(2) 気候変動と大規模な事件は相関関係にある(山本)。(3) 安田喜憲(環境考古学)は、当時の倭は降水量が多く耕地が水没。大型集落を放棄・縮小する不安定な時代。……と、それぞれの説を紹介。

 中国では黄巾党の乱(184)、朝鮮は三国分立、倭国は内乱(147〜189)。いっぽう目を西に向けると、ローマではペストの流行(166〜167)、ゴート族の南下(150ごろ)、ゲルマン人のガリア侵入(220ごろ)が見える。インドではカニシカ王が仏教を保護。大乗仏教がこの頃おこる。

 山本一清『星と空の話』の連載中に、雑誌『Newton』の星の特集版を併読していたところ、(1) 月は年に3cmずつ地球から遠ざかっている=地球の自転はしだいに遅くなる=地球の潮汐力はしだいに弱くなる。(2) 現在の北極星が“北極星”となったのは二〇〇〇年ほど前。地球は公転面から二三.五度傾いて自転。地軸は二万五八〇〇年周期で回転移動。……の二つの事実をはじめて知る。
 (1) から推するに、時代をさかのぼるほど、地球の「一日」の絶対時間は短く、潮の干満差は大きく、偏西風の速度は速く、生物は現在より大きな月を見て、体にかかる大きな潮汐力を感じていた……ことになる。



2010.10.7:公開
鼻垂《ミミタリ》鼻垂《ハナタリ》カップリング。PoorBook G3'99
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  • よくよく声を聞きなおすと濁っているので、ハシブトではなくハシボソの団体のような。 -- しだ (2010-10-09 03:33:35)
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最終更新:2010年10月09日 03:33