MT*2_45-火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉

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MT*2_45-火葬と大蔵/人身御供と人柱 喜田貞吉

2010.5.29 第二巻 第四五号

 火葬と大蔵 喜田貞吉
   一 火葬のはじめということ
   二 洗骨の風
   三 大蔵(死体処理の一方法)
 人身御供と人柱 喜田貞吉



月末最終号:無料  p.144 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(75項目)p.398
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飛び出せ! 週刊ミルクティー*


人身御供と人柱
 自分は『今昔物語』その他の古書に見ゆる人身御供の話をもって、事実そんなことがあったとは信じえない。しかし、神が時として人間を犠牲として要求するという思想が存在したことは、とうていこれを否定し難いのである。突然、海上で風波の難にあい、舟とともにこれに乗ったすべての人々の生命がうばわれる虞(おそれ)の生じた場合には、それは海神が人間を希望しているためだと解する。にわかに濃霧が山を閉じこめて、旅客が行くべき道を失ったり、あるいは烈風砂礫(されき)を飛ばして、行人の生命を奪ったりするような場合には、それは山神が人間を要求しているためだと解する。築いても築いても堤防がくずれたり、橋が流れたりする場合においてもまた同様である。ここにおいてか橘媛(たちばなひめ)は走水の海に身を投じた。強頸(こわくび)や衫子(ころもこ)は、茨田(まんだ)の断間(たえま)に身を投じた。長(ながら)の橋や経が島に人柱(ひとばしら)の伝説があるのもみなこれだ。つまりは神に犠牲として人間をささげるのである。この場合かならずしもその犠牲となるものは婦女とはかぎらない。別して人柱として選ばれたものは多く男子であった。人身御供の伝説にも時に男子がこれにあたった場合もあるが、古くは、かの奇稲田媛(くしなだひめ)の伝説をはじめとして、多く妙齢の婦女となっているということは、一つはそれが妙齢の婦女であるところに一種劇的の感興がおこるという意味もあるであろうが、一つは事実、婦女に欠乏を感ずる社会人が、婦女掠奪をなした場合の多かったためであろうと解せられる。

2_45.rm
(朗読:RealMedia 形式 388KB、3'09'')


喜田貞吉 きた さだきち
1871-1939(明治4.5.24- 昭和14.7.3)
歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。

◇参照:Wikipedia 喜田貞吉、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

火葬と大蔵 焼屍・洗骨・散骨の風俗
底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社
   2008(平成20)年1月30日初版発行
初出:「民族と歴史 第三巻第七号」
   1919(大正8)年6月

人身御供と人柱
底本:「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」河出書房新社
   2008(平成20)年1月30日初版発行
初出:「中央史壇 第一一巻第二号生類犠牲研究」
   1925(大正14)年8月

NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html
NDC 分類:385(風俗習慣.民俗学.民族学/通過儀礼.冠婚葬祭)
http://yozora.kazumi386.org/3/8/ndc385.html



2010.5.29:公開
目くそ鼻くそ。/PoorBook G3'99
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