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MT*2_27-種山ヶ原/イギリス海岸 宮沢賢治

2010.1.23 第二巻 第二七号

種山ヶ原/イギリス海岸
宮沢賢治

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※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。翻訳・朗読・転載は自由です。
(c) Copyright is public domain.

定価:200円(税込)  p.155 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(25項目)p.106

飛び出せ! 目くそ鼻くそ!

オリジナル版 ミルクティー*現代表記版
種山ヶ原 種山ヶ原
 種山《たねやま》ヶ原《はら》といふのは北上《きたかみ》山地のまん中の高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩《じゃもんがん》や、硬い橄欖岩《かんらんがん》からできてゐます。  種山ヶ原(たねやまがはら)というのは北上(きたかみ)山地のまんなかの高原で、青黒いつるつるの蛇紋岩(じゃもんがん)や、硬(かた)いカンラン岩(がん)からできています。
 高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五六軒づつの部落があります。  高原のへりから、四方に出たいくつかの谷の底には、ほんの五、六軒ずつの部落があります。
 春になると、北上の河谷《かこく》のあちこちから、沢山の馬が連れて来られて、此《こ》の部落の人たちに預けられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持主に戻ってしまふのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯れはじめ水霜が下りるのです。  春になると、北上(きたかみ)の河谷(かこく)のあちこちから、たくさんの馬がつれてこられて、この部落の人たちにあずけられます。そして、上の野原に放されます。それも八月の末には、みんなめいめいの持ち主にもどってしまうのです。なぜなら、九月には、もう原の草が枯(か)れはじめ水霜(みずじも)がおりるのです。
 放牧される四月《よつき》の間も、半分ぐらゐまでは原は霧や雲に鎖《とざ》されます。実にこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気《しっき》のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷や霧は、いつでももうすぐ起って来るのでした。それですから、北上川の岸からこの高原の方へ行《ゆ》く旅人は、高原に近づくに従って、だんだんあちこちに雷神の碑を見るやうになります。その旅人と云《い》っても、馬を扱ふ人の外《ほか》は、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんの僅《わづ》かなものでした。  放牧される四月(よつき)の間も、半分ぐらいまでは原は霧(きり)や雲に鎖(とざ)されます。じつにこの高原の続きこそは、東の海の側からと、西の方からとの風や湿気(しっき)のお定まりのぶっつかり場所でしたから、雲や雨や雷(かみなり)や霧(きり)は、いつでももうすぐ起こってくるのでした。それですから、北上川の岸からこの高原のほうへ行(ゆ)く旅人は、高原に近づくにしたがって、だんだんあちこちに雷神(らいじん)の碑(ひ)を見るようになります。その旅人といっても、馬をあつかう人のほかは、薬屋か林務官、化石を探す学生、測量師など、ほんのわずかなものでした。

2_27.rm
(朗読:RealMedia 形式 304KB、2'28'')


宮沢賢治 みやざわ けんじ
1896-1933(明治29.8.27- 昭和8.9.21)
詩人・童話作家。岩手県花巻生れ。盛岡高農卒。早く法華経に帰依し、農業研究者・農村指導者として献身。詩「春と修羅」「雨ニモマケズ」、童話「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」など。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

種山ヶ原
底本:「新修宮沢賢治全集 第八巻」筑摩書房
   1979(昭和54)年5月15日初版第1刷発行
   1984(昭和59)年1月30日初版第7刷発行

NDC 分類:K913(日本文学:小説.物語)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndck913.html

イギリス海岸
底本:「新修宮沢賢治全集 第十四巻」筑摩書房
   1980(昭和55)年5月15日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年1月20日初版第4刷発行

NDC 分類:914(日本文学:評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html


疑問点

種山ヶ原
べらり → べろり、か?
以上、1件。

イギリス海岸
それはあちこちの 【行頭の全角スペース追加か。あるいは改行削除か。】
ヘり → へり 【へ、カタカナ注意】
以上、2件。


スリーパーズ日記

 16日(土)、県立博物館にて考古学講座の始まる前、鉱物担当の学芸員にサンプル鑑定を依頼。昨年の暮れに山寺立石寺へ行き、地元で「赤文殊さま」とも「赤山(せきざん)明神」ともよばれる赤い洞穴から採取したもの。解説を聞いたところ「酸化鉄ではなかろうか」とのこと。
 自分の初見も、鉄サビだろうかという推測だったけれども、洞穴内に鉄サビ特有のにおいがまったくしなかったこと、見なれた鉄サビの赤黒さとは異なるように思えること、地面に積もっている粉末微塵に鉄サビのザラザラ感がまったくなかったことなど疑問が残る。赤褐色にはちがいないが、どちらかというと、電気分解したばかりの銅のような青みがかったピンクのようにも見える。
 鉄(くろがね)か。銅(あかがね)か。ほかに鉱物由来の赤というと丹(朱砂、硫化水銀)の可能性もなくはないが……山寺石(凝灰岩)の白さとは好対照。県内には、近くの幸生銅山(寒河江)、永松銅山(肘折)、延沢銀山(尾花沢)などが有名。鉄山はどうだったろう。(2010.1.23)



2010.1.23:公開
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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最終更新:2010年01月23日 12:51