MT*2_26-日本天変地異記 田中貢太郎

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MT*2_26-日本天変地異記 田中貢太郎

2010.1.16 第二巻 第二六号

日本天変地異記
田中貢太郎
  序記 国土成生の伝説
  一 斉衡元暦(八五四)の地震、安元の火事
  二 地震・海嘯の呪いある鎌倉
  三 天正の災変、慶長の地震
  四 元禄大地震、振袖火事、安政大地震
  五 維新以後の災変



定価:200円(税込)  p.166 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(81項目)p.663

飛び出せ! 目くそ鼻くそ!

オリジナル版 ミルクティー*現代表記版
 地震の記録をあさってみると、地震は政権に従って移動しているような観がある。藤原氏の手から政権を収めていた平氏が破れて、源氏が鎌倉に拠ると、元暦元年十月を初発として鎌倉に地震が頻発した。それは王朝時代には僻遠の地として、武蔵、相模の名で大掴みに記されていたものが、文化の発生と共に細かなことまで記される余裕ができたためか、それとも武蔵、相模方面の活動期になっていたのに偶然に遭遇したためであるか。その鎌倉には幕政時代の終りごろまで百四五十回の地震があって、骨肉|相食《あいは》んだ鎌倉史の背景となって、陰惨な色彩をいやがうえにも陰惨にして見せた。  地震の記録をあさってみると、地震は政権にしたがって移動しているような観がある。藤原氏の手から政権をおさめていた平氏がやぶれて、源氏が鎌倉に拠(よ)ると、元暦元年(一一八四)十月を初発(しょはつ)として鎌倉に地震が頻発(ひんぱつ)した。それは王朝時代には僻遠(へきえん)の地として、武蔵、相模の名で大づかみに記されていたものが、文化の発生とともに細かなことまで記される余裕ができたためか、それとも武蔵、相模方面の活動期になっていたのに偶然に遭遇したためであるか。その鎌倉には幕政時代の終わりごろまで百四、五十回の地震があって、骨肉相食(あいは)んだ鎌倉史の背景となって、陰惨(いんさん)な色彩をいやがうえにも陰惨にして見せた。
(略)永仁元年四月の地震も、正嘉の地震に劣らない地震であった。そのころは怪しく空が曇っていて、陽の光も月の光もはっきり見えなかったが、その日は墨の色をした雲が覆いかかるようになっていた。そして榎島の方が時時震い、沖の方がひどく鳴りだした。これはただごとではない、また兵乱の前兆か、饑饉疫癘の凶相かと、人人が不思議がっていると、午の刻になって俄かに大地震となり、海嘯が起った。倒壊した主なものは政庁、鶴岡若宮、大慈寺、建長寺であったが、建長寺からは火が起った。その時の死者は二万三千余であったと言われている。王朝時代のことは判らないが、これによって見ても鎌倉は昔から地震の呪いのある土地であるらしい。 (略)永仁元年(一二九三)四月の地震も、正嘉(しょうか)の地震におとらない地震であった。そのころは怪(あや)しく空がくもっていて、陽の光も月の光もはっきり見えなかったが、その日は墨の色をした雲がおおいかかるようになっていた。そして榎島(えのしま)の方がときどき震(ふる)い、沖の方がひどく鳴りだした。これはただごとではない、また兵乱の前兆か、飢饉(ききん)・疫癘(えきれい)の凶相かと、人びとが不思議がっていると、午(うま)の刻になってにわかに大地震となり、海嘯(つなみ)がおこった。倒壊した主なものは政庁、鶴岡若宮(わかみや)、大慈寺(だいじじ)、建長寺(けんちょうじ)であったが、建長寺からは火がおこった。その時の死者は二万三千余であったといわれている。王朝時代のことはわからないが、これによってみても鎌倉は昔から地震の呪(のろ)いのある土地であるらしい。

2_26.rm
(朗読:RealMedia 形式 380KB、3'05'')


田中貢太郎 たなか こうたろう
1880-1941(明治13.3.2-昭和16.2.1)
高知市生まれ。小説家、随筆家。漢学塾に学び、代用教員、高知実業新聞社の記者を経たのち上京。大町桂月、田山花袋、田岡嶺雲に師事。明治四十二年、嶺雲の『明治叛臣伝』の執筆に協力したのを機会に、やがて『中央公論』の「説苑(ぜいえん)」欄に情話物、怪談話などを掲載するようになる。作品は紀行文・随想、情話物、怪談・奇談などからなり、代表作には『田中貢太郎見聞録』『旋風時代』『日本怪談全集』『支那怪談全集』などがあげられる。

◇参照:青空文庫・作家別作品リスト。


底本

底本:「貢太郎見聞録」中公文庫、中央公論社
   1982(昭和57)年6月10日発行
底本の親本:「貢太郎見聞録」大阪毎日新聞社・東京日日新聞社
   1926(大正15年)12月

NDC 分類:210(日本史)
http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html

NDC 分類:453(地球科学.地学/地震学)
http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html


年表

允恭天皇五(四一六)七月 河内国の地震。『日本書紀』
推古天皇七(五九九)四月 大和国の地震。
天武天皇(在位六七三〜六八六)のとき 大地震。一夜にして近江の地が陥没して琵琶湖ができるとともに、駿河に富士山が湧出したという伝説。
天武天皇六(六七八)十二月 筑紫に大地震。大地が裂け、民舎が多く壊れた。
天武天皇十二(六八四)十月 諸国に地震。土佐が激烈をきわめた。俗に白鳳の地震。土佐では黒田郡の一郡が陥没したと言い伝える。
霊亀元(七一五)五月 遠江国に大地震。山がくずれて?玉河をふさいだが、続いてそれが決壊。敷智、長下、石田の三郡の民家一七〇余区を没した。
天平六(七三四)四月 畿内七道みな地震。
天平十七(七四五)四月 美濃、摂津両国に地震。
天平宝字六(七六二)五月 美濃をはじめ、飛騨、信濃の諸国に地震。
天平神護二(七六六)六月 大隅国神造新島。
延暦二十(八〇一)三月 富士山噴火。
弘仁九(八一八)七月 相模、武蔵、下総、常陸、上野、下野の諸国に地震。
天長四(八二七)七月 京都の地震。余震が翌年まで続いた。
天長七(八三〇)一月 出羽に地震。その他、三河、丹波、伊豆、信濃、出羽、越中、越後、出雲にも大きな地震があったらしい。
斉衡三(八五六)三月八日 大和地方もひどかったとみえて、『方丈記』に奈良の大仏の頭の落ちたことを記載。
貞観六(八六四)七月 富士山の噴火にともなうて大地震。噴出した鑠石は本栖、?の両湖をはじめ、民家を埋没。
貞観六(八六四)十月 肥後の阿蘇山が鳴動して、池の水が空中にわきあがった。
貞観九(八六七)一月 豊後の鶴見山が噴火。
貞観九(八六七)五月 阿蘇山、噴火。
貞観十(八六八)七月 地震。山城一円と播磨とにまたがる。
貞観十一(八六九)五月 陸奥に地震・海嘯。無数の溺死人を出した。
元慶二(八七八)九月 相模、武蔵をはじめ関東一円に地震。
元慶四(八八〇)十月 地震。京都と出雲が震う。
元慶四(八八〇)十二月 京都付近が震うた。
仁和二(八八六)五月二十四日夜 安房国の沖に黒雲がおこって、雷鳴震動が徹宵止まず。小石や泥土が野や山に二、三寸の厚さに積んでいた。海中の噴火か、三原山の噴火か、原因は不明。
仁和三(八八七)七月 山城、摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震。海に近い所は海嘯の難。摂津の被害はもっともはなはだしい。
天慶元(九三八)(*1)四月 地震。京中を垣墻ことごとく破壊し、宮中の内膳司屋転倒して、圧死者を出した。陰陽寮で占わすと東西に兵乱のきざしがあると奏した。
天慶二(九三九) 将門・純友の東西に蜂起。
貞元元(九七六)六月 地震。山城と近江がひどく、余震が九月まで続いた。
長元五(一〇三二) 富士山噴火。
延久二(一〇七〇)十月 地震。山城、大和の両国が強く、奈良では東大寺の巨鐘が落ちた。
寛治五(一〇九一) 山城、大和の強震。
永長元(一〇九七) 山城、大和の強震。
安元三(一一七七)四月二十八日 「風烈しく吹きて静かならざりし夜、亥の時ばかり、都の巽より火出で来たりて、乾に至る」『方丈記』。
治承元(一一七七) 山城、大和の強震。東大寺に災してまた巨鐘を落とした。
元暦元(一一八四)十月を初発として鎌倉に地震が頻発。幕政時代の終わりごろまで百四、五十回の地震。
元暦二(一一八五)七月 地震『平家物語』。九月まで余震。区域は、山城、近江、美濃、伯耆の諸国にまたがる。宇治橋が墜落し、近江の琵琶湖では湖縁の土地が陥落し、湖の水が減じたらしい。
建暦三(一二一三) 和田義盛が反逆。
建保元(一二一三)五月 鎌倉で大地震。大地が裂け、舎屋が破壊。この建保年間には、元年から二年、三年と続けて十数回の強震。
安貞元(一二二七)三月 鎌倉で大地震。地が裂け、所々の門扉・築地がたおれた。古老はこれを見て、去る建暦三(一二一三)和田義盛が反逆をおこしたころにも、こんな大地震があったと噂しあったという。
仁治元(一二四〇)四月 鎌倉地震・海嘯。由比ヶ浜の八幡宮の拝殿が流れた。
建長二(一二五〇)七月 鎌倉地震。余震が十六度におよぶ。
正嘉元(一二五七)八月 鎌倉地震。もっともひどい地震で、関東の諸国にも影響をおよぼす。
正嘉二(一二五八)八月 鎌倉大風。
正嘉三(一二五九) 鎌倉で大飢饉。
正元(一二五九〜一二六〇)に入ってから二年続けて疫病。日本全国の同胞は大半死につくしたように思われた。日蓮『立正安国論』はこのさいに出たもの。
永仁元(一二九三)四月 鎌倉で地震。正嘉の地震におとらない。
正中二(一三二五)十月二十一日 山城、近江に強震。日吉八王子の神体がおち、竹生島がくずれた。後醍醐天皇が、藤原資朝、藤原俊基らの近臣と王政の復古を謀って、その謀の泄れたいわゆる正中の変のおこった翌月のこと。
元弘元(一三三一)七月 紀伊に大地震。千里浜の干潟が隆起して陸地となり、その七日には駿河に大地震。富士山の絶頂が数百丈くずれた。この月、藤原俊基が関東を押送。
正平年間(一三四六〜一三七〇)は非常に地震の多い年で、約百回も地震の記録。
正平五(一三五〇)五月 京都の大地震。祇園神社の石塔の九輪がおちてくだけた。
正平十六(一三六一)六月 山城、摂津、大和、紀伊、阿波の諸国に大地震。摂津、阿波に海嘯。
正平二十四(一三六九)七月 京都に大地震。東寺の講堂が傾いた。
応永年間(一三九四〜一四二九)も地震の多い年で、約八十回にわたる記録が見える。
応永七(一四〇〇)十月 伊勢国に大地震。京都の地も震うた。
応永三十二(一四二五)十一月 京都ばかりの大地震。
永享五(一四三三)一月 伊勢、近江、山城に大地震。
永享五(一四三三)九月 相模、陸奥、甲斐に大地震。
宝徳元(一四四九)四月 山城、大和に大地震。
文正元(一四六六)四月 山城、大和に大地震。
明応三(一四九四)五月 大和、山城に大地震。大和がもっとも強く、奈良の東大寺、興福寺、薬師寺、法花寺、西大寺の諸寺に被害。
明応七(一四九八)八月 伊勢、遠江、駿河、甲斐、相模、伊豆の諸国に大地震。海に臨んだ国には海嘯。伊勢の大湊がつぶれて千軒の人家を流し、五千の溺死人を出す。鎌倉の由比ヶ浜にも二百人の犠牲者。また遠江の地が陥没して浜名湖が海と通じた。この月は京都にも奈良にも、陸奥にも会津にも強震があって、余震が月をかさねた。
明応九(一五〇〇)六月 甲斐の大地震。
文亀元(一五〇一)十二月 越後に大地震。
永正七(一五一〇)八月 摂津、河内、山城、大和に大地震。摂津には海嘯。
大永五(一五二五)八月 鎌倉に大地震。
弘治元(一五五五)八月 会津に大地震。
天正六(一五七八)十月 三河に大地震。
天正十三(一五八五)十一月 山城、大和、和泉、河内、摂津、三河、伊勢、尾張、美濃、飛騨、近江、越前、加賀、讃岐の諸国に大地震。海に瀕した国に海嘯。
天正十三(一五八五) 秀吉が内大臣となる。
天正十七(一五八九)二月 駿河、遠江、三河にまた大地震。
慶長元(一五九六)閏七月 二回の大地震。はじめの地震は、豊後、薩摩の二か国がひどく、豊後の府内の土地が陥没して海嘯がおこった。その日は京都にも地震があった。つぎの地震は、山城、摂津、和泉の諸国の大地震で、伏見城の天守が崩壊して圧死者が多かった。この伏見の地震には、加藤清正が伏見城にかけつけ、城の内外の警衛にあたる。秀吉の勘気解ける。
慶長十九か年間に約八十もあった。
慶長五(一六〇〇) 関ヶ原の役。
慶長五(一六〇〇)から慶応二(一八六六)にいたるまで、全国にわたって四百七、八十回の大小の地震。
慶長九(一六〇四)十二月 地震。薩摩、大隅、土佐、遠江、伊勢、紀伊、伊豆、上総、八丈島など。海には海嘯。『土佐国群書類従』に載せた「谷陵記」には「まず一つに七月十三日大風洪水、二に八月四日大風洪水、三に閏八月二十八日また大洪水、四に十二月十六日夜地震、同夜半に大潮入って、南向の国はことごとく破損す、西北向の国は地震ばかりという。
慶長十六(一六一一)十月 三陸の地震。仙台、南部、津軽および松前の諸領に海嘯。
慶長十九(一六一四)十月 地震。越後、相模、紀伊、山城。越後に海嘯。
元和二(一六一六)七月 仙台に大地震。城壁・楼櫓が破損。
寛永三(一六二六) 温泉岳が噴火。
寛永七(一六三〇)六月 江戸に大きな地震。
寛永十(一六三三)一月 江戸、相模、駿河、伊豆に大地震。小田原は城が破損して、町は一里の間一軒の家もないようにつぶれる。熱海に海嘯。
寛永十六(一六三九)十一月 越前に大きな地震。
寛永十八(一六四一)正月 江戸大火。
正保元(一六四四)三月 日光山に大きな地震。
正保元(一六四四)九月 羽後の本荘で大きな地震。
正保三(一六四六)四月 陸前、磐城、武蔵に大きな地震。
正保四(一六四七)五月 武蔵、相模に大きな地震。
慶安元(一六四八)四月 相模、武蔵、山城に大地震。
慶安二(一六四九)二月 伊予、安芸、山城に大地震。
慶安二(一六四九)六月 武蔵、下野に大地震。江戸城の石垣がくずれ、諸大名の屋敷・町屋がつぶれる。江戸の人心に動揺のきざし。
慶安二(一六四九)七月 武蔵の大地震。
慶安四(一六五一)七月 由比正雪の隠謀、あらわれる。
明暦三(一六五七)正月十八、十九日 江戸大火。
万治二(一六五九)二月 岩代、下野、武蔵に大きな地震。
寛文年間も大きな地震の多い年。
寛文元(一六六一)十月 土佐に大きな地震。
寛文二(一六六二)三月 京都、江戸に大きな地震。
寛文二(一六六二)五月 山城、大和、伊賀、伊勢、近江、摂津、和泉、丹波、丹後、若狭、美濃、信濃、肥前に大きな地震。
寛文二(一六六二)九月 日向、大隅に大きな地震。海嘯。
寛文三(一六六三)七月 胆振に大きな地震。有珠岳が噴火。
寛文三(一六六三)十二月 山城に大きな地震。
寛文四(一六六四)六月 紀伊の新宮、京都に大きな地震。
寛文五(一六六五)五月 京都に大きな地震。
寛文五(一六六五)十一月 越後に大きな地震。
寛文八(一六六八)七月 仙台に大きな地震。
寛文十(一六七〇)六月 相模の大住に大きな地震。
延宝四(一六七六)六月 石見に地震と海嘯。
延宝五(一六七七)三月 陸中の南部に地震と海嘯。
天和三(一六八三)(*2)五月 江戸と日光山で地震。
天和三(一六八三)(*2)九月 日光山で地震。
貞享元(一六八四)(*3)二月 伊豆大島に地震。三原山が噴火。
貞享二(一六八五)(*3)九月 周防、長門で地震。
貞享三(一六八六)(*3)八月 遠江、三河、山城で地震。
元禄七(一六九四)五月 羽後の能代で地震。
元禄十(一六九七)十月 相模、武蔵に地震。
元禄十六(一七〇三)十一月十四日 江戸大火。
元禄十六(一七〇三)十一月二十三日 武蔵、相模、安房、上総に大地震。江戸と小田原がひどく、江戸には火事。小田原、鎌倉、安房は長狭、朝夷の両郡、上総は夷隅郡に海嘯。
元禄十六(一七〇三)十一月二十九日 江戸大火。
宝永四(一七〇七)(*4)十月 山城、大和、河内、摂津、紀伊、土佐、讃岐、伊予、阿波、伊勢、尾張、美濃、近江、遠江、三河、相模、駿河、甲斐、伊豆、豊後の諸国にわたって大地震。人畜の死傷するもの無数。土佐、阿波、摂津、伊豆、遠江、伊勢、長門、日向、豊後、紀伊などの海に面した国には海嘯。そのうちでも土佐などは海岸の平地という平地は海水があふれて被害が大きかった。
宝永四(一七〇七)(*4)十一月 駿河、甲斐、相模、武蔵に地震。富士山が爆発。噴火口のそばに宝永山を湧出。山麓の須走村は溶岩の下に埋没し、降灰は武・相・駿三か国の田んぼをうめた。
宝永五(一七〇八)十一月 浅間山が噴火。
正徳元(一七一一)二月 美作、因幡、伯耆、山城に大きな地震。
正徳四(一七一四)三月 信濃に大きな地震。
享保二(一七一七)一月三日 日向の鶴鳴山が噴火。
享保三(一七一八)七月 信濃、三河、遠江、山城に大きな地震。
享保三(一七一八)九月 信濃の飯山に大きな地震。
享保五(一七二〇)三月 江戸火事。
享保九(一七二四)二月 江戸火事。
享保十(一七二五)九月・十月 長崎に大きな地震。
享保十四(一七二九)七月 能登、佐渡に大きな地震。
享保十四(一七二九)九月 岩代の桑折に大きな地震。
宝暦元(一七五一)四月 越後に大きな地震。
宝暦五(一七五五)三月 日光に大きな地震。
宝暦十二(一七六二)九月 佐渡に大きな地震。
明和三(一七六六)一月 陸奥の弘前に大きな地震。
明和三(一七六六)二月 弘前に大きな地震。
明和六(一七六九)七月 日向、豊後に大きな地震。
安永元(一七七二)十二月 江戸火事。
安永七(一七七八)七月 伊豆大島の三原山の噴火。
安永八(一七七九)十月 桜島の大噴火。山麓の村落に火石熱土を流して、死亡者一万六千余人、牛馬二千余頭を斃した。島の付近に新島嶼が湧出。
天明二(一七八二)七月 相模、江戸に大きな地震。
天明三(一七八三)七月 浅間山の大噴火。
寛政四(一七九二)一月 肥前温泉岳の普智山の噴火。
寛政四(一七九二)(*5)七月 江戸火事。
寛政十一(一七九九)五月 加賀の金沢に地震。宮城浦に海嘯。
寛政十二(一八〇〇)閏四月 島(桜島)民六口をこの島に移す。
享和二(一八〇二)十一月 佐渡に地震。小木湊に海嘯。
文化元(一八〇四)六月 羽前、羽後に地震。象潟に海嘯。
文化三(一八〇六)三月 江戸火事。
文化九(一八一二)十一月 武蔵に地震。
文化十二(一八一五)三月 江戸火事。
文政四(一八二一)十一月 岩代の地震。
文政五(一八二二)閏一月 胆振に地震。有珠岳が噴火。
文政十一(一八二八)十一月 越後の地震。
天保元(一八三〇)七月 山城、摂津、丹波、丹後、近江、若狭に大きな地震。
天保二(一八三一)十月 肥前に大きな地震。
天保四(一八三三)十月 佐渡に大きな地震。
天保五(一八三四)一月 石狩に大きな地震。
天保七(一八三六)七月 仙台に大きな地震。
天保九(一八三八)四月 江戸火事。
天保十(一八三九)三月 釧路に大きな地震。
天保十二(一八四一) 駿河に大きな地震。
天保十四(一八四三)三月 釧路、根室、渡島に大きな地震。
弘化元(一八四四)正月 江戸火事。
弘化三(一八四六)十二月 江戸火事。
弘化四(一八四七)三月 信濃、越後に大きな地震。
嘉永六(一八五三)二月 相模、駿河、伊豆、三河、遠江に大きな地震・海嘯。次にくる安政大変災の前駆をなす。
安政元(一八五四)二月 江戸に大地震後、大きな地震。
安政元(一八五四)六月十五日 山城、大和、河内、和泉、摂津、近江、丹波、紀伊、尾張、伊賀、伊勢、越前の諸国にわたって大きな地震。
安政元(一八五四)十月 江戸に大地震。
安政元(一八五四)十一月四日 地震。その日に東海、東山の両道が震い、翌日になって、南海、西海、山陽、山陰の四道が震うたが、海に沿うた国に海嘯。この地震は豊後海峡の海底の破裂に原因があって、四国と九州が大災害をこうむる。
安政二(一八五五)十一月二日 江戸に地震、大被害。紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、豊前、豊後、筑前、筑後、壱岐、出雲、石見、播磨、備前、備中、備後、安芸、周防、長門、摂津、河内、若狭、越前、近江、美濃、伊勢、尾張、伊豆一帯が震うて、摂津、紀伊、播磨、阿波、土佐、伊豆の諸国には海嘯。江戸が非常にひどかった。変死人は七千人。
安政三(一八五六)七月 渡島、胆振に大地震・海嘯。
安政三(一八五六)十月 江戸に大地震。
安政四(一八五七)閏五月 駿河、相模、武蔵、大地震。
安政四(一八五七)七月 伊予、大地震。
安政五(一八五八)二月 越中、越前大地震。
安政五(一八五八)三月 信濃、松代大地震。
安政六(一八五九) 武蔵の槻に大地震。江戸時代のしんがり。
慶応二(一八六六) 江戸火事。
明治五(一八七二)二月 島根県浜田に大地震。
明治二十二(一八八九)七月 熊本に大地震。
明治二十四(一八九一)十月 濃尾に大地震。七千余人の死人を出す。
明治二十七(一八九四)六月 東京に大地震。
明治二十七(一八九四)十月 庄内に大地震。
明治二十九(一八九六)六月 三陸に大地震。海嘯二万余の死人を出した。
明治二十九(一八九六)八月 陸羽に大地震。
明治三十九(一九〇六)三月 台湾の嘉義に大地震。
明治四十二(一九〇九)八月 江州に大地震。
大正三(一九一四)三月 秋田の仙北に大地震。
大正十二(一九二三)九月一日 関東の大地震。約十万の犠牲者と約五十万の家屋とをうしなった。

(*1)テキストでは「元慶」となっているが、「天慶」とした。
(*2)テキストでは「元和」となっているが、「天和」とした。
(*3)テキストでは「貞保」となっているが、「貞享」とした。
(*4)テキストでは「寛永」となっているが、「宝永」とした。
(*5)この前後、江戸の火事に関する項目の年号の並びに不整合(年代順に並んでいない)。

※ 確認のため Wikipedia「地震の年表」と比較したところ、九割以上は一致。若干(5〜8%くらいか)の項目に差異あり。


疑問点

元慶元年 → 天慶元年か? 【元慶元年は八七七年。天慶元年は九三八年。直後に将門・純友の乱(天慶二年(九三九))への言及があるので「元慶」は「天慶」の間違いでは?】
元和三年五月 → 天和三年五月か? 【元和三年は一六一七年。天和三年は一六八三年。直前に延宝四年(一六七六)があるので、「元和」は「天和」の間違いでは?】
貞保 → 貞享か? 【「貞保」という年号はない。「貞享」の間違いでは? 2か所。】
寛永四年 → 宝永四年か? 【寛永四年は一六二七年。宝永四年は一七〇七年。文中に「宝永山」の言及があるので、「寛永」は「宝永」の間違いでは?】
寛政四年七月 → 〓〓四年七月か? 【この前後、江戸の火事に関する項目の年号の並びに不整合(年代順に並んでいない)。

 享保五年(一七二〇)三月
 同九年(一七二四)二月
 寛政四年(一七九二)七月
 安永元年(一七七二)十二月
 文化三年(一八〇六)三月
 同十二年(一八一五)三月

並べてみると「寛政四年」の次に「安永元年」がくるのは不自然。

享保
元文
寛保
延享
寛延
宝暦
明和
安永
天明
寛政
享和
文化

単純な配列ミスの可能性もあるが、類似元号の誤植・誤入力の疑いもあり。】

残当 → 残党か?
普智山 → 普賢山(普賢岳)か?

以上、7件。


※ 追記:入力担当の鈴木さんに底本確認を依頼。「すべて底本の通りでした。誤植、もしくは作者の間違いでしょう。/ちなみに「折り焼く柴の記」も底本通りです」との回答あり。確認ありがとうございます。(しだ/2010.1.25)


スリーパーズ日記

 16日(土)晴れ。山形へ。県立博物館にて考古学講座「釜淵C遺跡」(黒坂雅人)。タイトル「様々な石組と配石」。真室川町釜淵出土の土偶のように頭頂部へ髪をまとめあげているものを、結髪(けっぱつ)土偶と呼ぶらしい。縄文のヴィーナス(舟形町西ノ前遺跡出土、高さ45cm)も、おかっぱのようでもあり、ツルツルのマネキンのようでもあり。縄文のヴィーナスの頭部には数か所の小さい穴があいている。ほとんどの土偶は女性をかたどっているといわれるが、頭髪に関するかぎり「日本女性イコール、長い黒髪」という平安から現代にいたるイメージとはかなり異質に見える。また、調査報告書によれば縄文のヴィーナスの両足の裏には5cmくらいの深さの穴があいている。土偶の足の裏に穴があいている例は、よくあることなのだろうか。



2010.1.19:公開
2010.1.25:更新
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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  • 「榎島」を『日本歴史地名大系』(平凡社)などで探したが見あたらなかった。一応「えのしま」と読んでおいたが、江ノ島のことをさすのかは不明。 -- しだ (2010-01-19 15:26:13)
  • 「鎌倉は昔から地震の呪いのある土地であるらしい」という一文ははげしく反発したいが、あえてそのまま引用。鎌倉在住あるいは出身者等々、不快に感じる人は多いはず。ここで考えたいのは「地震は政権に従って移動しているような観がある」という意味。鎌倉にかぎらず、日本列島そのものがこれほど地震・津波の常襲地帯でありながら、一億人をやしない文化や経済を築きあげていること。大切なものを奪うだけではなく、与えるもの・両義的なもの。 -- しだ (2010-01-19 15:26:47)
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