MT*2_12-能久親王事跡(二)森 林太郎
2009.10.10 第二巻 第一二号
能久親王事跡(二)
森 林太郎
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定価:200円(税込) |
p.172 / *99 出版 |
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(60項目)p.314
(略)亮栄、星野長兵衛をまねきて、宮の召させ給うべき端艇のことを委托す。長兵衛は紀州家の用達回漕問屋にして、鉄砲洲船松町二丁目に住めり。屋号は松坂屋なり。(略)二十五日、午餉おわりて、未刻のころ、宮の一行は医師の病家にゆく状に擬して自証院を出づ。西川玄仲、先に立ちて行けり。宮は自証院の侍、伊藤喜作の帷子羽織を召して、角帯をしめ、木刀を挿し、雪駄を穿きて、玄仲が門人に扮せさせ給う。背後には匹田丑之助、薬籠を負いて随えり。(略)夜半、長兵衛、小舟を屋後の溝渠に漕ぎ入れて一行を載せ、羽田沖に停泊せる軍艦長鯨丸に送りとどく。榎本和泉守は回陽丸より来て、長鯨丸の乗組、斯波清一郎らと宮を迎えまつる。艦内には二室を準備し、一つを宮の御座間にあて、一つには随行員を居らしむ。(略)榎本、御前に進みていわく。こたびの御出発は重大なる事なり。もしなお大総督府におもむかせ給わん思召しおわしまさば、船員、命をすてて護衛しまいらせてん。然らずして必ず北国に渡らせ給わんとおぼさば、その御趣旨をうけたまわらばやという。宮、宣給わく。東叡山の道場、兵燹(へいせん)にかかりて、身を寄すべきところなし。頃日(けいじつ)左右に諮るに、みな江戸の危険にして、たとい大総督府に倚(よ)らんも、また安全を期し難かるべきを語れり。よりてしばらく乱を奥州に避けて、皇軍の国内を平定せん日を待たんとすと。(略)須臾(しゅゆ)にして舟、羽田沖を発す。榎本は回陽丸もて安房国館山沖まで送りまつりぬ。
2_12.rm
(朗読:RealMedia 形式 452KB、3'40'')
森 林太郎 もり りんたろう
1862-1922(文久2.1.19-大正11.7.9)
森鴎外。作家。名は林太郎。別号、観潮楼主人など。石見(島根県)津和野生れ。東大医科出身。軍医となり、ヨーロッパ留学。陸軍軍医総監・帝室博物館長。文芸に造詣深く、「しからみ草紙」を創刊。傍ら西欧文学の紹介・翻訳、創作・批評を行い、明治文壇の重鎮。主な作品は「舞姫」「雁」「阿部一族」「渋江抽斎」「高瀬舟」、翻訳は「於母影」「即興詩人」「ファウスト」など。
◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。
底本
2009.10.16:公開
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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最終更新:2009年10月16日 22:59