MT*2_11-能久親王事跡(一)森 林太郎

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MT*2_11-能久親王事跡(一)森 林太郎

2009.10.3 第二巻 第一一号

能久親王事跡(一)
森 林太郎


【週刊ミルクティー*第二巻 第一一号】 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。
(896KB)

定価:200円(税込)  p.173 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(193項目)p.778

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。Windows & Macintosh ハイブリッド。
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(c) Copyright is public domain.


(安政)五年(一八五八)九月二十七日、勅によりて梶井宮より召し還され、輪王寺宮の御付弟にならせ給う。輪王寺宮とは、明暦元年(一六五五)十一月二十六日、後水尾上皇の勅して、当時、東叡山寛永寺におわせし上皇の第三子、守澄親王に賜わりし称号なり。同じ宮をば、また日光御門主と称えたてまつる。これよりさき、天文年間(一五三二〜一五五五)慈眼大師、満願寺を下野国日光山に興し、比叡・日光両山を管領す。慶長十四年(一六〇九)後陽成上皇の勅によりて、山城国山科なる毘沙門堂を再興す。元和三年(一六一七)後水尾天皇の勅によりて、徳川家康の遺骸の駿河国久能山におさめられたるを、日光山に移し、東照廟を建つ。寛永三年(一六二六)、徳川家光、勅許を受けて、東叡山寛永寺を武蔵国江戸、忍岡に建て、山城国比叡山に擬う。(略)当時(安政五年)在職せさせ給えるは、弘化三年(一八四六)四月二十五日、公紹親王の後をうけさせ給いし韶仁(つなひと)親王の子、光格天皇の御養子、慈性親王にておわしき。御付弟をば、世に日光新宮とぞ称えまつりし。(略)十月七日(略)輪王寺宮執当代、霊山院官田は同日江戸を立ちて、十月十一日、京都にいたりぬ。(略)

2_11.rm
(朗読:RealMedia 形式 384KB、3'06'')


森 林太郎 もり りんたろう
1862-1922(文久2.1.19-大正11.7.9)
森鴎外。作家。名は林太郎。別号、観潮楼主人など。石見(島根県)津和野生れ。東大医科出身。軍医となり、ヨーロッパ留学。陸軍軍医総監・帝室博物館長。文芸に造詣深く、「しからみ草紙」を創刊。傍ら西欧文学の紹介・翻訳、創作・批評を行い、明治文壇の重鎮。主な作品は「舞姫」「雁」「阿部一族」「渋江抽斎」「高瀬舟」、翻訳は「於母影」「即興詩人」「ファウスト」など。

◇参照:Wikipedia、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。


底本

底本:『鴎外全集 第三巻』岩波書店
   1972(昭和47)年1月22日発行
初出:『能久親王事蹟』東京偕行社内棠陰會編纂、春陽堂
   編集兼発行人代表者 森林太郎
   1908(明治41)6月29日刊行
NDC 分類:288(伝記/系譜.家史.皇室)
http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc288.html



2009.10.8:公開
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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