MT*No.43-中山太郎 本朝変態葬礼史・死体と民俗

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2009.5.16 No.43

中山太郎 本朝変態葬礼史・死体と民俗
定価:200円(税込)  p.159 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(76項目)p.575

※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
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 古代には死体を埋めるときは、概して屈葬と称して首から脚へかけ縄をもって強くしばるのが習俗となっていた。そしてこの葬法は近年まで残っていた。(略)古代人が死霊をおそれたことは、現代人が想像するよりは幾十倍の強烈さであった。眼に見える猛獣や毒蛇の害なれば、何とかして防ぐこともできたであろうが、眼にも見えず手にも取れぬ死霊——ことにそれが変死をとげた者の凶霊にあっては、迷信が深かっただけに、さらに思索が進まなかっただけに、これが依憑なり襲来なりを防ぐことができなかったのである。加うるにこの時代にあっては悪疫の流行もおもわぬケガも、この死霊や凶霊のなす仕業と考えていたのであるから、その死霊の発散して疎び荒ぶることをおそれて、かくは死体を緊縛するようになったのである。わが国で古く鎮花祭というのを、桜の花の散るころに行うたのは、あたかもこの時分に死霊や疫霊が発散するので、それを防ぐための祈祷にほかならぬのである。
 こうした民族心理は、変死をとげた者、または叛臣や逆徒などの凶暴性をおびた者の死体を埋葬するに、さらに一段の惨酷を加えたことは、当然の帰結であった。そしてその方法は変死者なれば死体を逆さにして、橋の袂か四つ辻に埋めたものである。これはこうした場所ならばたえず人馬の往来があるので、死霊が発散せぬよう踏み固めると信じたからである。

43.rm
(朗読:RealMedia 形式 344KB、2'46'')


週刊ミルクティー*第43号 ※ ダウンロードサイトへジャンプします。
(756KB)


中山太郎 なかやま たろう
1876-1947(明治9.11.13-昭和22.6.13)
本名中山太郎治。栃木県足利郡梁田村(現足利市梁田町)生まれ。民俗学者。1914年、報知新聞社を退社。柳田国男を訪れ、同年、柳田の口利きで博文館へ入社。著『日本売笑史附吉原の沿革』『土俗私考』『日本民俗志』『日本婚姻史』『日本巫女史』『日本若者史』『日本民俗学事典』『万葉集の民俗学的考察』他。


底本

本朝変態葬礼史
底本:『タブーに挑む民俗学 中山太郎土俗学エッセイ集成』河出書房新社
   2007(平成19)年3月30日 初版発行
初出:『犯罪科学』増刊号「異状風俗資料研究号」
   1931(昭和6)年7月

死体と民俗
底本:『タブーに挑む民俗学 中山太郎土俗学エッセイ集成』河出書房新社
   2007(平成19)年3月30日 初版発行
初出:『デカメロン』第1巻第5号
   1931(昭和6)年
親本:『随筆耳のあか』象文閣
   1936(昭和11)年

NDC 分類:382 385


2009.5.20:公開
目くそ鼻くそ/PoorBook G3'99
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