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*M-Tea* vol.7 no.28 地異印象記 和辻哲郎
*2015.1.24 第七巻 第二八号
地異印象記
和辻哲郎
&image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/7_28-1.png,http://www.dlmarket.jp/products/detail/303090)
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(2.0MB)
&color(red){月末最終号:無料} p.137 / *99 出版
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(c) Copyright is public domain in Japan, 2015.
*PDF マガジン 週刊ミルクティー*
大正十二年(一九二三)ごろ関東地方に大地震がある、ということをある権威ある地震学者が予言したと仮定する。その場合、今度のような大災害は避けられたであろうか。大本教は二、三年前大地震を予言していくぶんわれわれを不安に陥れたが、地震に対する防備に着手させるだけの力はなかった。しかしそれは、大本教がわれわれを承服せしめるだけの根拠を示さなかったからである。もし学者が在来の大地震の統計や地震帯の研究によって大地震の近いことを説いたならば、人々はあらかじめ、あの震害と火災とに備えはしなかったであろうか。
自分は思う、人々はおそらくこの予言にも動かされなかったろうと。なぜなら人間は自分の欲せぬことを信じたがらぬものだからである。死は人間の避くべからざる運命だと承知しながらも、われわれの多くは死が自分に縁遠いものであるかのような気持ちで日々の生を送り、ある日、死に面して愕然と驚くまでは死に備えるということをしない。それと同じように、百年に一度というふうな異変に対しては、人々はできるだけそれを考えまいとする態度をとる。在来の地震から帰納せられた学説は、この種の信じたがらぬものを信じさせるほどの力は持たない。結局、学者の予言も大本教の予言と同様に取り扱われたであろう。
※ #ref(7_28.rm)
(朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx)
※ お休みしまーす。
和辻哲郎 わつじ てつろう
1889-1960(明治22.3.1-昭和35.12.26)
倫理学者。兵庫県生れ。夏目漱石の門に入る。東洋大・京大・東大教授。人間存在を間柄として捉える道徳論の展開に特色がある。風土論をはじめ文化史にも業績が多い。著「古寺巡礼」「日本精神史研究」「風土」「倫理学」「日本倫理思想史」など。文化勲章。
◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、Wikipedia。
*底本
底本:「黄道」角川書店
1965(昭和40)年9月15日初版発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/001395/card52233.html
NDC 分類:121(東洋思想 / 日本思想)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc916.html
NDC 分類:916(日本文学 / 記録.手記.ルポルタージュ)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc916.html
*難字、求めよ
防火帯 ぼうかたい
義勇消防隊
導水路
美術院
魔縛 まばく
防火公園
四連隊
鹿島ビルディング
野沢組
外濠 そとぼり
*スリーパーズ日記*
NDC 分類:121(東洋思想 / 日本思想)
↓
NDC 分類:916(日本文学 / 記録.手記.ルポルタージュ)
こっちのほうが適当か。
1/25 日曜 晴れ
ラジオ。人質ニュース。
この後、2月中旬まで体調をくずす。
実作業は3月になって完全復帰してから、さかのぼってのもの。
2015.1.31 公開予定
2015.3.27 公開
目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
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