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*M-Tea* vol.7 no.27 夏目先生の追憶/寺田寅彦/寺田さんに最後に逢ったとき 和辻哲郎 *2015.1.24 第七巻 第二七号 夏目先生の追憶 / 寺田寅彦 / 寺田さんに最後に逢ったとき 和辻哲郎 &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/7_27-1.png,http://www.dlmarket.jp/products/detail/301830) [[【週刊ミルクティー*第七巻 第二七号 ダウンロードサイトへジャンプ】>http://www.dlmarket.jp/products/detail/301830]] (1.8MB) &color(red){税込価格:100円(本体税抜93円)} p.119 / *99 出版 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ PDF 形式。Mac OS X 10.4・Acorbat Reader 5.0、Windows 7・Adobe Reader X および SONY Reader(PRS-T2)にて確認済み。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、転載・印刷・翻訳などの二次利用は自由です。 (c) Copyright is public domain in Japan, 2015. *びっきー、べっきー、あべがえる*  それは先生の前に怯懦を去ったとき、ただちにわかったことであった。先生はむしろ情熱と感情の過剰に苦しむ人である。相手の心の動きを感じすぎるために苦しむ人である。愛において絶対の融合を欲しながら、それを不可能にする種々な心の影に対してあまりに眼の届きすぎる人である。そのため先生の平生には、なるべく感動を超越しようとする努力があった。先生は相手の心の純不純をかなり鋭く直覚する。そうして相手の心を細かい隅々にわたって感得する。先生の心臓は活発にそれに反応するが、しかし先生はそれだけを露骨に発表することを好まなかった。先生は親切を陰でする、そうして顔を合わせたときにその親切について言及せられることを欲しない。先生にとっては、最も重大なことはただ黙々のうちに、瞳と瞳との一瞬の交差のうちに通ぜらるべきであった。したがって先生は対話の場合かなり無遠慮に露骨に突っ込んでくるにかかわらず、問題が自分なり相手なりの深みに触れてくると、すぐに言葉を転じてしまう。そうして手ざわりのいい諧謔〔ユーモア〕をもってやわらかくその問題を包む(もちろん、心の問題でもそれが個人的関係に即してではなく、一つの人生観、思想問題としてならば、先生は底までも突っ込んでゆくことを辞せなかった)。これらのところに、先生の温情と厭世観との結合した現われがあったようである。(「夏目先生の追憶」より) ※ #ref(7_27.rm) (朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx) ※ お休みしまーす。 和辻哲郎 わつじ てつろう 1889-1960(明治22.3.1-昭和35.12.26) 倫理学者。兵庫県生れ。夏目漱石の門に入る。東洋大・京大・東大教授。人間存在を間柄として捉える道徳論の展開に特色がある。風土論をはじめ文化史にも業績が多い。著「古寺巡礼」「日本精神史研究」「風土」「倫理学」「日本倫理思想史」など。文化勲章。 ◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、Wikipedia。 *底本 夏目先生の追憶 底本:「和辻哲郎随筆集」岩波文庫、岩波書店    1995(平成7)年9月18日第1刷発行    2006(平成18)年11月22日第6刷発行 初出:「新小説」    1917(大正6)年1月臨時号 http://www.aozora.gr.jp/cards/001395/card49904.html NDC 分類:121(東洋思想 / 日本思想) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html NDC 分類:910(日本文学) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc910.html 寺田寅彦 底本:「黄道」角川書店    1965(昭和40)年9月15日初版発行 http://www.aozora.gr.jp/cards/001395/card52124.html NDC 分類:121(東洋思想 / 日本思想) http://yozora.kazumi386.org/1/2/ndc121.html NDC 分類:289(伝記 / 個人伝記) http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc289.html 寺田さんに最後に逢ったとき 底本:「和辻哲郎随筆集」岩波文庫、岩波書店    1995(平成7)年9月18日第1刷発行    2006(平成18)年11月22日第6刷発行 初出:「渋柿」    1936(昭和11)年2月号 http://www.aozora.gr.jp/cards/001395/card49900.html NDC 分類:121(東洋思想 / 日本思想) http://yozora.kazumi386.org/1/2/ndc121.html *難字、求めよ ----------------------------------- 夏目先生の追憶 ----------------------------------- 人間通 禅情 好謔家 『野分』 『ガラス戸の中』 ----------------------------------- 寺田寅彦 ----------------------------------- 近代物理学 ----------------------------------- 寺田さんに最後に逢ったとき ----------------------------------- 山川草木 さんせん そうもく、か。 谷川君 松根氏 → 松根東洋城か 松根東洋城 まつね とうようじょう 1878-1964 俳人。名は豊次郎。東京生れ。京大卒。夏目漱石に師事。初め「ホトトギス」に拠り、のち「渋柿」を創刊。著「俳諧道」「黛(まゆずみ)」「東洋城全句集」など。 *スリーパーズ日記* 書きかえメモ。 イゴイズム → エゴイズム イデエ → イデア SONY Reader テキスト表示エラー? 行て行かれ 精巧な巧な  大幅に出版スケジュールを超過してるので、新規作品の作業はストップ。青空公開作品からのピックアップがつづく。和辻哲郎の中で「寺田寅彦」関連をさがすうちに、「夏目先生の追憶」に目がとまる。  読中どうしても、夏目漱石や寺田寅彦の描写に富田さんの面影が重なってしまって仕方がない。 夏目漱石 俳号は愚陀仏。墓所は雑司ヶ谷霊園。 和辻哲郎 墓所は鎌倉の東慶寺。臨済宗円覚寺派。 寺田寅彦 中谷宇吉郎  いままで読んだ寺田と中谷の作品中には特定の宗教臭を感じない。Wikipedia にも関連の記載はみあたらない。が、夏目と和辻は臨済宗……禅宗からの影響だろうか。 「夏目先生の追憶」……第八節がないのは、なぜ? 「夏目先生の追憶」「寺田寅彦」「寺田さんに最後に逢ったとき」の三作品いずれも「NDC 分類:121(東洋思想 / 日本思想)」となっているが、「914(日本文学 / 評論.エッセイ.随筆)」あたりが妥当かなという気がする。底本名にも『随筆集』とある。 2015.1.24 公開 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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