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*M-Tea*7_5-進化遺伝の科学(五)石川千代松 *2014.8.23 第七巻 第五号 進化遺伝の科学(五) 石川千代松  第六章 人類は如何 &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/7_5-1.png,http://www.dlmarket.jp/products/detail/284708) [[【週刊ミルクティー*第七巻 第五号 ダウンロードサイトへジャンプ】>http://www.dlmarket.jp/products/detail/284708]] (4.3MB) &color(red){税込価格:100円(本体税抜93円)} p.168 / *99 出版 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ PDF 形式、六インチ判。Mac OS X 10.4・Acorbat Reader 5.0、Windows 7・Adobe Reader X および SONY Reader(PRS-T2)にて確認済み。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、転載・印刷・翻訳などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain, 2014. *パブリックドメインマガジン 週刊ミミクリー*  進化論の歴史で、われわれ日本人がことに知らなくてならぬことは、明治十年(一八七七)に来朝せられた米国の学者エドワード・S・モース先生であります。この先生が来られる前には、本邦では進化論ということは少しも知れていなかったのであります。それは当時、開成学校あたりにおられた外国の教師たちは多くは宣教師であられたので、進化論というようなことは知っておられてもそれを悪魔のように思っておられ、それを口にするのでも悪いことでもいうように思っておられた。わたしどもが明治九年に開成学校へ入りましたとき、マッカーテーという先生がおられて人身生理学という講義をせられましたが、学年の終わりにわたしどもに向かい、近ごろ英国にダーウィンという人がいて、人間はサルから変わってきたものであるというような説を出したが、それは取るにたらない愚説であるから、おまえたちは万一そのようなことを書いた書物を見ても読んではならない、またそのような説を話すものがあっても聴いてはならないといわれたことをわたしは覚えています。ところが、この先生がさようなことを言うてわれわれを戒めてくださってからすぐにモース先生が来られて、さかんに進化論を唱えられたのであります。  当時はマッカーテー先生ばかりでなく、すべての宣教師は進化論を非常に悪い説であると思い、モース先生を目の敵のように思い、大いに反抗したものであります。  けれども、これら無学の宣教師たちは無論、先生には勝つことができなかったものであります。もっとも先生は、大学では動物学を教えておられたが、東京市じゅうの芝居小屋であるとか、その他いろいろのところでその講演を開かれたものでありますが、先生の講演は非常におもしろいので、暫時のあいだにダーウィンの名も進化論も、知識的階級の人にさかんに歓迎せられるようになったものであります。 ※ #ref(7_5.rm) (朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx) ※ お休みしまーす。 石川千代松 いしかわ ちよまつ 1860-1935(万延元.6.6-昭和10.1.17) 動物学者。東京の人。ドイツに留学して、日本にワイスマン流の進化論を紹介。東大教授。魚類学・細胞学を研究。/動物学者。東京開成学校予科を経て、東京大学理学部動物学科卒業(1882)。同大学助教授となり(1883)、1886~1889年ドイツに留学し、フライブルク大学で A. Weismann に師事し、無脊椎動物の生殖・発生などを研究。帝国大学理科大学助教授を経て、同農科大学(のち東京帝国大学農学部)教授(1890~1924)。夜光虫・オオサンショウウオ・クジラなどの生殖・発生および細胞学的研究をなし、ホタルイカの発光、アユの養殖など多方面の研究がある。(生) ◇参照:『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『岩波生物学辞典 第五版』(岩波書店、2013.2)、Wikipedia 日本語・オフライン版(『iP!』2009.4月号、晋遊舎)。 *底本 底本:『最新科學圖鑑(5)・進化遺傳の科學』アルス    1933(昭和8)年6月16日発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/list_inp1478_1.html NDC 分類:460, 467(生物科学.一般生物学 / 遺伝学) http://yozora.kazumi386.org/4/6/ndc460.html http://yozora.kazumi386.org/4/6/ndc467.html *難字、求めよ *年表 一八八九 デュボア、ジャワケンシスを発見。 一八九四 ジャワ島トリニールでジャワ猿人〔ジャワ原人〕、発見。 一九二五 オーストラリアの南端メルボルン市に近いところからコヒワナ頭骨、発見。 一九二八 シナ、北京の付近でシナントロプス・ペキンエンシス、北京人〔北京原人〕発見。 一九三一 ジャワ島でヌガンドン(Nugandong)頭骨、発見。 *むしとりホイホイ 孟嘗君《まうかんくん》 → 孟嘗君《まうしやうくん》 【しやう?】 ヴキトデルシャイム → ヴィーデルシャイム 【ヰー?】 鵬鵡 → 鸚鵡 【鸚か】オウム 年長 → 手長 【手か】 十七八時間 → 十七八週間 【週か】 タルシウス? メルシラス? 太閣 → 太閤 【閤か】5か所。 孔状 → 乳状 【乳か】 コヒウナ → コヒワナ 【ワか】 ワジヤケンシス → ジャワケンシス 【ジヤ、か】 以上10件、底本は左辺のとおり。 *スリーパーズ日記* ダーウィン(1809-1882)の進化論発表が1859年。 ウェーゲナー(1880-1930)の大陸移動説発表が1912年。 「生物は進化する」という発想に触発されて、「地球、大陸も進化(=変化)する」というアイデアが生まれた。そして大陸の移動、分割が進んだ結果、「大陸ごとの動物分布区域」に合理的な説明がつくようになった。進化論と大陸移動説。  生物学者と地質学者は、まったく畑ちがいの分野のはずなのに、それが相互に補完して説が成り立っていたことは、じつに興味深い。  蛇足ながらさらにいえば、生物進化、地球進化……とくれば、「進化」という発想は人間社会にだってあてはまるんじゃないだろうか、と考えたのが社会学概論でおなじみのハーバート・スペンサー(1820-1903)。社会進化論、適者生存というアイデアがここに生まれる。  その生物進化論、社会進化論にさらに着想を得てカール・マルクスが登場する。『資本論』第1部の刊行が1867年。龍馬の没年のこと。  龍馬や勝海舟らが「社会進化」という言葉を知っていたか、使っていたかどうかは疑問だけれども、時間系列から見ると、まったくありえない話ともいえない。フランス革命、ナポレオンの登場という「社会進化」。アメリカのイギリスからの独立戦争と南北戦争という「社会進化」。  進化論、明治維新、そして大陸移動説。  そっか、そこで福沢諭吉の登場かあ。 8.16 山形最高気温23度台とか。カボチャを煮る。 富田さんの一周忌。 8.22 広島災害ニュース、各地の大雨。 16:00、市内にて降雹。直径2~3センチ大のもある。 ワールドロックナウ、スペシャル、吉井ゲスト。 8.23 なかなか眠れずに、『腰抜け愛国談義』読了。 2014.8.23 公開 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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