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*M-Tea*6_14-地震ナマズ(五)武者金吉 *2013.10.26 第六巻 第一四号 地震ナマズ(五) 武者金吉   五 今村明恒先生 素描 &image(http://cdn33.atwikiimg.com/asterisk99/?cmd=upload&act=open&page=M-Tea%2A6_14-%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%BA%EF%BC%88%E4%BA%94%EF%BC%89%E6%AD%A6%E8%80%85%E9%87%91%E5%90%89&file=milk_tea_6_14_lite.pdf) [[【週刊ミルクティー*第六巻 第一四号 ダウンロードを開始】>http://cdn33.atwikiimg.com/asterisk99/?cmd=upload&act=open&page=M-Tea%2A6_14-%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%BA%EF%BC%88%E4%BA%94%EF%BC%89%E6%AD%A6%E8%80%85%E9%87%91%E5%90%89&file=milk_tea_6_14_lite.pdf]] (1.73MB) &color(red){月末最終号:無料 } p.89 / *99 出版 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ PDF 形式、六インチ判。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、転載・印刷・翻訳などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain, 2013. *PDF マガジン 週刊ミルクティー*  ある日、菊池大麓教授の幾何学の講義がまさに始まろうとしたとき、先輩の大森房吉理学士があわただしく教室に入ってきて先生〔今村明恒〕に、濃尾地方に大地震があった、君はすぐ現地へ行ってくれという。先生はただちに震災地に向かったはずであり、またこれが先生にとって最初の地震調査でもあったはずであるが、なぜか先生は、当時の行動については一言半句も話されなかった。わずかに、岐阜師範の舎監であった名和靖氏に会ったこと、名和氏が地震で負傷していたことを別の話のついでにうかがったにすぎなかった。思うにこの出張は、単に大森理学士現地調査の瀬踏みのためであったろうと想像される。  大森理学士が震災地を視察して帰り、その報告会がおこなわれた。そのとき先生はいろいろの質問を発したそうである。その質問に対する大森先輩の答えは、ことごとく「まだわかっていない」の一点ばりであった。地震に関してこんなにもわからぬことだらけなら、自分は地震学を専攻して未知の領域を開拓してやろう、先生はこのときこう決心をしたそうである。これが、先生が地震学者となる第一歩であった。(略)  明治二十七年(一八九四)七月、先生は東大を卒業した。しかし卒業式には列席ができなかった。卒業式に先立って磁気実測のため、中村清二理学士(のちに博士)とともに北海道に出張したからである。 ※ #ref(6_14.rm) (朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx) ※ お休みしまーす。 武者金吉 むしゃ きんきち 1891-1962(明治24.3.1-昭和37.11.7) 地震学者。東京浅草生まれ。大正12年の関東大震災ののち独学で地震学の研究を進め、東京帝国大学に地震研究所が大正15年に設立されると、今村明恒、寺田寅彦の両教授の指導の下に地震史料の収集にあたった。昭和5(1930)北伊豆地震の発生にあたっては、発光現象の研究をおこなった。地震史料の収集はその後、震災予防評議会・震災予防協会において続けられ、その成果は『増訂大日本地震史料』全4巻にまとめられた。早稲田大学などで地震学を教え、のち中央気象台に移り、ついで米国地質調査所の技術顧問として地学論文の紹介につとめた。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(武者金吉){武者金吉}、『日本人名事典』(平凡社)。 *底本 底本:『地震なまず』明石書店    1995(平成7)年12月20日 第1刷発行 親本:『地震なまず』東洋図書    1957(昭和32)年発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/list_inp1748_1.html NDC 分類:453(地球科学、地学 / 地震学) http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html *難字、求めよ 真正コレラ 小倉の白シャツ 画草紙 えぞうし? 絵草紙・絵双紙。 精々 せいぜい 見より 先夫人 消防協会 風呂桶寺 ふろおけでら? 串竿 くしざお? オランダ文書館 東京大学理科大学 昌平学舎 寄宿舎。今村明恒が主宰。 東大地球物理学教室 室戸半島 → 室戸岬か チリ公使館 今村明清 いまむら あききよ? 明恒の父。鹿児島県等外二等出仕。明治十八年、准判任御用掛を拝命。大正十年没、八十七歳。(本文) 渡辺譲 鹿児島中学教諭。理学士。今村明恒の恩師。 桜井 さくらい? 帝国学士院長。 和達 わだち? 地震予知委員会委員長 → 和達清夫か 和達清夫 わだち きよお 1902-1995 地球物理学者。名古屋生れ。気象庁長官・日本学士院長。和達-ベニオフ面を発見。文化勲章。 『出島蘭館日誌』 『和蘭語四週間』 『ナマズのざれごと』 今村明恒の著。後に『地震の国』と改題。「野宿」と題して、磁気実測のため中村清二理学士(のちに博士)と共に北海道に出張した話が収録。その中の鹿島は先生、中牟田は中村清二先生のこと。(本文) 「悔恨三十年」 今村明恒の著。 「市街地における地震の損害を軽減する簡法」 今村明恒の著。明治三十八年、雑誌『太陽』。 「今村博士の説き出せる大地震襲来説、東京市大罹災の予言」 明治三十九年一月、『東京二六新聞』。 「本邦大地震大観」 今村明恒の口述。(本文) *むしとりホイホイ 何不由 → 何不自由 【自か】 佐内坂 → 左内坂 【左か】 市ヶ谷。 泰宗寺 → 宗泰寺 【宗泰か】 同上。 年棒 → 年俸 【俸か】 五十代であると、 → 五十代であると。 【句点か】 *スリーパーズ日記* 書きかえメモ。 何不由 → 何不自由 前徴 → 前兆 神奈川県五六回、千葉県二三回 → 神奈川県五、六回、千葉県二、三回 年棒 → 年俸 五十代であると、 → 五十代であると。 10/20 終日大雨。『芸術新潮』スヌーピー、シュルツ特集。NHKスペシャル、うつの起源聞きながら帰宅。汗まみれ。FMの入りが最悪。??? 深夜便。松田哲夫、またせきこみが戻ってくる。 10/21 武者『地震ナマズ』の地名一覧を作成。都道府県順に並べる。テキストを Reader へコピー。Reader、このところときおり閲覧表示がおかしい。バージョンアップあたりから。読み込みエラー? 10/22 帰宅。夕食、ラーメン。ほうれんそうにもやし。たまご。腹くだす。ひさしぶり。ほうれんそうのゆでが足りなかったのと、そのゆで汁でそのままラーメンをゆでて食べたのが原因か。 10/23 『地震ナマズ』地図用意のつづき。アトラス拡大版。『Newton』『Be-Pal』、森まゆみ『震災日録』。オリオン座流星群、曇天で見えず。月も雲間に見えず。 10/24 熟睡。となりのサザンカ。新聞、新型iPad発表。miniも11月中の発売予定。県立博物館『出羽国成立1300年』2冊とも出てくる。ひさしぶりに『浩良史話集』入力。 10/25 0。047μ。図書館入り口に鉢植えの菊。へいじょーしん、へいじょーしん。ソニーの新型 Reader は、解像度アップだけでソフトは変わりないのか? 『地図でみる関東大震災』。ひさしぶりの朝生。原発。2:15ごろ、微震から弱震が1分ほどつづく。夜半からドアがガタガタ、ハンガーかけのシャツやコートがゆれる。風のせいかと思ったが、どうやら地震らしい。速報聞きながら、朝生半分聞いてるうちに、すぐに眠ってしまったらしい。。。 10/26 未明の地震は福島県沖、M7.1とのこと。16:00、FMライブ、おー、おだてつろうー。八文字屋へ。アフタヌーン、HIHOなど。日本シリーズ。夕食、さといもと豆乳としめじのクリームシチュー。食い過ぎた。。。 2013.10.26 公開 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*6_14-地震ナマズ(五)武者金吉 *2013.10.26 第六巻 第一四号 地震ナマズ(五) 武者金吉   五 今村明恒先生 素描 &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/6_14-1.png,http://cdn33.atwikiimg.com/asterisk99/?cmd=upload&act=open&page=M-Tea%2A6_14-%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%BA%EF%BC%88%E4%BA%94%EF%BC%89%E6%AD%A6%E8%80%85%E9%87%91%E5%90%89&file=milk_tea_6_14_lite.pdf) [[【週刊ミルクティー*第六巻 第一四号 ダウンロードを開始】>http://cdn33.atwikiimg.com/asterisk99/?cmd=upload&act=open&page=M-Tea%2A6_14-%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%83%8A%E3%83%9E%E3%82%BA%EF%BC%88%E4%BA%94%EF%BC%89%E6%AD%A6%E8%80%85%E9%87%91%E5%90%89&file=milk_tea_6_14_lite.pdf]] (1.73MB) &color(red){月末最終号:無料 } p.89 / *99 出版 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ PDF 形式、六インチ判。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、転載・印刷・翻訳などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain, 2013. *PDF マガジン 週刊ミルクティー*  ある日、菊池大麓教授の幾何学の講義がまさに始まろうとしたとき、先輩の大森房吉理学士があわただしく教室に入ってきて先生〔今村明恒〕に、濃尾地方に大地震があった、君はすぐ現地へ行ってくれという。先生はただちに震災地に向かったはずであり、またこれが先生にとって最初の地震調査でもあったはずであるが、なぜか先生は、当時の行動については一言半句も話されなかった。わずかに、岐阜師範の舎監であった名和靖氏に会ったこと、名和氏が地震で負傷していたことを別の話のついでにうかがったにすぎなかった。思うにこの出張は、単に大森理学士現地調査の瀬踏みのためであったろうと想像される。  大森理学士が震災地を視察して帰り、その報告会がおこなわれた。そのとき先生はいろいろの質問を発したそうである。その質問に対する大森先輩の答えは、ことごとく「まだわかっていない」の一点ばりであった。地震に関してこんなにもわからぬことだらけなら、自分は地震学を専攻して未知の領域を開拓してやろう、先生はこのときこう決心をしたそうである。これが、先生が地震学者となる第一歩であった。(略)  明治二十七年(一八九四)七月、先生は東大を卒業した。しかし卒業式には列席ができなかった。卒業式に先立って磁気実測のため、中村清二理学士(のちに博士)とともに北海道に出張したからである。 ※ #ref(6_14.rm) (朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx) ※ お休みしまーす。 武者金吉 むしゃ きんきち 1891-1962(明治24.3.1-昭和37.11.7) 地震学者。東京浅草生まれ。大正12年の関東大震災ののち独学で地震学の研究を進め、東京帝国大学に地震研究所が大正15年に設立されると、今村明恒、寺田寅彦の両教授の指導の下に地震史料の収集にあたった。昭和5(1930)北伊豆地震の発生にあたっては、発光現象の研究をおこなった。地震史料の収集はその後、震災予防評議会・震災予防協会において続けられ、その成果は『増訂大日本地震史料』全4巻にまとめられた。早稲田大学などで地震学を教え、のち中央気象台に移り、ついで米国地質調査所の技術顧問として地学論文の紹介につとめた。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(武者金吉){武者金吉}、『日本人名事典』(平凡社)。 *底本 底本:『地震なまず』明石書店    1995(平成7)年12月20日 第1刷発行 親本:『地震なまず』東洋図書    1957(昭和32)年発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/list_inp1748_1.html NDC 分類:453(地球科学、地学 / 地震学) http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html *難字、求めよ 真正コレラ 小倉の白シャツ 画草紙 えぞうし? 絵草紙・絵双紙。 精々 せいぜい 見より 先夫人 消防協会 風呂桶寺 ふろおけでら? 串竿 くしざお? オランダ文書館 東京大学理科大学 昌平学舎 寄宿舎。今村明恒が主宰。 東大地球物理学教室 室戸半島 → 室戸岬か チリ公使館 今村明清 いまむら あききよ? 明恒の父。鹿児島県等外二等出仕。明治十八年、准判任御用掛を拝命。大正十年没、八十七歳。(本文) 渡辺譲 鹿児島中学教諭。理学士。今村明恒の恩師。 桜井 さくらい? 帝国学士院長。 和達 わだち? 地震予知委員会委員長 → 和達清夫か 和達清夫 わだち きよお 1902-1995 地球物理学者。名古屋生れ。気象庁長官・日本学士院長。和達-ベニオフ面を発見。文化勲章。 『出島蘭館日誌』 『和蘭語四週間』 『ナマズのざれごと』 今村明恒の著。後に『地震の国』と改題。「野宿」と題して、磁気実測のため中村清二理学士(のちに博士)と共に北海道に出張した話が収録。その中の鹿島は先生、中牟田は中村清二先生のこと。(本文) 「悔恨三十年」 今村明恒の著。 「市街地における地震の損害を軽減する簡法」 今村明恒の著。明治三十八年、雑誌『太陽』。 「今村博士の説き出せる大地震襲来説、東京市大罹災の予言」 明治三十九年一月、『東京二六新聞』。 「本邦大地震大観」 今村明恒の口述。(本文) *むしとりホイホイ 何不由 → 何不自由 【自か】 佐内坂 → 左内坂 【左か】 市ヶ谷。 泰宗寺 → 宗泰寺 【宗泰か】 同上。 年棒 → 年俸 【俸か】 五十代であると、 → 五十代であると。 【句点か】 *スリーパーズ日記* 書きかえメモ。 何不由 → 何不自由 前徴 → 前兆 神奈川県五六回、千葉県二三回 → 神奈川県五、六回、千葉県二、三回 年棒 → 年俸 五十代であると、 → 五十代であると。 10/20 終日大雨。『芸術新潮』スヌーピー、シュルツ特集。NHKスペシャル、うつの起源聞きながら帰宅。汗まみれ。FMの入りが最悪。??? 深夜便。松田哲夫、またせきこみが戻ってくる。 10/21 武者『地震ナマズ』の地名一覧を作成。都道府県順に並べる。テキストを Reader へコピー。Reader、このところときおり閲覧表示がおかしい。バージョンアップあたりから。読み込みエラー? 10/22 帰宅。夕食、ラーメン。ほうれんそうにもやし。たまご。腹くだす。ひさしぶり。ほうれんそうのゆでが足りなかったのと、そのゆで汁でそのままラーメンをゆでて食べたのが原因か。 10/23 『地震ナマズ』地図用意のつづき。アトラス拡大版。『Newton』『Be-Pal』、森まゆみ『震災日録』。オリオン座流星群、曇天で見えず。月も雲間に見えず。 10/24 熟睡。となりのサザンカ。新聞、新型iPad発表。miniも11月中の発売予定。県立博物館『出羽国成立1300年』2冊とも出てくる。ひさしぶりに『浩良史話集』入力。 10/25 0。047μ。図書館入り口に鉢植えの菊。へいじょーしん、へいじょーしん。ソニーの新型 Reader は、解像度アップだけでソフトは変わりないのか? 『地図でみる関東大震災』。ひさしぶりの朝生。原発。2:15ごろ、微震から弱震が1分ほどつづく。夜半からドアがガタガタ、ハンガーかけのシャツやコートがゆれる。風のせいかと思ったが、どうやら地震らしい。速報聞きながら、朝生半分聞いてるうちに、すぐに眠ってしまったらしい。。。 10/26 未明の地震は福島県沖、M7.1とのこと。16:00、FMライブ、おー、おだてつろうー。八文字屋へ。アフタヌーン、HIHOなど。日本シリーズ。夕食、さといもと豆乳としめじのクリームシチュー。食い過ぎた。。。 2013.10.26 公開 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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