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*M-Tea*6_5-道教思想(二)幸田露伴 *2013.8.24 第六巻 第五号 道教思想(二) 幸田露伴 &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/6_5-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/237362)   [[【週刊ミルクティー* 第六巻 第五号 ダウンロードサイトへ】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/237362]] (1.8MB) &color(red){定価:100円(税込)} p.114 / *99 出版 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ PDF 形式、六インチ版。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、転載・印刷・翻訳などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain, 2013. *PDF マガジン 週刊ミルクティー*  普通に世人は、道教といえば老子から出たもののように早合点しているが、道教においては老子は小乗に属するものとされていることは、道教のいかなるものなるかを正解しようとするうえにおいて大注意を要することである。元来、『老子道徳経』には不死の字面だの、天長地久の字面だの、玄だのと、道教然たる字面は見えているが、五千余言のどこにも宗教らしいところはなく、手明坦夷な態をとって、主柔排剛の主張を述べているのである。神霊玄異をもって凡俗に対して、その服従と信仰とを要求するがごとき宗教臭ははなはだ薄いのである。また『道徳経』五千言は決して錬丹の説などを教えたものでもないのは明白である。しかし、道教が老子のその教えの精神を取って道教の髄脳としていることは虚妄ではない。であるから、本来ならば『老子道徳経』こそは道教の大乗であり醍醐味であるとせねばならぬはずであるが、それでは宗教としての道教は成り立たぬ。そこで一面には老子を用いてはいるが、否、老子に依傍して成り立ったのではあるが、老子を小乗師として祭りこんで、第三の地位に安置し、それから老子に神霊玄異の金箔を貼付して、天皇・地皇・人皇・伏羲・神農の時代から存在した神化不可測の人となし、人間世界では常樅の弟子であるが、天上にあっては玉晨《ぎょくしん》大道君を師として道を得た大先達・大仙人と崇めたてまつり、霊符をもって徐甲を生かしたり殺したり、関を出て胡に入って西方を済度したりする、神通自在の太上老君としてしまって、三清の一尊としたのである。つまり老子を利用して宗教上のものとし、三役の一つとしたのである。そして宗教の常套手段の三位一体説はここにもおこって、玉清境の天宝君、上清境の霊宝君と太清境の神宝君と、「この三号は殊なりといえども、もと同一なり」と『九天生神章経』に宣告させている。その『九天生神章経』は前にあげた洞元部の主なる経である。老子をかくのごとく勝手にあつかい、また『道徳経』を錬丹の秘密を蔵せるもののごとくあつかい、それから老子がさてもその後、いろいろの場合、いろいろの人々に現われていろいろの教えを説いたようにしたので、ついに北斗まで老子を媒にして道教のものとなるに至ったのである。   ※ #ref(6_5.rm) (朗読:RealMedia 形式 xxxKB、x:xx) ※ お休みしまーす。 幸田露伴 こうだ ろはん 1867-1947(慶応3.7.23-昭和22.7.30) 本名、成行(しげゆき)。江戸(現東京都)下谷生れ。小説家。別号には、蝸牛庵、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など。『風流仏』で評価され、「五重塔」「運命」などの作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。第1回文化勲章受章。娘の文は随筆家。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(幸田露伴){幸田露伴}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 *底本 底本:『露伴全集 第十八卷』岩波書店    1949(昭和24)年10月10日発行 初出:岩波講座『東洋思潮』岩波書店    1936(昭和11)年7月 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/list_inp51_1.html NDC 分類:166(宗教 / 道教) http://yozora.kazumi386.org/1/6/ndc166.html *難字、求めよ 仏蔵 華厳部 阿含部 洞真部 大乗。(本文) 太玄部 正一部 随脳 玉訣類 洞真部 洞元部 太上洞玄 たいじょう どうげん? 祈禳 祭※[#「酉+焦」、第4水準2-90-41] さいしょう? 洞神部 道教の小乗。(本文) 北斗崇拝 南斗崇拝 東斗崇拝 西斗崇拝 拝儀 手明 主柔排剛 神霊玄異 小乗師 常樅 じょうしょう? 玉晨大道君 → 玉晨君か 徐甲 玉清境の天宝君 上清境の霊宝君 太清境の神宝君 所依経 しょえきょう? 地記 太平部 勧善教 全真派 七真の集 太清部 世法の善をなさしむる 鬼神崇拝 秘玄 金丹の道 聖視 歴記 要を秉る ようをとる? 南面の術 尭の克譲 四益 漢志の道家部 仙人伝説 上清三一の法 何へも彼へも 御身がら 神僊家 しんせんか 游求 怪迂 弥※[#二の字点] いよいよ、か 何々雑子 房中の道 円欠 善を長ぜん 房術家 採陰補陽の術 御女の邪術 採陰の術 仙書丹経 雲湧※[#「分/土」、第4水準2-4-65]起 宛若 寓存 正一派 廟庭 びょうてい? 一幟 ひとはた? 丘社 呪鬼の術書 使鬼の法 米賊 妄伝 もうでん? 奸手段 鬼卒 治頭 欺妄 ぎもう? 偽妄・欺罔か。 米肉 布絹 鬼罰 監知 天地清明 姦令 得福の業 神僊大聖 天地主宰の枢機 微密 びみつ? 美密か。きめこまかなこと。よく詰まっていること。また、そのさま。 親貼 しんてん? しんちょう? 不明有力 鬼卒・鬼民・鬼吏 蜀の鵠鳴山 張紫陽 ちょう しよう? → 張伯端 許玉斧 邵子 しょうし? → 邵雍か 全真派の王・馬・李・丘 温・馬などの元帥 太公 たいこう → 太公望か 文子 胡氏 容成子 務成子 張衡 ちょうこう 張陵の子。(Wikipedia) 釈玄光 著、弁惑論。(本文) 張氏 『金蓮正宗紀』 『霊宝領教済度金書』三二〇巻 『黄庭内外景玉経』 → 『黄庭内景玉経』(=『黄庭経』)か 『太上洞玄霊宝自然九天神経』 たいじょう どうげん れいほう しぜん きゅうてんきょう? 『常清静経』 =『清静経』か 『北斗本命延生経』 『九天生神章経』 洞元部。(本文) 『無上妙道文始真経』 『庚桑子』 こうそうし? =『洞霊真経』?(本文) 『洞霊真経』 『龍虎経』 『皇極経世』 宋の邵子の著。(本文) 『三教珠英』 「陳丞相世家」 ちん しょうじょう せいか? 太公の書 『鬻子』 黄帝の書 『漢志』の黄帝書 『涓子』 けんし 十三篇 『漢天師世家』 『蜀記』 李膺の著。(本文) 釈玄光の弁惑論 「解老の篇」 *むしとりホイホイ 陶宏景 → 陶弘景 【弘か】 *スリーパーズ日記* (略) 空を観察すれば空であるだけで、空には空と規定すべきものはない。 空と規定すべきものがないならば、空の向こうをないとすることはない。 空の向こうをないとすることがないならば、 落ち着いて静かな寂の境地に至る。 (『清静経』、ヴァンサン・ゴーセール、カロリーヌ・ジス『道教の世界』(創元社、2011.1)より)   2013.8.25 富田さんの訃報から一週間、日曜喫茶室。ようやく笑うことができた。海の生き物のふしぎ。海中写真、中村いくお、大王イカ、久保寺ツネミ。イクオネ。店の名はらいふ。つづいて、山下・竹内恒例、夫婦放談。 2013.8.24 公開 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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