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*M-Tea*5_37-恐怖について/寺田先生と僕(他)海野十三 *2013.4.6 第五巻 第三七号 恐怖について / 寺田先生と僕(他) 海野十三  科学時潮   地下鉄道の開通 / 飯粒と弁当箱   英米間無線電話 / 科学小説『緑の汚点』  科学者と夜店商人  恐怖について  寺田先生と僕   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/5_37-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/226311)   [[【週刊ミルクティー*第五巻 第三七号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/226311]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/226311) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (612KB) &color(red){定価:200円} p.170 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(42項目)p.278 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *雲の向こう、週刊約束のバベルツリー!  寺田先生から、手紙を一度いただいたことがあった。それは大正十二年(一九二三)の関東大震災のあとに、『東京朝日新聞』紙上で、「私の探しているもの」という欄に先生が「罹災(りさい)の人で、もしそのときの火災の進路について、場所・風向き・時刻について知らせてくれると、たいへん学術上参考になる。また台風にあった人は、それについても書いてほしい。」と書かれた。僕は当時、浅草の今戸(いまど)にいて、九月一日の午後五時ごろに自宅全焼の憂目(うきめ)にあい、しかもその一時間ほど前には、もう生命もこれでおしまいだわいと悲壮な覚悟をしなければならなかったほどの大旋風にも襲われたので、つつしんで水島寒月先生〔夏目漱石『吾輩は猫である』登場人物。寺田寅彦がモデルという〕に見聞記をたてまつった。そのとき、当時着のみ着のままで焼き出された身の上であったから、懐中はなはだ寒かったが、この報告はどうしても東京市の地図に矢印などを書きこまなければ要をつくさないと思ったので、無理に東京の地図を遠方まで買いに行った記憶がある。  そうして僕は、自分の見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折りかえしいただいた先生の礼状が、前に言った唯一の手紙なのである。  惜(お)しいことに、その手紙はその後転々とひっこしをしたので、いつか失せてしまい、今ははなはだ残念に思っているが、なんでもレター・ペーパー二枚に丁重(ていちょう)に書かれたもので、今日思うとじつに貴重な宝物であったのに、惜しいことである。  僕の提供したこの資料は、震災予防調査会の第一〇〇号、『関東大地震調査報文』火災編に、先生の手によって「大正十二年九月一日・二日の旋風について」の項に集録せられてあるが、つぎのとおりである。 (略) #ref(5_37.rm) (朗読:RealMedia 形式 388KB、3:09) [[milk_tea_5_37.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=375&file=milk_tea_5_37.html]] (html ソーステキスト版 188KB) 海野十三 うんの じゅうざ 1897-1949(1897.12.26-1949.5.17) 小説家。本名、佐野昌一。徳島市生れ。早大理工学部卒。SF的色彩の濃い探偵小説や軍事小説を著す。作「深夜の市長」「地球盗難」など。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(海野十三){海野十三}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 *底本 科学時潮 底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房    1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行 初出:「新青年」    1928(昭和3)年1月号 科学者と夜店商人 底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房    1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行 初出:「科学画報」誠文堂新光社    1929(昭和4)年8月号 恐怖について 底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会    2000(平成12)年5月17日第1刷発行 初出:「ぷろふいる」    1934(昭和9)年5月号 科学が臍をまげた話 底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房    1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行 初出:「新青年」    1934(昭和9)年9月号 寺田先生と僕 底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会    2000(平成12)年5月17日第1刷発行 初出:「科学ペン」    1937(昭和12)年12月号 NDC 分類:404(自然科学/論文集.評論集.講演集) http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc404.html NDC 分類:913(日本文学/小説.物語) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html NDC 分類:914(日本文学/評論.エッセイ.随筆) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html *難字、求めよ 浅草の富士館 浅草亀岡町 あさくさ かめおかちょう? 現、台東区今戸一~二丁目。 浅草玉姫町 あさくさ たまひめちょう? 現、台東区橋場・日本堤・清川・荒川区南千住。 浅草田中町 あさくさ たなかちょう? 現、台東区清川・東浅草・日本堤。 今戸公園 いまど こうえん 浅草隅田公園か。 『緑の汚点』 書名。 『ぷろふいる』 雑誌名。 『科学ペン』 雑誌名。 『関東大地震調査報文』火災編 震災予防調査会の第一〇〇号。 暗界 ダークスペース 大地電位 アース・ポテンシャル 白髪鬼 はくはつき ラジオテルミー 象鼻状 ぞうびじょう? *むしとりホイホイ 羅災 → 罹災 【罹か】 實驗談 → 實見談 【見か?】 閧の聲 → 鬨の聲 【鬨か】 以上3件。底本未確認。 ※「羅災」は海野十三おなじく佐野昌一「寺田先生と僕」の2件のみ。 ※ 閧、コウ。村の中の道。ちまた。「鬨(=とき)」に通じさせても用いる。もと誤用。(広辞苑)/「作家別テキストファイル」中に多数あり。要修正か。 *スリーパーズ日記*  随筆と小作品の中から、目についたものを発表順に編集した。以下、「寺田先生と僕」について。  海野十三(本名、佐野昌一)は一八九七年(明治三〇)の生まれだから、一九二三年(大正一二)九月の関東大震災のときは二六才。Wikipedia によれば「1928年、雑誌『新青年』に掲載された探偵小説「電気風呂の怪死事件」で本格的にデビュー」とあるから、震災当時は、逓信省電気試験所へ勤務していた時期にあたるだろうか。  本文中「九月一日午前三時半頃初メテ夢見シタ」とある手紙の出だしは、内容的に不自然。誤植混入の可能性が高い。地震発生が正午だから、「午前」「夢見」はぞれぞれ「午後」「発見」か。  おなじく本文中に「先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノート」という表現がある。寺田寅彦のことだから擬人的に「旋風の特性を愛する」ということもありえなくはないかもしれないが、ここはすなおに「愛する」は「考する」の誤植ではなかろうかと。  町名・寺社名などが詳細に出てくるので、Inkscape の習作をかねて地図を書き起こしてみた。『日本都市戦災地図』(原書房、1984.7)、『スーパーマップル関東道路地図』(昭文社、2011)、『別冊歴史読本・比較考証 江戸東京古地図散歩』(新人物往来社、1999.9)「明治13年、二万分一東京図」を下絵に参照。  すると思いがけず、海野十三宅から隅田川をはさんだ対岸、真向かいに幸田露伴宅と蝸牛庵のあったことを発見。さらにさらに、同じく隅田川対岸の南およそ一.五キロのところに堀 辰雄宅のあったことを知る。震災当時、露伴は五六才、堀 辰雄は一九才。露伴は「震は亨(とお)る」という短文を残し、堀 辰雄は母親を失う。  なお、吾妻橋から下流一キロ弱のところに陸軍被服廠跡があり、現、両国国技館の北側になる。   3.31 パパ、よこを向いてて。戦メリ少女。 2013.4.6:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*5_37-恐怖について/寺田先生と僕(他)海野十三 *2013.4.6 第五巻 第三七号 恐怖について / 寺田先生と僕(他) 海野十三  科学時潮   地下鉄道の開通 / 飯粒と弁当箱   英米間無線電話 / 科学小説『緑の汚点』  科学者と夜店商人  恐怖について  寺田先生と僕   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/5_37-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/226311)   &image(map5_37_imado.png)   [[【週刊ミルクティー*第五巻 第三七号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/226311]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/226311) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (612KB) &color(red){定価:200円} p.170 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(42項目)p.278 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *雲の向こう、週刊約束のバベルツリー!  寺田先生から、手紙を一度いただいたことがあった。それは大正十二年(一九二三)の関東大震災のあとに、『東京朝日新聞』紙上で、「私の探しているもの」という欄に先生が「罹災(りさい)の人で、もしそのときの火災の進路について、場所・風向き・時刻について知らせてくれると、たいへん学術上参考になる。また台風にあった人は、それについても書いてほしい。」と書かれた。僕は当時、浅草の今戸(いまど)にいて、九月一日の午後五時ごろに自宅全焼の憂目(うきめ)にあい、しかもその一時間ほど前には、もう生命もこれでおしまいだわいと悲壮な覚悟をしなければならなかったほどの大旋風にも襲われたので、つつしんで水島寒月先生〔夏目漱石『吾輩は猫である』登場人物。寺田寅彦がモデルという〕に見聞記をたてまつった。そのとき、当時着のみ着のままで焼き出された身の上であったから、懐中はなはだ寒かったが、この報告はどうしても東京市の地図に矢印などを書きこまなければ要をつくさないと思ったので、無理に東京の地図を遠方まで買いに行った記憶がある。  そうして僕は、自分の見聞記を書いて、先生宛お送りしたわけであるが、そのとき折りかえしいただいた先生の礼状が、前に言った唯一の手紙なのである。  惜(お)しいことに、その手紙はその後転々とひっこしをしたので、いつか失せてしまい、今ははなはだ残念に思っているが、なんでもレター・ペーパー二枚に丁重(ていちょう)に書かれたもので、今日思うとじつに貴重な宝物であったのに、惜しいことである。  僕の提供したこの資料は、震災予防調査会の第一〇〇号、『関東大地震調査報文』火災編に、先生の手によって「大正十二年九月一日・二日の旋風について」の項に集録せられてあるが、つぎのとおりである。 (略) #ref(5_37.rm) (朗読:RealMedia 形式 388KB、3:09) [[milk_tea_5_37.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=396&file=milk_tea_5_37.html]] (html ソーステキスト版 188KB) 海野十三 うんの じゅうざ 1897-1949(1897.12.26-1949.5.17) 小説家。本名、佐野昌一。徳島市生れ。早大理工学部卒。SF的色彩の濃い探偵小説や軍事小説を著す。作「深夜の市長」「地球盗難」など。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(海野十三){海野十三}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 *底本 科学時潮 底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房    1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行 初出:「新青年」    1928(昭和3)年1月号 科学者と夜店商人 底本:「海野十三全集 別巻2 日記・書簡・雑纂」三一書房    1993(平成5)年1月31日第1版第1刷発行 初出:「科学画報」誠文堂新光社    1929(昭和4)年8月号 恐怖について 底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会    2000(平成12)年5月17日第1刷発行 初出:「ぷろふいる」    1934(昭和9)年5月号 科学が臍をまげた話 底本:「海野十三全集 別巻1 評論・ノンフィクション」三一書房    1991(平成3)年10月15日第1版第1刷発行 初出:「新青年」    1934(昭和9)年9月号 寺田先生と僕 底本:「海野十三メモリアル・ブック」海野十三の会    2000(平成12)年5月17日第1刷発行 初出:「科学ペン」    1937(昭和12)年12月号 NDC 分類:404(自然科学/論文集.評論集.講演集) http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc404.html NDC 分類:913(日本文学/小説.物語) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html NDC 分類:914(日本文学/評論.エッセイ.随筆) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html *難字、求めよ 浅草の富士館 浅草亀岡町 あさくさ かめおかちょう? 現、台東区今戸一~二丁目。 浅草玉姫町 あさくさ たまひめちょう? 現、台東区橋場・日本堤・清川・荒川区南千住。 浅草田中町 あさくさ たなかちょう? 現、台東区清川・東浅草・日本堤。 今戸公園 いまど こうえん 浅草隅田公園か。 『緑の汚点』 書名。 『ぷろふいる』 雑誌名。 『科学ペン』 雑誌名。 『関東大地震調査報文』火災編 震災予防調査会の第一〇〇号。 暗界 ダークスペース 大地電位 アース・ポテンシャル 白髪鬼 はくはつき ラジオテルミー 象鼻状 ぞうびじょう? *むしとりホイホイ 羅災 → 罹災 【罹か】 實驗談 → 實見談 【見か?】 閧の聲 → 鬨の聲 【鬨か】 以上3件。底本未確認。 ※「羅災」は海野十三おなじく佐野昌一「寺田先生と僕」の2件のみ。 ※ 閧、コウ。村の中の道。ちまた。「鬨(=とき)」に通じさせても用いる。もと誤用。(広辞苑)/「作家別テキストファイル」中に多数あり。要修正か。 *スリーパーズ日記*  随筆と小作品の中から、目についたものを発表順に編集した。以下、「寺田先生と僕」について。  海野十三(本名、佐野昌一)は一八九七年(明治三〇)の生まれだから、一九二三年(大正一二)九月の関東大震災のときは二六才。Wikipedia によれば「1928年、雑誌『新青年』に掲載された探偵小説「電気風呂の怪死事件」で本格的にデビュー」とあるから、震災当時は、逓信省電気試験所へ勤務していた時期にあたるだろうか。  本文中「九月一日午前三時半頃初メテ夢見シタ」とある手紙の出だしは、内容的に不自然。誤植混入の可能性が高い。地震発生が正午だから、「午前」「夢見」はぞれぞれ「午後」「発見」か。  おなじく本文中に「先生の出してゐられる旋風の特性を愛するノート」という表現がある。寺田寅彦のことだから擬人的に「旋風の特性を愛する」ということもありえなくはないかもしれないが、ここはすなおに「愛する」は「考する」の誤植ではなかろうかと。  町名・寺社名などが詳細に出てくるので、Inkscape の習作をかねて地図を書き起こしてみた。『日本都市戦災地図』(原書房、1984.7)、『スーパーマップル関東道路地図』(昭文社、2011)、『別冊歴史読本・比較考証 江戸東京古地図散歩』(新人物往来社、1999.9)「明治13年、二万分一東京図」を下絵に参照。  すると思いがけず、海野十三宅から隅田川をはさんだ対岸、真向かいに幸田露伴宅と蝸牛庵のあったことを発見。さらにさらに、同じく隅田川対岸の南およそ一.五キロのところに堀 辰雄宅のあったことを知る。震災当時、露伴は五六才、堀 辰雄は一九才。露伴は「震は亨(とお)る」という短文を残し、堀 辰雄は母親を失う。  なお、吾妻橋から下流一キロ弱のところに陸軍被服廠跡があり、現、両国国技館の北側になる。   3.31 パパ、よこを向いてて。戦メリ少女。 2013.4.6:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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