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*M-Tea*5_33-菜穂子(四)堀 辰雄 *2013.3.9 第五巻 第三三号 菜穂子(四)堀 辰雄  菜穂子   十二~十八   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/5_33-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/223512)   [[【週刊ミルクティー*第五巻 第三三号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/223512]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/223512) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (388KB) &color(red){定価:200円} p.130 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(2項目)p.13 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *かもめをあきらめて泣かせて、週刊えんがわほの字組!  菜穂子はそのお辞儀のしかたを見ると、突然、明が彼女の前に立ち現われたときから、何かしら自分自身に佯(いつわ)っていた感情のあることを鋭く自覚した。そしてなにかそれを悔いるかのように、いままでにないやわらかな調子で最後の言葉をかけた。 「ほんとうにあなたも、ご無理なさらないでね……」 「ええ……」明も元気そうに答えながら、最後にもう一度、彼女のほうへ大きい眼をそそいで、扉の外へ出て行った。  やがて扉の向こうに、明がふたたびはげしく咳こみながら立ち去って行くらしい気配がした。菜穂子は一人になると、さっきから心に滲み出していた後悔らしいものを急にはっきりと感じ出した。    #ref(5_33.rm) (朗読:RealMedia 形式 176KB、1:25) [[milk_tea_5_33.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=375&file=milk_tea_5_33.html]] (html ソーステキスト版 160KB) 堀 辰雄 ほり たつお 1904-1953(明治37.12.28-昭和28.5.28) ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(堀辰雄){堀辰雄}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館    1988(昭和63)年6月1日初版第1刷 底本の親本:「堀辰雄全集 第二巻」筑摩書房    1977(昭和52)年8月30日初版第1刷発行 http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/card4805.html NDC 分類:913(日本文学 / 小説.物語) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html *難字、求めよ *むしとりホイホイ 折合《おりあい》 → 折合《おりあい》を 【を】 底本は「折合《おりあい》を」。 傷いた → 傷ついた 【つ?】 底本は左辺のとおり。 以上2件。底本確認ずみ。 *スリーパーズ日記* 「宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)」。  聞き覚えのある名前だと思ってバックナンバーを検索してみると、大川周明『清河八郎』に登場する。 文久元年(一八六一)一二月 「その夜、平野はひそかに八郎に向かって、肥後の人間は表面のみ飾って実意がないから油断ができぬ、いわゆる肥後の議論だおれである、松村父子および川上彦斎(げんさい)などは例外として、大成の弟永鳥三平をはじめ、大野鉄兵衛・宮部鼎蔵・轟(とどろき)武兵衛(ぶへい)など、みな高名の有志ではあるが、必死の覚悟は疑わしいと注意し、かつ鎮西の人物は真木に越す者ないと告げた。はたして八日朝に川上彦斎だけは来会したが、その他の有志は一つも見えなかった。」 「二十八日、肥後の有志轟武兵衛・愛敬左司馬・末松源太郎・松村深蔵・川上彦斎らが、永鳥三平の家に会し、宮部鼎蔵も五里の田舎から出てきて座に列した。はたして意見があわず、八郎は「とてもご決心なきところに長々とまかりおるにもおよばず」と言って別れを告げた。」 文久二年(一八六二)一月 「十五日には宮部鼎蔵・松村深蔵が肥後から上洛した。轟武兵衛の口供書にあるとおり、八郎遊説の虚実を探るために来たのである。(略)宮部・松村両人は忠愛(ただなる)卿の書簡を賜わり、真木・小河・安積にあてたる八郎の書簡をたずさえ、鎮西の義気をはげまして八郎らの西下を待つべく帰途についた。」 一月二二日ごろ 鼎蔵、帰熊。三平宅に集会をもよおし、早々京都の様子をうけたまわるに、かの地の事状は八郎らが噂よりもはなはだしく。 (以上、『週刊ミルクティー*第二巻 第四〇号』「清河八郎(三)大川周明」より) 文久3年(1863)4月、京都見廻組の佐々木只三郎らにより清河八郎、暗殺。 元治元年(1864)6月、池田屋事件。宮部鼎蔵ら死去。 3.9 銭湯のカウンターに白いちいさな菊、一輪。 3.10 朝、近くで救急車数台のサイレン。日中、近くのホテルの階上がブルーシート数枚でかこんであるのが見える。 3.10 JFMニュース 山口昌男、死去。81歳。吉本「みちのく新喜劇」旗揚げ、さすが。 小泉せんせい×蜂須賀れーこちゃん「国会議員の先生がたに微生物になってもらいたい」。 5日、納谷悟朗、死去。83歳。宮崎吾朗の「吾朗」は、納谷悟朗に由来。 2013.3.10:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*5_33-菜穂子(四)堀 辰雄 *2013.3.9 第五巻 第三三号 菜穂子(四)堀 辰雄  菜穂子   十二~十八   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/5_33-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/223512)   [[【週刊ミルクティー*第五巻 第三三号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/223512]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/223512) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (388KB) &color(red){定価:200円} p.130 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(2項目)p.13 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *かもめをあきらめて泣かせて、週刊えんがわほの字組!  菜穂子はそのお辞儀のしかたを見ると、突然、明が彼女の前に立ち現われたときから、何かしら自分自身に佯(いつわ)っていた感情のあることを鋭く自覚した。そしてなにかそれを悔いるかのように、いままでにないやわらかな調子で最後の言葉をかけた。 「ほんとうにあなたも、ご無理なさらないでね……」 「ええ……」明も元気そうに答えながら、最後にもう一度、彼女のほうへ大きい眼をそそいで、扉の外へ出て行った。  やがて扉の向こうに、明がふたたびはげしく咳こみながら立ち去って行くらしい気配がした。菜穂子は一人になると、さっきから心に滲み出していた後悔らしいものを急にはっきりと感じ出した。    #ref(5_33.rm) (朗読:RealMedia 形式 176KB、1:25) [[milk_tea_5_33.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=392&file=milk_tea_5_33.html]] (html ソーステキスト版 160KB) 堀 辰雄 ほり たつお 1904-1953(明治37.12.28-昭和28.5.28) ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(堀辰雄){堀辰雄}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「昭和文学全集 第6巻」小学館    1988(昭和63)年6月1日初版第1刷 底本の親本:「堀辰雄全集 第二巻」筑摩書房    1977(昭和52)年8月30日初版第1刷発行 http://www.aozora.gr.jp/cards/001030/card4805.html NDC 分類:913(日本文学 / 小説.物語) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html *難字、求めよ *むしとりホイホイ 折合《おりあい》 → 折合《おりあい》を 【を】 底本は「折合《おりあい》を」。 傷いた → 傷ついた 【つ?】 底本は左辺のとおり。 以上2件。底本確認ずみ。 *スリーパーズ日記* 「宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)」。  聞き覚えのある名前だと思ってバックナンバーを検索してみると、大川周明『清河八郎』に登場する。 文久元年(一八六一)一二月 「その夜、平野はひそかに八郎に向かって、肥後の人間は表面のみ飾って実意がないから油断ができぬ、いわゆる肥後の議論だおれである、松村父子および川上彦斎(げんさい)などは例外として、大成の弟永鳥三平をはじめ、大野鉄兵衛・宮部鼎蔵・轟(とどろき)武兵衛(ぶへい)など、みな高名の有志ではあるが、必死の覚悟は疑わしいと注意し、かつ鎮西の人物は真木に越す者ないと告げた。はたして八日朝に川上彦斎だけは来会したが、その他の有志は一つも見えなかった。」 「二十八日、肥後の有志轟武兵衛・愛敬左司馬・末松源太郎・松村深蔵・川上彦斎らが、永鳥三平の家に会し、宮部鼎蔵も五里の田舎から出てきて座に列した。はたして意見があわず、八郎は「とてもご決心なきところに長々とまかりおるにもおよばず」と言って別れを告げた。」 文久二年(一八六二)一月 「十五日には宮部鼎蔵・松村深蔵が肥後から上洛した。轟武兵衛の口供書にあるとおり、八郎遊説の虚実を探るために来たのである。(略)宮部・松村両人は忠愛(ただなる)卿の書簡を賜わり、真木・小河・安積にあてたる八郎の書簡をたずさえ、鎮西の義気をはげまして八郎らの西下を待つべく帰途についた。」 一月二二日ごろ 鼎蔵、帰熊。三平宅に集会をもよおし、早々京都の様子をうけたまわるに、かの地の事状は八郎らが噂よりもはなはだしく。 (以上、『週刊ミルクティー*第二巻 第四〇号』「清河八郎(三)大川周明」より) 文久3年(1863)4月、京都見廻組の佐々木只三郎らにより清河八郎、暗殺。 元治元年(1864)6月、池田屋事件。宮部鼎蔵ら死去。 3.9 銭湯のカウンターに白いちいさな菊、一輪。 3.10 朝、近くで救急車数台のサイレン。日中、近くのホテルの階上がブルーシート数枚でかこんであるのが見える。 3.10 JFMニュース 山口昌男、死去。81歳。吉本「みちのく新喜劇」旗揚げ、さすが。 小泉せんせい×蜂須賀れーこちゃん「国会議員の先生がたに微生物になってもらいたい」。 5日、納谷悟朗、死去。83歳。宮崎吾朗の「吾朗」は、納谷悟朗に由来。 2013.3.10:公開 おきゅぱい迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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