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*M-Tea*5_14-日本歴史物語〈上〉(三)喜田貞吉 *2012.10.27 第五巻 第一四号 日本歴史物語〈上〉(三) 喜田貞吉  二十一、外人の渡来と外国文化の輸入(五)  二十二、外人の渡来と外国文化の輸入(六)  二十三、大臣(おおおみ)と大連(おおむらじ)  二十四、仏教の伝来  二十五、聖徳太子と文化の進展(上)  二十六、聖徳太子と文化の進展(下)  二十七、大化の新政(上)  二十八、大化の新政(中)  二十九、大化の新政(下)  三十、朝鮮半島諸国の離反   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/5_14-1.png,http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=370&file=milk_tea_5_14.zip)   &image(map5_14.png)   &image(table5_14.png)   [[【週刊ミルクティー*第五巻 第一四号】>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=370&file=milk_tea_5_14.zip]] (http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=370&file=milk_tea_5_14.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (940KB) &color(red){月末最終号:無料} p.184 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(105項目)p.589 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *すべてのタブレットは消耗品である。週刊くじらの歌、ほげ~♪  応神天皇の御代に渡来した阿知使主(あちのおみ)の仲間は、これももとはシナ人ではありますが、朝鮮の大同江付近、すなわち漢の時代の楽浪、魏の時代の帯方から来たもので、古くここに移住していた漢人の子孫でありましょう。わが国ではこれを弓月君(ゆつきのきみ)の仲間の秦人に対して、漢人といっています。文字に「漢人」と書くのは、シナ漢代の人の移住民の子孫だからでありましょうが、これをわが国で「あやびと」といったのは、かれらがいろいろの模様のついた織り物を織ったためであります。(略)  漢人の仲間は、秦人が衰えて方々に散らばったのとは様子が違って、都に近い大和の国の高市郡(たかいちごおり)にまとまって住んでおりました。今から一一〇〇年ばかり前までも高市郡の住民は十中の八、九まで、みなこの仲間であったというほどにも、かれらはここで繁昌したのでした。しかしこれらの多数の人々も、いつの間にか、みな日本民族の仲間になり、ほかの人たちと少しも区別のないものになってしまっているのです。  高市郡の中では、飛鳥が漢人の中心地でありました。そしてここが久しくわが国における文化の起原地となりました。のちに仏法が伝わってきましたときにも、まずここに立派な寺ができます。しぜん、政治の上にも社会の上にも勢力を有することとなり、おしまいには、これまで御代ごとにたいてい場所が変わっておった都までが、この飛鳥にきまってしまうというほどの勢いとなりました。 (略)のちに第三十三代推古天皇の御代に、聖徳太子のお指図でシナへ留学しました僧侶や学生なども、やはりみなこの漢人の仲間でした。(「二十一、外人の渡来と外国文化の輸入(五)」より)   #ref(5_14.rm) (朗読:RealMedia 形式 356KB、2:53) [[milk_tea_5_14.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=370&file=milk_tea_5_14.html]] (html ソーステキスト版 252KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) 日本画家、挿絵画家。本名、安並泰輔。埼玉県川越生まれ。時代風俗の考証に通じ、のち舞台装置家、新聞雑誌の挿絵画家として活躍、その繊細で鮮烈な描線のかもし出すエロチシズムで、広くファンを熱狂させた。挿絵は泉鏡花作『日本橋』、邦枝完二作『お伝地獄』など。(人名) ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(喜田貞吉){喜田貞吉}、&link_wikipedia(恩地孝四郎){恩地孝四郎}、&link_wikipedia(小村雪岱){小村雪岱}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会    1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス    1928(昭和3)年4月5日発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:210(日本史) http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html *難字、求めよ 谷宮門 はざまのみかど 高武蔵守 こうの むさしのかみ *むしとりホイホイ 薨去《ごうきよ》 → 薨去《こうきょ》 【「こ」か】 敏達《びたつ》 → 敏達《びだつ》 【「だ」か】 以上2件。底本は左辺のとおり。 *スリーパーズ日記*  本書を含む「日本児童文庫」シリーズを読んでいる最中、この感覚は何かに似ている、何だろう……と記憶をたどってみてわかった。映画『インディー・ジョーンズ』だ。魔宮の内部にはさまざまなトラップがしかけられていて、一歩一歩、たしかめながら前進する。さながら、明治維新(1868)と現代(2012)とのちょうど中間地点を舞台としたロールプレイング・アドベンチャー・ゲーム。  昭和初期のナショナリズムや軍国主義のトラップはまだわかりやすい。専門分野ごとの当時の科学的成果のトラップが随所にあるし、著者個人の見解のトラップももちろんある。社会的・時代的な通俗概念のちがいというトラップもあるし、それが児童・生徒向けに平易な言葉づかいで表現されているというのも大きなくせもの。「平易」というのはストレートでわかりやすい反面、ことばの意味が大きくもなれば小さくもなる一方で、えてして直截的な表現になって、豊富なふくみがそぎ落とされる。「わかった、理解した」つもりにもなりやすい。真綿につつまれたトラップの数々。加えて旧字旧かな・総ルビ。  難解、……ではけしてない。が、そのぶん危険な取り扱い注意のフラジャイルなシリーズ。おっ、なんかおもしろそうなキャッチコピーできた!  赤坂憲雄・小熊英二(編)『「辺境」からはじまる東京/東北論』(明石書店、2012.5)読了。  小熊(p.325)「原発推進側の人が、推進をやめたら人材が入ってこない。入ってこなくなったら廃炉さえできないと言っていましたが、そうとも限らない。『自分が最後の原発の扉を閉める』というのは、立派な仕事だと思いますね。」  「潟にもどすという思想」(p.330)。 10.27(土)晴れ。東北文化の日。県立博物館、特別展「出羽国成立一三〇〇年」。青磁器の破片だらけ。米沢城跡から出土のわきざし、サビのない金属。三島通庸の辞世の句など。玄人好みの展示だけれど、、、。 10.28(日)雨。東北民俗芸能大会。天童市民文化会館。観客より無粋な警備員のほうが多い気配。存在を意識させるような警備は、興をそぐに十分。 「想定」の貧困、「想定外」という言いわけの貧困。 すべての育毛薬は消耗品である。 ♪サガエでございま~す。 10月26日、原子力の日。 10.28 バンクーバー北西海上、M7.7。被害なし。 10.30 昨夜、仙台空港滑走路付近、230kg不発弾。戦時中のものか。 2012.10.31:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*5_14-日本歴史物語〈上〉(三)喜田貞吉 *2012.10.27 第五巻 第一四号 日本歴史物語〈上〉(三) 喜田貞吉  二十一、外人の渡来と外国文化の輸入(五)  二十二、外人の渡来と外国文化の輸入(六)  二十三、大臣(おおおみ)と大連(おおむらじ)  二十四、仏教の伝来  二十五、聖徳太子と文化の進展(上)  二十六、聖徳太子と文化の進展(下)  二十七、大化の新政(上)  二十八、大化の新政(中)  二十九、大化の新政(下)  三十、朝鮮半島諸国の離反   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/5_14-1.png,http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=370&file=milk_tea_5_14.zip)   &image(map5_14.png)   &image(table5_14.png)   [[【週刊ミルクティー*第五巻 第一四号】>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=370&file=milk_tea_5_14.zip]] (http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=370&file=milk_tea_5_14.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (940KB) &color(red){月末最終号:無料} p.184 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(105項目)p.589 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ 現代表記版に加えてオリジナル版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。著作権保護期間を経過したパブリック・ドメイン作品につき、引用・印刷および転載・翻訳・翻案・朗読などの二次利用は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *すべてのタブレットは消耗品である。週刊くじらの歌、ほげ~♪  応神天皇の御代に渡来した阿知使主(あちのおみ)の仲間は、これももとはシナ人ではありますが、朝鮮の大同江付近、すなわち漢の時代の楽浪、魏の時代の帯方から来たもので、古くここに移住していた漢人の子孫でありましょう。わが国ではこれを弓月君(ゆつきのきみ)の仲間の秦人に対して、漢人といっています。文字に「漢人」と書くのは、シナ漢代の人の移住民の子孫だからでありましょうが、これをわが国で「あやびと」といったのは、かれらがいろいろの模様のついた織り物を織ったためであります。(略)  漢人の仲間は、秦人が衰えて方々に散らばったのとは様子が違って、都に近い大和の国の高市郡(たかいちごおり)にまとまって住んでおりました。今から一一〇〇年ばかり前までも高市郡の住民は十中の八、九まで、みなこの仲間であったというほどにも、かれらはここで繁昌したのでした。しかしこれらの多数の人々も、いつの間にか、みな日本民族の仲間になり、ほかの人たちと少しも区別のないものになってしまっているのです。  高市郡の中では、飛鳥が漢人の中心地でありました。そしてここが久しくわが国における文化の起原地となりました。のちに仏法が伝わってきましたときにも、まずここに立派な寺ができます。しぜん、政治の上にも社会の上にも勢力を有することとなり、おしまいには、これまで御代ごとにたいてい場所が変わっておった都までが、この飛鳥にきまってしまうというほどの勢いとなりました。 (略)のちに第三十三代推古天皇の御代に、聖徳太子のお指図でシナへ留学しました僧侶や学生なども、やはりみなこの漢人の仲間でした。(「二十一、外人の渡来と外国文化の輸入(五)」より)   #ref(5_14.rm) (朗読:RealMedia 形式 356KB、2:53) [[milk_tea_5_14.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=370&file=milk_tea_5_14.html]] (html ソーステキスト版 252KB) 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 小村雪岱 こむら せったい 1887-1940(明治20.3.22-昭和15.10.17) 日本画家、挿絵画家。本名、安並泰輔。埼玉県川越生まれ。時代風俗の考証に通じ、のち舞台装置家、新聞雑誌の挿絵画家として活躍、その繊細で鮮烈な描線のかもし出すエロチシズムで、広くファンを熱狂させた。挿絵は泉鏡花作『日本橋』、邦枝完二作『お伝地獄』など。(人名) ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(喜田貞吉){喜田貞吉}、&link_wikipedia(恩地孝四郎){恩地孝四郎}、&link_wikipedia(小村雪岱){小村雪岱}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)、『日本人名大事典』(平凡社)。 底本:『日本歴史物語(上)No.1』復刻版 日本兒童文庫、名著普及会    1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『日本歴史物語(上)』日本兒童文庫、アルス    1928(昭和3)年4月5日発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:K210(日本史) http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndck210.html *難字、求めよ 谷宮門 はざまのみかど 高武蔵守 こうの むさしのかみ *むしとりホイホイ 薨去《ごうきよ》 → 薨去《こうきょ》 【「こ」か】 敏達《びたつ》 → 敏達《びだつ》 【「だ」か】 以上2件。底本は左辺のとおり。 *スリーパーズ日記*  本書を含む「日本児童文庫」シリーズを読んでいる最中、この感覚は何かに似ている、何だろう……と記憶をたどってみてわかった。映画『インディー・ジョーンズ』だ。魔宮の内部にはさまざまなトラップがしかけられていて、一歩一歩、たしかめながら前進する。さながら、明治維新(1868)と現代(2012)とのちょうど中間地点を舞台としたロールプレイング・アドベンチャー・ゲーム。  昭和初期のナショナリズムや軍国主義のトラップはまだわかりやすい。専門分野ごとの当時の科学的成果のトラップが随所にあるし、著者個人の見解のトラップももちろんある。社会的・時代的な通俗概念のちがいというトラップもあるし、それが児童・生徒向けに平易な言葉づかいで表現されているというのも大きなくせもの。「平易」というのはストレートでわかりやすい反面、ことばの意味が大きくもなれば小さくもなる一方で、えてして直截的な表現になって、豊富なふくみがそぎ落とされる。「わかった、理解した」つもりにもなりやすい。真綿につつまれたトラップの数々。加えて旧字旧かな・総ルビ。  難解、……ではけしてない。が、そのぶん危険な取り扱い注意のフラジャイルなシリーズ。おっ、なんかおもしろそうなキャッチコピーできた!  赤坂憲雄・小熊英二(編)『「辺境」からはじまる東京/東北論』(明石書店、2012.5)読了。  小熊(p.325)「原発推進側の人が、推進をやめたら人材が入ってこない。入ってこなくなったら廃炉さえできないと言っていましたが、そうとも限らない。『自分が最後の原発の扉を閉める』というのは、立派な仕事だと思いますね。」  「潟にもどすという思想」(p.330)。 10.27(土)晴れ。東北文化の日。県立博物館、特別展「出羽国成立一三〇〇年」。青磁器の破片だらけ。米沢城跡から出土のわきざし、サビのない金属。三島通庸の辞世の句など。玄人好みの展示だけれど、、、。 10.28(日)雨。東北民俗芸能大会。天童市民文化会館。観客より無粋な警備員のほうが多い気配。存在を意識させるような警備は、興をそぐに十分。 「想定」の貧困、「想定外」という言いわけの貧困。 すべての育毛薬は消耗品である。 ♪サガエでございま~す。 10月26日、原子力の日。 10.28 バンクーバー北西海上、M7.7。被害なし。 10.30 昨夜、仙台空港滑走路付近、230kg不発弾。戦時中のものか。 2012.10.31:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ、しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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