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*M-Tea*4_47-東洋歴史物語(二)藤田豊八 *2012.6.16 第四巻 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八   九、周(しゅう)の建国  一〇、春秋の世  一一、戦国の世  一二、先秦(せんしん)の文化  一三、秦(しん)の興亡 &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_47-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/199093)   &image(map4_47_china1.png)   &image(map4_47_china2.png) [[【週刊ミルクティー*第四巻 第四七号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/199093]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/199093) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (840KB) &color(red){定価:200円} p.142 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(129項目)p.548 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 *♪まるまるつるつる、てかてかづらづら。週刊あべサダ子*  周室が東遷してからのち、三〇〇年ばかりを春秋の世と申します。(略)  この春秋の時代になってからは、周の王室の権威はますます衰えまして、諸侯の大きいのが交わるがわる出て勢いをふるい、天子にかわって他の諸侯に号令するようなのが出るようになりました。こうした強大な諸侯のことを覇者と申します。そして首尾よく覇者になりとげることを覇業をなしたと申します。この時代の諸侯は、どれもこれも覇者となり、覇業をなしとげようと努めたものです。そのうちうまく覇業をなしとげたものは、斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王夫差と越王勾践(こうせん)の五人だけでした。これを春秋の五覇と申します。  これらの覇者がその目的として唱えたのは、尊王攘夷ということでした。当時、周室の勢いはいたって衰えていましたので、覇者が諸侯の頭に立って、王室を尊ぼうというのが尊王でした。また周室の勢力の微弱につけこんで、シナの西北の方面から多くの異民族がシナの内地に侵入して来ていました。こうした異民族を追いはらおうというのが攘夷です。  この五覇のうち、最初に覇業をとげたのが斉の桓公でした。斉は今の山東省で、水陸の利の多いところです。それに桓公は名相であった管仲という人を使って国政を治めしめましたから、その国威はおおいに張り、斉は一度覇業をなしとげました。 #ref(4_47.rm) (朗読:RealMedia 形式 396KB、3'12'') [[milk_tea_4_47.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=350&file=milk_tea_4_47.html]] (html ソーステキスト版 184KB) 藤田豊八 ふじた とよはち 1869-1929(明治2.9.15-昭和4.7.15) 東洋史学者。徳島生れ。号は剣峰。東大教授をへて台北帝大教授。著「東西交渉史の研究」「剣峰遺草」。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 水島爾保布 みずしま におう 1884-1958(明治17.12.8-昭和33.12.30) 画家、小説家、漫画家、随筆家。本名は爾保有。東京都下谷根岸生まれ。父は水島慎次郎(鳶魚斎)。1913年、長谷川如是閑に招かれて大阪朝日新聞において、挿絵を描き始める。長男の行衛は、日本SF界の長老、今日泊亜蘭。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(藤田豊八){藤田豊八}、&link_wikipedia(恩地孝四郎){恩地孝四郎}、&link_wikipedia(水島爾保布){水島爾保布}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『東洋歴史物語』復刻版 日本児童文庫 No.7、名著普及会    1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『東洋歴史物語』日本兒童文庫、アルス    1929(昭和4)年11月5日発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1679.htm NDC 分類:220(アジア史.東洋史) http://yozora.kazumi386.org/2/2/ndc220.html *難字、求めよ *むしとりホイホイ 渇仰《かつこう》 → 渇仰《かつごう》 【ご?】 しまた → ました 【まし?】 褒似 → 褒※[#「女+以」、第3水準1-15-79] 【※[#「女+以」、第3水準1-15-79]?】3か所 諸侯《しよこ》 → 諸侯《しよこう》 【う?】 侵人 → 侵入 【入?】 闔閭《かつりよ》 → 闔閭《かうりよ》 【う?】3か所 泰蘇 → 蘇秦 【蘇秦か】 すなほち → すなはち 【は?】 文學《ぶんがく》 → 文字《もじ》 【文字《もじ》では?】 以上9件。底本は左辺のとおり。 *スリーパーズ日記* 屈斜路カルデラ:クッチャロ羽幌。約12万年前に最大級の噴火。 阿蘇カルデラ(Aso4)の火山灰:9万年前。 姶良丹沢火山灰(AT):約2万5千年前、姶良カルデラの大噴火。九州から関東地方まで降灰。東北地方北部や朝鮮半島でも確認。 肘折カルデラ:約1万2千年前に噴火。 十和田カルデラ:約1万年前に東南部で噴火。 鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah。AK)、約7,300年前の鬼界カルデラの大噴火に伴って噴出した火山灰。地層の年代決定において縄文時代の早期と前期とを分ける。 阿多カルデラ池田降下火山灰(Id-a):鹿児島湾南端の湾口部。約5500年前大噴火。 十和田火山:915年(延喜15年)大噴火。過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られる。 白頭山(長白山)苫小牧テフラ(B-Tm):10世紀。  図版は、『学研新漢和大字典』(2005.5)p.2185 および渡邊義浩『宗教から見る中国古代史』(ナツメ社、2007.12)p.61 の「春秋時代」「戦国時代」を参照。五覇や七雄の位置関係は両者でもビミョーに異なるところもあるが、中間を取った。  それ以上に問題があると思うのは、河川の流路と海岸線と湖水の大きさ。いずれも現代地図から借用したが、春秋時代の開始が紀元前770年、戦国時代の開始が紀元前403年だから、今から2400~2800年ほど前のこと。日本では縄文中期~後期、まもなく弥生時代というころにあたるらしい。海岸線が現在とまったく同じということはありえない。  とくに大河の河口部。  本文中、「渤海」はまだ登場しないけれども、地図中ではカッコ書きで示した。平均水深25m。おなじく隣の黄海は平均水深44m。「渤(ボツ)」は水のわきたつ音の意味というが、ボツの音はどうしても「没・沒」を連想する。  そして春秋五覇のうち、最初の覇者となったのが斉の桓公。斉は現、山東省北部、渤海湾沿岸にあたる。 2012.7.3:公開 玲瓏迷人。 すらっしゅっしゅしゅ、あなしたした~ 白波谷。はくは。白浪。印刷会社、胆管癌。印刷機のインク洗浄。 春秋、戦国、諸書百家。週刊マッシュルーム・クラウド 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*4_47-東洋歴史物語(二)藤田豊八 *2012.6.16 第四巻 第四七号 東洋歴史物語(二)藤田豊八   九、周(しゅう)の建国  一〇、春秋の世  一一、戦国の世  一二、先秦(せんしん)の文化  一三、秦(しん)の興亡 &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_47-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/199093)   &image(map4_47_china1.png)   &image(map4_47_china2.png) [[【週刊ミルクティー*第四巻 第四七号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/199093]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/199093) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (840KB) &color(red){定価:200円} p.142 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(129項目)p.548 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 *♪まるまるつるつる、てかてかづらづら。週刊あべサダ子*  周室が東遷してからのち、三〇〇年ばかりを春秋の世と申します。(略)  この春秋の時代になってからは、周の王室の権威はますます衰えまして、諸侯の大きいのが交わるがわる出て勢いをふるい、天子にかわって他の諸侯に号令するようなのが出るようになりました。こうした強大な諸侯のことを覇者と申します。そして首尾よく覇者になりとげることを覇業をなしたと申します。この時代の諸侯は、どれもこれも覇者となり、覇業をなしとげようと努めたものです。そのうちうまく覇業をなしとげたものは、斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王夫差と越王勾践(こうせん)の五人だけでした。これを春秋の五覇と申します。  これらの覇者がその目的として唱えたのは、尊王攘夷ということでした。当時、周室の勢いはいたって衰えていましたので、覇者が諸侯の頭に立って、王室を尊ぼうというのが尊王でした。また周室の勢力の微弱につけこんで、シナの西北の方面から多くの異民族がシナの内地に侵入して来ていました。こうした異民族を追いはらおうというのが攘夷です。  この五覇のうち、最初に覇業をとげたのが斉の桓公でした。斉は今の山東省で、水陸の利の多いところです。それに桓公は名相であった管仲という人を使って国政を治めしめましたから、その国威はおおいに張り、斉は一度覇業をなしとげました。 #ref(4_47.rm) (朗読:RealMedia 形式 396KB、3'12'') [[milk_tea_4_47.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=350&file=milk_tea_4_47.html]] (html ソーステキスト版 184KB) 藤田豊八 ふじた とよはち 1869-1929(明治2.9.15-昭和4.7.15) 東洋史学者。徳島生れ。号は剣峰。東大教授をへて台北帝大教授。著「東西交渉史の研究」「剣峰遺草」。 恩地孝四郎 おんち こうしろう 1891-1955(明治24.7.2-昭和30.6.3) 版画家。東京生れ。日本の抽象木版画の先駆けで、創作版画運動に尽力。装丁美術家としても著名。 水島爾保布 みずしま におう 1884-1958(明治17.12.8-昭和33.12.30) 画家、小説家、漫画家、随筆家。本名は爾保有。東京都下谷根岸生まれ。父は水島慎次郎(鳶魚斎)。1913年、長谷川如是閑に招かれて大阪朝日新聞において、挿絵を描き始める。長男の行衛は、日本SF界の長老、今日泊亜蘭。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(藤田豊八){藤田豊八}、&link_wikipedia(恩地孝四郎){恩地孝四郎}、&link_wikipedia(水島爾保布){水島爾保布}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『東洋歴史物語』復刻版 日本児童文庫 No.7、名著普及会    1981(昭和56)年6月20日発行 親本:『東洋歴史物語』日本兒童文庫、アルス    1929(昭和4)年11月5日発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1679.html NDC 分類:220(アジア史.東洋史) http://yozora.kazumi386.org/2/2/ndc220.html *難字、求めよ *むしとりホイホイ 渇仰《かつこう》 → 渇仰《かつごう》 【ご?】 しまた → ました 【まし?】 褒似 → 褒※[#「女+以」、第3水準1-15-79] 【※[#「女+以」、第3水準1-15-79]?】3か所 諸侯《しよこ》 → 諸侯《しよこう》 【う?】 侵人 → 侵入 【入?】 闔閭《かつりよ》 → 闔閭《かうりよ》 【う?】3か所 泰蘇 → 蘇秦 【蘇秦か】 すなほち → すなはち 【は?】 文學《ぶんがく》 → 文字《もじ》 【文字《もじ》では?】 以上9件。底本は左辺のとおり。 *スリーパーズ日記* 屈斜路カルデラ:クッチャロ羽幌。約12万年前に最大級の噴火。 阿蘇カルデラ(Aso4)の火山灰:9万年前。 姶良丹沢火山灰(AT):約2万5千年前、姶良カルデラの大噴火。九州から関東地方まで降灰。東北地方北部や朝鮮半島でも確認。 肘折カルデラ:約1万2千年前に噴火。 十和田カルデラ:約1万年前に東南部で噴火。 鬼界アカホヤ火山灰(K-Ah。AK)、約7,300年前の鬼界カルデラの大噴火に伴って噴出した火山灰。地層の年代決定において縄文時代の早期と前期とを分ける。 阿多カルデラ池田降下火山灰(Id-a):鹿児島湾南端の湾口部。約5500年前大噴火。 十和田火山:915年(延喜15年)大噴火。過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られる。 白頭山(長白山)苫小牧テフラ(B-Tm):10世紀。  図版は、『学研新漢和大字典』(2005.5)p.2185 および渡邊義浩『宗教から見る中国古代史』(ナツメ社、2007.12)p.61 の「春秋時代」「戦国時代」を参照。五覇や七雄の位置関係は両者でもビミョーに異なるところもあるが、中間を取った。  それ以上に問題があると思うのは、河川の流路と海岸線と湖水の大きさ。いずれも現代地図から借用したが、春秋時代の開始が紀元前770年、戦国時代の開始が紀元前403年だから、今から2400~2800年ほど前のこと。日本では縄文中期~後期、まもなく弥生時代というころにあたるらしい。海岸線が現在とまったく同じということはありえない。  とくに大河の河口部。  本文中、「渤海」はまだ登場しないけれども、地図中ではカッコ書きで示した。平均水深25m。おなじく隣の黄海は平均水深44m。「渤(ボツ)」は水のわきたつ音の意味というが、ボツの音はどうしても「没・沒」を連想する。  そして春秋五覇のうち、最初の覇者となったのが斉の桓公。斉は現、山東省北部、渤海湾沿岸にあたる。 2012.7.3:公開 玲瓏迷人。 すらっしゅっしゅしゅ、あなしたした~ 白波谷。はくは。白浪。印刷会社、胆管癌。印刷機のインク洗浄。 春秋、戦国、諸書百家。週刊マッシュルーム・クラウド 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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