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*週刊ミルクティー*第四巻 第三九号 200円 M-Tea*4_39-大地震調査日記(一)今村明恒 &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_39-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193152 )   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第三九号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193152 ]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193152 ) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (544KB) &color(red){定価:200円} p.133 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(65項目)p.389 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 *えるぅーーー!!! 週刊ですますノート* (略)このとき大地震後三十分、もはや二十人ほどの新聞記者(うち二人は外国人)諸君が自分をかこんで説明を求められている。そこで自分は何の躊躇もなく次のとおり発表した。  発震時刻は午前十一時五十八分四十四秒で、震源は東京の南方二十六里〔約一〇四キロメートル〕すなわち伊豆大島付近の海底と推定する。そうして振幅四寸〔約十二センチメートル〕に達するほどの振動をも示しているから、東京では安政(一八五五)以来の大地震であるが、もし震源の推定に誤りがなかったら一時間以内にあるいは津波をともなうかもしれぬ。それでも波は相模湾の内、ことに小田原方面に著しく、東京湾はかならず無事であろう。また今後、多少の余震は継続せんも、大地震は決してかさねておこるまい。  なお、外国記者の念入りの質問に対して、地震の性質の非火山性にして、構造性なるべきことをつけくわえておいた。  こう発表している真最中、午後〇時四十分に余震中のもっとも強く感じたものの一つが襲来した。(大地震調査日記「九月一日」より)    帝都復興策に民心を鼓舞している今日、思いおこすことはイタリア、メッシーナ市の復興である。同市は前にも述べたとおり十五年前の大震災により、火災こそおこさなかったとはいえ、市街は全滅して十三万八〇〇〇の人口中八万三〇〇〇は無惨な圧死をとげた。当時は破壊物の取りかたづけでさえ疑われ、自然、イタリア名物の廃虚となるだろうと予想されていた。自分はこの廃虚を訪うつもりで昨年メッシーナに行ってみると、あにはからんや、廃虚どころかこの十四年間に市街は立派に回復され、人口は十五万人をかぞえ、以前にも増した繁昌である。ただし、いつも震災には無頓着なイタリア人もこのときだけはこりたものと見えて、道路をおおいにひろげ、公園を増し、高層家屋をよして、やむなき場合にかぎり三層とし、最多数は二層以下である。それで自分は一見、ああ、これが地震国の都市かなと感じたのである。(「大地震雑話」より) &ref(map4_39_Italia.png) &ref(map4_39_sagami.png) &ref(map4_39_tokyo.png) #ref(4_39.rm) (朗読:RealMedia 形式 516KB、4'11'') [[milk_tea_4_39.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=341&file=milk_tea_4_39.html]] (html ソーステキスト版 160KB) 今村明恒 いまむら あきつね 1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1) 地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(今村明恒){今村明恒}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『手記で読む関東大震災』シリーズ日本の歴史災害 第5巻、古今書院    2005(平成17)年11月11日 初版第1刷発行 初出:「大地震調査日記」『科学知識』科学知識普及会    1923(大正12)年10月号 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html NDC 分類:453(地球科学.地学 / 地震学) http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html *難字、求めよ *むしとりほいほい 減小 → 減少 【少か】 うみかぜ → かわかぜ 【かわ?】 駆逐艦名。 再近 → 最近 【最か】 池の端 → 池之端 【之か】 東京の地名。 以上4件。底本は左辺のとおり。 *スリーパーズ日記*  新月か。穀雨。  ムスカリ、ハクモクレン開花。  寺田寅彦と今村明恒の日記を比較すると、寺田の冷静沈着・傍観的な姿勢に対して、今村がいかに地震学渦中の当事者であったかということがわかる。  今村明恒のことを「悲劇の人」と形容している書籍やTV報道をたびたび目にするが、ほんとうにそうだったのか疑問がある。  今村が記した「地震の話」「火山の話」『地震の国』、それから今回の「大地震調査日記」を読むかぎり、彼の筆には“悲観”がほとんど見られない。まったくないわけではないが、将来への諦観にうちのめされたような陰湿さ・絶望を感じることはない。行動力、態度、調査研究の継続。  なによりも、笑顔の近影に「悲劇の人」というイメージはまったくない。  ところで、寺田寅彦のこと。  長岡半太郎・石原純という電気物理学の系統でありながら、同時に今村明恒・中村清二・加藤武夫ら地球物理学の系統にもあって震災予防調査会に籍を置く。電気学と地学を越境し、文学と科学を越境し、研究者と非研究者を越境する身軽さと意志。  寺田寅彦『地球物理学』、そろそろ読まねばなるまい。  明治東京地震について。  1894年(明治27)6月20日発生。M7.0。死者31人、負傷者157人。東京の下町と神奈川県横浜市、川崎市を中心に被害をもたらした(Wikipedia 出典不明)。/震源地は東京湾北部。神田・本所・深川で全半壊多く、死者も31人出た(『新版 地学事典』平凡社、2005.5)。  Wikipedia と『新版 地学事典』はほぼ同じ内容だけれども、今村明恒の本文には「明治二十七年(一八九四)東京地震(震源、鴻の巣・桶川地方)」とある。日付は不明。鴻巣・桶川は埼玉県北東~中部。鴻巣や桶川のWikipedia 解説を読んでも、明治にそんな地震があったことは記していない。 2012.5.1:公開 2012.5.31:更新 玲瓏迷人。 poorbook G3'99/しだ 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*週刊ミルクティー*第四巻 第三九号 200円 M-Tea*4_39-大地震調査日記(一)今村明恒 &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_39-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193152)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第三九号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193152]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193152) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (544KB) &color(red){定価:200円} p.133 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(65項目)p.389 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 *えるぅーーー!!! 週刊ですますノート* (略)このとき大地震後三十分、もはや二十人ほどの新聞記者(うち二人は外国人)諸君が自分をかこんで説明を求められている。そこで自分は何の躊躇もなく次のとおり発表した。  発震時刻は午前十一時五十八分四十四秒で、震源は東京の南方二十六里〔約一〇四キロメートル〕すなわち伊豆大島付近の海底と推定する。そうして振幅四寸〔約十二センチメートル〕に達するほどの振動をも示しているから、東京では安政(一八五五)以来の大地震であるが、もし震源の推定に誤りがなかったら一時間以内にあるいは津波をともなうかもしれぬ。それでも波は相模湾の内、ことに小田原方面に著しく、東京湾はかならず無事であろう。また今後、多少の余震は継続せんも、大地震は決してかさねておこるまい。  なお、外国記者の念入りの質問に対して、地震の性質の非火山性にして、構造性なるべきことをつけくわえておいた。  こう発表している真最中、午後〇時四十分に余震中のもっとも強く感じたものの一つが襲来した。(大地震調査日記「九月一日」より)    帝都復興策に民心を鼓舞している今日、思いおこすことはイタリア、メッシーナ市の復興である。同市は前にも述べたとおり十五年前の大震災により、火災こそおこさなかったとはいえ、市街は全滅して十三万八〇〇〇の人口中八万三〇〇〇は無惨な圧死をとげた。当時は破壊物の取りかたづけでさえ疑われ、自然、イタリア名物の廃虚となるだろうと予想されていた。自分はこの廃虚を訪うつもりで昨年メッシーナに行ってみると、あにはからんや、廃虚どころかこの十四年間に市街は立派に回復され、人口は十五万人をかぞえ、以前にも増した繁昌である。ただし、いつも震災には無頓着なイタリア人もこのときだけはこりたものと見えて、道路をおおいにひろげ、公園を増し、高層家屋をよして、やむなき場合にかぎり三層とし、最多数は二層以下である。それで自分は一見、ああ、これが地震国の都市かなと感じたのである。(「大地震雑話」より) &ref(map4_39_Italia.png) &ref(map4_39_sagami.png) &ref(map4_39_tokyo.png) #ref(4_39.rm) (朗読:RealMedia 形式 516KB、4'11'') [[milk_tea_4_39.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=341&file=milk_tea_4_39.html]] (html ソーステキスト版 160KB) 今村明恒 いまむら あきつね 1870-1948(明治3.5.16-昭和23.1.1) 地震学者。理学博士。鹿児島県生まれ。明治38年、統計上の見地から関東地方に大地震が起こりうると説き、大森房吉との間に大論争が起こった。大正12年、東大教授に就任。翌年、地震学科の設立とともに主任となる。昭和4年、地震学会を創設、その会長となり、機関誌『地震』の編集主任を兼ね、18年間その任にあたる。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(今村明恒){今村明恒}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:『手記で読む関東大震災』シリーズ日本の歴史災害 第5巻、古今書院    2005(平成17)年11月11日 初版第1刷発行 初出:「大地震調査日記」『科学知識』科学知識普及会    1923(大正12)年10月号 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1578.html NDC 分類:453(地球科学.地学 / 地震学) http://yozora.kazumi386.org/4/5/ndc453.html *難字、求めよ *むしとりほいほい 減小 → 減少 【少か】 うみかぜ → かわかぜ 【かわ?】 駆逐艦名。 再近 → 最近 【最か】 池の端 → 池之端 【之か】 東京の地名。 以上4件。底本は左辺のとおり。 *スリーパーズ日記*  新月か。穀雨。  ムスカリ、ハクモクレン開花。  寺田寅彦と今村明恒の日記を比較すると、寺田の冷静沈着・傍観的な姿勢に対して、今村がいかに地震学渦中の当事者であったかということがわかる。  今村明恒のことを「悲劇の人」と形容している書籍やTV報道をたびたび目にするが、ほんとうにそうだったのか疑問がある。  今村が記した「地震の話」「火山の話」『地震の国』、それから今回の「大地震調査日記」を読むかぎり、彼の筆には“悲観”がほとんど見られない。まったくないわけではないが、将来への諦観にうちのめされたような陰湿さ・絶望を感じることはない。行動力、態度、調査研究の継続。  なによりも、笑顔の近影に「悲劇の人」というイメージはまったくない。  ところで、寺田寅彦のこと。  長岡半太郎・石原純という電気物理学の系統でありながら、同時に今村明恒・中村清二・加藤武夫ら地球物理学の系統にもあって震災予防調査会に籍を置く。電気学と地学を越境し、文学と科学を越境し、研究者と非研究者を越境する身軽さと意志。  寺田寅彦『地球物理学』、そろそろ読まねばなるまい。  明治東京地震について。  1894年(明治27)6月20日発生。M7.0。死者31人、負傷者157人。東京の下町と神奈川県横浜市、川崎市を中心に被害をもたらした(Wikipedia 出典不明)。/震源地は東京湾北部。神田・本所・深川で全半壊多く、死者も31人出た(『新版 地学事典』平凡社、2005.5)。  Wikipedia と『新版 地学事典』はほぼ同じ内容だけれども、今村明恒の本文には「明治二十七年(一八九四)東京地震(震源、鴻の巣・桶川地方)」とある。日付は不明。鴻巣・桶川は埼玉県北東~中部。鴻巣や桶川のWikipedia 解説を読んでも、明治にそんな地震があったことは記していない。 2012.5.1:公開 2012.5.31:更新 玲瓏迷人。 poorbook G3'99/しだ 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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