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*M-Tea*4_21-蒲生氏郷(二)幸田露伴 *2011.12.17 第四巻 第二一号 &link_wikipedia(蒲生氏郷){蒲生氏郷}(二) 幸田露伴   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_21-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/180069)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第二一号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/180069]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/180069) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (736KB) &color(red){定価:200円} p.179 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(82項目)p.624 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *えこーずでしょうか、いいえ週刊みぽりん*  (略)&link_wikipedia(伊達政宗){政宗}も&link_wikipedia(底倉){底倉}(そこくら)幽居を命ぜられた折に、心配の最中でありながら&link_wikipedia(千利休){千ノ利休}を師として茶事を学んで、秀吉をして「辺鄙(ひな)の都人」だと嘆賞させたが、氏郷は早くより茶道を愛して、しかも利休門下の高足〔高弟のこと。〕であった。(略)また氏郷があるときに古い古い油を運ぶ竹筒を見て、その器をおもしろいと感じ、それを花生けにして水仙の花を生け、これも当時風雅をもって鳴っていた&link_wikipedia(古田織部){古田織部}に与えたという談が伝わっている。織部はいまに&link_wikipedia(織部流){織部流}の茶道をも花道をも織部好みの建築や器物の意匠をも遺している人で、利休に雁行すべき侘道の大宗匠であり、利休より一段簡略な、&link_wikipedia(侘){侘}(わび)に徹した人である。氏郷のその花生けの形は普通に「舟」という竹の釣花生けに似たものであるが、舟とはすこし異なったところがあるので、今にその形を模した花生けを舟とはいわずに、「油さし」とも「油筒」ともいうのは最初の因縁からおこってきているのである。古い油筒を花生けにするなんというのは、もう風流において普通を超えて宗匠分になっていなくてはできぬ作略で、宗匠の指図や道具屋の入れ知恵を受け取っている分際の茶人のことではない。(略)天下指折りの大名でいながら古油筒のおもしろみを見つけるところはうれしい。(略)氏郷がわびの趣味を解して油筒を花器に使うまで踏込んでいたのは利休の教えを受けた故ばかりではあるまい、たしかに料簡の据えどころを合点して何にも徹底することのできる人だったからであろう。しかも油筒ごとき微物をとりあげるほどの細かい人かと思えば、&link_wikipedia(細川忠興){細川越中守}が不覚に氏郷所有の佐々木の鐙を所望したときには、それが蒲生重代の重器であったにかかわらず(略)真物を与えた。(略)竹の油筒を掘り出して賞美するかと思えば、ケチではない人だ、家重代のものをも惜し気なく親友の所望には任せる。なかなかおもしろい心の行きかたを持った人だった。 #ref(4_21.rm) (朗読:RealMedia 形式 524KB、4'15'') [[milk_tea_4_21.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=319&file=milk_tea_4_21.html]] (html ソーステキスト版 236KB) 幸田露伴 こうだ ろはん 1867-1947(慶応3.7.23-昭和22.7.30) 本名、成行(しげゆき)。江戸(現東京都)下谷生れ。小説家。別号には、蝸牛庵、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など。『風流仏』で評価され、「五重塔」「運命」などの作品で文壇での地位を確立。&link_wikipedia(尾崎紅葉){尾崎紅葉}とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。第1回文化勲章受章。娘の文は随筆家。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(幸田露伴){幸田露伴}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「昭和文学全集 第4巻」小学館    1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行 底本の親本:「露伴全集 第十六巻」岩波書店    1978(昭和53)年 http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card2709.html NDC 分類:289(伝記 / 個人伝記) http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc289.html *年表 一五五六 &link_wikipedia(蒲生氏郷){蒲生氏郷}、生まれる。 一五五七 &link_wikipedia(片倉景綱){片倉小十郎景綱}、生まれる。 永禄一〇(一五六七) &link_wikipedia(伊達政宗){伊達政宗}、生まれる。 一五六八 &link_wikipedia(伊達成実){伊達成実}、生まれる。 一五六八 主家の&link_wikipedia(六角氏){六角氏}が&link_wikipedia(織田信長){織田信長}によって滅ぼされたため、蒲生賢秀は&link_wikipedia(織田氏){織田氏}に臣従。このとき、嫡男の鶴千代丸(後年の氏郷)は十三歳で人質として岐阜の信長のもとに送られる。 一五六九 信長、鶴千代丸に元服をさせて、信長の弾正ノ忠の「忠」の字にちなみ、忠三郎秀賦〔賦秀か〕と名のらせて婿にする。 一五六九年八月 信長が伊勢の国司の北畠と戦ったとき、鶴千代丸(十四歳)は初陣をむかえる。冬、十二になる女子(&link_wikipedia(冬姫){冬姫})を与えて岐阜で式をおこない、乳人加藤次兵衛をそえて、江州&link_wikipedia(日野){日野}の城主とする。 天正一五(一五八七) 九州征伐。&link_wikipedia(堀秀政){堀秀政}の攻めあぐんだ巌石の城〔現、福岡県&link_wikipedia(岩石城){岩石城}か〕に&link_wikipedia(熊井越中守){熊井越中守}を攻め伏せる。 天正一六(一五八八) 秀吉が&link_wikipedia(聚楽第){聚楽の第}を造ったその年、氏郷は伊勢の四五百森へ城を築いて、これを松坂と呼んだ。当時、正四位下左近衛少将に任官し、十八万石を領するに至る。 天正一八(一五九〇)二月七日 蒲生氏郷の軍、&link_wikipedia(小田原攻め){小田原}北条攻めのために&link_wikipedia(松坂){松坂}を立つ。 天正一八(一五九〇)五月三日夜 &link_wikipedia(北条氏房){北条氏房}、&link_wikipedia(広沢重信){広沢重信}をして夜討ちをかけさせる。七月二日に氏房がまた&link_wikipedia(春日左衛門尉){春日左衛門尉}をして夜討ちをかけさせる。 天正一八(一五九〇)八月十七日 氏郷、小田原陣の功により、伊勢松坂(十八万石)より陸奥&link_wikipedia(会津){会津}に移封、四十二万石の大領を与えられる。 天正一八(一五九〇)一〇月 新領主として&link_wikipedia(木村吉清){木村吉清}・&link_wikipedia(木村清久){清久}親子が&link_wikipedia(葛西){葛西}・&link_wikipedia(大崎){大崎}へ入る。木村清久は&link_wikipedia(名生城){名生城}(大崎市古川大崎)、木村吉清は&link_wikipedia(寺池城){寺池城}(登米市登米町)に拠点を置く。 天正一八(一五九〇)一〇月二三日 &link_wikipedia(大崎・葛西一揆){大崎葛西一揆}はじまる。 天正一八(一五九〇)一一月五日 木村父子、佐沼から氏郷へ援を請い、氏郷、会津を立つ。氏郷このとき三十五歳。 一五九一 大崎・葛西一揆、&link_wikipedia(九戸政実){九戸政実}の乱を制圧。 天正二十年/文禄元(一五九二) &link_wikipedia(朝鮮陣){朝鮮陣}。氏郷、会津から京までのぼって行ったおりの紀行をものしたものが今に遺る。 文禄四(一五九五)二月 蒲生氏郷、京都の伏見蒲生屋敷において死去。享年40。 慶長六(一六〇一)三月 家康、江州蒲生郡を政宗に賜わる。 寛永一三(一六三六)五月 伊達政宗、江戸で死亡。享年70。 ----------------------------------- 弘治元(一五五五)八月 会津に大地震。 (田中『日本天変地異記』) 天正十三年一一月(一五八六.一.一八) &link_wikipedia(天正大地震){天正大地震}(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震)M 7.8〜8.1、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1か月以上続く。 文禄五年閏七月(一五九六.九.四) 大分地震(&link_wikipedia(豊後地震){豊後地震})M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。 慶長元年閏七月(一五九六.九.五) 伏見大地震(&link_wikipedia(慶長京都地震){慶長京都地震})M 7.0〜7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。 慶長三年四月 &link_wikipedia(浅間山){浅間山}が噴火。 慶長三年八月 豊臣秀吉、死去。 慶長八年二月 徳川家康、征夷大将軍に任じられ、江戸幕府が成立。 慶長九年一二月一六日(一六〇五.二.三) &link_wikipedia(慶長地震){慶長地震}(東海・南海・東南海連動型地震)M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。 慶長一〇(一六〇五)四月 秀忠が将軍職に就任。 慶長一〇年九月 &link_wikipedia(八丈島){八丈島}が噴火。 慶長一〇年一一月 浅間山が噴火。 慶長一六年八月二一日(一六一一.九.二七) &link_wikipedia(会津地震){会津地震}M 6.9、死者3,700人。 慶長一六年一〇月(一六一一.一二.二) &link_wikipedia(慶長三陸地震){慶長三陸地震}M 8.1、死者約2,000〜5,000人。 慶長一九(一六一四)一一月一五日 大坂冬の陣。 一六一五年六月二六日 &link_wikipedia(江戸地震){江戸地震}M 6、死者多数。 慶長二〇(一六一五) 大坂の役にも家康とともに参戦して総大将となる。 元和二年四月(一六一六) 家康、死去。 元和二年七月(一六一六.九.九) &link_wikipedia(宮城県沖地震){宮城県沖地震}M 7.0、仙台城が破損。 ◇典拠:[[田中貢太郎『日本天変地異』年表>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/260.html]]、Wikipedia「&link_wikipedia(地震の年表){地震の年表}」 *難字、求めよ 風僧 掛算 けさん 歌章 愴凄 そうせい 茶旨 侘道 豊間城 〓 &link_wikipedia(登米寺池城){登米寺池城}か。 南の山 → 南山か 南山 みなみやま 鎌倉時代の長江庄の別称。現、南会津郡。 伊南 いなみ いな? 村名。現、伊南村(いなむら)か。南会津郡の南西部に位置する。 那賀 なか 静岡県那賀郡か。 〓 俊賢 〓 としかた &link_wikipedia(田原藤太){田原藤太}十世の孫。はじめて江州蒲生郡を領し、蒲生とよばれる。 宗禅院 町野繁仍 〓 しげより 氏郷の家臣。 雲横雪擁 李光弼 り こうひつ 広沢重信 北条方。 松本忠作 山県含雪 山崎家勝 氏郷の家臣。 鬼頭内蔵介 織田信雄の家臣か。 小山小四郎 下野の住人。田原藤太の末裔か。 満海 まんかい? 米沢の念仏行者。「政宗、満海の生まれ変わり」。 戒禅師 〓 「宋の蘇東坡、戒禅師の生まれ変わり」。 *むしとりホイホイ 狼戻 → 狠戻 【狠?】 『広辞苑』は狼戻(ろうれい)。 偏倚《へんき》 → 偏倚《へんい》 【い】 怯儒 → 怯懦 【懦】 生り代り → 生れ代り 【れ?】 亘《わたり》利八右衛門 → 亘利《わたり》八右衛門 【亘利《わたり》?】 以上、5件。底本未確認。 *スリーパーズ日記 2011.12.14 8:38 &link_wikipedia(ポメラ){ポメラ}購入2週間。&link_wikipedia(佐藤栄太){佐藤栄太}の短編校正が18件、&link_wikipedia(長岡半太郎){長岡半太郎}と幸田露伴『蒲生氏郷』の資料メモ入力がA5ルーズリーフ数ページ分、それから&link_wikipedia(武田祐吉){武田祐吉}『古事記』校正が底本換算で13ページ分と日記入力。 メモ入力は横書きで、テキスト校正は縦書きでと頻繁に使い分けている。ファイルごとに縦横仕様を記憶してくれるわけではないので、ぜひとも横書き/縦書きのショートカットキーを用意してほしいところ!! 2画面表示モードも同期スクロールしてくれるわけではないので、オリジナルと現代表記を並べて編集するとか、原文と翻訳文を並べて編集するような使い方には難があると思う。注記一覧や新旧漢字一覧のようなファイルを参照するには適している。 テキスト分割には「一通両断! 1.1.1」、結合には「TextChain 1.5.2」、ファイルネーム変更には「Name Editor 1.0.1 PPC」を試用(Mac OS 9.2)。佐藤栄太テキスト6万文字(124KB)は、タイトル直前に分割記号を手入力のうえで20分割。武田祐吉『古事記』16万文字(320KB)は、見出し字下げの注記を利用して23分割。「02kochu_kojiki.txt_01.txt」のような行儀の悪い拡張子のままでうっかりポメラ側へ持っていってしまったものの、すんなりと認識・編集できた。 SDカードを100%信用していいものか判断つかず、ややもすると、PCにオリジナル、SDカードにそのコピー、ポメラにそのコピー、ポメラ編集後にコピー2、SDカードにコピー2のコピー、PCにコピー2のコピー、といったようなバックアップのドッペルゲンガー・シンドロームに見舞われることになる。めまいにも似たなつかしさ。 2ちゃんなどのレビューにあるような、筐体のゆがみはとくにない。中央下のたわみや段差もなし。各ゴム足もいまのところしっかりしている。入力中のガタつきもない。PowerBook や iBook よりもよほどしっかりしてるんじゃまいかゴム足。 座卓で利用するような、手首がひじよりも上になるばあいには、変換のためのスペースバーを親指で打つたびに手前の段差がじゃまをして打てない……という症状はたしかにある。手首の位置がひじとフラットもしくはそれ以下になるときには、スペース前の段差が気になることはまったくない。 (以上、iBook 入力。) ----------------------------------- 2011/12/13 19:03 晴れ。 ホームセンターにてパナソニックのソーラーパネル・バッテリーライトを見る。単三形充電地&link_wikipedia(レボルタ){レボルタ}2本がついて4800円。「太陽光フル充電に15時間」というのが気に入らない。 ・タブレットの件。 ・iPod の件。 ・目の疲れの件。 夕方、直産店にてリンゴの味見。 2011/12/13 20:09 佐藤栄太テキスト全19件、校正終了!! ----------------------------------- 2011/12/14 晴れ。 昨日、佐藤栄太の校正が全終了。今日は『蒲生氏郷』2のメモ入力が30分。残り2時間まるまるを『古事記』校正のつづき。 鼻水はだいぶよくなったが、まだ、のどがイガラっぽい。 台所のゴミかたづけ、シンクみがき、シャツの洗濯。 ポメラのおもてと画面をスキャンしてみる。やはり、うまくいかず。 ----------------------------------- 2011/12/15 01:27 ほぉーー、ポメラの表計算CSV機能をはじめて使ってみる。期待しなかったわりに使えそう。編集中、文字の拡大縮小にあわせて窓の幅も変更される。文字を小さくすることで全体をおおまかに見渡すことができるようになる。もちろん、カット&ペーストができるので、シフトキーを押しながらグループ選択して単純な移動が可能。 2011/12/15 02:01 お、バッテリーアイコンが減少。 ----------------------------------- 2011/12/16 19:04 18:00 工程表ステップ2、完了宣言。 鼻水、のどともにかなり改善。 2011/12/16 20:09 あれ、今日になってまたボタン電池のアイコンが点滅??? Ctrl+カーソルキーが機能してくれないので、ATOKから MS-IME にしばらく切り替えてみる。 ----------------------------------- 2011/12/17 18:36 晴れ。冷たい北風。 乾電池アイコン減少3日目。 2011/12/17 18:51 ん、単三エネループ交換。時刻設定がクリアに? これってボタン電池の意味なくない? 3週目はバックライトをMAXで使用してみる。 ここまで、『古事記』校正40ページ分。 ----------------------------------- 2011/12/18 18:48 小雪のち晴れ。 銭湯、リンゴの箱買い700円。アイスを食べて駅前のバス停へ行くも、日曜・祝日は運休。ゴリラへ。太陽電池パネルあり。所持金なし。コンビニでピザまん・肉まん・のど飴。図書館へ。宮崎駿『出発点』、&link_wikipedia(いせひでこ){いせひでこ}『あの路』。 FM、山下達郎夫婦放談、ららパークへ。再度図書館。 あら、今日もボタン電池アイコンが点滅・・・。 2011/12/18 19:06 『古事記』上巻、校正終了。 ----------------------------------- (以上、ポメラ日記。ほぼポメ入力。) 12.19 正午NHK、&link_wikipedia(金正日){金正日}17日、急病により死亡。69歳。 2011.12.21:公開 玲瓏迷人。 2011.12.26:更新 ぽぽぽぽポメちゅーにゅー。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*4_21-蒲生氏郷(二)幸田露伴 *2011.12.17 第四巻 第二一号 &link_wikipedia(蒲生氏郷){蒲生氏郷}(二) 幸田露伴   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_21-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/180069)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第二一号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/180069]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/180069) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (736KB) &color(red){定価:200円} p.179 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(82項目)p.624 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *えこーずでしょうか、いいえ週刊みぽりん*  (略)&link_wikipedia(伊達政宗){政宗}も&link_wikipedia(底倉){底倉}(そこくら)幽居を命ぜられた折に、心配の最中でありながら&link_wikipedia(千利休){千ノ利休}を師として茶事を学んで、秀吉をして「辺鄙(ひな)の都人」だと嘆賞させたが、氏郷は早くより茶道を愛して、しかも利休門下の高足〔高弟のこと。〕であった。(略)また氏郷があるときに古い古い油を運ぶ竹筒を見て、その器をおもしろいと感じ、それを花生けにして水仙の花を生け、これも当時風雅をもって鳴っていた&link_wikipedia(古田織部){古田織部}に与えたという談が伝わっている。織部はいまに&link_wikipedia(織部流){織部流}の茶道をも花道をも織部好みの建築や器物の意匠をも遺している人で、利休に雁行すべき侘道の大宗匠であり、利休より一段簡略な、&link_wikipedia(侘){侘}(わび)に徹した人である。氏郷のその花生けの形は普通に「舟」という竹の釣花生けに似たものであるが、舟とはすこし異なったところがあるので、今にその形を模した花生けを舟とはいわずに、「油さし」とも「油筒」ともいうのは最初の因縁からおこってきているのである。古い油筒を花生けにするなんというのは、もう風流において普通を超えて宗匠分になっていなくてはできぬ作略で、宗匠の指図や道具屋の入れ知恵を受け取っている分際の茶人のことではない。(略)天下指折りの大名でいながら古油筒のおもしろみを見つけるところはうれしい。(略)氏郷がわびの趣味を解して油筒を花器に使うまで踏込んでいたのは利休の教えを受けた故ばかりではあるまい、たしかに料簡の据えどころを合点して何にも徹底することのできる人だったからであろう。しかも油筒ごとき微物をとりあげるほどの細かい人かと思えば、&link_wikipedia(細川忠興){細川越中守}が不覚に氏郷所有の佐々木の鐙を所望したときには、それが蒲生重代の重器であったにかかわらず(略)真物を与えた。(略)竹の油筒を掘り出して賞美するかと思えば、ケチではない人だ、家重代のものをも惜し気なく親友の所望には任せる。なかなかおもしろい心の行きかたを持った人だった。 #ref(4_21.rm) (朗読:RealMedia 形式 524KB、4'15'') [[milk_tea_4_21.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=319&file=milk_tea_4_21.html]] (html ソーステキスト版 236KB) 幸田露伴 こうだ ろはん 1867-1947(慶応3.7.23-昭和22.7.30) 本名、成行(しげゆき)。江戸(現東京都)下谷生れ。小説家。別号には、蝸牛庵、笹のつゆ、雪音洞主、脱天子など。『風流仏』で評価され、「五重塔」「運命」などの作品で文壇での地位を確立。&link_wikipedia(尾崎紅葉){尾崎紅葉}とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。第1回文化勲章受章。娘の文は随筆家。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(幸田露伴){幸田露伴}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 底本:「昭和文学全集 第4巻」小学館    1989(平成元)年4月1日初版第1刷発行 底本の親本:「露伴全集 第十六巻」岩波書店    1978(昭和53)年 http://www.aozora.gr.jp/cards/000051/card2709.html NDC 分類:289(伝記 / 個人伝記) http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc289.html *年表 一五五六 &link_wikipedia(蒲生氏郷){蒲生氏郷}、生まれる。 一五五七 &link_wikipedia(片倉景綱){片倉小十郎景綱}、生まれる。 永禄一〇(一五六七) &link_wikipedia(伊達政宗){伊達政宗}、生まれる。 一五六八 &link_wikipedia(伊達成実){伊達成実}、生まれる。 一五六八 主家の&link_wikipedia(六角氏){六角氏}が&link_wikipedia(織田信長){織田信長}によって滅ぼされたため、蒲生賢秀は&link_wikipedia(織田氏){織田氏}に臣従。このとき、嫡男の鶴千代丸(後年の氏郷)は十三歳で人質として岐阜の信長のもとに送られる。 一五六九 信長、鶴千代丸に元服をさせて、信長の弾正ノ忠の「忠」の字にちなみ、忠三郎秀賦〔賦秀か〕と名のらせて婿にする。 一五六九年八月 信長が伊勢の国司の北畠と戦ったとき、鶴千代丸(十四歳)は初陣をむかえる。冬、十二になる女子(&link_wikipedia(冬姫){冬姫})を与えて岐阜で式をおこない、乳人加藤次兵衛をそえて、江州&link_wikipedia(日野){日野}の城主とする。 天正一五(一五八七) 九州征伐。&link_wikipedia(堀秀政){堀秀政}の攻めあぐんだ巌石の城〔現、福岡県&link_wikipedia(岩石城){岩石城}か〕に&link_wikipedia(熊井越中守){熊井越中守}を攻め伏せる。 天正一六(一五八八) 秀吉が&link_wikipedia(聚楽第){聚楽の第}を造ったその年、氏郷は伊勢の四五百森へ城を築いて、これを松坂と呼んだ。当時、正四位下左近衛少将に任官し、十八万石を領するに至る。 天正一八(一五九〇)二月七日 蒲生氏郷の軍、&link_wikipedia(小田原攻め){小田原}北条攻めのために&link_wikipedia(松坂){松坂}を立つ。 天正一八(一五九〇)五月三日夜 &link_wikipedia(北条氏房){北条氏房}、&link_wikipedia(広沢重信){広沢重信}をして夜討ちをかけさせる。七月二日に氏房がまた&link_wikipedia(春日左衛門尉){春日左衛門尉}をして夜討ちをかけさせる。 天正一八(一五九〇)八月十七日 氏郷、小田原陣の功により、伊勢松坂(十八万石)より陸奥&link_wikipedia(会津){会津}に移封、四十二万石の大領を与えられる。 天正一八(一五九〇)一〇月 新領主として&link_wikipedia(木村吉清){木村吉清}・&link_wikipedia(木村清久){清久}親子が&link_wikipedia(葛西){葛西}・&link_wikipedia(大崎){大崎}へ入る。木村清久は&link_wikipedia(名生城){名生城}(大崎市古川大崎)、木村吉清は&link_wikipedia(寺池城){寺池城}(登米市登米町)に拠点を置く。 天正一八(一五九〇)一〇月二三日 &link_wikipedia(大崎・葛西一揆){大崎葛西一揆}はじまる。 天正一八(一五九〇)一一月五日 木村父子、佐沼から氏郷へ援を請い、氏郷、会津を立つ。氏郷このとき三十五歳。 一五九一 大崎・葛西一揆、&link_wikipedia(九戸政実){九戸政実}の乱を制圧。 天正二十年/文禄元(一五九二) &link_wikipedia(朝鮮陣){朝鮮陣}。氏郷、会津から京までのぼって行ったおりの紀行をものしたものが今に遺る。 文禄四(一五九五)二月 蒲生氏郷、京都の伏見蒲生屋敷において死去。享年40。 慶長六(一六〇一)三月 家康、江州蒲生郡を政宗に賜わる。 寛永一三(一六三六)五月 伊達政宗、江戸で死亡。享年70。 ----------------------------------- 弘治元(一五五五)八月 会津に大地震。 (田中『日本天変地異記』) 天正十三年一一月(一五八六.一.一八) &link_wikipedia(天正大地震){天正大地震}(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震)M 7.8〜8.1、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1か月以上続く。 文禄五年閏七月(一五九六.九.四) 大分地震(&link_wikipedia(豊後地震){豊後地震})M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。 慶長元年閏七月(一五九六.九.五) 伏見大地震(&link_wikipedia(慶長京都地震){慶長京都地震})M 7.0〜7.1、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。 慶長三年四月 &link_wikipedia(浅間山){浅間山}が噴火。 慶長三年八月 豊臣秀吉、死去。 慶長八年二月 徳川家康、征夷大将軍に任じられ、江戸幕府が成立。 慶長九年一二月一六日(一六〇五.二.三) &link_wikipedia(慶長地震){慶長地震}(東海・南海・東南海連動型地震)M 7.9〜8、関東から九州までの太平洋岸に津波、紀伊・阿波・土佐などで大きな被害。八丈島でも津波による死者数十人。死者1万〜2万人と推定されるが、津波以外の被害はほとんどなかった。 慶長一〇(一六〇五)四月 秀忠が将軍職に就任。 慶長一〇年九月 &link_wikipedia(八丈島){八丈島}が噴火。 慶長一〇年一一月 浅間山が噴火。 慶長一六年八月二一日(一六一一.九.二七) &link_wikipedia(会津地震){会津地震}M 6.9、死者3,700人。 慶長一六年一〇月(一六一一.一二.二) &link_wikipedia(慶長三陸地震){慶長三陸地震}M 8.1、死者約2,000〜5,000人。 慶長一九(一六一四)一一月一五日 大坂冬の陣。 一六一五年六月二六日 &link_wikipedia(江戸地震){江戸地震}M 6、死者多数。 慶長二〇(一六一五) 大坂の役にも家康とともに参戦して総大将となる。 元和二年四月(一六一六) 家康、死去。 元和二年七月(一六一六.九.九) &link_wikipedia(宮城県沖地震){宮城県沖地震}M 7.0、仙台城が破損。 ◇典拠:[[田中貢太郎『日本天変地異』年表>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/260.html]]、Wikipedia「&link_wikipedia(地震の年表){地震の年表}」 *難字、求めよ 風僧 掛算 けさん 歌章 愴凄 そうせい 茶旨 侘道 豊間城 〓 &link_wikipedia(登米寺池城){登米寺池城}か。 南の山 → 南山か 南山 みなみやま 鎌倉時代の長江庄の別称。現、南会津郡。 伊南 いなみ いな? 村名。現、伊南村(いなむら)か。南会津郡の南西部に位置する。 那賀 なか 静岡県那賀郡か。 〓 俊賢 〓 としかた &link_wikipedia(田原藤太){田原藤太}十世の孫。はじめて江州蒲生郡を領し、蒲生とよばれる。 宗禅院 町野繁仍 〓 しげより 氏郷の家臣。 雲横雪擁 李光弼 り こうひつ 広沢重信 北条方。 松本忠作 山県含雪 山崎家勝 氏郷の家臣。 鬼頭内蔵介 織田信雄の家臣か。 小山小四郎 下野の住人。田原藤太の末裔か。 満海 まんかい? 米沢の念仏行者。「政宗、満海の生まれ変わり」。 戒禅師 〓 「宋の蘇東坡、戒禅師の生まれ変わり」。 *むしとりホイホイ 狼戻 → 狠戻 【狠?】 『広辞苑』は狼戻(ろうれい)。 偏倚《へんき》 → 偏倚《へんい》 【い】 怯儒 → 怯懦 【懦】 生り代り → 生れ代り 【れ?】 亘《わたり》利八右衛門 → 亘利《わたり》八右衛門 【亘利《わたり》?】 以上、5件。底本未確認。 *スリーパーズ日記 2011.12.14 8:38 &link_wikipedia(ポメラ){ポメラ}購入2週間。&link_wikipedia(佐藤栄太){佐藤栄太}の短編校正が18件、&link_wikipedia(長岡半太郎){長岡半太郎}と幸田露伴『蒲生氏郷』の資料メモ入力がA5ルーズリーフ数ページ分、それから&link_wikipedia(武田祐吉){武田祐吉}『古事記』校正が底本換算で13ページ分と日記入力。 メモ入力は横書きで、テキスト校正は縦書きでと頻繁に使い分けている。ファイルごとに縦横仕様を記憶してくれるわけではないので、ぜひとも横書き/縦書きのショートカットキーを用意してほしいところ!! 2画面表示モードも同期スクロールしてくれるわけではないので、オリジナルと現代表記を並べて編集するとか、原文と翻訳文を並べて編集するような使い方には難があると思う。注記一覧や新旧漢字一覧のようなファイルを参照するには適している。 テキスト分割には「一通両断! 1.1.1」、結合には「TextChain 1.5.2」、ファイルネーム変更には「Name Editor 1.0.1 PPC」を試用(Mac OS 9.2)。佐藤栄太テキスト6万文字(124KB)は、タイトル直前に分割記号を手入力のうえで20分割。武田祐吉『古事記』16万文字(320KB)は、見出し字下げの注記を利用して23分割。「02kochu_kojiki.txt_01.txt」のような行儀の悪い拡張子のままでうっかりポメラ側へ持っていってしまったものの、すんなりと認識・編集できた。 SDカードを100%信用していいものか判断つかず、ややもすると、PCにオリジナル、SDカードにそのコピー、ポメラにそのコピー、ポメラ編集後にコピー2、SDカードにコピー2のコピー、PCにコピー2のコピー、といったようなバックアップのドッペルゲンガー・シンドロームに見舞われることになる。めまいにも似たなつかしさ。 2ちゃんなどのレビューにあるような、筐体のゆがみはとくにない。中央下のたわみや段差もなし。各ゴム足もいまのところしっかりしている。入力中のガタつきもない。PowerBook や iBook よりもよほどしっかりしてるんじゃまいかゴム足。 座卓で利用するような、手首がひじよりも上になるばあいには、変換のためのスペースバーを親指で打つたびに手前の段差がじゃまをして打てない……という症状はたしかにある。手首の位置がひじとフラットもしくはそれ以下になるときには、スペース前の段差が気になることはまったくない。 (以上、iBook 入力。) ----------------------------------- 2011/12/13 19:03 晴れ。 ホームセンターにてパナソニックのソーラーパネル・バッテリーライトを見る。単三形充電地&link_wikipedia(レボルタ){レボルタ}2本がついて4800円。「太陽光フル充電に15時間」というのが気に入らない。 ・タブレットの件。 ・iPod の件。 ・目の疲れの件。 夕方、直産店にてリンゴの味見。 2011/12/13 20:09 佐藤栄太テキスト全19件、校正終了!! ----------------------------------- 2011/12/14 晴れ。 昨日、佐藤栄太の校正が全終了。今日は『蒲生氏郷』2のメモ入力が30分。残り2時間まるまるを『古事記』校正のつづき。 鼻水はだいぶよくなったが、まだ、のどがイガラっぽい。 台所のゴミかたづけ、シンクみがき、シャツの洗濯。 ポメラのおもてと画面をスキャンしてみる。やはり、うまくいかず。 ----------------------------------- 2011/12/15 01:27 ほぉーー、ポメラの表計算CSV機能をはじめて使ってみる。期待しなかったわりに使えそう。編集中、文字の拡大縮小にあわせて窓の幅も変更される。文字を小さくすることで全体をおおまかに見渡すことができるようになる。もちろん、カット&ペーストができるので、シフトキーを押しながらグループ選択して単純な移動が可能。 2011/12/15 02:01 お、バッテリーアイコンが減少。 ----------------------------------- 2011/12/16 19:04 18:00 工程表ステップ2、完了宣言。 鼻水、のどともにかなり改善。 2011/12/16 20:09 あれ、今日になってまたボタン電池のアイコンが点滅??? Ctrl+カーソルキーが機能してくれないので、ATOKから MS-IME にしばらく切り替えてみる。 ----------------------------------- 2011/12/17 18:36 晴れ。冷たい北風。 乾電池アイコン減少3日目。 2011/12/17 18:51 ん、単三エネループ交換。時刻設定がクリアに? これってボタン電池の意味なくない? 3週目はバックライトをMAXで使用してみる。 ここまで、『古事記』校正40ページ分。 ----------------------------------- 2011/12/18 18:48 小雪のち晴れ。 銭湯、リンゴの箱買い700円。アイスを食べて駅前のバス停へ行くも、日曜・祝日は運休。ゴリラへ。太陽電池パネルあり。所持金なし。コンビニでピザまん・肉まん・のど飴。図書館へ。宮崎駿『出発点』(徳間書店、1996.7)、&link_wikipedia(山本けんぞう){山本けんぞう}・&link_wikipedia(いせひでこ){いせひでこ}『あの路』(平凡社、2009.9)。 FM、山下達郎夫婦放談、ららパークへ。再度図書館。 あら、今日もボタン電池アイコンが点滅・・・。 2011/12/18 19:06 『古事記』上巻、校正終了。 ----------------------------------- (以上、ポメラ日記。ほぼポメ入力。) 12.19 正午NHK、&link_wikipedia(金正日){金正日}17日、急病により死亡。69歳。 2011.12.21:公開 玲瓏迷人。 2011.12.26:更新 ぽぽぽぽポメちゅーにゅー。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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