frame_decoration

「M-Tea*4_18-J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

M-Tea*4_18-J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎」(2011/12/04 (日) 12:17:20) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*M-Tea*4_18-J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎 *2011.11.26 第四巻 第一八号 J・J・トムソン伝  学修時代  研究生時代  実験場におけるトムソン  トムソンの研究  余談 アインシュタイン博士のこと  長岡半太郎   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_18-1.png,http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=316&file=milk_tea_4_18.zip)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第一八号】>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=316&file=milk_tea_4_18.zip]] (http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=316&file=milk_tea_4_18.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (696KB) &color(red){月末最終号:無料} p.153 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(77項目)p.444 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *右手の約束! 週刊フレーミング*  &link_wikipedia(帯電){帯電}した物体の運動は、従来あまり攻究されなかった。物体が電気を帯びたるも帯びざるも、その質量において認め得べき差あるわけはない。しかし、ひとたび運動するときは&link_wikipedia(磁性){磁性}を生ずる。仮に帯電をeとし、速度をvとすれば、磁力はevに比例す。しかして物体の周囲におけるエネルギー密度は磁力の二乗に比例するにより、帯電せる物体の運動エネルギーは、帯電せられざるときのそれと、帯電によるものとの和にて示されるゆえ、物体の見かけの質量は m + ke&sup(){2} にて与えらるべし。式中mは質量、kは正常数である。すなわち、あたかも質量が増加したるに等しいのである。その後かくのごとき問題は電子論において詳悉されたのであるが、先生はすでにこの将来ある問題に興味をよせていた。(略)  &link_wikipedia(電子){電子}の発見は電子学に対し画期的であったが、はじめは半信半疑の雲霧につつまれた。ある工学者はたわむれに、また物理学者の玩弄物が一つ加わったとあざけった。しかし電子ほど一定不変な帯電をもち、かつ小さな惰性を有するものはなかったから、これを電気力で支配するときは、好個の忠僕であった。その作用の敏速にして間違いなきは、他物のおよぶところでなかった。すなわち工業上電子を使役すれば、いかなる微妙な作用でもなしうることがだんだん確かめられた。果然、電子は電波の送受にもっぱら用いらるるようになって、現時のラジオは電子の重宝な性質を遺漏なく利用して、今日の隆盛を来たした。その他&link_wikipedia(整流器){整流器}、&link_wikipedia(X線管){X線管}、&link_wikipedia(光電管){光電管}など枚挙にいとまあらず。ついに電気工学に、電子工学の部門を構成したのも愉快である。かくのごとく純物理学と工学との連鎖をまっとうした例はまれである。   #ref(4_18.rm) (朗読:RealMedia 形式 476KB、3'52'') [[milk_tea_4_18.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=316&file=milk_tea_4_18.html]] (html ソーステキスト版 164KB) 長岡半太郎 ながおか はんたろう 1865-1950(慶応元.6.28-昭和25.12.11) 物理学者。長崎県生れ。阪大初代総長・学士院院長。土星型の原子模型を発表。光学・物理学に業績を残し、科学行政でも活躍。文化勲章。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(長岡半太郎){長岡半太郎}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 &bold(){J・J・トムソン伝} 底本:『長岡半太郎随筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社    1951(昭和26)年6月20日 発行 初出:『科学知識』    1937(昭和12)年11月12日 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1153.html &bold(){アインシュタイン博士のこと} 底本:『長岡半太郎随筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社    1951(昭和26)年6月20日 発行 初出:『科学朝日』    1948(昭和23)年1月 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1153.html NDC 分類:289(伝記 / 個人伝記) http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc289.html NDC 分類:429(物理学 / 原子物理学) http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc429.html *難字、求めよ 賛辞を唆(そそ)る ? 剖? 剖判(ほうはん)か。(1) 天地などの開けわかれること。開闢。(2) はっきりと区別がつくこと。 *むしとりホイホイ 平時にあてり → 平時にありて 【ありて、か】 導嚮 → 嚮導 【上下逆か】 底本は左辺のとおり。 *年表 一八五六(安政三) &link_wikipedia(ジョセフ・トムソン){ジョセフ・トムソン}、マンチェスターに生まれる。 一八七四年まで 英国では、現今実験場というべきものは欠けていた。 一八七九 &link_wikipedia(マックスウェル){マックスウェル}、没。 一八八〇 トムソン、試験を終え、B. A.(学士)の学位を得る。 一八八二 トムソン、原子論から見た渦環運動の研究に対してアダムス賞を授与。 一八八四 トムソン、&link_wikipedia(カヴェンジッシュ実験場){カヴェンジッシュ実験場}を主宰。二十八歳。 一八八八年来 &link_wikipedia(ヘルツ){ヘルツ}の実験により電波を検出する方法が講ぜられる。 一八九三 トムソン『Recent Researches in Electricity and Magnetism』刊。 一八九六 門弟&link_wikipedia(ラザフォード){ラザフォード}、&link_wikipedia(磁気検波器){磁気検波器}を案出し一マイルの距離で電波を受ける装置を作ったが、あまり発展せずしてやめる。 一八九七年四月二九日 トムソン、&link_wikipedia(長岡半太郎){長岡半太郎}ローヤル・インスティテューションにおいて公開講演。 一九一八年以来 トムソン、ケンブリッジ大学&link_wikipedia(トリニティー・カレッジ){トリニティー・カレッジ}のマスターとなり、その校内に住む。 一九三六年一二月 トムソン、八十歳。記念のためその間の追憶と回想を著す。 一九三七(昭和一二)一一月一二日 長岡半太郎「J・J・トムソン伝」『&link_wikipedia(科学知識){科学知識}』。 ----------------------------------- 一九一四 &link_wikipedia(アインシュタイン){アインシュタイン}、ベルリン学士院会員ならびに大学教授にあげられる。三十五歳。 一九二二 アインシュタイン、本邦に来遊し諸所で講演。 一九四八(昭和二三)一月 長岡半太郎「アインシュタイン博士のこと」『&link_wikipedia(科学朝日){科学朝日}』。 *スリーパーズ日記  &link_wikipedia(福永光司){福永光司}・&link_wikipedia(千田稔){千田稔}・&link_wikipedia(高橋徹){高橋徹}『日本の道教遺跡を歩く』(朝日新聞社、2003.10)読了。後半部「道教について」、千田と高橋の質問に福永が答えるかたちで概説を述べている。   「&link_wikipedia(正一盟威){正一盟威}の道の教えの祖型〔&link_wikipedia(五斗米道){五斗米道}〕を奉戴する&link_wikipedia(三張){三張}道教が、昔の蜀の国、現在の&link_wikipedia(四川省){四川省}を根拠地にして道教を説き、たくさんの信者を獲得しました。(略)中世の大坂の&link_wikipedia(石山本願寺){石山本願寺}を中心にした&link_wikipedia(一向一揆){一向宗一揆}はこれをモデルにしているのではないかと思います。&link_wikipedia(一向宗){一向宗}の最も重んずる経典『&link_wikipedia(仏説無量寿経){仏説無量寿経}』は、三張最後の&link_wikipedia(張魯){張魯}教団の教義解説書とされる『&link_wikipedia(老子想爾注){老子想爾注}』と用語・思想表現とも全く共通の基盤の上に立っています。」 「&link_wikipedia(張陵){張陵}とその子の&link_wikipedia(張衡){張衡}、そして孫の&link_wikipedia(張魯){張魯}の三代にわたって、勢力を広げ、中でも張魯は政治的・社会的・軍事的にもすぐれた能力をもち、宗教的な独立の王国をつくるわけです。それで魏の&link_wikipedia(曹操){曹操}に攻められ、降参することになりますが、それは建安二十年(二一五) のことです。石山本願寺が&link_wikipedia(織田信長){信長}に攻められますが、それとよく似ています. その後、張氏は政治的・軍事的活動は禁じられ、江西の&link_wikipedia(竜虎山){竜虎山}に移って宗教教団の統率者——天師としてのみ存続します。」(以上、p.249より)  『季刊 &link_wikipedia(東北学){東北学} 東北の海・&link_wikipedia(東日本大震災){東日本大震災} (3)』(第29号、2011.10)、&link_wikipedia(山下克明){山下克明}『陰陽道の発見』(NHK出版、2010.6)読了。  &link_wikipedia(陰陽道){陰陽道}入門書を数冊手にとってみて、目次に「災害」「災異」「怪異」の文字が記してあったのが本書。&link_wikipedia(天地災異祭){天地災異祭}なる朝廷主催の祭祀などにも若干だがふれてある。   ・&link_wikipedia(嵯峨天皇){嵯峨天皇}「&link_wikipedia(卜筮){卜筮}を信ずること無かれ」と遺言。 ・&link_wikipedia(宇多天皇){宇多天皇}「小怪・小異によって、以て軽々に&link_wikipedia(神祇){神祇}・陰陽等を召すことを忌むべし」    嵯峨天皇が 842年の没、宇多天皇が 931年の没。あいだに5代の天皇がおり、平安時代初期の地震・火山の活動期にあたる。この時期の文章博士が&link_wikipedia(三善清行){三善清行}(847-918)と、彼のライバルでのちに失脚させられる&link_wikipedia(菅原道真){菅原道真}(845-903)。両者とも儒家であるが、陰陽・術数に強い関心を持つ三善清行に対して、道真は一定の距離をおいていたと山下は見る。  災異年表を見るかぎりその後、地震・火山活動は終息に向かうが、逆に時代は摂関藤原家の隆盛期となり、ひろく周知のとおり&link_wikipedia(安倍晴明){安倍晴明}や&link_wikipedia(藤原道長){藤原道長}、&link_wikipedia(紫式部){紫式部}の登場をむかえることとなる。 2011.11.28:公開 玲瓏迷人。 2011.12.4:更新 グレート義太夫うんこくさいいえもとかってこいだんしがしんだ昇天。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*4_18-J・J・トムソン伝(他)長岡半太郎 *2011.11.26 第四巻 第一八号 J・J・トムソン伝  学修時代  研究生時代  実験場におけるトムソン  トムソンの研究  余談 アインシュタイン博士のこと  長岡半太郎   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_18-1.png,http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=316&file=milk_tea_4_18.zip)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第一八号】>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=316&file=milk_tea_4_18.zip]] (http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=316&file=milk_tea_4_18.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (696KB) &color(red){月末最終号:無料} p.153 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(77項目)p.444 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *右手の約束! 週刊フレーミング*  &link_wikipedia(帯電){帯電}した物体の運動は、従来あまり攻究されなかった。物体が電気を帯びたるも帯びざるも、その質量において認め得べき差あるわけはない。しかし、ひとたび運動するときは&link_wikipedia(磁性){磁性}を生ずる。仮に帯電をeとし、速度をvとすれば、磁力はevに比例す。しかして物体の周囲におけるエネルギー密度は磁力の二乗に比例するにより、帯電せる物体の運動エネルギーは、帯電せられざるときのそれと、帯電によるものとの和にて示されるゆえ、物体の見かけの質量は m + ke&sup(){2} にて与えらるべし。式中mは質量、kは正常数である。すなわち、あたかも質量が増加したるに等しいのである。その後かくのごとき問題は電子論において詳悉されたのであるが、先生はすでにこの将来ある問題に興味をよせていた。(略)  &link_wikipedia(電子){電子}の発見は電子学に対し画期的であったが、はじめは半信半疑の雲霧につつまれた。ある工学者はたわむれに、また物理学者の玩弄物が一つ加わったとあざけった。しかし電子ほど一定不変な帯電をもち、かつ小さな惰性を有するものはなかったから、これを電気力で支配するときは、好個の忠僕であった。その作用の敏速にして間違いなきは、他物のおよぶところでなかった。すなわち工業上電子を使役すれば、いかなる微妙な作用でもなしうることがだんだん確かめられた。果然、電子は電波の送受にもっぱら用いらるるようになって、現時のラジオは電子の重宝な性質を遺漏なく利用して、今日の隆盛を来たした。その他&link_wikipedia(整流器){整流器}、&link_wikipedia(X線管){X線管}、&link_wikipedia(光電管){光電管}など枚挙にいとまあらず。ついに電気工学に、電子工学の部門を構成したのも愉快である。かくのごとく純物理学と工学との連鎖をまっとうした例はまれである。   #ref(4_18.rm) (朗読:RealMedia 形式 476KB、3'52'') [[milk_tea_4_18.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=316&file=milk_tea_4_18.html]] (html ソーステキスト版 164KB) 長岡半太郎 ながおか はんたろう 1865-1950(慶応元.6.28-昭和25.12.11) 物理学者。長崎県生れ。阪大初代総長・学士院院長。土星型の原子模型を発表。光学・物理学に業績を残し、科学行政でも活躍。文化勲章。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(長岡半太郎){長岡半太郎}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 &bold(){J・J・トムソン伝} 底本:『長岡半太郎随筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社    1951(昭和26)年6月20日 発行 初出:『科学知識』    1937(昭和12)年11月12日 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1153.html &bold(){アインシュタイン博士のこと} 底本:『長岡半太郎随筆集 原子力時代の曙』朝日新聞社    1951(昭和26)年6月20日 発行 初出:『科学朝日』    1948(昭和23)年1月 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1153.html NDC 分類:289(伝記 / 個人伝記) http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc289.html NDC 分類:429(物理学 / 原子物理学) http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc429.html *難字、求めよ 賛辞を唆(そそ)る ? 剖? 剖判(ほうはん)か。(1) 天地などの開けわかれること。開闢。(2) はっきりと区別がつくこと。 *むしとりホイホイ 平時にあてり → 平時にありて 【ありて、か】 導嚮 → 嚮導 【上下逆か】 底本は左辺のとおり。 *年表 一八五六(安政三) &link_wikipedia(ジョセフ・トムソン){ジョセフ・トムソン}、マンチェスターに生まれる。 一八七四年まで 英国では、現今実験場というべきものは欠けていた。 一八七九 &link_wikipedia(マックスウェル){マックスウェル}、没。 一八八〇 トムソン、試験を終え、B. A.(学士)の学位を得る。 一八八二 トムソン、原子論から見た渦環運動の研究に対してアダムス賞を授与。 一八八四 トムソン、&link_wikipedia(カヴェンジッシュ実験場){カヴェンジッシュ実験場}を主宰。二十八歳。 一八八八年来 &link_wikipedia(ヘルツ){ヘルツ}の実験により電波を検出する方法が講ぜられる。 一八九三 トムソン『Recent Researches in Electricity and Magnetism』刊。 一八九六 門弟&link_wikipedia(ラザフォード){ラザフォード}、&link_wikipedia(磁気検波器){磁気検波器}を案出し一マイルの距離で電波を受ける装置を作ったが、あまり発展せずしてやめる。 一八九七年四月二九日 トムソン、&link_wikipedia(ローヤル・インスティテューション){ローヤル・インスティテューション}において公開講演。 一九一八年以来 トムソン、ケンブリッジ大学&link_wikipedia(トリニティー・カレッジ){トリニティー・カレッジ}のマスターとなり、その校内に住む。 一九三六年一二月 トムソン、八十歳。記念のためその間の追憶と回想を著す。 一九三七(昭和一二)一一月一二日 長岡半太郎「J・J・トムソン伝」『&link_wikipedia(科学知識){科学知識}』。 ----------------------------------- 一九一四 &link_wikipedia(アインシュタイン){アインシュタイン}、ベルリン学士院会員ならびに大学教授にあげられる。三十五歳。 一九二二 アインシュタイン、本邦に来遊し諸所で講演。 一九四八(昭和二三)一月 長岡半太郎「アインシュタイン博士のこと」『&link_wikipedia(科学朝日){科学朝日}』。 *スリーパーズ日記  &link_wikipedia(福永光司){福永光司}・&link_wikipedia(千田稔){千田稔}・&link_wikipedia(高橋徹){高橋徹}『日本の道教遺跡を歩く』(朝日新聞社、2003.10)読了。後半部「道教について」、千田と高橋の質問に福永が答えるかたちで概説を述べている。   「&link_wikipedia(正一盟威){正一盟威}の道の教えの祖型〔&link_wikipedia(五斗米道){五斗米道}〕を奉戴する&link_wikipedia(三張){三張}道教が、昔の蜀の国、現在の&link_wikipedia(四川省){四川省}を根拠地にして道教を説き、たくさんの信者を獲得しました。(略)中世の大坂の&link_wikipedia(石山本願寺){石山本願寺}を中心にした&link_wikipedia(一向一揆){一向宗一揆}はこれをモデルにしているのではないかと思います。&link_wikipedia(一向宗){一向宗}の最も重んずる経典『&link_wikipedia(仏説無量寿経){仏説無量寿経}』は、三張最後の&link_wikipedia(張魯){張魯}教団の教義解説書とされる『&link_wikipedia(老子想爾注){老子想爾注}』と用語・思想表現とも全く共通の基盤の上に立っています。」 「&link_wikipedia(張陵){張陵}とその子の&link_wikipedia(張衡){張衡}、そして孫の&link_wikipedia(張魯){張魯}の三代にわたって、勢力を広げ、中でも張魯は政治的・社会的・軍事的にもすぐれた能力をもち、宗教的な独立の王国をつくるわけです。それで魏の&link_wikipedia(曹操){曹操}に攻められ、降参することになりますが、それは建安二十年(二一五) のことです。石山本願寺が&link_wikipedia(織田信長){信長}に攻められますが、それとよく似ています. その後、張氏は政治的・軍事的活動は禁じられ、江西の&link_wikipedia(竜虎山){竜虎山}に移って宗教教団の統率者——天師としてのみ存続します。」(以上、p.249より)  『季刊 &link_wikipedia(東北学){東北学} 東北の海・&link_wikipedia(東日本大震災){東日本大震災} (3)』(第29号、2011.10)、&link_wikipedia(山下克明){山下克明}『陰陽道の発見』(NHK出版、2010.6)読了。  &link_wikipedia(陰陽道){陰陽道}入門書を数冊手にとってみて、目次に「災害」「災異」「怪異」の文字が記してあったのが本書。&link_wikipedia(天地災異祭){天地災異祭}なる朝廷主催の祭祀などにも若干だがふれてある。   ・&link_wikipedia(嵯峨天皇){嵯峨天皇}「&link_wikipedia(卜筮){卜筮}を信ずること無かれ」と遺言。 ・&link_wikipedia(宇多天皇){宇多天皇}「小怪・小異によって、以て軽々に&link_wikipedia(神祇){神祇}・陰陽等を召すことを忌むべし」    嵯峨天皇が 842年の没、宇多天皇が 931年の没。あいだに5代の天皇がおり、平安時代初期の地震・火山の活動期にあたる。この時期の文章博士が&link_wikipedia(三善清行){三善清行}(847-918)と、彼のライバルでのちに失脚させられる&link_wikipedia(菅原道真){菅原道真}(845-903)。両者とも儒家であるが、陰陽・術数に強い関心を持つ三善清行に対して、道真は一定の距離をおいていたと山下は見る。  災異年表を見るかぎりその後、地震・火山活動は終息に向かうが、逆に時代は摂関藤原家の隆盛期となり、ひろく周知のとおり&link_wikipedia(安倍晴明){安倍晴明}や&link_wikipedia(藤原道長){藤原道長}、&link_wikipedia(紫式部){紫式部}の登場をむかえることとなる。 2011.11.28:公開 玲瓏迷人。 2011.12.4:更新 グレート義太夫うんこくさいいえもとかってこいだんしがしんだ昇天。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: