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*M-Tea*4_17-原子力の管理(他)仁科芳雄 *2011.11.19 第四巻 第一七号 原子力の管理  一 緒言  二 原子爆弾の威力  三 原子力の管理   日本再建と科学  一.緒言  二.科学の役割  三.科学の再建  四.科学者の組合組織  五.科学教育  六.結語   ユネスコと科学 国民の人格向上と科学技術   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_17-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/174686)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第一七号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/174686]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/174686) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (620KB) &color(red){定価:200円} p.160 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(32項目)p.327 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中および公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *恋は分裂! 週刊プルトニック・ラブ*  &link_wikipedia(原子爆弾){原子爆弾}は有力な技術力、豊富な経済力の偉大な所産である。ところが、その技術力も経済力も科学の根につちかわれて発達したことを思うとき、アメリカの科学の深さと広さとは歴史上比類なきものといわねばならぬ。しかしその科学はまた、技術力と経済力とに養われたものである。アメリカの膨大な研究設備や精巧な測定装置や純粋な化学試薬が、アメリカ科学をして今日あらしめた大切な要素である。これはもちろん、アメリカ科学者の頭脳の問題であるとともに、その技術力・経済力の有力なる背景なくしては生まれ得なかったものなのである。すなわち科学は技術・経済の発達をつちかい、技術・経済はまた科学を養うものであって、互いに原因となり結果となって進歩するものである。(「日本再建と科学」より)  科学は呪うべきものであるという人がある。その理由は次のとおりである。  原始人の闘争と現代人の戦争とを比較してみると、その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある。個人どうしのつかみ合いと、航空機の爆撃とをくらべて見るがよい。さらに進んでは人口何十万という都市を、一瞬にして壊滅させる原子爆弾にいたっては言語道断である。このような残虐な行為はどうして可能になったであろうか。それは一に自然科学の発達した結果にほかならない。であるから、科学の進歩は人類の退歩を意味するものであって、まさに呪うべきものであるという。(「&link_wikipedia(ユネスコ){ユネスコ}と科学」より)   #ref(4_17.rm) (朗読:RealMedia 形式 396KB、3'12'') [[milk_tea_4_17.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=315&file=milk_tea_4_17.html]] (html ソーステキスト版 156KB) 仁科芳雄 にしな よしお 1890-1951(明治23.12.6-昭和26.1.10) 物理学者。岡山県生れ。欧州留学から帰国後、1931年&link_wikipedia(理化学研究所){理化学研究所}に仁科研究室を創設、&link_wikipedia(原子核){原子核}の理論的研究および&link_wikipedia(宇宙線){宇宙線}の実験的研究を指導。また、日本最初の&link_wikipedia(サイクロトロン){サイクロトロン}を建設。文化勲章。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(仁科芳雄){仁科芳雄}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 &bold(){原子力の管理} 底本:『戦後日本思想大系1 戦後思想の出発』筑摩書房    1968(昭和43)年7月1日 初版第1刷発行    1976(昭和51)年7月1日 初版第10刷発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1163.html &bold(){日本再建と科学} 底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社    1971(昭和46)年3月20日発行 http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43706.html &bold(){国民の人格向上と科学技術} 底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社    1971(昭和46)年3月20日発行 http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43705.html &bold(){ユネスコと科学} 底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社    1971(昭和46)年3月20日発行 http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43707.html NDC 分類:329(法律 / 国際法) http://yozora.kazumi386.org/3/2/ndc329.html NDC 分類:401(自然科学 / 科学理論.科学哲学) http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc401.html *年表 一九三八 ドイツの&link_wikipedia(オットー・ハーン){ハーン}と&link_wikipedia(シュトラースマン){ストラスマン}、原子核研究。中性子を元素&link_wikipedia(ウラン){ウラン}の原子核に衝突させた場合にできる&link_wikipedia(放射能){放射能}の研究をおこなっておった際に原子爆弾の原理を発見。 一九四二 新聞紙の報道によれば、ドイツの原子爆弾の研究もその原理の探究においてはアメリカと大差なく一応の結論に到達。実際に爆弾とすることは技術・経済の面において無力であったためにできなかったという。 一九四五 一一月一〜一六日 &link_wikipedia(国際連合){国際連合}、ロンドンで開かれた会議において&link_wikipedia(ユネスコ){ユネスコ}設置を決定。 一九四五年末 米・英・ソ三国外相、モスクワ会談において原子力管理について協定。 一九四五 一二月二九日 『朝日』モスクワ会談において、原子力管理に関して四か条を決議したことを発表。 一九四六 一月二四日 &link_wikipedia(原子力管理委員会){原子力管理委員会}が国際連合総会の席上で可決のうえ設置せられることとなる。 一九四六 二月 第一回国際連合総会、ロンドン。 一九四六 三月一二日 仁科「日本再建と科学」。 一九四六 四月 仁科「原子力の管理」『改造』。 一九四六 一〇月二〇日 仁科「国民の人格向上と科学技術」。 一九四六 一一月九日より十二月初旬まで ユネスコ第一回総会、パリ。四十四か国の代表・随員合わせて七〇〇名が出席。 一九四七 一一月初め ユネスコ第二回総会、メキシコシティー。 一九四八 一月一八日 仁科「ユネスコと科学」。 *難字、求めよ 割議 ※[#「厂+黒」]まった 纏(まと)まる、か。 *むしとりホイホイ &bold(){原子力の管理} せられるかに → せられるかは 【は、か?】 底本は左辺の通り。 &bold(){日本再建と科学} 七千數百万萬 → 七千數百萬 【万、削除か】 問題のよつては → 問題によつては 【に、か?】 ことではなくで → ことではなくて 【て】 底本未確認。 *スリーパーズ日記  組み合わせ角に桔梗。「組み合わせ角」は四角+四角=八角。八神、八卦、船中八策。八角に五芒星。「&link_wikipedia(八神){八神}というのは古からあって、天主、地主、丘主、陰主、陽主、月主、日主、四時主の八つだが、これらはみな支那の東北地方にあった神々である」(幸田露伴「道教について」より)。  19日、雨。県立博物館にて考古学講座・菊地政信「土偶がつくられたむら」米沢市台ノ上遺跡(縄文中期)。米沢では、震災で100点ほどの展示物が破損したという。土器の口元内側に&link_wikipedia(ベンガラ){ベンガラ}。&link_wikipedia(三脚石){三脚石}。&link_wikipedia(蛇紋岩){蛇紋岩}の石斧。    ミルクティー*既刊を検索すると、&link_wikipedia(坪井正五郎){坪井正五郎}・&link_wikipedia(喜田貞吉){喜田貞吉}・&link_wikipedia(浜田青陵){浜田青陵}・&link_wikipedia(河野常吉){河野常吉}に「&link_wikipedia(石斧){石斧}」の用例が見られる。stone ax(オックス)からの直訳だろうか。斧というネーミングから、大木の伐採や薪割りの用途をイメージしてしまいやすいが、実物を見るとてのひらにおさまるほどのものや、小指の先くらいのもの。鉄斧とはまったく異質。今回はじめてさわってみる。繊細。力まかせに用いればすぐに歯が欠ける。こまかい彫り込みのための鑿(のみ)や、枌板(そぎいた)をつくるための楔(くさび)のような用途を想像させる。    道、交通の質問が出た。山の尾根や塩の道を回答にあてていたが、いわゆる&link_wikipedia(塩の道){塩の道}は、内陸部の&link_wikipedia(郡衙){郡衙}や&link_wikipedia(城柵){城柵}などへ多量の塩を輸送するとか、商業が発達してくる中世以降にあてるのが一般で、&link_wikipedia(縄文中期){縄文中期}、たしかに&link_wikipedia(製塩){製塩}や輸送がなかったとはいえないが、量も規模も大きくちがうはず。    むしろ当時の道は、人がつくったとは思わないほうがいいんじゃないかと想像する。ひとつは川の道。&link_wikipedia(最終氷期){最終氷期}を終えた後、高温多雨多湿な縄文時代をむかえて、さらにその後は徐々に気温や降雨量が低下。河川の堆積作用と水量変化が&link_wikipedia(河岸段丘){河岸段丘}や河川跡をつくり、河川ちかくに居住や歩行しやすいところができたと考える。もうひとつは、けもの道。とくに1万5000年前ぐらいまで列島にいたという&link_wikipedia(ナウマンゾウ){ナウマンゾウ}。草食で鼻の利くゾウは、エサ場と飲み水を求めて集団で渡り歩く。その跡はさながら当時の高速道路で、もしかしたら後の時代の主要な街道は、彼らの拓いた道だったんじゃないか……とまあ根拠のない妄ゾウです。   11.16 11月の雨。今秋はじめて湯たんぽ。 11.20 10:23 茨城北部、震度5強。熟睡中か、気づかず。市立図『長靴をはいた猫』上映。20名ほど。 11.21 19:16 広島北部、震度5弱。M5.4推定。 2011.11.21:公開 玲瓏迷人。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment
*M-Tea*4_17-原子力の管理(他)仁科芳雄 *2011.11.19 第四巻 第一七号 原子力の管理  一 緒言  二 原子爆弾の威力  三 原子力の管理   日本再建と科学  一.緒言  二.科学の役割  三.科学の再建  四.科学者の組合組織  五.科学教育  六.結語   ユネスコと科学 国民の人格向上と科学技術   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_17-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/174686)   [[【週刊ミルクティー*第四巻 第一七号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/174686]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/174686) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (620KB) &color(red){定価:200円} p.160 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(32項目)p.327 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中および公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright this work is public domain. *恋は分裂! 週刊プルトニック・ラブ*  &link_wikipedia(原子爆弾){原子爆弾}は有力な技術力、豊富な経済力の偉大な所産である。ところが、その技術力も経済力も科学の根につちかわれて発達したことを思うとき、アメリカの科学の深さと広さとは歴史上比類なきものといわねばならぬ。しかしその科学はまた、技術力と経済力とに養われたものである。アメリカの膨大な研究設備や精巧な測定装置や純粋な化学試薬が、アメリカ科学をして今日あらしめた大切な要素である。これはもちろん、アメリカ科学者の頭脳の問題であるとともに、その技術力・経済力の有力なる背景なくしては生まれ得なかったものなのである。すなわち科学は技術・経済の発達をつちかい、技術・経済はまた科学を養うものであって、互いに原因となり結果となって進歩するものである。(「日本再建と科学」より)  科学は呪うべきものであるという人がある。その理由は次のとおりである。  原始人の闘争と現代人の戦争とを比較してみると、その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある。個人どうしのつかみ合いと、航空機の爆撃とをくらべて見るがよい。さらに進んでは人口何十万という都市を、一瞬にして壊滅させる原子爆弾にいたっては言語道断である。このような残虐な行為はどうして可能になったであろうか。それは一に自然科学の発達した結果にほかならない。であるから、科学の進歩は人類の退歩を意味するものであって、まさに呪うべきものであるという。(「&link_wikipedia(ユネスコ){ユネスコ}と科学」より)   #ref(4_17.rm) (朗読:RealMedia 形式 396KB、3'12'') [[milk_tea_4_17.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=315&file=milk_tea_4_17.html]] (html ソーステキスト版 156KB) 仁科芳雄 にしな よしお 1890-1951(明治23.12.6-昭和26.1.10) 物理学者。岡山県生れ。欧州留学から帰国後、1931年&link_wikipedia(理化学研究所){理化学研究所}に仁科研究室を創設、&link_wikipedia(原子核){原子核}の理論的研究および&link_wikipedia(宇宙線){宇宙線}の実験的研究を指導。また、日本最初の&link_wikipedia(サイクロトロン){サイクロトロン}を建設。文化勲章。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(仁科芳雄){仁科芳雄}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 &bold(){原子力の管理} 底本:『戦後日本思想大系1 戦後思想の出発』筑摩書房    1968(昭和43)年7月1日 初版第1刷発行    1976(昭和51)年7月1日 初版第10刷発行 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1163.html &bold(){日本再建と科学} http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43706.html &bold(){国民の人格向上と科学技術} http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43705.html &bold(){ユネスコと科学} http://www.aozora.gr.jp/cards/001163/card43707.html 底本:「自然 300号記念増刊 総収録 仁科芳雄・湯川秀樹・朝永振一郎・坂田昌一」中央公論社    1971(昭和46)年3月20日発行 NDC 分類:329(法律 / 国際法) http://yozora.kazumi386.org/3/2/ndc329.html NDC 分類:401(自然科学 / 科学理論.科学哲学) http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc401.html *年表 一九三八 ドイツの&link_wikipedia(オットー・ハーン){ハーン}と&link_wikipedia(シュトラースマン){ストラスマン}、原子核研究。中性子を元素&link_wikipedia(ウラン){ウラン}の原子核に衝突させた場合にできる&link_wikipedia(放射能){放射能}の研究をおこなっておった際に原子爆弾の原理を発見。 一九四二 新聞紙の報道によれば、ドイツの原子爆弾の研究もその原理の探究においてはアメリカと大差なく一応の結論に到達。実際に爆弾とすることは技術・経済の面において無力であったためにできなかったという。 一九四五 一一月一〜一六日 &link_wikipedia(国際連合){国際連合}、ロンドンで開かれた会議において&link_wikipedia(ユネスコ){ユネスコ}設置を決定。 一九四五年末 米・英・ソ三国外相、モスクワ会談において原子力管理について協定。 一九四五 一二月二九日 『朝日』モスクワ会談において、原子力管理に関して四か条を決議したことを発表。 一九四六 一月二四日 &link_wikipedia(原子力管理委員会){原子力管理委員会}が国際連合総会の席上で可決のうえ設置せられることとなる。 一九四六 二月 第一回国際連合総会、ロンドン。 一九四六 三月一二日 仁科「日本再建と科学」。 一九四六 四月 仁科「原子力の管理」『改造』。 一九四六 一〇月二〇日 仁科「国民の人格向上と科学技術」。 一九四六 一一月九日より十二月初旬まで ユネスコ第一回総会、パリ。四十四か国の代表・随員合わせて七〇〇名が出席。 一九四七 一一月初め ユネスコ第二回総会、メキシコシティー。 一九四八 一月一八日 仁科「ユネスコと科学」。 *難字、求めよ 割議 ※[#「厂+黒」]まった 纏(まと)まる、か。 *むしとりホイホイ &bold(){原子力の管理} せられるかに → せられるかは 【は、か?】 底本は左辺の通り。 &bold(){日本再建と科学} 七千數百万萬 → 七千數百萬 【万、削除か】 問題のよつては → 問題によつては 【に、か?】 ことではなくで → ことではなくて 【て】 底本未確認。 *スリーパーズ日記  組み合わせ角に桔梗。「組み合わせ角」は四角+四角=八角。八神、八卦、船中八策。八角に五芒星。「&link_wikipedia(八神){八神}というのは古からあって、天主、地主、丘主、陰主、陽主、月主、日主、四時主の八つだが、これらはみな支那の東北地方にあった神々である」([[幸田露伴「道教について」>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/104.html]]より)。  19日、雨。県立博物館にて考古学講座・菊地政信「土偶がつくられたむら」米沢市台ノ上遺跡(縄文中期)。米沢では、震災で100点ほどの展示物が破損したという。土器の口元内側に&link_wikipedia(ベンガラ){ベンガラ}。&link_wikipedia(三脚石){三脚石}。&link_wikipedia(蛇紋岩){蛇紋岩}の石斧。    ミルクティー*既刊を検索すると、&link_wikipedia(坪井正五郎){坪井正五郎}・&link_wikipedia(喜田貞吉){喜田貞吉}・&link_wikipedia(浜田青陵){浜田青陵}・&link_wikipedia(河野常吉){河野常吉}に「&link_wikipedia(石斧){石斧}」の用例が見られる。stone ax(オックス)からの直訳だろうか。斧というネーミングから、大木の伐採や薪割りの用途をイメージしてしまいやすいが、実物を見るとてのひらにおさまるほどのものや、小指の先くらいのもの。鉄斧とはまったく異質。今回はじめてさわってみる。繊細。力まかせに用いればすぐに歯が欠ける。こまかい彫り込みのための鑿(のみ)や、枌板(そぎいた)をつくるための楔(くさび)のような用途を想像させる。    道、交通の質問が出た。山の尾根や塩の道を回答にあてていたが、いわゆる&link_wikipedia(塩の道){塩の道}は、内陸部の&link_wikipedia(郡衙){郡衙}や&link_wikipedia(城柵){城柵}などへ多量の塩を輸送するとか、商業が発達してくる中世以降にあてるのが一般で、&link_wikipedia(縄文中期){縄文中期}、たしかに&link_wikipedia(製塩){製塩}や輸送がなかったとはいえないが、量も規模も大きくちがうはず。    むしろ当時の道は、人がつくったとは思わないほうがいいんじゃないかと想像する。ひとつは川の道。&link_wikipedia(最終氷期){最終氷期}を終えた後、高温多雨多湿な縄文時代をむかえて、さらにその後は徐々に気温や降雨量が低下。河川の堆積作用と水量変化が&link_wikipedia(河岸段丘){河岸段丘}や河川跡をつくり、河川ちかくに居住や歩行しやすいところができたと考える。もうひとつは、けもの道。とくに1万5000年前ぐらいまで列島にいたという&link_wikipedia(ナウマンゾウ){ナウマンゾウ}。草食で鼻の利くゾウは、エサ場と飲み水を求めて集団で渡り歩く。その跡はさながら当時の高速道路で、もしかしたら後の時代の主要な街道は、彼らの拓いた道だったんじゃないか……とまあ根拠のない妄ゾウです。   11.16 11月の雨。今秋はじめて湯たんぽ。 11.20 10:23 茨城北部、震度5強、M5.3推定。熟睡中か気づかず。市立図『長靴をはいた猫』上映。20名ほど。 11.21 19:16 広島北部、震度5弱。M5.4推定。 2011.11.21:公開 玲瓏迷人。 2011.11.22:更新 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- #comment

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