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*M-Tea*4_16-三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
*2011.11.12 第四巻 第一六号
三筋町界隈 / 孫
斎藤茂吉
&image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_16-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/173053)
[[【週刊ミルクティー*第四巻 第一六号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/173053]]
(http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/173053)
※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。
(592KB)
&color(red){定価:200円} p.157 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(42項目)p.234
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。
※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
※ この作品は青空文庫にて公開中です。転載・印刷・翻訳は自由です。
(c) Copyright this work is public domain.
*どじょうが出てきてぴぃぴぃぴぃ♪ 週刊、安来節*
(略)父がここに開業している間に、診察の謝礼に&link_wikipedia(賀茂真淵){賀茂真淵}書入の『&link_wikipedia(古今集){古今集}』をもらった。たぶん&link_wikipedia(田安家){田安家}にたてまつったものであっただろうとおもうが、佳品の朱できわめてていねいに書いてあった。出所も好し、&link_wikipedia(黒川真頼){黒川真頼}翁の鑑定を経たもので、わたしが作歌を学ぶようになって以来、わたしは真淵崇拝であるところから、それを天からの授かり物のように大切にして長崎に行った時にもやはりいっしょに持って歩いていたほどであったが、大正十三年(一九二四)暮の火災のとき灰燼になってしまった。わたしの書架は貧しくて何も目ぼしいものはなく、かろうじてその真淵書入の『古今集』ぐらいが最上等のものであったのに、それも失せた。わたしは東三筋町時代を回顧するごとに、この『古今集』のことを思い出して残念がるのであるが、何ごとも思うとおりに行くものでないと今ではあきらめている。そして古来書物などのなくなってしまう径路に、こういうふとしたことにもとづくものがあると知って、それであきらめているようなわけである。
まえにもちょっとふれたが、上京したとき、わたしの&link_wikipedia(春機){春機}は目ざめかかっていて、いまだ目ざめてはいなかった。今はすでに七十の齢をいくつか越したが、やをという女中がいる。わたしの上京当時はまだ三十いくつかであっただろう。「東京ではお餅のことをオカチンといいます」とわたしに教えた女中である。その女中がわたしを、ある夜、銭湯に連れて行った。そうすると浴場にはみな女ばかりいる。年寄りもいるけれども、キレイな娘がたくさんにいる。わたしは故知らず胸のおどるような気持ちになったようにもおぼえているが、実際はまだそうではなかったかもしれない。女ばかりだとおもったのはこれは女湯であった。後でそのことがわかり、女中は母にしかられて私はふたたび女湯に入ることができずにしまった。わたしはただ一度の女湯入りを追憶して愛惜したこともある。今度もこの随筆から棄てようか棄てまいかと迷ったが、棄てるには惜しい甘味がいまだ残っている。(「&link_wikipedia(三筋町){三筋町}界隈」より)
#ref(4_16.rm)
(朗読:RealMedia 形式 548KB、4'26'')
[[milk_tea_4_16.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=314&file=milk_tea_4_16.html]]
(html ソーステキスト版 172KB)
斎藤茂吉 さいとう もきち
1882-1953(明治15.5.14-昭和28.2.25)
歌人・精神科医。山形県生れ。東大医科出身。&link_wikipedia(伊藤左千夫){伊藤左千夫}に師事、雑誌「&link_wikipedia(アララギ){アララギ}」を編集。長崎医専教授としてドイツなどに留学、のち&link_wikipedia(青山脳病院){青山脳病院}長。作歌1万7000余、「&link_wikipedia(赤光){赤光}」以下「&link_wikipedia(つきかげ){つきかげ}」に至る歌集17冊のほか、「&link_wikipedia(柿本人麿){柿本人麿}」をはじめ評論・随筆も多い。文化勲章。
◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(斎藤茂吉){斎藤茂吉}、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。
三筋町界隈
底本:「斎藤茂吉随筆集」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年10月16日第1刷発行
2003(平成15)年6月13日第7刷発行
底本の親本:「斎藤茂吉選集 第十一巻」岩波書店
1981(昭和56)年11月1日第1刷発行
初出:「文藝春秋」
1937(昭和12)年1月号
http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/card43793.html
孫
底本:「斎藤茂吉選集 第十二巻」岩波書店
1982(昭和57)年2月26日第1刷発行
初出:「群像」
1950(昭和25)年3月
http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/card46466.html
NDC 分類:914(日本文学/評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html
*年表
明治九(一八七六) 茂吉の兄、生まれる。
明治一四(一八八一)初秋 明治天皇、東北に巡幸。
明治二四(一八九一) 茂吉の祖父(金沢治右衛門か)、没。
明治二九(一八九六)六月一五日 &link_wikipedia(明治三陸地震){明治三陸地震}。
明治二九(一八九六) 茂吉、十五。郷里&link_wikipedia(上山){上ノ山}の小学校を卒え、陰暦の七月十七日、午前一時ごろ父に連れられて家を出る。日の暮れに&link_wikipedia(作並温泉){作並温泉}につく。翌日、仙台について一泊。一日置いて朝仙台を発し、夜になって東京の上野駅につく。
明治三〇(一八九七)ごろ 雑誌『中学新誌』露伴の文章。
明治三七(一九〇四) 茂吉、大正九(一九二〇)に至るまでずっと喫煙する。
大正一〇(一九二一)夏 茂吉、信州&link_wikipedia(富士見){富士見}に転地。近在にある神社の祭礼があって、馬肉の煮込みを食べる。
大正一二(一九二三) 茂吉の実父(熊次郎)、七十三歳で没。
大正一二(一九二三)九月一日 &link_wikipedia(関東大震災){関東大震災}。
大正一二(一九二三)一〇月一〇日 鹿島清兵衛、死去。
大正一三(一九二四)暮 &link_wikipedia(青山脳病院){青山脳病院}、火災。&link_wikipedia(賀茂真淵){賀茂真淵}書入『&link_wikipedia(古今集){古今集}』も消失。
大正一四(一九二五) 茂吉、ヨーロッパから帰国。
大正一四(一九二五)四月二二日 ゑ津(ぽん太)死去。四十六歳。
昭和元(一九二六)ごろ 茂吉、歳晩にも東三筋町の旧宅地を見て通る。
昭和一一(一九三六) 茂吉、一月と一〇月に東三筋町をたずねる。
昭和一一(一九三六)秋 茂吉、彼岸に多磨墓地に行き、ぽん太の墓に参る。
昭和一二(一九三七) 「三筋町界隈」『文藝春秋』1月号。
昭和二一(一九四六)四月 茂吉の孫、生まれる。茂吉、山形県の&link_wikipedia(大石田){大石田}。
昭和二二(一九四七)一一月 茂吉、東京に帰る。
昭和二三(一九四七)二月 茂吉の孫、生まれる。
昭和二五(一九五〇)三月 「孫」『群像』。
*難字、求めよ
叙写 じょしゃ?
佳女
タクシスの説
砂がき婆さん
山田良叔
ヴェルヴォルン教授 ドイツ。
石川貞吉
根津山
観世音霊験記
*むしとりホイホイ
孫
よろこんて → よろこんで 【で】
以上1件。底本未確認。
*スリーパーズ日記
富田さんのツイートによれば、TPP協定21分野のなかには知的財産も含まれ、著作権保護期間の延長も協議されるらしい。
11.8『読売新聞』「『電子本元年』1年後の貧弱」「端末あっても読む本乏しく」津野さんが昨年の電子書籍元年を強い口調で批評、気炎をはいている。
&link_wikipedia(レノボ){レノボ}、7インチタブレット発売。&link_wikipedia(ポメラ){ポメラ}、新型機発表。
大王製紙、オリンパス、監理銘柄。
八か月前、天童市内は震災の翌日に電力復旧したものの、JRは不通、図書館も不定期開館。ブックオフがいち早く再開。
近くの文具屋へ行くと、店頭のショーケースに初期型のポメラが一台あった。迷ったが、ネットで確認すると先の型が出てからかなり時間がたつ。まもなく新型の登場ありとふんだ。案の定、メディアへの露出度が高くなる。見込み的中。
・底本画像とのテキスト読み合わせ。
・新旧漢字の変換、ルビふり、注記入力。
・オリジナルと現代表記変換テキストとの読み合わせ。
・筆記メモの入力。
それから何といっても、単三電池起動。省電力の呼びかけや電力料金の値上げの話がかまびすしいなか、エネループ電池と携帯太陽発電パネルを組み合わせることで、作業のうち1/3ぐらいはポメラで……と、もくろんでいる。
これからの季節、かじかむ指先との勝負。
11.8、正午 沖縄名護市、震度4、奄美震度3。M6.8(推定)。震源、沖縄本島北西沖。
11.9 トルコ東部にてふたたび地震。支援者、二次災害。
2011.11.14:公開 玲瓏迷人。
よのなか、よまいごとなのよ。
まいどおなじみ、るろうの爬虫類。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ:&counter()
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- このところ、ふたたび尻の下がムズムス。ごく微弱の揺れか。 -- しだ (2011-11-14 02:02:05)
- いま読んでいる本の中に、媽祖(まそ)信仰のことが出てくる。中国南部の沿海地域(福建省など)を中心に信仰される航海の守護神で、天妃・天后などともいう道教の女神。 -- しだ (2011-11-16 13:12:57)
- これが娘媽(ろうめ)・竜女と称されて鹿児島県坊津町や長崎にも伝わっている。娘媽……良馬、ろうめ。龍馬の本家・才谷屋は豪商で、父親八平の後妻・伊與の家も船商。坂本家紋は組み合わせ角に桔梗、五芒星。五行の象徴。司馬『竜馬がゆく』に媽祖信仰のことが書いてあったかは記憶にさだかでない。 -- しだ (2011-11-16 13:14:41)
- 「よろこんで」底本確認しました。要修正。 -- しだ (2011-11-16 13:16:47)
- 『街道をゆく』総索引で「媽祖信仰」を確認。『台湾紀行』の中に数か所出てくる。 -- しだ (2011-11-17 23:18:44)
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*M-Tea*4_16-三筋町界隈 / 孫 斎藤茂吉
*2011.11.12 第四巻 第一六号
三筋町界隈 / 孫
斎藤茂吉
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(http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/173053)
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&color(red){定価:200円} p.157 / *99 出版
付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(42項目)p.234
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。
※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。
※ JIS X 0213・ttz 形式。
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(c) Copyright this work is public domain.
*どじょうが出てきてぴぃぴぃぴぃ♪ 週刊、安来節*
(略)父がここに開業している間に、診察の謝礼に&link_wikipedia(賀茂真淵){賀茂真淵}書入の『&link_wikipedia(古今集){古今集}』をもらった。たぶん&link_wikipedia(田安家){田安家}にたてまつったものであっただろうとおもうが、佳品の朱できわめてていねいに書いてあった。出所も好し、&link_wikipedia(黒川真頼){黒川真頼}翁の鑑定を経たもので、わたしが作歌を学ぶようになって以来、わたしは真淵崇拝であるところから、それを天からの授かり物のように大切にして長崎に行った時にもやはりいっしょに持って歩いていたほどであったが、大正十三年(一九二四)暮の火災のとき灰燼になってしまった。わたしの書架は貧しくて何も目ぼしいものはなく、かろうじてその真淵書入の『古今集』ぐらいが最上等のものであったのに、それも失せた。わたしは東三筋町時代を回顧するごとに、この『古今集』のことを思い出して残念がるのであるが、何ごとも思うとおりに行くものでないと今ではあきらめている。そして古来書物などのなくなってしまう径路に、こういうふとしたことにもとづくものがあると知って、それであきらめているようなわけである。
まえにもちょっとふれたが、上京したとき、わたしの&link_wikipedia(春機){春機}は目ざめかかっていて、いまだ目ざめてはいなかった。今はすでに七十の齢をいくつか越したが、やをという女中がいる。わたしの上京当時はまだ三十いくつかであっただろう。「東京ではお餅のことをオカチンといいます」とわたしに教えた女中である。その女中がわたしを、ある夜、銭湯に連れて行った。そうすると浴場にはみな女ばかりいる。年寄りもいるけれども、キレイな娘がたくさんにいる。わたしは故知らず胸のおどるような気持ちになったようにもおぼえているが、実際はまだそうではなかったかもしれない。女ばかりだとおもったのはこれは女湯であった。後でそのことがわかり、女中は母にしかられて私はふたたび女湯に入ることができずにしまった。わたしはただ一度の女湯入りを追憶して愛惜したこともある。今度もこの随筆から棄てようか棄てまいかと迷ったが、棄てるには惜しい甘味がいまだ残っている。(「&link_wikipedia(三筋町){三筋町}界隈」より)
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斎藤茂吉 さいとう もきち
1882-1953(明治15.5.14-昭和28.2.25)
歌人・精神科医。山形県生れ。東大医科出身。&link_wikipedia(伊藤左千夫){伊藤左千夫}に師事、雑誌「&link_wikipedia(アララギ){アララギ}」を編集。長崎医専教授としてドイツなどに留学、のち&link_wikipedia(青山脳病院){青山脳病院}長。作歌1万7000余、「&link_wikipedia(赤光){赤光}」以下「&link_wikipedia(つきかげ){つきかげ}」に至る歌集17冊のほか、「&link_wikipedia(柿本人麿){柿本人麿}」をはじめ評論・随筆も多い。文化勲章。
◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(斎藤茂吉){斎藤茂吉}、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。
三筋町界隈
底本:「斎藤茂吉随筆集」岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年10月16日第1刷発行
2003(平成15)年6月13日第7刷発行
底本の親本:「斎藤茂吉選集 第十一巻」岩波書店
1981(昭和56)年11月1日第1刷発行
初出:「文藝春秋」
1937(昭和12)年1月号
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孫
底本:「斎藤茂吉選集 第十二巻」岩波書店
1982(昭和57)年2月26日第1刷発行
初出:「群像」
1950(昭和25)年3月
http://www.aozora.gr.jp/cards/001059/card46466.html
NDC 分類:914(日本文学/評論.エッセイ.随筆)
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html
*年表
明治九(一八七六) 茂吉の兄、生まれる。
明治一四(一八八一)初秋 明治天皇、東北に巡幸。
明治二四(一八九一) 茂吉の祖父(金沢治右衛門か)、没。
明治二九(一八九六)六月一五日 &link_wikipedia(明治三陸地震){明治三陸地震}。
明治二九(一八九六) 茂吉、十五。郷里&link_wikipedia(上山){上ノ山}の小学校を卒え、陰暦の七月十七日、午前一時ごろ父に連れられて家を出る。日の暮れに&link_wikipedia(作並温泉){作並温泉}につく。翌日、仙台について一泊。一日置いて朝仙台を発し、夜になって東京の上野駅につく。
明治三〇(一八九七)ごろ 雑誌『中学新誌』露伴の文章。
明治三七(一九〇四) 茂吉、大正九(一九二〇)に至るまでずっと喫煙する。
大正一〇(一九二一)夏 茂吉、信州&link_wikipedia(富士見){富士見}に転地。近在にある神社の祭礼があって、馬肉の煮込みを食べる。
大正一二(一九二三) 茂吉の実父(熊次郎)、七十三歳で没。
大正一二(一九二三)九月一日 &link_wikipedia(関東大震災){関東大震災}。
大正一二(一九二三)一〇月一〇日 鹿島清兵衛、死去。
大正一三(一九二四)暮 &link_wikipedia(青山脳病院){青山脳病院}、火災。&link_wikipedia(賀茂真淵){賀茂真淵}書入『&link_wikipedia(古今集){古今集}』も消失。
大正一四(一九二五) 茂吉、ヨーロッパから帰国。
大正一四(一九二五)四月二二日 ゑ津(ぽん太)死去。四十六歳。
昭和元(一九二六)ごろ 茂吉、歳晩にも東三筋町の旧宅地を見て通る。
昭和一一(一九三六) 茂吉、一月と一〇月に東三筋町をたずねる。
昭和一一(一九三六)秋 茂吉、彼岸に多磨墓地に行き、ぽん太の墓に参る。
昭和一二(一九三七) 「三筋町界隈」『文藝春秋』1月号。
昭和二一(一九四六)四月 茂吉の孫、生まれる。茂吉、山形県の&link_wikipedia(大石田){大石田}。
昭和二二(一九四七)一一月 茂吉、東京に帰る。
昭和二三(一九四七)二月 茂吉の孫、生まれる。
昭和二五(一九五〇)三月 「孫」『群像』。
*難字、求めよ
叙写 じょしゃ?
佳女
タクシスの説
砂がき婆さん
山田良叔
ヴェルヴォルン教授 ドイツ。
石川貞吉
根津山
観世音霊験記
*むしとりホイホイ
孫
よろこんて → よろこんで 【で】
以上1件。底本未確認。
*スリーパーズ日記
富田さんのツイートによれば、TPP協定21分野のなかには知的財産も含まれ、著作権保護期間の延長も協議されるらしい。
11.8『読売新聞』「『電子本元年』1年後の貧弱」「端末あっても読む本乏しく」津野さんが昨年の電子書籍元年を強い口調で批評、気炎をはいている。
&link_wikipedia(レノボ){レノボ}、7インチタブレット発売。&link_wikipedia(ポメラ){ポメラ}、新型機発表。
大王製紙、オリンパス、監理銘柄。
八か月前、天童市内は震災の翌日に電力復旧したものの、JRは不通、図書館も不定期開館。ブックオフがいち早く再開。
近くの文具屋へ行くと、店頭のショーケースに初期型のポメラが一台あった。迷ったが、ネットで確認すると先の型が出てからかなり時間がたつ。まもなく新型の登場ありとふんだ。案の定、メディアへの露出度が高くなる。見込み的中。
・底本画像とのテキスト読み合わせ。
・新旧漢字の変換、ルビふり、注記入力。
・オリジナルと現代表記変換テキストとの読み合わせ。
・筆記メモの入力。
それから何といっても、単三電池起動。省電力の呼びかけや電力料金の値上げの話がかまびすしいなか、エネループ電池と携帯太陽発電パネルを組み合わせることで、作業のうち1/3ぐらいはポメラで……と、もくろんでいる。
これからの季節、かじかむ指先との勝負。
11.8、正午 沖縄名護市、震度4、奄美震度3。M6.8(推定)。震源、沖縄本島北西沖。
11.9 トルコ東部にてふたたび地震。支援者、二次災害。
2011.11.14:公開 玲瓏迷人。
よのなか、よまいごとなのよ。
まいどおなじみ、るろうの爬虫類。
目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99
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- このところ、ふたたび尻の下がムズムス。ごく微弱の揺れか。 -- しだ (2011-11-14 02:02:05)
- いま読んでいる本の中に、媽祖(まそ)信仰のことが出てくる。中国南部の沿海地域(福建省など)を中心に信仰される航海の守護神で、天妃・天后などともいう道教の女神。 -- しだ (2011-11-16 13:12:57)
- これが娘媽(ろうめ)・竜女と称されて鹿児島県坊津町や長崎にも伝わっている。娘媽……良馬、ろうめ。龍馬の本家・才谷屋は豪商で、父親八平の後妻・伊與の家も船商。坂本家紋は組み合わせ角に桔梗、五芒星。五行の象徴。司馬『竜馬がゆく』に媽祖信仰のことが書いてあったかは記憶にさだかでない。 -- しだ (2011-11-16 13:14:41)
- 「よろこんで」底本確認しました。要修正。 -- しだ (2011-11-16 13:16:47)
- 『街道をゆく』総索引で「媽祖信仰」を確認。『台湾紀行』の中に数か所出てくる。未読。 -- しだ (2011-11-17 23:18:44)
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