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*&color(red){【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】} *M-Tea*3_34-山椒大夫 森 鴎外 *2011.5.28 第三巻 第三四号 山椒大夫 森 鴎外   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/3_34-1.gif,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/141285) [[【週刊ミルクティー*第三巻 第三四号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/141285]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/141285) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (460KB) &color(red){定価:200円} p.173 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(18項目)p.103 ※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 &html(<a href="http://support.dl-market.com/charity/index.html" ><img border="0" style="" title="" alt="" src="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/?plugin=ref&serial=853" /></a>) *はみだせ! 週刊ヒポクりィー*  越後の春日をへて今津へ出る道を、めずらしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳をこえたばかりの女で、二人の子どもを連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞(はらから)二人を、「もうじきに、お宿にお着きなさいます」と言ってはげまして歩かせようとする。二人のうちで、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、おりおり思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣(ものまい)りにでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、笠やら杖やらかいがいしい出立ちをしているのが、だれの目にもめずらしく、また気の毒に感ぜられるのである。  道は百姓家の断えたり続いたりする間を通っている。砂や小石は多いが、秋日和によく乾いて、しかも粘土がまじっているために、よく固まっていて、海のそばのように踝(くるぶし)をうずめて人を悩ますことはない。  藁(わら)ぶきの家が何軒も立ちならんだ一構えが柞(ははそ)の林にかこまれて、それに夕日がカッとさしているところに通りかかった。 「まあ、あの美しい紅葉をごらん」と、先に立っていた母がゆびさして子どもに言った。  子どもは母のゆびさす方を見たが、なんとも言わぬので、女中がいった。「木の葉があんなに染まるのでございますから、朝晩お寒くなりましたのも無理はございませんね」 #ref(3_34.rm) (朗読:RealMedia 形式 360KB、2'55'') [[milk_tea_3_34.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=273&file=milk_tea_3_34.html]] (html ソーステキスト版 240KB) 森鴎外 もり おうがい 1862-1922(文久2.1.19-大正11.7.9) 作家。名は林太郎。別号、観潮楼主人など。石見(島根県)津和野生れ。東大医科出身。軍医となり、ヨーロッパ留学。陸軍軍医総監・帝室博物館長。文芸に造詣深く、「しからみ草紙」を創刊。傍ら西欧文学の紹介・翻訳、創作・批評を行い、明治文壇の重鎮。主な作品は「舞姫」「雁」「阿部一族」「渋江抽斎」「高瀬舟」、翻訳は「於母影」「即興詩人」「ファウスト」など。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(森鴎外){森鴎外}、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 *底本 底本:「日本の文学 3 森鴎外(二)」中央公論社    1972(昭和47)年10月20日発行 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card689.html NDC 分類:913(日本文学/小説.物語) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html *難字、求めよ 春日 今津 曇猛律師 どんみょう りっし 陸奥掾正氏 むつのじょう まさうじ 平正氏。 平正道 たいらの まさみち 厨子王。 *むしとりホイホイ 女子に → 女子は 【は、か?】 開いた「 → 開いた。「 【。追加か?】 底本未確認。 *スリーパーズ日記  欠番だった第三四号をさかのぼって発行します。残る第三三号は『古事記(四)』(中巻後編)の予定です。 「869年(貞観11)5月26日 陸奥国大地震あり、城郭倉庫等倒壊、海水城下に至る」……高橋富雄『宮城県の歴史』(山川出版社、1969.9)より。こよみちゃんによれば、太陽暦の七月上旬にあたる。  菅原道真は845年生まれだから、869年は24歳。平将門の祖父高望王は839年生まれで898年に上総介に任じられ下向。911年、大宰府にて没。将門の生年は不明だが、仮に40歳前後で没したとすれば900年ごろの誕生となる。将門の父・良持(もしくは良将)は不詳であるが、高望王20〜30歳のころの生まれとすれば、貞観大地震の当時は生まれた前後〜10歳ぐらいと仮定される。彼は後年、鎮守府将軍に任じられる。震災復興に直接たずさわったとは考えにくいが、仮に多賀城まで出向いたとすれば、人々の記憶のまだ生々しいころのことだったかもしれない。  中将実方(さねかた)が陸奥守として下向するのが995年。そして鴎外の記述を真に受けるならば、山椒大夫、安寿と厨子王は1100年ごろの話であり、奥州藤原二代基衡の同時代人ということになる。 *800〜900年代(平安時代中期)の年表 839(承和6) &link_wikipedia(高望王){高望王}(桓武平氏の祖)生まれる。 845(承和12) &link_wikipedia(菅原道真){菅原道真}、生まれる。 &color(red){864(貞観6)7月 富士山噴火(貞観噴火)。} 864(貞観6)10月 肥後の阿蘇山が鳴動。 867(貞観9)1月 豊後の鶴見山が噴火。 867(貞観9)5月 阿蘇山、噴火。 868(貞観10)7月 地震。山城一円と播磨。 &color(red){869(貞観11)5月26日 陸奥国大地震あり、城郭倉庫等倒壊、海水城下に至る。貞観三陸地震。}(この年、高望王30歳、道真24歳。) 877(元慶元)4月 京都、地震。 878(元慶2)9月 相模、武蔵をはじめ関東一円に地震。 880(元慶4)10月 地震。京都と出雲が震う。 886(仁和2)5月  安房国の沖に黒雲がおこって、雷鳴震動。海中の噴火か、三原山噴火か。 887(仁和3)7月 山城、摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震。海に近い所は海嘯の難。摂津の被害はもっともはなはだしい。 898(昌泰元) 高望王、上総介に任じられ下向。 901(延喜元) 道真、大宰府に左遷。 902(延喜2) 高望王、西海道の国司となり大宰府に居住。 903(延喜3) 菅原道真、大宰府にて没。 911(延喜11) 高望王、大宰府にて没。 &color(red){915(延喜15)夏か 十和田火山(&link_wikipedia(十和田湖){十和田湖})、大噴火。過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られる。} 917(延喜17) &link_wikipedia(平良将){平良将}(良持?)従四位下・鎮守府将軍、没か。 939(天慶2)12月 &link_wikipedia(平将門){平将門}、下野国、上野国の国府を占領、巫女の宣託があったとして新皇を称する。 940(天慶3)2月 将門、&link_wikipedia(藤原秀郷){藤原秀郷}・&link_wikipedia(平貞盛){平貞盛}らにより討伐。 &color(red){946(天慶9)11月 このころ北朝鮮&link_wikipedia(白頭山){白頭山}、巨大噴火か。} 995 &link_wikipedia(藤原実方){藤原実方}、陸奥守として&link_wikipedia(多賀城){多賀城}へ下向。 999(長徳4)12月 実方、名取にて没。40歳ぐらい。 ◇参照・出典:Wikipedia 各項目、[[田中貢太郎「日本天変地異記」>MT*2_26-日本天変地異記 田中貢太郎]]、「日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火の年月日 --十和田湖と白頭山--」(http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/) 2011.5.27:公開 八面玲瓏。 2011.5.31:更新 フジ、サギソウ。早咲きのバラが数輪。タンポポの綿。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- - 貞観津波が問題視されるのは、その大きさもさることながら、同じ860年代に各地で地震と噴火があいついで、5年前に富士山噴火があるから……かあ。&link_wikipedia(貞観地震){貞観地震}と十和田湖噴火・白頭山噴火は50年以上間隔が空くから直接関連するのかわからないけれど、どれも規模の小さくないことが気にかかる。 -- しだ (2011-05-29 14:24:58) - &link_wikipedia(坂上田村麻呂){坂上田村麻呂}、弘仁2年(811年)5月23日に54歳で病死。ことしは没後、ちょうど1199年! -- しだ (2011-05-29 14:25:51) - なぜ鴎外は、たくさんある昔話の中から、この作品を選んだのだろうか……疑問。 -- しだ (2011-05-30 11:30:17) #comment
*DL-MARKET 被災地支援チャリティー終了のおしらせ ・DL-MARKET 被災地支援チャリティーは2011年6月30日にて終了、7月5日に日本赤十字社あてに振込が完了とのことです。ご協力、ありがとうございました。 ・リンク先をチャリティー用から、通常購入用へ変更します。 #right(){2011.8.1:追記} *&color(red){【DL-MARKET 被災地支援チャリティー企画 参加作品】} *M-Tea*3_34-山椒大夫 森 鴎外 *2011.5.28 第三巻 第三四号 山椒大夫 森 鴎外   &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/3_34-1.gif,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/140558) [[【週刊ミルクティー*第三巻 第三四号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/140558]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/140558) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (460KB) &color(red){定価:200円} p.173 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(18項目)p.103 &s(){※ この作品は、売上金が東日本大震災・被災地への義援金となります。ご購入いただくと、価格200円の全額が日本赤十字社に寄付されます。} ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 &html(<a href="http://support.dl-market.com/charity/index.html" ><img border="0" style="" title="" alt="" src="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/?plugin=ref&serial=853" /></a>) *はみだせ! 週刊ヒポクりィー*  越後の春日をへて今津へ出る道を、めずらしい旅人の一群れが歩いている。母は三十歳をこえたばかりの女で、二人の子どもを連れている。姉は十四、弟は十二である。それに四十ぐらいの女中が一人ついて、くたびれた同胞(はらから)二人を、「もうじきに、お宿にお着きなさいます」と言ってはげまして歩かせようとする。二人のうちで、姉娘は足を引きずるようにして歩いているが、それでも気が勝っていて、疲れたのを母や弟に知らせまいとして、おりおり思い出したように弾力のある歩きつきをして見せる。近い道を物詣(ものまい)りにでも歩くのなら、ふさわしくも見えそうな一群れであるが、笠やら杖やらかいがいしい出立ちをしているのが、だれの目にもめずらしく、また気の毒に感ぜられるのである。  道は百姓家の断えたり続いたりする間を通っている。砂や小石は多いが、秋日和によく乾いて、しかも粘土がまじっているために、よく固まっていて、海のそばのように踝(くるぶし)をうずめて人を悩ますことはない。  藁(わら)ぶきの家が何軒も立ちならんだ一構えが柞(ははそ)の林にかこまれて、それに夕日がカッとさしているところに通りかかった。 「まあ、あの美しい紅葉をごらん」と、先に立っていた母がゆびさして子どもに言った。  子どもは母のゆびさす方を見たが、なんとも言わぬので、女中がいった。「木の葉があんなに染まるのでございますから、朝晩お寒くなりましたのも無理はございませんね」 #ref(3_34.rm) (朗読:RealMedia 形式 360KB、2'55'') [[milk_tea_3_34.html>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=273&file=milk_tea_3_34.html]] (html ソーステキスト版 240KB) 森鴎外 もり おうがい 1862-1922(文久2.1.19-大正11.7.9) 作家。名は林太郎。別号、観潮楼主人など。石見(島根県)津和野生れ。東大医科出身。軍医となり、ヨーロッパ留学。陸軍軍医総監・帝室博物館長。文芸に造詣深く、「しからみ草紙」を創刊。傍ら西欧文学の紹介・翻訳、創作・批評を行い、明治文壇の重鎮。主な作品は「舞姫」「雁」「阿部一族」「渋江抽斎」「高瀬舟」、翻訳は「於母影」「即興詩人」「ファウスト」など。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(森鴎外){森鴎外}、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 *底本 底本:「日本の文学 3 森鴎外(二)」中央公論社    1972(昭和47)年10月20日発行 http://www.aozora.gr.jp/cards/000129/card689.html NDC 分類:913(日本文学/小説.物語) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html *難字、求めよ 春日 今津 曇猛律師 どんみょう りっし 陸奥掾正氏 むつのじょう まさうじ 平正氏。 平正道 たいらの まさみち 厨子王。 *むしとりホイホイ 女子に → 女子は 【は、か?】 開いた「 → 開いた。「 【。追加か?】 底本未確認。 *スリーパーズ日記  欠番だった第三四号をさかのぼって発行します。残る第三三号は『古事記(四)』(中巻後編)の予定です。 「869年(貞観11)5月26日 陸奥国大地震あり、城郭倉庫等倒壊、海水城下に至る」……高橋富雄『宮城県の歴史』(山川出版社、1969.9)より。こよみちゃんによれば、太陽暦の七月上旬にあたる。  菅原道真は845年生まれだから、869年は24歳。平将門の祖父高望王は839年生まれで898年に上総介に任じられ下向。911年、大宰府にて没。将門の生年は不明だが、仮に40歳前後で没したとすれば900年ごろの誕生となる。将門の父・良持(もしくは良将)は不詳であるが、高望王20〜30歳のころの生まれとすれば、貞観大地震の当時は生まれた前後〜10歳ぐらいと仮定される。彼は後年、鎮守府将軍に任じられる。震災復興に直接たずさわったとは考えにくいが、仮に多賀城まで出向いたとすれば、人々の記憶のまだ生々しいころのことだったかもしれない。  中将実方(さねかた)が陸奥守として下向するのが995年。そして鴎外の記述を真に受けるならば、山椒大夫、安寿と厨子王は1100年ごろの話であり、奥州藤原二代基衡の同時代人ということになる。 *800〜900年代(平安時代中期)の年表 839(承和6) &link_wikipedia(高望王){高望王}(桓武平氏の祖)生まれる。 845(承和12) &link_wikipedia(菅原道真){菅原道真}、生まれる。 &color(red){864(貞観6)7月 富士山噴火(貞観噴火)。} 864(貞観6)10月 肥後の阿蘇山が鳴動。 867(貞観9)1月 豊後の鶴見山が噴火。 867(貞観9)5月 阿蘇山、噴火。 868(貞観10)7月 地震。山城一円と播磨。 &color(red){869(貞観11)5月26日 陸奥国大地震あり、城郭倉庫等倒壊、海水城下に至る。貞観三陸地震。}(この年、高望王30歳、道真24歳。) 877(元慶元)4月 京都、地震。 878(元慶2)9月 相模、武蔵をはじめ関東一円に地震。 880(元慶4)10月 地震。京都と出雲が震う。 886(仁和2)5月  安房国の沖に黒雲がおこって、雷鳴震動。海中の噴火か、三原山噴火か。 887(仁和3)7月 山城、摂津をはじめ五畿七道にわたった大地震。海に近い所は海嘯の難。摂津の被害はもっともはなはだしい。 898(昌泰元) 高望王、上総介に任じられ下向。 901(延喜元) 道真、大宰府に左遷。 902(延喜2) 高望王、西海道の国司となり大宰府に居住。 903(延喜3) 菅原道真、大宰府にて没。 911(延喜11) 高望王、大宰府にて没。 &color(red){915(延喜15)夏か 十和田火山(&link_wikipedia(十和田湖){十和田湖})、大噴火。過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られる。} 917(延喜17) &link_wikipedia(平良将){平良将}(良持?)従四位下・鎮守府将軍、没か。 939(天慶2)12月 &link_wikipedia(平将門){平将門}、下野国、上野国の国府を占領、巫女の宣託があったとして新皇を称する。 940(天慶3)2月 将門、&link_wikipedia(藤原秀郷){藤原秀郷}・&link_wikipedia(平貞盛){平貞盛}らにより討伐。 &color(red){946(天慶9)11月 このころ北朝鮮&link_wikipedia(白頭山){白頭山}、巨大噴火か。} 995 &link_wikipedia(藤原実方){藤原実方}、陸奥守として&link_wikipedia(多賀城){多賀城}へ下向。 999(長徳4)12月 実方、名取にて没。40歳ぐらい。 ◇参照・出典:Wikipedia 各項目、[[田中貢太郎「日本天変地異記」>MT*2_26-日本天変地異記 田中貢太郎]]、「日本海をはさんで10世紀に相次いで起こった二つの大噴火の年月日 --十和田湖と白頭山--」(http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/) 2011.5.27:公開 八面玲瓏。 2011.8.1:更新 フジ、サギソウ。早咲きのバラが数輪。タンポポの綿。 目くそ鼻くそ。しだひろし/PoorBook G3'99 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- - 貞観津波が問題視されるのは、その大きさもさることながら、同じ860年代に各地で地震と噴火があいついで、5年前に富士山噴火があるから……かあ。&link_wikipedia(貞観地震){貞観地震}と十和田湖噴火・白頭山噴火は50年以上間隔が空くから直接関連するのかわからないけれど、どれも規模の小さくないことが気にかかる。 -- しだ (2011-05-29 14:24:58) - &link_wikipedia(坂上田村麻呂){坂上田村麻呂}、弘仁2年(811年)5月23日に54歳で病死。ことしは没後、ちょうど1199年! -- しだ (2011-05-29 14:25:51) - なぜ鴎外は、たくさんある昔話の中から、この作品を選んだのだろうか……疑問。 -- しだ (2011-05-30 11:30:17) #comment

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