frame_decoration

「M-Tea*3_15-倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

M-Tea*3_15-倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉」(2010/11/10 (水) 01:22:52) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*M-Tea*3_15-倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉 *2010.11.6 第三巻 第一五号 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 喜田貞吉     &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/3_15-1.gif,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/99556)   [[【週刊ミルクティー*第三巻 第一五号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/99556]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/99556) ※ クリックするとダウンサイトへジャンプします。 (560KB) &color(red){定価:200円} p.123 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(41項目)p.250 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright is public domain. *飛び出せ! 週刊ミルクティー*  考古界の重鎮高橋健自君逝(い)かれて、考古学会長三宅先生〔三宅米吉。〕の名をもって追悼の文をもとめられた。しかもまだ自分がその文に筆を染めぬ間にその三宅先生がまた突然逝かれた。本当に突然逝かれたのだった。青天の霹靂というのはまさにこれで、茫然自失これを久しうすということは、自分がこの訃報に接した時にまことに体験したところであった。  自分が三宅先生とご懇意を願うようになったのは、明治三十七、八年(一九〇四・一九〇五)戦役のさい、一緒に戦地見学に出かけた時であった。十数日間いわゆる同舟の好みを結び、あるいは冷たいアンペラの上に御同様南京虫を恐がらされたのであったが、その間にもあの沈黙そのもののごときお口から、ポツリポツリと識見の高邁なところをうけたまわるの機会を得て、その博覧強記と卓見とは心から敬服したことであった。今度考古学会から、先生のご研究を記念すべき論文を募集せられるというので、倭奴国および邪馬台国に関する小篇をあらわして、もって先生の学界における功績を追懐するの料とする。  史学界、考古学界における先生の遺された功績はすこぶる多い。しかしその中において、直接自分の研究にピンときたのは漢委奴国王の問題の解決であった。うけたまわってみればなんの不思議もないことで、それを心づかなかった方がかえって不思議なくらいであるが、そこがいわゆるコロンブスの卵で、それまで普通にそれを怡土国王のことと解して不思議としなかったのであった。さらに唐人らの輩にいたっては、それをもって邪馬台国のことなりとし、あるいはただちに倭国全体の称呼であるとまで誤解していたのだった。 #ref(3_15.rm) (朗読:RealMedia 形式 440KB、3'35'') 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(喜田貞吉){喜田貞吉}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 *底本 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う 底本:『喜田貞吉著作集 第三巻 国史と仏教史』平凡社    1981(昭和56)年11月25日 初版第1刷発行 初出:『考古学雑誌』第6巻第2号    1915(大4)年10月 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 底本:『喜田貞吉著作集 第三巻 国史と仏教史』平凡社    1981(昭和56)年11月25日 初版第1刷発行 初出:『考古学雑誌』第20巻第3号    1930(昭5)年3月 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:210(日本史) http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html *難字、求めよ 援照 所録 曩記 如淳 人名。魏の官人。 巨? 人名。 師古 顔師古(がん しこ)か。581-645 唐の学者。山東臨沂の人。 如墨 国名。 獲物 『釈記』 釈紀、釈日本紀(しゃくにほんぎ)か。 東治 東冶(とうや)か。 *むしとりホイホイ 夷字 → 夷守 【守】 ヒナモリのこと。底本は左辺のとおり。現代表記版を右辺に変更。 *スリーパーズ日記   インドネシア、ジャワ島ムラピ山、10月26日より断続噴火。 カムチャツカ半島、火山噴火。  隣家のさざんか。天童には他にもシュロ・孟宗竹のように暖地性の植物が多い。  五日、佐野洋子、死去。七二歳。  六日(土)晴れ。初肉まん、ピザまん。車窓から林檎の赤。県立博物館。記念講演会、原田昌幸「日本の土偶——世界の中の縄文ヴィーナス」。 2010.11.9:公開 限りなくクジラに近いファシズムが始まる。 目から鼻うんこ。PoorBook G3'69 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- - すべての電子本は流出品である。 -- しだ (2010-11-09 11:58:04) #comment
*M-Tea*3_15-倭奴国および邪馬台国に関する誤解 他 喜田貞吉 *2010.11.6 第三巻 第一五号 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 喜田貞吉     &image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/3_15-1.gif,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/99556)   [[【週刊ミルクティー*第三巻 第一五号】>http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/99556]] (http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/99556) ※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 (560KB) &color(red){定価:200円} p.123 / *99 出版 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(41項目)p.250 ※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。 ※ オリジナル版に加えて、ミルクティー*現代表記版を同時収録。 ※ JIS X 0213・ttz 形式。 ※ この作品は青空文庫にて入力中です。転載・印刷・翻訳は自由です。 (c) Copyright is public domain. *飛び出せ! 週刊ミルクティー*  考古界の重鎮高橋健自君逝(い)かれて、考古学会長三宅先生〔三宅米吉。〕の名をもって追悼の文をもとめられた。しかもまだ自分がその文に筆を染めぬ間にその三宅先生がまた突然逝かれた。本当に突然逝かれたのだった。青天の霹靂というのはまさにこれで、茫然自失これを久しうすということは、自分がこの訃報に接した時にまことに体験したところであった。  自分が三宅先生とご懇意を願うようになったのは、明治三十七、八年(一九〇四・一九〇五)戦役のさい、一緒に戦地見学に出かけた時であった。十数日間いわゆる同舟の好みを結び、あるいは冷たいアンペラの上に御同様南京虫を恐がらされたのであったが、その間にもあの沈黙そのもののごときお口から、ポツリポツリと識見の高邁なところをうけたまわるの機会を得て、その博覧強記と卓見とは心から敬服したことであった。今度考古学会から、先生のご研究を記念すべき論文を募集せられるというので、倭奴国および邪馬台国に関する小篇をあらわして、もって先生の学界における功績を追懐するの料とする。  史学界、考古学界における先生の遺された功績はすこぶる多い。しかしその中において、直接自分の研究にピンときたのは漢委奴国王の問題の解決であった。うけたまわってみればなんの不思議もないことで、それを心づかなかった方がかえって不思議なくらいであるが、そこがいわゆるコロンブスの卵で、それまで普通にそれを怡土国王のことと解して不思議としなかったのであった。さらに唐人らの輩にいたっては、それをもって邪馬台国のことなりとし、あるいはただちに倭国全体の称呼であるとまで誤解していたのだった。 #ref(3_15.rm) (朗読:RealMedia 形式 440KB、3'35'') 喜田貞吉 きた さだきち 1871-1939(明治4.5.24-昭和14.7.3) 歴史学者。徳島県出身。東大卒。文部省に入る。日本歴史地理学会をおこし、雑誌「歴史地理」を刊行。法隆寺再建論を主張。南北両朝並立論を議会で問題にされ休職。のち京大教授。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(喜田貞吉){喜田貞吉}、『広辞苑 第六版』(岩波書店、2008)。 *底本 倭奴国と倭面土国および倭国とについて稲葉君の反問に答う 底本:『喜田貞吉著作集 第三巻 国史と仏教史』平凡社    1981(昭和56)年11月25日 初版第1刷発行 初出:『考古学雑誌』第6巻第2号    1915(大4)年10月 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html 倭奴国および邪馬台国に関する誤解 底本:『喜田貞吉著作集 第三巻 国史と仏教史』平凡社    1981(昭和56)年11月25日 初版第1刷発行 初出:『考古学雑誌』第20巻第3号    1930(昭5)年3月 http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1344.html NDC 分類:210(日本史) http://yozora.kazumi386.org/2/1/ndc210.html *難字、求めよ 援照 所録 曩記 如淳 人名。魏の官人。 巨? 人名。 師古 顔師古(がん しこ)か。581-645 唐の学者。山東臨沂の人。 如墨 国名。 獲物 『釈記』 釈紀、釈日本紀(しゃくにほんぎ)か。 東治 東冶(とうや)か。 *むしとりホイホイ 夷字 → 夷守 【守】 ヒナモリのこと。底本は左辺のとおり。現代表記版を右辺に変更。 *スリーパーズ日記   インドネシア、ジャワ島ムラピ山、10月26日より断続噴火。 カムチャツカ半島、火山噴火。  隣家のさざんか。天童には他にもシュロ・孟宗竹のように暖地性の植物が多い。  五日、佐野洋子、死去。七二歳。  六日(土)晴れ。初肉まん、ピザまん。車窓から林檎の赤。県立博物館。記念講演会、原田昌幸「日本の土偶——世界の中の縄文ヴィーナス」。 2010.11.9:公開 限りなくクジラに近いファシズムが始まる。 目から鼻うんこ。PoorBook G3'69 転載・印刷・翻訳は自由です。 カウンタ:&counter() ---- - すべての電子本は流出品である。 -- しだ (2010-11-09 11:58:04) #comment

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: