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*MT*2_36-右大臣実朝(二)太宰治 *2010.3.27 第二巻 第三六号 右大臣実朝(二) 太宰治 &image(http://www.dl-market.com/images/uploader/620/2_36-1.gif,http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=171&file=milk_tea_2_36.zip) &ref(2_36-2.gif) ◇参照:『改訂総合資料日本史』(浜島書店、1985.2)、『完全制覇・鎌倉幕府』鈴木亨(立風書房、2000.11)。 [[【週刊ミルクティー*第二巻 第三六号】>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=171&file=milk_tea_2_36.zip]] (http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=171&file=milk_tea_2_36.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (592KB) |COLOR(red):月末最終号:無料| p.258 / *99 出版| 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(53項目)p.286 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 *飛び出せ! 週刊でもくり草子* |COLOR(red):オリジナル版|COLOR(blue):でもくり草子*現代表記版| |COLOR(red):右大臣実朝(二)|COLOR(blue):右大臣実朝(二)| |COLOR(red):太宰治|COLOR(blue):太宰治| |COLOR(red):(略)まさにこの御年二十一歳、さらに翌年の御年二十二歳の頃が、将軍家御一身に於かれましても最もお得意の御時期ではなかつたらうかと、私には思はれてなりませぬ。甚だ失礼の推量で、まことに申し上げにくい事でございます。けれども、どうも、それから後は(略)どこやら奇妙な、おそろしいものの気配が、何一つ実体はないのに、それでもなんだか、いやな、灰色のものの影が、御ところの内外にうろついてゐるやうに思はれて、時々ゆゑ知らず、ぞつとする事などもございまして、その不透明な、いまはしい、不安な物の影が年一年と、色濃くなつてまゐりまして、(略)これは何か起らずにはすまぬ、驚天動地の大不祥事が起る、と御ところの人たちひとしく、口には言ひませぬけれども暗黙の裡にうなづき合つてゐたほどでございまして、人の心も解け合はず、お互ひ、これといふ理由もなしに、よそよそしく、疑ひおびえ、とてもこの建暦二年の御時勢の華やかさとは較べものにも何もならぬものでございました。この建暦二年の頃には、まだまだ人の心も、なごやかに睦み合ひ、上のお好みになるところ、下も無邪気にそれを習ひ、(略)まづ入道広元さま、相州さまの御弟君武州時房さま、御長子泰時さま、それから三浦の義村さま、結城の三郎朝光さま、和田の朝盛さま、内藤知親さま、東の重胤さまなどといふ猛将お武骨の面々が、いつのまにやらいつぱしのお歌人になり澄まし、仔細らしく三十一文字を案じて、赤焼けた太いお首をひねりながら御廊下をお歩きになつて居られるお姿などわけもなく微笑しい感じがいたしました。なんでもかでもお歌さへ作れば、よほどの過失があつても、おゆるし下さるさうだなどといふ物欲しげなお気持から、三十一文字を習ひはじめる御家人衆も多く出て来て、(略)真に駘蕩たるものがございました。|COLOR(blue):(略)まさにこの御年二十一歳、さらに翌年の御年二十二歳のころが、将軍家ご一身におかれましても最もお得意のご時期ではなかったろうかと、私には思われてなりませぬ。はなはだ失礼の推量で、まことに申し上げにくいことでございます。けれども、どうも、それから後は(略)どこやら奇妙な、おそろしいものの気配が、なにひとつ実体はないのに、それでもなんだか、いやな、灰色のものの影が、御ところの内外にうろついているように思われて、時々ゆえ知らず、ぞっとすることなどもございまして、その不透明な、いまわしい、不安な物の影が年一年と、色濃くなってまいりまして、(略)これは何かおこらずにはすまぬ、驚天動地の大不祥事がおこる、と御ところの人たちひとしく、口には言いませぬけれども暗黙の裡(うち)にうなずきあっていたほどでございまして、人の心も解けあわず、お互い、これという理由もなしに、よそよそしく、疑いおびえ、とてもこの建暦二年(一二一二)のご時勢のはなやかさとはくらべものにも何もならぬものでございました。この建暦二年のころには、まだまだ人の心も、なごやかに睦(むつ)み合い、上のお好みになるところ、下も無邪気にそれをならい、(略)まず入道広元さま、相州さまの御弟君武州時房(ときふさ)さま、ご長子泰時さま、それから三浦の義村さま、結城の三郎朝光さま、和田の朝盛さま、内藤知親さま、東(とう)の重胤(しげたね)さまなどという猛将・お武骨の面々が、いつのまにやらいっぱしのお歌人になりすまし、仔細らしく三十一文字を案じて、赤焼けた太いお首をひねりながらご廊下をお歩きになっておられるお姿など、わけもなく微笑(ほほえ)ましい感じがいたしました。なんでもかでもお歌さえ作れば、よほどの過失があっても、おゆるしくださるそうだなどという物欲(ものほ)しげなお気持ちから、三十一文字を習いはじめる御家人衆も多く出てきて、(略)まことに駘蕩(たいとう)たるものがございました。| ※ 将軍家……源実朝のこと。 ※ 駘蕩 ……のどかなさま。のんびりしたさま。 #ref(2_36.rm) (朗読:RealMedia 形式 464KB、3'45'') 太宰治 だざい おさむ 1909-1948(明治42.6.19-昭和23.6.13) 小説家。本名、津島修治。青森県生れ。東大中退。屈折した罪悪意識を道化と笑いでつつんだ秀作が多い。第二次大戦後は虚無的・頽廃的な社会感覚を作品化。自殺。作「晩年」「虚構の彷徨」「斜陽」「人間失格」など。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(太宰治){太宰治}、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 *底本 底本:「太宰治全集第五巻」筑摩書房    1990(平成2)年2月27日初版第1刷発行 NDC 分類:913(日本文学:小説.物語) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html *主要キャラ一覧 将軍家、右大臣 → 源実朝。 故右大将 → 源頼朝。 尼御台 → 北条政子。 御台所 → 源実朝の室。坊門信清の娘。 相州、執権相模守 → 北条義時。 武州 → 北条時房。相州(義時)の弟。 左金吾将軍、二品禅室 → 源頼家。頼朝の長子。実朝の兄。 前大膳大夫、大官令、陸奥守 → 大江広元。 前権大納言 → 坊門信清。 善信 ぜんしん → 三善康信。問注所入道か。 左衛門尉 → 和田義盛。侍所別当。 武蔵守 → 大江親広か。広元の長子。 修理亮、匠作 → 北条泰時。義時の長子。 一幡 → 源頼家の長子。 善哉 ぜんざい → 源頼家の次男。号、公暁。 千寿 → 源頼家の三男。号、栄実。 千幡 せんまん → のちの源実朝。 上皇 → 後鳥羽上皇か。 *疑問点 五月三日、酉剋 → 五月二日、酉剋 【『ザ・太宰治』では「二日」】 左衙門尉 → 左衛門尉 【衛、か】 以上、2件。 *難字、求めよ。 三間所 遠向 少生 調禦 追奔 藤御壷 *スリーパーズ日記  花咲きまえの花冷えの一週間。二十八日(日)、村山俊太郎「子どもの世界」など五編が青空文庫にて公開。校正担当は土屋隆さん。収録作品数が 8900 をこえる。(2010.3.29) 2010.3.29:公開 でもくり草子、生活ずりずり教室。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は仕組まれた自由です。 カウンタ:&counter() ---- - 「御ところ」は「おところ」なのか「みところ」なのかわからないので、一応「おんところ」と読んでおきました。 -- しだ (2010-03-30 02:07:02) #comment
*MT*2_36-右大臣実朝(二)太宰治 *2010.3.27 第二巻 第三六号 右大臣実朝(二) 太宰治 &image(http://www.dl-market.com/images/uploader/620/2_36-1.gif,http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=171&file=milk_tea_2_36.zip) &ref(2_36-2.gif) ◇参照:『改訂総合資料日本史』(浜島書店、1985.2)、『完全制覇・鎌倉幕府』鈴木亨(立風書房、2000.11)。 [[【週刊ミルクティー*第二巻 第三六号】>http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=171&file=milk_tea_2_36.zip]] (http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&act=open&pageid=171&file=milk_tea_2_36.zip) ※ クリックするとダウンロードを開始します。 (592KB) |COLOR(red):月末最終号:無料| p.258 / *99 出版| 付録:別冊ミルクティー*Wikipedia(53項目)p.286 ※ 傍点や傍線の見えにくい場合は、T-Time の文字品質(アンチエイリアス)を「標準」にしてご覧ください。 *飛び出せ! 週刊でもくり草子* |COLOR(red):オリジナル版|COLOR(blue):でもくり草子*現代表記版| |COLOR(red):右大臣実朝(二)|COLOR(blue):右大臣実朝(二)| |COLOR(red):太宰治|COLOR(blue):太宰治| |COLOR(red):(略)まさにこの御年二十一歳、さらに翌年の御年二十二歳の頃が、将軍家御一身に於かれましても最もお得意の御時期ではなかつたらうかと、私には思はれてなりませぬ。甚だ失礼の推量で、まことに申し上げにくい事でございます。けれども、どうも、それから後は(略)どこやら奇妙な、おそろしいものの気配が、何一つ実体はないのに、それでもなんだか、いやな、灰色のものの影が、御ところの内外にうろついてゐるやうに思はれて、時々ゆゑ知らず、ぞつとする事などもございまして、その不透明な、いまはしい、不安な物の影が年一年と、色濃くなつてまゐりまして、(略)これは何か起らずにはすまぬ、驚天動地の大不祥事が起る、と御ところの人たちひとしく、口には言ひませぬけれども暗黙の裡にうなづき合つてゐたほどでございまして、人の心も解け合はず、お互ひ、これといふ理由もなしに、よそよそしく、疑ひおびえ、とてもこの建暦二年の御時勢の華やかさとは較べものにも何もならぬものでございました。この建暦二年の頃には、まだまだ人の心も、なごやかに睦み合ひ、上のお好みになるところ、下も無邪気にそれを習ひ、(略)まづ入道広元さま、相州さまの御弟君武州時房さま、御長子泰時さま、それから三浦の義村さま、結城の三郎朝光さま、和田の朝盛さま、内藤知親さま、東の重胤さまなどといふ猛将お武骨の面々が、いつのまにやらいつぱしのお歌人になり澄まし、仔細らしく三十一文字を案じて、赤焼けた太いお首をひねりながら御廊下をお歩きになつて居られるお姿などわけもなく微笑しい感じがいたしました。なんでもかでもお歌さへ作れば、よほどの過失があつても、おゆるし下さるさうだなどといふ物欲しげなお気持から、三十一文字を習ひはじめる御家人衆も多く出て来て、(略)真に駘蕩たるものがございました。|COLOR(blue):(略)まさにこの御年二十一歳、さらに翌年の御年二十二歳のころが、将軍家ご一身におかれましても最もお得意のご時期ではなかったろうかと、私には思われてなりませぬ。はなはだ失礼の推量で、まことに申し上げにくいことでございます。けれども、どうも、それから後は(略)どこやら奇妙な、おそろしいものの気配が、なにひとつ実体はないのに、それでもなんだか、いやな、灰色のものの影が、御ところの内外にうろついているように思われて、時々ゆえ知らず、ぞっとすることなどもございまして、その不透明な、いまわしい、不安な物の影が年一年と、色濃くなってまいりまして、(略)これは何かおこらずにはすまぬ、驚天動地の大不祥事がおこる、と御ところの人たちひとしく、口には言いませぬけれども暗黙の裡(うち)にうなずきあっていたほどでございまして、人の心も解けあわず、お互い、これという理由もなしに、よそよそしく、疑いおびえ、とてもこの建暦二年(一二一二)のご時勢のはなやかさとはくらべものにも何もならぬものでございました。この建暦二年のころには、まだまだ人の心も、なごやかに睦(むつ)み合い、上のお好みになるところ、下も無邪気にそれをならい、(略)まず入道広元さま、相州さまの御弟君武州時房(ときふさ)さま、ご長子泰時さま、それから三浦の義村さま、結城の三郎朝光さま、和田の朝盛さま、内藤知親さま、東(とう)の重胤(しげたね)さまなどという猛将・お武骨の面々が、いつのまにやらいっぱしのお歌人になりすまし、仔細らしく三十一文字を案じて、赤焼けた太いお首をひねりながらご廊下をお歩きになっておられるお姿など、わけもなく微笑(ほほえ)ましい感じがいたしました。なんでもかでもお歌さえ作れば、よほどの過失があっても、おゆるしくださるそうだなどという物欲(ものほ)しげなお気持ちから、三十一文字を習いはじめる御家人衆も多く出てきて、(略)まことに駘蕩(たいとう)たるものがございました。| ※ 将軍家……源実朝のこと。 ※ 駘蕩 ……のどかなさま。のんびりしたさま。 #ref(2_36.rm) (朗読:RealMedia 形式 464KB、3'45'') 太宰治 だざい おさむ 1909-1948(明治42.6.19-昭和23.6.13) 小説家。本名、津島修治。青森県生れ。東大中退。屈折した罪悪意識を道化と笑いでつつんだ秀作が多い。第二次大戦後は虚無的・頽廃的な社会感覚を作品化。自殺。作「晩年」「虚構の彷徨」「斜陽」「人間失格」など。 ◇参照:Wikipedia &link_wikipedia(太宰治){太宰治}、『広辞苑 第六版』(岩波書店)。 *底本 底本:「太宰治全集第五巻」筑摩書房    1990(平成2)年2月27日初版第1刷発行 NDC 分類:913(日本文学:小説.物語) http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc913.html *主要キャラ一覧 将軍家、右大臣 → 源実朝。 故右大将 → 源頼朝。 尼御台 → 北条政子。 御台所 → 源実朝の室。坊門信清の娘。 相州、執権相模守 → 北条義時。 武州 → 北条時房。相州(義時)の弟。 左金吾将軍、二品禅室 → 源頼家。頼朝の長子。実朝の兄。 前大膳大夫、大官令、陸奥守 → 大江広元。 前権大納言 → 坊門信清。 善信 ぜんしん → 三善康信。問注所入道か。 左衛門尉 → 和田義盛。侍所別当。 武蔵守 → 大江親広か。広元の長子。 修理亮、匠作 → 北条泰時。義時の長子。 一幡 → 源頼家の長子。 善哉 ぜんざい → 源頼家の次男。号、公暁。 千寿 → 源頼家の三男。号、栄実。 千幡 せんまん → のちの源実朝。 上皇 → 後鳥羽上皇か。 *疑問点 五月三日、酉剋 → 五月二日、酉剋 【『ザ・太宰治』では「二日」】 左衙門尉 → 左衛門尉 【衛、か】 以上、2件。 *難字、求めよ。 三間所 遠向 少生 調禦 追奔 藤御壷 *スリーパーズ日記  花咲きまえの花冷えの一週間。二十八日(日)、村山俊太郎「子どもの世界」など五編が青空文庫にて公開。校正担当は土屋隆さん。収録作品数が 8900 をこえる。(2010.3.29) 2010.3.29:公開 でもくり草子、生活ずりずり教室。/PoorBook G3'99 翻訳・朗読・転載は仕組まれた自由です。 カウンタ:&counter() ---- - 「御ところ」は「おところ」なのか「みところ」なのかわからないので、一応「おんところ」と読んでおきました。 -- しだ (2010-03-30 02:07:02) - ちょっと調べ物をしようとして、鈴木さんの「あっとちゃんねる」と「青空文庫資料集」をおとずれようとして、リンク先が消えていることに気がつく。 -- しだ (2010-04-03 01:32:39) #comment

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