天夜奇想譚 天夜奇想譚 -狼- Prologue


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作者:飛崎 琥珀

タイトル:Prologue



 ネオンに彩られる遊楽街。
 深夜を回る時間にあって、その人通りは途絶える事がない。
 行き交う人間は愉のしみを求めて彷徨よい、誰もが街のあちこちに潜む危険に気づかない。
 休憩や待ち合わせに使われる噴水の側。其処に一人の少年が立っていた。
 例年以上の寒さを記録している冬の夜にしては、少年の姿はズボンにパーカーと軽装であり、その外観は場所と時間も相まって目立たずにはいられない。
 しかし、少年の前を行き交う人々は、誰一人として少年を気にも留めない。
 少年の横のベンチに座って戯れるカップルも、横で立ち尽くす少年を気にすることなく、赤裸々にその情事を続けている。
 そう、誰も彼を気に止めない。――気づかない。
 少年は、そんな周囲を軽く見渡してから、既に一時間程、一点だけを見つめていた。
 自分と対岸に当たる噴水の前。
 ロングコートを着た、どちらかといえば背の高い女性。
 茶色く染めた髪は艶やかで、控えめながらも整えられた化粧の貌は、すれ違えば異性が振り向いてしまうくらいに美人である。
 しかし、その表情は暗く沈み、何度目かの時間の確認を、左腕の腕時計でしている。
 一時間以上、其処に立っている彼女が待ちぼうけをしているのは、同じ様に其処に立ち尽くしていた少年には明白であった。
 はっきり言えば、彼女は少年の好みの女性である。
 周囲を眺めていた少年は、その自分の好みの女性が待ち合わせをしているのを見つけて、どんな彼氏が来るのか見届けてやろうとしていた。
 そわそわと待つ女性の顔が、二度、三度と時計を気にし始め、その表情を暗くするにつれ、少年は彼女が約束をすっぽかされたことに気づいていた。
 それでも、じっと待ち続ける女性に、少年は遅れてでも良いから、彼女の――そして、自分のために彼氏が約束の此処にやって来ることを願った。
 しかし、とうとう時計の長針が二週目を過ぎようとした時、女性は、そっと時計を見るのをやめた。
 少年は、その姿を見て何か胸の奥がぽっかりと空くのを感じた。それと同時に、何か言いようのない怒りが胸の奥からこみ上げてくる。
 そして、その場を動き始めた女性の姿を見て、少年は、やっとその棒立ちだった足を動かして、彼女の方へ駆け寄った。
「お姉さん」
「――え!?」


          ◇


「へえ。雄二“ゆうじ”くん、月明の学生なんだ。そうだよね、見たまんままだ未成年だし」
 女性――片岡 彩香“かたおか さやか”は、自分に声を掛けてきた少年――藤代 雄二“ふじしろ ゆうじ”と話をしながら、遊楽街の外れにやってきていた。
 約束をすっぽかされた事に気づいた彩香は、泣き出しそうになる自分に気づき、急いでその場を離れようとした。
 あと少し、自分に声を掛けるこの少年に驚かなければ、自分は往来の場で泣き出していたかもしれないと、彩香は顔を赤くする。
 声を掛けてきたのが子供だと気づいた時、言いようのない落胆と同時に、何処か安堵する心が、彩香の中にはあった。
 控えめに見て美形と言える雄二の貌に微笑まれた彩香は、言いようのない救いを感じていた。
「でも、本当によかったの? 彼氏と待ち合わせしてたんでしょ」
 気を許せば、約束の場所から離れて此処まで、執拗に話しかける雄二に段々と笑みを見せると、雄二は申し訳なさそうに、そんな問いを発していた。
 一瞬、言葉に詰まった彩香は、しかし、表情に笑みを戻すと――、
「いいのよ、あんな奴。元々、最近会ってなかったし。きっと他に女ができたんだと思う。
 本当はさ。私、友達にあいつの女グセの悪いところ聞かされてたんだ。それで、そんな話はウソだって、本人に会って言って欲しかったんだけど…」
 結果はごらんの通り、約束すら守ってくれない奴だった、と彩香は笑って答えた。
 その顔があまりにも痛々しくて、雄二は思わず彩香の顔をじっと見つめる。
「彩香さんみたいな綺麗な人を裏切るなんて、きっとそいつ、女性を見る目がないんだよ」
 雄二の真剣な顔に驚いた彩香は、しかし、目に涙をかすかに浮かべて微笑んだ。
「キミ、意外と年上殺しだね。でも、ありがとう」
 彩香は涙を拭うと、雄二の手をとった。
「え、ちょっと彩香さん!?」
「ほら早く! 今夜は私が何でも奢ってあげるから、最後まで私のエスコートしてね」
 戸惑う雄二の手を引いて、彩香は楽しそうに雄二へと向き直る。最初は戸惑っていた雄二も、次第に戸惑いを笑みに変え、彩香と共に夜の街へ繰り出した。


          ◇


「はぁ――、堪能した。久しぶりに童心に帰った気がするわ」
 少し休もうと言い出した彩香は、二人して人気のない公園へやってくると、夜風を一心に浴びるように伸びをする。
 街のイルミネーションを見て周り、ゲームセンターで熱くなって、ラーメン屋で早食いをする。
 二人して街に繰り出してからの彩香は、雄二の目からもまるで同年代の少女の様に思えた。
 だが、自然と雄二の目には、そんな彩香が見劣りする様なことはなかった。
 気持ちよさそうに伸びをする彩香の横顔も、雄二には、見ていて飽きない絵画のように見えている。
「どうしたの?」
 自分をじっと見る雄二に、彩香は爽やかな笑みを向ける。
「あ…、えっと、す、座ろうよ!」
 突然声を掛けられ、慌ててベンチを指差して雄二は先に向かってしまう。
 その姿を見て笑う彩香も、雄二に続くようにベンチに腰を下ろした。
 互いに声を発することなく、しばしの沈黙が続く。
 気まずさを感じた雄二は、何かを言おうとして彩香を見つめ――その瞳が晴れ晴れとしていることに気づいた。
 その瞳に吸い込まれそうになって、雄二はまた言葉を失う。
「どうしたの、雄二くん?」
 また自分を見ている雄二に気づいた彩香が、そう訊ねる。
「あ、いや。彩香さんが元気になってくれてよかったな、て…」
 思ったままに口にした雄二の言葉に、彩香は笑みを濃くする。
「うん、雄二くんのおかげだよ。あのまま帰ってたら、私きっと今頃は大泣きしてるところだったかも」
 だからね、と彩香は雄二の顔を覗き込む。
 その貌が、何処か女を感じさせる艶を出している事に、雄二は気づいていた。
「ん――」
 突然吹いた風に、彩香は僅かに身をすくませる。
 その様子に、雄二は自分の心がひとつの衝動に染まっていくのを実感する。
「――寒い?」
 雄二の声音は、既に落ち着きを取り戻していた。
「うん、ちょっとだけ。でも、雄二くんの方が寒いんじゃない? ずいぶんと薄着だけど」
「うん。だから彩香さんで暖めて欲しい」
「――もう。ませたこと言うんだから」
 くすりと笑う彩香だが、雄二が一息、二人の顔の距離を詰めることで、その笑みが止まった。
 頬を赤らめ恥ずかしがる彩香は、年下の少年から視線を逸らしそうになって、しかし年上としてのプライドがそれをとめた。
「僕、彩香さんで温まりたいな。身体も――心も」
「もう。本当はこういうのを期待してあそこにいたんじゃないの? 実は私も他の子と同じ様に騙されたのかしら」
「どうだろ。――でも、彩香さんみたいな綺麗な人は、初めて出会ったよ」
「本当に、口がうまいんだから――あ、」
 彩香の手に、雄二の手が添えられる。その事に驚いている間に、彩香は雄二の唇を許していた。
「ん、うん――」
 軽い口付けから段々と激しくなっていく雄二の口付けに、彩香はなす術もなくされるがままとなる。
 息が苦しくなり始めたところで、そっと雄二の唇が離れた。
 つう、と二人の間に引く糸に、彩香は恥ずかしさと高まる感情に身体を疼かせた。
「もう、本当に上手なんだから――え!?」
 そっと胸元に添えられた雄二の手に、彩香はそのままベンチへと押し倒される。
「こんな、ところで…?」
「大丈夫だよ。誰も来ないから。――僕が彩香さんを暖めてあげる」
「あ、待って――、」
 彩香の制止の声が、雄二の口付けで遮られる。
 再び自分の口に進入する暖かさに、強張っていた彩香の身体は、徐々に硬さを失っていった。
 耳に、頬に、首に、胸に、雄二の手と舌が這い、彩香は甘い声を吐き出す。
 年下とは思えない、女を知り尽くした雄二の愛撫に、彩香は今まで感じたことのない高ぶりと、なす術のない悔しさが浮かんでいく。
 その二つの感情が、彩香の疼きをいっそう強いものにしていた。
「ん、――はあ、はあ…。痛っ!!」
 徐々に思考が薄れていく中、不意に胸に突き立った痛みに、僅かに意識を取り戻した。
「ちょっと、雄二くん。あんまりがっつかないで――、」
 若さに暴走しようとする雄二を落ち着けようとして、しかし、彩香は声を失った。
 自分の乳房を押さえる雄二の手。――そう、雄二の手であるはずのそれが、鋭利な爪を持ち、薄黒い毛に覆われていたからだ。
「どうしたの、彩香さん? ほら、服を脱がすよ」
 愉しそうに笑う雄二の手が、彩香の上着を肌蹴させ、白いシャツに爪を立てる。
「ひぃっ!」
 ジリジリとシャツの繊維だけを切り裂いていく爪に、彩香は小さな悲鳴を上げる。
 爪によってシャツと下のブラまで切り裂かれた彩香は、薄桃色の乳首をあらわにする。
「綺麗なおっぱいだね、彩香さん。僕、しゃぶりつきたいよ」
 そう言って、乳房に噛み付こうとする雄二の歯は、鋸のような犬歯が並んでいた。
「い、いや! 止めてぇ!!」
 此処に来て、彩香は全身に恐怖が沸き立つのを感じた。と同時に、昔々の歌のフレーズを何故か思い出してしまった。
 さっきまで心を許していた年下の男が、薄黒い毛に覆われた手をしていて、その口は獣のように牙を剥き出しにしていた。
「良かった。彩香さんもやっぱりそういった類の才能があったんだね。他の人はこの姿の僕が見えていないから、ただ殺して食べるだけなんだけど。
――彩香さんだけは、優しく、生きたまま食べてあげるよ」
彩香には、その訳の分からない言葉を理解する余裕は既になくなっていた。
 何度も泣き叫び、自分に圧し掛かっている存在から逃れようとするが、その声が誰かに届くことも、その身を押しのけて逃げることも叶わなかった。
「どうしてそんなに嫌がるの。僕はただ、彩香さんの悲しみを癒してあげたいだけなのに。ほら見て、僕の姿を…」
「い、いやっ…!」
 彩香に圧し掛かる影は既に人ではなかった。
 全身を薄黒い体毛に覆われたそれは、先に尖る様な口を持つ犬の顔をしていた。
 その異形に恐怖が臨界にまで達しようとする中。
 剥き出しになる犬歯が彩香の胸に喰らいつこうとして、彩香は最後の力を振り絞って叫び声をあげた。
「止めてぇ――!!」
 瞬間。目の前からその顔が消えた。
「えっ?」
 驚きに目を見開く彩香は、遠くで大きな何かが引きずるような音を耳にした。
「――大丈夫か?」
 すぐ側で、無愛想で――しかし、何処か優しさを感じる男の声がした――かと思えば、そっと黒い外套が、あらわになった胸を隠すように自分に掛けられた。
 そっと見上げれば、一目で長躯だと分かる男の背中があった。
 すらりと引き締まった足も、身体も、黒いズボンと長袖の服に覆われ、無駄のない体躯が伺える。
 背中まで伸びた黒髪は艶のある癖毛で、右目を隠していた。
 その髪の隙間から、見えている茶色の瞳とは違う、銀の三白眼が微かに覗いた。
 その、一目で異性の心をときめかせる様な整った顔立ちで、自分の前に立つ青年は彩香を見下ろした。
「――もう大丈夫だ。少し休んでいろ」
 先ほどと同じ、無愛想ながらもたくましい声が、まるで呪文の様に彩香の身体の緊張を解く。
 強張っていた身体が力を失えば、それに繋がるように意識が薄れていった。
「――――あ、駄目…」
 眠ってはいけないと思う心と、このまま全てを忘れてしまいたいと思う心が、僅か、数回の瞬きの間に葛藤する。
 しかし、身体がベンチの上に横たわる頃には、彩香の意識は静かな眠りへと落ちていった。


 ――彩香が次に目を覚ました頃。
 其処には、真上に昇る太陽と、無残に抉られた公園の地面、薙ぎ倒された木々が残っているだけだった。


          ◇


 静まり返っていた公園に、破砕音が広がった。
 アスファルトの路面を抉り、土煙を上げる場所には、無様に倒れる黒い塊が蠢いている。
 体毛に覆われ、身体の至るところが埃で汚れている。
 しかし、十メートルという距離を殴り飛ばされたにも関わらず、その身体には傷ひとつ存在しなかった。
「――男は狼なのよ、気をつけなさい♪」
 調子っぱずれま歌を口ずさんでゆっくりと立ち上がる影は、赤い三白眼を自分を殴りつけた相手に向けた。
 黒い服の――まだ青年とも呼べる男。
 無愛想な顔をこちらに向けているのが気に食わないのか、狼男は牙をぎらつかせて笑みの形を作る。
「おじさん。彼女は僕が初めに見つけたんだ。後から出てきて横取りしないでくれないかな」
 既に声も変質させた雄二は、ガラガラと擦れた声を上げて、既に敵と認識した青年を睨み付ける。
「ほら。その大きなケースで一撃を入れた事は忘れてあげるから。早く何処かに行っちゃいなよ。僕、男を喰らう趣味はないんだよね」
 だから、例外なく男は八つ裂きに切り刻んできた事を、雄二は口にしない。
 目の前の青年が背中を向ければ、一息にその鋭い爪の餌食にするつもりだ。
「本当はさ。今回は最初からうまく行ってなかったんだ。
 最初は、あの女を彼氏の目の前で、犯して喰らってやろうと思ったんだけど。肝心の男の方があの女を捨てちゃったでしょ。まあ、年下の女にすぐ股を開くような尻軽女じゃ、捨てられて当然だろうけどね。
 まあだから、せめて彼女は愉しく食べたいと思っていたんだ」
 饒舌に喋る雄二を、青年は無愛想なまま、雄二の話を聞いているのかも分からない表情で立ちつくしている。
「なのにさ。いざって時になって、おじさんみたいなヒーロー気取りがやって来て…。
 ――本当、僕今、マジでムカついてるんだけど」
 殺気を膨らませて、今にも襲い掛かろうと雄二は青年を威嚇する。
 しかし、雄二の殺気に晒される青年の表情は、何処までも涼しげなものだった。
 その表情が、雄二の愉悦感を根こそぎ削ぎ落とす。
「その貌を、やめろって行ってんだろ!!
 お前、この俺が何か分かってんのか? 狼男だぞ、狼男!
 お前みたいな人間、この爪で、この牙一発でお陀仏なんだよ! どうだ、びびったか!? ――なら、その澄ました貌を止めろ!!」
 我を忘れて激昂する雄二に、青年は初めて表情を変えた。さもつまらないと言いたげな、何処か侮蔑を含んだ目を向け――、
「違うな…」
 ぼそりと、しかしよく通る声で青年は呟いた。
「お前は狼なんかじゃない。――ただの駄犬だ」
 さも事実のように、簡潔に述べた青年の言葉に、雄二と青年の間にある空気が割れた。
 身体を震わせる雄二は、カタカタと噛み合わない歯を揺らし――いちどだけ。歯を噛んだ。
「アンタ、殺してやるよ!」
 雄二はアスファルトを踏みしめた足を膨らませ、弾丸のように青年へと飛びかかった。
 人の肉眼では、プロの野球選手すら視認することが難しい、百五十キロメートルを超える超弾丸速。
 十メートルという距離は、刹那の間にゼロと化していた。
 必殺の手ごたえを持って、雄二は黒衣の青年に肉薄していた。
 それも、直線ではなく必殺を期した二段階の直角軌道。
 くの字を描くように、青年の前髪で隠れた視界から攻め込んだ雄二は――気がつけば、人とは思えない銀の三白眼に捕らえられていた。
「――えっ?」
 自分の動きが見透かされている事への驚きか。それとも、その瞳を見てしまったがための、内に出ていた恐怖の自覚か。
 何れにせよ、その声が――藤代 雄二の最後の言葉となった。
 青年に爪を届かせる距離まであと五ミリという距離で、狼男の顔面が、横から振り上げられた黒い塊に殴り飛ばされていた。
 自分が持つ速度をそのままに、軌道を逸らされた巨体は、そのまま青年の後ろにある木々へと突っ込んだ。
 圧倒的な暴力で薙ぎ倒される木々に、気を失った狼男が、だらりと力なくぶら下がっていた。
 骨を折る勢いで繰り出された一撃も、人ではない異形の存在には、脳震盪を起こすに留まっていた。
 しかし、青年は構わないとでも言うように、狼男から視線を逸らすと、ベンチで倒れる女性――彩香へと歩き出した。
 穏やかに眠る彩香の寝顔に、青年はどうしたものかと、困った顔をする。
 その、感情らしい感情をはじめて浮かべた青年に――、
「ご苦労様です、沙耶”さや”」
 突然現れた少女が、笑みを浮かべながら名を呼んだ。


          ◇


 惨状の広がる公園に現れた少女――烽火“のろし”は、何処からか持ってきた毛布を抱えたまま、青年――沙耶”さや”の横を通り過ぎて、彩香の眠るベンチへと向かう。
 沙耶の外套を抱きしめて眠る、無防備な彩香の姿を赤縁の眼鏡越しから見る目は、呆れた色を映し出していた。
 それが同じ女としてのものなのか。それとも、自分より年上の人間のだらしなさに対する苦笑なのか。
 烽火は乱暴に外套を彩香から取り上げると、それを沙耶に渡して持っていた毛布を代わりに掛けてやる。
 一向に目を覚ます気配のない彩香を無視して、烽火は外套を着て皺を伸ばしている沙耶へと向き直った。
 着直した外套のポケットから、沙耶は女物のハンカチを一枚取り出していた。
 彩香が外套を抱きしめている間に、皺になったりしていないかと確認する沙耶に、烽火は今度は酷く冷めた視線を向ける。
 それに気づいた沙耶は、黙ってハンカチをポケットに戻すと、思い出した様に木々に突っ込んだ狼男に向き直る。
「――また、外れみたいですね。これで十人目ですけど、思ったよりも相手は数が多いようですね」
 不満そうな声を発しながら、烽火は伸びている狼男の方へ向き直る。既にその身体は獣のそれではなく、裸をあらわにした高校生の――人間の姿だ。
「《感染者》-フォースデーモン-の拘束、処理も勿論重要ですけど。今回は数を増やしているのは《真祖》-トゥルーデーモン-と思われる一人だけです。《真祖》自体を拘束しなければ、いつまでも《感染者》が増え続けることになります」
 思ったよりも、面倒な任務になりましたね、と烽火は楽しそうに沙耶を見る。
「そんな事はいつもの事だ。それより、その肝心の《真祖》の匂いは覚えた」
「本当ですか!? いつもより時間が掛かってたんで、そっちの方は今回は当てにしてなかったんですけど」
 沙耶が有する有益な特徴が、まだ発揮している事に烽火は喜んだ。
「この街は、異形の匂いが多すぎる」
「それは当然ですよ。全ての異形が集う始まりの地。そんな風に言われている街なんですから。
 本当は私、こんな任務はとっとと終わらせて、会ってみたい人がいるんですからね」
「――“鬼殺し”の少女、か」
「そうですよ。本当はこんな任務、私の予想では十日ぐらいで済んでしまうはずだったんですから」
 欧州からこの地へ逃れてきた異形――“狼男”と分類されるそれが、この天夜市にいることが分かってから。
 その危険性と欧州側からの救援要請に急かされ、ちょうど休暇を与えられるはずだった一人の《傭兵》-マーセナリー-とそのパートナーが、何の因果か借り出された。
 気乗りのしない《傭兵》の胸中を無視し、《討滅対象》-ターゲット-の潜伏先を知ったパートナーが、一言返事で返してしまった。
 単純な任務だと、内容を見た傭兵も納得したが、蓋を開けてみれば、現状の様子だった。
 当初は、日本に逃れたターゲットを追い詰めるだけと思われていたこの任務も、様々な不幸が重なって、思ったはかどりを見せていなかった。
「それで、あっちからの増援は何時来るんだ?」
「まだ内部抗争の事後処理に追われているみたいですね。増援組がこっちに着くのも、あと三日は掛かるかと…」
「――そもそも、あっちが主導で動くはずの任務だろ」
 元々、沙耶たちは日本側での彼ら――“聖ラザロ騎士団”の後方支援――バックアップが任務であった。
 しかし、いざ蓋を開けてみれば、欧州からやって来る《追跡者》-チェイサー-は、本部で起こった内部抗争に追われ出発を延期。天夜市に置かれているはずの支部もまた、本部の問題に掛かりきりで、こちらとの接触すら持たない。
「俺たちのことなんか、忘れてしまったようだな」
「統括組織内でも、早くこちらに合流するように言ってあるんですけどね。――ほら、あっちは独自色が強いですから」
 騎士団内の派閥争いは、統括組織や協会本部側でも有名な話だ。
 そもそも、今回の内部抗争も派閥争いの延長線上にあり、ある一派が、今回のターゲットを国外に逃した事による他派閥からの糾弾によって発展した抗争である。
「――迷惑な話だ」
 沙耶の言葉は最もだが、いま言っても詮無いことである。
「――さて。とにかく、この《感染者》はこのまま組織に引き渡すとして…。
 どうします、今日はもう戻りますか?」
 烽火は、着ているコートから携帯電話を取り出すと、短縮ダイヤルを押しながら沙耶を見る。
 烽火の提案に応じようと周囲をもう一度だけ辺りを見渡した沙耶は――、
「―――!」
 一際強い風が沙耶たちの間を吹きぬけた瞬間、沙耶は微かに――しかし、確かにその匂いを嗅ぎ取った。
「まだ、奴らがいる。――それに、この匂い」
「――え?」
 電話に集中していた烽火は、沙耶の言葉を聞き逃した。
 しかし、烽火が沙耶に聞き返す前に、沙耶は烽火に背を向けると、雲ひとつない満天の夜空へと飛翔した。


          ◇


 遊楽街に聳えるビルの屋上にたどり着くと、沙耶はそのまま次のビルへと飛び移る。
 間隔、十メートル以上はくだらないビルとビルの間を、沙耶は何でもないかのように渡っていく。
 冬の夜空を疾駆する姿に隙はなく、外套をはためかせる姿は、眼下を移動する人々の目には留まらない。
 やがて、ネオンの明かりを失った土地にたどり着けば、ビルの姿はなくなり、綺麗に舗装された道が網目のように広がる住宅街へとたどり着く。
 沙耶は、その家々の屋根を伝い、風に混じった匂いを追いかける。
 そう。先ほど倒した獣じみた異形の匂いに混じって、つい先日記憶したあの太陽の様な匂い。
「―――!」
 煉瓦色の屋根を飛び降りた先――先ほどの公園とは規模も金の掛け方も違う、何処にでもある小さな公園。
 其処には、二つの人影があった。
 一人は、近所の学校のものと思われる制服姿の少女。短く切った髪は、まるで怒りに逆立つように風に遊ばれている。
 一見、華奢としか表現できない体躯のその少女は、自分と同じくらいの背格好をした少女を、その細い片腕で首を絞め、相手を持ち上げていた。
 その栗色の髪と、苦しげに表情を歪める横顔に、沙耶は確かに記憶した通りの相手を認識した。
「―――!!」
 沙耶は、恐ろしいほどの速さで――しかし、正確な動きでケースの留め金を外した。
 幾度も繰り返された動作に、沙耶は意識することなく蓋を開ける。
 赤い内色の中から顔を覗かせたのは、一本の刃を持った鉄の塊と、整然と並べられた金の薬莢の並び。
 自分の腕以上はあるソレを取り出した沙耶は、剣と呼ぶにはあり得ない部分に手を添える。
 人の拳ほどの大きさの――輪胴式の弾装。
 大口径の銃弾を収めるドラムタイプのリボルバーを、沙耶は黒皮のグローブを嵌めた手で乱暴に開く。
 収まっている六本の弾薬を確認した沙耶は、リボルバーを元に戻して刃を下に向けた。
 そして、柄となる場所の上部に取り付けられた引鉄を――引いた。
 夜気に混じる、凶悪な惨劇を告げる、乾いた三発の音。
 激鉄によって撃ち出された弾は、刃の根に全て激突した。
 全てが高速で撃ちだされ、そして、三弾異色の弾が、刃に降りかかる火花となって散った。
 瞬間――それは起こった。
「え?」
 人を持ち上げていた少女が、その異変に驚く。
 それが起きた原因である沙耶に気づいた瞬間、それは全て終わっていた。


          ◇


 まず起きたのは、銃弾の衝突によって振動した刃だ。
黒と青と無色の火花を浴びた刃は、その白銀の鏡面を漆黒へと変えた。
 夜気を照らした面は、全ての光を飲み込む闇となり、その刃を構えた沙耶は、首を絞める少女の腕へと切り払った。
 間合いの外にあった少女の腕は、確かに間合いの外にあり――そして斬られた。
 沙耶が繰り出した斬撃は夜の空間を割って、その腕を絶つ間合いへと飛んだのだ。
 次元を超え、斬撃を届かせる。
 そんな魔法染みた現象を起こしたのは、たった三発の銃弾。
 そんなふざけたトリックによって自分の腕が切り落とされた少女は、その弾の価値を知ることなく、痛みと怒りの恐怖を沙耶へと向ける。
 しかし、拘束を逃れて尻餅を着いた少女が、腕を切られた少女を見上げた時には、沙耶の漆黒の刃はその胸へと突き立とうとしていた。
 沙耶が勝利を確信した一瞬――それは起きた。
「駄目ぇ―――!!」
 突然声を上げた少女の声。
 それが、大切な友人を守る一声であった時、沙耶の身にそれは起きた。
 必殺の突きを決めるために踏みしめた足が、糸が切れたように力を失う。
 突き立てるように込めた腕の力が、まるで見えない壁に阻まれる様に進むことが出来なかった。
 驚いた沙耶は、叫びを上げ、自分たちを見上げる少女を見た。そこには、月光を反射する――、
「――涙」
 それは、致命的な隙であった。
 前髪に隠れた沙耶の視界から、無事な腕が沙耶の顔面へと伸びていた。
 白い体毛に覆われた、爪の付いた腕。
 そう。相手は異形であるはずなのに、自分はこの少女の叫びと涙に逡巡してしまった。
「――そんなはずはない!」
 その様な感情――沙耶は、認めない。
 だが、現実はまったくいうことを聞かない己の肉体だった。


 そして、沙耶は全ての思考の終着点として、その爪が己の眼に突き立てられることを覚悟した。




-To be continued-


-
-
-


よろしければ、コメントをおねがいします。
「まだまだ拙いですが、温かく見守ってください by琥珀」



  • テスト -- (琥珀) 2009-02-05 02:51:20
  • テスト完了 -- (琥珀) 2009-02-05 16:36:51
  • テステス
    -- (グリム) 2009-02-14 23:37:47
  • 初めまして、読ませて頂きました。
    傭兵のように特定機関に属さない退魔士っていいですね。
    浪漫です。
    全体的な雰囲気がいい感じ。
    沙耶の成り立ちも少しばかり気になるとこです。
    続編お待ちしております。 -- (グリム) 2009-02-14 23:41:41
  • グリムさん、コメントありがとうございます。
    一度のタイトルに長々と書くので、大変読みづらいなあと思います(苦笑)
    一応、私は仕事をしていて、あまり執筆に時間をかけられない生活をしていますが、
    月にひとつは出せるようにがんばりたいと思っています。
    グリムさんの生み出した世界に、少しでも彩を添えられたら幸いです。
    これからもよろしくお願いします。

    閑話休題。
    次の章。本編の話を今書いています。
    2月中には出せるようにしたいと思っているので、
    どれどれ、とお待ちください(笑) -- (琥珀) 2009-02-15 03:18:15
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※あと、普段のネットを携帯でおこなっているので、ircに参加する方法がよくわかっていません。
なので、ここでグリムさんたちからお言葉をいただけたら幸いですm(._.)m



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