天夜奇想譚

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だれでも歓迎! 編集

作者:グリム

タイトル:狩猟者―狼煙/Cat box― 2/2




 油をフライパンに流し、広げる。

「……最近炒め物ばっかりな気がするな」

 呟いて、ニンジンを投入。炒める音が響く。鍋以外は炒め物系が主流になってきた気がする――いや、別に炒め物が悪いわけじゃないが、さすがにこれではバランスが悪い。でも残った材料を使いきるにはこれが一番の方法でもある。

 今一番に考える事はバランスじゃない。

 振り返る。そこには不機嫌な姉貴が不機嫌そうにテレビを眺めながら、不機嫌そうに人差指でテーブルを叩いていた。

 肉野菜炒めができあがり、振り返ってみる。もう一回前を向く、振り返る。間違いなく姉貴は銃を抜いていた。ペンを弄くるような手軽さで銃を弄っている。深呼吸を一つして、声を掛ける。

「姉貴、できたよ」

「あ――?」

 姉貴がこちらを見る。

「ああ。じゃあ食べよう」

 そう言って、テレビの電源を切った。

 ……しばし、肉野菜炒めの大皿を持ったまま固まる。

 般若のような表情、ってあんなのを言うんだな。頭を振って、大皿をテーブルに運ぶ。それから踵を返し、あの表情を出来るだけ忘れるように心がけ、炊飯器の中から白米をよそった。味噌汁を注ぎ、茶碗を並べ、箸と取り皿を置く。

 静かな食卓。

 静か――と、少し殺気を含んだ食卓。

「海晴。これを食べたらまた出る。戸締りはしっかりしろよ」

 箸のぶつかる音だけの空間に、姉貴の声が響く。顔を上げる。姉貴は箸を止めて、窓から外を見ていた。庭に、隣家の光が差し込んでいる。何を考えている川から無いけど、その横顔は不機嫌だけではなくて――

 視線を下ろす。

 それからの晩飯は、味が分からなかった。

 姉貴は食事を終えると、また戸締りをするように念を押して、言葉少なに出て行った。

 食器を洗い終え、手を拭いてから、音源のなくなったリビングをボンヤリと眺める。数日前、樫月や穂積さんや、樋沼さんがここで騒いでいたのか、なんて、考える。あの日は夜遅くまで騒いで、楽しんだ。でもそれは、やっぱり一夜の夢だったのだろうか。キッチンの電気を消すと、少しだけ室内が暗くなった。

 夜。寒い夜。二十二時。

 ほんの少しまでは大して寂しくなかったのに、無性に寂しい。

 そんな考えを振り切って、今までは何とも思わなかったその静けさを受け容れる。テレビを点けて、適当な番組を垂れ流す。どこか遠くに聞こえる笑い声を聞きながら、ブラウン管を眺める。少し寒かったので、暖房を入れて室内を暖めて寒さを凌ぐ。

「コーヒー、入れるか」

 小さく響かせたその声さえ、虚しいだけ。

 ×××。





 天夜市の南には、人の住まわない工業地帯がある。確か、三十年か四十年も前の話だ。天夜市の開発の一環らしいが、その辺に人家はない。住んでいるのはホームレスか、私の手を煩わせる人かバケモノ。

 セダンに寄りかかりながら、夜空を眺める。

 繁華街よりもこっちの方が星が綺麗に見えるような気がする。気のせいかもしれんが。

 足音。

「よ、柚子ちゃん」

 弾丸が空気を引き裂いて地面を穿つ。……至近距離なら意外と異形にも効くのかもしれん。ボンヤリと考える。

「……鉛弾での挨拶ってなぁ、ハイカラじゃないの。ん?」

 闇から浮かび上がるように姿を現したのは、赤い髪をオールバックに整えた老人。広い肩幅に黒いトレンチコート、その立ち姿だけでそれなり以上の武術をたしなんでいる事がわかる。少なくとも、老人のカテゴリから一歩か、両足が飛び出ているのは間違いないだろう。そいつは長物のあるらしい薄紫色の大袋を背負っていた。そう言えば、私もこいつの得物は見たことがない。

 老人の名は赤星。下の名前もあった気がするが、覚えてないから省く。

「ここはもう敵地なんだしさ、少しは警戒しないかな?」

 ニカッと赤星は笑う。その顔面に穴を二つほど開けたいと思ったが、抑えつつ銃をホルスターへ。

「知らん。……で、他には?」

「舐められたものだな。俺一人居れば十分だろう」

 自信ありげに笑う赤星。何かもう、ホルスターに手を伸ばしかける。が、やめた。この老人の自信は根拠のないものでもないし、実際、この赤星は裁定者として、統括に反発した退魔組織を潰した事がある。単独での任務も一つや二つではなかったはずだ。

 一騎当千の兵器。――裁定者。

「で、柚子ちゃん。相手さんに動きは?」

「ちゃんを付けるな」

「だから、前にも言っただろ? 年寄りなりの愛情表現だって――」

「対象は捕捉してない。容疑者は行動らしい行動にも移してないし、私一人じゃ探しきれない」

 癪なので、赤星の言葉をぶった切った。少し微妙な顔をしていたが、しかし、赤星は軽快に笑って、おちゃめだなぁ、とか意味不明な一言で流した。

 息を吐く。この辺は人の気配がないのも相まって寒い。

 赤星は年寄りのくせに平気な顔をしてる。弱気を吐くと色々とからかわれそうなので我慢を決め込む。

「で、安倍のお嬢はなんて?」

 その言葉に、黙り込む。少し前、電話での会話が思い出される。


『調査、ご苦労様でした』

 あの憎々しげな笑みが浮かんできそうな労いの言葉。

『じゃ、柚子“ちゃん”。その調査はもういいですので、次の仕事に移ってください』

 敢えて、ちゃん付けには突っ込まない。問題は、安倍の言った言葉。――次の仕事に移ってください?

「どう言う事だ。私は捜査チームのための人員を――」

『柚子ちゃんの仕事はここまでです。“ご苦労様でした”』

 “お前の踏み出せるのはここまでだ”。

 電話越しの言葉が二重に聞こえた。頭を振る。こう言うことは少なくない。市警に居るのは退魔士じゃないし、ここ一体を取り仕切ってるのは統括機関であり、その頂点に立つのがこの女だ。逆らう事のできない、絶壁。

 ……息を吐いて、気持ちを整える。怒る度に携帯電話を新調するのも海晴に悪い。

「それで、次の調査と言うのは?」

『天夜と名乗る勢力が工場地帯で今晩アクションを起こすようなので、そちらに向かってください詳細は追って届けます』

 言外に逆らう事を許さない、と安倍は言っていた。

 もちろん、そんな事ができるわけがない。――彼女は、覆す事はできない。

 腹立たしくて、手に力が篭る。

「……分かった」

 僅かな反撃のつもりで、舌打ちをして電話を切った。

 三代目の携帯電話は、知らず掌の中で握り潰されていた。



 いやな事を思い出した。怪訝な顔をしている赤星に資料を突き出し、思考を一新するようにその内容を思い出す。しかし思い出すまでもなく、資料の内容は単純なものだった。

 ――“天夜”。退魔士、姫月菖蒲が襲撃を受けて以来、軽視できなくなった勢力。ただ、私も一介の警察官に過ぎないので詳しい情報は回ってこない。ただ上層部はその勢力を“退魔士”と言う位置づけではなく、“異形”に位置づけさせたらしい。一般人に害を為す人間だからと言って、こんな処断は例を見ない。絶対悪宣言。私にはそう見えた。

 私は間違っているのではないだろうか。強い人間ではない私は、そんな事を考える。

 でもそれよりも、他人なんかよりも家族や知り合いさえ守れれば、他はどうでもいいとも考える。

「分かり易くて結構だねぇ」

 資料を読み終えたのか、赤星が若干呆れ混じりにそれを突き返してくる。

 今回の仕事は、私に言わせれば遅すぎる処理だ。かいつまむと、天夜と言う勢力が今晩に、工業地帯で巨大な異形を作り出すので、それを妨害、或いは破壊した上で天夜勢力をふんじばれ、とのこと。

「が、相手についての情報がなさ過ぎる。相変わらずと言うか、安倍のお嬢は無茶を言う」

 腕組みをする老人を横目に、連なる工場の、締め切られたシャッターを眺める。人払いは手回しされているらしい。

「ムチャだろうと、仕事だろう」

 自分に言い聞かせるように言って、息を吐く。

「年寄りの冷や水で腰やったりしないでくれよ」

 皮肉も忘れずに。

「おいおい、柚子ちゃんこそ。あんまり可愛い異形が出てきたって手ぇ抜くのは止めてくれよ」

 ……

 振るった裏拳はあっさりと空を切った。と、同時に。


 ――少し向こうにある建物が轟音と共に吹き飛んだ。


「……エスパーかい、柚子ちゃん?」

「洒落は仕事の後だ」

 軽快に笑う老人を無視して、セダンの中から術式の入ったジュラルミンのケースを取り出し、煙を上げる建物へ駆ける。そして一定の距離を取って立ち止まり、“照魔鏡”を掛ける。

 そして、その存在に気付いた。

 あまりにも巨大な存在。ほの暗い闇に浮かぶ、暗黒色のヒトカタ。巨大なマネキン人形のようなそれは、のっぺりと凹凸がなく、泥臭い。いや、よくよく目を凝らせばそれは泥でできたモノだと言う事がわかる。ただし、泥でどんなに巨大なヒトカタを作ろうと、このように直立二足で立つことはない。間違いなく、重量級の異形。

 舌打ちをして、その後考える。

 銃、効くかな。

「あっりゃぁ、こりゃ、でかいな」

 のんびりと、観光でもするような手軽さで老人が横に並ぶ。

「あれは?」

「……分からんな。異形なんてモノは概念に取り付くからマイナーなモノかもしれん。この歳になると異形を全部把握するのも難しくてね」

 かかか、と軽快に笑う赤星を一睨みし、そびえる巨大な人形を見る。大きさは四、五十メートルぐらいだろうか。案外小さくて、三十メートルかもしれない。まぁどちらにしろ、でか過ぎで対策らしい対策が浮かばない。

 しかも現職の裁定者殿は、異形の種類が分からないという。

 役に立たんジジイだ。

 泥人形は緩慢な動きで右腕を振り上げ始めた。確かにあれが頂点まで振り上げられ、振り下ろされたら被害もそれなりのものになるだろう。何より脆そうだ。泥が飛び散ると色々汚れてしまいそうで御免被りたい。だが正直、凶暴性が感じられない。それぐらいののんびりとした動作だ。ノロマとかとんまを軽く越してしまってる辺り、愛らしい、かも、しれない。

 などと言う不届きな思想が通じたのか、赤星が苦笑する。

「随分と可愛らしい巨人ちゃんだが、あんまり気を抜かない方がいいぞ。――あれでも異形だ」

 赤星は真正面を見据え、薄紫の長物を担ぎなおした。

 泥人形の足元――崩れた建物の中から、複数の人影を確認した。ある程度“照魔鏡”で強化された視力を集中。それは裸のマネキンの群れだった。かつらも衣服もつけていないそれは、不気味でしかない。いや、中途半端についてても怖いが。

 マネキン達は真っ直ぐこちらに向かってくる。

「セクシーなお出迎えだねぇ」

 余裕なまんま、悠然と、マネキンの群れに近寄っていく。あまりにも不用意な行動に怒鳴ろうとして、言葉を呑んだ。

 マネキンどもは標的を見つけるや否や、物理法則を明らかに無視した跳躍を見せ、赤星に群がった。ホラー映画よりもより不気味で、悪趣味で、正直遠慮願いたい光景。

 しかし信じられないのは、マネキン達は。

 赤星に指一本触れられないまま、ただの動かぬマネキンと化していた。

「――だがすまんな、木偶には興味がない」

 目の前に転がっている邪魔なマネキンを踏み越えて、悠然と赤星は歩を進める。逡巡した後で、私もその背中を追う。それの目指す先は泥人形の足元。未だに土煙を上げる建物。恐らく敵の本拠地。

 それは半壊以上していた。

 一足早く踏み込んだ赤星は、しゃがみ込み、地面に描かれた奇怪な文様――術式を手でなぞり、確認している。

 私は視線を巡らせ、その紋様の上に倒れこむ六人ほどの人間を見つけた。一瞬マネキンかと思ったが、動かないそれらはちゃんと衣服を身に纏っていたので、人間だと区別がついたが、いらついて地面を蹴った。

 マネキンではないそれらに、頭は無い。恐らくそれらがあったと思われる部位は吹き飛び、その辺に赤やピンク色をして転がっている。真新しい血は歩くたびに湿った音を立て、耳に障った。たまに混じる、ぷちぷちと潰れる音は気分の悪さを加速させる。

 全員が全員、右手に大口径のリヴォルバーを持っていた。

 弾倉には空薬莢が一つずつ。

 馬鹿げたことだが――六人とも、この泥人形を呼んだ直後に自殺したらしい。

「ざけんな……」

 抑え切れなかった激情が口元から漏れた。

 自分から死を選ぶこと。それは私が二番目に嫌いなものだ。諦観だろうが、喜びだろうが、己から死を選ぶ連中は無性に腹立たしくて、地面を蹴り上げた。しかし私情はそこまで。

 見上げる。巨大な泥人形。

「どうする? 私が持って来た術式じゃあこの大きさは倒せない」

「とは言っても、俺の道具も効くかねぇ……?」

 赤星と一緒になって見上げるが、泥人形は相変わらず、緩慢な動きで腕を――まだ振り上げ終わってなかったのか。まだ九十度も上がっていない。あれを振り下ろすまではそれなりに猶予がありそうだ。かと言って、下手に攻撃しまくったら泥が崩れ落ちて圧死の可能性もある。一撃で消滅させないと、予期せぬ被害がでてしまうかもしれない。

 救護要請するか。

 そう思って携帯を取り出す。が、いつもの感触は無く、ポケットの中から出たのは配線やらが剥き出しになってる、三代目の残骸だけだった。……ああ。そう言えば昼に握りつぶしたっけ。

 連絡手段が無くなった。セダンには無線置いてないし、どうしたものか。

「赤星、電話持ってるか?」

 静かに首を振る赤星。最初から期待していなかったが、案の定か。考える。セダンで走って統括まで戻るという方法もあるが、それまで泥人形が待ってくれるという保証もない。

 携帯、壊さなきゃ良かった。

「――柚子ちゃん」

 赤星がいつものように、軽い感じで声を掛ける。

「俺にちょっと心当たりがある。それまでの間、この辺を見張っててくれないか」

「ん? 策が考え付いたのか?」

「亀の甲より――ってな。それじゃあ、見張りヨロシク」

 軽い感じで手を振って赤星が去って行く。

 それを見送ってから、辺りを見回す。遺体が六つ。そして専門家ではない自分には全く意味がわからない術式。建物の欠片とかも落ちているが、特に目を引くものはない。取り敢えず、死体が握り締めているリヴォルバーを全部回収する。そして青いビニールシートを見つけたので、死体を並べて隠した。

 ……あと処理が終わったら統括に連絡入れて――あー、携帯壊れたんだった。どうするか。

 まぁ死体はこれで少しは隠せる。キープアウトのテープならセダンに入ってるし、立ち入り禁止にすれば処理も何とかなるだろう。

 ん?

 ふと、残骸の陰で何かが動く。銃をホルスターから出そうとして、思いとどまる。

 物陰にいたのは――海晴と同じ年齢の少女だった。髪は短く、一世代ぐらい前の質素な服を着ている。珍しいと思ったが、清楚なイメージがして似合っている。メガネを掛けた瞳は、物珍しそうに半壊し建物を観察していた。

 ……結界は完全じゃない。まだ人が紛れていたのか。だとすれば、ビニールシートで死体を隠したのは正解だったな。

「キミ」

「……へ?」

 声を掛けると、少女は驚いたようにこちらを向く。

「こんな時間にこんな所で何をしている。キミ、未成年だろう?」

 私に気付いていなかったのか、少女は慌てだした。視線を上に向ける。泥人形は未だ腕の角度が九十度に達していない。今の内にこの子をこの場から離さないと。何も知らない一般人を巻き込むのは不愉快だ。

 少女は気まずそうに一つ頷く。

「私は一応刑事でな、名前は何て言う」

 警察手帳を見せてメモをとる仕草を見せる。あまり違和感を与えないように、いつもの補導のように。

「ヒガタ……カガミです」

「漢字は?」

 矢継ぎ早に質問をしながら、相変わらず緩慢に腕を振り上げる泥人形を確認。焦っては不信感を抱かせてしまうし、だからと言ってのんびりしてはこの子まで巻き込んでしまう。

 ――ったく、赤星のやつの“心当たり”が的中してくれればいいんだが。

「あの……?」

 見上げてた視線を戻す。少女――カガミは睨まれたの思ったのか、肩を竦めて怯えてしまった。

「ああ、もう一回教えてくれ」

 今度は手帳を渡してフルネームを記入させる。手帳を受け取ると、そこには少女らしい可愛らしい文字で“日像 鑑”と書かれていた。ヒガタ、とこれで読むのか。随分と珍しい苗字だな。そんな事を思いつつ、メモを見る。

 顔上げる。

「ん。で、家の電話番号も。……キミ、学生?」

「一応高校生ですけど、えっと……連絡、するんですか?」

 心配そうに見上げてくる鑑。だが、私はいつも補導に於いて甘やかしたりしない。

「当たり前だ。未成年なら、なおさらだ」

 沈黙して鑑は答えない。住所も教えてくれない。問い質してもいいが、雰囲気的に言ってくれそうにない。そして自分の携帯電話が壊れてしまっていた事に気がつく。……仕方ない、甘やかしたりしないが緊急事態だ。

 思わず白い溜め息が漏れる。

「……たく、こっちも忙しいってのに……」

 ぼやきながら、やっと腕の角度が九十度を越えた泥人形を見上げる。

「もういい。見なかったすることにするからとっとと家に帰れ」

 すっかり怯えた様子の鑑に言い放つ。

「でも今、人を待ってて……」

「人だぁ? まさかそいつも未成年か?」

 すると鑑は不思議そうな顔をした。

 質問の意図が判らないわけじゃないだろうに――鑑はしばらく考えて、首を傾げた。

「彼の歳、知らないんです」

 ……彼か。しかしこんな寒い十二月初頭、しかも夜遅くにこんなに人気のない工場地帯に。一体最近の学生は何を考えているのだろうか。場合によってはその男も捕まえて不順異性交遊だとかで補導しなくてはなるまい。そしてその男が最低な奴だったら、うん、迷わずエアーウェイトをぶっ放してやろう。決めた。

 しかし、鑑はそう言うと思い詰めたように俯いた。

「どうした」

 手帳をしまいながら尋ねる。

「私、彼の事、あんまり知らないんだなー……って」

 ふと気付く。

 こいつは、その“彼”とやらの事を、本気で好きなのだろう。

 高校生ぐらいの恋する乙女。……甘酸っぱい恋愛なのか、苦い恋愛なのか。何だか自分とは遠い話のように聞こえた。かつては自分がこんな年頃だったとは、想像できない。今の自分は、殺伐としている気がする。

「気にするな」

 だからせめてこの少女には、祝福を。

「時間を掛けて知っていくってのが――恋愛ってモンだろう」

 俯いてた顔を上げる。

「すれ違ったり傷つけ合ったり、色々苦労するだろうが。本気で好きなら本気で努力するんだな」

 らしくない、と自分でも思った。初対面の、しかも不順異性交遊の疑いがあるような女子高生に、自分は何を言っているんだ。

 顔が熱い、と言うか今の言葉を撤回したい。

 明らかに違うだろ、いつもの私と!

「ありがとう、ございます」

 ぎこちなくだけど、鑑と言う少女は、嬉しそうに笑った。

「よし。だったら家に帰れ。私にも仕事があるんだ、早く離れないと補導じゃ済まさないからな」

 私なりの軽口だったのだが、鑑の表情が堅くなる。

 こくこくと物凄い勢いで頷いて、脱兎の如く去って言ってしまった。私はそんなに怖い顔をしていたのだろうか、少し傷付きつつ溜め息。相変わらず寒い空気に、白い息が溶ける。しかし、赤星の奴は遅いな。

 泥人形は相変わらず緩慢な動作で腕を振り上げている。

 ――ん?

 ふと、鑑が走っていった方向に目をやる。

「あの子、どこかで見たか?」

 そして。




 あの娘は置いてきて正解だったらしい。

 建物の隙間を縫い、唸るような風の音。結界のために余計に人気のない工場地帯は、映画みたいだ。滅んだ地球だとか、退避命令が出された秘密基地だとか。まぁ、映画なんてこの歳になってあまり見ていないのだが。

 さて、あの泥人形の正体は不明だが大したことはないだろう。

 問題があるのは。

「なんだ、気付いてたんだ」

 真っ黒で、所々に白い刺繍の入ったローブ。メガネを掛けた、少女のように線の細い少年。

 恐らくなんらかの術式だ。詳しい方ではないが、歴戦の勘というものがそれを告げる。しかしそんな術式は、ほんの保険なのだろう。目の前に立つ少年は、メガネの奥から、不気味なほど純粋な殺気を込めてこちらを射抜く。異形ではない。人間だ。だというのに、本能が警鐘を鳴らす。こいつは、やばいと。

 しかし退けない。

「あまり年寄りを舐めない事だな。――天夜の一員か?」

 その少年は溢れ出した殺気を一瞬で消し去り、あどけない笑顔を浮かべて首を傾げる。

「根拠は?」

 嬉しそうに問う。

「あの泥人形を操るためには、七人の術者が必要なのだろう。専門じゃないがあらかた読み取ってみたらそんな感じだった。しかし死体は六つしかない」

 言葉を切って、こちらも笑みを向ける。

「そして君のような退魔士は見たことがないし、疑う材料としては十分だろう?」

 途端に、少年の笑みが歪んだ。消え去っていた殺気が濃度を増して溢れ、少年を背にして突風が吹く。

 ……本当にヤバイな。しかし、負けるつもりもない。

 背負っていた袋を投げ捨て、自分の得物を構える。

 長い木の柄に、先端に銀に輝く鏃。そして赤い巻き布。それは古風で質素、俺の使う最高級の武器だ。しかし、これほどまでの殺気を突きつけてくる少年に対してはこれでさえも足りないような錯覚を覚えてしまう。

 底が知れない。

 手元で回転させて、尖端を少年に突きつける。

「生憎と戒名は与えられないが、名前を教えてもらえるかな?」

「僕は、」

 天上に浮かぶ月を指差して、神々しさと、禍々しさを兼ね合わせた少年は告げた。

「天夜。――絶対の支配者だ」

 名乗りを聞き、それと同時に突撃する。面積のない突きはあっさりと躱さるが、横に避けた無防備な脇腹に槍を振り払った。さらに巻き布に仕込んだ術式を発動し、爆破。爆発力を乗せた薙ぎ払い。

 普通ならばアバラを砕いて大火傷を負うだろうが……

 心配なかったらしい。建物に突っ込んだ天夜は埃を払いながら無傷でこちらに微笑んできた。

 距離は五十ほど稼いだが余り離れると槍の特性も活かせない。十分にひきつけて、近接のできない距離で。

 と、天夜の姿が消えた。

「……」

 焦る必要はない。姿が消えたのは術式。――微かに感じた魔力を感じ取り、次の手段を考える。トレンチコートのポケットに手を突っ込み、中から十字の刻まれた乳白色の釘を取り出し、打ち込む。

 発動。

「擬似聖釘」

 それと同時に、右頬の目の前で拳が止まった。

 驚いているようだ。

「ふむ、まだまだ青い戦術だな」

 笑いながらその拳の射程から離れる。天夜は眼球だけこちらを向けた。縛れるのはある程度の行動までなので、顔ぐらいは動かす事ができるだろうが、体の自由は利くまい。

 距離を十分に取ってから、狙いを心臓に定める。

 必中の距離。

「最後に聞こう。あの泥人形はなんだ」

 建物を縫うような風が吹きぬける。天夜は、無表情にこちらを見た。

「人形神」

「ヒンナガミ?」

「異形だよ。古来日本に伝わってたもので、まぁ詳しくは知らないけど呼び出したモノの願いを叶えるだとか」

 無表情が笑みに変わる。

「でもどうやら、人形を操る程度の鈍重な泥みたい。――そりゃあの程度の術士達が作ったんだからその程度だよね」

 ふと、怪訝に思う。

 この距離では槍を躱す事もできず、天夜は動く事もできない。しかしその笑みを浮かべる顔には不安や、恐怖も達観も無く。ただただ余裕だ。この状況下で、まだこの余裕。

 呼吸を整える。

「ふっ――」

 そして、一呼吸で心臓目掛けて槍を放った。爆発力を乗せて放った攻撃。躱せやしない。


 だというのに。


 そこに少年の姿は無かった。槍は虚空に突きつけられたまま静止している。貫くべき敵は無い。――どこへ、行った。辺りを見回して、遥か後方にその姿を見つける。それに加え、隠れるつもりはないと言わんばかりの殺気を噴出させている。

 一度目は姿を少しの間消す術式だった。

 二度目は……なんだっ?!

「聖釘」

 少年が一歩こちらに近付いてくる。それだけで体中をありはしない重圧を受ける。

 槍の穂先を向けるが、最高級の自分の武器も頼りなく感じてくる。

「だよね、それ。回収予定だったけど壊しちゃった――あいつに何て言い訳するかなぁ」

 困ったように呟きながら、ぽりぽりと頬をかく。だが笑みは歪んでいるので、愛らしいと思われる仕草も、不気味でしかない。異形でもない、その立ち姿。人間であるのに、人間でない。

 ……勝てるのか。

 このバケモノを、俺が討てるのか。

 足元で硬質な音。地面に突き刺していた聖釘にひびが入り半ばで折れていた。いくら擬似――レプリカ品といえど、生身の人間が解除できるような代物ではない。なにせ、“藤原の作品”だ。解除なんて、できるわけがない。

「どんなトリックだい、ボウズ」

 冷や汗が流れ、頬から滴り落ちる。しかしこちらも余裕の表情だけは崩さない。

「トリックなんて使ってないよ。拘束をそのまま、“純粋な力で”引きちぎっただけ」

「かははっ、……長生きはするもんだなぁ」

 乾いた笑いが漏れる。もう笑うしかない、とも言うが。

 槍を構えなおし、穂先を向ける。しかし先ほどと状況は全く変わっている。槍を使うには広すぎる距離。

 どっかのアメリカのアニメを思い出す。賢いネズミが大きくて間抜けなネコとしっちゃかめっちゃかするコメディだったか。ネズミはつまよう枝でネコのケツを刺し、ネコは飛び上がって天井に突き刺さる。

 手に持ってるつまよう枝。立ち向かう巨大な相手。

 ――コメディ。そう呼ぶには、ちとブラックジョーク過ぎる。

「爆発力を込めた布の術式」

 天夜がそう言って、姿が掻き消えた。術を使った感じはない、直感で転がるように前に飛ぶ。

 直後、地面が破砕され、砕けたコンクリの破片が背中を打った。激痛に耐えながら槍を支えに倒れないように、そちらに向けて構える。だがそこには抉られた地面があるだけで、少年の姿はない。構わず、自分を中心に爆撃を乗せた槍を振るう。

 回転は半ばで止められた。天夜が熱風やその打撃を物ともせず受け止めている。

 熱風を妨げたのがローブの術式だったとしても、無傷は有り得ないはずだ――ッ!

「僕を打ち倒すには足りない」

 槍は掴まれて空中に静止している。これでも力比べで若者に勝つ自信はある――が、こいつは異常だ。掴まれた槍は力を込めてもピクリとも動かず、むしろ掴まれている部位が悲鳴を上げていた。砕かんばかりに。

 こいつは、人間なのか?

「これと組み合わせてコートに仕込んだ聖骸布を使ってるんだね。自分に向かってくる爆破の術だけ打ち消して槍の加速に使うなんて、そんじょそこらのレプリカじゃ無理だ」

 こちらを見上げ、無垢で歪んだ笑顔を向けてくる。

「しかも、槍の頑丈さもさすがロンギヌス、ってところかな。これも並みの模造品じゃガタが来るのに」

 槍はどうやら離さないつもりらしい。

「そりゃ、お褒めに預かれて――光栄、だ!」

 離さないのなら。


 俺が離すしかない。


「……なっ」

 予想外だったのか、面食らってる天夜。その隙に槍の巻き布を解き、拳に巻きつける。威力を最大限に押さえ、直接魔力を注ぎ込む。青二才には勿体無い技だが――ここまで頑張った褒美に、見せてやろう。

 術式、解放。

「――ぶっ飛べ」

 爆発力がそのまま速度となり、天夜の腹部に突き刺さる。そして一気に後方に吹き飛んだ。同時に叩き込んだ右拳と、右肩から変な音が聞こえて、激痛が走る。右の拳の骨は砕けて、肩が外れたか。荒っぽい使い方をした布は術式保護が発動しなかったのか黒焦げになり、崩れ落ちる。その下から覗いた拳は、当然保護されていないので、皮膚が焼け爛れていた。

 痛みは、まぁ我慢すれば何とかなる。

 ……だが、まぁ。

「おー……いってぇ」

 しかもよく見なくても右手はえらい事になっている。痛そう、ではなく物凄く痛い。

 当面の敵も倒した事だし、あとはあの――ヒンナガミとか言ったか、あれを倒してしまうだけだ。言ってた通りならば、あれは出来損ないの異形らしい。それでもアレだけの質量の泥だ、倒すのは面倒だ。

 しかし、手がないわけではない。神ならば。

 見上げる泥人形は、既に脅威ではなくなっていた。その気になれば、振り上げて振り下ろすまでの数秒でカタがつく。

 巻き布の方は、また術式を作るしかない。どうせ消耗品だ。

 ……聖釘の代えは存在しない。価値的にもかなり貴重なものなんだが――相手が相手だ、腕とこれだけで済んだ、と思っておこう。そうでなければやってられない。数十年来の愛用品が消えてしまうというのは惜しいものだ。

 しかし、天夜と名乗る少年はこちらの手の内を知っていた。擬似聖釘、擬似聖骸布、そしてこの擬似ロンギヌス。全てはかつての鬼才である贋作師の作品であり、価値や能力は計り知れない。それを一個壊してしまったのだが。奪うつもりだったのだろうか。確かに組織同士の抗争では、主要な術具を奪うというのも有効手段ではある。

 そして回収予定と天夜は言っていた、可能性としては低くない。

 その辺に転がった槍を左手で拾い上げながら、想像が、ある一つの推論に辿り着く。

「まさか……」

 巨大な異形の生成。術具の強奪。

「統括に、戦争を仕掛けるつもりなのか?」


「いい線行ってるよ、お爺さん」


 声が耳元で聞こえた。しかし体は意思に反して動かない。自分の体を見て、疑問が氷解した。

 そりゃ、どんだけ鍛えてても、……これは無理だ。

 血が喉まで込み上げてくる。

 腹からは、細い腕が生えていた。

「裁定者ってのは甘く見ない方がいいね。油断したらあれ、死んでたよ」

 痛みはもう失神を通り越してショック死ものだが、必死で倒れないように両の足で立つ。天夜がさらに深く腕を刺してくる。腹に生えている腕は少しだけ背を高くして、腹の中では臓器がかき回された。

 堪えきれず、喉まで昇ってきた血を吐く。

「か、はぁ……そりゃ、ぁ、そうだ。その辺の、……ぃ魔士と、一緒にされちゃ、こま、る……」

 飛びかけた意識を繋ぎとめ、減らず口を叩く。

 それが気に食わないのか、さらに腕が深く突き込まれた。臓器がかき回されて、その激痛が頭を白くする。

「でもこれで、お爺さんを殺すことはできた」

 白く焼きついた景色に、あの歪んだ笑みが摩り込み、消える。気がつけば、冷たい地面に頬を摺り寄せていた。体中の痛みが同時に流れ込んでくる。こんなとき発狂でもすりゃ楽だろうが。どうやら神様とやらは、よほどこの老いぼれが気に食わないらしい。

 天夜を見上げる。

 視界が暗くて、もう顔を確認する事もできない。ただ立っている影。

「あとはロンギヌスと聖骸布を貰えば終わりだ」

 伸ばされる、奪い取る腕。

「ど、う、かな」

 少年の、怪訝な顔が想像ついた。自然と笑みが零れる。出血量はもう致死を通り越し、自分にはもう体温を感じない。それでも倒れて、ここでは死ねない理由がある。死力を絞り、槍を掴む。

 視力はもうないに等しいが、デカイ影を頼りに槍を向ける。

「――ロンギヌス」

 銀の鏃が黄金色に輝く。もうそれは手を離すと、そのまま駆け上がる流れ星となってデカイ影を打ち抜く。

 月に掛かる雲まで打ち払って、この老いぼれの最期に、綺麗な月まで見せてくれた。

 体が傾ぐ、だがまだ死ぬわけにゃ行かないんだ。

 倒れた横にしゃがみ込む天夜。

「残、念だった、な……ロン、ギヌ……、は投げたら、帰って、……ない。……そこらの山、で、もさらう、かい?」

 聴力がもうないのか、それとも少年が何も言わなかったのか。

 ただ、ポケットから聖骸布が、歴戦の相棒が抜き取られていく感触だけが鮮明だった。もう光と影しか判断できなくなった目が、去って行く影を確認する。どうやら俺の悪運は、これで最後らしい。走ってくる影――恐らく柚子ちゃんを見ながら、そんな事を思う。

「ょ、う、柚子、ちゃ……ん」

 何か叫んでいるようだが、もうやっぱり、何も聞こえないらしい。

「最期の、たの、み……きいて、……れ」

 もうどうせ終わるのなら、伝えよう。

 落ちてくる暖かな雫が無性に嬉しく、今から重荷を背負わせるという罪悪感に駆られた。

 でもそれも終わる。

 ……柚子ちゃん。

 任せた。

 ……





 裁定者、赤星雄途――死亡。





 狼煙は上がった。

 泥人形は崩れさり、色んな物が溢れ出す。





 猫はまだ啼くかい?







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