天夜奇想譚 こちら白夜行! 第三話


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。

作者:えすぺらんさぁ

タイトル:こちら白夜行! 第三話




 その部屋は騒然としていた。むき出しのコンクリート作りの建物。壁という壁、床という床には魔方陣を基にした基本的な式が刻まれ、そこら中に書物や、一見怪奇な道具……式具が散らばっている。おおよそ居住空間とは程遠い。

 退院した葵がこの場所を見つけるまでに、4日ほどかかった。何故か――十中八九、桜花の仕業だと彼は踏んでいるが――統括機関に連絡できなかったおかげで、位置の割り出しにかなりの時間を食ってしまった。

 繁華街や住宅地からは外れ、開発計画の枠にも入らなかった僻地。その廃ビルの中にそこはある。水道不通、ガス不通、おまけに電力拝借。かろうじて天井にぶら下がる、割れかけの裸電球や、隙間風いらっしゃいませな悲惨な窓ガラスが哀愁を漂わせる。朝日差し込む時間だというのに、やもすれば心霊スポットに仲間入りできそうな風格を持つこの場所こそが、退魔組織、白夜行――本部である。

「しかしまるで魔女の住処か……いや――」

「いるんなら入り口で黄昏てないで、手伝ってくれる?」

御託を遮る、どこか疲れた物言いに、葵 恵は渋々踏み入った。いわゆるひとつの、魔女の巣窟へ。

 蔵野 明は、式具を仕込んでいた。参考資料と思しき古びた本と、編集部発行の『月刊、式具礼装』や『決定版 THE・式具』に囲まれている。これだけ有効活用されていれば出版元も本望だろうか。しかしながら、本の山に囲まれるコート姿の人物……年頃の少女にしては、随分不健全な格好である。

 案の定、土産に持ってきた『月刊、式具礼装』は引っ手繰られ、彼女はそれに眼を通し始める。しかしざっと読み終えると、それも山の中に乱雑に突っ込まれた。やはり本望ではないかもしれない。

「名前は?」

「葵 恵……葵でいい、というか葵と呼べ。で、何を手伝えって?」

「ナイフ扱える?そこにあるの使って、ここに並んでるやつにルーンの……」

「悪い、無理」

「んじゃそこらに適当に座って待ってて」

申し訳程度に形を保っている、応接用であろうソファーは非常に硬かった。






 それからしばらく、葵は明の作業を眺め続けていた。数十本のナイフに器用に式を刻み終えると、手袋―それは明らかによく道端で見かけるくたびれた軍手だが、彼女の名誉のためにもツッコミ・言及は控えた―を、錬金術だろうか、鉄へと変換する。そしてそれに、式を鉄糸で縫いこんでいく。

「こうやって見てると、普通の刺繍か……」

手つきはそれなりに鮮やかだ。下手な腕では鉄布に巻かれて容易に折ってしまいそうな細針で、容易く鉄糸を通していく。材料の粗雑ささえ除けば、あるいは市販の品にさえ劣らないかもしれない。彼の素人目にはそう映った。もっとも、式の詳細などは彼には分からなかったが。

 最後のラインに糸を通し終えると、トントンとそれを叩き、床に置く。どうやら完成したらしい。明は大きく身体を伸ばし、あくびとも取れるような呻きをあげた。

 そしてその直後、腹の虫の高らかな鳴き声と共にへたり込んだ。

「って、おい」

「お腹、減った……」

見れば飢えと水分不足を示すは乾いた唇と、ややこけた頬。この廃墟にはお似合いかもしれない姿だが、常識で考えればいささか只事ではない。

「……何日食ってない?」

「かれこれ三日四日……眠れないからずーっと、こう……」

「台所に……ってか台所どこだ。とにかくなにか食い物は無いのか」

「無い……仕事で空けてる間に、野良犬やネズミに……」

「……買ってくる」

ちなみに、最寄のコンビにまで、たっぷり自転車で三十分かかった。




「はー……朝ごはんなんて何年ぶりだろう……美味しい」

殆ど名前だけの自己紹介もそこそこに、明は菓子パンとおにぎりを大量に、おそらく三日分を平らげた。いまだ手を止めず、飲み物やお菓子にも手が伸びる。そして、最近はこんなのもあるんだね、などと感心されながら、大量の食料は瞬く間に陥落へと近づいていく。

「もう昼だ……お前、バイトは?」

「雑誌の発行日から届くまではお休み」

「そういうこと言ってられる生活レベルじゃないだろうこれ……」

葵はちびちびと缶コーヒーとアンパンを齧る。もはや侵略される自分のためのはずだった昼食は、半分諦めている。まぁ栄養失調で倒れられても困る、とは言うものの、間違って買ってきてしまったカップ麺(だって、ガスも水道も無いのだもの)を恨めしく眺めていた。

「ってか、水道もガスも無くて……風呂とか、まさか……」

「……公園。石鹸は近所の学校から隠れて拝借してる……いやほら、ちびてるのだけね?」

「ほんっとにプライド無いな、お前」

葵はふと、そんなら稼ぐ必要もなく泥棒家業でやっていけるんじゃないか?などと発想したが、意外と洒落にならない気がしたので、抑えた。そしてそれを取り締まるはずの裁定者として、少し自己嫌悪した。

 なお、明の犯行が『消える石鹸、インヴィジィブルマンの怪』などという名目で軽い都市伝説と化していることを、二人は知らない。

「退魔士の報酬とかは?」

「大体お米。物々交換だとアレが一番効率良くって」

「バイト代は?」

「天カス。住所と戸籍無いから、雇ってもらえるとこ自体が少ないし」

「……あ、そう」

葵はふと、訴えれば勝てるんじゃないか、と考えたが、そんなお金も無いだろうな、と即取り消した。

「先ずはそのあたりだな……金銭管理をしっかりして、報酬はちゃんと現金で……」

葵は、家計簿をつける決心をした。きっとこのまま放っておいたらいつか死ぬ……むしろ、ここまでよく生き延びた、とさえ言えるが。

 見たところ、本当に食材が無い。米ひと粒、野菜くずひと欠けさえも無い――どころか、生ゴミさえも残ってないのだが、これは深く追求しないことにする――明日からどうするつもりだったのだろうか。

「とりあえずは、今夜あたり仕事しないとな……の、前に」

「前に?」

「お前は寝ておけ。戦闘中にふらりときたら一発だ」

「ベッドそこ」

葵はため息ひとつ、硬い来客用ソファー兼ベッドから降りることとなった。

 まもなく、静かになった部屋には、小さく寝息だけが響いた。

「もう寝たか。さて……」




 部屋を探ること二十分。先ほど見た、術式を刻んだナイフ数十本、軍手から生まれたガントレット、なんだかよく分からない、駄菓子屋のガチャポンのカプセルらしきもの多数、大量の式具カタログや雑誌と言った“あくまで彼女用の”資料。古い文献などが無いところを見ると、旧白夜行の資料などが残っている様子ではない。その他便箋三通。その中の手紙の内容はかしこまってはいるが、文体は見慣れたものだ。

「桜花か……しっかし、こんな怪しい手紙を……」

素直に信じるのか、と言いかけたところで、便箋に、『500』と形が残っているのに気がつく。硬貨入りだったのだろう。受け取った明の反応が、何故か鮮明に想像できた。葵は呆れながらも、それを元の山へと放る。

 彼も、ただ負けた約束のためだけにここに来たわけではない。かつてはこの天夜を牛耳った白夜行……それは暗殺に長けた光術だけで成し得るとは、葵には思い難かった。

 暗殺術がいかに優れていようとも、それで『支配』を行うことは出来ない。暗殺した、という事実がばれていてはそれは暗殺とは言えず、必ず報復や処罰の対象となる。裁定者の中には、対人ならば瞬時に相手を死に至らしめるだけの者も少なくない。現に、葵自身もそれが出来る。力を蓄え過ぎ、それを振り翳そうとした組織や人間の排除。裁定者はそのためにある。

 しかし白夜行は、少なくとも先代の死までは在り続けた。

「しっかし、怪しいものはなし……」

一通り探したが、何もそれらしい資料は無い。もっとも、一般的に見て“怪しいもの”なら山ほどだが。まだ日は傾かない。葵はそろそろ諦めるか、と適当にカタログを拾い、読み始めた。




いつしか眠りも深くなったのか、寝息はさらに静かになる。沈黙が耳に痛い。他人の家に上がりこんでほったらかしにされるというのは、意外に持て余すものだ。もっともこの場合は、他人の家とは言いがたいものがありはするが。

 興味も無い雑誌は適当で切り上げ、ただ沈黙に巻かれ、部屋を眺める。それも数回繰り返し飽きると、虚空へと視線を放る。音楽プレーヤーや携帯ゲーム機を持つ方でもない。携帯電話は通話とメールくらいしか使わない。退屈はいかんともしがたい。

 そして最後には、ソファーで安らかに眠る寝顔に、視線を移した。

 無防備な寝顔。薄汚れてはいるが、中々に整った顔たちをしている。半端に空いた口、コートの下に見えるバイト着……他に服は無いのだろうか、何故か随分と間抜けに見えてしまう。

「こいつ、黙ってりゃ……」

「可愛いのに、ですか? 月並みでベーシックな独り言ですね」

「……客か? せめてノックしてから入って欲しかったな」

「廃屋にノックする礼儀があるとは存じませんでした。次から気をつけましょう」

音も無くあがりこんだ客人は、段々と紅くなる葵の表情を眺め、眼鏡の向こうの瞳を意地悪に笑ませた。茶色がかった三つ編みの髪に丸眼鏡。研究員風の白衣が少々色気ないが、穏やかな風格は中々、表し難い雅を漂わせる。

 しかし。

「ああ、どうぞ続けてください。私のことは気になさらず。後学のためにレポートにまとめさせてもらいますけど」

「ふざけんな……ってか、なにもしねぇよ!」

葵には直感で、この女性に桜花と同じ何か、を感じ取れた気がした。

「まぁ、統括からの仕事の指示です。今後しばらくは私……天城 比観が伝達などをさせていただきますのでよろしく」

再び垣間見る天城の微笑に、葵にはもう、嫌な予感と妙な不快感しか感じ取れなかった。

「よろしく……とりあえず、現物支給やめて現金支給に。あと給料制に出来たろ報酬。それで頼む」

「そのあたりは既に手配済みです。正式な給金は後程支給になりますが、とりあえず生活が苦しい様子なら状況に応じてカンパして来るように言い付かっています」

天城は、辺りに散らかる昼食跡を眺め、にっこりと微笑む。

「そうですね。どうやら結構余裕もありそうなので、二千円で」

「……タイミング計って来やがったな?」

「まぁ冗談はこれくらいで。しばらく、白夜行には通常組織業務に加え、貴方の仕事である裁定者業務を並列していただくことになります」

「ああ……」

適当に頷き、ため息を零す。天城は構わずに続ける。

「幸い、このあたりは縄張り争いが頻繁と聞きます。彼女は場合によっては、蔵野明は裁定者として起用すると考えているようですし。そして――」

「こいつの手の内は知っとけ、てか?」

「……意外でした。これ、資料になります。いちゃいちゃしないで仕事をしてくれそうで安心です」

話を遮られたのが気に入らなかったのか、天城は本日一番の満面の笑みを向けた。対して葵は、

「眼科行け」

慣れたように、笑顔で返した。

「それでは、お暇します。仕事が進まなければ、桜花への報告は“イチャイチャしていました”になるのでそのつもりで」





明が目覚めたのは、客人の御帰りから30分ほど経過した後だった。既に日は傾き大分経ち黄昏時。退魔士の活動開始時間と言えよう。

起き上がろうとすると、ふと、手に何かが触れた。

「やっとか……来客あった。そのことで色々と話があって……」

「ねぇ」

気づけば明は、それを拾い上げて、夕日に透かして眺めていた。葵から見れば、それは単なる、何の変哲も無い千円札二枚なのだが――明の視線は、少々ずれていた。呆けた声で、一言

「夏目漱石ってパーマかけてたっけ?」

と、真剣に言う彼女を見て、

「……今は野口さんだ」

葵は、なんだか無性に泣きたくなった。





夜の帳も、落ちておおよそ二刻ほど経った。街の北、繁華街はネオンの明かりも煌々と賑わい、これから活気付く夜を彩るだろう。

そして、人ならざる者は、その光のわずかに届く場所で、活動を始める。それを追う、そして狩る、退魔士達もそれは同じだ。

白夜行も――実は非常に珍しいが――それに漏れず、夜道を闊歩していた。

獲物は犬神。犬と呼ぶには小さい形で、僅か先端、二つに裂けた尾を持つそれは文字通りに犬の霊魂により生まれる、憑き物にも成り得る妖怪。ビルの谷間を縄張りのごとく唸る五匹のそれを、二人は、それぞれ構えて見据えた。

明の得物は変わらず、両の手に式を刻んだナイフ。ただし、式はその刃を隠す光の術ではない。銀色に月明かりを照り返すそれを、アピールするかのように、斜めに構え、切っ先を向ける。

葵はというと、懐から四角形の、盆のようなもの取り出す。金色の地に黒と赤で描かれるは六壬神課を表す。

ゆらり。犬神側が動きを見せる。五つの影は列を成し、二人めがけて、突進の姿勢をとる。先に対応したのは、明だった。前に出、犬神の列を正面に見据える。

「五体。早いもん勝ち!」

犬神がぶつかる……その瞬間。低く翻した身を軸に、銀の弧が先頭の犬神を二分した。

 本来、霊体である敵に、ナイフのような物理攻撃は触れ得る事すらない。明が刃に仕込んだのは、銀の術式。古くから魔除けや破邪に用いられるそれは、霊体は勿論、他の異形にも相応の威力を発揮する。

「先ず一匹!」

すかさず、列を崩され動揺する残りの四体へと姿勢を向ける。コートの裏から魔力を注がれたナイフが四本、零れ落ちる。

「二匹目!」

 そしてコンクリの地に小さく音を立てて跳ねたそれは、次々に犬神の額へと飛び込んだ。額を撃ち抜かれた一匹が嘆くような断末魔を上げ、その姿が塵霞のように霧散し、消える。

「“今度こそ”、私の勝ち!」

残りの三本も、それぞれ残った、狼狽する犬神の額へと、一直線に空を駆ける。

“今度こそ”、“先に”仕留めたつもりだった。

一瞬、涼しい、冷たい、凍てつく風を、肌に感じた。ナイフは、甲高い音を立てた。

「三、四、五匹。残念、“また”俺の勝ち」

風水の盤に刻まれた術式は二つ。把握の概念式、そして水。空気中の『水分』を座標として『把握』する、ただそれだけのものである。そして最後には、葵自身の才覚である氷結が、それを変幻自在の武器へと変える。

 額に、虚空から唐突に。氷柱を打ち付けられた残り三匹の消える様を眺めながら、明は不機嫌そうに呻いた。既に十連敗。明の内心には、それが大きく響いていた。

数日前の件。鳳 雅の件。自身の攻撃力不足を体感し、結局、異形だとは言えども彼を助けることも叶わず、姫月アヤメに畏怖を感じた。明るい陽光の下、誰に邪魔されるでも、比べられるでもなく、日の下、人の中にあり本来の力を発揮できない異形の首を取り、自分だけが出来ることに唯我独尊を覚えていた明にとって、それは初めて体感した、退魔士の在るべき姿とも言える。

自分は遠く及びつかないところにいる。それは明の中にむず痒く残った。

「さて……次は“裁定者”の仕事だ」

不意に、葵が呟く。近づく足音が聞こえる。反響の具合から、ふたつ程か。

 中規模組織――その中でも下っぱに主に言えることだが、それが密集した地帯では、縄張り争いが起こり易い。ここ天夜では、白夜行支配が続いていたギャップもあり、周囲に己より権力の大きな組織が出来るのを懸念し、それぞれの組織は互いに追い越されるのを特に嫌う。

 そういった小さな小競り合いの収集も統括組織の司るところであり、延いては、対人専門である裁定者の仕事となる。

「今度は、お前がやってみろよ」

聞くが早いか否か。明の姿は、もう葵には視認出来なかった。





 裁定者としての仕事は、明には容易かった。因縁を売りにやってきた二人の男は気付かぬうちに背後を取られ、気付いたときには、その背に銀色の刃が丁寧に添えられた状態となっていた。結果、その状態で葵から軽い説教を受け、退散する。

「やっぱお前、こっちの方が向いてるな」

「ん……」

 喜べない。これは自分には向いていない。明は、そう感じた。ナイフを持つ手が、微かに震える。何故だか、寒気のような感覚が刺す。得体知れぬおぼろげな恐怖が、そこにはあった。葵が怪訝な表情で覗き込む。



 しかしそれはすぐに、路地の奥へと向けられる。反響する足音。次はひとつ。目配せを受けると共に、明は再び、姿を隠した。

 ゆっくりと、しっかり踏みしめる足音。

 現れた人物は、ニヤニヤと笑顔を携えた年を召した男だった。背丈は中々高く、赤く染めたセミロングの髪はオールバックで、後方に流すように整えられている。薄紫の、なにやら長物があるらしい大袋を背負い、広い肩幅で黒のトレンチコートを着こなし泰然と歩む姿は、軽い笑みを浮かべながらでも、それなりの風格を成す。

 歩みを止めると老人は、ニヤリと笑い、告げた。

「恵ちゃん、このあたりは実は今、俺の縄張りだったんだけどなぁ」

対して

「裁定者が縄張り語らんでください。それと名前で呼ぶな」

葵は、ため息をついた。

 赤星 雄途。それが、この男の名である。裁定者であり、その中でも最高齢の古株。戦闘技能こそ年齢などで他に劣りはするが、こと発言力・統率力において、まずこの男の右に出るものは挙がらない。

「なに、最近異形、もしくは退魔士の物と思しき殺人の捜査に当てられたんだが、これが存外に暇でな」

赤星は背に手を回し、大げさなアクションを付け、笑う。

「だから縄張り争いしてるのをからかうのが日課だったんだが、お前さん“ら”が奪ってくれた」

赤星の口元が、より一層の綻びを見せる、その瞬間。金属音が高く路地に響く。姿を隠していた明が察して退くよりも早く、布からあらわになった長槍の石突が、明の手に持つナイフを弾いた。

「っつ……!?」

唐突の出来事に、呆然とする明を尻目に、赤星は笑みを消し、葵に語りかける。

「恵ちゃんは負けたって? 相変わらず手加減しすぎだな」

「相変わらずうっさい爺さんだな……」

葵は迷惑そうに、追い払うような手振りをしてみせる。赤星は、勿論そんな葵をまるで意に介しはしないが。

「なに、もしかしたら新しい裁定者候補、とも聞いたんでな」

 そこまで語ると、赤星は槍を掴み、それを明の喉下へと向けるように、構えた。

「手合いを」

 明は応答するように頷くと、相対するように、弾かれたナイフに代わるよう、左のそれを右手に持ち替えた。

「葵」

「まったく。相変わらずじじいに似合わねぇでしゃばりめ」

中空に、氷の珠が作り出される。そしてそれが、地面へと吸い込まれるように、綺麗に落下していく。

 静かなゴングが鳴らされた。




 素早く打って出たのは赤星だった。クルクルと器用に槍を腕の内で踊らせ、横に縦にと自在に打ち込む。

「うわっ、たっ!」

それをナイフでいなし、幾度か切り結ぶと、高いステップで踏み込み、一先ず、大きく一歩退く。隠レ蓑を起動。同時に、握ったナイフの光術迷彩を起動。たとえ見抜かれようと、一瞬でも隙を作ることが出来れば十分だ、明はそう判断した。

明の左手は既に投擲ナイフを握る。手早く相手の動きを封じ、詰むために、狙いはコート。着地、そして同時に、不可視のコートの裏より投げる。

 次いで響いたのは、明のナイフの弾かれる音だった。

「っは……」

最初は、投擲したナイフの弾かれる音だと思っていた。しかし、手の痺れが認識を正す。

 間合いを詰められ、握った不可視のナイフは高く宙を舞った。自分の放ったナイフは、追尾の式の効果を失い、地に転がっている。

 隠レ蓑の術式をも、明の意を介さず、解かれる。

「擬似聖骸布。オリジナルには及ばんだろうが、触れた物の魔術を霧散させる」

ゆっくり、歩み寄る。

「裁定者を相手にするなら、殺すとは言わずとも大怪我のひとつでも負わせる気概がなくては」

 槍の切っ先が、明の眉間へと向けられる。

 だが、明はそのとき、悪戯に微笑んで見せた。

「怪我、させていいんだね?」

風斬る音。察した赤星が飛び退く。彼の弾いたナイフが二本、明の手元へと勢いを付けて帰ってきたのだ。

しかし当たらなかった。明は軽く表情を苦々しくして見せる。

鉄手甲に施した術式は、失せ物探しのルーンの応用。それに引き寄せられたナイフ自体は魔力を伴う物ではないので、聖骸布を突き抜けられる、はずだったのだ。

しかし、明にとってはこの瞬間、まだチャンスは続いている。

「もらった!」

すかさず明は、コートから零した球――見てくれはガチャポンのカプセルである――を、赤星の後方めがけて蹴飛ばす。

切り札は炸裂し、煌々と日の如く、輝き始める。そして

「影! 踏ん、だ!」

それに照らされる赤星の影へ、飛び込む。

影縫い。古来からその呼び名は有名である。影をその実体に見立て封じ、実体の自由を奪う呪い。何かを実物に見立てる、という意味では、似たような物にあの有名な『丑の刻参り』があるが、影は実体に近いため、この呪いは効き易い。

 このとき明は、独自に作り出した光術の式で、特に実体に近い存在の影を作り出した。術は完璧に成功している。そのままナイフを赤星の首に突きつければ、勝ちだ。



 しかし、明は影を踏んだ着地姿勢のまま、硬直した。身体が動かない、指の一本揺り動かすことも叶わない。

 やがて、光が消える。それでも、明の身に自由は戻らない。ゆっくりと、首に穂先が突きつけられる。

「良い線だったが……詰めが甘いな」

老人は再び微笑む。勝負あった、とばかりに、動けぬ明の目の前で槍をしまって見せた。そして、明の“影”から、一本の杭を引き抜く。明の身体に、自由が帰ってくる。

「擬似聖釘……もはや、説明は必要ないな」

「大人げねぇー」

「何を言う。手加減して負けた恵ちゃん」

悪態をつく言葉に、葵はケッと吐き捨てるようにし、顔をしかめる。しかし赤星の表情に、先ほどまでのおちゃらけた様子は無い。

「裁定者ってのは抑止力になる必要がある。一度の敗けがどれだけ響くか、もうちょい頭回せよ」

赤星は、足を帰路へと向ける。振り向きもせず、最後に

「良い暇つぶしだった……が、お前さんまだまだだな。葵、ちゃぁんと指導してやれよ?」

高らかに笑った。

そして

「こっちの事情も知らないで……」

呟く葵の言葉をかき消し、去る赤星の姿を追うように

「くぁぁぁぁ!!」

十一敗分の間抜けた叫び声が、路地を埋めた。


| 新しいページ | 編集 | 差分 | 編集履歴 | ページ名変更 | アップロード | 検索 | ページ一覧 | タグ | RSS | ご利用ガイド | 管理者に問合せ |
|ログイン|