天夜奇想譚 月下、彼の窓辺 > side out 1 > 2


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作者:グリム

タイトル:月下、彼の窓辺/side out 1/2






 生ける者、死せる者。

 その全てに実感が湧かない。

 ブラウン管越しのテレビのように。

 彼はいつだって、狭間。

 生と死の狭間の中、ただ夢想の存在。

 切り取られた空が彼の全てだった。




 花瓶の水を代える看護士を、何気無しに見る少年がいた。そこは真っ白な病室。広い窓の外には青空が広がり、乗り出して下を見れば灰色の地面が見える。

 少年の年齢は高校生か、中学生かそのくらい。ベッドで上半身を起こしている。白い服から覗く、病弱な細く青白い腕。頬もこけていて、お世辞にも、生気があるとは言えない。目の色は濁っていて、今本当に看護士の動向を見ているかも怪しいほどだ。

 看護士もその様子に慣れているのか、水を代えた花瓶を窓辺に置く。

 青空に、白と黄の色が増えた。

 沈黙。二人の間に会話らしい会話は無い。いつもの事であるが、看護士としてはやり難い状態である。

「……綺麗ですね」

 ぼそり、とつい聞き漏らしてしまいそうなほど小さな声で少年が呟く。看護士は突然の声に過敏に反応し、振り返る。少年は相変わらず濁った瞳で、外――空を眺めていた。

「え、……ええ、綺麗ですね」

 反芻するように、確認するように看護士は少年の言葉を繰り返す。

「空って、」

 言葉を切る少年。

「――人間にも、とべますよね」

 看護士はその脈絡の無い言葉に戸惑いながらも、曖昧な笑みを返す。彼は、ただ、どこか夢見心地で空を眺めている。少年がこんな風に何かを喋るのは珍しいことだ。看護士は少しでも話そうと、他愛無い話題を考える。

 しかし、少年はそれ以降、口を開くことは無かった。

 その夜。

 一人の看護士が死んだ。




「……これは恐らく――人を捕食するタイプですね」

 口元をハンカチで押さえながら、若い警官が言う。それに対して、ショートヘアの女性は答えない。返答せずに、コートの襟を直す。ビル風が冷えるらしい。その表情はどこか不機嫌だった。

 そこは人気の無いビルの狭間。キープアウトの黄色いテープの内側。路地のどん詰まりには青いビニールシート。何人かの人間が作業して、警官が立っている。傍から見れば、事件現場だということが一目瞭然だった。

 ただ、その場には、似つかわしくない少女が一人立っている。髪の長さは肩ほど。彼女は静かに俯いて微動だにしない。

 ショートヘアの女性はその少女に一瞥くれると、白い溜め息を吐いてしゃがみ込んだ。ビニールシートの端を持ち上げる。

「破損は?」

「えーっと……」

 問われ、警官は手帳を取り出す。

「左の膝から下、脇腹、右肩から先、あとは腸を少々。……どれも獣に食い散らかされてるみたいです」

「死因は?」

「直接的なモノは、頭部の負傷……ですね。こー……ビルの高い階からまっ逆さまだったみたいで」

 若い警官はそう言って、見上げる。左右のビルはどちらも高く、屋上なんかから落ちれば即死は免れられない。

「ってことは、残飯漁りか。は、結構な事だ」

 不愉快そうに言い捨てると、女性は立ち上がった。いや、女性の顔は不愉快そのものだった。入り口付近に立っていた眼鏡を掛けた二人の警官に指示を飛ばし、辺りを探索するように告げる。

 その時、俯いていた少女が顔を上げた。表情は、笑み。

「……私はどうすれば良いんですか?」

「お前は良い。機関に戻って“ワーウルフ”の資料を洗っとけ」

「はい」

 ニコニコと答えてそのまま踵を返す。見た限りでは愛想の良い感じの少女だ。――しかし、女性はその表情を見て、あからさまに不機嫌な顔をした。若い警官はそのやり取りを見て首を傾げる。

 女性は首を傾げた警官を睨みを利かせて退かせると、ビルを見上げる。

 空は四角く切り取られていた。

 切り取られた景色で、青い空と白い雲が見える。

「……チッ」

 舌打ちをして、携帯電話を取り出す。それから電話帳を開き、登録してある電話番号に掛ける。

「もしもし? ああ、時枷だ。……ん、山谷トウカなら今帰した」

 言いながら踵を返し、黄色いテープをくぐる。

「今回のは場所も場所だし、面倒ごとになりそうだ。……勘だよ、勘。教会からも一人来るんだったな? もう一人機関から出せないか?」

 しばらく人通りの少ない道を歩き、停めてあった銀のセダンの横で立ち止まる。

「……アヤメはまだ無理か。じゃあ辺りの退魔組織は? ……乙があった? よし、じゃあそれから一人。……うん、うん。頼んだ」

 一通り話を終えると電話を切り、女性は息を一つ吐いた。

 面倒な事になりそうだ、そんな事を思いながら、セダンに乗り込む。





 その日の午後、蔵野明に来客があった。天カスを大量に持ち帰ったバイト帰りの彼女を、住処である廃墟で一人の女性が出迎える。ポニーテールに、ジーパン、シャツ。ラフな格好をした女性だ。

 彼女は機関から依頼を届けに来たと伝えられた。

「えーっと、狼退治?」

「そそ。こっちも今エースが一人負傷してその仕事にあたれないからねー」

 暢気にカンナという女性は言った。

 しかし、――夜狩りの仕事が滅多にない――明にも分かる。狼男と言う異形は、その中でも危険度が高い。それに、彼女の持っている術式は、あまり鼻の利く相手に有効では無いのだ。お得意の天狗ノ隠レ蓑《トロンプ・ルイユ》も嗅ぎ当てられたらどうしようもない。

 元より、攻撃に特化した術式など持っていないのだ。荷が勝ちすぎている。

 先日に葵と言う、白夜行の従業員を獲得した。明に取って見れば、今こんな危険のある依頼を無理に請け負う必要も無い。だとすれば、返答は決まっていた。

「悪いんですけどお断り――」

「新米十キロでどう?」

 ……お断りします、そう言い掛けた明の言葉が尻切れトンボになる。

 廃墟ビルの三階を住処にしている彼女。もちろん、明日の朝食が危ういぐらいの貧乏だ。今週だって天カスで過ごした。先週だって、先月だって。そう、蔵野明にとっては、米と言う食料は抗いがたい誘惑だった。

「えっと……即日?」

「依頼が終わり次第届けるわ」

 そう言えば、先々月も天カスだったっけ。

 ――明自身が了承に判を押したということに気がついたのは、カンナが帰って、しばらくしてからだった。

 貧乏は恐ろしい、後に彼女はそう思った。

 後の祭りとも言うが。




 ステンドグラスから差し込む西日は、礼拝堂を更に神秘的に魅せる。礼拝堂の中には、白髪混じりの髪をオールバックにした初老の男が立っていた。神父の服装をしているが、その体躯は鍛え上げられている。

 男はステンドグラスの前で両の手を合わせ、祈りを捧げていた。そんな中、背後で扉が開く。

 優雅に、そちらを向く。扉には旅行カバンを携えた若い男が立っていた。

「久し振りだね、セラ君」

「ええ、お久し振りです。ブラザー、月ヶ谷」

 にこやかに挨拶を交わす二人。そしてセラと呼ばれた男は旅行カバンを置き、月ヶ谷と呼ばれた初老の男はセラに歩み寄った。二人の間には、差し込む西日も相まってか、神秘的なムードが漂う。

「この国は素晴らしいですね」

 両手を広げ、セラはどこか芝居掛かった口調で言った。

 なるほどこの雰囲気にあう仕草とも見える。しかし、次に発した一言でそんな雰囲気はぶち壊された。

「人形にしたくなる女性が沢山、両の手で数が零れるほど居る!」

 語るは狂気、浮かぶは満面の笑み。

 しかし月ヶ谷はそれも平然、とばかりに満面の笑みで言葉を返した。

「それは良かった」

 おっと、本題と逸れたか。そんな事を呟いて、セラは広げた両手を下ろす。その間、静々と音も立てずにシスターが現れ、旅行カバンを奥の方へと運んでいった。

 セラはその光景を見て、あのシスターも人形にしてしまいたい、と呟き、今度こそ月ヶ谷の方を見た。

「して、今回は狼狩りと聞いておりますが」

「ええ。教会の敷地内での事件ですが――なにぶん、この市の管轄は機関でしてね。表向きは共同掃討作業になるでしょう」

 表向きは。

 では裏向きはどういうことか、など、愚問も甚だしい。

 掻い摘むと、腹の探りあいだ。

「ふむ、と言うことは私以外にも派遣されるメイガスが?」

「機関の方から二人、送り込まれるようですね」

 セラは、ふむ、と顎に手を置くとしばらく思案に耽る。そして尋ねた。

「女性、ですか?」

 月ヶ谷は少し苦笑すると、分かりません、と答える。セラは残念そうな表情を見せ、また思案に耽る。

 また、月ヶ谷も何度かこのセラと言う男と仕事をしているので、このままでは話が進まないことをよく理解していた。思案に耽るセラに呼びかけ、今回の仕事内容を簡単に説明する。

 ここ数ヶ月の間、教会の管轄範囲で体が損壊された遺体が幾つか見付かる、と言う事件だ。遺体はどうも獣に食い荒らされているらしく、教会もそれを“ワーウルフ”と断定。しかし、ここは天夜市。全体の管理は統括機関が行っている。そのため、向こうから介入すると通達が来て、共同戦線を行うことになった、と言うこと。そして教区を任されている月ヶ谷が動けないため、セラがこちらに派遣されたこと。

 それから、教会側の情報で、異形と思われる少年の個人情報が手渡された。

「オオトリ……ミヤビ。鳳雅ですか。女性ならさぞや、華々しい方でしたでしょうに」

 しかしセラはそんな事に対して嘆息していた。

「はは、相変わらずですねぇ。あと、これが被害者達の写真です。共同戦線は今日の零時決行ですので、それまでにお目通しを」

「分かりました……ふむ?」

 写真を見て、セラは首を傾げる。

「死因は……全て頭部の陥没や、高い所から落ちたようなものばかりですね」

 セラの台詞に、月ヶ谷は頷く。

「そう言う性癖か、或いはそう言う能力の可能性もあります」

 辺りが静かになる。月ヶ谷は意味ありげな笑みを浮かべると、静かに十字を切った。

「セラフォート=ラギリアス。貴方に祝福あらんことを」

 セラも同じように十字を切って返す。それを見て月ヶ谷は頷き、そのまま奥の部屋へと消えていった。

 それを見送ったセラは顎に手を当てて思案し、これから先の事を考えることにした。




「いらっしゃ――」

 振り向きざまに明は営業スマイルを向けた。蕎麦所、白杉。甘いもので有名な蕎麦屋である。蕎麦屋としてそれは良いのか、という声も上がっているが、それを疑問に思っているのは店主自身もなので、その質問はタヴーだ。

 店に入ってきたのは笑みを絶やさない少女と、若い長身の男。

 数時間前に会った、今晩の共同戦線の協力者だ。少女の方は機関の人間で山谷トウカ、そして男の方は教会の人間で蔵木瀬良。明としてはあまり会いたくない人物だったが、依頼された手前、無下に扱うこともできない。

 そして時計を見る。

「あら、明ちゃん。もう良いわよ。賄い出すから着替えてらっしゃい」

 ちょうど、バイトも終わった。

 明が着替えを終えて戻ってくると、二人は当店自慢のスウィーツを突っつきながら待っていた。これは余談だが、明はこの店のスウィーツを口にした事が無い。定価二百円以上は大出費だからだ。ちなみに、トウカが食べているストロベリスウィーツの値段が単品で五百六十円である。この店のスウィーツは単品でこの値段で統一なのだ。

 笑みを浮かべたままスウィーツを削るトウカに羨ましそうな視線を送る明に瀬良(これはもちろんセラの偽名である。日系なので外国人名よりもこちらの方が相手が気後れしない)が首を傾げる。

 そして明の賄いである天カス丼が出た頃に、瀬良が口を開いた。

「では、本題に入りましょうか」

 場を纏めるために瀬良が口を開く。トウカはスウィーツを突付く手を止め、明がそちらを見る。

「お二人とも、私の人形になりませんか?」

 無視。

「えーっと、今夜の零時だよね。仕事」

 ちょっぴり残念そうに瀬良は俯くが、明の言葉に顔を上げる。

「ええ。ですが敵を倒すには敵を先ず知ること……と言う事で機関の資料館をこれから訪ねませんか?」

「資料館?」

 明が首を傾げる。

「ええ、トウカさんは機関の方ですよね? 部外者の私達は閲覧は不可能でしょうけど」

 尋ねると、今まで黙っていたトウカが笑顔で言葉を返す。

「はい。機関の人以外は閲覧できません。それでよければ御案内しましょうか?」

 トウカの言葉に瀬良が頷く。明も機関の資料館と言うのに興味を持ったようで、目を輝かせている。トウカはその二人を笑顔のまま見て、最後の一口を食べ終えた。

 瀬良も既に食べ終わっているらしい。

「あ、ちょっと待って。私の賄い食べ終わってから……」

 明がそう断ろうとした矢先、横合いから女性の声。

「天カス丼って結構いけますね。奥さん、いい腕してるぅ~」

「あらやだ。お世辞言っても何もでないわよぉ。それに丼モノは主人が作っててねー」

 後の声は奥さんのもの。前の声は、隣の席に座っているポニーテールの女性のものだった。瀬良と明はそちらに視線を向ける。明は、はて、と首傾げる。そしてその人物に思い当たった。雇い主。名前はカンナさん。……が、天カス丼を食べている。

 驚きつつも、明は視線を下に向ける。置かれていた自分の分が無い。

 カンナさんの方を見る。ある。自分のテーブルを見る。ない。

「……カンナさん」

「ん? ああ、明ちゃん。天カス丼ってどんなもんかと思ったけど、意外といけるね」

「それ、もしかして私の……」

「そそ。こー言う時は、えーっと……“お粗末さまでした”?」

 とびっきりの失礼だった。

「私のー!?」

 明の悲痛な叫びが店内に響き渡った。

 ちなみに、その背後ではどこぞの男がザルソバ二十枚と言う、白杉始まって以来の記録を残したのだが、賄いと言う重要な食料を失った明にとってはどうでもいいことであった。




 ――機関、資料館。ここには機関が今まで関わってきた事件の資料、そして異形の分類ごとの情報が本と言う形で“封印”されている。保管ではなく、封印だ。

 この資料館のシステムは特殊である。まず司書の女性に機関の証を見せ、意匠の鍵を渡される。この鍵は特殊な電子キーであり、偽造はほぼ不可能、しかも資料館にあるのも全部で三十本。資料館から持ち出されると鍵に刻まれた術式が爆発するようになっている。しかも強度もかなりのもので、術式を破損させて持ち帰るのも骨である。

 本も特殊だ。見た目は本と言うよりも匣、いやそのまま匣だ。その匣は全てベージュ色に統一され、背表紙に資料のタイトルが載っている以外は何も書かれていない。目に付くのは鍵穴だ。この鍵穴に先ほどの鍵を挿す事で初めてこの匣を開くことができる。そうして、機関の人間はようやく資料に辿り着くのだ。ちなみに、匣ごと資料を持ち出そうとしても鍵同様、爆発する仕掛けである。

「……酷く厳重ですね」

 一通り見せたトウカの動作に、半ば関心、そして呆れたように瀬良が言葉を漏らす。明は何も言わずに目を輝かせている。今は資料の入れられていた匣を眺めていた。それにもきっちり十重二十重の術式。

 瀬良はこの資料の厳重さに、持ち出すことは不可能か、とぼんやり考える。そして思い出したように、資料を取り出した。本を開きかけたトウカが動きを止め、明もそちらを向く。

「今回の事件で、教会が独自に絞った容疑者の個人情報です」

 瀬良はそう言って、先ほど月ヶ谷から預かった鳳雅についての資料をトウカに渡した。トウカは目を通して、今度は明に資料を回す。明は少しもたつきながらもそれを読み始めた。


 鳳雅(オオトリミヤビ)、男、十六歳。精神病院に収容されていたが、数日前に失踪。ほぼそれと同時期に事件が発生している。

 事件現場の数少ない目撃証言の中、三回ほど殺害現場で目撃されている。衣服は入院服のまま。


「ふーむ……?」

 あとの内容は英文なので、明は読むのをやめた。最後に付属の写真を見る。虚ろな目をした少年だった。

 トウカは匣から取り出したコピー用紙を纏めたような真新しい感じの資料を捲る。一見すると大学のレポートのようだ。それには古い資料の引用らしき茶っぽい写真がプリントされている。

 ページを捲っていると、とあるページで偶然そちらに視線を向けていた明が、あ、と言葉を漏らした。トウカが指を止める。

「どうかしましたか?」

「あ、いや。ごめん。なんでもない」

 トウカが視線を落とす。項目は、魔女。

 少し首を傾げたが、トウカは狼男の項目を再び探し始め、そして指を止めた。

「これ、ですね」

 その言葉に、辺りを見回していた瀬良がそちらを向く。


 ……狼男。

 月夜を好み、人肉を好む。非常に凶暴で好戦的。

 銀の弾丸を弱点とし、月齢と共に戦闘能力が向上する。

 関連項目……倫敦事件、狼軍事件、ジェヴォーダンビースト、ワーウルフ、月齢身体。


「……だそうです」

「ふむ、伝承そのまま……と言った所でしょうか。しかし厄介ですね、明日は満月。その前日となるとどれだけの物になるか。いや、満月で無いだけ幸いでしょうか」

 瀬良が顎に指を当てながらそんな事を言う。

 明は始終、不安げに表情を曇らせていた。トウカはそんな明に不安を抱かせないためか、人当たりのいい笑顔を明に向ける。励まされたのか、引き攣りながらも明は笑顔を返す。

「――不十分ね」

 声は、背後からだった。三人が振り向く、そこに立っているのは、黒い髪を靡かせる少女。こちらを見つめる瞳も黒。入院患者の着るような服を纏い、左腕には包帯を巻いている。

「機関の人、ですか?」

 トウカが尋ねると、少女は頷いた。

「ええ。姫月アヤメって言います。よろしく」

 にこやかにアヤメと言う少女は挨拶をした。それをみて瀬良はほぅ、と呟き、明は何故か安堵したような表情を作った。

 瀬良はアヤメに近付くと、一言。

「アヤメさん。私の人形になりませんか?」

「……えっと」

 不思議そうにアヤメは首を傾げる。

「あー、気にしないでいいよ。私達二人も出会い頭そんな感じのこと言われたし」

 明が言うと、気付いたようにアヤメは言う。

「そういう性癖の人ね」

 その言葉に瀬良は複雑そうな表情をする。明は苦笑。トウカは相変わらず人当たりのいい笑みを浮かべていた。アヤメはトウカを見て、その動きを止めた。数秒の間見つめあい、くすりと笑う。対するトウカは、その笑みに表情を一瞬だけ変えた。二人だけが気付く程度の、静かで僅かな変化。

 明はその光景に首を傾げるが、特に追求はしない。瀬良からまた別の質問が飛ぶ。

「アヤメさん。不十分……とはどういう意味でしょうか?」

「そのままですよ。その資料じゃ狼男の異形については不十分、ってこと」

 ほう、と瀬良は感心したように息を吐いた。

「資料では分からない、対峙したら分かる事もあるんです。癖とか、あと対抗術式とか」

 納得したように三者三様で頷く。

「教えていただけますか、この資料で不十分だという部分を」

「いいですよ」

 にこりと、どこか冷たい空気が満ちてきた。


 狼男は肉食であるが、基本的に食事量が多く、肉を余す事無く喰らう。

 そして野犬などを従え、一定領域以上、つまり縄張り以上に活動範囲を広げない。

 武器となるのは強靭な体。

 そのため、殺された人間が綺麗な状態で残るということはまず無い。


 話を一通り聞いた瀬良は、ふむ、と難しい表情を浮かべて唸った。他の二人も同じようなものだ。アヤメが言った狼男の特徴は……どうにも今回の事件とは食い違うような部分が幾つかある。

「別に、今言った情報が全てでは無いですから」

 そして付け加えるように、明に小さな袋のようなものを手渡した。

「はい。大体半径五十メートル付近の狼男や、それに操られた野犬を誘い込める術式。飲むだけでいいから」

 確認すると、中には三つほど錠剤が入っていた。明は礼を言い、それを懐に仕舞う。

「あとは機関から銀の術式が配布されると思う」

 トウカはその言葉に頷き、本を元の通り匣の中に戻した。すると、勝手に鍵が閉まる。そして本を戻せば元通りだ。瀬良は顎に手を当てて先ほどから思案に耽っている。

 同じ年齢で、そこまで仕事ができるアヤメに対するちょっとした羨望を、明は感じていた。

 そして明は尋ねる。

 聞いてはいけなかったのに。

「その怪我、どうしちゃったんですか?」

「ああ。ちょっと少し前にドジっちゃって。一週間、機関の医療施設に缶詰されてるの」

「へー……でも怪我してるのに、こっちに来てまで調べものって熱心ですよね」

 くすり、とアヤメが笑う。

 右手で顔を覆った。空気ががらりと変わる。その豹変に、背を向けていたトウカは振り返り、思案に耽っていた瀬良はアヤメの方を見た。

「だってよ」

 そこに立っているのは、“違った”。


「こんな奴等を殺せるって、考えるだけで最高だろ?」


 変わる口調。狂う空気。

 明は目を見開き、拳を握り締めた。肩が、少しだけ震えている。

「ほう」

 瀬良は冷や汗を垂らせながら、感心したように呟いた。

 アヤメはそんな中、踵を返して資料館の奥へと、悠然と進んでいく。

 そんな背中を、トウカはどこか虚無を湛えた瞳で見送っていた。




 夜。天夜総合病院駐車場。

 人気は無い。歓楽街からも住宅街からも離れた、山の麓にその大病院はある。

 トウカは昼間と打って変わった無表情でその病院を眺めていた。時刻は既に二時を回っている。音は虫の声だけで、後はたまに聞こえる車の音だけ。

 目の前の病院は、死んだように静まり返っている。

 明は歓楽街、瀬良は教会を張っている。何かあればすぐに連絡が入る。……と言っても、全て事件が多発しているビル街からは遠い。瀬良が言うには、よっぽど運が悪くない限り元凶に会うことは無いだろう、とのこと。

 空を見上げる。

 夜空には雲ひとつ無く、浮かぶのは未だ不完全な満月。

「――……」

 声にならない声。

 病院の上には月と、

 白い布のような人影。

「いた」

 トウカは呟く。舞い踊る白い布は、トウカを見つけて喜んでいるようだ。ひらひらと、踊っている。

 亡霊――異形の中では人に近い。死んだ人間の思念が、根源の魔力で形になったもの。たまにこれらを使役する退魔士も居るが、あまり周りから好意的な目では見られない。

 異形の中でも現実感が希薄。

 ……トウカは無表情にそれを眺める。それが気に入らないのか、言葉になっていない叫びを上げて、トウカの目の前に亡霊が舞い降りる。白い布が二つ。その辺りだけが白黒のモノトーンになったように錯覚する。

 目の前に亡霊の腕が迫る。トウカの表情は動かない。

 撫ぜるような攻撃を躱し、ニ撃目をしゃがんで躱す。敵は二体。トウカは距離を取った。距離にして十メートル。更に迫る亡霊に対し、彼女は懐から鈴を取り出す。

 術式が刻まれ、白く滑らかな表面に幾重にも黒いラインが入っている金色の鈴。中指に紐の輪を通し、詠唱を始める。

「マガヒ――」

 空気を切る音が聞こえる。亡霊の振るう腕が目の前まで迫っていた。


「猛よ」


 その前に、爆ぜた。

「――アラミタマ」

 リン、と。開いた手の上で、静かに鈴が鳴った。

 放たれた光の矢が亡霊の一体を捉え、その姿を霧散させた。余波で地面に亀裂が走る。もう一体の亡霊はその光景に慄いているのか、恨めしそうに唸りながら徐々に後退していく。

 無関心にその光景を眺めているトウカ。その時、背後から二つの足音が聞こえた。彼女は振り向かない。

「トウカさん!」

「トウカ君」

 瀬良と明が駆けつける。トウカは、やはり無関心だった。

「……ふむ、なるほど。昼の内に病院も回りましたが――病院に白い影、ですか」

 得心したように瀬良が呟く。彼は昼間、独自で鳳雅について調べていた。その際聞いていた噂話だったが、まさかこうなるとは瀬良自身も思っていなかった。

「大方、狼男とは別件だと思いますが」

「ユーレイ、よねあれ」

 明は比較的冷静にナイフを取り出した。瀬良も術式の刻まれた皮の手袋を嵌める。

「ええ。事件とは関係ないでしょうが、このように病院を寝床にされては堪らないので――」

 全員がそれぞれ、臨戦態勢に入る。

「殲滅しましょう」

 言葉とほぼ同時、月を背に幾つもの白い布が舞った。



 駐車場に舞い降りた亡霊の数は凡そ二十ばかり。全て病院の人間だろうか、と明は逡巡し、術式を起動し始める。天狗ノ隠レ蓑。光の術式を用いた、迷彩。俗に言う光学迷彩。明の姿が消える。

 瀬良は感心しながら、自分の手駒を呼び出す。

「グラン、ギニョール」

 現れたのは二人の女性だった。正確には、女性のような人形。淡く光を放つ金色の髪に、優しげに閉じられた目。隷属の証である襤褸切れの衣装。その二体はまるで瀬良を守るように立っている。瀬良はその二人をとてもいとおしげに見つめ、両の手を振り上げる。

 人形が目を見開き、亡霊の懐に飛び込んだ。一つは拳を振り上げ、もう一つは刺すような蹴り。

 亡霊が二体消滅した。満足げにそれを眺めると、瀬良は振り上げたその腕を、まるで舞台演劇のように広げた。答えるように、人形達が横に居た亡霊の顔と心臓を射抜いた。霧散する亡霊。これで四体。

 その合間を縫い、亡霊が瀬良に向かって突っ込んできた。触れるだけで精神を冒す腕が迫る。しかし、それは瀬良に触れる少し前で阻まれた。引き戻された人形が瀬良の盾となり、軋む。亡霊の動きは止まっていた。心なしか、焦っているようにも見える。瀬良はただ、笑いながら腕を振るった。

 亡霊の顔面を、砕くようにと。

「私の人形を傷つけるなんて……全く無粋な異形ですねぇ」

 霧散する前に亡霊は体に無数の穴を穿った。


 三方向から、亡霊が襲い掛かる。襲い掛かられているトウカは、表情を変えずにそこに立ったままだった。突き出された精神を冒す腕。トウカは、立ったまま。数瞬。確実に当る位置。躱せはしない。

 ――だが、亡霊達の腕は、“当らなかった”。

 トウカに当たる瞬間、亡霊達の腕は意図しない方向に向かっていた。

 彼女が身に纏う防護術式、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)。彼女には“意思なき攻撃”、“避けようと思った攻撃”は時によってムラがあるものの、限りなく当たり難い。日本、そして海外でも良く見られる女性信仰である術式だ。

 一歩後退し、間髪入れずに掌を向ける。

「曲霊(マガヒ)、猛よ、争魂(アラミタマ)」

 先ほどと同じ言霊。鈴の音が鳴ると、禍々しい白の光が亡霊達を打ち砕いた。三つを砕いた光は真っ直ぐ進む。延長線に居た亡霊達は左右に広がって纏めてトウカに襲い掛かる。

 鈴が鳴る。

「覚れ、狂魂(クシミタマ)」

 言霊と同時に砕ける光。分散した粒子が亡霊の体を灼いた。しかし追撃は終わらない。

 身に焼きつく痛みから呻く亡霊に、死神の如き鈴の音が届く。

「争魂、再び猛よ」

 トウカの口から残酷なまでに冷たい言霊が吐き出される。亡霊の体を灼く光が更に量を増し、今度こそ消滅へと導く。そこには容赦も、それ以上に興味が無かった。

 残された数少ない亡霊達が恐怖からか、ゆらりと後退して行く。


「おや、待ってくださいよゴースト」


 楽しげな男の声。亡霊達の背後から、人形の拳が叩き込まれた。干された布団を叩くような、乾いた音を立てて亡霊が霧散する。二発、三発と繰り返される見事な人形の連携。

 それらが消えてなくなるまで、時間は掛からなかった。



「外れでしたねぇ」

 瀬良が呟き、手袋を外す。人形はもう何処にも居なかった。戦闘から数分。駐車場には三人以外の人影は無かった。トウカが予め張っていた人払いの効果なのだが。

「そうですね」

 先ほどとは打って変わり、笑顔でトウカは言葉を返す。それからちょっと視線を下に向けた。

「大丈夫ですか、明さん」

 声を掛けられた当人は、駐車場の地面に大の字で寝転んでいた。息も荒い。手には術式の刻まれたナイフが握られている。

 返答はしばらくなかった。

 ジッとトウカは見下ろしている。それにやっと気付き、明は無理矢理呼吸を整えた。

「な、なに?」

「大丈夫ですか、って聞いたんですけど」

 その質問に明は微妙に引き攣った笑顔を作り、乾いた声で笑った。

「大丈夫大丈夫。まッさかナイフが全然効かないで、……姿消して一生懸命、効かないナイフ振り回してただけだから」

 語尾に行くに連れ、声はどんどん沈んで行った。

 瀬良はその様子を見て、ふむぅ、と顎に手を当てて唸った。明は寝転んだまま視線を向け、トウカもそちらを向く。

「効かずと分かっていても努力をする。なんと素晴らしいことだろう。と言う事で、明君。私の人形にならないか?」

 盛大な溜め息。

 明は何とか呼吸を整えると上体を起こした。そして、未だ暗い空に浮かぶ月を眺める。ふと、病院の屋上に誰かがいるような気がして、目を凝らした。しかしそこには誰も居ない。

「どうかしましたか?」

「ん……何でもない」

 一日目の夜が過ぎていく。名も無き誰かが、今日も死んだ。







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