天夜奇想譚 狩猟者―迷い子 > missing―


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作者:グリム

タイトル:狩猟者―迷い子/missing―






 私は切符を失くしてしまった。

 列車は回り続ける、ぐるぐると私の目の前を。

 誰かは手を伸ばした。

『切符は要らないよ。お乗りなさい』

 そして私は答えた。

『あれが無いと私は行く先が分からない』

 列車は回り続ける。




《迷い子/missing》


「だっはっは、災難だったねーみっちー」

 豪快に笑われて、その上に鳩尾にパンチを貰った。あの雪の事件から一週間……まだ残雪も寒さも消えない頃。僕は相変わらず自室のベッドに居た。あれだけの事があったら仕方ないかもしれないけど。

 でも、まだ家の中でしか動けないってのは先行き不安だ。

 だと言うのに……目の前の女性は“災難だった”の一言で笑い飛ばしてしまった。鳩尾にキツイ一撃をくれた上で。痛いッつーの。

「樋沼さん。僕、一応怪我人なんですけど」

「細かいこと気にしたら男じゃ無いよ。ほらほら、昔から言うでしょ? 良薬は口に痛し!」

 ……苦し、ね。

 栗毛色のポニーテールを揺らして笑ってる女性の名前は、樋沼カンナさん。格好はジーパンにシャツ、上着。姉貴の友人であり、この通りの変わり者だ。職業はどうやら警察では無いらしい。昼だろうと深夜だろうとウチに来る。

 姉貴が居たら二人で早朝まで酒盛りをして帰っていく。

 ちなみに独身。そう言えば姉貴って彼氏いるのかな……

「しっかし、ちょっと旅行してる間に……んー……そう言えば、ゆずちーに彼氏できた?」

 同じこと考えてましたか。と言うか話逸れすぎだ。

「えっと――」

「ま、あんな性格だからできるわけ無いよねぇ」

 だっはっは、と笑いながらさっさと話を進めていく。この人の特技の一つでもあるマシンガントーク。この人のマシンガントークは姉貴に拳銃を抜かせないレベルだ。色んな意味で凄い。

「あーあ。折角みっちーの手料理にたかろうと思ってたのに。まぁいいや。白杉にいこっと」

 床に腰掛けていた樋沼さんはひょいっと立ち上がるとさっさと玄関まで歩いていく。

「もう帰るんですか?」

「んー? ああ、気を使わないでいいよ。実はまたこっちで仕事があってさー」

 パタパタと去っていく。

 相変わらず、嵐のような人だ。体に力を入れて立ち上がり、コップに水をついでビタミン剤を飲む。樋沼さんは帰ってしまったけど、取り合えず自分の料理を作って食べないといけない。姉貴も明日までは帰ってこないだろうし、さすがにこの状態でコンビニに買いに行くのは、料理を作るより大変そうだ。

 この家からコンビにまでは少し遠いし、花村マーケットで惣菜を揃えるのも良いが、そうすると冷蔵庫に残っている賞味期限が今日のキムチが勿体無い。

 豚肉も残っているし、豚キムチにしよう。明日になれば姉貴も帰ってくるし、酒のつまみに残しておけば丁度良い。

 冷蔵庫を開ける。冷気。少しだけあの中の寒さを思い出して――扉を閉じた。

 人って言うのは……素晴らしく順応性に富んだ生き物だ。あんな事があったのに、いつもと同じことができてしまう。

 嫌になる。

 結局料理を作る気も無くなってしまった。冷蔵庫に背を預け、床に座り込む。似たような事は何度もあった。僕の周りのモノは色んな形で、色んな傷を残して去っていく。お陰で僕は傷だらけだ。

 気がつくと、部屋の中はもう薄暗かった。そう言えば、あの子の遺言聞いた時もこんな感じだったっけ。

 樋沼さんのお陰で晴れた気持ち悪い靄が、少しだけ濃さを増した。

 あの冷気のせいで古傷まで痛んできた。思いっきり暴れまわってしまいたいけど、それだけの体力も無い。自分の弱さに嫌気が差すだけだ。

 僕は。相変わらず弱いまま。

 だから生きて、生きて。

 ――×××。

「……ハァ。取り合えず料理、作らなきゃ」

 姉貴が居たら、昔みたいに女々しいぞってニ、三発殴られただろうなぁ。

 何となく、苦笑が漏れた。

 あの子はもう居ないんだ。それを胸に刻んで、頭を切り替えなきゃ。僕はそれぐらいしかできない。せめてあの子が生きていたことを忘れないように。目の前で死んだことを忘れないように。

 生きるだけ。





 体は順調に回復していた。一番凍傷が酷かった左腕も上手い具合に“修復”され、活動に問題は無い。

 相変わらずの技術に、呆れるばかりだ。この技術は俺のようなやつによりも、海晴みたいな一般人に使えば良いのに。そうすれば少しは失踪者の数も減って、万々歳じゃ無いか。

 部屋は白塗りの立方体。身に纏っているのは白い病人服。自分の黒い髪がやけに目にくっきりと映った。

「真っ白って、本当に趣味悪いな」

『――治療してあげたのに、そんな事言う?』

 相手の声はマイクを通した機械音声で、部屋の中に響き渡る。

 ああ、聞いてたのか。顔を上げると、壁の高い位置に鏡があった。マジックミラー。向こう側に人が居るか分からないってのは不便だ。おちおち独り言も零せない。

「俺は頼んでない。と言うか、断ったのにぶち込んだのはそっちの方だろ?」

 返答には少しだけ間があった。

『それが機関とあなたの間にある契約でしょう?』

「……八項?」

『六項。異形との戦いで負傷した場合直ちに機関の医療施設に入り、その異形について報告すること』

 マイクの音声は呆れた様子で返してきた。

 契約なんてそもそも流し読みした程度で、特に重要じゃ無いところは覚えてない。俺がまともに読んだのは一項ぐらいだし、そもそも契約やらの紙は残さないようにとか言って読んだと言った直後に燃やされた。

 ま、問題ないだろう。

 そう言えば。六項については追記部分だけ覚えていた。

「で、“汚染”されていたならば速やかに洗浄を受け、もし異形になったならば殺害される。だろ?」

『覚えてるじゃない』

 そこだけだけどな。口には出さずに内心で舌を出す。

『でも安心して。まだ貴女は人間だし、汚染も無かった。もう外に出られるし、次の依頼も待ってるわ』

 休み無しかよ。と苦笑する。

 だが、お陰ですぐに異形と死合える。

『嬉しそうね? ――今回の相手は同業の出の異形だって言うのに』

 そんなものどうでもいい。

「あいよ。もう出てもいいか?」

 今度は返答が無かった。しばらくの間沈黙があり、白い壁に亀裂が走る。

 向こう側は真っ暗闇。その闇の中から黒服の男が数人現れ、手際よく俺の腕に手錠を掛け、目隠しをしていく。厳重に、呆れるほどに警戒して。

 でも今の俺にはそんな事、瑣末に過ぎない。

 早く異形を殺させろ。





「――姫月、ちょっといいか?」

 声を掛けられたのは、機関から帰ってきた翌日の学校だった。声を掛けてきたのは大柄な男子生徒。強面。運動部系のような鍛え上げられた肉体だ。確か、名前は樫月。樫月ヨージ。

 あんまり会話をしたことが無いハズだ。こいつと話す時は海晴が居た。海晴、そう言えばまだ療養中だったか。

 物思いに耽っていると、焦れた樫月がもう一度、呼ぶ。

「姫月?」

「ん……あ、ごめんごめん。なに?」

 取り繕って、俺は私になる。アヤメから菖蒲になる。

「いや、さ。時枷のやつ、もう一週間も学校休んでるし。何か知らねぇか?」

 頭を掻きながら聞いてきた。どう話すか、と思案する。

 何か虚偽を加えて面白おかしく伝えてしまおうかと考えて、やめた。普通に伝えるか。

「雪が降った日にちょっと馬鹿して、今は休養中だって」

 少し唇を尖らせて不機嫌そうに言った。

 樫月はハァ、と口と目を見開き、そのまま硬直した。かと思ったら、がっはっはと豪快に笑い始めた。こいつも海晴とは違うが、色々と見ていて飽きない。

「あー……会っても問題ないねぇか?」

「無いと思うよ」

 さんきゅ、と言い残して樫月は席まで戻っていく。あいつの席は、窓際の一番後ろ。不自然に数の少ない列の最後尾。後ろに座っていた浜野は引っ越していった。と言うことになっている。

 私――俺が消した。

 そう思うと、沸々と、何かがせりあがってきた。抑え込む。

 誰かに気取られぬように、教室から出て、屋上へ向かった。今日は青空が見えた。隅に作った結界の中にはいつもの刀と手甲がある。

「ハ――ァ」

 長く長く、息を吐く。それだけで気持ちが少しだけ落ち着いて、震えが収まった。

 短い間に二人クラスメイトだった異形を殺した。

 壁に背をもたれて座り込み、青空を眺める。授業に出るのが何だか面倒になってしまった。日はまだ高く、そろそろ正午になるというのに、相変わらず外気は冷える。

 今日は早退してしまおう。

 材料を集めて捌こう。異形を、完膚なきまでに。





 一晩寝ると、もう出歩けるぐらいに体力は回復した。と、姉貴に電話すると、大事を取ってもう一日休んでいろと言われた。今日は金曜日だし、学校にはもう少し行けそうに無い。単位ヤバイな……

 あの危機に比べると大したこと無いが――地味にピンチだと自覚する。ダブったりしたらどうしよ。

「……ま、仕方ないか」

 少しメランコリーになつつ、野菜を炒める。尚、今日の朝まで食べようと思っていた豚キムチは深夜に帰ってきた姉貴の手によって全て持ってかれた。少しぐらい残してくれよ。

 この調子じゃ、今日中に花村マーケットに行かないと野菜も豚肉も無くなる。

 米は……まだ大丈夫か。

 そんな事を考えている内に野菜炒めは完成した。材料が無くなり掛けてるときはいつもこれをしているので、考え事しながらでも出来上がる。習慣は素晴らしい。

 が、そこで重大な事に気付く。作りすぎた。朝食べて昼食べて……食べられるか、この量?

 思わず姉貴の分まで作ってしまったらしい。溜め息を吐きつつエプロンを外し、ご飯をよそって箸を持った。

 味は上々。やはり豚肉を入れたほうが美味い。

 と、ご飯を半分ぐらい食べ終えた頃に玄関のチャイムが鳴り響いた。

「樋沼さん――は無いか、チャイム鳴らすはずないし」

 同じ理由で、姉貴もアヤメも違うはずだ。この家によく来る人間はチャイムを鳴らさずに勝手に入ってくるし。だとすれば誰だろう、と首を傾げる。そんな常識人、知り合いに居ただろうか。

 催促するようにチャイムが鳴った。取り合えず出てみる。

 そこには……随分とガタイのいい男が立ってた。

「よう、サボるなんて良い身分だな」

「か――樫月?」

 予想外の人物が立っていた。

 樫月耀司。分類的には友人。中学からの付き合いなのでそれなりに長い。最近は部活が忙しいとかでどちらかの家に行くと言う事は少なくなっていたが。

「アレ返せよ。約束の一週間過ぎただろ」

 ……思い出した。こいつに“天夜奇想譚オンライン”のソフト借りてたんだ。借りたのがあの日の前日だったため、一週間と言う貸し出し期限は休養に費やされ、結局インストールして説明書を読むぐらいしかできなかったが。

 しかし、まさか取り立てに来るとは思わなかった。

「……って、今十一時だぞ? 樫月、学校はどうしたんだよ」

「お前が言うか?」

 かっかっか、と笑いながら樫月は家に上がりこんできた。止める間もなくリビングまで。

「おいおい勝手に――」

「あ、飯だったの? 丁度良かった、箸借りるからな」

 ……止める間もなく減っていく野菜炒め。このままだと全滅しそうな勢いなので文句は後回しにして食べることに集中した。結果、朝昼兼用で作った野菜はものの見事に壊滅した。

 もう昼飯は買ってこないと材料すらない。

「で今日は何の用? 学校までサボってゲーム取立てに来たの?」

 その質問に樫月は頷く。

「半分はそれ。あとは見舞いのつもりだったが――結構大丈夫そうだな」

「あ、ああ……」

「それとお前のとこのパソ貸して。俺のマシンが調整中でさー……ってわけで立ち上げ立ち上げ」

 勝手に樫月はパソコンのスイッチを入れて立ち上げる。止める間もない。僕の周りに……もうちょっと常識的な人間は居ないものだろうか、と頭を抱える。

 しかも起動して早速ディスク入れてるし。

 素早くパスワード入力、キャラ選択、接続。さすがパソ研部長。だけど僕の家でその実力を発揮する必要は無いだろう。と言うか結局、こっちの話し聞かないで付けちゃったし。

 どうせ今止めても聞くまい。樫月はそういう人間だ。

 諦めて、僕は食器を片付けることにした。

 そうだ、材料も買わなきゃならない。

 食器を洗い終え、パソコンに向かう樫月の背後に立つ。フィールドは……現代風の街並だ。巨大な一本角の鬼と複数のキャラクターが戦っていた。どれもゴテゴテした装備をしている。

 樫月のキャラのライフポイントが鬼の一振りで赤ラインまで持ってかれる。すかさずショートカットに設定していた全回復アイテムでライフポイントを回復して炎の矢で反撃。

 戦闘は長引いているようだった。

 そうして十分経過――結果、全てのキャラクターはコミカルな幽霊に姿を変えていた。

「っだー! やっぱスネークさんいねぇと勝てねぇ!」

 それが敗北した樫月が発した最初の言葉だった。既にキャラクターは拠点の街に強制送還されている。

「今のボス?」

「牛鬼。このゲームでも五本指に入るバケモノ」

 画面に向かったまま樫月が答える。

 画面ではキャラクターがちょこまかと動いていた。どうやらアイテムを売っているらしい。それから消耗した全回復アイテムの補充をしている。

 牛鬼……そう言えば説明書に書いてあったな。説明書を拾い上げてその項目を見つける。

『牛鬼。種族“鬼”の長であり、最強クラス。攻略アドバイス、五人以上でパーティを組み、全回復アイテムを九十九個以上買い溜めをしておく』

 補足で、戦う場合は蘇生アイテムが使えないと書いてあった。どれだけ反則なんだ。

 それから一時間ぐらいしてから、樫月はゲームを切った。時間はちょうど正午。

「ふぃ、パソさんきゅ。俺、午後の授業だけでるから」

 呆れた。

「……それだけのために来たのか」

「ほいじゃあな。来週からはまた来るんだろ?」

「ん、ああ」

「また月曜日に」

 樫月はそう言ってゲームを持って帰ってしまった。結局できなかったなぁ。





 私は幼い頃、旅に憧れていた。お父さんの持って帰ってきた使い終わった切符を集めて、その場所に何があったか夢想した。地図も大好きで、本棚にはお母さんが買ってくれたそんな本ばっかり並んでいた。

 でもお父さんもお母さんも死んだ。目の前で喰われた。

 あれは、鬼。

 鬼は血に塗れた私を見つけると、嬉しそうに目を細めた。そして潰れてひしゃげたような声で言うのだ。

「お前の命は親の血肉で贖った。我輩が望むのは、憎悪。我輩を殺しに来い。復讐の悪鬼と成りて我輩の前に再び姿を現せ! そして我輩を殺すのだ」

 血と肉を口の端からダラダラと零しながら、鬼はにやりと嗤う。でも何も聞こえない。

 淀んだ瞳で、お父さんとお母さんが私を見上げている。体は無い。首だけになった二人。ふたつ。悲鳴なんて枯れ果てて、私はそれを見つめ返すことしかできない。

「さぁ鬼と成れ。我輩を殺せ!」

 動かなかったお父さんとお母さんが、立ち上がる。最早目には精気は無く、角の生えた首を拾い上げる。むせ返る血の匂いの部屋。お父さんとお母さんは、死んだ。

 目の前に居るのは、一匹の鬼と、二匹の子鬼。

 過去も未来も現在も幻想も妄想も現実も嬉しさも悲しさも正常も異常も寂しさも狂気も、たった一つだけ残して、

 消えた。

 そして私は残った。


 あの顔は今でも忘れない。





 夜の雰囲気に当てられたのか、自分の記憶が生誕まで遡っている事に気付いた。アホらし。無駄に伸ばした髪をクルクルと弄くりながら、通り過ぎていく人を眺める。

 今でも覚えている。あの出来事。

 雪女の一件以来、少し心が不安定になっている。それとも海晴に会っていないせいだろうか。どうでもいい。

「――うむ、白杉の蕎麦は相変わらず美味い。硯梨に黙ってきたから後が怖いけど~」

 上機嫌な風に、目の前を男が通り過ぎる。やっと見つけた。男はするすると人ごみに紛れてどこかに向かっているようだったが関係ない。俺はそいつの襟首を引っつかんだ。

「……ぐぇ」

 蛙の潰れたような声を出して男が立ち止まる。

 そいつは俺の方を見ると、はてな、と首を傾げていた。

「えーっと、お嬢さん、何の御用でせう?」

「山の蛇――お前に聞きたいことがある。答えろ、つい最近になって行動を起こし始めた大物の異形の情報を」

 元々、無駄な会話をする必要なんて無い。

 俺の言葉を聞いた途端、男は目を細め、空気が震えるような威圧を発した。正直、今この場で人目を気にせず血祭りに上げたくなるぐらい良質な得物だ。

「余はあまり出歩かないから知らないっ! ……じゃ、だめ?」

「ふざけてるのか?」

「い、いえふざけてないけど何ていうかそのー、最近別件で忙しくて? ほら、神様は暇無しで!」

 ……前言を撤回したくなるぐらいの慌てようだった。 拍子抜けもいいところ――だが、こいつは機関の資料では“禁猟”を命じられるぐらいの異形だ。それにさっき出した圧力から察するに、戦っても五分。

 しかし、こう目の前であたふたされると、疑いたくもなる。

 いっそ斬ってしまった方が判りやすそうだ。

「答えないのなら――ここで殺しちまっても構わないよな?」

 その返答を聞くつもりはなかった。

 だが――その時変わった、その男の“眼”に圧倒され、体の反応が数秒遅れた。

「――余は竜王にして神祖の一柱。それを承知の上で言っているのだな、小娘」

 その言葉が耳に到達するまでに、脇を通り過ぎていく人の気配が全て消え去った。世界中で動いているのが目の前の男と俺だけのように錯覚する。体が震えた。

 ああ。

 俺の手で、壊してしまいたい。

「そうだと言ったら?」

 男は酷く面食らった顔をしていた。

「えーっと、余、神。小娘、人間。オーケー?」

 ……しかも何をトチ狂ったのか、自分と俺を指差して同意を求めてきたりしてくる。さっきまでの威厳はどこへやら。調子が狂って仕方が無い。

 どうやらこれ以上聞いても何も情報は得られないだろう。

 そのまま踵を返す。

「あの、ちょ、あのー!?」

 後ろで何やら喚いているが取り合えず聞き流した。情報は持ってないわ、強いくせに変なところで引き腰だわ、面倒臭いことこの上ない。面倒だ。どうせ居場所はわかっている、情報無しで乗り込むとしよう。

 ふと、振り返る。もう後ろには流れる人しかない。

 いつか、アイツも俺の手で。そう思うと、心が震えた。





 適当にCDを漁っていると、無名のディスクが出てきたので、適当に掛けてみた。クラシックだったらしい。何の曲だったか、あまり覚えは無い気がする。

 ディスクには言っている曲目はこれ一つらしい。眠くなりそうだけど、別にいいか。垂れ流しながら、今晩の料理を作っていく。今日は牛肉と卵とトマトの炒め物だ。……炒め物ばっかりだな、そろそろ違うモノを作ろうか。

 味噌汁も作り、あとレタスときゅうりのサラダ。一人分の量では無いが、明日の朝の分まである。

「ドレッシングは……ん、まだある」

 冷蔵庫を確認してからドレッシングを取り出し、配膳完了。

 良い具合に出来上がっており、匂いもオッケー。……姉貴のお陰でなんか所帯じみてきたかな、僕。何となく項垂れつつ、箸を伸ばす。が、そこで玄関が勢いよく開いた。

 ドタドタと侵入してきたのは、樋沼さんだ。

「いーにおい! あ、これね? みっちー、さっすがー、分かってるわー」

 そして一気に捲し上げ、樋沼さんは僕の手から箸を掠め取り、茶碗を掠め取り、そして食べ始めた。恐らくこの人の頭の辞書からは“遠慮”だとか“謙虚”だとか言う言葉は切り抜かれているのだろう。きっとそうだ。

 ……もうこの人の性格は半ば諦めているので箸を持って来る。追加の炒め物と、サラダも。

 食卓にはいつの間にかビールの空缶が転がっていた。

「お酒と合うわねぇ……あ、みっちー、これの後おつまみ無い? チーズ。できれば裂けるの」

「勝手に上がりこんでそれですか……」

 半ば、諦めているのだが、まぁ、見過ごすのがやりきれない気持ちになる。しかも炒め物は猛スピードで消費されていく。これはもう明日の朝ご飯にまわす余裕なんて無い。ヘタをすれば僕が晩ご飯を食いっぱぐれるぐらいの勢いだ。

 ビールだとかに突っ込みを入れるのも大変なので、食を進める。

 しばらく、双方黙り。

「……カーニヴァル」

 唐突に樋沼さんが意味の分からないことを口にした。

「は?」

「何でさっきから延々とカーニヴァル流してるの?」

 言われて気付く。料理を作り始めてから付けていたものだから、クラシックなんて全く耳にとまってなかった。さすがにこれ以上流すのも何なので曲を止める。

 カーニヴァル、って曲名なのか。

「はぁ、てっきり……んぐ……みっちーがいきなりドヴォルザークに目覚めたのかと思ったじゃない」

 ビールを一気に呷り、樋沼さんはそんな事を言った。

 ドヴォルザークと言う名前には聞き覚えがある。確か、鉄道好きの作曲家だ。……曲ってどんなのだしてたっけ。と言うか、何でクラシックなんてCDの山に……姉貴だろうか。

「カンナさんビックリしたわー」

 ……すでに樋沼さんの顔は赤くなっていた。姉貴に比べると酒に弱い……と言うか呑まれ易い癖に飲みまくるのがこの人だ。

 ビールの缶は既に両手の指じゃ数え切れないぐらいに転がり、晩ご飯に作ったおかずは壊滅している。サラダも然り。味噌汁もご飯も全部樋沼さんの胃の中だ。体細いのによくこれだけ食べれるものだ。

 ……でも細すぎじゃ無いだろうか。ウェストはともかくとして、バストとか……と、これはセクハラだ。

「こぉ~ら、目がやらしーぞー」

 樋沼さんは絡みモードに入る。

 そして樋沼さんを実家の神社に送り届けた頃には夜の十一時を回っていた。





 夜を砕くような銃声が聞こえる。

 山の頂を月明かりが照らす中、詰まらない仕事の後始末。手にはイーグルと、エアーウェイト。対するは、蟲の群れ。しかし最早それは群れと呼ぶには相応しくない。それらは固まり、形を成して襲い掛かる。

 蟲毒――古来、日本で行われていた毒虫を作る呪法。それが、“それ”の名称。

 異形の使い魔。魔力の残滓。クズっカス。

「鬱陶――……しぃ、だろうが!」

 雄叫びと共に撃ち込まれるのは山猫の弾丸。蟲毒は嫌な音を立てて中身をぶちまける。しかし足りない分は他から補い、蟲毒はヒトカタを作り、襲い掛かる。

 緩慢な動作で振り下ろされる蟲の腕。身を躱すと、背後にあった木の幹を丸々削り取った。ギシギシと嫌な音をたてながら、そいつは木の幹を噛み砕く。咀嚼音だけが聞こえる。よくよく見るとそれは小さな蜘蛛。余計に気色悪い。

 なので、もう一発。

 そこでエアーウェイトの弾が切れる。……一般警察の装備だからって、幾らなんでも五発は少なすぎる。MP7ぐらい標準装備にしないとやってらんない。

 思いながら、イーグルで蟲の腕を打ち抜く。しかし崩れ落ちたそれは分散して襲い掛かってきた。地面を這って来るそれらは何とも言えないぐらい……

「気色悪い」

 懐から小瓶を取り出す。

「聖十字式――聖別ノ理……気安く触るな、バケモノ」

 そして蓋を外して、頭から自分に振り撒く。中身は署内から持ち出した“世俗から切り離す”概念を取り込んだ、西洋のキリスト式が使う十八番のコピーキャット――組織風聖油の術式。

 向かってきた蟲毒が不自然に私の体を避けていく。

 後ろに過ぎたのは無視。懐から最後になった手榴弾を蟲毒のどてっぱらに埋め込み、頭を庇いながら横っ飛びで草むらへ。ワンテンポ遅れて爆音、そして粘性の高い液体が地面に撒き散らされる音。

 しかしそれで終わりじゃ無い。少なくなったイーグルに弾を補充。

 草むらから立ち上がり、薄い煙の中で動くものが数個。それに一発、二発、三発と確実に殺していく。

 幾つかが私に飛び掛るが、やはり避けていく。しかし安心もできない、コレの効果は保って五分。なので素早く装填しつつ確実に撃ち抜いて行く。弾の数だって残り少ない。

 概念を彫った弾丸なんて個人で持てても五十程度。もう少し欲しいものだ。

 煙が晴れる頃、殲滅は終了した。

「……結構使ったな。ったく、蟲は数ばっかり従えるから嫌いだ」

 お陰で残った特注の弾丸は十に満たない。また統括組織に出向き、嫌な上司と会って補充しなきゃいけない。

 溜め息一つ。それから近場に投げておいた大き目の皮袋を確認する。外部から喰われた形跡は無い。袋の封も開かれた様子も無いし、恐らく大丈夫だろうが……

 念のため、封を解く。


 中にあったのは、弟と大して年齢の変わらない少女の、断末魔の顔。


 封をする。

 全く、タバコがあれば吸いたい気分だ。吸い慣れないが、こう言う時はそういう小物が無性に欲しくなる。

 メガネを外す。するとガクン、と猛烈な眩暈が襲い掛かってきた。通称、“照魔鏡”。無理やり人間の視界に処理できる範囲を拓く効果がある。一般人である警察官には、これがないと異形が見えない。戦えない。

 しかし、戦闘では三十分も戦えば脳の方がオーバーロードを起こす欠陥品だ。

 一般人が異形と戦うための必須アイテムであり、お荷物。後渡されるのは異形が居ることを知らせる“ベニイシ”、そして先ほどの聖油のような、魔力を汲み取れなくとも使える装備だ。

 ……溜め息を、一つ。

「――へぇ、柚子姉でもそんな風に落ち込むことあるんだな?」

 不敵な笑い、突き刺さる殺気。ほんとに今日は――厄日だ、ついてない。

「私ゃ疲れてるんだ、失せろ異常者」

「は。俺は親狩りしてからこっちの処理も任されてきたんだ。無碍にしても良いのか? 上の命令」

 頭痛に響く、耳障りな声が背後から聞こえてくる。

 私の仕事はこいつに皮袋の中にある異形化した土蜘蛛の死体を手渡して終わりだ。

「黙れ」

 だけど、今の私は虫の居所が悪い。

「……へぇ」

 さっきと同じ声。でも明らかに増大していく殺気や悪意。頭痛が少しずつ引いてきた。

「俺は親殺したんだけど、弱くてニ、三撃で落しちまったんだよ。しかもこっちは柚子姉が始末しちまったし」

 メガネを付ける。

 ふと、昔見た――月下の桜を思い出した。



「相手しろよ」



 異常者は、銀の手甲を私に向けた。


 コートを投げ捨てる、ワンアクション。炎の舌が目の前まで迫っていた。転がりながら銃を構えるセカンドアクション。背後の幹が削れた樹木が黒々と燃え上がる。

 手加減はいらない。私はイーグルの引き金を引く。

 弾丸は異形を撃つためにガンスミスに特注したワイルドキャット。要はマグナム弾。

 しかし肩口を少し裂いただけで奴は躱す。

「はっ、あの時の焼き増しでもするつもりかアヤメ」

 答えは、疾る錆色。

「――ッ、とぉ!」

 体を捻って殺しに来たその刺突を避ける。しかし、アヤメはその刃を返し、突きの姿勢から無理やり横に薙ぐ。それを伏せて躱し、蹴り上げる。

 仰け反った所に、回し蹴り。手応えあり。アヤメはそのまま二歩下がった。追撃よりも早く、間合いが開く。相変わらず、人間から外れた速度だ。呆れつつ、イーグルを構える。エアーウェイトは弾切れのまま。イーグルの中身も数発。

「で……今回の“コレ”は、単なる憂さ晴らしか?」

 質問に、アヤメの動きが止まる。

「ちげぇよ。俺は――」

 声が揺れる。そこには付け入る隙が、

「――……ッ!」

 無い。


 腹に痛みがあると気付いたのは、自分が月を見上げていると認識した時からだ。身を起こす。どうやら蹴り飛ばされたらしい、仰向けに倒れていた。

「……あー」

 声を出す。錆色の切先がこっちを向いていた。

「王手」

 呟く声が少し上から聞こえるが、その声はちっとも楽しそうじゃなかった。

「……アヤメ」

 起き上がる、アヤメは特に何も言わず、刀を鞘に収めて俯いていた。長い髪で表情は見えないが、大体どんな表情をしているか分かった。こういうところは……我が愚弟と似ているというか、分かりやすい。

 出方が違うだけだ。

「この、駄々っ子が」

 ……声は、自分で思っていたものよりも刺々しいものじゃなかった。

 ポンポンと頭を叩く。

「これは私が組織に運ぶ。お前はゆっくり休んどけ」

 頷きもしなかったが、アヤメは拒否もしなかった。皮袋を背負う。

 さて、面倒だが仕事が増えた。





 室内は暗かった。……しかも寒い。当然といえば当然だけど。ふと、誰かが居るような気がしたけど、気のせいだろうか。そんな事を考えながら電気を点ける。

 ……あれ?

 電気を消す、点ける。

 落ち着いて頭を回転させる。ここは時枷の家。うん、リビング。

 そう、そのはず。

 で、何故かその時枷の家のリビングのソファで菖蒲が寝ていた。スゥスゥと小さな寝息が聞こえる無防備さで。制服のままだ。ちなみに寒いのに毛布もタオルケットも被ってない。

「あー、うん。取り合えず、だ」

 毛布を探してきて被せておいた。暖房のスイッチも入れる。時刻は十一時半。菖蒲は確か一人暮らしだ。そして親戚と呼べるのも僕と姉貴しかいない。だが、こうして夜半に……寝にくるのは珍しい。

 しかもリビングで寝ているなんてのは初めてじゃないだろうか。

 ……まぁ、あまり寝顔を見るのもなんなので先ほどの空き缶をゴミ袋に詰め込んで洗い物を始める。それが終わっても、まだ零時にはなっていなかった。テレビをつけてニュースを流す。

 別に見るわけでもなく、垂れ流す。できるだけ音量を落として。

「ん……」

 ビクッと、その声に驚く。振り向くと、菖蒲が身じろぎしていた。こういう時間帯にそういう悩ましげな声を一般高校男児の背後で出すのは反則だと思う。深呼吸と溜め息を同時に済ませて、落ち着く。

 ネットサーフする気もおきないし、ニュースも野球解説に入って微妙。読書趣味もあまり無い。

 ……かと言って、この状況で何もしないのはあまりにも……

「落ち着け、落ち着け」

 雑念を振り払う。

 菖蒲は異形に挑む時はああなるし、普段もなんだか取り繕った感じで僕は苦手だ。が、この状態はなんとも無防備すぎて……菖蒲もこんな風だと可愛いな、なんて雑念がまた浮かんでくるしッ!

 頭を振る、お茶を淹れよう。うん。

 ヤカンを火に掛け、できるだけ菖蒲の方を意識しないように火を眺める。青い炎、ガスの臭い、水の煮える音。心を鎮める。疲れているのだろうか少しだけ眠い。

 でも、菖蒲がソファで寝てるのに、男の僕がベッドに戻って寝るというのも……

「はぁ、今日は貫徹かな」

 義理は無いが、男としてのプライドだった。

 火を止めて急須に注ぐ。それを少しだけ回し、湯飲みを用意してしばらく待ち、頃合を見計らって淹れる。色は綺麗な緑色をしていた。それなりに高い茶葉を使ったので、味は良い。

「ふ、ぅ……」

 対面キッチンから、ソファの背になって見えない菖蒲の方を見る。

「海晴」

「――え?」

 突然の声に、思わず湯飲みを取り落としそうになった。

「お、起きてたんだ」

「……いま」

 ぼそり、とそんな声が聞こえてくる。しかし起き上がるつもりは無いのか、声だけだ。

「海晴。海晴は両親のこと、覚えてる?」

 藪から棒にそんな言葉が飛び出してきた。……言葉の真意は掴めないが、どこか疲れたように言う菖蒲の声から、ふざけていないことだけが何となく分かった。

 しかし、答えを期待している様子も無いので、お茶を啜る。

「私は、覚えてる」

 口調はどこまでも静かだった。

 ニュースから聞こえてくる声がどこまでもよそよそしい。

「……今日の得物は、我が子を盾にしてた」

 お茶を啜る。声は小さく、どこか苛立っているようにも聞こえた。

「斬り捨てた。邪魔だから。でもどうしょうもなく――腹が立った、だから柚子姉に斬りかかったよ。殺す手前で終わったけど」

 ……その言葉で噴出しそうになったお茶を何とか嚥下する。僕が知らない所で一体何をしているんだ、姉貴も菖蒲も。何というかここまであっさり言われると呆れることしかできない。

 いつも怪物のような菖蒲が、今日に限って駄々っ子のように見えた。弱弱しいその声が、年相応の女の子のものに聞こえた。

 本当に、こういうところを見せ付けられると“ホンモノ”がどっちか分からなくなる。なので、質問をした。特に何か考えたわけではなく、その質問をつい漏らした。

「菖蒲は、そこまでして何で異形を殺すの?」

 少し黙り込んで。

「殺したいから」

 そして、次の質問。

「その先には――殺した、先には?」

 動機。人の動力。目的。その先。

「……」

 菖蒲には、それが欠如していた。まるで迷子だ。どこまでも果てのない道を突き進み、そして辿り着く場所は無い。結果に付き纏う目的を繰り返し、何も残らない道を往く。どこまでも寂しい。

 しばらくして寝息が聞こえてきた。

 ……今のでどっと疲れた。しかし、起きていよう。菖蒲が起きる頃には朝食ぐらい用意しよう。


 この子には、終着駅が必要だ。


 脳裏を掠めるのは、終着駅を与えられた、少女。

 二度とあんな事は起こさせない。





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