天夜奇想譚

こちら白夜行!

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作者:えすぺらんさぁ

タイトル:こちら白夜行!





 天夜市市街地内、蕎麦所『白杉』。熟年のオシドリ夫婦が経営するこの店は、ごく一部に対してとても名が通っている。

 ひとつは、その味。ただ、無口で表情ひとつ変えないご主人の蕎麦打ちの腕は見かけによらずそれほどの物ではない。評判なのは、奥さんの作る特性の甘味メニューである。その注文数は本来の看板であるはずの蕎麦を軽く上回り、雑誌取材の際にはうっかり甘物屋として掲載される、なんてエピソードまで存在する。
余談だが、たまに注文のかかる蕎麦を、無表情のご主人が心なしか嬉しそうに打つのを眺めるのを楽しむ、なんてコアな客も存在するらしい。

 そしてもうひとつ、この店に注目を集めるものがある。この店の看板娘……蔵野 明の存在である。
住所不明、年齢不詳(外見から、十五・六と見られる)。いつでも寝癖の残る、セミロングの茶髪、よく見ると継接ぎだらけの服(しかも、いつでもロングコートと帽子)。しかし、接客、力仕事、緻密作業、デスクワークなどを問わず、『仕事』の腕は一流で、数々の店で目撃され、緊急時のピンチヒッターとしてバイトをしている。見るからに『自由人』である彼女は謎が多く、またそれを探ろうとする好奇心旺盛な人間も多い。追跡を試みた人物は数知れないが、成功した人間は一人もいない。誰も、彼女を怪しいとは思えても、その深遠に触れ得ないのだ。少なくとも、今までのところは。

 そして、何より彼女が一目を引くのは――

「おばさん、私今日はもう上がるねー!」

「ああ、今日はタイムサービスだっけ?分かったわぁ、ありがと。これ、今日の分ね?」

「んん、ありがとう。今月は珍しくお米があるから、天カス丼が出来そうかな……」

そうして、嬉しそうに少女は天カス入りの大袋を抱える。
一番目を引くのは、彼女が、ひたすらに貧乏に見えること、だろうか。いつだったかお米が無い時は天カスをご飯代わりにしている、というエピソードを語り、店を感涙の渦に包んだこともある。

「それじゃ、お疲れ様!明日は私来れないけど、またよろしくねー!」

店を出る姿に、客も店員もひっくるめて、同情の視線を集める。これが彼女の日常であった。

「若いのに、気の毒なことだねぇ……」




「んー……卵、何とか八パックは買えたか……」

夕刻。左手に買い物袋、背に天カス入り大袋を背負い、フクザツな表情で、蔵野は通りを歩いていた。タイムサービスの目玉は卵1パック50円、お一人様一個限り。彼女が何度もレジを行ったり来たりとしたのは、もはや言うまでも無い。

「今月の残りが……で……明日届くから、送料と代金……」

ブツブツと呟きながら人込みを進む、ロングコートと帽子の少女。一見不健康な光景だが、道行く人は誰もそれを意に介しはしない。彼女はもはやこの街の不思議の一部となっている、といってもいいだろう。

「っと。勘定するまでも無かったか」

不意に、帽子に隠れた表情が綻ぶ。蔵野の視線は、ある一点へと絞られていた。

 前方から、ゆっくりと歩く黒い巨体。人込みから、頭ひとつもふたつも飛び出した、馬頭。異形なるものが、歩いている。不快な笑みで、舐めまわすように人込みの中の顔に目を通し、獲物を選っているのだ。しかし、誰もそれに眼を止めようともしない。いや、出来ない。人込みを成している彼等彼女等には、それを視覚で捕らえることすらかなわない。

 しかし彼女は例外である。汚染されたモノである異形を認識し、それを刈り取る命を負う者――退魔士、それが彼女だ。

 よく見ると周囲には、彼女以外にも異形に対する視線が……退魔士が存在している。しかし、そのどれもが馬頭を遠巻きに眺めるに留まっている。彼らはこのとき、異形に対して、何の手も下せない。彼らの使う魔術は、異形と違い、“人込み”に不可視なるものではないのだ。だからこそ多少知恵のついた異形の中には、このような夕刻や白昼を狙って活動するものが在る。手をこまねく天敵を嘲笑いながら、人間を汚染していく。

 ――だが、彼女にとってそんなことは関係ない。目の前に現れた異形は、何時如何なるタイミングにおいても、単なる飯の種である。

 袖に隠した右手の先の得物へ、魔力を溜めていく。注がれた力は刻まれた式を駆け抜け、“魔術”を発動する。光と偏向。彼女のもっとも得意とする式が、鋭いナイフの鋼色を不可視なる無色へと塗り替えていく。

「よ、と」

背の荷物を整える“フリ”に、走る風切り音。不意打ちにも気付けない馬頭のニヤケ顔が、その表情をまるで崩さずに斜めにずれ、彼女の右手へと落下する。人込みは止まることなく、その流れに波紋のひとつも無い。周囲の退魔士も、異形自身も含め誰にも認識させず、蔵野はそれを狩って見せた。
 そうして、彼女は何事も無かったかのように、人込みへと身を任せ、流れていく。限りなく目立ち、けれども誰よりも目立つことなく、それを成し遂げる。それが“昼辻”の異名を持つ、蔵野 明その人であった。




 蔵野はホクホク顔で『自宅』へと帰りついた。左手に買い物袋、背に天カス入り大袋、そして右手には、馬頭の報酬として現物でもらったお米一キロがあった。

 蔵野の住居は、市内の廃虚と化したビルの三階に存在する。表向きは空き家だが、問題なく使わせてもらっているのは人払いの術式の賜物であると言えよう。加えるならば、好奇心の追っ手を巻く、彼女のコートに仕込まれた偏光の術式による部分もあるだろうか。ガスも水道も電気もなく、部屋のあちこちにはその代用品として使用する、火術や水術の式が刻まれている。廃材の冷蔵庫が置いてあろうと、部屋中に本が散れていようと、よく分からない部品や工具があちこちに放置されていようと、コンクリ剥き出しの壁であろうと、これだけ部屋中に式が刻まれていればそれなりに趣すら感じさせるものがある。なお、電気については表の外灯から拝借している。

 主を迎えた光景は、そんな見飽きたものだった。この雑然とした粗末な一城の主たる蔵野は、ホクホク顔を消し、ひとつ大きなため息をつく。別に部屋の雑然さに呆れるとか生活に疲れたとか貧乏に負けているとかでもなく、そのため息の生みの親はその視線の先――郵便受けには、一通の便箋だけがその主を待っていた。

『“白夜行”へ』

 白夜行。それがこの“退魔組織”の名である。一昔前までは、この街でこの組織の名を知らぬものはいなかった。ランク甲の中。このあたりでは最大の規模を誇った退魔組織。周囲の弱小組織を蹂躙し、栄華を欲しいが侭にしていた。しかし首領、蔵野藤吾の急死により、その組織は脆くも崩れ去った。虐げられてきた周囲の弱小組織は今が好機とばかりに白夜行から人員を引き抜き、また白夜行からも自然と、人は離れていく。結果、明の祖父、藤吾の作り上げた栄華は、一代で幕を下ろした。無常にも当時12歳の明と、形だけとなった組織、白夜行を残し、何もかもが彼女から――彼女の両親さえも――彼女から離れていった。

 それから三年。彼女は必死に働いた。白夜行は今もある。ただしそれは過去に存在した大組織ではなく、頭領兼従業員兼お茶組み兼エトセトラな蔵野明一人を指す言葉に他ならないのだが。

 手紙の内容は簡潔だった。
『お前の探し物に成り得る逸物を発見、他組織は縄張荒しとしてここ数日、ヤツを追っている。急がれるほうがよい』

「なんでこんなときに……」

ブツブツと文句を零しながらも、その“探し物”が必要であるのも事実だった。彼女は再び外出の支度を整える。サングラスをかけ、式用工具をポケットに突っ込み、放置していた青い星型の髪飾りをその短髪にくくりつると、間に合わせとばかりに天カスを一掴み口に放り込み、醤油で流し込んだ。




青年はウンザリしていた。縄張荒らし討伐と称して自分の元へやってきた退魔士は、今日までの三日で早くも十名を超えた。懇切丁寧に一人一人叩き伸してやるにも疲れ、また、飽きがくる。いちいち語ってくれる大体似たような御託や文句も覚えてしまいそうなくらいだ。こうまで面倒を続けられると、わずかながら後悔も覚え始める。おそらくは凡百雑多の対魔士どもが前口上で言っていたような気がする『後悔せよ』とは違う後悔ではあるが。

 事の発端は、彼が一匹の異形を潰した事による。魑魅魍魎程度の相手なら、揉め事にもならなかったのだろう。しかしその異形の首を狙っていたのが数名、しかも複数組織存在していたのがよくなかった。

 弱いのが纏まって手をこまねいているのを、手っ取り早く片付けてやっただけ、被害も出る前だったからいいだろーが。それが彼の主張だが、奴等はそれに更に激昂を極めた。数日間追っていた獲物を横取りされ、挙句は“弱いの”などとひと括りにされたら、いくらそれが正論であっても怒らない方に無理があるのだろう。

 彼……葵 恵(アオイ メグミ)は、その口の悪さを後悔しているところだった。裏路地に招かれ、もう十人から先を数えていない退魔士を叩きのめすと、今時なんとなく珍しい青いゴミ箱に腰掛け、黒髪をクシャクシャと乱し、そのやや童顔な表情をほんのりと憂いの色に染めていた。

 退魔士達も妙にプライドだけはどいつもこいつも高く持っている節がある。厄介なことに手を出した……彼は軽くシャツを濡らす汗を引かせる為に、仰ぐように手を振る。その手の先から、空気が薄白く濁っていく。




 ――蔵野はその瞬間、相手の技能を悟った。そして、顔をしかめ、素早く後方へと飛び退った。案の定。彼女の腹部があった場所を通り道に、歪な氷の弾丸は暗い土の上で跳ねた。青年は彼女の位置を見切り、攻撃を仕掛けてきたのだ。

 蔵野明の得意とする式は光だ。今回も、服に仕込んだ偏光の術式で自分の姿を透過させていた。しかし、それには限界がある。青年が空気中の水分を凍結させた、その瞬間、青年から彼女は不可視でなくなる。彼女の術式――天狗ノ隠レ蓑『トロンプ・ルイユ』は、あくまで術式の組まれた服の光の向きを変え、視覚を騙すものだ。外部から、例えば今回のように氷などで光自体の向きが変わってしまえば役には立たない。

「まだそこにいるんだろ? お前も俺に“後悔させに”来た?」

「……何のことだか。私は別に縄張荒らしなんか気になるほど動いてないからね」

「そりゃそうか。不意打ち仕掛けて来たのもお前が始めてだし……プライドとかない?」

「ない」

「あっ、そう……」

位置がばれてしまう以上、息を潜める必要はない。互いに語りながらも、攻め手とタイミングを選んでいる。

「……で、用件は」

「うちで働かない? 待遇はかなり悪いってのが御墨付きだけど」

「パスだパス。誰がその勧誘文句に乗るんだよ」

「まーあれよ。あんたを私が倒したら、あんたはうちの社員、決定!」

「……俺が勝ったら?」

「何にもない。だから無益な争いは止めて素直にうちにこない?」

「……」

青年は首を振る。ここに互いの戦う理由と、賭ける物(たとえそれが不公平であっても)が成立したことになる。二人は楽しそうに微笑み、互いに、相手までの距離を計る。

「勧誘というより、むしろ拉致か……で、参考までに聞くけど組織名は」

不意に、明の表情が綻ぶ。隠れ蓑の術式を切り、その笑顔が、雑踏に霞むネオンの光も届かない路地で、ただ月灯りだけに映し出される。サングラス越しの微笑で相手を見据え、既に駆け出した少女は、不可視の刃を振るい――彼女の捜し求めていた“人材”に向って、高らかに名乗りを上げる。

「――白夜行!」


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