天夜奇想譚

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匿名ユーザー

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だれでも歓迎! 編集

作者:グリム

タイトル:狩猟者―狂燥/Cause― 1/3





 私は×き×い×すか?

 ×は存在していますか?

 な×で誰×答え×くれ×いので×か?

 ×××、×××××××ですか?

 ×××



 冬休みに入って数日。特にイベントもなくクリスマスも過ぎ去り、街も年末に向けた準備が進んでいる。道行く人もコートを着込み、本格的に冬だ。月初めから雪が降っていたのでそこまで感慨はないけど。

 空を見上げても相変わらずの曇天だし、気分も少し重い。気分が重いのは、天気のせいだけではない。

 幼馴染が入院した――怪我をするのは珍しくないけど。姉貴に事情を少しは聞けたけ。とにかく大怪我をして危険な状況だったということ。少なくとも、一週間はまともに動けないぐらい。

 そして今日、そのお見舞いに向かっている。手土産は『白杉』のケーキだ。

 郊外の病院という事で、姉貴から場所は聞いている。バスは二時間に一本、駅から徒歩で三十分。それなりに大きい病院らしいが、とにかく立地が悪い。バス停も中央にしかないし。そんな経緯もあり、僕は今、寒空の下を独りで歩いている。

 チャア……あの茶色い子犬のことは少し心配だったけど、数時間ぐらいなら大丈夫だろう。餌も補充したし、トイレのしつけもちゃんとしてるし。そう言えば出る頃には寝てたけど、もう起きただろうか。

 バス停に到着して、時計を確認する。正午過ぎ。……の割には寒いけど。バスの時間まではまだもう少し余裕があった。乗り遅れたらしばらくは次の便はないし、乗り遅れないようにしないと。

「お、海晴か?」

 その声は聞き覚えがあった。振り返ると案の定、やけにガタイのいいパソ部部長が立っていた。手には布袋に包まれた長物を持っている。木刀かなんかだろうか。

「樫月、珍しいな。こんなところに」

 ガタイがいいとは言えパソ部の部長である樫月は、あまり人気の多いところに出向くイメージはない。知っている限り交友関係が広いともいえず(ただ妙な人脈を持ってたりする)、近くに誰かいる風でもなかった。買い物をした様子もない。

 樫月は少し考えている風だったが、何かに気付いたように口を開く。

「あ、もしかして海晴も怪我したのか?」

「も……って。もしかして樫月、怪我したのか?」

 その事実に驚く。何だかんだで樫月が怪我をした、なんて話は今まで一度も聞いたことがなかったからだ。確かに見た目はアレだが、あまり暴れたりした、なんて話も聞かない。

 そう言えば、終業式の日は見かけなかった。始業式も終業式も何度もボイコットしたこいつのことだから、その時もそんなもんかと思ってたが、もしかしたらそれも怪我のせいかもしれない。

「ちょっと足をな。バイクに引っ掛けられて、あ、でも心配しないでいいぞ。殆ど治ってるしな」

「心配してないよ」

 その言葉は素早く出た。即答だったのにショックを受けたのか、樫月が項垂れる。

 だけどその言葉は本心だ。例え怪我をしたってこいつなら大口開いて笑ってることだろう。アヤメの持ってる危うさに比べれば――いや、比べ物にならない。というか比べるのが可哀想になってきた。こいつが。

 しかし、ってことは向かう場所は同じか。

「にしても海晴、至って健康体に見えるんだが……ハッ、まさかあの時の古傷がッ!」

 うるさい口上が始まりそうだったので、顎に掌低を叩き込んで黙らせる。舌をかんでしまったらしく、樫月は倒れて転がりまわる。まぁこいつは丈夫なので、数秒後に立ち上がる。よくよく考えてみたら、こいつに通院させる怪我って相当なんだな、と思う。

 右足を引き摺りながら、樫月は僕の横に立つ。

「見舞いだよ」

 誰の、とは言わなかった。

「姫月さんのか」

 ……んだが、ばれた。

 樫月がこっちを見ながらニヤニヤしてる。別に後ろめたいことがあるわけじゃないけど、何かむかつく。そして頭の中がちらちらするような妙な恥ずかしさ。それを解消するために樫月の額にチョップを入れてやった。

 ほぐぅ、と意味不明な声を上げて転げまわる樫月。

 それを眺めている間にバスが到着。相変わらず転げまわってるけど、それを無視してバスに乗り込む。非難を混じらせた視線を感じたけど、取り合えず無視を決め込む。

「おい、おい。一番後ろに座ろうぜ」

 回復は相変わらず早い。感情の切り替えも同じぐらいに早い。

「……どこでもいいよ」

 押されるままに一番後ろの席に腰掛ける。時間帯と目的地のせいか、バスの中はがらんとしていた。老婆が一人に、マスクをつけた子どもと付き添いの母親らしき女性。それから恰幅のいい男性一人。あとは初老の運転手。

 窓際に腰掛けて、バスの外を眺める。動かないバスからは、さっきより高い視線なだけで特に何も感じない。欠伸を一つ、それから目を閉じようとした辺りで、バスがのろのろと動き出す。

 と、思ったら軋んだ音を立てて止まった。

「ん?」

「お?」

 樫月も同じタイミングで声を上げた。

 どうやら、走り込みで乗り込んできた客がいるらしい。初老の運転手は少し迷惑そうに眉根をひそめている。乗り込んできたらしき男――って。

「あれって……」

「でかいなぁ」

 乗り込んできた男は、ガタイのいい樫月よりも一回りも二回りもでかい大男だった。筋骨隆々。しかも異様なことに、衣装は黒のスーツ。目には黒い布が巻かれている。手には黒いステッキ。……いつか見たことがある、確か以前、アヤメが異形を倒した時に僕を家まで送ってくれた人だ。

 バスが動き始める。

 しかし、変なところで会ったもんだ。

 樫月は物珍しげにその男のことを眺めている。僕はできるだけ関わり合いになりたくないので、視線を逸らす。相手もわざわざ僕なんかに関わるとは思わないけど、念のため。

 大男は運転手に恭しく一礼すると、無駄のない動作でこちらに真っ直ぐ進んでくる。

「……」

 蚊の刺すような――かなり聞き取るのが困難な声音で大男が何か言った。

「はい?」

 聞き返すと、考え込むようなしぐさを見せる。

「ほら、海晴。詰めろって。この人、後ろの席に座りたいんだってさ」

 聞き取れたのか、樫月。こいつは耳がいいのか。感覚が鋭い、って言った方が正しいのかもしれないけど。樫月はたまにそう思わせる行動をする。僕は言われたとおりに席を詰めた。樫月も席を詰める。

 大男は後部座席のど真ん中に腰を下ろした。スッと、礼儀正しい動作だ。というか、僕たちはわざわざ後ろに座ることなかったんじゃないか? と思う。しかしいまさら、この人にどいてもらうのも気が引ける。息苦しいほど狭いわけではないし、これだけ人が寄ると暖かくて逆に助かる。寒いのは苦手だし。

「でっかいっスね」

 目を閉じかけた僕の耳に届いたのは樫月のそんな言葉だった。失礼だろ。

「……鍛えているからな」

 相変わらず小さい声だったが、今度はしっかりと聞こえた。前にも聞いた、低く落ち着いた声。

「そう言う君も……見たところによると相当鍛えている。その布袋の中身は……」

 最後の言葉は、尻切れトンボだった。言葉に詰まった感じ。違和感を感じて視線を大男の方に向けた。大男は顎に手を当てて何事か考えている。樫月は大男の方を向いたまま、こちらから表情は見えない。しかし、それも少しの間のこと。

「なるほど」

 何かを理解したかのように頷く。目が見えないだけで、感情の読み取りがかなり難しい。

「君達も……病院かね」

 お喋りが好きなのか、言葉数が多い。見た目は怖いけど……親しみを持てる人だ。

「ちょっと怪我したんスよ」

「僕は知り合いのお見舞いに」

「そうか」

 何というか少しばかりの違和感。そう言えば、一度あったことはあるが、向こうは僕のことを覚えていないのだろうか。それとも知らない振りか、まぁ樫月がいることだし、どっちにしろ助かる。

 樫月は巻き込みたくないし。

「そう言う――えっと」

「……仲だ」

「あ、ども。樫月です」

「時枷です」

 樫月の紹介に続いて僕も自己紹介を重ねる。何も言わずに大男、仲さんは首肯した。

「そう言う仲さんも、病院ですか?」

「……」

 仲さんは黙りこんでから、重々しく首肯をした。その雰囲気はかなり暗く重い。聞いてはいけないことだったんじゃないか、樫月もその雰囲気を察してか、気まずそうな視線を僕に向けてくる。いや、こっち見んな。

 そして、重々しく、小さな声が紡がれる。

「――……」

 しばしの沈黙。

「あの、すみません。もう一回お願いします」

「……『モッタイナイお化け』、という絵本を、……病院に忘れたんだ」

 戦地に赴く武士のような重々しい言葉は、声音も相まって情けない響きだった。




 窓の外を眺め、息を一つ吐く。デスクに置いた資料の一枚を摘み上げて、目を通す。

『○○グループ取締役惨殺』

『天夜市中央ガス爆発』

『連続殴打魔事件』

『辻斬り』

 積まれたそれらの資料を除けてから、数年前の資料を取り出す。

『女子高生行方不明』

 この天夜市内で起き、解決されていない事件の資料の山だ。目に付いたのがこの五つだっただけで、他にも未解決事件はある。異常事件は珍しいものではないが、こう多いと気が滅入る。引き出しからタバコを一本取り出し、火をつけようとしてやめる。

 こうやってデスクにはすぐ取り出せる場所にタバコは置いてる。けど吸ったのは一回切りで、その時以来吸ったことはない。吸ったのは、こっちに転属された直後に一回だ。……あの時は色々あったしな。

 タバコを引き出しにしまいなおす。

「上島」

 向かいのデスクでパソコンをいじくってる部下に声を掛ける。上島はビクッと肩を震わせてこっちを見てくる。……なんか猛獣を見るような反応は気に食わないが、見逃してやろう。

「コーヒー、淹れてくれ」

 背もたれに背を預けて伸びをする。資料の中から『女子高生行方不明』を手に取る。行方不明になったのはもう二週間ぐらい前になるか、女子高生の住んでいた部屋で殺人事件も起きている。取締役が惨殺されたのは、この女子高生が暮らしていた部屋だ。何らかの関連性があるとして、重要参考人として彼女の行方を追っているが、足取りは一向に掴めない。

 少し長くなった前髪を払う。切ってもいいんだが、理髪店に行く暇もない。

 行方不明になっているのは『太田 唯』、海晴と同じ月明学園に通っている生徒。学校内での評価は品行方正――なんとも特徴のない生徒だ。交友関係は狭く、最後に彼女と会話をした生徒は一年のときのクラスメイトという『穂積 佳苗』という女生徒。が、特に事件に関係ありそうな会話はなし。

「どうぞ」

 上島がそう言ってコーヒーを差し出すが、デスクにはコーヒーを置けるようなスペースはない。溜息を吐いた上島はデスクの上の資料をどけてコーヒーを置く。

「柚子さん、たまにはデスクの上片付けてくださいよ。ってか、資料持ち出しすぎですよ」

「……他の連中はパソコン見れるだろう。私はああいうのが苦手なんだ」

 そう言うと、上島は呆れたように言う。

「とにかく、それは警察の所有物なんですから……」

「注意されたらやめる」

 それだけ言ってもう一度思案に耽る。上島が何か言った気もするが、無視。

 太田は両親を失ってから、殺された相沢の経済的支援を受けていた。しかし、相沢は交換条件……いや、半ば脅迫して太田の肉体を要求していたらしい。金が欲しければ……か。かなり厳しい生活であったようだが、両親の貯えもない太田にとっては学校に通えるだけの金は重要な収入だったのだろう。或いは、別の方法で恐怖感でも植えつけられていたのかもしれない。

 頭を掻く。気分が悪くなったので、コーヒーを口につける。

 ……

「上島」

 パソコンを操作する部下を睨みつける。

「は、はい?」

「スティックシュガーは八本入れろって言っただろう!」

 甘さが明らかに足りない。

「す、すみません! ……その、ストックが二本だけだったんで」

「ったく、買い足しておけって言っただろう。お前には金も渡してたはずだが」

「は、はいぃ! 今から買ってきます」

 そこまでは言っていないが、上島は転がるようにして出て行ってしまった。

 部屋を見回す。事件が多いせいなのか、この課の人間は上島以外出払っている。上島がいなくなった今、部屋にいるのは私だけになったわけだ。……だからといって何にもないが。

 飲みかけのコーヒーを捨てるかどうか考え、面倒なのでデスクに放置することにした。

 資料をもう一度目を通し、太田の顔写真を眺める。やはり、襲撃者に浚われたという可能性が高い。異形化も考えられるが、それならば少しぐらい目撃されているはずだ。浚われて、……喰われたか、犯されたか、また両方か。普通に考えると、生きている可能性は低い。

 ……だけど妙に引っかかる。

 顔写真をまじまじと見る。どこかで会った気がする。この少女が行方不明になった、その直後に。

「思い過ごし、だと思うが」

 腑に落ちない。

 資料をデスクに放り投げて、窓から外を眺める。曇天。雪でも降りそうだ。……ふと、海晴のことを思い出す。あいつは以前、雪女の事件に巻き込まれたことがあった。また何かに巻き込まれなければいいが。

 今日はアヤメの見舞いに行くと聞いていた。アヤメの入院してる病院――あの『施設』については知っていた。……統括組織が管理し、“異形を人間に戻す”実験を行っている。あの場所には異形が大量にいる。もちろん、管理するために退魔士もそれなりに配置されていたはずだ。だから心配はない。

 不安で揺れる心を押さえ込み、デスクに広げた資料を片付け始める。

 そう言えば、雪女の少女もあの施設に収容されていたはずだ。海晴と同じ年代の子ども達が異形となり、あんな場所に閉じ込められる。殺し、殺され。

 ――海晴は、近付いてはいけない。

 だから遠ざけるために照魔鏡とベニイシを渡した。この街にいる以上、関わらないことは不可能。他の街に移り住もうと考えたこともある。けど“出来損ない”の私はこの組織から離れることはできない。その時ばかりは自分の姓を恨んだものだが、いつまでも恨んではいられない。

 守らないといけない。

 海晴。……そして、アヤメも。

 すっかり冷めたコーヒーを喉の奥に流し込む。砂糖の足りないそれは、いつも以上に目を覚ましてくれた。





 バスから降りると、冷たい風が頬を撫ぜた。

「うお、寒いな」

 続いて降りてきた樫月が言う通り、バス停辺りはかなり寒かった。バス停の近くには街を一望できる場所もあるほど、ここは高い場所にある。そのせいか、風も強いし寒い。ホッカイロぐらい持って来ればよかったと少しばかり後悔する。

 バスに乗っていた人は全員降りたらしく、誰も乗ってないバスが動き出す。それを見送ることなく、僕達は病院へと向かう。

「帰りのバスって何時なんだ?」

「僕は次ので帰る。……一時間後だね」

「そうか、じゃあ一緒に帰らねぇ? 途中でゲーセンとか寄ってさ」

「分かった。診察ってどれくらいなんだ?」

「二十分も掛からんだろ。この病院ガラガラだし……じゃ、十分前にロビー集合な」

「ん。じゃあな」

「おう」

 病院の入り口までにそれだけ会話すると、樫月は受付に向かった。

 ……アヤメの病室は三階だったか。

 樫月の言う通り、人気のないロビー。バスから降りてきた人を含めても人の数はかなり少ない。そのくせ、ロビーは広く、掃除が行き届いているようだった。観葉植物にも埃が溜まっていないところまで見ると、その徹底具合が伺える。

 階段脇のベンチの上に、絵本が置かれていた。近くに本棚はない。

「……ん? 『モッタイナイお化け』……」

「あったか」

 静かな廊下に、小さく低い声が響く。振り返ると、仲さんが立っていた。

「あ、これですか」

 本を拾い上げ、仲さんに差し出す。受け取ると、さきほど運転手に向かってしたような恭しい礼をしてきた。反応に困っていると、ゆっくりと顔を上げる。

「君は時枷君……だったか」

「はい」

 それからしばらく沈黙が続く。

「……姫月君に、お大事にと伝えておいてくれ」

 ――やっぱり気づいてたのか。

 仲さんはそれだけ言うと、踵を返して去っていった。

 その背中が見えなくなるまで眺めてから、僕も病室へ向かう。階段を二つ登って、廊下を歩きながらも誰とも会わない。誰も入院したりしてないんだろうか、そう思ってしまうほどに。そんな事を考えているうちに、病室の前までたどり着いた。ノックをして反応を待つ。

「どうぞ」

 少し遅れて声が返ってきた。

 扉を開けると、アヤメは少し驚いたように目を瞠っていた。それも一瞬のことで、仏頂面になる。何か気に障ることしたかな、と考えてもあんまり心当たりは無い。

「突っ立ってないで入れよ」

 ぶっきらぼうなその言葉で気付き、部屋に入る。

 病室は個室で、広さもそれなりにあった。アヤメは薄桃のパジャマ姿で、ベッドの上で上体を起こしている。一見したところ、怪我は見えないけど、いつもより弱々しい印象を受けた。

 お土産を台の上に置いて、備え付けのパイプ椅子に腰掛ける。

「大丈夫?」

 なんとなく話題が見つからなくてそう言うと、アヤメは口の端を吊り上げて笑った。……嘲笑だ。

「大丈夫に見えるかよ」

 吐き捨てるような言葉。やっぱり機嫌が悪い。頭を掻くアヤメ。右の袖からは肌と、包帯が覗いた。

「ん……いや」

 思わず目を逸らした。次の言葉も浮かばない。

「……土産か、これ」

 そんな僕の心情を察してくれたのか、アヤメは話題を変えた。返事を待たずに袋を漁り、中からイチゴショートと使い捨てのスプーンを取り出す。

 いや、ただ単にケーキを食べたいだけか。

「海晴の分は?」

「いや、アヤメの分だけだよ」

 それだけ聞いて納得したのか、アヤメはケーキを食べ始めた。ゆっくり、ちまちまケーキを食べるその姿を見てる分には可愛らしい。表情はまだ仏頂面だけど、ケーキを口に運んでる間は少し口元が緩んでる。

 その姿を見て込み上げてくる笑いを抑えて、視線を外に移した。雪でも降りそうな天気だ。

 この病院はコの字型をしている。外を見ればまず狭い空と、向こう側の病室の窓が見える。そこから視線を下に向ければ中庭がある。大木が中央に一本植えられており、それを囲むようにベンチが配置されている。また、散歩用の舗装された道と青々とした芝生は手入れが行き届いていた。

 病院に人はいなかったけど、綺麗なとこだな。

 ふと、視線がぶつかった。

「え?」

 その人物は、僕のことを真っ直ぐ見据えていた。

 髪の短い少女が一人、中庭からこちらを見据えていた。服は質素なつくりの、あまり見かけないものだった。メガネを掛けていたが、その下の目は明らかな敵意を孕んでいる。いや、憎悪、と言ってもいいのかもしれない。

 どこかで見た気がする。

 ……どこで?

 ×××。

 どこだ。

 ――×××!

「海晴?」

 アヤメの鋭い声に我に返った。

「あ、いや……なんでも、ないよ」

 声は自分でも驚くほどに引き攣っていた。背中には嫌な汗が浮かび、動悸が早い。肩も震えている。そして何よりも、頭が痛い。似たような感覚は、最近よくある。昔はなかったけど、いつからだっただろう。

 ……痛い。痛い。

「海晴」

「分かってる、大丈夫だってば!」

 思いのほか大きな声。目を見開いて驚くアヤメの姿が、僕を正気に引き戻した。

「……ごめん、なんかちょっと疲れてる。あ、花の水代えてくるよ」

 何か言いたそうなアヤメの視線から逃れるため、花瓶を掴んで部屋から飛び出した。背中に声は掛からない。その事実に胸を撫で下ろしながら、近くの水道まで足を運んだ。

 相変わらず人はいない。

 花瓶の水を流し、水道水で中身をゆすいでから、また水を流し込む。

 ××××、××で。

「いっつ……」

 こめかみの辺りを、刺すような痛みに襲われる。誰かが、そう、誰かが囁いているような錯覚。それは子どもの声のようにも、老人のようにも聞こえる。男の声かもしれないし、女の声かもしれない。初めて感じたような気がする、いや、ずっと前から感じていたのかもしれない。

 違和感。不快感。

 ……こめかみを押さえても、痛みは引かない。それどころか、さっきから段々激しくなってる。痛みに耐え切れなくなって、膝を折る。水道の流れる音だけが、無関心に響いていた。

「……み、」

 僕じゃない。声が、聞こえ、る。

「み、あ……」

 痛い。

 誰かが、僕を見下ろしてる。

「これは予定外だったね。――嬉しい誤算、ってやつかな?」

 どこか嬉しそうな少年の声。

「この人が?」

 冷たい、いや、僕に対して向けられた怒りの篭った声。

「そう。彼が――だよ。最後の実験にはキミのを使いたかったんだけどね、彼がいるならそんな危険なことする必要はないよ」

「でも、私は」

「大丈夫。僕にはキミが必要だから」

「……はい」

 痛みはどんどん激しくなる。

「思った以上だよ。対象は切り替えたし、術式は成功してる。あいつは気に食わないけど、式の構成は上手いから。……この成功を見届けたら、本番だ」

 足音が遠ざかっていく。声は次第に、大きくなってきてる。違う、声なんかじゃない。これは、声なんかじゃない。身体の中で、嫌なものが膨らんでいくのを感じた。胸元に爪を立てる。服の上から、痛みを感じるほどに。

 声じゃない、言葉。言葉じゃない、これは、なんだ。

 それはどこか、機械の駆動音に似ている。翻訳できない、言語。訳せない言語なんて言葉じゃない。……思考が収束しない。集中できないぐらいに、痛みが酷い。

「誰、か」

 ×××。

 アヤメが、走ってきた。

 意識が、途絶える。




「海晴ッ!」

 出て行った様子がおかしかったので、来て正解だった。海晴は水道の前で膝をつき、真っ青な顔をしていた。尋常な様子じゃない。それだけじゃない。

 ――気配。

 この病院を取り巻くように、強烈な異形の気配を感じた。一体や二体じゃない。二十は越したその気配は、地下から。この『施設』については知っているが、こんなに気配は強くなかった。増えた、ではない、気配が“濃くなった”。

「海晴、大丈夫か?」

 気を失ったらしい。だからと言って事態は好転しない。海晴を背負う。……さすがに俺が背負うと海晴は重いし、脇腹の刀傷は相変わらず痛む。それでも、まずはここから離れなければならない。

 今の俺では――いや、いつもの俺でもこの量は難しい。

「……こんな時に」

 油断した。いつもの装備は統括に預けたっきり。施設の中にも退魔士が配備されていたが、今日は定期報告で統括に向かってたはず。いつもより少ない。

 偶然か?

 ふと疑念が浮かぶが、まずは脱出を画策する。ここは三階。海晴を背負ったまま飛び降りることは不可能。傷のこともある。道具もないし、接触してから戦闘ってのもできない。逃げるなら最短距離で……地下から一階への道は正面玄関から遠いし、エレベーターが一番か。

 海晴を背負ったまま移動を開始する。エレベーターには人が乗ってない。好都合だ。

 一階まで降りる。ロビーに到着しても人の数は少ない。受付の女が驚いた顔をしてこちらを見ている。確かここのスタッフは全て統括の息の掛かった人間だったはず。

「おい」

「どうかされましたか?」

 海晴を背負ってるせいか、多少笑みが引きつってる。

「統括に連絡しろ。地下で異常が起きてる」

 それを聞いて、引きつってた笑みが消えた。素早い動作で電話を取り、番号をプッシュ。俺はそれを見届けずに立ち去った。義理は果たしたし、仕事は受けてないから避難を優先する。

 しかし、自動ドアであるはずの正面玄関が開かない。

「……これ」

 結界だ。術式、恐らく専門のやつが作ったものだ。しかも故意に相手を閉じ込めるための術式。専門じゃないからよく分からないが、これは『俗なるモノを閉じ込める』ことに特化したもの。物理攻撃で突破できないこともない。けど、今は無理だ。せめてダイナマイトがいるな。

 海晴をロビーの椅子に寝かせる。

「姫月さん」

 声をかけてきたのはさっきの女看護師。手には恐らく彼女の得物であろうボーガン。異様な光景だが、それは彼女が退魔士であるという証拠。

「下と連絡が付きません。相手の状況と規模は?」

「知らない。下に一杯いるってだけだ。ただ、この一件には退魔士が噛んでる」

「……他の組織が?」

「知るかよ。それよりあんた、結界は専門か?」

「いえ……」

 舌打ちをする。今は海晴の退避から優先したかったが、使えない。敵の規模も分からないし、地下の施設も絡んでるとなると、かなり厄介だ。

 これだから異形は――油断ならない。

 この施設の目的は異形を人に戻すこと……だから地下には、異形が大量にいる。まだ理性を保ってる方だったが、反乱を起こしたのか。そしてそれには退魔士が一枚噛んでる。だが現状では狙いが不鮮明すぎた。解放って割には、異形までも閉じ込めてる。

 だとすると狙いは――

「単純な、皆殺しか」

「……この状況では応援もしばらくは望めないでしょうね」

 看護師はそういって親指の爪を噛んだ。

「連絡がついたところで、ここじゃ駆けつけるのに時間掛かるだろ?」

「一応、緊急事態のために数人控えがいるの。こんな状況に対応できるように外にも。でも定時連絡はさっきしたばかりだから、一時間は待つことになるわ。そうでなくても、日暮れ前には皆戻ってくる」

「一時間なら……」

「えっ……?」

 言葉は看護師の上げた声で途切れた。駐車場にあるにある警備員の小屋が燃えていた。青ざめた看護師を見て、それが“控え”なのだと察する。手際がいい。

 内部の人間の可能性があるな。でも、今はそこまで重要な事柄じゃない。

「緊急時のシステムってのはないのか?」

「ええ、結界を仕込んだシャッターが降りて地下とは断絶できるけど……」

 シャッター自体を取り除くことは難しいが、病院全体を包むほどの結界を作る人間なら既に破っている可能性もある。

「安全な場所は?」

「……一応、レクレーションホールに結界があります」

「じゃあ取り合えず関係ない入院患者とかはそこに集めてくれ。異常者が入り込んで危険とか適当に行って集めりゃいい」

「分かりました。姫月さんはどうされますか?」

「道具はないか?」

「銃火器を除けば厄払いの短刀ならあります。後は苦無や投げナイフなども」

「じゃあ持てるだけ貰う。海晴をホールに運んでくれ」

 場所を聞き、ナースステーションに入ろうとして、一度振り返った。運ばれる海晴の背中。

 無事でいてくれと、願う。願うような神様なんていないけど。

 ナースステーションには言っていた通り、銃火器と投擲刃物、それから厄払いの短刀が置かれていた。天皇家が使うような御守り刀のようなものだった。内反りの上に、いつもの刀に比べれてずいぶん短い。使いどころは考えなければならない。適当にベルトを拝借し、それを腰に差す。本来そのための物なのか、ベルトには投げナイフを収める場所もあり、四つ苦無を拝借。

 装備としては不十分すぎる。――だけど、これ以上は持てないし銃器なんて扱えない。

 勘に任せて気配を読む。地下の気配のいくつかは停滞していた。しかし、半分ぐらいは地上に向かってきている。そいつらは、きっと元に戻りたいのだろう。人間だった異形は、人間でありたいと願うから。

『なんで、私はここから出られないの?』

 ――お前が、異形だからだ。

 バケモノは、バケモノらしく地面の下で大人しくしてればいい。

 気配が急に濃くなる。体にねっとりと絡みつくような気配に不快感を覚える。この感覚はどこかで。


 ニタニタ笑い。


「おい……おい……まさか、嘘だろ」

 血の気が引いた。ありあえない。ありえない、だってあいつの腕はここにないんだから。頬を叩いて冷静になる。でかい気配のせいで地下で蠢いていた気配が読みづらくなった。

 それに、妙に息苦しい。緊張とも毒とも違う。

 思った以上に事態はやばいらしい。傷を抑えながら地下へ続く階段まで走る。病院の奥で爆音。気配は一階まで達した。早い。速度に特化――恐らく狼男だろうな。気配は二つ、肉体系に特化した異形が二体ってなると、現状ではかなり辛い。幸か不幸か、この二つの気配は二手に分かれる。他の人間を襲う前にとっとと潰してしまった方がいい。

 一方に折れた先回りするために駆け出す。

 人気のない廊下を慌しく走る男が一人。恰幅がいい、目尻の下がった中年の男。

「ま、待ってくれよ!」

 俺に見つかったことに気付くと、脅えたような視線を向けてきた。持ってきた短刀を抜き、その刃先を向ける。まとう気配に、恐怖が濃くなっていく。

「お、俺のこと見えるって事はあ、あんたあいつらの仲間……なんだよな? 見逃してくれよ、娘が……娘がいるんだよ。会わせて欲しいんだ!」

 みっともない大声を出して、男が言う。

「戻れ」

 どうせ娘に姿も見えない。

 この短刀や投げナイフの術式は手甲ほど難しい代物じゃない。紋章式は魔力を通すだけで発動できる。威力はいつも通り、とはいかないが、使いようだろう。まだ相手に戦う意志もないようだ。潰すなら、今。

 魔力の形状をイメージ。それを術具に流し込む。

「俺に構うなよ……お前らの、お前らの勝手で俺を閉じ込めるなぁ!」

 男の姿が変わる。硬質な毛に被われ、爪と犬歯が伸びる。人の形をしていた顔が、肉食獣のそれに変わる前に動く。腰から苦無を一本抜き取り、魔力を流し込む。貫通と、飛行の概念。

 放った苦無はその男の喉に向かって一直線に飛ぶ。

 が、直線的過ぎて叩き落される。

「チッ、やっぱ使い辛い」

 狼男になったそいつは、腕を伸ばして飛び掛ってきた。体をずらしてそれを躱す。身体能力に任せたその攻撃は読み易過ぎる。いつもなら楽なんだが、この躱す動作だけでも脇腹が痛み、その場で膝をついた。そいつはそれを見て驚いていたようだが、逃げることを優先したらしい。

 甘過ぎる。叩き落された苦無を拾い上げて、投げる。直線的な攻撃は真っ直ぐ逃げる敵には簡単に当たる。背中に突き刺さるが、存外タフだ。苦無を背中に刺したまま逃げ出す。

 仕留め損ねた。だが、左足にも傷がある。すぐに動けないってのは、かなりもどかしい。

「……逃がすか」

 だが、気配は増え始めている。一体にかまけてたら、キリがない。けどこいつらはしらみつぶしにしていくしかないだろう。狼男が向かっているのは恐らく裏口。正面玄関は封印されていたが、裏口はまだ封印されていない可能性も捨てきれない。

 駆け出す。傷の痛みに耐え、向かった裏口には男が立ち往生していた。

「何で開かないんだ! 出してくれ! 出してくれよぉ!」

「ふん」

 戻る意志がないならば、勧告は不要。残った苦無三本を全て抜き取り、放つ。雑に放った三つはそれぞれ、男の両肩、そして喉に刺さる。呻き声を上げ、そいつは壁に張り付いて倒れこむ。

「いた、痛、……い」

 当たり前だ。

 だが死んではいないらしい。さすが狼男だ。このまま放置しても仕方ない、ダメ押ししておくか。抜いたままの短刀に魔力を通す。込められた概念は、とことん特化した斬撃。岩を裂くと言う、ありふれた伝承を主軸にした術式。それに加えて、飛来。『遠当て』の術式。

 物騒な御守り刀だな、と笑いが漏れた。

「死ねよお前」

 短刀を中心として風が渦巻き、剣の軌跡をなぞるようにして何かが放たれる。壁が不自然に裂け、終点である狼男に到達して鮮血を撒き散らす。倒れたそいつを爪先で蹴飛ばし、死んでないことを確認した。

 気配は続々登ってきている。

 大きな騒ぎが起きていないのは、一重にあの看護師の配慮のお陰か。それとも施設の緊急システムとやらが上手く動いているのか。今はどうでもいい話だけど。

 短刀を鞘に収めて次の気配へ向かう。





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