天夜奇想譚

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gurim

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だれでも歓迎! 編集

作者:グリム

タイトル:狩猟者―辻の蛭/sister― 2/2



 声は上から。刀を構え、振り下ろされるそれを受け止める。金属音がぶつかり合い、火花が散った。そのまま勢いに任せて弾く。弾いた俺の刀を利用して、少し離れたところに男は着地する。炎を浴びせかけたやったのにもかかわらず、焦げあと一つない。

 細目を更に細めて笑い、かなり余裕ぶっこいてやがる。

 つい先日相手にした鎌鼬を思い出した。当たらないなら、まずは相手を囲って封じ込める。手甲を相手に向け、魔力を走らせる。

 威力は最大、手加減なんてできない。

「式名、五行――木遁、句句廼馳ノ抱擁」

 コンクリの地面を突き破り、相手の動きを封じる根の壁が螺旋状に檻を成す。

 封じたらもう一撃で終わりだ。

「木生火ニ則リ、陽トッ」

 詠唱を中断する。体を捻り、刀を構えなおす。激しい金属音と共に刀と刀がぶつかり合う。

 早い。根の檻を即断で切り払って突き進んできやがった。

「なるほど、強力な術を扱う……けれど次への繋がりが遅いですね」

 刀と刀の鬩ぎあい。しかし、押されてる。単純な力ならば当然、俺よりも相手のほうが分がある。いや、剣術と言う点ではこいつに勝つことはできないだろう。だが、真正面から戦う必要もない。

 魔力を走らせる。

 鬩ぎ合ってるこの状況なら、あまり強力な一撃を放つことはできない。下手こけば自分にも被害に合う。ならばここで使う術式は、絞られてくる。

「式名、五行――金遁、鉄槌」

 柄から右手を離し、その拳をどてっぱらに突き立てる。そしてそのまま、放った。

 反動で吹き飛ぶ体を何とか持ち直し、相手を確認。男は壁を背にして座るような形で気を失っている。男の刀は遠く離れた地面に転がっていた。足元に落ちた手甲を拾い上げ、右腕に嵌める。どうやらここで終いらしい。錆色の切っ先を男に向ける。

「王手だ」

 刀を振り上げる。

「王手、ではまだ逃げ道はあるものですよ」

 男は不敵に笑い、腰から何かを抜いて投げた。慌てて身構えるが、それは俺の額に当たる。

「って」

 ――木の、枝?

「正直過ぎます、よッ! っと」

 掛け声と共に視界が一回転した。刀が手から離れ、地面を転がる。

 この、野郎……足払いか。刀を拾い上げて男を探す。男は転がっていた鋸刃の刀を拾い上げ、細い目を更に細めてにこりと笑いかけてくる。何というか、あれだ。狐ヅラにあんな感じで笑いかけられるとかなり腹が立つ。

 姿勢を低くして、突撃。

 刀を地面すれすれに振り抜き、まずは足を打つ。しかしそれは跳躍で躱された。男は跳躍から、延髄目掛けて刀を突き立ててくる。身を捩ってその一撃を躱し、バックステップで距離を開く。

 が、そこに相手は踏み込みの一閃。刀で受け止めるが、その斥力に弾かれ、地面を転がる。間合いが開いた。

「術は並以上ではあるようですが……その程度。身体能力に至っては並の娘ですね」

「ハッ、解説ご苦労様。その口からまず削ぎ落としてやるよッ」

 勢いよく立ち上がり、手甲を相手に向ける。

 木遁で動きを封じられないなら、手数の多さで逃げ道を封じるのみ。

「式名、五行――土遁、針ノ山」

 俺の足元から地面が隆起していく。それは針を成し、広がりながら男まで走る。その針の隆起は進みながら電灯を崩し、青白い光が辻から消える。男は余裕の笑みを一つ漏らし、その場から跳躍した。安全な地面に向かって。

 それがお前の、命取りになるとも知らないで。

「式名、五行――」

 走り出し、着地点を術の効果範囲に収める。本日最後の一撃だ、直火焼きで逝っちまいな。

「火遁、炎撫」

 ×××。

 一瞬映像が飛び、唐突に目の前に紅蓮が広がった。少し間を空けて、その炎が自分の放った術式のものだと知る。

 ……今の一瞬、何が起きた?

 いや、今の一瞬……一体誰の声を聞いた?

「――ッ」

 その影に気付いて体を動かすも、間に合わなかった。駆け抜けてくるそいつは脇腹に刃を引っ掛け、そのまま食い千切るように切り払う。その一撃は容易にコートを切り裂き、コマ送りの映像のようにゆっくりと、自分の横腹が裂けるのが見えた。

 激痛は遅れてやって来る。

「ぐ、ぅ」

「危なかったですねぇ。実に危なかった。もしこれが、最初に放った一撃と同じ威力だったら無事では済まなかったでしょう。ふむ、いい加減このスーツは替えてしまいましょうか」

 少し離れたところで、男はスーツの焦げた部分を払いながら立っていた。

 脇腹を押さえる。傷は深くないが広い。それに鋸刃が刈り取った傷は不規則で、治癒も遅い。

 確かに威力は抑えた、だが、こんなに抑えたつもりはない。構成が甘かった? いや、術の構成はいつも通りだ。違うといえば、術式を行使したときのあの声ぐらい。――なんて、考えてる暇はない。

 刀を構えなおす。

 そこに男の姿はない。

「貴女確か、異形狩りのアヤメ――だとか呼ばれてるらしいじゃないですか」

 声は下から。さっき俺がやったのと同じ、いや、それ以上に早く低い姿勢。地面を滑るように、鋸刃が走る。

「けど貴女」

 上段から振り下ろし、刃同士を交わらす。金属の擦れ合う音。力で負けているのは分かっているが、少しでも抵抗しなければ胴回りが真っ二つに裂かれるだろう。渾身の力で相手の刃を押さえ込む。

 すると、男はフッと不気味に笑った。

 細い目を開き、嘲った。

「道具に頼りすぎじゃあありませんか?」

 男が横に寝かせた刀を、俺の刀を巻き込みながら一回転させた。俺の手に握られていた刀はそのまま巻き込まれ、後方の地面に音を立てて転がった。

「斬りあいと言うのは、経験と技量がなければ相手を殺すことなどできません」

 そのまま切っ先をこちらに向け、突き出してくる。首を曲げてギリギリでそれを回避し、思いっきり足で蹴り上げた。手応え、いや足応えはなく、また少し離れたところに男は立っている。

 畜生、のらりくらりと。

「躊躇いもなく金的って、貴女。ちょっとは躊躇ってほしいのですがその辺。と言うか恥じらいを……」

「るっさい。……経験と技量がなんだって? こっちは斬りあいに興味なんかないんだ。異形を狩るのが俺の仕事なんだよ」

 この戦闘で使った術式は、合計で五発。あと一発使えるかもしれないが、なによりもさっきのアレが気になる。ここ最近は三発以上の術式を行使していない。ただでさえ曰くつきの道具だ、連続で使用していいことなんて何もないだろう。

 使いすぎるとよくない事が起きる――アレは、絶対にそうだと思わせる予感がある。

 けど、このまま刀一本で相手するには、分が悪すぎるってもんだ。

 退くのが一番得策かもしれない。

「そうですか。確かに獣の如き異形を狩るならば、その直感と反応は素晴らしい。しかし、戦術が拙すぎる」

 どうにも相手は無駄話が好きらしい。適当にあしらいながら次の手を考えるか。

「まさしく獣のような力任せの戦い――“人間”相手には、無意味と言っていいでしょう」

「人間? ハッ、いっちょ前に人間気取りか」

 その言葉に男は一瞬眉をひそめ、そして口の端を歪めて笑い始めた。癪に触る笑い方だ。

「何がおかしい」

「くふ、くく、ふふふ……いえいえ。なにやらとんでもない思い違いをしているようなので。ところで貴女、私を何だとお思いで?」

「……吸血鬼、だろ? ヴァンパイアでなくでも古今東西、生き血をすするバケモノなんてごまんといるんだ、その中の一体」

「くふふふ、ふ、ふ……あーっはっはっはっ! これはこれは、飛んだ思い違いをなさっている」

 ついには馬鹿笑いし始めた。

 腹が立つのを通り越してわけが分からない。と言うか、笑い方が不気味すぎる。細目が微妙に開いてるし。

「私は、人間だ」

「人の血を吸う性癖……ってなぁ聞いたことあるが、なんだ、紳士的なカッコウのわりにゃ変態だな」

「この国では変態を紳士と呼ぶそうですよ」

「知るか」

 男の言葉は嘘だろう。直感で、目の前にいるやつが異形であることが分かる。いつも感じている事であり、信用できる直感だ。この男が人間であると言うのなら、この直感が働くはずはない。

 脇腹の痛みを堪えつつ、辺りを確認する。薄暗くなって見えづらい。

 ……少なくとも手の届く範囲に刀は転がってない。背後を振り返って刀を取らせてくれるほど、相手も甘くないだろう。

「お前が異形であることは間違いねぇ。嫌な気配がすんんだよ」

「ああ、気配で読んでいるのですか。――さすが獣。おっと失礼。恐らくこれの事でしょう」

 男はそう言って手に持った刀の切っ先をこちらへ向ける。

 これ……まさか、刀のことか?

「銘を冥蛭(クラヒル)――血を啜る妖刀。貴女方はこれを異形、付喪神とお呼びのようで」

「付喪神、だと」

 異形“付喪神”は、長い年月を渡り、神仏・霊を宿して変化した道具のことだ。アーティファクトに近いものだが、個々で意識を持つ。その意識は使い手を惑わし、狂わし、時に手助けする。人間の味方にも敵にもなる、異形と呼べるか微妙な種。もちろん“物”でもある以上、自発的に行動することは無いが、時にはアーティファクト・術具にも並ぶ性能を秘めている。

 しかし厄介なのは使い手が相当な手練れの、人間だと言うこと。

「……殺気が鈍りましたね。私が人間だとやりにくいですか?」

「チッ、何言ってる」

「おや、当てずっぽうでしたのに。まさか図星だとは、ね……それで異形狩りとは、呆れたものです」

「……てめぇ」

 男は細い目を開き、口元を歪める。

「けれど私は容赦しませんよ」

 深く踏み込み、男の姿が一瞬視界から消える。動きは早かった。以前に対峙した天夜には及ばないにせよ、強化術を使ってない俺にはかなりきつい。胴部に目掛けて振り抜かれたそれを紙一重で躱す。体勢をギリギリで保ち、男の背後を取った。

 同時に、地面に転がった刀の位置を把握する。距離は遠くないにしろ、ある。この男の事だ、拾いに走れば後ろからばっさり斬られるだろう。

 手甲を嵌めた右拳を握る。

 そしてそのまま突き出した。

「おら、よっ!」

 男が振り向きざまに刀を持ち上げ、突き出した俺の拳を刀の腹で受け止めた。そのまま左腕を伸ばして襟首を掴もうとするが、男は刀を引き、足払いを掛けてくる。バックステップでそれを躱すが、俺と刀との距離も同時に開く。

 今度は上段の構え。

 畜生、これじゃあ埒が明かない。現状の打開策は刀を使う他ない。こいつは相性が悪すぎる。むかっ腹が立つぜ、まったくよ。……けど、その打開策まで手が届かない。届かせるためには、あの刀――冥蛭をなんとかしなければならない。男の身体能力もヤバイが、あの刀は何らかの能力を持っている可能性がある。これ以上長くなると、更なる不利になりかねない。

 一回斬られてるから、もう手遅れかもしれないが。

 振り下ろされた凶刃を横っ飛びで避ける。

「チィッ」

 避けきれずに腿が裂かれる。少し引っ掛けた程度なので動く分には問題ない。

 男との間合いが開き、刀までの道が開いた。あとは駆け抜ける。

「諦めが悪いですね……本当に獣のようです」

 背筋の凍るような、低い声。お前の声のほうが、気配のほうが、殺気のほうが――百倍獣染みてる。

 気配が動く。振り向くと、刺突の構えの男。距離があったってのに、男はもう俺を間合いに収めやがった。矢のように鋭い突き。だがどれだけ早く、威力があろうと、面積の狭い突きを躱すことは容易い。振り向きざまに横に避ける。刀は神速で俺の右脇を通過していった。

 しかし、男の細い目は笑っていた。

 刃が素早く返される。鋸刃がこちらを向いていた。そのまま、体の回転を利用して振り払ってくる。



「詰めが甘い……んじゃねぇの?」



 残響が広がる。男の持つ冥蛭は、俺の手甲によって受け止められていた。

「予想外ですね。てっきり術式特化の、硬度について何も考えていない手甲だと思っていたのに」

 この手甲は鬼の腕。――再生を繰り返す腕。それだけじゃない、俺があの時対峙した牛鬼の腕は再生以前に刃がほぼ通らなかった。この手甲はあの時の腕に比べれば肉厚は無いだろうが、硬度の高さは俺がよく知っている。

 けど……余裕をかましてる風に見せてるが、実際、肩のほうは限界だった。なんつー馬鹿力だ。鋸刃が少しではあるが食い込み始めてる。こいつ、左腕の部分怪我してなかったっけか? 確かに怪我をしている、だがそんな風を感じさせない膂力。

「そもそも刀とは人を斬るもの、鉄以上の硬さには傷をつけるのがやっとです」

「どこぞの、一般人でも……真剣で鉄パイプぐらいは切れるらしいぜぇ?」

「そうなのですか? だとすればこれはそれ以上に硬いと言うことでしょうか――いやいや、度し難い」

 肩がミシミシ悲鳴を上げる。

 受け止めたからって何の解決にもならない。術式は本日打ち止め。刀まではあと少しだってのに。

「しかも、道具だと言うのにこれは再生している」

 刀を打ち込んで短時間で看破しやがった。

 歯を食いしばる。……肩の骨が軋む音、段々酷くなってきている。

「いやぁ、今まで人を何人も斬ったのに、こんな手合いは初めてでしてね。失礼しました――では、起きなさい、冥蛭」

 男の言葉の意味は、よく分からなかった。


 ただ、“そいつ”と目が合ったのだけは分かった。


 変化は急速。冥蛭の刀身に穴が開いた。否――それは人間の目玉。充血した黒い瞳がぎょろぎょろと辺りを見回す。その一つ目を皮切りに、無数の瞼が開き、その数だけの目玉が姿を見せた。

 右肩の感触はなくなっている。だと言うのに、もうそんなことはどうでもよかった。そんな事よりももっとヤバイやつが、目を覚ました。

 今まで、手ェ抜いてたのか。

「鋸刃は斬ると言うよりも、抉ることを得意としていましてね。食い込むのならば、抉ることは可能なのですよ。……このように」

 メキ、その音は肩からではなかった。

 手甲には刃が食い込んでいた。腕までは達していない、けれど、あの硬い手甲に食い込んでいた。細い目をカッと開き、男は刀を強く引いた。金属の削れる音、そして、手甲の下で肉が僅かに裂ける感覚。

 動けなかった。痛みからではない。驚愕、そう、驚愕が大きかった。

 だが、慌てて後退する。

「そしてこの銘、冥蛭とされているように、こいつはまるで蛭のようでしてね」

 男は目玉の生えた刀身を手のひらで撫で、その手を赤く染めた。

「ご存知ですかね、ヒルディン。正式に言うと血液抗凝固成分……傷を負ったとき、血液の凝固を遅れさせ、血を留めることをさせない。医療用にどこぞの国では用いられていたそうです。こいつも同じで――」

 振り抜かれた、目玉だらけの刀。

「既に斬った、今から斬る傷の一切の自然治癒を行わせない。呪術ですから、術式があるのなら容易く解呪してしまうような退魔士同士の戦いではそんなに役に立たない、鈍らですが」

 脇腹、腿、腕。痛みはもう感じないが、衣服を赤く赤く染め上げている。治癒する様子も無く、血は流れ続ける。

 ――クソ、頭が重い。

「再生能力――もしそんな効果があるならば、それすらも無効化します」

 鬼の再生能力を誇る手甲も、いつものような急速な回復を見せず、切り裂かれた箇所はそのまま。術式はこの手甲の紋章と俺の詠唱よって構成されてるため、紋章に傷がある限り、行使することもできない。

 急激な出血は、大量出血死を招くが、ゆるやかな出血ならばそれが起こることはない。でも確か人の体は、何リットルか血を流せば失血死するんだったか。あいつの言う通りなら解呪の術式を行使すればいいんだろうが、術式を行使するための手甲は使えない。なら解呪は現状では不可能だ。

 ふらつきながら後退していく。

「見たところ、術式は打ち止め。そして見たところ、貴女の術式は使えば使うほど威力が落ちるようですね」

「――大正解だ」

 よく見てるじゃないか。

 どれも威力が高く、五行の種類ごとに普通の術具に比べて一つで多種多様の術式を行使できる。だが欠点は、『全力全開の術式しか使えず、手加減できない』・『使うたびに精度が落ちていく』……その二つ。一回の戦闘でまともに行使できる術式は三発目まで、四発、五発と撃っていくうちに精度と威力は下がり、六発目なんてまともに発動しない。鬼の腕なんて不安定で不明な代物だから、見えない欠点があることも否定しきれないが。

 異形との戦闘なら、この三発で十分だ。力で圧倒する戦闘スタイルは、同じく力で圧倒する相手なら、単純な力の大きさで勝っていれば速攻でけりが付く。

「俺とお前の相性、悪過ぎんだよ」

 その男はにやりと笑うと、間合いを一気に縮める。来るのは、刺突。

「ふ」

 息を漏らしてそいつは笑う。冥蛭は地面に突き刺さっていた。さっきまで俺の居た場所の足元、つまり、徐々に後退して手の届く範囲にあった刀の傍。刀を拾うのを諦めて、その俺は男の背後に回っていた。

 右の拳は握り締められ、男の背中に。

「刀を拾って反撃をするのでしたら、この一手で終わったでしょう。まさか、現状唯一の武器を放棄するとは、いやはや――」

 その背中から殺気を感じ取る。

「――舐められたものです」

 男は地面に突き刺さった刀を、一気に振り払う。

 怒りに任せすぎだ。その一撃は読めてる。刀の来るであろう軌道にあわせ、手甲を構える。……予想した衝撃は来ない。遅れて、腹に衝撃。激痛と共に数メートル地面の上を転げ回る。

 刀に気を取られ過ぎていたらしい。男は刀で切り裂くと見せかけて、蹴り込んで来やがった。

「貴女の直感は素晴らしい。ですが貴女は、頼りすぎなんですよ。天性の直感? 強力な武装? 戦場で必要になるものは今までの積み上げ。経験、そして運。敵方を殺すのを躊躇うような若造が、――浅知恵で生き残れると思ってるんじゃありませんよ」

 細い目を見開き、男は今度こそ刀を、殺すために構える。

 指先に硬い感触。切り殺された退魔士の死体と、チャンバーライフルが視界に入る。銃身は曲がり、トリガー部分も捻じ曲がってる。カートリッジ……式の込められた道具。何とかなる、か? ポケットに手を突っ込むと、そいつは確かに硬い感触を指に伝えた。それくらいしか考え付かない。やってやる、最後まで。

 ぶっ壊れたチャンバーライフルを拾い上げて構える。

「何のマネですか。まさかそんなガラクタで私を倒そうと?」

 やばいな、視界が少しぼやけてきた。頭を振って気を確かに持つ。

「お前、術具について詳しいか?」

「……いいえ。生憎と退魔士ではなく、しがない人斬りですから。“術式というものは術具というものにもたらされる”程度しか知りませんね」

「おいおい、そりゃ間違いだ」

 構えを解かないまま、男は怪訝な顔をする。

「術式ってのはな、術具が無くても使えるんだ。モノによっては呪文式、つまり“呪文”によって術式を行使できる。……分かるか? 普通、術具の紋章や機構によって術式を行使するんだが、“呪文によって代用できる”ってわけだ」

 ピンと来てないのか男は怪訝な顔のまま。俺は、それに対して最大限、不敵に笑ってみせる。

「つまりは。術具の壊れた部分は呪文で代用できるんだよ。俺の手甲のような特別製はともかく、こう言う、単純な構想なら楽勝なんだよ」

「――なに?」

「ついでに言っとくがな、銃身ってのは曲がっても撃てるもんなんだ」

 片手をポケットの中に突っ込みながら、重いライフルの銃口を男に向け、カートリッジを挿入する。

「お前の左腕。それ、こいつにやられたんだろ? この術具でも最低威力、様子見用に使われる“魔弾”。売り文句は必ず当たる、だったか。けど……今度はもっと強力な術式、ぶち込んでやるよ」

 男の目の色が変わる。俺の手の中にある折れ曲がったライフルが、どれだけ自分にとって不利か、逆転の一手になるのか理解したのだろう。けれど、その表情の中にも余裕らしきものを感じられる。そりゃそうだ。チャンバーライフルを持ってる左手は震えてるし、ポケットに突っ込んだ右の方は腕から血を流してる。腿も出血が多かったのか、もう碌に動けない。どんだけ強い武器を持っていたとしても、迫力は無い。

 舌を打ち、真っ直ぐと男を見据える。

「余裕かよ」

「当たり前でしょう? そのような状態ですから。しかし本当に甘い、そんな道具があるのなら最初から拾って確保すればいいものを」

 まったくその通りだ。死体の武器を剥ぎ取るなんて考えに無かった。

「はったりでしょうかね?」

 にやりと笑う男。汗が頬を伝って流れ落ちる。

「殺す前に聞いといてやるよ。――お前、何のためにこんな人がいつ通るか分からない場所で辻斬りをしてた。人を斬るなら人通りが少なくても人が確実に通る場所ですればいいのによ」

「そちらこそ余裕じゃないですか。そうですね、冥蛭の性能を試すまでは目立ちすぎる訳にはいけなかったから、ですよ」

「……試す?」

 その言葉は少しばかり妙だった。辻斬りのような酔狂なこと、気の向くままにするものだと思っていたのに。或いは、妖刀が血を求めてる……とか、てっきりそんな理由だと。だが、試す? 実験?

 ってことは、その先に何かがある。そう言うことか。

「お前まさか、その刀一本でテロでも起こすつもりか?」

「まさかまさか。私がテロなんて、起こせるわけが無いでしょう。しがない人間、銃に撃たれれば死ぬ人間が一人でそんな無謀な事はしません」

「じゃあ他に仲間がいりゃするんだな」

 ポケットから右手を出す。血を流しすぎて感覚は殆どないし、動きづらい。銃身の支えぐらいにしかならないが、構わない。男が深く一歩、踏み込む。呪文を唱える暇すら与えない、ってことか。

「話はこれまでにしましょう。――この一手で終わりです」

「いや」

「……ん?」

「お前が動く前に終わらせてやるよ」

「戯言をッ」



 一瞬。



 銃声が響き渡った。

 膝をついているのは、男の方だった。血を流し続ける右肩を押さえ、苦悶の表情を向けてくる。ざまぁない。取り落とした冥蛭を拾い上げ、今にも噛み付かんばかりの表情。ああ、いつもなら堪らない光景だが、こっちもボロボロなんで笑えない。

「……おま、え……」

 呻くような低い声音。

 さっきまでの取ってつけたような敬語よりも何倍も板についているんじゃねぇか。なんて、喋る元気も今はない。

 チャンバーライフルを支える右手にも力が入らなくなり、そのまま取り落とす。その銃口からは硝煙すら上がってない。当たり前だ、引き金を引く、その行為が術式発動の条件であるカートリッジの術式を、引き金が壊れた状態のチャンバーライフルで発動できるはずも無い。

 呪文での代用なんて大口を叩いたが、手甲を頼り続けていた俺がそんな即興の呪文なんて組めるわけがない。それに理論的には可能だが、呪文を組むためなら――仮にチャンバーライフルの機構を全部呪文で代用するなら、辞書を丸々一冊読み上げるぐらいの文章量を唱える必要がある。専門家でもない限り、実用レベルの呪文をその場で編むなんて不可能。いや、専門家だってあらかじめ呪文を用意してるもんらしい。専門外だから詳しく知らないが。

 つまるところ――

「はったり……だったのかッ」

「大正解だよ、クソ野郎」

 左手を使ってポケットの中から、通話中のままの携帯を取り出してみせてやる。

 男の背後には影が一つ。リボルバーを構え、携帯電話を耳に当てた女。予想通り、来てくれた。

「私の従妹に何してくれてるんだ?」


 頼りになる、俺の従姉/私のお姉ちゃん。


「ふく、は、ははははっ! この、まさかっ! こんな知恵を働かせるとは思いませんでしたよッ!」

 怒りと笑いを混ぜこぜにした奇妙な叫びを上げて、男は俺に背を向け、柚子姉と対峙する。だけど柚子姉に“待つ”とか“正々堂々”なんて関係ないことを、俺は良く知ってる。続けざまに四発の銃声。

 男は苦悶の声を上げる。

「珍しくお前から電話があると思ったら、これだもの。……私だって暇じゃないんだよ」

 そう言って、柚子姉はリボルバーをしまうと、今度は懐から自動拳銃を取り出す。

 こちら側からは確認できないが、四発の内、何発かは当たっているのだろう。男は先ほどよりもぎこちない動作で冥蛭を構え、柚子姉に突っ込んでいく。あの男ならあれぐらいの間合いなら、すぐに詰められるだろう。

 銃声。今度は絶叫。

 ――何といっても、刀と銃じゃ攻撃範囲が違いすぎる。

 異形ならば痛みを無視して突進することも可能だろうが、あいつは自分のことをしがない人間と言っていた。赤い血の通っている人間ならば、銃弾に肉の抉られる感触を無視して突っ込むなんてマネ、早々できるものではない。

 ……それと、柚子姉の身内以外への容赦の無さは、俺でもちょっと引く。

「ぐ、ぬ、ぅ……く……」

「こうやって、辻斬りを捕まえるのに忙しいんだから」

 そう言ってもう一発。外れて地面を抉るものの、男はその先に踏み込むことができない。近付けば近付くほど、柚子姉の射撃は精度を増していく。自分の攻撃範囲に入る前に脳天をぶち抜かれる、実力のある男にはそれぐらい分かっているのだろう、それ以上先に進まない。

 柚子姉は俺に一瞥をくれると、また男を見据える。そして耳に当てた携帯を外し、操作する。

「退くなら止めないぞ」

 銃声、視線すら向けなかったそれは男を掠め、俺の後ろまで飛んで、壁を抉る。

「……見逃すおつもりで?」

「勘違いするな。そこで寝てる奴を病院にぶち込んだら、今度はお前に銃弾をぶち込むだけだ」

 男はしばし黙り込むと、構えを解いて刀を鞘に納めた。そして恭しく一礼をすると、そのまま路地の闇へと去っていった。柚子姉はそれを見送った後、銃口をその闇に向けて一発撃った。

 響き渡る銃声。それ以外は何も聞こえない。

「外れたか」

 ……柚子姉、殺すつもりだったな今の。

「生きてるな?」

 いい加減、視界が白くなり始めた。やっぱり血を流しすぎたらしい。とりあえず、残った力を振り絞って傷に呪詛が掛かっていることを伝えておく。それを説明してから、もう限界に差し掛かる。

「応急処置だけしとくぞ」

「……あり、がとう」

 ありがとう……なんだか慣れない上に、自分で言っててなんだかムズ痒い感じがする。柚子姉は地面に転がってる死体から衣服を破りとり、そのままそれで傷口を縛る。

 壁を背に座りながら、応急手当をされる。携帯電話は握り締めたまま。待ち受け画面は、茶色い子犬の寝顔。

「勘違いするな」

 声が段々遠くなってきた。

「お前がどうにかなったら、海晴が悲しむからだよ」

 ……





 迷ってしまった僕/私たちの前には、頼りになる人がそこに居た。

 素直じゃなくて、家族を大切にするお姉ちゃん。







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