天夜奇想譚

こちら白夜行! 第六話

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だれでも歓迎! 編集

作者:えすぺらんさぁ

タイトル:こちら白夜行! 第六話







 統括組織内、執務室。柔らかく日の射し込む部屋、ただしその光は堆く積まれた書類の山に遮られ、白い床にその影を落とす。そのビル郡のような書類の山の中で、安倍桜花は欠伸混じりに背伸びをした。伸ばした手が、机の上からいくらかの書類を薙ぎ、落とす。

「あー……」

落とした書類へと一度は眼を向けるが、うんざりとした表情で再び逃げるように眼を逸らした。

「少し、休憩」

 逃避。机の上の冷めたコーヒーカップに手を伸ばし軽く啜る。その動作を数回繰り返した後、

「さて……」

用心深くあたりを見回す。人の気配がないことを確認すると、机の引き出しを開け、おもむろに何かを取り出す。それは狐色の、温かい毛の塊……詰まる所、狐である。

「はぁぁ……」

抱きしめるときぃ、と小さく鳴き、桜花へと身を寄せる。管狐――退魔士が使い魔の一種として使用する生き物だ。と言っても、本来は一般の狐より小さいのだが、桜花のそれはむしろ、普通の狐と並べても大きすぎるほどのサイズがある。

 抱きしめればもふもふと、心地よい感覚とぬくもりが返ってくる。これが最近の、安倍桜花のストレス解消だった。

「ああ、柔らかい……」

だが大抵、長く続かない。ノックの音がした途端、桜花はあわてて狐を机の中へと返した。

「桜花。客人ですよ」

「天城? 散らかっているんで少し待たせて」

ため息を付く暇もなく、処理し切れていない書類の山を見えない場所へずらす。そして、扉が開く。

そして彼女は、笑顔で告げる。

「用事かしら? 構わないわ、丁度仕事を片付けたところだから」








「……で、仕事欲しさに私のところにおしかけたと?」

「平たく言ってしまえば、そうなるな」

葵の手により、執務用の机の上にはなけなしの小銭が撒かれている。それは厳しい白夜行の現状を物語るに、十分すぎる証拠物件だろう。

「で、下手人は葵ちゃんと……」

「ああ、こっちは新人」

「……へぇ?」

桜花は、ソロモンの顔をマジマジと覗き込む。嘗め回すように、とは言いすぎだが、何かを窺うようにじっとりと、その緊張する表情をながめ

「ふぅん」

何かを察したように、離れた。

「せっかく人が給料制に切り替えたその初給料を、一日で?」

「そう、なります」

バツの悪そうにため息をつく葵、少々申し訳なさそうな表情の明とソロモンに、桜花はどこかにやけ顔で、応対していた。その裏に、先ほどまでのリラックスタイムを邪魔された怨恨が含まれていることなど、彼らは知る由もない。

「まぁ、人手を必要としている場所は幾らかありか。お金がいるのなら……」

彼女は一層、ご機嫌な表情を浮かべ、告げた。

「命の危機に晒されるお仕事、確実に死ねるお仕事、女性として、もしくは男性として大切な何かを失うお仕事。どれがいい?」

「最後ので!」

「この馬鹿の意見は無視していいから、他のまともな仕事を頼む」

意気揚々と身を乗り出すソロモンを抑えつつ、葵はため息をつく。桜花は「大変ねぇ」ととても楽しげに呟くと、なにやら閃いたような、非常にわざとらしいそぶりを見せた。

「丁度、いくつか仕事はあるんだけど」




「ガッコウのカイダン?」

「ええ、なんだかベタなイントネーションを感じるけど、学校の怪談。その調査ね」

「んな仕事余ってるもんなのか? 随分手が足りてないな」

「やりたがるのがいないの。『調査』は『退治』とはちょっと変わってくるから」

 調査と退治は、目的自体に差異は無い。ただし

「『調査』の対象はまだ噂の段階。はっきりと姿を見たって確証は無いけど『いるかも知れない』異形」

つまりいるかいないかの調査をするのが主となる。勿論、発見した場合は退治してよいし、その分の報酬も払われる。しかし何もいなかった場合、報酬は退治にくらべ、大分安いものとなってしまう。

つまりは、非常に割りの悪い仕事、ということで人気が無い。



「まぁ今回のは結構大穴だと思うんだけどね。あ、その間恵ちゃん借りるけど」

断らないわよね? と言ったわけではないが、桜花はそれを笑顔で付け足したように見えた。





「恵ちゃん、進んでる?」

「いや、手伝えよお前」

 向うは数十の書類の山、身代わりを手に入れた(正確には、雇った)桜花は、淹れ直した温かな珈琲を啜っていた。

「つーか、俺だけじゃ進めようが無い」

 作業効率はとてもよいとは言えない。実際書類の大半は判を捺すだけのものや、サインで済むものが殆どなのだが、予算申請や要望の類にひょいひょいと捺すわけにもいかず、なにより、書類の内容についての知識が無い葵にはどれをどうしていいものやら、という状態である……かのように思われたが

「大丈夫、私にもよくわからないから」

どうやら、今までも適当だったらしい。組織に不安を覚えながらも、葵は適当に印を捺し、サインをする作業に移る。ちなみに桜花は、既に作業をする気は微塵も見られず、葵を尻目に、悠々自適に雑誌を読み始めていた。

 いい加減文句を言うのも諦めたのか、部屋にはただ筆を走らせる音と印を捺す音、ページをめくる紙の音だけが響く。段々と、会話の途絶えた沈黙が部屋に重く漂う。

「終わった?」

「……結構な」

耐えかねたのか、単に雑誌を読み終えたからか、おそらくは後者であろう桜花は特に遠慮なく、黙々と作業をこなす葵に話しかけた。

「しかし、よくもまぁ溜め込んだな」

その言葉を受けて、桜花は少し、言葉を継ぐのに間を空けた。そして、トーンを落とし小さく

「今まで赤星にまかせっきりだったから、いざ机に向ってみるとさっぱり分からなくって」

どこか憂い気な言葉を口にした。

それからまた、部屋にはまた音が途絶える。筆を止め、互いに言葉を紡げぬ、紡がぬその時間は、ささやかな追悼にも似て、二人はその僅かな時間を、静かに噛み締めた。


「分かってるとは思うけど」

追悼の長い沈黙を、適度なところで破るように、桜花は特に何事もなく話しかける。彼女の立場を考えると、この対応が当然なのだろう。葵としても、無駄に気を使われるよりはいいものだと思えた。

「あなたにはしばらく統括管理下で赤星の継ぎを主に、仕事をしてもらう」

「デスクワークなら勘弁して欲しいんだが」

「勿論、本来の仕事をベースにやってもらうから」

「本来?」

「白夜行の監視と調査。一応は、仕事だったはずだけど」

上がった素っ頓狂な声に、構えていたようにノータイムで切り返す。桜花の表情は、小さく「ああ」とやや照れたように返す葵の様子にどこか呆れ、そしてどこか不安げにその表情を窺っていた。





今回、調査依頼として届けられたのは月明学園小等部の理科室にある、人体模型である。
『動く人体模型』と言えば、七不思議の定番。夜な夜な目覚め、カシャンカシャンと音を立てながら廊下を駆けるというのが一般的だが、中には失った人体パーツを求めて闊歩し、人を襲いその臓器を奪い取る、という話も存在する。

今回の調査対象は『襲う』類のものらしい。数日前、校庭で犬の死骸が発見され、その死骸から内臓が取り除かれていた……被害者は人間ではないが、内臓が無くなっていた点から見て、今回の、人体模型の件が濃厚な疑いとなった。桜花が「大穴」と言っていたのも(言葉の用法が正しいか否かはともかくとし)これが理由だろう。

夜の学校はとにかく暗い。昼間学生達の賑わう賑やかさからははるか遠く、黙っていれば沈黙が耳を劈くほどの静けさが保たれ、またひとたび歩き出せばその足音が遠くまでよく響く。見える景色はただ暗い廊下、そこに煌々と、非常灯の緑色が落ちる。
勿論魔女である、もしくは退魔士である彼女らに今更暗がりを怖がる道理は無いが、それでも得体の知れない不気味さは感じ取れていた。二人は特に交わす言葉も探しきれず黙ったまま、ゆっくりと進んだ。そしてようやく理科室までたどり着いた。

はずだったのだが、

「……あれ?」

たどり着いていたのは、明一人だった。


どうしよう。明は扉の前で悩んでいた。理科室前の廊下は変わらず静寂に包まれていた。暗がりは相変わらず不気味だが、少なくとも人の気はない。またそれはつまり、少なくとも近くにはソロモンもいないことにもつながるのだが。
待つか、探しにいくという選択肢も勿論あっただろう。しかし、今この地点で明にその選択肢はもう残されていない。既に扉の向こうに、何かがいる。明の存在に気付いているかはまだ定かでないが、特に動く様子も見せず、部屋の中に留まっている。
今回の仕事は調査。つまりはこの扉を少し開けて中を覗いて、そこに人体模型が動いているのを確認すればとりあえずは完了になる。それだけでいい。ただし

「倒せば……」

そう、目標を討伐した場合、勿論取り分は増える。危険性は上がるが、それによって具体的には諭吉さん二・三人分位の差が生まれる。つまり、彼女の選択肢から『調査』を消すに容易い額だ。
コートの裏でナイフを握り締め、扉の隙間から中を窺う。暗さに慣れてきた目には、部屋の様子がぼんやりとだが見渡せる。人影らしきものはひとつ。それほど大きくはない。部屋の中心から、奥にある何かをジッと眺めているようにも見える。
段々とまた目が暗がりに慣れてくる。人影が、その奥にあるものが、じわじわと輪郭を帯びていく。

「あれ……」

思わず声が毀れる。輪郭を帯び、表情をも読み取れるようになったそれは確かに人体模型だった。それは部屋の奥でただ動かないそれであって、人影のほうではない。そして、人影のほうは

「出てこいよ。いるんだろ?」

言葉にどこか笑みを含ませながら、呼びかけてくる。姫月アヤメ、明が出会った中でも特に苦手な人物がそこにいた。


理科室には二人しかいない。明の眼は、おそらくアヤメもだろう、暗がりにはすっかり慣れ、僅かに届く非常灯と月明かりだけでも互いの顔を十分に窺えた。
続いて、奥の人体模型に目を向ける。

「動かねぇよ、そいつ」

アヤメの言うとおり、それが動く気配はない。汚れて曇ったガラスケース越しに見るそれは確かに不気味な存在ではあるが特に何の特徴もない、極々一般的な模型である。問題なしとすれば平和で結構なことだ。しかし明の場合は都合が違う。模型の無表情を恨めしそうな顔で睨みつけている。

「オレの勘も外れたか。何かいると思ったんだがな」

アヤメは明の様子をどこか呆れたような表情で眺めているが、彼女にとっても『空振り』であることに違いはない。気配があると思ったら、結局は同業者だった、という状況は共通のものだ。
だが、疑問が残る。数日前に発見された犬の死骸だ。内臓が失われていたことからして、異形の仕業である可能性は極めて高い。その後の被害が出ていないとはいえ、何もでないほうが不自然とも言えよう。

アヤメがその不自然さに首をかしげ、明がいまだ恨めしく模型を睨んでいたその時。二人の耳は部屋の外、廊下の奥から、かすかな物音をとらえた。僅かだがそれを追うような、風切りの音が聞こえてくる。近づいてくる。

「モンちゃん……じゃないよね」

「オマエの連れか? 人外連れてんのかオマエは」

「やぁ、人外ではあるんだけど」

やや緊張感のない会話の間にも、その気配は理科室へと近づいてくる。足音はなく、耳を劈く虎落笛のような風音はもはや位置をとらえるには足らない情報となった。速い。

来る。二人がそれを確信した瞬間、廊下向きの窓ガラスが、その枠ごと、軽快な音を立てて砕かれた。しかし二人は、突き破って入ってくる瞬間さえその姿を捉えられなかった。そしてその見えないスピードを振るいまくり、理科室の中をしっちゃかめっちゃかに飛び回る。机が、床が、壁が。それが駆け抜けるが速いか否か、鋭く切り裂かれる。二人は手早く机の影へと身を伏せる。

「見えないな。本当に速い」

「あれって、やっぱり?」

「ああ、人体模型が動かねぇわけだ。もっと早くに気付くべきだったな」

目に捉えられずとも、二人にはその高速移動物体の正体が掴めていた。目にも止まらぬ高速を誇り、鋭く相手を切り裂き、仕留めた生物の臓物を食らう異形

「鎌鼬か、厄介だな」

二人ともそれぞれナイフと刀を握り構えてはいるが、それが鎌鼬を相手に役に立ちそうにもないのは察していた。いかに鋭い刃物だろうと、それを悠々飛び越えられては棒切れと変わりはしない。となると他の術を用意する必要がある。二人はそれぞれ次の手を考え始めていた。ぼやぼやしていては切り裂かれる、最終的には心臓を持っていかれる。

「蔵野だったか、悪いな」

「え」

謝るのが早いか否か、その刀で手早く近くのガス栓を根元から切り捨てる。

「式名、五行――金遁、彼岸花」

そして籠手に組まれた式が噴出すガスを変換し、瞬時に部屋を包み込むまでに膨れ上がらせる。それは強力な神経毒となり、部屋のもの全てに降りかかる。

だが鎌鼬の速度は衰えない。吸わずともガスの危険性を察したのかそれが広がる前に外に飛び出したのだろう、部屋の外でガラスの割れる音が響く。

「きかねぇか」

一方、明は

「ンンー!」

毒ガスを吸わぬよう口を押さえ、勢いよく廊下の窓から校庭へと飛び降りていた。

「即効性の毒だぞ……化けモンかあいつ」





「痛い……しかも少し吸った、大丈夫かな」
幸い、理科室は二階だった。打ち付けた身は痛むが、当たり所が良かったのか立てないほどではない。
しかし、状況は悪化した。室内で仕留められればよかったのだが、飛び回る鎌鼬を空中で打ち落とすのは至難であり、空間が広がった分動きを抑えるのも難しくなった。唯一の救いは、月明かりと街灯がある分多少捉えやすくなったことか。

「右肩!」

不意に、アヤメの声が耳を劈く。思わず身を反らせば、途端に耳元でピッと何かが裂ける。スッとその箇所を冷たく風が抜けるのがよく分かった。

「ああ!? コートが!」

「右腕が落ちなかっただけよかったと思え!」

鎌鼬とはさすがに次元が違うが、アヤメも速い。すぐに明の近くまで駆け下り、既に鎌鼬の次の挙動に備えている。鎌鼬はコートを裂いた後、窺うように校庭上空を旋回している。

「隙あらば狙いだろうが」

それに一瞥くれると軽く息を吐く。軽い精神統一の動作にも見えるそれは確かに隙となる。鎌鼬はそれを幸いと、再び捉え難い速度で下降する。しかし

「木遁、句句廼馳ノ抱擁」

もはや速度は関係ない。鈍い音を立て、地を貫き、盾になるようにそびえた根の壁は、高くで捻じ曲がり獲物を逃がさぬ檻と化す。

捕らえた。それを確信し、アヤメは懐から取り出したマッチを擦る。

「火遁、炎撫」

投げ捨てたマッチの小さな火が走る。それを辿るように根は燃え上がり、たちまちに火は『檻』を飲み込んだ。

「うっわぁ」

校庭の端で、あたかもキャンプファイヤーか何かのように燃え上がるそれを目にし、心なしかその照り返し以上のきらめきをもつ瞳で、明はその様子をじっと眺めた。その視線の先にはアヤメではなく、彼女の籠手があるのだが。

「――フゥ」

アヤメも、一先ず大きく、深く息を吸う。焼け付くような熱気が喉へと抜ける。気付けば彼女の息はやや荒く、表情にも僅かながら疲労が窺える。

「その籠手、すごいんだけどさ。もうちょい加減したほうがいーんじゃない?」

「出来るならやってる」

その返答で、明の疑問は氷解した。彼女の攻撃はまるで短距離走のような配分だ。自前の魔力量や体力を計算しつつではなく、常にフルパワー、最大範囲での攻撃になる。そうならざるを得ない、あの籠手はそういった物なのだろう。



「だから」

不意に、アヤメはうんざりしたように呟く。小さく、何かが破裂したような音と共に炎は大きく揺らぎ、ぐらりと根の壁が崩れ、傾く。

「ああいったすばしっこいのは相手にしたくねぇ」

中空で何かをブンと振り回す音、そして見えない風の刃が、とっさに身を屈めた二人を掠め、校庭の土に飛び込み粉塵を上げる。

「土遁、隆地ノ隔」

ガクン、と大地が沈む。いや、唐突にその場の土がえぐれ、クレーターが作られた。抉り取られた大地が分厚い壁を成し、二人を蔽う。

「ッチ……」

壁を背もたれに、また深く息をつく。

「おい。お前手持ちの術は」

「ナイフと、ナイフと、ナイフと……」

アヤメは呆れた表情をし、明自身も苦笑いだが、元々は対人体模型のつもりだった。他に何もなくとも、無理もない話だろう。

「こっちは撃てて後一・二発だってのに」

その表情に焦りが見える。現に、既に三発分で仕留められていない相手だ。同じ手が通用するかどうかも危うい。残り二発という数字は、思いがけずも絶望的なものだった。

「あ、あった」

不意に、気の抜けた声が上がる。アヤメに、ばつの悪そうなアイコンタクトを取りながら、申し訳なさそうに呟いた。

「しばらく、時間稼ぎよろしく」

アヤメはしばらく悩むか、考えるかといった苦い表情を浮かべた後、溜息交じりで、軽くゴーサインを出した。

「しゃぁねぇ、任せるからな」

それ以外に手立ては残っていない。信頼というよりは投げやりだが、可能性はある。アヤメは土で固めた籠を飛び出し、こっちだ化け物と言わんばかりに、戦闘姿勢を見せ付ける。極力、土の籠から注意を離すよう、じりじりと移動する。鎌鼬は近寄ってこない。先ほどの術で警戒したのか、遠くから風の刃を振り翳し、飛ばしてくる。

アヤメはそれを、刀と籠手でいなす。視覚には捉えられないが、距離がある分対応は突進の時より容易い。だが、だが、攻める分にはこの距離が果てしなく遠い。鎌鼬のスピードならば、こちらのモーションを見てから悠々と回避するだろう。
後は、策次第。


明は大きく深呼吸し、ゆっくりと手順を思い出そうとしていた。“秘儀”はその効力が大きい分、手順が重視される。呪文や紋、儀式行為、その一言一句、一挙手一投足すべてが決められたモノから外れてはならない。
脳内で必死にその手順を反芻し、ゆっくりと、始める。

「――災厄の招き手を我に授けよ。さすれば、汝に喜劇を授けよう。嘲笑えザミエル」

ナイフを右手に握り、その切っ先をゆっくりと左手の指へと添える。まだ切らない。

「契りを結べ。捧ぐ我が血を糧に、与えよ――Sieben Frelkugel」

プツ、と小さな音を立て、銀色の刃が指を裂き、赤く染まる。そして滴る血はより一層輝き、地に落ちる時、かすかな金属音を立て、赤き銃弾へと変わった。

「よし……」

魔弾。ドイツの民話に語られる、七発の弾丸。その内の一発だけ引っつかむと、おもむろに外へと飛び出す。大きく振りかぶったその瞬間、ブンと、鎌鼬の鋭い尾が振るわれる。
だが、既に気にすることはない。目標に、目をくれてやることもない。

「いっけぇ!」

鋭い風の刃を、弾丸が気圧し、そよ風へと返す。銃弾の怒号は根の壁に揺らぐ篝火さえ、一息に吹き消した。
距離も速度も、最早関係ない。か細い腕を振るい放られたそれは、放物線を描くこともなく、鎌鼬を微動だにさせることなく。弾丸はまさに音速。一直線に鋭く、滑稽なほどに物理法則を叩き潰し、鎌鼬を砕いた。

「ふぅぅ……」

深く、ぬけた溜息がこぼれる。指先の痛みも忘れる安堵に、笑みが見える。

「……お前」

ほんの少し、あっけに取られていたアヤメの表情にも、笑みがこぼれる。苦笑いにも取れるそれを向けると、その笑顔と共に、軽い恨み言を吐いた。

「何がナイフとかナイフとかナイフだよ」




屋上。鎌鼬と二人の戦いを見届けたソロモンは、二人のいる辺りに視線を置いていた。もっとも、しばらく火の明るさに慣らされた目では、二人の様子をうかがい知ることも難しくはあったが。

左手に抱えたカメラをくいと持ち上げ

「ええ、しっかりと確認したわ」

電話越しに、『成功』を伝える。
元より彼女は、桜花の依頼をすべて明に委ねるつもりでいた。そうすることで、離れた位置から明の実力を探るのが、今回彼女の目的だった。

「“自称”蔵野明が魔女であるのはおそらく間違いない」

口調は冷たく、事務的なものだ。相手の返答や相槌を絡ませながら、淡々と見解を伝える。

「ただ、あんな馬鹿げた術は見たことがない」

しばらく、なにか考えるように表情が険しくなる。

「そうね、それじゃ帰ってから」

そしてフッと、笑顔を作る。もう電話での会話も打ち切り時だろう。

「ぁ、最後にひとつ」



「あの、迎えに来れない……? その、暗くってさ、ここ」

屋上は、深い沈黙に包まれた。

「は、いやまた明日じゃなくって、ちょ、ま――!」

プツン


……寒空の下、半泣きのソロモンが発見されるのは、翌日の朝のこととなる。





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