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狩猟者―郷愁的/Daze―」(2008/11/22 (土) 21:12:45) の最新版変更点

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*作者:グリム **タイトル:狩猟者―郷愁的/Daze― ----  何も知らなければ良かった。  無知であり続けられるならばこの痛みも知らずに済んだ。  でも私は知ってしまったんだ。  私はただの狂いたがりで、  彼が本当に狂ってしまったという事に。  ――ぱかっ、ぱかっ……  ぱかっ……  …… 「――菖蒲?」 「……へ?」  声を掛けられている事に気がついて、顔を上げる。顔を上げて気付いた、これは夢だ。そうでなければ幻。目の前には中学生の海晴が私のことを覗き込んでいる。私は教室にいて、特に意味もなく外を見ていたんだっけ。  校門には桜が咲き誇っていて、楽しげな生徒の会話が聞こえてきた。  夢か幻の私は、外をボーっと見ていたと伝えると、海晴は若干理解できない、と言う表情をした。  私は眉間を突っついて、笑う。  ああ、この時はまだ普通に笑えていたっけ。私は私の中にいて、耳から聞こえる自分の笑い声が一瞬誰のものか分からなかった。私は意識を閉じて、耳を閉じて目を閉じようとして、それができない事に気がついた。  どうやら目を逸らす事も許してくれないらしい。  ――クソッたれ。 「あ、そだ。菖蒲、今日は勝茂(カツシゲ)さん帰ってくるんでしょ?」 「うん。仕事が一段落したから帰ってくるんだって」 「凄いよね、今回はイギリスだっけ」  お父さんは各地を点々と回って仕事をしていた。この頃は知らなかったが、その仕事は退魔士。今考えてみると、全世界を回っていたのは異形を狩っていたからなのだろう。私が当時、切符や色んなものを集めていたのはその影響だ。  今は何も集めていない。屈託無い笑顔でお父さんが手渡したお土産は、もう、無い。  思い出して、抉られて空虚になっていくような心が、痛む。こうやって普段押さえ込んでいるような思い出まで思い出して、不覚にも泣いてしまいそうになる。でも泣いてはいけない。私は、俺は、アヤメでもあるのだから。アヤメは泣かない。狂気に取り付かれて泣く事すら許されない。  私と海晴が二人で揃って教室を出る。  この光景すら懐かしい。心が痛い。  目の前に私がいる。今の俺ではない私、そして――海晴がいる。あの時に戻りたかった。でもきっと戻っても同じなんだ。もし今の俺が戻っても、この世界は変えれない。  最初から、終わっていたんだ。 「海晴――」 「え、なに?」  夕日で染まっていく帰り道、私は少し前を歩いていた海晴に声を掛けた。 「誕生日、もうすぐだったよね」  海晴の誕生日は四月だ。そう言えば今年も何もしなかったっけ。  いや、この時までは毎年祝っていたんだ。私の誕生日も、海晴の誕生日も。働いていた柚子姉もその日だけは律儀に休みを取って、私のお母さんがケーキを作ってくれた。それで、ハッピーバースディ。  海晴にも柚子姉にも両親がいなくて、そういう祝い事はいつも私の家でやっていた。もう今では、しないけど。 「うん、そう言えばそうだね」  頷く海晴は、何となく、誕生日を忘れてたんだろう、曖昧に返事をしてきた。 「もしかして今年も忘れてたの? 毎年忘れるのどうにかならないの?」  私が言うと、海晴は困ったように笑う。  この時は確か、海晴の誕生日は数日前で。海晴は時間にルーズだからと、私はシンプルな銀の懐中時計を買っていた。見た目は良いけど、そこまで高くない代物だ。それでも私がコツコツ貯めていたお年玉が半分ぐらいなくなったっけ。  苦笑も出ない、俺はここまで変わってしまったのに。この私は、とても楽しそうだ。 「でもさ」  海晴が苦笑しながら、どこか照れくさそうに言う。 「毎年、菖蒲が教えてくれるじゃないか」  ――  ……私も、それを見ていた俺も言葉を失う。よく恥ずかしげもなく言うものだ。  でも、白状しよう。  私は/俺はこの笑顔がとても好きで、海晴のことを愛している。  今も変わらない。変わらないからこそ――見せ付けられる過去の幻影は辛かった。心臓に針を流し込まれるような絶望的な痛みだ。取り戻せないものを見せ付けられるほど辛くて痛いことは無いだろう。気持ちは変わらないのに。何でこうも変わってしまったのだろうか。何で、私は壊れてしまえないのだろうか。  否応なく過ぎ去っていく幻影。  そして、幸福な幻影が辿り着くのは、終着と、絶望の始発。  笑いながら今では思い出せないような、でも、愛しいほどに他愛の無い話をしながら私と海晴は歩いていく。お父さんが帰ってくるから、私達は私の家に向かっていた。住宅地の真ん中にある一軒家。何の変哲も無い。  ジョギングするお爺さんは不機嫌そうにこちらを一瞥して。  犬と歩く女の人は優雅に一礼して。  お向かいのおばさんは人の良さそうな笑顔で手を振って。  いつも見かける灰毛の猫は塀の上でのんびりと欠伸をしていて。  ――だから私も海晴も分からない。  分かるはずが、ないんだ。  俺は叫びたい衝動に駆られた。叫んで、楽しそうに玄関を開けようとする二人の歩みを止めたいと思った。ずっとずっと、二人にあのままで居て欲しかった。だってそうしなかったら、俺は生まれずに済む。アヤメは菖蒲で居られて、あんな風に笑えたんだ。 「開けるなァ!」  景色が奇妙な色彩で止まる。それすらも幻影。ゆっくりと、見せ付けるように、扉を開けようとする私。 「開けるな、その向こうを見るな! その先に向かうな、中に入るな! 中にあるものを見るな、今すぐ引き返していつものように笑っていろ! 何も知らないで一緒に笑って悲しんで、ずっとずっと! だからお願い、お願いだから扉を開けないでくれ! 開かないで、開かないで、開かないで、開けちゃダメ! お願いだからお願いだから許してよ許してよ、ごめんなさいごめんなさい開けないでください、お願いだから許してください。開けないで開けないで開けないで開けないで、ダメ、ダメ、ダメ――だめぇ! 見たらダメ、だからだからだから――ッ!」  どんなに声を上げても、目尻に涙を溜めても。  終わった事なんて覆りようも無い。  生ける者の無い紅いリビングに、二人の大人が倒れていた。海晴が駆け寄って、安否を確認するけど、そんな事するまでもなく、私の両親は絶命していた。目を見開いて絶望に彩られて。  私はリビングの前で立っていた。  その惨殺現場が怖くて立ち尽くしていたんじゃない。何よりも怖かったのは。 「我輩が相手をしてやると言うたのに、脆すぎては遊ぶ楽しさもなし」  二本の歪な角を頭から生やしてこの紅い部屋の中心に君臨する、中肉中背の男。当時の私にはそれが何なのか分からなかった。ただひたすら不気味さに震えていた。今になっても嘔吐感が込み上げてくる。  対峙したものだけが体験する、怖気と悪意。  海晴には見えていない。見えているのは私だけ。この時の私は異形についての知識は皆無で、両親からは“関わるな”としか教えられなかった。でも海晴を連れて逃げる事も、一人で逃げ出す事もできない。  そしてそいつは、私を見て、嗤う。 「嗚呼、やはり。小娘、我輩の姿が見えているな? 見えているな? 嗚呼嬉や、嬉や。親の穴埋めはその娘に」  ニタニタ笑い。  悪意を混ぜ合わせたような人から外れた笑みに、私はへたりこんだ。 「さぁ、」  男は振り上げた片手を、 「愛しき小僧の命から」  海晴の腹に衝き立てた。 「カッァ――」 「散らし、その瞳の中に憎悪を」  ひしゃげて潰れたような声で、男は告げる。腕は海晴の体を貫通していた。臓器を突き破ったその腕は海晴の血で染まっていて、ぬらぬらと不気味に光を反射していた。男は私だけを見据えて、海晴の体を振るい、それをガラス戸の向こうの庭へ投げ飛ばした。  面白いように跳ねて、海晴は庭に転がった。  悪夢。  悪夢としかいえない景色。悠然と男が私に歩み寄ってくる。 「さぁ、」  その手には錆色の刀と、銀の手甲。両親が使っていた術の道具だが、私は知らなかった。差し出されたその二つを言われるままに受け取っていた。男は踵を返して、血塗れた床を楽しげに踏む。  そうして思い出したようにしゃがみ込み。  ――死体になったお母さんの首を噛み千切った。  それだけでは飽き足らず、お父さんの腹に腕を突きたて、腑を取り出して笑みを浮かべたまま口に運ぶ。血飛沫が飛んできて、頬を垂れてゆく。呆然として自分の掌を見る。床につけていた私の手は、ぬらりとした血で真っ赤。  男の哄笑が聞こえる。  体をバラバラに裂いて、血を撒き散らして、嗤う。  ころころと二つのボールが私の目の前まで転がってきた。でもそれはボールではなく、両親の首。淀んだ二つの双眸。  そこで初めて悲鳴を上げた。  両親の死に対して。庭に転がってる海晴に対して。私に向けられる悪意の塊に対して。 「死者の尊厳を蹂躙し、その凶器に狂おしい憎悪を」  知れず、私は刀の柄を握っていた。力が強すぎて、掌に食い込み、痛いぐらいに握り締めていた。唱えるように両手を広げる男はそんな私を楽しそうに見ていた。  思い出したくもないクソみたいな幻。  そいつは嬉しそうに目を細めて、大声で語る。 「お前の命は親の血肉で贖った。我輩が望むのは、憎悪。我輩を殺しに来い。復讐の悪鬼と成りて我輩の前に再び姿を現せ! そして我輩を殺すのだ」  唾と一緒にダラダラと血を零す。ぴちゃりと肉片も飛んだ。 「さぁ、」  死体が二つ起き上がる。転がった頭部からは角が生え、グチャグチャになった体がそれを拾い上げる。それは別に死者が蘇ったわけでもなければ、死体が勝手に動き回っているわけでもない。  男は、指先から糸を出して死体を遊んでいたのだ。体を作り変えて自分と同じような角を生やさせて。  ガタガタと、死体が笑う。男が糸で笑わせる。  無理やり笑っている首は、顎骨が外れて噛み合せもできず、喉から下がないので声も出せずにニヤニヤと笑う。三つのニヤニヤ笑いが私を見つめている。怖くなって目を逸らしたら、庭に転がる海晴が目に入った。  紅い。  芝生にも血が流れて吸い取られていく。 「鬼と成れ、我輩を殺せ!」  お願いだから私を殺して。 「あ、ァア――」  枯れた喉で叫んで、罅割れた喉が裂けた。喉から血が出てヒリヒリする。私の中の全て。今まで積み上げられた全てが歪んでしまった気がした。刀を掴む掌からも血が滲む。  殺してやる。 「――死ねよ、クソ野郎」  俺が生まれる。  安倍桜花、統括機関の最高位に立つ女は言っていた。“全ての生物は何らかの形で根源と関わりを持っている”と。そしてそれらの関わりを明確にした者は時に、奇跡、時に、災厄と呼ばれるものになると。  俺は果たしてどっちだったのか。  振り払った刃は糸を断ち、男は信じられない、と嬉しそうに歓喜した。  右腕に、かつて母親だったものがつけていた銀の手甲を嵌める。“五行術”全てを即時に、そして自由に組み上げる武装。頭の中にあらゆる式が流れ込んできた。魔力を汲み、発動。 「式名、五行――火遁、炎撫」  紅蓮が速やかに男を焼き払う。しかしそいつは壁を砕いて逃走した。俺は自分に隠匿の術式を発動し、飛び回るそいつの後を追う。夕闇が迫る商店街を駆け抜け、どんどん中央へ。  男が立ち止まったのは、ビルの上だった。星空も月も何も見えない。  立ち止まった所に刺突を放つが、男は身を回して躱す。刃を返して回転。しかしそれも僅かに届かない間合い。更に振り下ろした刀は横に避けられ、金網を裂く。 「嗚呼、嬉や」  歪んだ男のニタニタ笑い。俺に向ける腕が二つに裂けた――いや、それは蟲の足に変わる。  刀で受け止めて硬質な音が夜に響き渡る。もう一方の腕も裂けて更に二本の蟲の足。それを捌く。真っ直ぐと見据えた男は、既に人間の造型からかけ離れていた。足が八本、巨大な蜘蛛の体。俺をニタニタと笑いながら見るのは、牛の頭。角だけが、男と同じように歪だった。大きさは出鱈目。軽く四十メートルは越えている。  そいつは器用にビルの上に立ち、嗤う。 『我輩を殺す悪鬼は、今この時に於いて世界に生れ落ちた!』  咆哮のようなひしゃげ、潰れた声。振り上げられた四本の前肢が衝き立てられて、あっさりビルは倒壊する。俺は崩れていくビルから更に飛び移り、術式を駆使して大通りに降り立つ。  ビルが崩れた事に驚いたのか、訳の分からない人々は逃げ惑う。だがそんな事構ってられない。  瓦礫の上に立つその巨大なバケモノ。 『我輩は牛鬼。――肥大する鬼、“百角鬼夜行”也』  下手な怪獣映画みたいだ。俺は笑いながら横切った中年サラリーマンの首を断った。あのバケモノと同じ気配のしたそれは血飛沫を上げて崩れ落ちる。悲鳴が背後で聞こえた。そいつも同じような気配がしたので心臓を突き刺して殺す。 『おお、異形が分かるのか。人に紛れた異形が!』  賛美する歪んだ声音。錆色の切先を向けて、俺はそいつに笑いかける。  疾駆。 「式名、五行――土遁、針ノ山」  瓦礫を岩の棘へ変化させ牛鬼の腹に穴を開けようとする。しかし硬度が足りないのか、柔らかいはずの蜘蛛の腹に岩の棘は突き刺さらず、次々と砕け散った。しかし衝撃は十分、よろめいた牛鬼の前足の一本を切り払う。  しかしそれも鉄以上の高度を誇っている上に成人男性の倍以上の太さ。僅かに傷つける程度に留まる。  舌打ちをして回避。先ほどまで自分の立っていた場所に三つほど穴が開いた。 「式名、五行――木遁、句句廼馳ノ抱擁」  街路樹に対しての術を行使。地面を突き破って生えてきた根が牛鬼の巨体に巻き付く。しかし、十分ではない。街路樹の数は少ない上に牛鬼の巨体。動きを封じるには不十分。  だから焼き捨てる。 「木生火ニ則リ、陽トスル。火遁、火炎ノ産魂」  巻き付いた根が発火。周りに居た数人も巻き込むが、俺は笑っていた。――心の中にある恐怖と悲しみに反して、笑っていた。知識は勝手に溢れ出し、この体は信じられない動きを見せる。  牛鬼は根を振り払い、身に纏わり付く炎を払った。  ニタニタと笑いながら牛鬼は糸を吐く。白い波のようなそれを躱し、俺は信号機の上に飛び乗った。その下では巻き込まれて、不運にも死ねなかった誰かの呻き声が聞こえてくる。  見上げると、四本の足が迫っていた。飛び上がって回避、その上に着地する。  そう言えば呻き声はなくなっていた。 「まずは、一本目」  錆色を振り上げて足に突き立てる。絶叫、噴出したどす黒い血飛沫が俺の半身を濡らし、雨のように降り注ぐ。むせ返るような血の匂いが心地よくて、突き立てた刃で肉を抉ってやった。絶叫。  遠く離れ、横転したトラックの上に降りる。戦闘の余波で傷付いた数人がその辺でうずくまっていた。  その内の“異形”っぽい奴を二人殺して、七本の足で立ち上がる牛鬼を見据える。  笑っていた。ニタニタと。 「は。傷つけられても傷つけられても嗤う。テメェはマゾか? あ?」  笑ってやった。その辺の人間と建物を蹴散らして、ぶち壊して、ぶっ潰しながら牛鬼が迫ってくる。それでいい。俺も駆け抜ける。放たれた三本の足を受け流して牛鬼の腹の下に回り、切り払う。  弱所を狙った一撃は、綺麗に決まった。腹部からどす黒い血がだらしなく垂れてくる。  腹の下を抜けて牛鬼の背後に回り、後ろ足を斬る。だがやはりそれは硬質で傷付くだけに留まった。やはり関節部分を狙わないとダメージは大して与えられない。一時の思案、まともに牛鬼の振り払った一撃を受ける。俺の体は容易く宙を舞い、二回、三回とバウンドして道路のど真中に倒された。激痛が全身に走る。  だが、不思議と死んでいない。よろよろと立ち上がる。距離は開いた。内臓がイッたのか、口の端から血が零れる。  牛鬼は俺の方を向いて、また駆け出してきた。 「なんだなんだ? 馬鹿の一つ覚えみたいな真似しかできねーのかよ」  術の準備。先ほど牛鬼が壊した建物からガスが少し漏れていて、鼻をつく。丁度いいから利用する。 「式名、五行――金遁、彼岸花」  ガスを神経毒に変換して牛鬼に纏わせる。突進する足はもつれ、牛鬼は無様にも転がった。肉の潰れる音、悲鳴。心地よく色々なものが響く。牛鬼はニタニタ笑いながら血を吐き、立ち上がろうとしてまた倒れる。  駆け抜けて関節部に刀を突き立てる。  今度はさっきよりも力を込めて――ぶっとい足を斬りおとしてやった。切断部から塊の血が落ちて、道路を汚す。 『素晴らしきはその式への理解力!』  空気を歪ませた牛鬼の声。 『素晴らしきは異形を殺すことに特化したその直感!』  毒を吸って血反吐を吐いても、牛鬼はゆらりと立ち上がった。毒の濃度を濃くしてみるのか、立ち上がった牛鬼は揺るがない。六本に減った足で走り出す。蹴散らし、ぶっ壊し、ぶっ潰し。さながら暴風だ。  なので応じる。  手甲に魔力を走らせ、眠ってる回路を全部叩き起こし、全稼動。 「式名、陰陽式――火遁、金遁、水遁、木遁、土遁、総ジテ、五行ト為シ身ニ纏エ」  今まで使われた事のない手甲の回路が軋みながら悲鳴をあげ、狭い回路は抉じ開けられて火花を散らした。 「其ノ名ハ――五画星」  五感が冴え渡る。あの暴風に見えた牛鬼は、既に微風程度にしか感じられなかった。あまりにも遅く、あまりにも脆い。屈伸を利用して、爆ぜた。開いていた距離は一気に縮まる。牛鬼の上空、俺はその片目に刀を突き立てた。  水に刺したように抵抗感なく、目玉に刀が突き刺さる。 『ォォォォオオオ』  悲鳴を上げる。突き立てた刀をそのまま無理やりに切り上げ、目玉を裂く。二度目の悲鳴と、頬を流れる血でも水でもないモノ。自然と笑みが零れた。刀を構えなおして跳躍、牛鬼はバランスを崩して倒れる。遅れて、目からどす黒い血を流し始める。  次は足。  鉄のような硬さだと思っていたそれは、その実、紙を切るよりも簡単に斬りおとせた。 『嗚呼、嬉や』  二本、三本、四本。二本足になった牛鬼はバランスを崩して腹から地面の上に落ちた。どす黒い血は留めなく流れ、噴出していく。その光景は愉快極まりない。愉快ついでに、残った二本の足も斬りおとしてやった。  気が付けば、体中がどす黒い血で染まっていた。  足を失った牛鬼は、それでもニタニタ笑いを崩さずに俺を見ていた。 『我輩を殺してくれるか』  ――変化は唐突に。  俺は知らなかったんだ。  鬼は……首を落とされぬ限り死なず。  蜘蛛は……己の領域でしか狩りをせず。  牛鬼は……決して単体で戦闘に臨まない。  立ち尽くす俺に襲い掛かったのは、斬りおとしたハズの牛鬼の八本の足。宙を舞って襲い掛かるそれをなんとか刀で受け流す。しかしその攻撃の一つ一つは重く、よろめいた。倒れそうになるところを敢えて倒れると、俺の立っていた場所を蜘蛛の糸が真横に走り抜ける。倒れてから回転、立ち上がって構える。 「は、怪獣映画の次は人形劇ってか?」  牛鬼は土蜘蛛の特性も持っている。器用にも糸を使って自分の斬りおとされた足を宙に舞わして襲ってきた。  そして気付く。目が、もう再生してやがる。  逡巡の間に、八本の足を受け流せないように配置して叩きつけてきた。しかし受け流せないのならば。 「大振りすぎるぜ? えぇ?」  跳躍しようとして……腰辺りに何かが抱きついた。背筋を走る悪寒。見る。目が合った。長い黒髪の女、死に装束を纏っている。そいつは今まで水の中に潜っていたんじゃないかと思うほどにびしょ濡れだった。  濡れ女。牛鬼と共に現れる、異形。  見上げる。既に迫ってくる攻撃は避ける事もできず、受ける事もできない。 「  」  ぽつりと、抜け落ちた記憶。俺はなんと呟いたのだろうか。気付く前に体は地面に倒れていた。体から色んなものが抜けていく。牛鬼のニタニタ笑い。そこに容赦も慈悲もなく、糸で操られた八本の足は俺に向けられる。  酷く理不尽だ。  両親を殺されて、死体を弄ばれて、海晴が刺されて。 「         !」  自分の声が聞こえない。ニタニタ笑いが、四方八方から振り下ろす。  俺は何を勘違いしていたんだ? 『嬉や、嬉や、』  俺は立っていた。刀を縦に振り、横に振り、まるで中空に呪文を刻むかのように。理解できない術の羅列が頭を駆け抜けるが、それを理解する必要はない。ただそれが正しいと言う確信だけは持っていた。  魔力が走って銀の手甲が輝く。  鬼を殺すには、五画星だけでは足りない。 「多魔ヲ退ケル五画星ト退魔ノ九字ヲ此処二」  鬼を殺すには、二つの術式が要る。  頭が壊れるぐらいとびっきりイカれた術式が。 「数多ノ御霊ヲ喰ライ、吸イ尽クシタ年月ヲ此処二」 『“禁断”まで手に入れおったわ!』  視界が歪んだ。血の鉄味から美味へ。耳には雑音。肌には熱気。鼻腔に悪臭。  それは呪いに等しい力。  狩り尽くし、奪い取ったものを全て吐き出す術式。  人ではなく根源、神の持ち物。 「――“狩レ”」  言葉が引き金となり、一瞬前の風景が残像となった。  残ったのは瓦礫の山と、軋む体と、牛鬼。すっかり平たくなった場所。見上げても巻き上げた砂塵が月を多い、闇だけが広がっていく。勝ったのだと確信した。牛鬼の体の右半分は消え去り、目は白目を剥いている。  ただ、左半分だけで顔はニタニタ笑いを作っていた。 「死んでも笑ったまんまかよ……」  勝ったけれど。 「俺の――」  その勝利は今まで味わった事がないくらいに。 「勝ちだ……ハ、ハハハ」  快感で。 「アーッハッハッハッハッハッハハハハハハ――」  空虚。  勝っても手元に何も戻らない事が分かった。勝っても手元に何も残らない事が分かった。  戻れない。残れない。  夜ではない闇に空虚でトチ狂った俺の笑い声が響き渡る。瓦礫の陰で、何かが動く。俺は笑いながらそっちを向いた。そこに居たのは小さな女の子。纏う気配は牛鬼と何処となく似ている。“異形”の気配を感じ取った。  笑いが止まらない。  しゃがみ込む女の子のところまで近付く。消し飛ばなかった壁の後ろ側にしゃがみ込んで、女の子は居た。瓦礫の下敷きになっているのは男と女。もう息は無い。死んでいるのは明白だった。だけど女の子は必死に、その華奢な腕で瓦礫を退かそうと頑張っていた。哀れな姿だな、と思った。倒れそうになった体を立たせて、それに近付いた。 「どうした?」  足元で何か砕ける。ガラスを踏んだらしい。女の子が顔を上げる。 「い、や」  女の子は、怯えているようだった。手を差し伸べても震えながら首を振るだけ。どうしたのだろう。一体何が怖いと言うのだろう。一歩近付くと、女の子も一歩下がる。 「なにを怯えてるんだ。ほら――」  差し伸べる手はついには弾かれて、突き飛ばされた。 「いたっ……」  尻餅をついて、掌には鋭い痛みが走った。ガラスの破片が刺さっていた。よくよく見てみる。それは鏡の破片だった。  小さいその破片達は俺を映す。  ――ニタニタ笑い。  なんだ。 「今度は」  俺が牛鬼。 「――バケモノ」  ノイズが走って、映像が乱れる。 「助けて、あげましょうか?」  女の声。 「――の代わりに……は、一生――ですからね?」  少しずつ映像が闇に消えていく。 「   」  最後に。  白い部屋で誰かが微笑んでいた。 「そこまでだ」  虚空に響かせる声。景色が消し飛び、女の子の姿も無くなる。静かな闇の中。  闇の中に響き渡る音。そっちを向く。俺は手甲も刀も持っていない。否、この場において存在する事さえもできない。術式がなければ延々と最後の瞬間まであの景色を見せられ続けられただけ。闇を睨む。  響き渡る音は徐々に近付いてくる。  蹄の音。 「夢魔――それもナイトメア」  呟くと、そいつが形を作った。スラリとして、それでいて剛健な脚。闇よりも闇らしく美しい鬣と尾。蹄の音は雄雄しく、誇り高く、底抜けに不気味。けれどそいつには首や顔は存在していない。  無形の悪夢。  しかしこれは厄介だ。  夢魔、それは大別して悪夢と淫夢に分けられる。後者は有名なサキュバスやインキュバス、アルプ、その辺を指す。淫夢を見せて人を惑わし、精気を喰らい尽くす。数は多いが大概下級で、しかも人から精気を奪い、喰らい尽くすのに時間が掛かる為、退魔士に発見されやすい。しかも夢見るものが一定以上の精神力を有していたら登場する事すらできない。  対して、前者。ナイトメアと呼ばれるものは全て上位。そして数が少なく強力。主食は不明、精気だか夢だかを食べ物にしていると聞くが、ナイトメアは理性を持って人と接触する事がないので証明できない。なので、ナイトメアについては謎が多い。  特筆すべきは高等な精神干渉。精神力がいかに高かろうと、脆い部分からつついて壊す。しかも人を殺すのに必要な時間は一晩。退魔士が討伐するのに苦労する異形の一つ。  特に退魔士なんかは、夢の中に出られたらどうしようもない。なんせ夢の中だ。異形の知識があろうと術式の知識があろうと体術に心得があろうと、ここは夢の中と言う、敵の敷地内。 「俺の悪夢がそんなに美味そうだったのか、えぇ?」 「……――」  ナイトメアは答えない。蹄の音を響かせて俺に歩み寄ってくる。  だけど特に恐怖は無い。  こういう専門外に対して俺は無力であり、 「……――ッ」  専門家に任せるのが一番だ。  ナイトメアの体が一瞬で半分消失する。体を持っていかれてバランスを崩し、ナイトメアは闇に倒れる。そこに追い討ちをかけるように小さな影が飛び掛った。ナイトメアも負けじと影に応戦しようとするが。 「……」  力の差を知ったのか、一歩退く。 「――」  それから丁寧にその影に一礼をすると、蹄の音を響かせてどこぞへと去っていった。小さな影は俺を見て、ふん、と鼻で笑いやがった。そいつは、ただの黒猫だ。黄金の双眸がらんらんと闇の中で輝いている。  そいつはニヤリと笑う。 「危ない所じゃったな」  可愛い外見とは相反するような、いや、可愛い外見をぶち壊すような渋い声。 「ああ」 「しかし退魔士がナイトメアに憑かれるなんぞ、たるんでいる証拠じゃ。精進することじゃな」 「……相変わらず説教クセェな、黒猫」  名前なんて無い。そいつの名は黒猫――異形であり、使い魔であり“獏”。姿は主の趣味らしい。  本来無形の異形である夢魔の獏。そいつらは人の夢を糧にしているため、害のある異形ではない。しかし使い魔として使うような物好きは早々いない。夢魔は形を持たないので、例えなんらかの術式で姿を与えても物理的な戦いを強いる事ができない。姿を与えた所で強化されるわけでもないからだ。 「大方、夢を覗き見しようとして偶然こうなっただけだろ」  が、夢魔は夢魔を追い払う際に非常に有効である、と言うことは否めない。夢魔は異形の中でもそれなりに力関係を重んじる。なので上位の夢魔を所持するというのは悪い事ではない。  説教臭くてたまったもんじゃないが。 「ふん。悪夢に誑かされてる半人前が。どうせならば恥辱に塗れた淫夢に堕ちれば眼福を得られたと言うに」  ……スケベ爺め。 「なんじゃ? スケベと言ったか小娘」 「なぁんにも。もう追っ払ったなら起きてもいいよな?」  まて、とか黒猫は言っているが聞いてやる通りもないので覚醒へ向かう。  あのナイトメアのせいで余計な事を思い出してしまった。禁断と牛鬼が呼んでいた術式とか、沢山殺してしまったこととか。  海晴の顔を見よう。  涙の痕は、ちゃんと消して。  でも本当はどうなのだろう。  ねぇ、私は狂っていないよね? ---- [[一覧に戻る>小説一覧]]

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