五十嵐亮太
- 1997年ドラフト2位で指名、入団する。
巨人の高橋由伸、中日の川上憲伸、元阪神の井川慶、広島の倉と同期入団。 - 持ち球は158km/hを記録したストレートとフォーク。日本屈指の速球派投手。
- 「球界のキムタク」と呼ばれ古田とスマスマに出演し、実際に木村拓哉と対面も果たしたこともある。
- 料理の最中に指を切って長らく離脱したことも…。
- プロ入り後の1998年に10試合に登板。戸田軍で優勝に貢献し、ファーム日本選手権ではMVPを獲得した。
- 以降、制球難や故障などに苦しんだものの、2000年には中継ぎだけで11勝(4敗)。オールスターゲームにも初出場。
- 2002年は同僚の石井弘寿と共に「ロケットボーイズ」を形成。中継ぎエースとしてチームに貢献し、プロ入り初めて開幕からシーズン終了まで1軍で過ごした。
- 2004年は石井弘寿が故障してしまい、ストッパーに指名される。このときに158km/hを記録。9月20日の阪神戦で矢野の対して3球連続を含め、4球158km/hを計測した。
158km/hは日本人選手では今でも最速記録である。 - しかし2005年は大腿部を故障、2006年には右肘靭帯断裂で手術を受け、2007年は丸ごとリハビリの日々…。
- 2008年、新たに監督に就任した総統は、リハビリを終えた五十嵐を守護神に指名。
開幕戦で早速神宮のマウンドで登板し復活した姿を見せるも、1日で肉離れを起こし故障(ノ∀`)アチャー。守護神の座をイムに譲ることに…。 - 1ヶ月弱の調整を経て、村中の例のノーノー未遂の試合に登板するも失点をし、試合後のやくせんではノーノー失敗の悔しさやら何やらで交代のタイミングを誤った首脳陣とともに叩かれる始末w
- 再復帰直後は失点することも多かったが徐々に本来の姿を取り戻していき、やくせん住民はかつての中継ぎエースの復活に感動。
「MOLに五十嵐を加えたIMOL結成や!」との声もあがった。 - しかしピッチングスタイルは故障以前の「時々フォーク、ストレートで勝負」から、「ストレートを見せ球、フォークで勝負」するスタイルへ。
それでもシーズン終盤は、ストレート最速157km/hを投げるまでに回復した。 - 2008年は44試合に登板し、3勝2敗3S 12HPで防御率2.47。
投球回数 43回2/3で与死四球は9と、かつての四球から自滅のパターンは遠い昔のお話しに。 - 2008年8月に国内FA権を取得。シーズン終了後、球団フロントと複数回の交渉した結果、FAを行使せず1年契約で契約更改。
- 2009年はキャンプ早々インフルエンザで離脱するも、シーズン開幕からフル稼働。クローザーのイムへ繋ぐセットアッパーとして、150km/h超のストレートと140km/h前後のフォークを駆使し安定した投球を続け、6月21日の西武戦で21試合連続無失点の球団新記録を樹立した。(それまではイムが5月17日に記録した20試合連続。)
- その一方で2009年6月15日に海外FA権を取得。オフの動向が注目される。