アルカでは
名詞・
形副詞・動詞は同じ
不定詞という語形である
動詞であるとマークするためには不定詞に時相詞を付ける
つまりアルカでは動詞は「不定詞+時相詞」の形で初めて完成し、不定詞だけでは動詞にならない(但し繋辞を除く)
動詞を作る際に必要なもの。「じそうし」と読む
時制(テンス)と相(アスペクト)を表したり、希望、可能、依頼などのモダリティを表したりする
前者は純時相詞で、後者は法時相詞という
尚、不定詞と時相詞の間には「-」が入る。(注 「-」はあくまで転写文字
「-」は動詞媒介といい、音は無い。同時に、これが動詞のマークにもなる
つまり、「不定詞+-(動詞媒介)+時相詞」でようやっとひとつの動詞になる
時相詞は母音から始まり、子音で終わる
テンスは時相詞の母音部分が担う。アスペクトは時相詞の子音部分が担う
アスペクトは省略できるが、テンスは省略できない。したがって少なくとも時相詞は母音部分を持つ
アルカのテンスは5種で、上に挙げた過去、現在、未来、通時、否定である
全て時相詞の母音で表わす。順に
a,
i,
o,
e,
uで表わす。たとえば
aは過去である
通時とは現在も過去も未来もないもので、普遍の真理や永続的な性質を表わす。たとえば「男」のような不変の性質がそうである
ただ、これは厳密ではない。年齢や性格のように可変なものでも通時を使うことがある
永遠に15歳であるはずがないのに現在でなく通時を使うことがある
いま15歳だという事実を強調しない言い方で、無時制の状態である
性格を現在形で表すと、今だけその性格を振舞っているという解釈に取られるときがある
fis,
ti it ank(君、今日は可愛らしいね)
否定はデフォルトでは通時を否定したものである。よって厳密にいえば時制は4種といえなくもない
否定はその根源的意味からして、時間を表わしていない。そこで他の時制と組み合わせることができる
つまり、
au,
iu,
ou,
euがありえる。ところが実際否定は
iuか
euのつもりで使われることが殆どなので、無標では
iuか
euを表わす
したがって、複合した形は
au,
ouが多い
アスペクトは5種で、将前相、開始相、経過相、完了相、影響相がある
時相詞の子音部分で表わす。必ずテンスの後に来る
アスペクトは必須要素ではない。無ければ無相となり、これをアオリストと呼んでいる
※将前相
例えば3時に出発という行為を行うとすると、3時が行為の開始時点になり、2時や1時は行為の開始より前の時点になる
2時は3時の出発に向けて準備をしている段階である。この2時という時点に焦点をあてたアスペクトのことが将前相である
※影響相
行為の終了時点で完了した行為の影響が行為の終了時点以降も続いていることを示す。
代表例は「着る」や「開ける」である。「彼女は学校で赤い服を着ていた」の「着る」は彼女が自宅で行った行為の結果残存である
自宅で完了した「着る」という行為の結果、彼女は「赤い服を着ている」という状態を獲得した
そしてその状態を保ったまま彼女は学校に来たということを表わしている
モダリティを表わす時相詞で、テンスやアスペクトは表わさない
法時相詞が来るときはテンスも省略することができる。この場合、テンスもアスペクトも不明ということになる
法時相詞は全て母音+子音の単純な組み合わせで出来ていて、純時相詞と形が似ている
これらは組み合わせて使うことができる。必ず順番は法→純である
たとえば不可能は
ulだが、これだけでは時制が分からない。文脈依存で時制を読み取るしかない
その曖昧さを解消するために純時相詞を後続させることができる。たとえばテンスを後続させて、
ulaとすることができる
そこに更にアスペクトを足すこともできる。たとえば完了を足すと
ulakとなる
動詞は不定詞+時相詞からなる
2語から成るので2つのアクセントがあるが、2語が1語に融合しているので、片方のアクセントが生きる
残るのは時相詞のアクセントである
アルカのアクセントは第1音節に置かれる拘束アクセントなので、時相詞の第1音節にアクセントが置かれることになる
たとえば
so-ulakだと、アクセントが置かれるのはulという音節、とりわけuという母音部分である
アルカの動詞は全て他動詞である。to existは
xa-eだが、主格には居る人、対格には居る場所を取る
to rainは
eks-eだが、主格には雨を降らせる人(神)、対格には雨が降る場所が来る。但しふつうは両者を省略する
I ranは
an lef-aという。
lef-aはranと違って他動詞で、対格には走る場所が来る
an lef-aと言ったときは単に対格が省略されているだけである
では、落とすと落ちるの違いはどう表すか
他動詞はあるから
an met-a pap(私はコップを落とした)のように、「落とす」の方は容易に表現できる
だが
met-eは「落ちる」ではないので、
pap met-aは不可。「コップが何かを落とした」という意味になってしまう
落ちるを表すには繋辞を使う。主語はコップなので
papが文頭に来る
動詞は繋辞を使い、過去形なので
atにする
そして対格に
metを持ってくる。結果、
pap at metになる
直訳すると「コップは落ちたものである」という意味になり、これで「コップが落ちた」を表す
この造りは不活格言語に類似している
仮に
atが動詞でなく不活格で、
metが対格でなく意味上の動詞だとすると、活格言語と同じ形式になる
ただ、アルカ的には
atがあくまで動詞で、
metは対格でしかない
アルカでは「座る」「寝る」のような絶対自動詞は再帰形を取る。仏語のse coucherと同じである。
一方、同じ絶対自動詞でも「ある」「いる」のようなものは対格に場所を取る他動詞になる。
「開く・開ける」「落ちる・落とす」「消える・消す」など、相対自動詞を持つ場合、
今挙げた
metのような「主語+繋辞+意味上の動詞」の語順になる。
そして「ひらく」のように自他両用な両用動詞に関しては、他動詞はそのまま他動詞として使って良い。
たとえばひらくの他動詞「彼はドアをひらいた」は
la hom-a omiで良い。
一方「ドアがひらいた」のような自動詞用法の場合、相対自動詞と同じく
metと同じ構文を取る。
即ち「主語+繋辞+意味上の動詞」であるから、
omi at homで「ドアがひらいた」の意味になる。
因みに、意味上の動詞としての
metは文法的には
asa(モノ名詞)ではなく、
ona(先天完了自然名詞)という
tu et miik(これはリンゴだ)というときの対格は
asaだが、
pap at metというときの対格は
onaである
文法上、両者は区別されている。だが、アルカを使用する際、両者を区別して意識することはないのでこれは理解しなくて良い
アルカは独自の語法を持つので、日本語からの類推ばかりに頼っていては間違えてしまう
同じ自動詞でも「死ぬ」は上の形式を取らない
「彼は死んだ」は
la at vortではなく、
la vort-aである
これは
vort-eと「死ぬ」の語法が異なるために起こる齟齬である。日本語に頼らないことが肝要である
vas tu et fon(この戦いは長い)という場合のfonは形容詞ではないので注意
アルカの形容詞は名詞しか修飾しない。つまり限定用法しかない。叙述用法の場合、形容詞ではない
この
fonは上述の
onaで、「長くされたもの」を意味する
vas tu et fonは厳密にいえば「この戦いは長くされたものである」という意味を表す
fonが
onaである以上、
vas at kitなどと同じ構文といえる
したがってアルカでは英語の自動詞文と形容詞の叙述用法が同一の手段で表されるといえる
ただし、非常に複雑なので、これも理解する必要はない
1:複合時制
2つの時制を組み合わせたもの。全部で3種類ある
過去から現在までをまとめた大きな無相の
-ai
例:
esk-ai(さっきも雨が降っていたし今も降っている)*継続ではないので途中で止んだ可能性もゼロではない
現在から未来までをまとめた大きな無相の
-io
例:
an laf-io ti(いまもあなたが好きだし、これからも好きだ)*ふつうは
laf-eを使う。むしろいま好きになったイメージ
過去から未来までをまとめた大きな無相の
-ao
例:
an fad-ao fina xite(私はこれまでも家族のために働いてきたし、これからもそうだろう)*
fad-eを厳密に述べた感じ
アオリスト(無相)を連結して複合させているので相は付かない。-aisなどは不可の様子
2:複合否定時制
複合時制に更に否定が付くことは理論上可能だが、母音が3連続になってしまう
不定詞が開音節だと4母音続いてしまうし、不定詞が2重母音等で終わっていれば更に母音が連続してしまう
そこで-aiu,-iou,-aouのような形はふつう使われず、副詞の
osで否定を示す
最終更新:2007年12月11日 17:00