im(1) /// / 時点:3 \ 13:
seren:
klel:
sidでは
imaが時間の疑問詞 \ 時点、時間、時刻。時間や時点のことで、「時(とき)」そのものは
melと呼ぶ \ [
pea ] \ (時点格)~に \ [
vetyolom ] \ 確定条件。
olは不確定だが、
imは確定条件。
t im kのとき、
keは既に行われているが、
t ol kのときは
kはまだ行われているとは限らない \
imは時点、
imaは時間、
melは時 \ 時点と時間を表わす \ 時間量はimでなく
du \ 定量・不定量は取れない。指示・時刻・日付は取れる \ imは節や語も取れる。この場合、「~のとき」と訳して考える \ imは
sa,
siなどと違って厳密に一つの時点、即ちその動詞が行われる時点しか指さない \ 時間が問題になりやすい過去の文や
akt-eなどはimを取りやすい \ 時制が通時のときは時間が問題にならないのでふつうimを取らない \ 惕 \ imは時点と時間を表わす。時点はその動詞が起こる幅のない時を表わす。時間はその動詞が起こる幅のある時を表わす。たとえば「7時に」という場合は幅のない時なので時点であり、「7時間」という場合は幅のある時なので時間である。名詞では時点は
imで時間は
imaであるが、格詞では中和されてimしかない \ 尚、時間量はimでは表わせない。時間量は
duで表わす。時間は時間量と同一視されることが多いため、事実上フクは時点を表わし、
duが時間を表わすといえる。するとimと
imaは格詞で完全に中和しているとは言いがたい。だが、いずれにせよimと
imaの区別は格詞のimにはなく、更に時間量は
duが表わす \ imはその動詞が行われる時点や時間を表わす。そもそも時間には下位区分がある。まず、時分秒や日週月年という定量の時間がある。更にすぐ、ずっとといった不定量の時間がある。また、昨日や今日や現在といった指示的な時間がある。また、時刻という時間と、年月日という日付としての時間がある \ このうち、imが取れるのはその動詞が行われた長さを示すものではない。どれだけその動詞が行われたかは
duが表わす。ゆえに時間の長さを述べる定量や不定量は取れない(1)。だが指示的な時間と時刻と日付はその動詞がいつ行われたかを示すのでimが取れる(2) \ 昨日という時は点的に見れば時点であるが、線的に見れば時間である。imは時点も時間も中和しているので、どちらの意味に取るかは文脈による \ (ァ)×
an vat-a ti im ko fea →
an vat-a ti du ko fea(一時間君を待った) \ (2)
an akt-a ti im fas [
fea ko ][
zan\
ral ](昨日[一時に][ザナの月ラルドゥラの日]に君に会った) \ また、imは時間を表わす語以外を取ることもできる。imが節の場合もあるし、imの後に名詞がくることもある(3)(4)。これは「~のとき」を補って考えるものである \ (3)
an akt-as la im ti kap-i an(君が私に電話したとき、私は彼と会っていた) \ (4)
la at ank im miv(彼女は子供のときは可愛かった) \ 尚、時点を表わすものは
imの他に
sa,
siなどがある。これらは「~前に」「~後に」という意味で、基準となるある時点から時間的な距離を隔てた別のある時点を示す。だが、imには基準となる時間がない \ むしろimそのものが基準となり、別の時点は存在しない。imは
sa,
siと違って一つの時点しか問題にしない。これが相違点である。imは純粋にその動詞が起こる時点という唯一の時点を表わすだけである \ 同じことは
al,
ilにも言える。これらは時間の起点と終点を表わす。起点と終点ということは
al,
ilは時間軸上で移動と方向を持つといえる。だが
imには時間軸上の移動も方向もない。この点で
imは
al,
ilとも異なる \ また、imは随意格である。imを取りやすい動詞は時点が問題になりやすい動詞である。
akt-eなどはimを取りやすい。また、過去の繋辞文も具体的にいつのことだか述べるためにimを取ることが多い。逆に時制が通時を取るときは時点が問題にならないのでimを取ることはない(5)。仮に(5)の私が性転換をして男になった場合、通時でなくなるのでimが使える(6) \ (5)
an et fan \ (6)
an at fan im miv.
tal an it fin im tiz \
最終更新:2007年11月16日 21:52