前クミール・アルカは、1994年末頃~1996年頃に使われた古アルカである。第二改定を経て、統語がSOVからSVOに変化した。

音声

次第に音韻が定着。

文字

これまでは、新語が作られてもすぐに表意幻字が作られないという状況だったが、それでは困るため、できるだけ早く新たな幻字が考案されるようになった。

リーザが先代アルカからツンクガコンを輸入した。セレンとリディアは独自に英語の感嘆符と疑問符に当たる文字としてテンペラクーノステイラを作った。

語彙

音象徴の登場により、次第にアルカ独自の語彙が作られるようになる。英語由来の語彙はなどの自然言語由来語彙は排他されはじめた。これにより形容詞が発達し、SとOの長さが伸びたためSVO語順への変化が促された。
エクスプローダーや時制などの機能語も発達した。

音象徴の誕生

前期の語彙は自然言語に依存する点が大きかった。ところがその状況は中期になって一転する。中期になると使徒によるアルカの音象徴が創造された。このとき特に貢献したのがリーザ(当時25歳)、リディア(当時10歳)、セレン(当時13歳)、メル(当時5歳)の4 人である。メルは特に古アルカ音象徴をもたらしたきっかけを生んだということで貢献度が高い。
そもそも古アルカに音象徴が生まれたのはとりわけ年少者であったメルがアルカを上手く利用できないということがきっかけだった。当時のアルカはアルカだけでは意思疎通が難しく、使徒は各々の共通する言語を取り混ぜながら意思疎通を図っていた。大概は語学力の高い使徒がそうでない使徒に合わせていた。たとえばセレンとリディアではセレンが拙い英語で喋るか、リディアがセレンの英語よりは遥かに良い日本語で喋るかという言語状況だったため、リディアが日本語を混ぜながらアルカを喋っていた。
ところがメルはセレンやリディアと共通する言語が英語しかなく、その英語もリディアやセレンの訛りとは随分違ったものであった。また、当時年少者だったメルをセレンとリディアは特に可愛がっていたため、メルはセレンやリディアとの接触が多かった。3 者に共通するのは英語であり、実際に訛りだらけの英語とアルカが混用された。セレンとリディアはメルにアルカを教えたがっていたため、積極的に英語をメタ言語にしてメルにアルカ
を教えようとした。ところが当時のアルカの語は自然言語や初代アルカ先代アルカに由来するものばかりであり、それらは恣意的なため、メルは語義の理解に苦しんだ。
そんな折、セレンとリディアはメルがオノマトペの習得は容易に行うという事実に気が付いた。更にメルは自分のわからない語をどうにか伝えようとするとき、それをオノマトペらしき音を使って表わしていた。これを見たセレンとリディアはオノマトペを利用してメルにアルカを教えようとした。
ところが、セレンが教えると日本語のオノマトペの体系を用いてしまい、リディアが教えるとフィンランド語などのオノマトペの体系を用いてしまう。更に悪いことに両者は英語のオノマトペの体系を満足に習得していない。日本語のオノマトペでは濁音は清音に比べて「重い」「汚い」「悪い」「大きい」といったイメージがあり、「ドンドン」のほうが「トントン」より大きな音のような気がする。仮にセレンがその体系にしたがってメルにオノマトペを教えたら、次にリディアが教えたときに齟齬を引き起こすかもしれない。というのも、フィンランド語のオノマトペの体系は日本語のそれとは異なるからである。
だが、当時のセレンやリディアにオノマトペの体系が言語ごとに異なるなどという知識はなかった。そこで実際はじめはメルに思い思いの体系を教えていた。ところが、メルはあくまで自分のオノマトペの体系を貫き通そうとするため、メルの頭は混乱しはじめた。この状況を重く見たリーザは3者に共通する新たなオノマトペの体系をゼロから作り上げることを決定した。
尚、リーザの狙いはメルの救済が主な理由ではなかった。リーザは当時のアルカの語彙が自然言語によるものばかりであることに不満を覚えていた。当初リーザは先代アルカのように自分が作った語彙を徐々に使徒に広める気でいたが、これが広まるより先に自然言語由来の語が定着してしまうのである。これでは様々な自然言語を混ぜ合わせたピジンにすぎない。リーザはアルカならではの語彙を望んだ。だが、どうしたらゼロから語彙を作
れるのかということがわからずに彼女は悩んでいたのである。
そんなときにリーザはメルの状況を見て、アルカなりのオノマトペを思い付いたのである。独自のオノマトペを作る過程で音象徴の体系を作り上げ、その音象徴を利用して今度はオノマトペ以外の語も作るというものである。
リーザのこの閃きは果たして大成功を収めた。音象徴を作り上げたアルカは次々と独自の語を生み出していったのである。その結果、オノマトペの数はあまり多くなくなってしまった。というのも、当時は語そのものが音象徴からできていたため、ある意味ではほぼ全てがオノマトペだったのである。そういう意味で純粋なオノマトペとただの語との線引きが難しく、オノマトペとはっきり言える語は少なかったのである。

推定語彙数

925語。
うち単純語439語でこのうち幻字が定まっているものは331語。他は複合語で、このうち409語は幻字による複合語である。また自然言語由来のものは63語で、残りは音象徴由来と初代アルカ先代アルカ由来のものである。
メル11年メルの月(2000年5月17日~6月13日)、リーザセレンリディアが1996年ごろに作られた『制定語彙』の中から、前クミール・アルカで使われたと推測される語彙の数を測定したもの。よって制定語彙作成以前に滅びた語彙、つまり自然言語由来の語彙の数はほとんど拾われていないので、もっと多かったと思われる。

文法

リーザが英語をメタ言語にして説明し、先代アルカから多くの機能語を流入させた。

統語

SVO語順、前置詞使用、形容詞・副詞は前置後置併用に変化。音象徴によって急激に語彙が増加し、形容詞などの修飾語が発達し、主語と目的語が長くなり、SとOの境界が分かりにくくなったため、SVO語順に変化した。そして前置詞が誕生した。形容詞は前置も後置もされるようになった。
修飾句は前置された。

動詞

エクスプローダー(助動詞)や時制が発達した。

エクスプローダー

動詞の後に「意思」や「可能」を意味する内容語をつけて「~できる」のような内容を表現したのがエクスプローダー(助動詞)はじまりである。以後エクスプローダーは急速に発達し、最大時で100種類以上あったという。
[en] 可能。~できる。
[lan] 希望。~したい。
[na]禁止。~するな。もともと前置されたが他のエクスプローダーの影響で後置されるようになった。
[jan]否定。後第一改定アルカと同様前置のまま。

リーザが先代アルカから時制やアスペクトを表す接尾辞を流入させた。これは「符」と呼ばれている。

大過去 過去 現在 意思未来
rado d ra s

継続相 完了相
tan dora

命令 弱い命令
re m

命令は敬意を表す接頭語miと組み合わせて使うことがあった。
[keko re] 来い
[keko m] 来て
[mi keko re] 来てください
[mi keko m] 来てちょうだい(小さい子供などに甘やかし口調で言うときぐらいしか使わない。)


前置詞

格標識として前置詞が生まれた。前置詞は内容語を文法化したものが多い。たとえば[kal]は「場所」という先代アルカだが、「私は学校で泣いた」という場合、当時はこれを「私は泣いた」と「場所は学校である」という2 文で表わしていた。即ち[del ena]と[kal de nalu:ta]である。この2 文を繋げると[del ena kal de nalu:ta]になるが、当時繋辞は頻繁に省略されていたため、これは抵抗なく[del ena kal nalu:ta]になっていった。もともと前第一改定アルカでは繋辞は使われていなかったため、繋辞の省略は抵抗がなかったのである。こうして前置詞は発達していった。たとえば時間を表わす[ima]も同様の手続きで文法化していったのである

例文

[del ena kal nalu:ta]私は学校で泣いた

著作物

このころになると使徒の論文が生まれてくる。『制定語彙』のような大きな文献はまだなく、使徒個人個人の持つノートやメモ書きにわずかに記録が残っていたが、中期に増えた使徒規則によってアルカに関する許可を取らない記述は全て保有したり作成したりすることが禁止されたため、前クミール・アルカに関する情報は許可されたもの以外はルティア家が全て保管していることになっている。

メル6年(1995年)ごろから『幻想話集アティーリ』の原形が出来上がってきた。しかし、神名表意幻字が整備され、原形を保つようになったのは、後クミール・アルカのころ『制定語彙』が出来た後のメル7~8年(1996~1997年)ごろである。この文献以後、神々の物語が徐々にアルカに現れたり記されたりするようになった。

文化

メル6年(1995年)に、それまで散在していたリディアによる空想のキャラクターたちがまとめてアルテと呼ばれるようになった。そういった登場人物は強大な力を持っているとされていたため、速やかに神格化がなされた。

参考文献

セレン=アルバザード"『アルカ』"
アルカの部屋 > アルカ 14|fav|zan
初代アルカ(1980)~2003/10/15当時の中期制アルカまでの歴史

最終更新:2008年04月20日 13:07