- 6.義を見てせざるは勇なきなり
「あ、あんた本気で言ってるわけ!?」
「おーぅ、本気も本気よー」
揺れる馬の上で、いつものように笑う日下部。
どうやら……本気らしい。
今からこいつは、帝の邸……宮廷に忍び込むそうだ。
……私を連れて。
「春宮って知ってるだろー? あの男前の」
「そりゃ、まぁ」
知るはずもないが、体の方の記憶には残っている。
春宮(はるのみや)……帝様の第一子、皇太子様のことだ。
男前なのは知らないけど。
「確か、病床に伏せてるって話だけど……」
「そうそう、酷い話だよなー」
「酷い?」
病気じゃどうしようもないでしょ。
この時代は瘧(おこり:マラリア性の熱病)が流行ってるってみゆきに聞いた覚えがあるし。
「それはまぁ表向き、本当はさ……盛られたのさ、一服」
盛られた?
塩とか?
「唐渡りの妙薬、って言えば聞こえがいいかな?」
「そ、それって……毒、ってやつ?」
「ご名答ー」
と、軽く言いやがった。
じゃあ何。
春宮が、毒殺されそうになったって? 一大事じゃない! 次期天皇陛下様よ!?
「まぁ大事には至らなかったけどさ、酷い話だぜー」
「でも……それが関係あるわけ? 天皇の邸に忍び込むのと」
「んー、ここまで来たらいいか」
妙にもったいぶる日下部。
「簡単簡単、春宮が居なくなれば誰が得をするか。って話」
「誰って……」
ここで一度、話を整理しよう。
現在の春宮は、帝と皇族の姫の子……それがもし死んだとしよう。
当然、次の春宮が決められる。
それは……春宮の、弟宮。
「そうか、左大臣家の……!」
天皇には二人の妻が居る。
一人は皇族の姫君、そして左大臣の姫君。
春宮が前者、その弟宮が後者ってわけ。
「そそ、調べはほとんどついてんだけど証拠がなくてなー」
なるほど、そこまでは分かった。
つまりは春宮……皇太子様が、左大臣家に縁のものに命を狙われてると。
なので忍び込んで、証拠を掴もうと……。
強引だなぁ相変わらず……だが問題がもう一つ。
「……ねぇ、そろそろいいでしょ? あんた、何者なわけ?」
「ふぇ?」
間抜けに開いた口から、八重歯が光る。
表向きに公表されない事実を、なぜ知ってるんだこいつは。
しかもそれを阻止しようと、今から宮中に乗り込むだなんて。
「もしかして本当に、春宮直属の……?」
「あははっ、どうだろーなぁー」
と、また笑って誤魔化された。
でももう、確信だろう。
そこまで知ってるやつなんて、それぐらいしか居ないじゃない。
はぁ……でもこんなヤツが、そんな大役だなんて。
「よっと、この辺でいいかな?」
馬の速度が遅くなり、人気のない陰で止まる。
そこから見える大きな邸が、その帝の邸らしい。
そのまま馬を飛び降りる日下部。
私もそれに習おうとするが、上手くいかなかったので手を借りた。
「よし、じゃあ行ってくるから」
「え……ちょ、ちょっと。私はどうすんのよ!」
「あー、最近は夜盗が多くてさ。馬がいつでも出れるよう待ってて欲しいんだよな」
夜盗はおめーだろ!!
「丑の刻(深夜二時)までに戻らなかったら、帰ってあやのに伝えてくれっかな?」
「何よ、それだけでいいわけ?」
「んー、これがなかなか適任が居なくてさー。見つかったときあやのの所だと顔見知りとか居て足がつきそうだし」
それで、顔の知られてない私……というわけか。
まぁ、それほど難しい仕事でもない。
これで昨日の失態がカバー出来るなら、いくらでもやってやろうじゃないか。
「んじゃ、また後でなー」
と気楽に駆けて行く日下部。
今から帝の邸に侵入する顔じゃないよなあれは。
いいや、丑の刻まであと一時間ちょっとか。
それまで呑気に待つことにしよう。
「おーぅ、本気も本気よー」
揺れる馬の上で、いつものように笑う日下部。
どうやら……本気らしい。
今からこいつは、帝の邸……宮廷に忍び込むそうだ。
……私を連れて。
「春宮って知ってるだろー? あの男前の」
「そりゃ、まぁ」
知るはずもないが、体の方の記憶には残っている。
春宮(はるのみや)……帝様の第一子、皇太子様のことだ。
男前なのは知らないけど。
「確か、病床に伏せてるって話だけど……」
「そうそう、酷い話だよなー」
「酷い?」
病気じゃどうしようもないでしょ。
この時代は瘧(おこり:マラリア性の熱病)が流行ってるってみゆきに聞いた覚えがあるし。
「それはまぁ表向き、本当はさ……盛られたのさ、一服」
盛られた?
塩とか?
「唐渡りの妙薬、って言えば聞こえがいいかな?」
「そ、それって……毒、ってやつ?」
「ご名答ー」
と、軽く言いやがった。
じゃあ何。
春宮が、毒殺されそうになったって? 一大事じゃない! 次期天皇陛下様よ!?
「まぁ大事には至らなかったけどさ、酷い話だぜー」
「でも……それが関係あるわけ? 天皇の邸に忍び込むのと」
「んー、ここまで来たらいいか」
妙にもったいぶる日下部。
「簡単簡単、春宮が居なくなれば誰が得をするか。って話」
「誰って……」
ここで一度、話を整理しよう。
現在の春宮は、帝と皇族の姫の子……それがもし死んだとしよう。
当然、次の春宮が決められる。
それは……春宮の、弟宮。
「そうか、左大臣家の……!」
天皇には二人の妻が居る。
一人は皇族の姫君、そして左大臣の姫君。
春宮が前者、その弟宮が後者ってわけ。
「そそ、調べはほとんどついてんだけど証拠がなくてなー」
なるほど、そこまでは分かった。
つまりは春宮……皇太子様が、左大臣家に縁のものに命を狙われてると。
なので忍び込んで、証拠を掴もうと……。
強引だなぁ相変わらず……だが問題がもう一つ。
「……ねぇ、そろそろいいでしょ? あんた、何者なわけ?」
「ふぇ?」
間抜けに開いた口から、八重歯が光る。
表向きに公表されない事実を、なぜ知ってるんだこいつは。
しかもそれを阻止しようと、今から宮中に乗り込むだなんて。
「もしかして本当に、春宮直属の……?」
「あははっ、どうだろーなぁー」
と、また笑って誤魔化された。
でももう、確信だろう。
そこまで知ってるやつなんて、それぐらいしか居ないじゃない。
はぁ……でもこんなヤツが、そんな大役だなんて。
「よっと、この辺でいいかな?」
馬の速度が遅くなり、人気のない陰で止まる。
そこから見える大きな邸が、その帝の邸らしい。
そのまま馬を飛び降りる日下部。
私もそれに習おうとするが、上手くいかなかったので手を借りた。
「よし、じゃあ行ってくるから」
「え……ちょ、ちょっと。私はどうすんのよ!」
「あー、最近は夜盗が多くてさ。馬がいつでも出れるよう待ってて欲しいんだよな」
夜盗はおめーだろ!!
「丑の刻(深夜二時)までに戻らなかったら、帰ってあやのに伝えてくれっかな?」
「何よ、それだけでいいわけ?」
「んー、これがなかなか適任が居なくてさー。見つかったときあやのの所だと顔見知りとか居て足がつきそうだし」
それで、顔の知られてない私……というわけか。
まぁ、それほど難しい仕事でもない。
これで昨日の失態がカバー出来るなら、いくらでもやってやろうじゃないか。
「んじゃ、また後でなー」
と気楽に駆けて行く日下部。
今から帝の邸に侵入する顔じゃないよなあれは。
いいや、丑の刻まであと一時間ちょっとか。
それまで呑気に待つことにしよう。
……。
遅い。
一時間を軽くこえ、もう二時間は過ぎようとしていた。
なのに未だに、日下部は帰ってこない。
ったく、適当にもほどがあるだろ!
……まさか、捕まってたりしないわよね?
いくら春宮の直属なんて言っても、帝なんてのはレベルが違う。
その邸に踏み込もうものなら反逆罪で島流し、最悪極刑もの。
そんなのに巻き込まれるのは正直ごめんだ。
とっとと峰岸のところに戻って報告しよう。
それで終わりだ。
私はこなたの邸にまた戻らなきゃ。
そうだ、次こそ破いた手紙を探すんだ。
いいじゃない、日下部のことなんて。
どうせ私の知ってる日下部とは違うんだ、どうなろうと私の知ったことではないじゃないか。
……なのに。
そのはずなのに、まだ体が動いてくれない。
駄目だ……心がいくら否定しても、あれは日下部だ。
体が違えど、私の知ってる日下部……そう認識したら、逃げられない。
……今私は、間違いを犯そうとしている。
安全な道があるというのに、あえて苦難の道を行こうとしている。
私が行って、何かなるわけ?
そんなはずないでしょ、一緒に見つかるのがオチよ。
そして極刑かはたまた島流しか。
そんなの駄目。
私は帰るんだ、平成の……本当の私の世界へ。
だからこんなところで道草を食っている場合じゃない。
とっとと探すんだ、鍵を。
私の失くした、何かを。
……でも、まただ。
足は、後ろには動いてくれない。
……。
ああ、そうだ。
私には、馬なんて操れない。
そう、きっとそう。
だから、日下部が居ないと帰れない。
そうだ、だから仕方なく、だ!
そう心に決め、覚悟も決める。
そして足を一歩、前に踏み出した。
2000坪以上もある邸は、塀も長い。
だがその分、門も大きく、目立つ場所に発見する。
その前には守衛が二名ほど。
……いいのか、私。
引き返せる最後のチャンス……でも足は、ただ前に進むだけ。
ああくそ、何とかならぁ!
大事なのは、勢いだ!
日下部の適当ッぷりがうつってきた!
「あいたたた!」
「!」
わざとらしく聞こえる声で呻き、門の近くでうずくまる。
すると想定どおり、何事かと守衛が寄ってくる。
はぁ……こんなことをしないといけないとは、情けない。
もう後戻りは出来ない。
いいわよ、やってやろうじゃないっ!
遅い。
一時間を軽くこえ、もう二時間は過ぎようとしていた。
なのに未だに、日下部は帰ってこない。
ったく、適当にもほどがあるだろ!
……まさか、捕まってたりしないわよね?
いくら春宮の直属なんて言っても、帝なんてのはレベルが違う。
その邸に踏み込もうものなら反逆罪で島流し、最悪極刑もの。
そんなのに巻き込まれるのは正直ごめんだ。
とっとと峰岸のところに戻って報告しよう。
それで終わりだ。
私はこなたの邸にまた戻らなきゃ。
そうだ、次こそ破いた手紙を探すんだ。
いいじゃない、日下部のことなんて。
どうせ私の知ってる日下部とは違うんだ、どうなろうと私の知ったことではないじゃないか。
……なのに。
そのはずなのに、まだ体が動いてくれない。
駄目だ……心がいくら否定しても、あれは日下部だ。
体が違えど、私の知ってる日下部……そう認識したら、逃げられない。
……今私は、間違いを犯そうとしている。
安全な道があるというのに、あえて苦難の道を行こうとしている。
私が行って、何かなるわけ?
そんなはずないでしょ、一緒に見つかるのがオチよ。
そして極刑かはたまた島流しか。
そんなの駄目。
私は帰るんだ、平成の……本当の私の世界へ。
だからこんなところで道草を食っている場合じゃない。
とっとと探すんだ、鍵を。
私の失くした、何かを。
……でも、まただ。
足は、後ろには動いてくれない。
……。
ああ、そうだ。
私には、馬なんて操れない。
そう、きっとそう。
だから、日下部が居ないと帰れない。
そうだ、だから仕方なく、だ!
そう心に決め、覚悟も決める。
そして足を一歩、前に踏み出した。
2000坪以上もある邸は、塀も長い。
だがその分、門も大きく、目立つ場所に発見する。
その前には守衛が二名ほど。
……いいのか、私。
引き返せる最後のチャンス……でも足は、ただ前に進むだけ。
ああくそ、何とかならぁ!
大事なのは、勢いだ!
日下部の適当ッぷりがうつってきた!
「あいたたた!」
「!」
わざとらしく聞こえる声で呻き、門の近くでうずくまる。
すると想定どおり、何事かと守衛が寄ってくる。
はぁ……こんなことをしないといけないとは、情けない。
もう後戻りは出来ない。
いいわよ、やってやろうじゃないっ!
そのまま私は邸の何処かの一室で看病されることになった。
まぁそんな好意も、今から台無しにするわけだが。
最初は数人の女房が看病していたが、狸寝入りするとすぐに姿を消した。
もう丑の刻を過ぎたあたりなのだから、眠いのも当然だろう。
私はそのまま行動を開始する。
とりあえず髪は邪魔だから、首元で一くくりに。
単もいくら着ていたって邪魔なだけだ、脱いでいこう。
はぁ……こなたにあれだけ小袖姿で歩き回るなって説教したのに、皮肉なものだ。
そんな格好で私は今、帝の邸を闊歩しようとしてるんだから。
ああいいわよ、恥はかき捨てよっ!
言っとくけど日下部のためじゃないから!
私が帰るためだから! と、誰かに言い訳しながら。
2000坪をゆうに超える邸は、さながら迷宮。
助かるのは夜中なので、ほとんど見回りがいないぐらいか。
にしても静かだな、この邸。
日下部が忍び込んだのがまだばれてない、ということか。
じゃあ何やってんだよあいつ!
人がわざわざ忍び込んだってのに!
いや、いいさ。確か左大臣あたりが怪しいと言ってたっけ。
じゃあ対屋?
だいたい寝殿造りってのは構造が一緒だから、大体の方角は分かる。
問題は……どうやって行こうかな。
このままどうどうと廊下を歩くのは……さすがに駄目か。
小袖姿の女房なんていないだろうしね。
仕方なく、庭に降りて縁の下に潜り込む。
はぁ……地面の土で手や服はドロだらけ。
何でこんな事をしてるんだか……。
「……は、どうなっ……」
「?」
適当に縁の下を四つん這いに進んでいる時だった。
上の部屋からボソボソと声が聞こえる。
こんな夜中に?
っとと、また悪い癖が。
昨日も聞き耳を立てて酷い目に……
「……春宮はまだ……」
「えっ」
その時、聞こえた。
今言った、確かに言った。
春宮……皇太子様のことを。
思わず聞き耳を立てると、さらに声が聞こえる。
男性と……女性が居るかな。
床下でも、耳をつければなかなか会話は聞き取れるものだ。
「それでは如何いたします? ……また毒を?」
「駄目ね、それじゃあ……次は警戒してくるはずよ」
毒?
今、そう言った?
日常会話で、普通毒なんて単語が出ると思う?
まさか……春宮を殺そうとしたっていう、毒?
じゃあ、まさか……。
この上に居る人物が、その犯人……。
あはは、まさか。
そんな都合のいい事がそうそう……。
「大変ですっ!」
その時、上の部屋から戸が開く音が響く。
「どうしたの、こんな夜中に騒がしい」
「そ、それが……夜盗ですっ!」
その言葉に、心臓が跳ねる。
ま、まさか日下部!?
とうとう、見つかったわけ!?
「具合が悪いと言う女性が居たので部屋で休ませていたところ……もぬけの殻でっ」
……。
違った。
私のほうか。
……ってやばいじゃん!
「起きてる雑色を警護に回しなさい、特に当今様の部屋には厳重に」
「はっ」
とテキパキと指示を出しているのは、女性のほう。
どうやら男性よりは此方の女性のほうが位が高いらしい。
……誰なんだ一体。
「ど、どうしましょう。まさか春宮の手のものが?!」
慌てているのは男性のほう。
こりゃ、小物かな。
「構わないわ、いくら嗅ぎ回ろうとも『これ』さえ見つからなければ……ってあら?」
「そ、そうですね……その『連書』があれば」
「な、ないっ!」
「へ?」
今度は女性のほうが慌てている様子。
ない? 連書?
連書ってあれよね、色んな人の歌を箇条書きにしたようなの。
テーマを決めて歌を詠みあう、宴の余興とかによくやってるやつ。
歌って言っても、この時代のは短歌だけど。
「や、やはり夜盗が!? 春宮様の手下がっ!?」
もう男性のほうはパニック。
どうやらその連書が、とても重要らしい。
でも、それがない。
まさか……日下部?
「や、邸の雑色を全て起こしなさいっ。門は全て閉鎖、縁の下までひっぺがしなさいっ!」
「へっ!?」
思わず声が漏れる。
そ、それはもしかして、非常にやばい?
てゆーかじゃあ、日下部は潜入に成功してその連書とやらを手に入れたわけだ。
なら……また私はやってしまったわけだ。
あのまま待っていれば、日下部は戻ってきたのに!
邸の様子はもう一変。
篝火は豪快に燃え、雑色は溢れ……さながら宴。
それも全て、私を探して……。
ど、どうしよう。逃げる? どうやって? と、とりあえずここはやばい、もろ縁の下。
え、えと。一番近い門はどれだっけ。
西門? そうだ、そっちに確かさっき入り口が見えた。
逃げるならまだ雑色が起ききってない今しかない。
伝令なんてのは命令してすぐに実行されるものじゃない。
数が多いならなおさら。
そうだ、今しかない。
西門から逃げて、えと……どうしよ。馬が居るのが北門だから、そこまで逃げて……。
ああ、だから馬なんて乗れないって!
いやもう、そういうのも後だ。
今は、ここから西門まで……走り抜けるだけ!
「居たぞっ、あそこだ!」
私が駆け出すのと同時に、声が響く。
それに反応し、雑色が集まってくるのを背中に感じる。
怖い……怖い、怖いっ!
捕まったらどうなる? 島流し? いや、さっきの女性の口ぶりだと極刑は免れそうにない。
それとも日下部が盗んだ連書の場所を吐かされる拷問の日々とか? 誰かSSにして!
いやでも、ここから見える西門には予想通り人がまだ集まってない。
この勢いで蹴れば、鍵ぐらい閉まってても壊せるはず!
大丈夫、いける! こんなところで私は終われないっ!
そうだ、絶対帰るんだ……皆の居るところに!
私の世界にっ! 絶対っ!
「!」
その時、だった。
私の顔の横を、『何か』が通り過ぎる。
空気を切り裂く音が耳を劈き、一瞬私の体が硬直する。
私の体を外れ地面に突き刺さるそれは……矢。
恐怖に体が固まり、地面に膝がつく。
「……外したか」
背後から声がする。
さっきのあの、男性の声。
ゆっくりと振り返ると、目があった。
そんな余裕なんて、あるはずないのに。
刻一刻と、雑色が邸を埋め尽くしていく。
もう、西門も雑色の壁で塞がれてしまった。
私の逃げ場はもう……ない。
「どうした? もう逃げぬのか?」
男性がゆっくりと私に向けて弓を引く。
もう、取調べなんてする気はない。
このまま私を……殺す気なんだ。
駄目だ。
殺される……!
「!」
ビンッと、弓を射る音がスローモーションで聞こえた。
ああ、死ぬんだ。
こんな、場所で。
こんな風に……。
「ぐはぁっ!」
「えっ……?」
だが、まだ頭には悲鳴が響く。
手も、足も何処も痛くない。
私はまだ……生きてる?
「ぐ、ぅ……」
見ると、私を射抜こうとしていたうずくまっていた。
その彼に突き刺さっているのは……また、矢だ。
どうして?
誰が?
だって今にも射抜かれそうなのは、私のはずだったのに……!
「いやはや、間にあったかー」
「!」
馬の蹄の音が響くのと同時だった。
そして私の体がフワッと宙に舞う。
出発の時と……同じ感覚。
「み……みさおっ!」
思わず声が張り裂けた。
しかも慣れない名前で呼んでしまった。
私を抱きかかえてくれたのは……日下部だ。
今はまた、馬の上で……その腕の中。
「まったく、動くなよーって言ってあったのにさー」
「し、仕方ないじゃないっ! アンタも戻って来なくて、一人で……」
さんざん文句を言ってやろうと決めていたのに。
さんざん殴ってやろうと決めていたのに。
なのに出たのは……涙だった。
「怖かっ……た」
安心と嬉しさから、緊張の糸が切れる。
あとはただ、その胸に顔を埋めて泣いた。
声を荒げて、みっともなく。
抱きしめてくれた左手が、ただ温かかった。
「あーよしよし、帰ろうなー。いい子いい子ー」
そして日下部がいつもの調子で笑いながら、私をあやす。
でもそれが茶化してるようにしか聞こえなくて……拍子抜け。
まぁそんな好意も、今から台無しにするわけだが。
最初は数人の女房が看病していたが、狸寝入りするとすぐに姿を消した。
もう丑の刻を過ぎたあたりなのだから、眠いのも当然だろう。
私はそのまま行動を開始する。
とりあえず髪は邪魔だから、首元で一くくりに。
単もいくら着ていたって邪魔なだけだ、脱いでいこう。
はぁ……こなたにあれだけ小袖姿で歩き回るなって説教したのに、皮肉なものだ。
そんな格好で私は今、帝の邸を闊歩しようとしてるんだから。
ああいいわよ、恥はかき捨てよっ!
言っとくけど日下部のためじゃないから!
私が帰るためだから! と、誰かに言い訳しながら。
2000坪をゆうに超える邸は、さながら迷宮。
助かるのは夜中なので、ほとんど見回りがいないぐらいか。
にしても静かだな、この邸。
日下部が忍び込んだのがまだばれてない、ということか。
じゃあ何やってんだよあいつ!
人がわざわざ忍び込んだってのに!
いや、いいさ。確か左大臣あたりが怪しいと言ってたっけ。
じゃあ対屋?
だいたい寝殿造りってのは構造が一緒だから、大体の方角は分かる。
問題は……どうやって行こうかな。
このままどうどうと廊下を歩くのは……さすがに駄目か。
小袖姿の女房なんていないだろうしね。
仕方なく、庭に降りて縁の下に潜り込む。
はぁ……地面の土で手や服はドロだらけ。
何でこんな事をしてるんだか……。
「……は、どうなっ……」
「?」
適当に縁の下を四つん這いに進んでいる時だった。
上の部屋からボソボソと声が聞こえる。
こんな夜中に?
っとと、また悪い癖が。
昨日も聞き耳を立てて酷い目に……
「……春宮はまだ……」
「えっ」
その時、聞こえた。
今言った、確かに言った。
春宮……皇太子様のことを。
思わず聞き耳を立てると、さらに声が聞こえる。
男性と……女性が居るかな。
床下でも、耳をつければなかなか会話は聞き取れるものだ。
「それでは如何いたします? ……また毒を?」
「駄目ね、それじゃあ……次は警戒してくるはずよ」
毒?
今、そう言った?
日常会話で、普通毒なんて単語が出ると思う?
まさか……春宮を殺そうとしたっていう、毒?
じゃあ、まさか……。
この上に居る人物が、その犯人……。
あはは、まさか。
そんな都合のいい事がそうそう……。
「大変ですっ!」
その時、上の部屋から戸が開く音が響く。
「どうしたの、こんな夜中に騒がしい」
「そ、それが……夜盗ですっ!」
その言葉に、心臓が跳ねる。
ま、まさか日下部!?
とうとう、見つかったわけ!?
「具合が悪いと言う女性が居たので部屋で休ませていたところ……もぬけの殻でっ」
……。
違った。
私のほうか。
……ってやばいじゃん!
「起きてる雑色を警護に回しなさい、特に当今様の部屋には厳重に」
「はっ」
とテキパキと指示を出しているのは、女性のほう。
どうやら男性よりは此方の女性のほうが位が高いらしい。
……誰なんだ一体。
「ど、どうしましょう。まさか春宮の手のものが?!」
慌てているのは男性のほう。
こりゃ、小物かな。
「構わないわ、いくら嗅ぎ回ろうとも『これ』さえ見つからなければ……ってあら?」
「そ、そうですね……その『連書』があれば」
「な、ないっ!」
「へ?」
今度は女性のほうが慌てている様子。
ない? 連書?
連書ってあれよね、色んな人の歌を箇条書きにしたようなの。
テーマを決めて歌を詠みあう、宴の余興とかによくやってるやつ。
歌って言っても、この時代のは短歌だけど。
「や、やはり夜盗が!? 春宮様の手下がっ!?」
もう男性のほうはパニック。
どうやらその連書が、とても重要らしい。
でも、それがない。
まさか……日下部?
「や、邸の雑色を全て起こしなさいっ。門は全て閉鎖、縁の下までひっぺがしなさいっ!」
「へっ!?」
思わず声が漏れる。
そ、それはもしかして、非常にやばい?
てゆーかじゃあ、日下部は潜入に成功してその連書とやらを手に入れたわけだ。
なら……また私はやってしまったわけだ。
あのまま待っていれば、日下部は戻ってきたのに!
邸の様子はもう一変。
篝火は豪快に燃え、雑色は溢れ……さながら宴。
それも全て、私を探して……。
ど、どうしよう。逃げる? どうやって? と、とりあえずここはやばい、もろ縁の下。
え、えと。一番近い門はどれだっけ。
西門? そうだ、そっちに確かさっき入り口が見えた。
逃げるならまだ雑色が起ききってない今しかない。
伝令なんてのは命令してすぐに実行されるものじゃない。
数が多いならなおさら。
そうだ、今しかない。
西門から逃げて、えと……どうしよ。馬が居るのが北門だから、そこまで逃げて……。
ああ、だから馬なんて乗れないって!
いやもう、そういうのも後だ。
今は、ここから西門まで……走り抜けるだけ!
「居たぞっ、あそこだ!」
私が駆け出すのと同時に、声が響く。
それに反応し、雑色が集まってくるのを背中に感じる。
怖い……怖い、怖いっ!
捕まったらどうなる? 島流し? いや、さっきの女性の口ぶりだと極刑は免れそうにない。
それとも日下部が盗んだ連書の場所を吐かされる拷問の日々とか? 誰かSSにして!
いやでも、ここから見える西門には予想通り人がまだ集まってない。
この勢いで蹴れば、鍵ぐらい閉まってても壊せるはず!
大丈夫、いける! こんなところで私は終われないっ!
そうだ、絶対帰るんだ……皆の居るところに!
私の世界にっ! 絶対っ!
「!」
その時、だった。
私の顔の横を、『何か』が通り過ぎる。
空気を切り裂く音が耳を劈き、一瞬私の体が硬直する。
私の体を外れ地面に突き刺さるそれは……矢。
恐怖に体が固まり、地面に膝がつく。
「……外したか」
背後から声がする。
さっきのあの、男性の声。
ゆっくりと振り返ると、目があった。
そんな余裕なんて、あるはずないのに。
刻一刻と、雑色が邸を埋め尽くしていく。
もう、西門も雑色の壁で塞がれてしまった。
私の逃げ場はもう……ない。
「どうした? もう逃げぬのか?」
男性がゆっくりと私に向けて弓を引く。
もう、取調べなんてする気はない。
このまま私を……殺す気なんだ。
駄目だ。
殺される……!
「!」
ビンッと、弓を射る音がスローモーションで聞こえた。
ああ、死ぬんだ。
こんな、場所で。
こんな風に……。
「ぐはぁっ!」
「えっ……?」
だが、まだ頭には悲鳴が響く。
手も、足も何処も痛くない。
私はまだ……生きてる?
「ぐ、ぅ……」
見ると、私を射抜こうとしていたうずくまっていた。
その彼に突き刺さっているのは……また、矢だ。
どうして?
誰が?
だって今にも射抜かれそうなのは、私のはずだったのに……!
「いやはや、間にあったかー」
「!」
馬の蹄の音が響くのと同時だった。
そして私の体がフワッと宙に舞う。
出発の時と……同じ感覚。
「み……みさおっ!」
思わず声が張り裂けた。
しかも慣れない名前で呼んでしまった。
私を抱きかかえてくれたのは……日下部だ。
今はまた、馬の上で……その腕の中。
「まったく、動くなよーって言ってあったのにさー」
「し、仕方ないじゃないっ! アンタも戻って来なくて、一人で……」
さんざん文句を言ってやろうと決めていたのに。
さんざん殴ってやろうと決めていたのに。
なのに出たのは……涙だった。
「怖かっ……た」
安心と嬉しさから、緊張の糸が切れる。
あとはただ、その胸に顔を埋めて泣いた。
声を荒げて、みっともなく。
抱きしめてくれた左手が、ただ温かかった。
「あーよしよし、帰ろうなー。いい子いい子ー」
そして日下部がいつもの調子で笑いながら、私をあやす。
でもそれが茶化してるようにしか聞こえなくて……拍子抜け。

人が泣いてるのに、この適当っぷり!
でもそっか……そんなやつよね、あんたって。
「き、貴様っ。何者だっ!」
日下部に腕を射抜かれた男性が、何とか雑色に手を借り立ち上がる。
辺りにはさらに雑色が増え始め、私たちを囲んでいく。
そうだ……この状況はまだ、何も変わっていない。
ど、どうするのよっ。
ってまた笑ってるしっ! ちったあ不安そうな顔しなさいよ!
「馬で乱入するなど無礼の極みっ! ここが帝様の邸と知っての行いかっ!」
雑色を掻き分け、先程の女性の声の主も現れる。
さらには弓兵も辺りに散らばり、私たちを狙う。
状況は最悪。
手は……尽きた。
でも、こうやって日下部の腕の中で死ねるなら……いいかな。
って何考えてるのよ私!
「痴れ者がっ!」
「!」
だがその時だった。
声が……響いた。
天を引き裂かんばかりの、大きな声。
それも日下部から、だ。
「なっ、何を……あぁああっ!」
その時、女性が何かに気がつく。
今の日下部の顔は、いつものふざけたものじゃない……威厳に溢れた、凛々しい顔つき。
その顔に少し……頬が染まった気がした。
「左馬頭、私を見忘れたか!?」
先程矢で射抜かれた男性が、声に反応する。
左馬頭(さまのかみ)……馬寮を取り仕切る長だ。
「貴様程度にお目通りなぞ許すはずもないだろう。だが、声くらいは覚えがあるだろう!」
「あ、ああ……!」
その男性も地面に膝をつく。
「雑色の中には僧侶も居ろう、度重なる法会で私の顔を覚えているものもいるであろうっ!」
日下部の声が響き渡り、全体を侵食していく。
法会(ほうえ)とは会合のことだ、僧侶がやる集会みたいなもの。
そして一人の僧らしき人物が……声をあげた。
でもそっか……そんなやつよね、あんたって。
「き、貴様っ。何者だっ!」
日下部に腕を射抜かれた男性が、何とか雑色に手を借り立ち上がる。
辺りにはさらに雑色が増え始め、私たちを囲んでいく。
そうだ……この状況はまだ、何も変わっていない。
ど、どうするのよっ。
ってまた笑ってるしっ! ちったあ不安そうな顔しなさいよ!
「馬で乱入するなど無礼の極みっ! ここが帝様の邸と知っての行いかっ!」
雑色を掻き分け、先程の女性の声の主も現れる。
さらには弓兵も辺りに散らばり、私たちを狙う。
状況は最悪。
手は……尽きた。
でも、こうやって日下部の腕の中で死ねるなら……いいかな。
って何考えてるのよ私!
「痴れ者がっ!」
「!」
だがその時だった。
声が……響いた。
天を引き裂かんばかりの、大きな声。
それも日下部から、だ。
「なっ、何を……あぁああっ!」
その時、女性が何かに気がつく。
今の日下部の顔は、いつものふざけたものじゃない……威厳に溢れた、凛々しい顔つき。
その顔に少し……頬が染まった気がした。
「左馬頭、私を見忘れたか!?」
先程矢で射抜かれた男性が、声に反応する。
左馬頭(さまのかみ)……馬寮を取り仕切る長だ。
「貴様程度にお目通りなぞ許すはずもないだろう。だが、声くらいは覚えがあるだろう!」
「あ、ああ……!」
その男性も地面に膝をつく。
「雑色の中には僧侶も居ろう、度重なる法会で私の顔を覚えているものもいるであろうっ!」
日下部の声が響き渡り、全体を侵食していく。
法会(ほうえ)とは会合のことだ、僧侶がやる集会みたいなもの。
そして一人の僧らしき人物が……声をあげた。
「はっ、春宮っ……日下部親王さまっ!」
その声が、私の耳に反響した。
あとはもう、雪崩式だ。
次々と雑色はバタバタと頭を下げていき、とうとう全ての人間がひれ伏す。
あと立っているのは……目の前の女性だけだ。
「毒入りのお粥は美味しかったですよ……お母様」
「く……っ、うぅ……」
その女性だけは屈服せず、まだ日下部を睨んでいる。
お母様?
そうか、分かった。
彼女こそ……左大臣姫君、その人なんだ。
つまり、自分の息子を春宮にしようとしていたのだ。
日下部を……貴族の姫君の正当後継者の、春宮を亡き者にして。
「苦労しましたよ、この連書を手に入れるのは……これで貴方も、終わりです」
とりだした連書を広げる日下部。
そこから見える文は、漢文混じりでよく読めない。
だが体のほうの記憶から、必死に読み解いていく。
そこにあったのは……確かに短歌だ。
でもその内容を読み解くだけで、それが何か分かる。
内容は簡略化すれば……全て、『春を待つ』という短歌。
新しい春、つまり新しい春宮を支持する。というわけ。
これはそう……連判状。
裏切りを防ぐための、結託の印だ。
つまりここに名前を連ねる人物全てで、春宮暗殺を企てていたのだ。
これであとはもう、芋づる式。
計画は全て、水の泡ということ。
「その二人は恐れ多くも春宮暗殺を企てた首謀者……捕縛せよ!」
「あ……はっはい!」
その日下部の声に周りの雑色が慌ててその二人を取り囲む。
もう抵抗する様子すら、なかった。
日下部の前にそれが通用しないと、肌で感じたのだろう。
「うっし、仕事終わりーっと」
凛々しい顔つきが、また緩む。
……まだ、信じられない。
こいつが、春宮?
次期……天皇陛下!?
あ、駄目だ。
疲れと眠気と衝撃で……意識が飛んだ。
「あ、あれ? お、おいっ。しっかりしろって! おーい!」
日下部の声だけが、私の頭に反響していた。
あとはもう、雪崩式だ。
次々と雑色はバタバタと頭を下げていき、とうとう全ての人間がひれ伏す。
あと立っているのは……目の前の女性だけだ。
「毒入りのお粥は美味しかったですよ……お母様」
「く……っ、うぅ……」
その女性だけは屈服せず、まだ日下部を睨んでいる。
お母様?
そうか、分かった。
彼女こそ……左大臣姫君、その人なんだ。
つまり、自分の息子を春宮にしようとしていたのだ。
日下部を……貴族の姫君の正当後継者の、春宮を亡き者にして。
「苦労しましたよ、この連書を手に入れるのは……これで貴方も、終わりです」
とりだした連書を広げる日下部。
そこから見える文は、漢文混じりでよく読めない。
だが体のほうの記憶から、必死に読み解いていく。
そこにあったのは……確かに短歌だ。
でもその内容を読み解くだけで、それが何か分かる。
内容は簡略化すれば……全て、『春を待つ』という短歌。
新しい春、つまり新しい春宮を支持する。というわけ。
これはそう……連判状。
裏切りを防ぐための、結託の印だ。
つまりここに名前を連ねる人物全てで、春宮暗殺を企てていたのだ。
これであとはもう、芋づる式。
計画は全て、水の泡ということ。
「その二人は恐れ多くも春宮暗殺を企てた首謀者……捕縛せよ!」
「あ……はっはい!」
その日下部の声に周りの雑色が慌ててその二人を取り囲む。
もう抵抗する様子すら、なかった。
日下部の前にそれが通用しないと、肌で感じたのだろう。
「うっし、仕事終わりーっと」
凛々しい顔つきが、また緩む。
……まだ、信じられない。
こいつが、春宮?
次期……天皇陛下!?
あ、駄目だ。
疲れと眠気と衝撃で……意識が飛んだ。
「あ、あれ? お、おいっ。しっかりしろって! おーい!」
日下部の声だけが、私の頭に反響していた。
(続)
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