• 12.名前で呼ぼう!


「すぐ出来るから、待ってて」
 炊飯器からご飯が炊き上がる音が聞こえる。
 それを聞くと、ようやく殻を取り除いた卵にツナの缶詰をぶちまける。
 あとは醤油やらで適当に味付けをして混ぜると、油を引いたフライパンに軽く投入する。
 その卵が薄い膜を作ったところで端によせ、もう一度卵を投入。
 それを繰り返していくと……見事な玉子焼きの完成。
「上手い、のね」
「……教わったんだ」
 誰に、とは彼女は告げなかった。
 でも胸から少し漏れた悲しみが伝わり、自分の失言を恥じる。
 またやるところだった……というかまたやったわけね。
 どうしてかな、気を遣ってるはずなんだけど……拗れちゃう。
「これでいいよね? 食べよ」
 ご飯が炊き上がるまでの間に、汚かった食卓は一応片づけが済んでいた。
 と言っても邪魔なのを別の場所にやっただけなんだけどね。
 そこにご飯をよそうと、並べる。
 ……二つ。
「ああ、食べられないんだっけ」
 皿を並べたところで、ようやく彼女が思い出す。
 食卓に並んでいるのは、大きな皿に乗った巨大な玉子焼き。
 あとはお箸が二膳に、ご飯が二つ。
 それと妙に具の少ないお味噌汁……何時の間にか味噌を見つけて作ったヤツね。
 それも勿論、二つ。
「もう、二度手間じゃん。言ってよ」
「あ、あははっ。ゴメンすっかり忘れてたわ」
 ……。
 もちろん、嘘。
 だから用意するときに黙ってたのは、認めよう。
 こ、ここからが大事よ。
 さっき味噌汁作り始めた時に思いついた作戦。
 それを成功させるには……うう、演技って苦手なんだけどな。
「あ、そ、そうだー」
「?」
 出した食器を片付けようとした彼女を呼び止める。
 棒読みで私の口から台詞が続く。
「せっかく二人分作ったんだし……お父さんも呼べば?」
「えっ」
 彼女の手が、止まる。
 私を見る目と沈黙が、痛かった。
「……何、それ」
 不機嫌なオーラが少しずつ滲みでる。
 伝わってくるのは苛立ち。
 その後に大きく、食器を叩きつける音が台所に響く。
「やっ、えと。あの」
「……」
「うっ……」
 少女に睨まれ、言い訳が続かない。
「嘘だったんだ。食べたいとか言って」
「そ、そんなつもりは……」
 なかった……というのは嘘になるか。
 あわよくば父親と仲良く食事できれば、という願望もあった。
 今まさにそれを見抜かれたわけで……。
「……もういいよ、少しでも同情した私が馬鹿だった」
 きつく言い捨てると、そのまま踵を返す。
「あっ、ま、待っ……」
「!」
 少女の足が止まる。
 だけどそれは、私の声を聞いたからじゃない。
 彼女が扉を開けるその前に、それが自然に開いたからだ。
「ん、こなた?」
「……っ」
 そこから現れた男性……父親を目の前にして、またあの感情が伝わる。
 それは戸惑い。
 今日二度目だから良く分かる。
 その奥にもう一つ……不思議な感情が見え隠れしている。
 それが多分、原因。
 親子の間に入る、邪魔な感情。
 これは……畏怖?
「おや、晩御飯作ってくれたのかいっ?」
 食卓の様子に父親も気がつき、少し顔を緩ませる。
 でもその表情にまた、心が揺れる。
 なんだろう……彼女は何かを恐れてる。
 父親を求める感情と相反したそれが、親子の間を拗れさせる。
「そっか、じゃあ一緒に食べようか」
「わ、私は……いいよ」
「何言ってるんだ、二人分用意してあるじゃないか」
「それはっ」
 と、言いかけて言うのを止める。
 まぁ幽霊なんて言ったら頭がおかしいと思われるわよね。
「とにかく、いいっ!」
 そしてまた、彼女は逃げた。
 これじゃあまるで、昼間の再現ね。
 今度はまぁ……私の所為なんだけど。
 でも材料がもう一つ……彼女が恐れる『何か』。
 多分それが分からないと、父親との和解は難しいかもしれない。
 ……ってそんな場合じゃないか。
「あ、あの……えっと」
 おずおずと部屋の扉を通り抜け、彼女の部屋に戻る。
 中には彼女が居た。
 ベッドの上で膝を抱え、座り込んだまま動かない。
 だけど声だけは聞こえたのか、顔を上げて私を睨む。
「……満足した?」
 その声に、心が跳ねる。
「良かったね、良い事したんでしょ? 善行ってやつを積んだんでしょ!? さぁ、とっとと出て行きなよ!」
 皮肉の混じった言葉に貫かれ、言い返す事も出来ない。
 私がしたのは善行でもなんでもない。
 自分勝手で自己満足な……蛮行。
 それを今更思い知らされて、恥ずかしさと申し訳なさで死にそうになる。
 ……もう死んでるけど。
「もう私に……関わらないで」
 そのまままた俯き、膝に顔を埋める。
 また私は、傷つけてしまった。
 伝わってくる悲哀と辛さに、言葉も出ない。
 どうして拗れてしまうんだろう。
 私はただ、この子と仲良くしたいだけなのに。
 なのに傷つけて……悲しませてしまう。
「……行きましょう」
「で、でもっ。かがみっ」
 天使にも声をかける。
 先程から慌てっぱなしだったが、私に声をかけるタイミングをことごとく逃していたらしい。
「また駄目だったみたい、これ以上は……一緒には居られないわ」
「宿主は彼女なんですよ? 一緒に居ないと貴方は……」
「そんなの……分かってるわよ」
 24時間だっけ? それ以上この子から離れると……私は消える。
 成仏するんだっけ?
 じゃあ、それまでにまた戻ってくればいいわ。
 この子に見つからないように、ね。
 それを繰り返せば……何とかなるでしょ。
 幸いこんな体だし、野宿したって誰が気にするわけじゃない。
 あとは地道に、ポイントでも貯めましょ……まぁこの子がエロゲ続ければ水の泡だけど。
「それでも、一緒には居られない……またきっと、傷つけちゃうもの」
「それは、逃げです」
 ……。
 珍しく、真摯な顔つきで私を見る。
 へぇ、そんな顔も出来るのね。
「傷つけたくないんじゃない……傷つきたくないから、でしょう?」
「……何よ、分かったような口聞くじゃない」
 そうだったわね……あんた、天使だったっけ。こんなんでも。
 でもそんな顔じゃ天使とは言えないかも。
 神々しさまで感じるその表情は……ははっ、馬鹿なこと考えるようになったわ私も。
「そうよ、悪い?」
 少女を見るのが、辛い。
 私が傷つけた彼女を見るのが、どうしようにもなく辛い。
 だって、それは私の所為。
 他の誰でもない、私の責任。
「あんまり私に押し付けないで……知ってるでしょ? 私って、弱いの。凄く、酷く……」
「いいえ」
 私の言葉を抑えるように、強い口調で言う。
 そして表情を変えて、私を見る。
 慈しむような……素敵な笑顔で。
「かがみ……私は知っています。貴方は、誰よりも強い心を持っていますよ」
 あんたに何が、と言いかけて言葉が詰まる。
 彼女の妙に荘厳な笑顔の前では、そんな言葉すら返せない。
「ここで彼女を見捨てれば……貴方はきっと後悔する。いいえ、きっと後悔することすら気がつけない」
 何よそれ、矛盾してるじゃない。
 後悔する事に気がつかないくらいに、後悔するって?
 そんなわけないでしょ、あの子とはまだ会って一日目。
 別れを惜しむ、なんてレベルじゃないわよ。
「今日は妙に突っかかるわね、いつもは傍観者気取ってるくせに」
「……」
 少し天使の表情が変わる。
 憂いを帯びた、哀しそうな表情。
 それから「そうでしたね」と、無理に笑顔を見せた。
 ……また、やったみたい。
 いいや、後で謝ろう。
「こなた? 居るかい?」
「!」
 その時だ。
 部屋に、男性の声が響く。
 外に出ようとしていた私の耳にもそれが聞こえ、思わず体を止める。
「お父さん……」
 そしてあの、アンビバレンスな感情が一気に伝わる。
 相反する二つのそれが渦を巻き、彼女の心を黒く染めていく。
 だけど。
 その暗闇に……一瞬だけ、光が差した。
「玉子焼き、美味しかったよ。母さんの味にそっくりだった」
「えっ……」
 扉の向こうから聞こえた言葉に、心の闇が反転する。
 僅かばかり刺した光を求めるように、少女の胸から暖かい何かが溢れていく。
「また、作ってくれるかい?」
 それはまるで、天から降りた蜘蛛の糸。
 手を伸ばせば届くのに、地獄の亡者がそれを許さない。
 その糸がお父さんなら……地獄の亡者は、彼女自身。
 自分自身との、葛藤。
 その、口から必死に言葉を漏らそうとする少女の姿が、見ていられなかった。
 だから。
 ……いや、だからってのはおかしい。
 自然に、彼女の傍まで体が動いていた。
 そしてその震える小さな手に……触れた。
「あ……」
 触れた感触に、彼女が視線をあげる。
 涙混じりの瞳と視線が合い、掴んだ手を少し強く握ってあげる。
「大丈夫よ、ゆっくり……言えばいいから」
「……」
 蜘蛛の糸は脆くて、彼女一人の体重は支えきれない。
 だから、私に出来るのはそれを支えることだけ。
 ……知らないの? オバケって浮いてるもんよ!
「じゃあお腹が空いたらお前も食べるんだよ」
「あ、お、お父……さんっ!」
 扉の向こうから消えそうになった父の姿を、呼び止める。
 ようやく漏れた声とともに、彼女の手が私のそれを握り締める。
「次はもっと……美味しいの作るからっ。もっと……お母さんのより、美味しいのっ!」
 つたなく紡いだ言葉は緊張で、上擦っていた。
 それでも、ゆっくりと。
 少しずつ蜘蛛の糸を登っていく。
「だからまた……食べて、ね」
「……」
 返事のない、沈黙が続く。
 向こうもきっと驚いているのだろう、初めて返ってきた言葉に。
 そしてその喜びを確かめるように、大きな声が部屋を劈いた。
「ああ、もちろんだっ」
 暖かいそれからは、父親の愛情を確かに感じる。
 彼が部屋の前から消えてからも、少女はその余韻に浸っていた。
 少し呆けたように扉を見つめたまま、無言。
 その心があまりにも空虚すぎて、何も伝わってこない。
 それが不安で、私の心まで焦らせる。
「あっ、ご、ごめんっ」
 掴んだ手を慌てて離す。
 なんで謝ったのかは不明。
 触れたのは多分、天使が気を利かせたからだと思う。
 私の顔が熱いのも、不明。
 ……ああ、何で慌ててるんだろう私。
「じゃ、じゃあ私……行くねっ」
 そっそうだ、私はさっき出て行けと言われたんだ。
 それがちょっと、勝手に体が動いたというか何というか。
 ああもうだから何に言い訳してるんだ私は!
「……待って」
「えっ……」
 慌てて出て行こうとした体が、また止まる。
 彼女が、微かな声で私を呼び止めたから。それにまた、心臓が跳ねる。忙しいなぁ、私。
「な、何?」
「……」
 沈黙が辛い。うう、呼び止めたなら早く言って欲しい。
「……まえ」
 微かに聞こえた声。
 それと共に、また感情が伝わってくる。
 顔が熱いのは、私のだけじゃない。彼女のそれも、共有してるんだ。
「名前、まだ……聞いてない」
「な、名前?」
 そうだったっけ? ああ、そういや興味ないって跳ね除けられたんだっけ。
 じゃあ今は……興味なくない、のかな。うう、余計なこと考えるな!
「か、かがみ。柊……かがみ」
 自分の名前を言うだけなのに、何所か照れくさい。
 顔の熱はきっと、彼女の。全部。うん、きっとそう! 絶対そう! ああもう滅茶苦茶だ。
「変な名前」
 お互い様だろ! とも言えずに、彼女と視線が合う。妙に……心が安らいだ気がした。
「……ありがと、『かがみ』」
 初めて呼ばれた名前は……何所か照れくさくて、恥ずかしかった。
 向こうから伝わってくる顔の熱だけで精一杯で、自分の感情なんてよく分かんない。
「それに、ごめん……ちょっと、きつく当たってた」
「そ、それはお互い様だったし……私も、ごめん」
 勝手なこと言って、勝手なことして……結果、彼女を何度も傷つけてしまった。
「じゃあ」
 すると、手を前に差し出す。
 少女が……ううん、『こなた』が。
「仲直りの、しるし」
「え……」
 差し出された手を前に、少し戸惑う。
「これからはその、少しぐらいなら……手伝っても、いいから」
 彼女が恥ずかしそうな表情を必死に隠しながらも、私に手を伸ばす。
 ……そう、だ。
 彼女はやっと、認めてくれたんだ。
 私という、存在を。
「うん……ありがと」
 差し出された手に私のそれを伸ばすと、二つの手が繋がった。
 天使がまた気を遣ったらしい。
 なんだ……読めるのね、空気。
「ちなみにさっきのもあわせて-10TPですよ」
 読めなかった!
 ……まぁ、いいわ。
 あんたの説教も、今なら少し分かるから。
 今回は特別、許してあげよっかな。

  • 現在のTP:-499TP(↓)














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