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    <title>M-Tea*4_40-大地震調査日記（二）今村明恒</title>
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      *週刊ミルクティー＊第四巻 第四〇号　０円
M-Tea*4_40-大地震調査日記（二）今村明恒

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　加藤委員ら、伊豆半島ならびに三浦半島の調査を終えて帰られた。同氏らは初島（はつしま）まで調査におもむかれ、その隆起せること五、六尺〔一五〇～一八〇センチメートル〕なることを認め得られた。そのほか湘南一帯・三浦半島の隆起は、これまで報道せられたものと大差なく、また地変としては小田原と熱海との間、ことに根府川（ねぶかわ）付近がもっともはなはだしいことなどから推測して、震源は大島と大磯（おおいそ）との間であろうかと断ぜられた。ただ、自分としては最も期待しておった土地の低下せる場所が同委員の報告にもその存在を認められなかったことを不思議とし、陸地測量部の水準測量の結果を静かに待つことにした。つまり、この測量あるいは水路部の水深測量が数か月をへて完結するまでは、起震帯（きしんたい）に関する正確なる推定はむつかしいことではあるまいか。

　待ちに待ったる油壷（あぶらつぼ）験潮儀記録の写し三角（みすみ）課長より送り越された。取る手もおそしと披見（ひけん）すると自分の期待はことごとく裏切られ、地震前には何らの地変も記しおらぬのみか、大地震開始後、幾秒間の後には時計も止まり、これと同時に陸地隆起のあったことを示すだけであった。ただ、基準点の実測から陸地の隆起一・四四四メートルすなわち四尺八寸であることを確かに証明されたのみである。なお、陸地測量部においてわが国の沿岸各地に散布された験潮儀の示す一年平均水位を比較してみると、油壷のみはこの最近二年間において、ある異状をあらわしているように見える。すなわち前の二年間においてすべての場所が水位の下降を示し、ただ、日向細島（ほそしま）のみが一昨年度においてのみ僅少（きんしょう）なる上昇を示しているのみなるに反して、油壷のみは最近二か年間は著しき上昇を示しているのである。これは見様（みよう）によっては、三浦半島がこの二年間、地盤が下がりつつあったことを意味している。なお後日の研究を要する問題である。

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公開：2012.5.1
poorbook G3&#039;99/しだ

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    <dc:date>2012-05-01T19:43:36+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/341.html">
    <title>M-Tea*4_39-大地震調査日記（一）今村明恒</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/341.html</link>
    <description>
      *週刊ミルクティー＊第四巻 第三九号　２００円
M-Tea*4_39-大地震調査日記（一）今村明恒

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（略）このとき大地震後三十分、もはや二十人ほどの新聞記者（うち二人は外国人）諸君が自分をかこんで説明を求められている。そこで自分は何の躊躇もなく次のとおり発表した。 
　発震時刻は午前十一時五十八分四十四秒で、震源は東京の南方二十六里〔約一〇四キロメートル〕すなわち伊豆大島付近の海底と推定する。そうして振幅四寸〔約十二センチメートル〕に達するほどの振動をも示しているから、東京では安政（一八五五）以来の大地震であるが、もし震源の推定に誤りがなかったら一時間以内にあるいは津波をともなうかもしれぬ。それでも波は相模湾の内、ことに小田原方面に著しく、東京湾はかならず無事であろう。また今後、多少の余震は継続せんも、大地震は決してかさねておこるまい。 
　なお、外国記者の念入りの質問に対して、地震の性質の非火山性にして、構造性なるべきことをつけくわえておいた。 
　こう発表している真最中、午後〇時四十分に余震中のもっとも強く感じたものの一つが襲来した。（大地震調査日記「九月一日」より） 
　 
　帝都復興策に民心を鼓舞している今日、思いおこすことはイタリア、メッシーナ市の復興である。同市は前にも述べたとおり十五年前の大震災により、火災こそおこさなかったとはいえ、市街は全滅して十三万八〇〇〇の人口中八万三〇〇〇は無惨な圧死をとげた。当時は破壊物の取りかたづけでさえ疑われ、自然、イタリア名物の廃虚となるだろうと予想されていた。自分はこの廃虚を訪うつもりで昨年メッシーナに行ってみると、あにはからんや、廃虚どころかこの十四年間に市街は立派に回復され、人口は十五万人をかぞえ、以前にも増した繁昌である。ただし、いつも震災には無頓着なイタリア人もこのときだけはこりたものと見えて、道路をおおいにひろげ、公園を増し、高層家屋をよして、やむなき場合にかぎり三層とし、最多数は二層以下である。それで自分は一見、ああ、これが地震国の都市かなと感じたのである。（「大地震雑話」より） 

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http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193152



2012.5.1
poorbook G3&#039;99/しだ

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    <dc:date>2012-05-01T19:42:38+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/340.html">
    <title>M-Tea*4_38-特集・安達が原の黒塚　楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/340.html</link>
    <description>
      *週刊ミルクティー＊第四巻 第三八号　２００円
M-Tea*4_38-特集・安達が原の黒塚　楠山正雄・喜田貞吉・中山太郎

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　むかし、京都から諸国修行に出た坊さんが、白河の関をこえて奥州に入りました。磐城国（いわきのくに）の福島に近い安達が原という原にかかりますと、短い秋の日がとっぷり暮れました。 
　坊さんは一日さびしい道を歩きつづけに歩いて、おなかはすくし、のどは渇（かわ）くし、何よりも足がくたびれきって、この先歩きたくも歩かれなくなりました。どこぞに百姓家でも見つけしだい、頼んで一晩泊めてもらおうと思いましたが、折（おり）あしく原の中にかかって、見わたすかぎりぼうぼうと草ばかり生いしげった秋の野末のけしきで、それらしい煙の上がる家も見えません。もうどうしようか、いっそ野宿ときめようか、それにしてもこうおなかがすいてはやりきれない、せめて水でも飲ましてくれる家はないかしらと、心細く思いつづけながら、とぼとぼ歩いて行きますと、ふと向こうにちらりと明かりが一つ見えました。 
「やれやれ、ありがたい、これで助かった。」と思って、一生懸命明かりを目当てにたどって行きますと、なるほど家があるにはありましたが、これはまたひどい野中の一つ家で、軒はくずれ、柱はかたむいて、家というのも名ばかりのひどいあばら家でしたから、坊さんは二度びっくりして、さすがにすぐとは中へ入りかねていました。　（楠山正雄「安達が原」より） 

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http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193151



2012.5.1
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    <dc:date>2012-05-01T19:41:04+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/339.html">
    <title>M-Tea*4_37-火事とポチ / 水害雑録　有島武郎・伊藤左千夫</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/339.html</link>
    <description>
      *週刊ミルクティー＊第四巻 第三七号　２００円
M-Tea*4_37-火事とポチ / 水害雑録　有島武郎・伊藤左千夫

http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_37-1.png

　ポチの鳴き声でぼくは目がさめた。 
　ねむたくてたまらなかったから、うるさいなとその鳴き声を怒っているまもなく、まっ赤な火が目に映ったので、おどろいて両方の目をしっかり開いて見たら、戸だなの中じゅうが火になっているので、二度おどろいて飛び起きた。そうしたら、ぼくのそばに寝ているはずのおばあさまが、何か黒い布のようなもので、夢中になって戸だなの火をたたいていた。なんだか知れないけれども、ぼくはおばあさまの様子がこっけいにも見え、おそろしくも見えて、思わずその方に駆けよった。そうしたらおばあさまはだまったままでうるさそうにぼくをはらいのけておいて、その布のようなものをめったやたらにふりまわした。それがぼくの手にさわったらグショグショにぬれているのが知れた。「おばあさま、どうしたの？」 
　と聞いてみた。おばあさまは、戸だなの中の火の方ばかり見て答えようともしない。ぼくは火事じゃないかと思った。 
　ポチが戸の外で気ちがいのように鳴いている。　（「火事とポチ」より） 

http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193150



2012.5.1
poorbook G3&#039;99/しだ

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    <dc:date>2012-05-01T19:27:54+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/338.html">
    <title>M-Tea*4_36-台風雑俎 / 震災日記より　寺田寅彦</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/338.html</link>
    <description>
      *週刊ミルクティー＊第四巻 第三六号　０円
M-Tea*4_36-台風雑俎 / 震災日記より　寺田寅彦

http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_36-1.png

　このように、台風は大陸と日本との間隔を引きはなし、この帝国をわだつみの彼方の安全地帯に保存するような役目をつとめていたように見える。しかし、逆説的に聞こえるかもしれないが、その同じ台風はまた、思いもかけない遠い国土と日本とを結びつける役目をつとめたかもしれない。というのは、この台風のおかげで南洋方面や日本海の対岸あたりから意外な珍客が珍奇な文化をもたらして漂着したことがしばしばあったらしいということが、歴史の記録から想像されるからである。ことによると日本の歴史以前の諸先住民族の中には、そうした漂流者の群れが存外多かったかもしれないのである。（略） 
　昔は「地を相する」という術があったが、明治・大正の間にこの術が見失われてしまったようである。台風もなければ烈震もない西欧の文明を継承することによって、同時に、台風も地震も消失するかのような錯覚にとらわれたのではないかと思われるくらいに、きれいに台風と地震に対する「相地術」を忘れてしまったのである。　（「台風雑俎」より） 
　 
　無事な日の続いているうちに突然におこった著しい変化をじゅうぶんにリアライズするには、存外手数がかかる。この日は二科会を見てから日本橋あたりへ出て昼飯を食うつもりで出かけたのであったが、あの地震を体験し、下谷の方から吹き上げてくる土ほこりのにおいを嗅いで大火を予想し、東照宮の石灯籠のあの象棋倒しを眼前に見ても、それでもまだ昼飯のプログラムは帳消しにならずそのままになっていた。しかし弁天社務所の倒壊を見たとき、初めてこれはいけないと思った。そうしてはじめてわが家のことがすこし気がかりになってきた。 
　弁天の前に電車が一台停まったまま動きそうもない。車掌に聞いても、いつ動き出すかわからないという。後から考えるとこんなことを聞くのがいかな非常識であったかがよくわかるのであるが、その当時、自分と同様の質問を車掌に持ち出した市民の数は万をもって数えられるであろう。　（「震災日記より」） 

http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/193149



2012.5.1
poorbook G3&#039;99/しだ

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    <dc:date>2012-05-01T19:14:42+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/337.html">
    <title>M-Tea*4_35-火事教育／函館の大火について　寺田寅彦</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/337.html</link>
    <description>
      ＊M-Tea*4_35-火事教育／函館の大火について　寺田寅彦
＊2012.3.24　第四巻 第三五号
火事教育 / 函館の大火について
寺田寅彦
　
&amp;image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_35-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/189204)
　
[[【週刊ミルクティー＊第四巻 第三五号】&gt;http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/189204]]
（http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/189204）
※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 
（444KB） 

&amp;color(red){定価：２００円}　p.120 / *99 出版
付録：別冊ミルクティー＊Wikipedia（34項目）p.186
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

＊たこしゃちょーぉぉ！　週刊、寅彦はつらいよ＊
　しかし、このような〔火災〕訓練が実際上、現在のこの東京市民にいかに困難であろうかということは、試みにラッシュアワーの電車の乗降に際する現象を注意して見ていても、ただちに理解されるであろう。東京市民は、骨を折っておたがいに電車の乗降をわざわざ困難にし、したがって乗降の時間をわざわざ延長させ、車の発着を不規則にし、各自の損失を増すことに全力をそそいでいるように見える。もし、これと同じ要領でデパート火事の階段にのぞむものとすれば、階段は瞬時に、生きた人間の「栓」で閉塞されるであろう。そうしてその結果は、世にも目ざましき大量殺人事件となって世界の耳目を聳動するであろうことは、まことに火を見るよりもあきらかである。　（「火事教育」より）
　
（略）そうして、この根本原因の存続するかぎりは、将来いつなんどきでも適当な必要条件が具足しさえすれば、東京でもどこでも今回の函館以上の大火を生ずることは決して不可能ではないのである。そういう場合、いかに常時の小火災に対する消防設備が完成していても、なんの役にも立つはずはない。それどころか、五分、一〇分以内に消し止める設備が完成すればするほど、万一の異常の条件によって生じた大火に対する研究はかえって忘れられる傾向がある。火事にもかぎらず、これで安心と思うときにすべての禍（わざわ）いの種が生まれるのである。　（「函館の大火について」より）

#ref(4_35.rm)
（朗読：RealMedia 形式　332KB、2&#039;42&#039;&#039;）
[[milk_tea_4_35.html&gt;http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=337&amp;file=milk_tea_4_35.html]]
（html ソーステキスト版　140KB）

寺田寅彦　てらだ とらひこ
1878-1935（明治11.11.28-昭和10.12.31）
物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。

◇参照：Wikipedia &amp;link_wikipedia(寺田寅彦){寺田寅彦}、『広辞苑 第六版』（岩波書店、2008）。

火事教育
底本：「寺田寅彦随筆集　第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
　　　1948（昭和23）年5月15日第1刷発行
　　　1963（昭和38）年5月16日第20刷改版発行
　　　1997（平成9）年6月13日第65刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2476.html

函館の大火について
底本：「寺田寅彦随筆集　第四巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
　　　1948（昭和23）年5月15日第1刷発行
　　　1963（昭和38）年5月16日第20刷改版発行
　　　1997（平成9）年6月13日第65刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2493.html

NDC 分類：914（日本文学 / 評論．エッセイ．随筆）
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html

＊むしとりホイホイ
耳口　→　耳目　【目か】　「火事教育」
猖紅熱　→　猩紅熱　【猩か】　「函館の大火について」

以上２件。底本未確認。

＊スリーパーズ日記＊　フクシマ・ノートその３
　前回の続き。&amp;link_wikipedia(東日本大震災復興構想会議){復興構想会議}の議事録、第一回より。&amp;link_wikipedia(玄侑宗久){玄侑宗久}「大袈裟に言いますと、今の状態は出エジプトに近い」「下手をしますと、ユダヤ人状態になりながら、今浜通りの人々は、分散居住している」。

　たしかにユダヤ人の&amp;link_wikipedia(ディアスポラ){ディアスポラ}（離散）が頭をよぎるけれども、それじゃあ、原爆を落とされた広島や長崎はどうかといえば、周知のように再生をはたして久しい。表面上は、広島や長崎県民であることの差別があるとは聞かないし、広島・長崎産食品だからといってとくに忌避されることもない。当時、どのくらい放射能除染がおこなわれたかあやしいが、現在、広島には285万、長崎には144万の県民が住んでおり、青森（139万）・山形（116万）・岩手（112万）・秋田（109万）よりも多い。平均寿命も全国とちがわない。両県への修学旅行や観光旅行がとりわけ問題にされることもない。
　
　唯一、原爆被災したはずの国が、なぜ世界に名だたる長寿国であり健康国なのか。なにか、数字上のトリックでもあるのだろうか。

　十七日（土）雨。県立図にてＤＶＤ観賞。ＮＨＫスペシャル『&amp;link_wikipedia(人間は何を食べてきたか){人間は何を食べてきたか}』第五巻「海と川の狩人たち・海編」。インドネシア・ロンバタ島、ラマレラ村のクジラ捕り。南太平洋・マンドック島、海人ムトゥ。前者は若い女性の額にいれずみ。後者は男性のほおに二本線のいれずみ。ＴＶ放映は1992年。付録の座談会は2002年の収録。
　
　

2012.3.24：公開　玲瓏迷人。
寅彦は、満員電車でやってくる。
目くそ鼻くそ。しだひろし／PoorBook G3&#039;99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ：&amp;counter()
----
#comment    </description>
    <dc:date>2012-03-24T12:28:31+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/336.html">
    <title>M-Tea*4_34-石油ランプ／流言蜚語／時事雑感　寺田寅彦</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/336.html</link>
    <description>
      ＊M-Tea*4_34-石油ランプ／流言蜚語／時事雑感　寺田寅彦
＊2012.3.17　第四巻 第三四号
石油ランプ / 流言蜚語 / 時事雑感
寺田寅彦
　
&amp;image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_34-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/188589)
　
[[【週刊ミルクティー＊第四巻 第三四号】&gt;http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/188589]]
（http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/188589）
※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 
（488KB） 

&amp;color(red){定価：２００円}　p.126 / *99 出版
付録：別冊ミルクティー＊Wikipedia（21項目）p.217
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

＊ぴーひょろろ、週刊となりのぽろぽろ＊
　肝心の石油ランプはなかなか見つからなかった。粗末なのでよければ田舎へ行けばあるだろうとおもっていたが、いよいよあたってみると、都に近い田舎で電灯のないところは、いまどきもうどこにもなかった。したがってそういうさびしい村の雑貨店でも、神田本郷の店屋とまったく同様な反応しか得られなかった。
　だんだんに意外と当惑の心持ちが増すにつれてわたしは、東京というところは案外に不便なところだという気がしてきた。
　もし万一の自然の災害か、あるいは人間の故障、たとえば同盟罷業やなにかのために、電流の供給が中絶するようなばあいがおこったらどうだろうという気もした。そういうことは非常にまれな事とも思われなかった。一晩くらいならロウソクで間にあわせるにしても、もし数日も続いたらだれもランプが欲しくなりはしないだろうか。
　これに限らず一体にわれわれは、平生あまりに現在の脆弱な文明的設備に信頼しすぎているような気がする。たまに地震のために水道が止まったり、暴風のために電流やガスの供給が絶たれて狼狽することはあっても、しばらくすれば忘れてしまう。そうしてもっとはなはだしい、もっと長続きのする断水や停電の可能性がいつでも目前にあることは考えない。
　人間はいつ死ぬかわからぬように、器械はいつ故障がおこるかわからない。ことに日本でできた品物にはごまかしが多いからなおさらである。　（「石油ランプ」より）
　
同盟罷業　どうめい ひぎょう　ストライキのこと。

#ref(4_34.rm)
（朗読：RealMedia 形式　388KB、3&#039;09&#039;&#039;）
[[milk_tea_4_34.html&gt;http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=336&amp;file=milk_tea_4_34.html]]
（html ソーステキスト版　144KB）

寺田寅彦　てらだ とらひこ
1878-1935（明治11.11.28-昭和10.12.31）
物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。

◇参照：Wikipedia &amp;link_wikipedia(寺田寅彦){寺田寅彦}、『広辞苑 第六版』（岩波書店、2008）。

石油ランプ
底本：「寺田寅彦全集　第七巻」岩波書店
　　　1997（平成9）年6月5日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card43253.html

流言蜚語
底本：「寺田寅彦全集　第七巻」岩波書店
　　　1997（平成9）年6月5日発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card43260.html

時事雑感
底本：「寺田寅彦随筆集　第二巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
　　　1947（昭和22）年9月10日第1刷発行
　　　1964（昭和39）年1月16日第22刷改版発行
　　　1997（平成9）年5月6日第70刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2458.html

NDC 分類：368（社会 / 社会病理）
http://yozora.kazumi386.org/3/6/ndc368.html
NDC 分類：914（日本文学 / 評論．エッセイ．随筆）
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html

＊難字、求めよ
十一屋　じゅういちや　銀座。
カルカッタ大学
『文化生活の基礎』　雑誌名?　書籍名?

＊年表
一五一一　&amp;link_wikipedia(富士山噴火){富士山噴火}。（時事雑感）
一五六〇　富士山噴火。（時事雑感）
一七〇〇〜八　富士山噴火。（時事雑感）
宝永四（一七〇七）一〇月四日　&amp;link_wikipedia(宝永地震){宝永地震}。東海地方から四国・九州にかけての地震。震源は東海沖・南海沖の二つと考えられる。M8.4。東海道・紀伊半島を中心に倒壊6万戸、流失2万戸、死者約2万人。
宝永四（一七〇七）一一月〜　&amp;link_wikipedia(宝永大噴火){宝永大噴火}。大量の&amp;link_wikipedia(スコリア){スコリア}と&amp;link_wikipedia(火山灰){火山灰}を噴出。
寛政四（一七九二）　富士山噴火（?）。（時事雑感）
安政元（一八五四）一一月四日　&amp;link_wikipedia(安政東海地震){安政東海地震}。震源地遠州灘沖。M8.4。死者約2000〜3000人。
安政元（一八五四）一一月五日　&amp;link_wikipedia(安政南海地震){安政南海地震}。震源地土佐沖。M8.4。死者数千人。

大正一二（一九二三）九月一日　&amp;link_wikipedia(関東大震災){関東大震災}。M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人。
大正一三（一九二四）一月　寺田「石油ランプ」『文化生活の基礎』。
大正一三（一九二四）九月　寺田「流言蜚語」『東京日日新聞』。
昭和五（一九三〇）　&amp;link_wikipedia(チャンドラセカール・ラマン){チャンドラセカール・ラマン}、ノーベル物理学賞を受賞。
昭和五（一九三〇）一一月一四日　濱口首相遭難事件。東京駅で佐郷屋留雄に狙撃され重傷。
昭和五（一九三〇）一一月一六日　&amp;link_wikipedia(煙突男){煙突男}。川崎市の紡績工場の労働争議の際に、煙突に登って会社へ抗議。5日後に煙突を降りる。
昭和五（一九三〇）一一月二六日（※ 本文には「十一月二十四日」）　&amp;link_wikipedia(伊豆地方大地震){伊豆地方大地震}。死者行方不明者331名、全壊4317戸。寺田、四日目に日帰りで三島町まで見学。
昭和六（一九三一）一月　寺田「時事雑感」『中央公論』。

◇参照：Wikipedia、『広辞苑 第六版』（岩波書店、2008）。

＊スリーパーズ日記＊　フクシマ・ノートその２
　猫になりたい〜
　ドラえもんになりたい〜
　フサフサになりたい〜
　クログロになりたい〜
　
　『巨大地震・巨大津波——東日本大震災の検証』（朝倉書店、2011.11）読了。宮城県沖&amp;link_wikipedia(牡鹿半島){牡鹿半島}で東南東に5.3m移動、1.2m沈降。東北の日本海沿岸では1m程度東に移動。「地震後６か月たっても、この延びの動きは収まっていない」「地震後６か月経過した９月になっても、プレート境界は、ゆっくりすべり続けている」。

　&amp;link_wikipedia(余効的すべり){余効的すべり}。
　「大局的には本震のときのすべりと同じ方向、つまり、太平洋プレートが西に傾き下がるように沈み込み、東北日本の陸地が東側にせり上がる方向に進んでいる。だたし、余効すべりが発生している領域は、本震時に大きくずれた領域より、やや深部と北部・南部のプレート境界上である。」
　「この余効的すべりによって、東北日本は地震発生後６か月経っても東西に引き延ばされている。その速さは徐々に遅くなっているが、９月になっても１週間で1cm程度の大変な速さである。」←→「東北日本は地震前には１年間に1〜2cm縮んでいた。」

　「東北地方の太平洋沿岸では現在ゆっくりとした隆起が進行している。隆起の量は、まだまだ地震時の沈降量には及ばない」「少なくとも地震発生６か月後でも止まる気配はない」。以上、&amp;link_wikipedia(平田直){平田直}（ひらた なおし）「巨大地震のメカニズム」（p.1〜54）より。東京大学・&amp;link_wikipedia(東京大学地震研究所){地震研究所}地震予知研究センター長、地震調査研究推進本部・政策委員会委員。

　「20世紀以降に発生したＭ９クラスの巨大地震は、2004年の&amp;link_wikipedia(スマトラ島沖地震){スマトラ島沖地震}を含めて５回程度」（&amp;link_wikipedia(佐竹健治){佐竹健治}）。

　過去に高台へ集団移転したはずの人たちが再び沿岸へ戻って定住してしまった事例について、&amp;link_wikipedia(目黒公郎){目黒公郎}は「高台では飲料水の確保が困難なこと」と「山腹の密集地で火災が発生したこと」を指摘。

　三月八日（木）。&amp;link_wikipedia(東日本大震災復興構想会議){復興構想会議}の議事録 pdf が web にアップ。さっそく13号までをダウンロードして、ぼちぼちと読み始める。初回なかばで&amp;link_wikipedia(玄侑宗久){玄侑}さんは、「大袈裟に言いますと、今の状態は出エジプトに近い」「下手をしますと、ユダヤ人状態になりながら、今浜通りの人々は、分散居住している」と語る。
　
　

2012.3.19：公開　玲瓏迷人。
2012.3.20：更新
きゃばくら・りょ〜ま。ふくやまさはる、いしのまこ。
目くそ鼻みず。しだひろし／PoorBook G3&#039;99
転載・印刷・翻訳は自由です。
カウンタ：&amp;counter()
----
#comment    </description>
    <dc:date>2012-03-20T22:16:47+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/335.html">
    <title>MT*2_15-能久親王事跡（五）森 林太郎2</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/335.html</link>
    <description>
      ＊MT*2_15-能久親王事跡（五）森 林太郎
＊2012.3.15　第二巻 第一五号
能久親王事跡（五）
第五回　明治二十八年（一八九五）六月五日〜八月二十八日
森 林太郎

&amp;image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/2_15-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/188120)
　
[[【週刊ミルクティー＊第二巻 第一五号】&gt;http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/188120]]
（http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/188120）
※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 
（752KB） 

&amp;color(red){定価：２００円}　p.114 / *99 出版
付録：別冊ミルクティー＊Wikipedia（38項目）p.94
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

（略）〔明治二十八年（一八九五）八月〕二十六日、朝、師団命令もて、第四連隊第一、第二中隊、砲兵中隊を左縦隊に加えらる。左縦隊は午前二時、戦を始め、大隊長、&amp;link_wikipedia(摺沢静夫){摺沢静夫}がひきいたる部隊とともに、四時三十分、敵の拠れりし一家屋を爆破し、六時さらにまた二家屋を爆破しつ。午後一時、第四連隊の敵の左側背に出づるにおよびて、共に敵を撃破し、四時台中に入り、ついで&amp;link_wikipedia(烏日庄){烏日庄}付近に進みぬ。東大?をば後?より進みたる坊城大隊、守備す。宮はこの日、午前六時、&amp;link_wikipedia(牛馬頭){牛馬頭}を発せさせ給い、九時三十分、&amp;link_wikipedia(大肚街){大肚街}なる&amp;link_wikipedia(学林){学林}に着かせ給う。十一時、宮、?仔頭付近に出でさせ給い、&amp;link_wikipedia(大肚渓){大肚渓}の岸なる歩哨線を観させ給う。このあたりの地、落花生を栽えたる畑多し。当時、衛兵たりし&amp;link_wikipedia(新海竹太郎){新海竹太郎}は、後、宮の騎馬銅像の原型を作りしとき、宮の落花生の畑を騎行せさせ給う状に擬しつ。午時、宮、紐もて領に懸けさせ給える望遠鏡をあげて、敵陣を望みつつ、幕僚と語らせ給うとき、敵の発せし七サンチメートルの榴弾、宮の頭上五メートルばかりの所を飛びすぎて、宮の背後二十メートルの地におちぬ。幸いにして弾は破裂せざりしかど、土砂はほとばしりて宮の袴に濺ぎぬ。されど宮は意に介せさせ給わず、従容として眼鏡を放たせ給い、幕僚をかえりみて、敵の兵数を語りつづけさせ給いぬ。幕僚、危害の宮の御身におよばんことを恐れ、宮を勧めまつりて後方三十メートルの凹地に退きぬ。午後一時、帰路につかせ給いて、ふたたび大肚街なる学林に入らせ給いぬ。
　
#ref(2_15.rm)
（朗読：RealMedia 形式　436KB、3&#039;33&#039;&#039;）
[[milk_tea_2_15.html&gt;http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=335&amp;file=milk_tea_2_15.html]]
（html ソーステキスト版　140KB）

森 林太郎　もり りんたろう
1862-1922（文久2.1.19-大正11.7.9）
森鴎外。作家。名は林太郎。別号、観潮楼主人など。石見（島根県）&amp;link_wikipedia(津和野){津和野}生れ。東大医科出身。軍医となり、ヨーロッパ留学。陸軍軍医総監・帝室博物館長。文芸に造詣深く、「&amp;link_wikipedia(しからみ草紙){しからみ草紙}」を創刊。傍ら西欧文学の紹介・翻訳、創作・批評を行い、明治文壇の重鎮。主な作品は「舞姫」「雁」「阿部一族」「渋江抽斎」「高瀬舟」、翻訳は「於母影」「即興詩人」「ファウスト」など。

◇参照：Wikipedia &amp;link_wikipedia(森鴎外){森 林太郎}、『広辞苑 第六版』（岩波書店）。

＊底本
底本：『鴎外全集　第三巻』岩波書店
　　　1972（昭和47）年1月22日発行
初出：『能久親王事蹟』東京偕行社内棠陰會編纂、春陽堂
　　　編集兼発行人代表者　森林太郎
　　　1908（明治41）6月29日刊行
NDC 分類：288（伝記／系譜．家史．皇室）
http://yozora.kazumi386.org/2/8/ndc288.html

＊難字、求めよ。
水返脚
基隆寺
暖暖街
七肚
錫口
江頭
洩底
三貂大嶺
大※［＃「山／科」］※［＃「山／坎」］
大※［＃「山／科」］※［＃「山／坎」］川
桃仔園
大姑陥
大湖口　だいこ〓
海山口　かいざん〓
鳳山渓　ほうざん〓
新車
楊梅
崩坡
頭亭渓
察加
龍潭坡
斉頭
三角涌
二甲九庄
打類坑
中櫪
銅羅騫　一に銅羅圏。
牛欄河
亀崙
横渓口
土城村
鹹菜硼村
九?林河
水尾
管府坑
水仙嶺
枕頭山
鶏卵面
香山庄
南勢山
尖筆山
埔仔港
頭㌃
後?
乱亀山
塩仔頭
新港
苗栗河　びょうりつ〓
打揶叭頭湖庄
銅羅湾
樟樹林正
三叉河
房裡
胡盧?　ころ〓
某蕃社
潭子　たんし/タンヅー〓
牛馬頭
東大?　台中。
大肚街　だいと〓
頭家　一に頭家膺。
学林
?仔頭　べんし?
八卦山
嘉義街道
鹿港
茄苳脚
員林街　いんりん/ユェンリン〓
斗六門

万国号
河野浦号
英船某号

混参金　〓　シナ人。
坊城俊延　ぼうじょう 〓　騎兵第二小隊長少尉。
蘇樹林　〓　水返脚。村長。家が宿営となる。
余清勝　〓　清国の将校。
呉光亮
高野盛三郎　〓　宮の家従。
楫取道明　かとり?
高屋宗繁
西郷隆凖　さいごう?　式部官。
中村純九郎　なかむら?　参事官心得。
潘良　〓　敵将。渋谷支隊により頭亭渓で殺害。
胡嘉猷　〓　銅羅騫。
&amp;link_wikipedia(恩地轍){恩地轍}　おんち 〓　東京地方裁判所検事で、のち宮内省式部職。四男は装幀家の&amp;link_wikipedia(恩地孝四郎){孝四郎}。
李惟義　〓　黒旗新楚軍。
黎景順　〓　敵将。
頼望雲　〓　統領。鹿港。
千田貞幹　せんだ?　&amp;link_wikipedia(千田貞暁){千田貞暁}（せんだ さだあき）か。／第一連隊第二大隊、隊長。

吉米　キロメートル?
?いて
阻げられ　さまたげられ?
逓騎哨　ていきしょう?

＊スリーパーズ日記＊
　二年半か。時間がかかってしまった……。ようやく人に見てもらえるくらいまで形を整えることができました。
　登場人物も台湾の地名もまったくお手上げ。内容理解は二割に満たないと思う。

　たしか七、八年ほど前、幕末の&amp;link_wikipedia(出羽三山){出羽三山}のことを知りたいと思って『山形県史』や『羽黒町史』などに目をとおしていたとき、&amp;link_wikipedia(官田){官田}（かんでん）という人物に行き当たりました。
　官田。現、山形県西村山郡船町出身。山寺&amp;link_wikipedia(立石寺){立石寺}で得度、東叡寺で修行、福聚院住職となる。累進して&amp;link_wikipedia(東叡山){東叡山}内陣係にあげられ、公現法親王（のちの&amp;link_wikipedia(北白川宮能久親王){北白川宮能久親王}）の養育にあたる。（『庄内人名事典』より）

　つまり、東叡山寛永寺の主たる&amp;link_wikipedia(輪王寺宮){輪王寺宮}になったばかりの能久親王、そのお世話にあたったのが出羽国出身の官田。その後、官田は&amp;link_wikipedia(羽黒山){羽黒山}最後の別当をつとめる。かたや能久親王は、&amp;link_wikipedia(徳川慶喜){徳川慶喜}の助命嘆願役を請われ、薩長軍と&amp;link_wikipedia(彰義隊){彰義隊}の&amp;link_wikipedia(上野戦争){上野戦争}を脱出、&amp;link_wikipedia(奥羽越列藩同盟){奥羽越列藩同盟}の盟主として奉られて、日光、会津、白石、仙台へとおもむくことになる。
　関東から奥羽へ。維新倒幕と&amp;link_wikipedia(廃仏毀釈){廃仏毀釈}・&amp;link_wikipedia(神仏分離){神仏分離}。
　
　芭蕉と曾良の&amp;link_wikipedia(奥の細道){奥の細道}をなぞるように進む西郷吉之介・黒田清隆ら薩長新政府軍が対立したのは、上野寛永寺や日光輪王寺や仙台仙岳院といった徳川・天台ネットワークであったとも見てとれる。


　
2012.3.15：公開　玲瓏迷人。
2012.3.15：更新
目くそ鼻くそ。しだひろし／PoorBook G3&#039;99
翻訳・朗読・転載は自由です。
カウンタ：&amp;counter()
----
#comment    </description>
    <dc:date>2012-03-15T23:42:29+09:00</dc:date>
  </item>
    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/334.html">
    <title>M-Tea*4_33-厄年と etc.／断水の日／塵埃と光　寺田寅彦</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/334.html</link>
    <description>
      ＊M-Tea*4_33-厄年と etc.／断水の日／塵埃と光　寺田寅彦
＊2012.3.10　第四巻 第三三号
厄年と etc. / 断水の日 / 塵埃と光
寺田寅彦
　
&amp;image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_33-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/187794)
　
[[【週刊ミルクティー＊第四巻 第三三号】&gt;http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/187794]]
（http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/187794）
※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 
（496KB） 

&amp;color(red){定価：２００円}　p.141 / *99 出版
付録：別冊ミルクティー＊Wikipedia（14項目）p.60
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

＊春のこもれびの中で……　週刊ぼくたちは失敗＊
　翌日も水道はよく出なかった。そして新聞を見ると、このあいだできあがったばかりの銀座通りの木レンガが雨で浮き上がって破損したという記事が出ていた。多くの新聞はこれと断水とをいっしょにして、市当局の責任を問うような口調をもらしていた。わたしはそれらの記事をもっともと思うと同時に、また当局者の心持ちも思ってみた。
　水道にせよ木レンガにせよ、つまりはそういう構造物の科学的研究がもう少し根本的に行きとどいていて、あらゆる可能な障害に対する予防や注意が明白にわかっていて、そして材料の質やその構造の弱点などに関する段階的・系統的の検定を経たうえでなければ、だれも容認しないことになっていたのならば、おそらくこれほどの事はあるまいと思われる。
　長い使用にたえない間にあわせの器物が市場にはびこり、安全に対する科学的保証のついていない公共構造物がいたるところに存在するとすれば、その責めを負うべきものはかならずしも製造者や当局者ばかりではない。　（「断水の日」より）

　&amp;link_wikipedia(火山){火山}から噴出した微塵が、高い気層に吹き上げられて高層に不断に吹いている風に乗っておどろくべき遠距離に散布されることは珍しくない。&amp;link_wikipedia(クラカトア火山){クラカトア火山}の爆破のときに飛ばされた塵は、世界中の各所に異常な夕陽の色を現わし、あるいは深夜の空にうかぶ銀白色の雲を生じ、あるいは&amp;link_wikipedia(ビショップ環){ビショップ環}と称する光環を太陽の周囲に生じたりした。近ごろの研究によると火山の微塵は、あきらかに広区域にわたる太陽の光熱の供給を減じ、気温の降下をひきおこすということである。これに連関して&amp;link_wikipedia(飢饉){飢饉}と&amp;link_wikipedia(噴火){噴火}の関係を考えた学者さえある。　（「塵埃と光」より）
　
#ref(4_33.rm)
（朗読：RealMedia 形式　468KB、3&#039;47&#039;&#039;）
[[milk_tea_4_33.html&gt;http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=334&amp;file=milk_tea_4_33.html]]
（html ソーステキスト版　160KB）

寺田寅彦　てらだ とらひこ
1878-1935（明治11.11.28-昭和10.12.31）
物理学者・随筆家。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号した。著「冬彦集」「藪柑子集」など。

◇参照：Wikipedia &amp;link_wikipedia(寺田寅彦){寺田寅彦}、『広辞苑 第六版』（岩波書店、2008）。

厄年と etc. 
底本：「寺田寅彦全集　第三巻」岩波書店
　　　1997（平成9）年2月5日発行
底本の親本：「寺田寅彦全集　文学篇」岩波書店
　　　1985（昭和60）年発行
初出：「中央公論」
　　　1921（大正10）年4月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card4435.html

断水の日
底本：「寺田寅彦随筆集　第一巻」小宮豊隆編、岩波文庫、岩波書店
　　　1947（昭和22）年2月5日第1刷発行
　　　1963（昭和38）年10月16日第28刷改版発行
　　　1997（平成9）年12月15日第81刷発行
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card2445.html

塵埃と光
底本：「寺田寅彦全集　第六巻」岩波書店
　　　1997（平成9）年5月6日発行
底本の親本：「寺田寅彦全集　文学篇」岩波書店
　　　1985（昭和60）年
初出：「科学知識」
　　　1936（大正11）年5月1日　←　1922（大正11）　【「1936」は誤入力か】
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/card43078.html

NDC 分類：401（自然科学 / 科学理論．科学哲学）
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndc401.html
NDC 分類：914（日本文学 / 評論．エッセイ．随筆）
http://yozora.kazumi386.org/9/1/ndc914.html

＊難字、求めよ
被与材料
アイケン　人名。塵の数を算定する器械を発明。
『科学知識』　雑誌名。「塵埃と光」掲載。

＊むしとりホイホイ
コンチニウム　continuous（コンティニウス、連続的な、絶え間のない、の意）か?　「物質を空隙のないコンチニウムと見做す事によって……」
明治二十八年来の地震　→　明治二十七年来の地震　【七、か？】「断水の日」
1936（大正11）　→　1922（大正11）　【1922、か】「塵埃と光」奥付
　　　
以上３件。底本未確認。

＊年表
1878（明治11）11月28日　寺田寅彦、東京市麹町に生まれる。
1881（明治14）　寺田寅彦、祖母、母、姉と共に郷里の高知に転居。
1894（明治27）6月20日　&amp;link_wikipedia(明治東京地震){明治東京地震}。M 7.0、死者31人。
1896（明治29）6月15日　&amp;link_wikipedia(明治三陸地震){明治三陸地震}。M 8.5、死者・行方不明者2万1,959人。この年、寺田寅彦、熊本の第五高等学校に入学。
1899（明治32）　寺田寅彦、東京帝国大学理科大学に入学、&amp;link_wikipedia(田中館愛橘){田中館愛橘}、&amp;link_wikipedia(長岡半太郎){長岡半太郎}の教えを受ける。
1918（大正7）　寺田寅彦、40歳。
1921（大正10）年4月1日　寺田寅彦「厄年と etc. 」『中央公論』。
1921（大正10）12月8日か　東京、晩にかなり強い地震。11日、東京全市断水。
1922（大正11）1月　寺田寅彦「断水の日」『東京・大阪朝日新聞』。
1922（大正11）5月1日　寺田寅彦「塵埃と光」『科学知識』。
1923（大正12）9月1日　&amp;link_wikipedia(関東大震災){関東大震災}。M 7.9、死者・行方不明者10万5,385人。
1933（昭和8）3月3日　&amp;link_wikipedia(昭和三陸地震){昭和三陸地震}。M 8.1、大津波発生、死者・行方不明者3,064人。

◇参照：Wikipedia、『広辞苑 第六版』（岩波書店、2008）。

＊スリーパーズ日記＊フクシマ・ノートその１
　&amp;link_wikipedia(稲葉陽子){稲葉陽子}『阪神・淡路大震災と図書館活動 神戸大学「&amp;link_wikipedia(震災文庫){震災文庫}」の挑戦』（西日本出版、2005.3）読了。
　
　３月３日、ＮＨＫ山形のローカルニュースで、「福島県から山形県に自主的に避難している人の６０％以上が、避難しないでいる人たちに後ろめたい思いがあるなどとして“地元に戻りにくい”と感じている」という報道を聞く。
　以下、Google のキャッシュに残っているテキストから引用。

・避難区域以外から山形県に自主的に避難しているおよそ１万人のうち、１００人を対象に、先月アンケート。
・「地元に戻りにくいと感じることがある」
・「放射線への不安をめぐり温度差を感じる」
・「避難したことで後ろめたさを感じる」
・「つながりが薄れてしまった」
・放射線への不安を理由におよそ７０％の人が「福島にはもどれない」と答え、避難の必要性を感じる一方で、地元との距離を感じ始めている。

　報道を聞くかぎり、状況はあまりかんばしくない。
　さて、現在およそ１万３０００人が福島県から山形県内に避難しているという。多くが米沢・山形を中心とする県南部に集中するが、それでは天童市内にはどのくらい避難者がいるのだろうか？　天童市の市報および社会福祉協議会報に目をとおすが、実数の記載はない。



2012.3.9　6日、&amp;link_wikipedia(太陽フレア){太陽フレア}発生、日本時間９日深夜まで影響続く可能性ありとのこと。（山形新聞）
2012.3.10　2:26　天童まで２０秒。茨城北部震度５弱。M5.5推定。
2012.3.10：公開　玲瓏迷人。
2012.3.11：更新
目くそ鼻くそ。しだひろし／PoorBook G3&#039;99
転載・印刷・翻訳は自由です。
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- 寺田寅彦の随筆の中から、大正十二年の関東大震災直前に執筆・発表されたものを選んでみました。  -- しだ  (2012-03-10 12:01:27)
- iBook 本体の内蔵マイクの調子がわるいので、ＩＣレコーダーを使い、手録りmp3 音源にしてみました。ノイズやバズ音がやっぱりはげしい……  -- しだ  (2012-03-11 22:24:14)
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    <dc:date>2012-03-11T22:24:14+09:00</dc:date>
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    <item rdf:about="http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/333.html">
    <title>M-Tea*4_32-科学の不思議（五）アンリ・ファーブル</title>
    <link>http://www33.atwiki.jp/asterisk99/pages/333.html</link>
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      ＊M-Tea*4_32-科学の不思議（五）アンリ・ファーブル
＊2012.3.3　第四巻 第三二号
科学の不思議（五）
アンリ・ファーブル
大杉栄、伊藤野枝（訳）
　三七　紙の実験
　三八　フランクリンとド・ロマ
　三九　雷（かみなり）と避雷針
　四〇　雲（くも）
　四一　音の速度
　四二　水差（みずさ）しの実験
　四三　雨
　四四　噴火山
　四五　カターニア
　
&amp;image(http://www.dlmarket.jp/images/uploader/620/4_32-1.png,http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/187502)
　
[[【週刊ミルクティー＊第四巻 第三二号】&gt;http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/187502]]
（http://www.dlmarket.jp/product_info.php/products_id/187502）
※ クリックするとダウンロードサイトへジャンプします。 
（616KB） 

&amp;color(red){定価：２００円}　p.166 / *99 出版
付録：別冊ミルクティー＊Wikipedia（25項目）p.169
※ DRM などというやぼったいものは使っておりません。

＊をっとっとっっと！　週刊せつでんマン音頭＊
「もし、&amp;link_wikipedia(火山){噴火山}の近所に町があったら、その火の河はそこへ流れこんでこないでしょうか？　そして灰の雲がその町をうめてしまいやしないでしょうか？」とジュールが聞きました。
「不幸にしてそんなこともありえる。そしてまた、実際ありもした。（略）」

「そうだ。今から二〇〇年ほどむかしのこと、&amp;link_wikipedia(シチリア){シチリア}に歴史上もっとも激しい&amp;link_wikipedia(噴火){大噴火}がおこった。激しい暴風雨（あらし）があった後（あと）で、たくさんの馬が一時（いっとき）にドッとたおれるような強い&amp;link_wikipedia(地震){地震}が夜じゅうつづいた。木は葦（あし）が風になびくようになぎ倒され、人はたおれる家の下におしつぶされないように気狂（きちが）いのように野原へ逃げようとしたが、ふるえる地上に足場を失って、つまずき倒れた。ちょうどそのとき、&amp;link_wikipedia(エトナ){エトナ}は爆発して四里（より）ほどの長さに裂（さ）けて、この割（わ）れ目に沿うてたくさんの噴火口ができ、爆発のおそろしい響きともろともに、黒煙（こくえん）と焼け砂とを雲のように吐（は）き出した。やがて、この噴火口の七つが、一つの深い淵のようになって、それが四か月間雷鳴（らいめい）したり、うなったり、燃えかすや溶岩を噴き出した。（略）」
「そのうちに&amp;link_wikipedia(溶岩){溶岩}の河は山のすべての裂（さ）け目から流れ出して、家や森や作物をほろぼしながら平原のほうへ流れて行った。この噴火山から数里（すうり）離れた海岸に、じょうぶな壁にとりかこまれた&amp;link_wikipedia(カターニア){カターニア}という大きな町があった。火の河はとうとう数か村を飲みつくして、カターニアの壁の前まできた。そしてその近郊にひろがって行った。（略）」

#ref(4_32.rm)
（朗読：RealMedia 形式　400KB、3&#039;13&#039;&#039;）
[[milk_tea_4_32.html&gt;http://www33.atwiki.jp/asterisk99?cmd=upload&amp;act=open&amp;pageid=333&amp;file=milk_tea_4_32.html]]
（html ソーステキスト版　264KB）

アンリ・ファーブル　Jean Henri Fabre
1823-1915（1823.12.21-1915.10.11）
フランスの昆虫学者。昆虫、特に蜂の生態観察で有名。進化論には反対であったが、広く自然研究の方法を教示した功績は大きい。主著「昆虫記」。

大杉栄　おおすぎ さかえ
1885-1923（明治18.1.17-大正12.9.16）
無政府主義者。香川県生れ。東京外語卒業後、社会主義運動に参加、幾度か投獄。関東大震災の際、憲兵大尉甘粕正彦により妻伊藤野枝らと共に殺害。クロポトキンの翻訳・紹介、「自叙伝」などがある。

伊藤野枝　いとう のえ
1895-1923（明治28.1.21-大正12.9.16）
女性解放運動家。福岡県生れ。上野女学校卒。青鞜（せいとう）社・赤瀾会に参加。無政府主義者で、関東大震災直後に夫大杉栄らとともに憲兵大尉甘粕正彦により虐殺された。

◇参照：Wikipedia &amp;link_wikipedia(アンリ・ファーブル){アンリ・ファーブル}、&amp;link_wikipedia(大杉栄){大杉栄}、&amp;link_wikipedia(伊藤野枝){伊藤野枝}、『広辞苑 第六版』（岩波書店、2008）。

底本：「定本　伊藤野枝全集　第四巻　翻訳」學藝書林
　　　2000（平成12）年12月15日初版発行
底本の親本：「科学の不思議」アルス
　　　1923（大正12）年8月1日
http://www.aozora.gr.jp/cards/001049/card4920.html

NDC 分類：K404（自然科学 / 論文集．評論集．講演集）
http://yozora.kazumi386.org/4/0/ndck404.html

＊難字、求めよ
偽道　ぎどう?　にせみち?
ネラ　フランスの小さな町。
ド・ロマ　ネラの長官。
中和電気　ちゅうわ でんき
尖閣　せんかく

＊むしとりホイホイ
ものをおなじ　→　ものとおなじ　【と？】　「此の世の中のすべてのものをおなじやうに」
雉《な》ぎ倒され　→　薙《な》ぎ倒され　【薙？】
直ぐと　→　直ぐに　【に？】　「直ぐと其の表面が固まつて」
私も其処にゐる事にしようよ　【「しよう」か？】
火山腹　→　火山山腹　【山腹？】

以上５件。底本未確認。

＊スリーパーズ日記
　うはあっ、奥付バックナンバー url 中の「&amp;」とすべきところが置きかわっていたことに今まで気がつかなかった。。。確認してみると、第四号当時からずっとそのままになっていたらしい。タイトルをクリックしてもらっても、これじゃあダウンロードもアクセスも出来なかったはず。しょぼーん。
　これは、つくりかえさねばならんだろーなー。

『&amp;link_wikipedia(現代の図書館){現代の図書館}』vol.49 no.2（2011.6）読了。



2012.3.7：公開　玲瓏迷人。
目くそ鼻くそ。しだひろし／PoorBook G3&#039;99
転載・印刷・翻訳は自由です。
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    <dc:date>2012-03-07T01:47:47+09:00</dc:date>
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