軍事板初心者質問スレFAQ
http://w.atwiki.jp/armyfaq/
軍事板初心者質問スレFAQ
ja
2014-07-30T18:44:19+09:00
1406713459
-
編集ルール
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/11.html
◆編集ルール
①このwikiに載せるのは過去に軍事板の◆iqK7ZoWK2.氏のレス及び「軍事板常見問題 mixi別館」のログに載ったレスだけとします。
②初心者スレの回答で板違いとのレスの付いた質問は掲載しないでください。
③初心者スレで議論になったり派生スレへの誘導の行われた質問も掲載しないでください。
④初心者スレでの元々の質問・回答は、誤字訂正やまとめやすくするためを除き、改変したり内容を追記しないでください。
⑤引用元は必ず記載してください。
※書き方は #right(){(スレッド名:レス番号)} が基本。
※固定ハンドルで書かれてる方の文章を引用する場合は#right(){(スレッド名:レス番号:固定ハンドル)}でも可とします 。
⑥Wiki形式なので、みんなで更新していこう!!
⑦疑問や異議のある場合は軍事板の軍事板常見問題検証スレで議論します。
 ̄ ̄ ̄ ̄\ /~=-., |:::::::::
アメ公を撃て >(´∀` ) \\\_____,|:::::::::
____/ |~ : ~| \\\___.,/` ` `/ ̄ ̄ ̄ ̄||:::::::::
| │ │ .│ /` ` `./ ̄ ̄ ̄ ̄||____/.|:::::::::
||_tttttt_ttt_(_(_)___|____|_____/(_____);;;;|:::::::::
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\:::::::::::ヤマート
\::::::::::::::
.)======================
2014-07-30T18:44:19+09:00
1406713459
-
第二次世界大戦
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/66.html
太平洋戦線に関する質問は[[こちら>太平洋戦線]]をご覧ください
#CONTENTS
----
*全般
**WW2のことですが「爆撃の先導機」とは具体的にどうやって目標を示すのでしょう?&br()信号弾みたいなものでしょうか?(488:913)
無線で指示したり、スモーク落としたりする。
#right(){(488:916:モッティ)}
先導機が最初に目標に対し爆撃し、その爆撃箇所へ後続も爆撃する。
夜間爆撃だと、火災を起こす目標指示弾を落とすこともある
#right(){(488:917)}
確かに爆撃機編隊の中の先導機かそれ以外の先導機(T-33のような観測機)の二通りが考えられる。
前者は戦闘を飛ぶ先導機(隊長機みたいなものだと考えれば)が落としたらそれを見て他の機も投下する
#right(){(488:922:モッティ)}
先導機
DROOP SNOOT http://p38assn.org/images/p38s/droopsnoot.jpg ←通常の照準器型
PATHFINDER http://p38assn.org/images/p38s/pathfinder.jpg ←レーダー搭載型
(P-38 National Association & Museum http://p38assn.org/variations.htm)
他にTarget Markerとも呼び、デハビランド モスキートも同様の任務に付いた
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d7/Mosquito_600pix.jpg
#right(){(488:973)}
**第二次大戦時の機銃戦闘オンリーのレシプロ戦闘機は、多少の機銃弾の被弾には耐えられる設計だったのですか?(485:993)
当たり所によるとしか・・・・・・
コクピットから、パイロットを撃ち抜かれればまずおちる。
逆に防弾装甲のあるところを遠距離から打たれたら、まず大丈夫。
#right(){(485:994)}
**一般論としてWW2時の歩兵師団では、戦闘部隊と後方部隊の比率はどの程度なんでしょうか(485:904,905)
>ww2の歩兵師団について
>(国や時期などによって変化があるのは知っていますが)
>独、米などの歩兵師団は凡そ12000~16000人程度で構成されていますよね。
>
>1)これは輜重部隊や野戦病院などを含む数字でしょうか?
>
>2)一般論としてWW2時の歩兵師団では、戦闘部隊と上記のような後方部隊の比率はどの程度なんでしょうか
>
>補足
>検索したところ、日本陸軍の歩兵師団では戦闘部隊1万、後方部隊5千との数値を見つけました。
>
>これが正しいのか、正しいとしても当時の一般的な数値なのか、は解りませんでした。
1) 含む
2) 編成によってかなり違ってくるので一概にはいえない。そういうあいまいな聞き方すると回答が返ってきにくいよ。
WW2ドイツ歩兵連隊なら3000人中1200人ぐらいが戦闘要員
#right(){(485:912)}
1)師団隷下の輜重部隊(段列など)や野戦救急部隊などは含まれる。
軍団や軍直轄の輜重部隊や野戦病院は含まれない。
2)時代、国、種類によって異なるが、だいたい2:1。つまり>>905は一般値に近い。
#right(){(485:919)}
**WW2の戦闘機で機銃の残弾数を表示出来る機体はあったでしょうか?(485:565)
>また、あったのならその機種と、どのように残弾数を表示していたのかも
ドイツ戦闘機、Bf109F型以降やFw190、Me262なんかには残弾指示器がついてます。
縦型のバー表示になってますね。
#right(){(485:567:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**WW2で使われたエンジンのマーリン、ダブルワスプ、デュプレックスサイクロンやドイツ製の航空エンジンは、どのようなレアメタルを使ってましたか?(485:451)
その頃のエンジンの資料がなかったので、一世代前のエンジンになりますが。
P&Wツインワスプ。
クランク軸は鍛造合金鋼製。
排気弁にナトリウムを封入し、排気弁はステライト(コバルト、クロム、タングステンの合金)で溶着しています。
Wright ホワールウィンド。
クランク軸は特殊合金鋼製。補機台はマグネシウム合金。
排気弁にナトリウムを封入し、排気弁はステライト(コバルト、クロム、タングステンの合金)で溶着しています。
Allison V1710。
排気弁と弁座部はステライト(コバルト、クロム、タングステンの合金)で溶着。
弁の蓋とエンジン後方の後蓋はマグネシウム製で、接合棒とクランク軸がクロム・ニッケル・モリブデン鋼の鍛造品。
BMW9。
接合棒がニッケル・クロム鋼製、クランク軸がニッケル・クロム・タングステン鋼製。
クランク函はマグネシウム合金の鋳物。
Hispano-Suiza 12X
排気弁はニッケル・タングステン鋼製。
過給器の筐体は、エレクトロン(マグネシウム85パーセント以上、アルミニウム・亜鉛・カドミウム・マンガン
の合金)。
R.R.マーリン
排気弁にナトリウムを封入し、排気弁は燐青銅で、弁座にはクロムを利用したシルクロムを利用。
吸入、排気の弁棒端にはステライト(コバルトを主成分とし、クロム25~32パーセント、タングステン4~25パーセント)合金製。
クランク軸はニッケル・クロム鋼製、クランク軸受けは鉛青銅製。
Daimler Benz DB600
気筒とクランク函がシルミン・ガンマ合金(シリコンとアルミの合金)。
クランク軸はニッケル・クロム・タングステン鋼製。
追記。
エンジン関係だと、このスレに詳しい人々が居ますので、此処で再度質問した方が良いかも
知れませんね。
ミリタリーレシプロエンジン 九基目
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1211278714/
#right(){(485:629-630,687:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
蛇足ですが、
http://www.pilotfriend.com/aero_engines/aero_eng_dvmt.htm
の「Material」の項によると、ベアリングには銀とともにインジウムが使用されて良い耐久性を得ていたようです。
#right(){(485:633)}
**WWⅡの各国の出征中の兵士たちは、原則的には本国への一時帰国などは認められなかったのでしょうか?(485:154)
>3年~5年間家に帰れなかったなんてことは、普通にあったこと?
>ドイツでは地続きのせいか、休養や師団再編などで本国に帰ることがあったように思えます(映画等)が
>実際はどうなのでしょうか?
>それともある程度の余裕ができた時に、長期の休暇や本国での再編などで帰国させていたのでしょうか?
>(国によって違うのかもしれませんが、東部戦線のドイツや中国戦線の日本、欧州でのアメリカ、イギリスあたりで)
東部戦線のドイツ軍だが、間隔は不明だけど休暇などで本国に帰る
ケースがある。
全滅した師団などを再編成する際にその師団に所属する休暇明けの兵士や
回復した傷病兵を基幹に行ってる。
#right(){(485:156)}
米英は、一定サイクルで、前線勤務→休暇→再訓練→前線を繰り返すのが普通
なので、ある程度前線で勤務すれば、本国で家族や友人と過ごすこともできた
日本は、よほど運がよくない限り、本国での休暇は夢のまた夢
だが、少数ではあるが、帰国して休暇を取ることができた将兵もいる
#right(){(485:157)}
アメリカは原則前線半年、後方で休養3ヶ月なはず
日本は悲惨でいつ帰れるかまったく分からなかった
#right(){(485:159)}
>欧州に派遣されたアメリカ軍兵士は最大で100万以上いたと思いますが、
>こうした兵士たちの多くが大西洋を頻繁(といっても半年から1年?ごと)に往復していた、
>と考えていいのでしょうか?(485:173)
さすがにそれは無理なので、たとえば欧州戦線米兵の場合、イギリス国内で休養
フランス全土がほぼ解放された後は、フランスの適当な都市
太平洋戦線の米兵だと、後方の、比較的安全な島で休暇
#right(){(485:175)}
本国での休暇は難しいけれど、決して不可能ではなかった。
戦時中に、大西洋を渡って米本土に帰った兵士もたくさんいる。
米軍の場合、ベテラン兵士を定期的にリフレッシュさせた方が、
前線で使い潰して後釜に新兵を入れるより効率的という考えで、
この辺の福利厚生はしっかりしてる。
#right(){(485:177)}
**第二次大戦で日本軍もドイツ軍もアメリカ軍も37mm機関砲を航空機用機関銃として使用してますが、なぜ37mmなのでしょうか(481:642)
>ドイツの急降下爆撃機や日本の屠龍 アメリカのP-39
>みんな37mmですが、どうしてですか
とりあえず、37mmとなると「機関砲」ね。
で、航空機に積める大口径機関砲って言うとそのくらいが限度。
中には50mmとか75mm(これは大砲であって、機関砲じゃないけど)とかの
ものを積んでたのもあったけど、普通に積めて連射に機体が耐えられる
大きさ、というとその位になる。
#right(){(481:644)}
ちょっとうろ覚えだが、先込め式の砲だった時代の砲弾の重量が口径を決めたと言う話だったかと。
昔の方は実体弾、要するにただの金属塊だから重量が威力の目安になる。
そうなると重量がたとえば1ポンド、2ポンドというふうに標準化され、その重さの砲弾がどれくらいの直径になるかで砲の口径が決められたということ。
ここに重量と口径の対照表があるが、なんとなく近い数値にはなってる。
ttp://sus3041.web.infoseek.co.jp/contents/faq/bore.htm
ちなみに英軍はたしか今でも何ミリ砲とは言わず何ポンド砲と呼ぶ。
#right(){(481:664)}
**アメリカにとって陸戦限定でドイツと日本どちらが辛かったか?
欧州戦線での戦死者は、太平洋戦争での戦死者の2倍
実質的な戦闘期間は、欧州戦線の方がかなり短かったので、どちらが激戦だったかは明らかかと
#right(){(457:969)}
太平洋の場合は島嶼の争奪戦だから
一度制海権を失うと戦力の投入も移動も困難になる(夜間であったとしても)
#right(){(457:972)}
**アメリカはどのようにウラジオストクへ物質を輸送していたのですか?
ソ連船籍の船で輸送していた。
1941年12月8日以降日本にとってアメリカは敵国だったが、ソ連とは不可侵条約を結んでいたので公海を行くソ連船を止めることができなかった。
実際にはソ連の旗を掲げたアメリカ船も多かったらしいが。
#right(){(377:182)}
ごく普通に千島を抜け宗谷海峡を通っていた。
上で出てるような理由で日本側は手出しができないので。
ちなみに、間宮海峡(タタール海峡)は冬は凍るので、船は通れなくなる。
#right(){(377:198)}
**アメリカ海軍の護衛空母はどうしてあんなに大量に建造されたのでしょうか?
>(質問の続き)大西洋ではエアカバーのギャップは大きくないし、44年には解消されています。
>太平洋でも日本潜水艦の戦力では船団に大きな脅威にならないのではないでしょうか?
航空機をアメリカから、ヨーロッパや、太平洋の各戦線へ輸送するのに便利だったのと
大量の船団に護衛として付けるため。
アゾレスや、アイスランドに基地作ってエアギャップをなくしても常時、船団にエアカバー付け
られるわけじゃないので。
#right(){(458:559)}
あと、同盟国(主にイギリス)に提供するためにっていうのもある。
でも貰ったイギリスは「内装が自国の求める仕様に達していない」と、半年あれば
完成するものを3ヶ月掛けて改造するとかいうよく分からんことをやっていた。
#right(){(458:575)}
**日独は対爆撃機用の大口径搭載の戦闘機などを開発していますが、米英には似たようなコンセプトの戦闘機はありませんか?(479:372)
P-39 エアラコブラ は正にそう
>対爆撃機迎撃用大口径砲搭載戦闘機
P-38 ライトニング も、 P-47 サンダーボルト も、開発コンセプトとしては
「高高度で戦略爆撃機を迎撃する」ことが主眼にされていた。
ターボチャージャーが付いてるのはそのせい(P-39も元はそういう設計)
結果的にはどれも開発コンセプトとは違った用途に回されて活躍しているわけだが。
あと、試作だけど ベル YFM-1 エアラクーダ っていうゲテモノもある。
蛇の目については識者にお任せします。
(479:374)
英国の場合は、旋回機銃塔のみの戦闘機と言うのでお茶を濁しています。
ですので、対爆撃機用の大口径機関砲搭載の戦闘機はありません。
対戦車用では、HurricaneMk.IIdが翼下に40mmを搭載していますが。
計画機でも精々20mm砲が精精で、変った所では、Boulton Paul P.62と言う双発戦闘機が、
胴体背部の中央翼上に平べったい砲塔を搭載し、此処に20mm砲4門を搭載すると言う、
例のDefiantやRocの親玉みたいなものがあるくらいです。
(479:397:眠い人 ◆gQikaJHtf2)
アメリカならP-38P-39P-54などなど、いっぱいある
砲の口径も37ミリやら57ミリやら機種によりさまざま
全部あとで12.7mmか20mmに置き換えられけどね
(479:418)
**WWⅡ中の世界中の航路はどうなっていたのでしょうか?(483:224)
>内海航路(青函や沖縄、朝鮮半島や満州)
>外洋航路(英米大西洋航路など)
>などは原則中断していたのでしょうか?
>もし運行していたとしたら、護衛艦などが付いていたのでしょうか?
内航は続いていたが護衛など付くはずもなく、米潜水艦のよい餌だった
外航も続いていて、資源輸送やら人員輸送をやったが、日本の場合は護衛体制がボロボロなのでこれまた米潜水艦の餌
欧州方面はPQでぐぐれ
米とソ連を結ぶ極東、北極航路はかなり活発だったが日ソ中立条約で手出し不能
日米航路は例外的なものを除き、もちろん中断
#right(){(483:226)}
戦争になっても輸出入を辞めるわけにはいかない。
特に日本や英国のような国では、戦争中は特に。
で、交戦国の輸送船は、船団組んで護衛を付けた。
速力のある輸送船は単独で運行しなるべく敵に出会わないようにしたが。
#right(){(483:227)}
>客船航路はどうだったのでしょうか?(483:228)
客船は舟脚が速いので原則単独航海
#right(){(483:229)}
青函連絡船は1940年10月10日以後、客貨便4便、貨物便8便で合計12往復。
1943年3月以後は1日14往復で夜間航行まで行っています。
1944年4月以後は客貨便が4往復に削減され、貨物が14往復に増やされました。
更に1日21往復まで増やされましたが、1945年には第5青函丸が沈没、第9青函丸沈没で1日13往復に落ち込み、7月14~15日の空襲により、
第7、第8青函丸以外の連絡船が撃沈され、以後は1日6往復も難しくなります。
関釜連絡船は、1939年7月に1日3往復(夜間便1往復)の旅客便と2往復プラス臨時便の運行が行われていました。
1941年4月には貨物便は新型船就航で1往復に集約されました。
1942年11月からは便数はそのままですが、時刻が変更となり、1943年7月からは博多~釜山航路が補助航路として1往復開設されます。
以後、時刻などは変更されませんが、10月に崑崙丸が撃沈され、1945年4月には興安丸が触雷、新羅丸、金剛丸が運行不能や撃沈され、6月20日以後は、関釜、博釜
の両航路とも事実上運航停止となります。
稚泊連絡船は1941年12月以降、1往復が維持されていたものの1945年8月にソ連軍が侵攻した為、8月23日までに宗谷丸が3往復し、24日に
航路が閉鎖されました。
その他の外洋航路は船がないので、次第に縮小され、1945年以後は全く運行されていません。
因みに、米国や英国の場合は、独航船で運行することが多かったりしています。
また、米国では人員輸送用に戦時標準船形の客船を建造し、師団を一気に輸送したりしています。
後、スウェーデンとドイツなどのバルト海航路、ポルトガルやスペイン本国と自国植民地の航路は連合国や枢軸国の了承の下、
運航されています。
この場合、船腹に大きく中立国の国旗を描き、夜間も灯火を赤々と点けた形での航行です。
こうした経路で、英国や米国から引き揚げた日本の外交官が、欧州に赴任するケースもあったりしました。
#right(){(483:239:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
>独航とはつまり、英米や米仏といった民間人用の大西洋客船航路はWW2中も中断されなかったという認識でよろしいのでしょうか?(483:254)
あ、書き方悪かったですね。
民間人用の客船航路としては、既に閉鎖されています。
米国から英国などに行く民間人は、政府とか産業関係の人々が多く、民間人は軍属とかにでも
成らない限り、行くことが出来ません。
大戦後期では、そう言った人々は航空機(C-54やランカストリアンなど)での輸送も行われたり
していますが。
なお、中立国から交戦国に行く航路は一応生きています。
日本が太平洋戦争に参戦していない時代、英国やイタリアから日本に向けて航海する航路は維持出来ていました。
1940年11月に最後の日英航路の船舶が運航されています。
また、例えば、1941年まではスウェーデンから米国に行く航路がありますが、亡命者達の需要には全く応えられません。
スウェーデンでは数千人の亡命者に対し、数隻の船に数席の客席しかない状態でした。
南米なら少しだけ余裕はありましたが、それでもプラチナチケットであることには変わり有りません。
連合国の船で、独航船で撃沈されたのは、U32に撃沈されたエンプレス・オブ・ブリテンが最大の船ですね。
1940年にFw-200によって損傷を受け、その後、連絡を受けたU32が3本の魚雷で沈めたのがあります。
#right(){(483:272:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
*欧州戦線
**プライベートライアン見て思ったのですが、なぜ上陸する前に空爆しなかったのですか?(488:772)
ノルマンディの海岸地帯のうち、「プライベートライアン」の舞台になっている
「オマハ海岸」(オマハはコードネームで本来の地名ではない)だけは事前の
防衛強化策でトーチカ等が整備されていたのに、当日の朝爆撃した爆撃機部隊が
先導機(爆撃する目標を後続の部隊全体に指示する役)が目標を取り違えて
海岸ではなく海岸から陸地に進んだところにある予備陣地(海岸が陥落したら
撤退してそこで第2時防衛線を張る)を爆撃目標に指示し、爆撃部隊はそこに爆弾を
落とした。
そのため海岸陣地はほぼ無傷で、艦砲射撃も少し離れたところにある砲台を恐れて
艦が海岸へあまり接近出来なかったので大した効果がなかった。
なので、最も防備の堅い所に真正面から上陸作戦仕掛けたのであんなことに。
#right(){(488:773)}
**北アフリカ戦線にもL3タンケッテは投入されましたか?(487:71)
投入されてますよ
詳しくはありませんが、こことか
http://en.wikipedia.org/wiki/L3/35
#right(){(487:77)}
**第2次大戦のイタリア海軍ですが、地中海の制海権を取れなかった理由は(486:577)
>・制空権を取れなかったから
>・レーダーがなかったから
>・燃料が不足気味だったから
>というところが主因でしょうか?
素直に戦力不足だったと言うべきと思うなぁ
#right(){(486:578)}
**第二次エチオピア戦争の時イギリスはどうしてスエズ運河を封鎖しなかったのでしょうか?(485:333)
>エチオピアに武器援助したり、イタリアに経済制裁なんて回りくどい事しなくても、
>地中海から出れなくすればエチオピアでも勝てた気がするのですが
エチオピアのために欧州の均衡を崩したくないと思ったから。
#right(){(485:335)}
**大戦中、イギリスの潜水艦はUボートほど活躍できなかったんでしょうか?(484:678)
そんなことはありません。イギリスの潜水艦は北海等では哨戒に
地中海では通商破壊などで大活躍しています
有名どころではリュッツォーを大破させたスピアフィッシュ
地中海の通商破壊で活躍したアップホルダー
足柄をしとめたトレンチャントなどがいます
特にマルタを根拠地に北アフリカ向け輸送船の通商破壊を行った
アップホルダーを始めとするイギリス潜水艦の活躍は
船体と同じ重さの金に相当するとまで言われています
#right(){(484:704)}
**ドイツはV2ロケットをイギリスの軍港に集中的に撃ち込んで、艦船を撃沈しようとはしなかったんでしょうか?
V2にはそこまでの命中精度がない。
そりゃ一箇所に何十発も撃ち込めば1発くらいは当たったかもしれないが、
どう考えてもV2の無駄遣いだろう。
#right(){(459:580)}
**連合軍はノルマンディーから上陸したわけですが、ベルギー・オランダあたりからの上陸は考えてなかったのでしょうか?
>補給を考えてロッテルダムやアントワープとかの港湾設備がある地方からのほうが良いように見えるのですが……
まず、その辺に上陸するには海を長距離(っていっても対した距離じゃないけど)越えてく
必要がある。
それに、デンマーク海峡から北海南部までは引きこもり状態だとはいえまだまだ
ドイツ海軍の勢力圏内だから、完璧な制海権を必要とする大規模上陸には困難が
伴う。
なによりオランダは国全体が湿地と低地で、運河と沼だらけだから上陸したあと
大部隊が纏まって行動するのが困難だし、フランス北部からベルギーにかけては
ドイツが上陸を想定して警戒している。
奇襲上陸が可能で上陸後の部隊展開も容易、制海権がほぼ完璧におさえられる場所、
というとノルマンディーが最適だった訳。
ちなみにドイツ軍がそう考えているであろうことを予測して、ノルマンディ上陸の
前にはカレー~ベルギー北海岸のどこかに上陸する計画である、っていう偽情報が
ありとあらゆる手段で流された。
パットン将軍はこの偽上陸計画の「総司令官」とされて実際にはありもしない作戦の
ために各地を奔走した(偽情報をらしく見せかけるため)。
#right(){(461:603)}
英本土から離れすぎなので、たどり着くまでに見つかる可能性が高い。
港湾施設があるところは当然のことながら防備が厚く、道路網も発達しているので兵力を集中させ易い。
つまり自殺行為。
敵の最も手薄なところを狙うのは基本中の基本。
港湾を占領するのはその後でいい。
ノルマンディの場合は「港がなければ持ってくればいいじゃない」ということで、マルベリーという巨大な埠頭を持って行って海岸沖に設置した。
#right(){(461:604)}
**大戦中にイタリアに停泊したアメリカ軍が戦艦盗まれた、という都市伝説を聞いたことがあるのですが、(479:583)
>まあこれ自体はネタとして、なんかこの話の元となるような事件はあったんですか?
元ネタは塩野七生のエッセイです。
で、このBlogでその話について検証してます。
ttp://navy.ap.teacup.com/yamanekocave/255.html
#right(){(479:586:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**「戦車を高射砲で攻撃するなんて卑怯だ」「高射砲でしか撃破できない戦車の方がよっぽど卑怯だ」って何のやりとり? (481:884)
確か『砂漠のキツネ』(フジ出版社)に出てくる英軍戦車兵の捕虜とドイツ軍の尋問官の会話だったと思います。
戦車はマチルダで、高射砲はいうまでもなく8.8cmFlakね。
#right(){(481:887:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
ロンメルの副官、シュミット中尉の回想によるようです。
バトルアックス作戦における208高地の戦いで
捕虜となった英軍戦車兵が英語で
「私の意見では、高射砲で戦車を撃つのは卑怯ですな」
と言ったのに対し、その訳を脇で聞いた独軍砲兵が、
「なる程。だったら88mm高射砲以外には撃ち抜けない
装甲の戦車で攻めてくるやつは、それ以上に卑怯だよ。」
と言った・・・というのが原典のようです。
ソースはタミヤのFlaK36/37の説明書です。
解説は菊地氏による。
#right(){(481:903)}
*連合国
**アメリカで一般的に(学卒の一般人)入隊してから戦闘機パイロットが実戦投入されるまでの期間は&br()どれくらいだったのでしょうか?(487:455)
>大戦末期での枢軸と連合国ではパイロッットの養成期間にかなりの開きがあったと聞きます。
>(うろ覚えなのですが、アメリカでは実戦投入まで360時間の飛行時間だったと思います)
>
>アメリカで一般的に(学卒の一般人)入隊してから戦闘機パイロットが実戦投入されるまでの期間は
>どれくらいだったのでしょうか?ご存知の方がいたら宜しくお願いします。
1943年の例ですが。
短くても1年~1年半程度は前線に出るまでに掛かっています。
陸軍入隊後、先ず、初期教練を受けます(1ヶ月程度)。
その後で、5ヶ月間、試験と地上訓練を受け、適性が決められます。
午前中は気象学、航空学、機械学などの講習と口頭試問が繰り返され、午後は身体訓練として、
腕立て伏せ、懸垂、腹筋、屈伸、ウエスト運動、その場での駆け足、壁に手をついて体重を掛けたまま
頭をそらせる運動を数時間やった後、10km弱のランニング。
最初の体力テストと筆記試験で全体の半数が篩い落とされ(つまり、其の儘歩兵行き)、残った者の
うち、40%以上が初級訓練、基礎訓練、上級訓練の何処かで篩い落とされることになります。
最初のテストは、第1部で一般知識、グラフと図を読む能力、機械の原理の理解力、地図と写真を読む
能力、認識の速さと正確さ、専門知識の理解力を判定され、第2部では筋肉の運動協調が可能か、圧力
に耐えられるか、指は器用か、次々に変化する刺激に素早く正確に反応出来るか、第3部が心理学者との
個別面談となります。
次いで身体検査で、テストの前後に脈拍数と血圧を検査され、色覚、遠視、近視、遠近調節、奥行き感覚
のテストが行われます。
この段階で20%が不合格となり、操縦士以外の砲手や通信士、航空機関士などへの道を歩むか、歩兵に
行かされます。
これらのテストをパスすると、漸く初等練習機の同乗飛行が開始され、単独飛行に進みます。
この段階でも不合格者は別のコースへ鞍替えさせられることになります。
ここまで生き延びれば、希望コースの訓練順位を提出させられます。
操縦士、航空士、爆撃手のうち、成績優秀者は航空士コースへ、それ以外は、適性と各人の
希望、定員数の順番で、他のコースに振り分けられます。
5ヶ月初期訓練の後、2ヶ月は飛行訓練の初期段階、初等練習機による12週間の訓練、次いで
上級訓練が1~2ヶ月、以後、各機種毎の転換訓練となり、前線の需要にも依りますが、3ヶ月
くらいで卒業となり、前線に配属準備が完了します。
#right(){(487:537:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
>横ですが、以前の眠い人さんのレスに
> >米陸軍航空隊は,
> >特に旅客機操縦士は基より,農業機パイロット,大学生など
> >民間にいる軽飛行機の操縦士を徴募することで,急速に養成が可能となっている訳です.
>つーのがありますけど、それなのに初等練習機に乗せるとかやったわけですか?
>無駄では?
民間パイロットの技量はバラバラなので初等練習機で確認する必要があった
具体的な数値が思い出せないがエリミネート率は結構高かった
米軍ではないが、かのサン=テグジュペリは民間パイロットとしての操縦経験が豊富だったにも
関わらず、志願した後で初等訓練段階をどうしても突破できず、結局はコネで偵察機部隊に潜り込んだりしている
#right(){(487:643)}
取り敢ず、経験者であれば、地上訓練を少しやって軍に慣れさせ、初等訓練で軍用機に慣れさせて、
どの機種に進ませるべきか程度の訓練を行った上で、高等練習に行きます。
勿論、民間の大型機パイロットであれば、戦闘機よりも輸送機や爆撃機パイロットとして引く手数多
だったりしますが…。
上の例に挙げたのは、全くの素人が一から飛行機を飛ばした場合として書いた例になります。
大戦中は、軍用機パイロットはもとより民間旅客機やら農業機やらのパイロットですら払底するくらい、
飛行機が必要とされた訳です。
#right(){(487:738:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**海軍軍縮条約でフランスが日本よりも少ない艦隊に甘んじたのはなぜですか?(487:333)
>海軍軍縮条約で、
>英米:5、日:3、仏伊:1.67
>と決まったらしいですが、イタリアはともかく、世界中に植民地を持ち、強力な海軍が必要なはずのフランスが日本よりも
>少ない艦隊に甘んじたのはなぜですか?英米くらい海軍を持っててもおかしくないような・・・?
地中海で争ってるイタリア並みの戦力で充分だったから。
あとマジノ線作ってるのでとにかく金が無かった。
#right(){(487:335)}
アメリカやイギリスは海という防壁で囲まれてるけど、フランスは仮想敵国と直接国境を接している。
そうなれば遠くの植民地を守るための海軍と、自国の国境と領土を守るための陸軍のどちらを優先させるかは言うまでもないよな。
おまけに第一次大戦で荒廃した地域を復興させねばならず、にもかかわらず労働力である成人男子が大量に死んでいる。
いくらドイツから賠償金を搾り取ったとはいえ、そんな状況では予算には限りがある。
#right(){(487:336)}
一国の軍備は、その国が置かれている状況から生まれる必要性と可能性をもとに計画されます。
当時のフランスが置かれていた状況は、5年間に亘る長い長い総力戦にやっと勝利したばかりで、
宿敵ドイツは倒したものの、国土の大半を蹂躙され、多くの若者を失い、国民は疲弊しきっていました。
つまり、巨額の費用を要する巨大な軍備を維持する必要性が当面なくなったうえ、国土の荒廃と
国民の疲弊を癒し、膨大な戦費の清算を急ぐために、軍備を縮小して国家の再建に財源を回すことが
緊急の課題だったのです。
いかにフランスが欧州で最も豊かな国の一つでも、この状況で英米に匹敵する艦隊を整備することなど
全く不可能でした。
この状況は、欧州のもう一つの戦勝国である英国にとっても、ほとんど同じでした。
WW1後に締結された一連の軍縮条約は、誰よりも英仏両国の市民に歓迎されたのです。
#right(){(487:338)}
**米軍がナチスの強制収容所を解放したときに、収容所を市民に見学?させてますけど&br()これって一体どんな意図があったんですか?(487:52)
「そんなことをしていたなんて知らなかった」「党がやっていたことで自分達は無関係だ」
という反応がほとんどだったので、
「たとえ知らなかったとしても無関係でもお前らの政府が何をやっていたのかをよく認識しろ」
ということ。
#right(){(487:56)}
ドイツ国民が支持してきたナチスの蛮行と、それを見てみぬふりをしてきた事実を思い知らせて反抗の芽を摘もうとした。
終戦直後は人狼部隊もわずかながら活動していたため、抵抗運動が起きる可能性を潰すことは重要だった。
#right(){(487:58)}
ドイツ人に罪悪感を起こさせ
戦後処理を連合軍有利に進めるための工作です
一種の洗脳と言えなくもない
#right(){(487:59)}
**WW2時のアメリカの戦車で白星だけのマーキングと星をわざわざ円で囲ったマークがあるけどどういう違いがあるんですか(484:797)
http://www.white-star.nl/white.htm
にあるような歴史的経緯による。丸で囲んだものは特に航空機からの識別を意識している。
#right(){(484:803)}
**米軍には黒人兵部隊もあったの?
それはあった。
第二次大戦時米軍には約25万名の黒人兵がいたが、その多くは補給や建設,危険度や疲労が高い割に日の当たらない弾薬輸送など非戦闘任務に就いていた。
当時の偏見として戦場は白人の男がその勇気を示す場所だから,臆病で信用できない黒人は後方任務で充分と思われてたわけ。
また(現代のガタイのいいブラザー像からあんまし想像がつかないが)栄養状態の不良が原因で身体的に徴兵検査を撥ねられる割合が高かったらしい。
全般的な前線勤務率は低く、黒人運動の指導者が「黒人兵を名誉ある前線任務に就かせろ!」運動をしたぐらいだった。
欧州戦線には黒人兵の師団が派遣されたが、その戦績は芳しいものではなかった。
ただし、イタリアで爆撃機護衛任務についていた黒人兵の戦闘機隊「ブラックイーグルス」は勇猛さで名高かった。
あと、硫黄島の守備隊の話では、初めに上陸して来たのは肌の色が黒いのと赤いので、戦闘が一段落したら白いのがやってきたということだが、米軍側では、硫黄島では事前に猛砲撃を加えたので、上陸時の日本軍の抵抗は微弱と思われていたために起きた事。「黒人兵が弾除け代わりにされた」というのは俗説に過ぎない。
そもそも、弾除け代わりの兵士などという発想は負けている側のもので、優位な状況ならできるだけ強力な兵力を送り込み橋頭堡の迅速な拡大を狙うもの。
↑はい、ダウト
硫黄島以上に激戦地となったペリリュー島、アンガウル島では最初に黒人兵が上陸させられ全滅している。
この島は硫黄島以上に猛砲撃、念入りに空爆されているが日本軍にはたいした効果がない事をアメリカも熟知していた。
その上での硫黄島攻略だったのだ。
「前線任務に就かせろ」と一部の黒人が言ったからといって何度も全滅している上陸任務に黒人「だけ」を最前線に立たせるか?
「前線任務に就かせろ」という言葉は黒人社会の発言権拡大のポーズに過ぎず、
同じマイノリティでも収容所へ入れられ財産を没収された日系人が市民権を得るために前線に行ったのとは次元が違う。
ちなみに他の島でも同様に黒人は最初に上陸させられ全滅している。
詳しくは
ペリリュー・沖縄戦記
生還―玉砕の島ペリリュー戦記―
参照
上陸任務に就いた黒人兵の死亡・戦傷率を調べてほしい。
彼らは間違いなく「捨て駒」で「弾除け」だった。
アメリカ「政府」側にいる人間の妄言を信じるのもほどほどに。
**第二次大戦中の米軍兵器の生産管理手法はどのような物だったのでしょうか?
>なるべく具体的に教えて下さい。
戦前の自動車や電化製品の部品の互換性向上、作業標準化を各産業が応用し、
限定された種類の製品を大量生産するシステムが生まれています。
また、工作機械の操作は、単能機械の電化が進んだため、比較的容易になりました。
これを受けて、労働過程の細分化や単純化を進め、時間=動作研究に基づいた作業分析
を行い、労働者の適正な配置を行っています。
具体的には、非熟練労働者を有効活用すべく、可能な限り小さな組立てに分割するサブ組立
方式が発達します。
これにより、組立てに必要とされる熟練のレベルが大きく下がり、労働者の職業訓練期間が
短くなりました。
部分組立はそれぞれ本工場ではないフィーダープラントで行われ、それには本工場から指導員が
派遣されたほか、フォーディズムの導入は積極的に図られる事になります。
また航空機工場の場合、生産に際しての教育は、数週間(日本では1週間ほど)の教育が行われ、
リベット工として作業に従事、その後、溶接工に進む過程と、板金を打ち抜き、ヤスリを掛ける作業から
入り、ドリルプレス工へと進み、更に教育を受ける事で検査工やフライス盤を操作する機械工に進んで
行きます。
メーカー同士も生産ノウハウを共有するため、主要会社同士で構成される生産協議会が設立
され、主要機種の生産融通や、部品の共有化、互換性の向上を図っています。
工場内では、男女混合作業チームを作り、体力を要する「男性の仕事」と、それ以外の「女性の仕事」
を切り離す試みも行われています。
女性の組み立て工のグループに肉体労働専門の非熟練男性労働者を配し、資材運搬や部品運搬を
彼等に担当させ、女性は組立てに専念すると言った手法も採られています。
#right(){(初心者スレ476:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**F8Fは捕獲した零戦の影響受けて作られたって言う人と、捕獲したFw190の影響受けたって言う人がいるけど、どっちが正しいんでしょうか?
>wikipediaではFw190の影響と書いてありました。
零戦に関しては「これに格闘戦でやりあえるようなものを」と
FW190に関しては「極端に絞ったスリムな機体に大馬力エンジンを積む」というコンセプトを
それぞれ参考にしたということで、どちらの影響も受けているというのが正しいところでは。
どっちか一方だけではなくて。
#right(){(474:93)}
どちらも参考にしていない。その両説ともその両機種が好きな人間が流したデマであると言う説
もあります。
単に、開発時に手に入る優秀なエンジンを使い、F4Fしか使えない小型軽量な空母で運用可能な
戦闘機を目指したらああなっただけ。と言う話です。
つまり、Fw190や零戦など眼中に無くても、大馬力エンジンに軽量な機体を組み合わせる発想に
辿り着ける理由はあったことになります。
#right(){(474:138)}
**太平洋戦争時の米空母飛行隊(VF-5とかVT-8とか)は良く空母間を異動したり陸上基地へ展開したりしていますが、こういった異動は誰の決裁によって行われるものですか。(483:57)
最終的には任務群司令
#right(){(483:65)}
アメリカの場合、海軍所属部隊の編成は海軍省が管轄する。
つまりハロルド・スターク大将(1939/08/01~1942/03/02)か
アーネスト・キング大将(元帥)(1942/03/02~1945/12/15)。
まあ最終的に権限を統括するのはアメリカ合衆国大統領なんだが。
また、具体的な作戦運用については国防長官を通した大統領の指示の元
各司令官が権限を持つ。
#right(){(483:88)}
*枢軸国
**アンシュルス後のオーストリア軍はドイツ軍に編入されたと思うんですが、&br()オーストリア側の将兵の階級は編入先のドイツ軍でも同じだったんでしょうか?(511:16)
>旧オーストリア軍出身でドイツ軍の要職についた将官はいますか?
アンシュルッス後のオーストリアは第17・18軍管区(ヴェーアクライス)としてドイツの軍機構の一部となり、旧オーストリア軍の各部隊はそのままドイツ国防軍に編入された。
1938年以降のドイツ軍管区
http://www.ibiblio.org/hyperwar/USA/DAP-Poland/maps/Campaign-3.jpg
併合前のオーストリア陸軍の編制
http://www.axishistory.com/index.php?id=514
兵士や士官もそのまま編入され、開戦後は高位に昇進したものも多い。
第二次大戦中のオーストリア系ドイツ軍将官。
http://www.axishistory.com/index.php?id=4560
高位ではないけどオーストリア系の軍人だとスコルツェニーやノヴォトニーがいる。
#right(){(511:67)}
**戦争直前、戦時中の、ソ連参戦前の、ソ連人?(ソヴィエトロシアのロシア人とか)の扱いはどのようなものだったのでしょうか?(488:919)
>やはり他の中立国人と同じ扱いだったのでしょうか?
>また、白系ロシア人の扱いはどのようなものだったのでしょうか?
>ソヴィエトロシアの人との扱いの差。見たいな物は、あったのでしょうか?
>
>さらに、ソ連参戦後、そして、降伏後の、上記2種類のロシア人(ソ連人?)に扱いは、
>どのように変化したのでしょうか?
>
>参考になるサイト、書籍等があれば、お教え願えませんでしょうか?
日本とソビエトは成立時から不倶戴天の敵同士といえたが、日ソ基本条約以降国交があった。
でも当然、小競り合いを繰り返した仮想敵国なのでビザは下りにくかったはず。
白系ロシア人もソビエトの敵なので敵の敵は味方で協力関係にあった。
日本側は白系ロシア人を諜報戦などに積極的に利用した。浅野部隊とかそういうやつ
ソ連開戦後はもちろん敵性国民、占領期は占領国民です。
詳しくは該当スレで聞いてください
#right(){(488:941:モッティ)}
書籍なら、スタルヒンの自伝とかが参考になるんじゃまいか?
#right(){(488:952)}
**イタリアのスピカ級は改装前の千鳥とほぼ同じサイズで、同程度の武装を積んでいるにもかかわらず、復元性などに問題があったなどの話を聞かないのですが(486:781)
>実際の所はどうなのでしょうか?
>
>もし、なんの問題もなかったとしたら、千鳥とは何が違っていたのでしょうか?
日本近海と、地中海では、そもそも、要求される復元性のレベルが違う
#right(){(486:783)}
>では、スピカを日本近海に持っていくと転覆の恐れがあるということですか?(486:785)
冬場は、シーステイト5がざらの日本海だと、十分ありうるでしょうね。
#right(){(486:800)}
**建物疎開の移転費や学童疎開の生活費などの保証をされていたのでしょうか。(486:369,370)
>疎開について質問します。
>
>1.建物疎開で住宅の撤去が命じられた場合、居住者の移転費・移転先などの保証はされたのでしょうか。
>
>2.学童(集団)疎開により、田舎の寺院などで児童が集団生活をしていましたが、
>受け入れ側には行政から生活費などの保証をされていたのでしょうか。
1は少額の移転費のみ
2はそんなもんない。だからみんな飢えていた
#right(){(486:371)}
学童疎開に対しての資料
http://www.ndl.go.jp/horei_jp/kakugi/txt/txt00606.htm
#right(){(486:372)}
**広島に原爆が投下された直後に助けを求める放送がラジオであったそうですが、その放送内容を詳しく書いてあるHP等はありますか?(484:906)
「幻の声」でぐぐれ
#right(){(484:918)}
**独UボートU-864は1945年にJumo004Bジェットエンジン、V-2誘導装置、水銀65tを日本に輸送中に撃沈されたということですが、これらは莫大な価値があると思うのですが、日本政府が一体いくらで購入したとかの記録は残っているのでしょうか?(484:453)
>http://en.wikipedia.org/wiki/Operation_Caesar
>別スレで知ったのですが、
>独UボートU-864は1945年にJumo004Bジェットエンジン、V-2誘導装置、水銀65tを日本に輸送中に
>撃沈されたということだそうです。
>質問ですが
>これらは莫大な価値があると思うのですが、日本政府が一体いくらで購入したとかの記録は
>残っているのでしょうか?
>またどうやって払ったのでしょう?
他の件はともかく、本件は1944年に締結された、
「日独製造権および原材料供給協定」による、両国勝利の後による日本政府支払い、
それまではドイツ政府の立替払いによる、結果的に空手形になったものなので、結局
日本政府の支払いは無しだ。
#right(){(484:477)}
**当時日本には闇市というものがあって政府の決定した価格の数倍の値段で食料品などが提供されていたようですが、国民みなでこの闇市を利用しなければならないほど普通の商店から物がなくなってしまっていたのでしょうか?(479:521)
戦時中は配給制といって、米麦みたいな食料品や必需品は買える量が決まってたり、切符がないと購入できない仕組みになってた。
逆に言えば最低限の買い物はできる仕組みなってたわけ。
それが戦局が悪化して遅配や欠配が続くようになったので、本来勝手に売り買いできないものを農家と直接交渉して買ってたりした。
戦時中は監視が厳しかったので、闇市という具体的な場所があったわけではない。
焼け跡などで勝手に店を構えて、進駐軍の横流し品や配給制度の目を逃れた食料品などを売る闇市が生まれたのは終戦後。
戦前生まれの親戚とか祖父母がご健在で、そういうことに興味があるなら今の内にこういう話は聞いといたほうがいいぞ。
#right(){(479:523)}
----
2011-09-16T13:47:05+09:00
1316148425
-
メニュー
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/2.html
'[[移転しました>>http://www9.atwiki.jp/army_faq/]]
2010-10-19T20:48:03+09:00
1287488883
-
旧日本軍全般
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/34.html
#contents
----
**夏期休暇を利用して祖父の戦歴を調査しようと思っているのですが、(488:472)
>ネットで調べると各都道府県が軍歴証明書というものを発行しているようです。
>(祖父は陸軍だったことはわかっているものの、それ以外の事は親も知りません)
>
>そこで教えてください。
>軍歴証明書はどこの都道府県で発行してくれるのでしょうか。
>戦後(除隊した時)住んでいた県、死亡した時に住んでいた県、申請者(私)が
>住んでいる県などいろいろと考えられて困っています。
徴兵事務は、通常、本人の本籍地の役所が担当しました。
したがって、まずお爺さまの本籍地の役所に問い合わせて見てください。
#right(){(488:479)}
旧軍人軍属の恩給、軍歴証明書に関する業務
http://www.mhlw.go.jp/bunya/engo/seido04/index.html
#right(){(488:518)}
靖国神社【 祭神の調査 】 (通信用語の基礎知識)
基本的には、大東亜戦争で散華された軍人はみな合祀されている。
自分の親兄弟、ないし祖父、曽祖父などが祭神であるかどうかを調べることも可能で、希望あらば
参集殿の受付へ出向き、依頼の書類を書けば、一週間程度で返事が送られてくる(無料)。
返信される書面には、次の事項が記載される。
・ 英霊の名前(生前が山田太郎なら、英霊の名前は山田太郎命)
・ 一、階級
・ 二、所属部隊
・ 三、死歿年月日
・ 四、死歿場所
・ 五、死歿時本籍地
・ 六、死歿時御遺族
・ 七、合祀年月日
崇敬奉賛会(有料)に入会し、書類を書けば、豪華な装丁の「祭神之記」が送られてくる(無料)。
靖国神社 社務所(全体に関するお問い合わせ)
〒102-8246 東京都千代田区九段北3-1-1 TEL:03-3261-8326(代表) FAX:03-3261-0081(代表)
#right(){(488:530)}
**同期の桜って、海軍兵学校の歌ですよね?&br()陸軍の召集兵がなぜ歌っているんでしょうか?(488:501)
>うちの祖父は召集兵で中国の方へ行っていたようですが、捕虜になる事もなく帰ってきました。
>それで、戦友?と飲む度に『同期の桜』を歌っているのですが
>同期の桜って、海軍兵学校の歌ですよね?
>陸軍の召集兵がなぜ歌っているんでしょうか?
>(本人に聞くのも気がひけるので教えて下さい)
同期の桜は陸海軍問わず、歌われてます。
#right(){(488:509)}
同期の桜は編曲を海軍士官がやっただけで、陸海軍問わず流行った曲ですが。
なんか変な偏見がない?
#right(){(488:513)}
『同期の桜』は、海軍の軍歌ではなく、当時の流行歌(戦時歌謡)の一つでした。
陸軍の応召兵だった方々が歌っても、何の不思議もありませんよ。
#right(){(488:515)}
**旧軍の幹部候補生(乙)は一部が除隊せず軍に留まり、職業軍人になったという解釈でいいのでしょうか?(488:266)
>旧軍の兵制について教えてください。
>幹部候補生(乙)Wikiを見ると
>「軍曹または伍長に任官し、平時は兵役期間を終えると除隊し、予備役に編入」とあります。
>
>平時では上記の一部が除隊せず軍に留まり、職業軍人になったという解釈でいいのでしょうか?
>それとも常設師団の下士官には職業軍人はほとんどいなかった、という感じなのでしょうか?
>平時は兵役期間を終えると除隊し、予備役に編入
本来の制度
予備役編入・除隊→在郷軍人(市民)に戻る→必要に応じ召集→下士官として軍務につく
太平洋戦争のパターン
予備役編入・除隊→即日召集→下士官として引き続き軍務につく
「予備役編入・除隊→召集」は書類上の処理だけで、実質的には同じ部隊で引き続いて軍務についてるわけ
>下士官には職業軍人はほとんどいなかった
乙幹(下士官)を志願した時点で職業軍人の道を選択したことになる
#right(){(488:411)}
幹部候補生ちゃあ本来は、土官学校出身の幹部と違って、
戦争中必要だが大量消費される下級指揮官(中隊長くらいまで)を大量生産
する為に作られた制度。試験等により選抜されて、甲種が少尉~ 乙種が下士官。
ぶっちゃけ、イイ人材を取り込むために軍が考え出して、それなりに昇進党優遇されてた制度。
元々は100円少尉だったっけかな…金持ち子弟の優遇制度だったのだが、廃止されて、
2次大戦の頃に復活した筈。
で、戦前の話だが…
兵隊奴隷、下士官道楽、士官は商売と言われてた。
給料的にもそうだった。最上層の下士官は最下層の士官である新品少尉よりは給料良かったが、
兵隊出身で下士官経由で士官のそこそこになるのは、めっちゃムズイ。
少佐になったら「兵隊大将」と呼ばれるくらい稀なことだった。
新品少尉はまあ 今でいう新入社員かな。古手の準社員より時間当たり給料は少なくてもそのうち上がる。
下士官はまあ・・・農家の次男坊三男坊の重要な就職先でもあったので、
派遣社員のそこそこ専門資格持ち くらいかな。
ちなみに士官はとらば~ゆの自由が無かったが、下士官以下は任期切れたら
転職可能。(戦争中等で召集(赤紙)されたら無理だが)
その代わり下士官は定年が士官に比べて早かった筈。
幹部候補生でなくても、兵隊から年月かけて下士官になるのが 平時の普通。
昇進していったら、各種学校へ半年とか派遣されて技能を覚えて、昇進していく。
で、ある程度以上有能なら、任期切れる頃には上から継続してくれって頼まれる。
#right(){(488:433,435)}
**去年、硫黄島を題材にしたドラマで輸送機から竹槍が下ろされるシーンがあったようですが&br()本当に竹槍持っていったんですか?(488:163)
「竹の棒」はいろんな利用価値があるので資材として持って行った。
竹なら軽いしね。
硫黄島は植生が貧弱で建設資材にするような木がないので、そうした物も本土からの
輸送が必要だった。
#right(){(488:166)}
硫黄島に向かう輸送船に青竹を多数積ませたのは事実です。
これは、乗船する兵士一人一人に救命胴衣を付けさせることができないので、
もし船が撃沈されたときには兵士がこの青竹を頼りに浮遊し、他の艦船から
救出してもらう確率を上げるためです。
「闘魂 硫黄島」(光人社NF文庫 堀江芳孝)の中で堀江参謀が上記の理由で
青竹を買い付ける描写があります。
#right(){(488:552:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**上等兵が下士官を殴ったのにお咎めはなかった、という事って有り得るのでしょうか(487:884)
>祖父が戦争中に上等兵だかだった時に
>余りに横暴な下士官(軍曹?)の仕打ちにキレてぶん殴ってしまったという話を聞きました。
>その後本人は営倉入りを覚悟したそうなのですが、何故かお咎めはなかったそうです。
>祖父は腕っ節が強かったので仕返しを恐れたのではないかと言ってましたが
>仮にも階級社会の軍でこういう事って有り得るのでしょうか
何か理由があって、わざと横暴や理不尽な仕打ちをして、
部下がどう反応するか様子を見る、というのは陸軍に時々見られ、
自衛隊でも一部受け継がれているらしい証言を聞くことがある。
一種の根性試しみたいなものらしい。
それの可能性。
あるいは、単に部下に殴られたということを、上官が自分の面子を
気にして表ざたにしなかっただけという可能性もある。
(他に人間がいて、それを見ていたとかの状況では無理だが)
#right(){(487:888)}
営倉とか軍法に基づいて裁くにはちゃんとした理由が必要。
なので権力に笠を着て横暴に振舞った結果がそれだと、世間体を気にして口を噤んだ可能性が大。
兵隊に舐められる(若しくは後ろ弾の可能性がある)下士官は階級社会以前に、クソの役にも立たないから。
星の数で従わせるのは士官、メンコの数で従わせるのが下士官。
#right(){(487:914)}
**星の数よりメンコの数とは良く聞きますが、&br()「メンコ」とは何のことですか?(487:915)
メンコの数=兵隊稼業で飯を食った数=年季
と言う解釈でおk。
#right(){(487:916)}
コメの飯⇒「コ」と「メ」を入れ替えてメコ⇒語呂悪いのであいだに「ン」がはさまって「メンコ」
要するに軍隊で何回ゴハンを食ったかってこと
もっとも旧軍は麦飯交じりのごはんだったけど
#right(){(487:918)}
ぐぐったらこういうの出てきました:
http://www.geocities.jp/mor25/sikann.htm
メンコとは兵食のことである。明治時代の兵食は、檜の曲げ物で作った、
「面つう」という器に盛りつけて、一人づつ配食した。
内務班で、飯を盛りつけるようになったのは、大正時代になってからである。
昔は、炊事班で一人分づつ、盛りつけたのである。
「面つう」は、元来、乞食の持つ食器であった。これがメンコ飯の由来となった。
面つうというのは「面桶(めんつう)」いわゆる「わっぱ」のことと
思われますね。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%82%81%E3%82%93%E3%81%A4&dtype=0&stype=0&dname=0na&pagenum=1&index=20228218164100
#right(){(487:990)}
**大東亜戦争の時、祖父がどの部隊にいて、どんな活動をしていたのか知りたいのですが(487:736)
厚生労働省社会援護局に聞いてみ
#right(){(487:742)}
**ロシアのシステマ、韓国のテコンドー、のように&br()軍人はそれぞれの国に特徴のある素手格闘技も習うと思うのですが、&br()大日本帝国軍の軍人は何を習得させられていたんでしょうか?(487:554)
相撲と柔道
#right(){(487:556)}
どちらかといえば銃剣術や剣道を頑張ってた。相撲とか柔道はやってたかもね
#right(){(487:561)}
自衛隊は徒手空拳を頑張ってる。日本古来の体術や合気道がベースになってるみたいです。
戦前は陸軍将校が空手、柔道などを組み合わせた徒手空拳を習っていたそうです。
兵卒は「自主的に」格闘術を習っていましたが、柔道、剣道、相撲などは部隊ごとにやっていたみたいです。
ただし、実践というより「体育」「精神教育」の一貫という意味合いが強かった模様。
銃剣術、短剣格闘は頑張っていました。
#right(){(487:833)}
**旧軍では酒保?で購入する時はタバコや酒の税金が免税になったと聞いた事があるのですが&br()本当でしょうか?(487:78)
>もし本当なら、大量に買って市中で売りさばくなんてこともあったのでしょうか?
>
>(もし私の聞き間違いでしたら、ごめんなさい)
免税だったかはしらないが、基本的にツケで購入する酒保での支払い金額の
上限が設定されており、どうしても必要な日用品+αと少量の嗜好品が購入できる
金額しか枠がなかったようなので、そんな犯罪まがいのことをやるメリットがないと
思うぞ。
#right(){(487:81)}
大体の品物が市価よりも安く買えた。
タバコなどに関しても、ただ税金を引いた額よりも安かったようです。
なので、帰郷時のお土産として酒保でタバコを買うことも少なくなかった。
#right(){(487:106)}
**第2次世界大戦のバトル・オブ・ブリテンを、&br()日本軍はどのように研究、分析したのでしょうか?(486:313)
>まだそのころはアメリカ、イギリスと戦争をする前だったので、
>ロンドンには駐在武官とかいたと思うのですが、
>防空体制はこう築くべきだとか、或いは逆に空爆する時はこうすべきだとか、
>バトル・オブ・ブリテンでどういう教訓を得たのでしょうか?
>
>もしかして、ノモンハンみたいになにもしなかったのでしょうか?
当時は防空演習も盛んに行われており、防空や対空についての関心は高く、
政府機関からも国民向けに様々な情報提供を行っています。
1940年10月には、ロンドン空襲について爆撃痕などの写真が掲載されると共に、
日本の都市が空爆されたらと言うシミュレーションが国民向けに宣伝されています。
例えば、敵の250kg爆弾が百貨店の一角と路面電車の正面道路上に命中した場合、
百貨店は滅茶苦茶に破壊され、自動車は百貨店4階まで吹き上げられ、水道管、ガス管、
通信線も破壊され、百貨店内並びに道路上の人々も無残な死を遂げると言う結論が出て
います。
一方で、焼夷弾による火災は軽視し、10kg級油脂焼夷弾については、消防ポンプを使わずに、
バケツリレーで消火すると言う楽観的な見通しが考えられています。
で、その結果として空襲対策には防空壕を建設すべしと言う結論に持って行っています。
空襲を阻止すると言う点においては、「そうむざむざと、我が国上を敵機の蹂躙に任す様な事は
無い」としながらも、各都市の空襲の例を見ると、「侵入する敵機を全部捕捉撃滅することは不可能」
であるとし、普段の防空訓練と、「我が国土は我が手で護るという決意」が大切であると言う精神論に
なっています。
1938年当時は、国民の安全を考え、空襲時の避難方法とか毒ガスから身を守る方法が考えられて
いましたが、1941年になると、空襲から逃げずに消火活動をせよ、防空壕は身を潜める場所ではなく、
積極的な防護活動をするための待機所である、となっています。
因みに、この方針転換は、1941年11月の防空法第一次改正から行われたもので、BoBやモスクワ空襲など
の影響も如実に受けていると言えるでしょう。
また、従来は毒ガス弾対策が考えられていましたが、欧州の空襲ではその様なものが使われなかった事から、
焼夷弾対策に重点を移しているのも特徴です。
#right(){(486:534:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**昭和17年は戦況が悪化してきたとはいえ、虚弱な兵隊を徴兵しなくてはならないほど、兵隊の数合わせに困っていたのでしょうか?(485:910)
>日本軍の徴兵関係に詳しい方お願いいたします。
>亡くなった母方の祖父は徴兵検査を丙種合格?というギリギリで通った虚弱にもかかわらず、
>昭和17年に徴兵されて日本と中国の間を往復していた艦船(輸送船でしょうか?)に上等兵(衛生兵)
>として勤務していたと聞きました。
>昭和17年は戦況が悪化してきたとはいえ、そんな虚弱な兵隊を徴兵しなくてはならないほど、
>兵隊の数合わせに困っていたのでしょうか?
>素人の質問にお答えいただければ幸いです。
平時には25%ぐらいしか徴兵されないわけですが、戦況が悪化してくると、
男という男が徴兵されるようになりました。俗にいう根こそぎ動員です。
#right(){(485:914)}
衛生兵なら医者かもしくは、日赤の社員とかが家族にいませんでしたでしょうか?
当時、軍医が払底していました。
よって、医療現場に関係する人間であれば、結構な確率で徴兵に引っかかります。
#right(){(485:970:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**戦前の南洋行政(戦中も)について、書いてある本を知りたいんですが(485:596)
>それについて適切な書はありますか?
統治そのものであれば、戦前の朝日年鑑を漁るのが一番です。
古い本であれば、国会図書館か琉球大学にある、矢内原忠雄著『南洋群島の研究』(1935年刊:岩波書店)が
最も詳しいか、と。
統治状況ならば、神山晃令氏の論文「日本の国際連盟脱退と南洋群島委任統治」
(近代外交史研究会『変動期の日本外交と軍事』(1987年、原書房刊)所収)
くらいかなぁ。
最近の状況は分からないので、もしかしたら、新しく研究本が出ているかも知れませんが。
#right(){(485:623:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**何で、明治政府は作ったばかりの兵部省をすぐに潰して、陸軍省・海軍省の2つに分けたんですか?(485:531)
>また、大正の軍縮期などに、重複する陸軍省・海軍省の軍政部門の統一を図ろうと
>しなかったんですか?
>
>思うに、兵部省の解体を行ったから、軍の不統一→昭和の悲劇を招いたように思え
>てなりませんが・・・・・
現代のカナダ軍の例にもあるように、統一するのが難しいからだろう…
陸海の上に統合した組織を作るのはありだろうが、
そういうのは(組織というか部署というか)確か、ちゃんとあったような? 詳しくないが。
でもって、その上でやはり軍政が分裂してしまっているというのは他国でも結構例があるが。
#right(){(485:533)}
薩摩閥と長州閥からのリクエストのため。
明治、大正期の軍部は維新の元勲を多数出してるこの
2つの派閥のバランスに苦労してたんだよ。
#right(){(485:534)}
「お雇い外国人」的なタイトルのが中公新書にあるから読んでみ
つまりは制度も西欧から輸入、輸入先の先進国から来た顧問外国人たちがそれぞれの国家利権のために
統合不能なぐらい違った文化を作っちまった
#right(){(485:535)}
少なくとも、兵部省の解体と軍の不統一は大して関係あるとは思えない。
当時の世界を見れば、国防省のように軍事関係の省が一つだけなんて国の方が少なく、
陸海(空)軍でそれぞれ部署を持ってる方が多かった。
それに、たとえ軍政面で一つの省でもその下の陸海軍の部署で反発がある事は容易に
想像がつく。
余談だけど、アメリカは未だに陸海空軍省がそれぞれあって、その上に国防総省が
あるという形になってる。省内省だな。
#right(){(485:537)}
元々が軍閥の集合体みたいな政権だったから、軍政部門の統一ポストに誰が就くかで揉めまくった。
だから、揉め事を避ける為に敢えて設けなかった。
病巣は早めに取り除くべきだったのは言うまでもないが。
#right(){(485:543)}
**1943年に医学部生だった場合、学徒出陣の対象になったのでしょうか?(484:616)
学徒出陣はないが、卒業繰り上げで、
軍医見習いとして召集される可能性がある。
#right(){(484:629)}
**旧日本軍の徴兵検査では肛門に指突っ込んで痔の検査をしたとの事ですが、痔の有無ってそんなに重要だったのでしょうか?
痔は治りにくいし酷くなると歩くこともできないくらいの苦痛になる。
兵隊は歩くのが仕事だし、戦場は痔持ちに優しい環境ではない。
戦場で行軍も戦闘もできなくなるような爆弾を抱えている人間は採らないってことだね。
ググってみたら徳川の家臣の榊原康勝が、大阪夏の陣の直後に痔で死んでるそうだ。
戦場で痔が破れて鞍が血まみれになるまで馬に乗り続けたのが原因らしい。
#right(){(376:57)}
**第二次大戦中の日本軍はさまざまな分野で技術的に後れを取っていたそうですが光学機器の分野もそうなのでしょうか?(479:454)
比較的ましだったが、ドイツとかに比べるとかなり劣る。
米軍機に積んであった照準器とかも複製不可
#right(){(479:455)}
ましっていうか、数少ない割とまともな分野の一つだっただろう。
あとドイツと比べるのは間違ってるw
#right(){(479:456)}
シュミットカメラの技術が無いので、f値の明るい偵察機用カメラが作れなかった
フィルムの感度が低い当時では大変なハンデだった。
#right(){(479:457)}
光学機器に関しては当時のドイツは世界を圧してるからなー。
今でも一、二を争う。
#right(){(479:458)}
**日本軍の装備について質問したいのですが、足にくるくる巻いてる布みたいな奴ってなんか意味があるんでしょうか?(480:507)
>名称とかはあるんでしょうか 教えて下さい
ゲートル
行軍時の足の保護むくみ予防などの為の物、別に軍だけの装備ではない、
きゃはんなど昔からある旅支度のひとつ。
#right(){(480:508)}
ゲートル。疲労防止が目的。本来なら足にピッタリなオーダーメイドブーツにしたいんだが、日本は貧乏なので布切れでがまんした
#right(){(480:509)}
巻脚絆(まききゃはん、なまって「まっきゃはん」とか)とも言うね。
#right(){(480:510)}
**旧軍の陸軍省や海軍省では毎年の予算編成ではそこの文官が対応してたのでしょうか?(480:622)
>個人のイメージとしてサーベル下げた軍人が大蔵省の役人に頭をヘコヘコ下げてお願いしてるのは想像できん
>のですが。やはり陸軍省や海軍省付きの文官がやってた?
当然、それなりの折衝はあったようだが、今と違って、軍事費に対して寛容だった風潮が、他部門の官僚や世論にも
あったんで、軍人がひたすら頭を下げて…ってイメージとは少し違ったようだ。
特に、建造費はかかるが、完成予定のスペックは秘匿したい…なんて戦艦クラスの予算編成についても、色々と
融通は利かせてくれたらしい。
#right(){(480:630)}
**旧日本軍で、従軍記章というものは、従軍しさえすれば誰でももらえるものだったんですか? (480:823)
それだけでなく、関係が有れば、後方の補給関係の人ももらえた。
ちなみに太平洋戦争の従軍記章は、配布される前に終戦になったので、
誰も持ってない。
#right(){(480:827)}
**昭和六年乃至九年事変従軍記章は、上海事変に従軍していれば貰えるはずですよね?上海事変にいったはずの祖父の写真には、支那事変従軍記章しか佩用してませんでした。 (481:584)
第2次上海事変以降の関係者なら、支那事変従軍記章しか貰ってないはずだが。
#right(){(481:585)}
**戦時下の日本では戦死や空襲などの損害も補償されてたのでしょうか? (482:240一部文章入れ替え)
>当時の日本生命などの生命保険会社や損害保険会社の
>広告をネットで見てたのだけど
戦死の保険はあった
富国生命(今はもうない)辺りが有名
戦災被害は保険の免責条件に当たるので死んだら死に損
#right(){(482:241)}
**帝国陸海軍は、兵器の部品などを、同一規格のものとしなかったのはなぜですか?(482:292)
>アメリカはそうしていたようですし、
>その方が作業効率もよく、修理も早いと思うのですが。
規格通りの精度で部品を作る技術がなかったから。
だから、現物合わせで、組み合わせる名人の存在が不可欠だった。
#right(){(482:294)}
今のJISのような工業規格を作ろうとしていたところで戦争が始まった。
#right(){(482:299)}
規格統一って想像以上に労力・予算・時間が要る。
長い目でみれば確かにプラスだが、短・中期的になら
工場毎の都合で量産させる方が数が揃うわけね。
ま、ぶっちゃけて言うと日本には規格統一を試みられるだけの国力と時間がなかったということ。
#right(){(482:303)}
**アメリカ人技術者が中島など航空機エンジンメーカーで指導に当たっていたのはいつごろまでですか?(483:693)
>日米関係が決定的に悪化する結構遅くまでいたようなことを何かの本で
>読んだような気がするんですが忘れてしまったので
昭和16年の中頃までだったような
中島航空エンジン史的なタイトルの本に詳しかったと思う
大きめの図書館ならまず間違いなくあるので、今日が休みなら行ってみれば?
昔みたく冷房が効いてないのが残念だが
#right(){(483:717)}
**戦前の日本軍人が持ってた拳銃あると思いますが、日本製の拳銃の人気はどうだったの?(483:963)
>やっぱ欧米の拳銃の方が扱いやすさや命中率は上だったのかな
まだまだ工業後進国なので人気がなかった。
輸入がとだえるまで将校は欧米製拳銃を好んで購入した
#right(){(484:97)}
----
2009-04-06T04:34:51+09:00
1238960091
-
第一次世界大戦
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/45.html
#CONTENTS
----
*WW1全般
**アメリカが第一次世界大戦に参戦したのはルシタニア号事件が原因と学校では習ったのですが、本当にこれが原因なのでしょうか?(482:352)
ツィンメルマン電報事件なんてのもある。
近々、ちくま学術文庫から、「決定的瞬間 暗号が世界を変えた」(バーバラ・タックマン著)という本が再刊されるので、
一読をお勧めします。
#right(){(482:356)}
アメリカが参戦を決めたのはドイツの無制限潜水艦作戦の「再開」と、
メキシコに同盟側への参戦を呼びかけた電報がアメリカに漏れた「チンメルマンノート事件」が要因。
戦争したり国境紛争が絶えなかった反メキシコ感情の強いアメリカにとって、後者の影響は特に大きかった。
何せ、チンメルマンノートの全文はアメリカの歴史教科書に出るくらいの代物。
これにより、連合側への参戦の世論が一気に高まった。
因みにメキシコの回答はもちろん、否。回答する前にアメリカは参戦決めちゃったしね。
なお、この電報の内容は暗号解読でイギリスが情報を手にしたものを、暗号解読の手法を知らせない為に
ワシントンD.C.のドイツ大使館から電報のコピーをパクって、アメリカに知らせると言うかなり遠回りなルートで送られている。
#right(){(482:358)}
参戦に至る流れの中の重要な出来事だけど
それだけが原因ではない、ってところで
#right(){(482:371)}
**イタリアは第一次世界大戦でもヘタリアだったのでしょうか? (482:546)
その通りだった。
トリエステと南チロルに釣られて連合側に参戦したのはいいが、
装備は旧式、定員も将校も定員割れしていたイタリアは、
大戦を通じて勝利と言うものに全くと言っていいほど縁が無かった。
相手が殆どオーストリアのみだったにもかかわらずだ。
特に1917年10月に行われたカポレットー突破戦では60万人以上の大損害を受けて、
英仏の援助なしでは戦線を維持できないほどにまで戦力が落ち込んでる。
「敵よりも恐ろしい味方」、と言うのは当時も健在だったようだ。
因みに、唯一の勝利といえるのが休戦条約が発効した後に攻勢に出てオーストリア軍から30万人ほどの捕虜を得た時。
第一次世界大戦サイトの別宮氏はこの勝利を
「ただ捕虜の収容経費のみ負担したようなものだが、イタリー人は何か勝利が欲しかったのだろう。」
と、評してる(w
#right(){(482:552)}
*WW1陸戦関係
**第一次大戦で地雷の話をあまり聞かないのですがなぜでしょうか?(484:550)
>防御側超有利な塹壕戦なら有効な手段だと思うのですが。
対戦車地雷は、WW1での発明品。
#right(){(484:550)}
**ロシアは第一次世界大戦で西部戦線に兵を送ったそうですけど何で?東部戦線があるのに。
人的資源だけは有り余っていたので、フランスから
「人口が3倍もあるのに動員数がウチと同じくらいなのはおかしい。
兵站は面倒見てやるからこっちにも兵を送ってくれ」と要求されたので。
東部戦線もギリギリだったけど、フランスに見捨てられたら完全に破滅だったので仕方なく。
四個旅団、約4万人ほどが派遣されました。
バルト海と黒海の制海権は握られていたのでシベリア鉄道を使って大連から3万kmもの
長い道のり経てフランスへと向かいました。
ニベル攻勢による損害、二度に渡る革命等、時代の荒波に左右されつつも彼らは勇敢に戦い、
その戦いぶりはフランスからも賞賛されました。
最終的にはロシア革命の干渉軍に組み込まれたりして、1000人程度にまで減少し
彼らの多くはフランスへの帰化の道を選びました。
#right(){(初心者スレ474:630)}
----
*WW1海戦関係
----
*WW1空戦関係
**第一次大戦で飛行船が空襲に使われたそうですが、飛行船なんて戦闘機にとってはでかい標的に過ぎないような気がするんですが。機銃で撃たれてもヒンデンブルク号みたいに爆発しなかったんですか?
飛行機に機銃が積まれたのは、大戦が始まってある程度経過してから。
最初はパイロット同士が拳銃で撃ち合いしてたくらい。
こいつで飛行船を落とすのは難しかろう。
対抗手段が無い頃の飛行船は脅威であった。
もっとも、その疑問は的を射ており、戦闘機の攻撃力が増すと飛行船は単なる的に過ぎなくなった。
なお、ヒンデンブルク号の爆発の原因は塗料だ。
初期の戦闘機は、飛行船の巡航する高度まで上れなかったので、
問題ありませんでした。
そのうち、戦闘機の性能が向上するにしたがって、カモになって飛行船での
爆撃はすたれてます。
#right(){(初心者質問スレ466:274,276)}
----
2009-04-03T05:27:21+09:00
1238704041
-
太平洋戦線
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/73.html
#CONTENTS
----
**なんでアメリカって太平洋戦争で東京じゃなくて先に沖縄に上陸したの?&br()一気に東京に上陸して制圧したほうが早くない?(489a:185)
「飛び石作戦」って戦術だったから
おいら的には中国から佐渡、新潟辺りに上陸するのがもっとも賢明な作戦だったと思うけどなぁ
#right(){(489a:187)}
いきなり首都に上陸しようとしても抵抗に遭ってこちらの損害が無駄に大きくなる。
そのため、別の場所に事前に上陸して、そちらに戦力を割かせるとか
占領した所から本命の作戦の支援基地を作るとか段階を踏まなきゃならない。
具体的には
湘南海岸や九十九里浜とかに上陸する作戦計画、コロネット作戦
が立案され、それに先立ち、九州南部に上陸するオリンピック作戦が立案された。
オリンピック作戦は、上陸占領後航空基地を作ってコロネット作戦をサポートする為の意味があった。
が、その前に原爆投下と日本の降伏があったんで実行されなかった。
#right(){(489a:196)}
いずれにせよ、無償の工業地帯からダイレクトに送られてくる日本機の大群と
戦わなくてはいけない。そのうえ、米軍は陸上部隊上陸後なら
その背後の工業地帯を叩くゆとりも無い。基地、港湾、飛行場、部隊攻撃で手一杯。
徹底的に大量動員、集中運用、効率化しても、
よくいって、史実程度のペースで爆撃ができれば恩の字。
損害は、沖縄+レイテ+硫黄島をはるかに超すだろうね。
#right(){(489a:207)}
**南太平洋海戦の数日前に飛鷹がエンジントラブルで海戦には不参加となりましたが、&br()このとき移乗された戦闘機、爆撃機はどのくらいですか?(489a:178)
>南太平洋海戦について質問です。
>数日前に飛鷹がエンジントラブルで海戦には不参加となりましたが、
>搭載機の一部を隼鷹に移乗させたとされています。
>このとき移乗されたのは雷撃機7は分かりますが、
>ほかの戦闘機、爆撃機はどのくらいですか?
>また、移乗されず飛鷹に残った機数はどのくらいですか?
戦史叢書「南東方面海軍作戦<2>ガ島撤収まで」によれば
10月22日、飛鷹はトラック帰投に際し零戦16・艦爆17を陸揚げして基地航空部隊の指揮下に入れ、零戦3・艦爆1・艦攻5を隼鷹に移載した。
搭載飛行機数は不明であるが、10月1日現在の搭載機定数(隼鷹)は、零戦21・艦爆18・艦攻9であった。
10月17日のルンガ泊地攻撃で隼鷹の艦攻は自爆7・不時着2の損害を出している。
#right(){(489a:283)}
**日中戦争~太平洋戦争において、中国軍にエースパイロットが居たんだったら、その戦果を教えてください。(489a:104)
高志航とかが有名。詳しくは中国的天空を読むとごろごろってほどでないけど結構出て来る。
相手は日本海軍の96中攻とか、下駄履きとか、そして最後に零戦がやってくるって感じです。
#right(){(489a:112)}
Fighter Pilot Aces List Sino-Japanese War
ttp://www.au.af.mil/au/awc/awcgate/aces/aces.htm#sinojapanese
List of World War II aces from China
http://en.wikipedia.org/wiki/List_of_World_War_II_aces_from_China
#right(){(489a:115)}
柳哲生大佐
→ 11機と3分の1 1937年8月14日に、96中攻1機を2機と協力して撃墜したのが最初。
以後、劉粋剛、高志航亡き後の戦闘機隊の中核として、重慶、成都、蘭州の迎撃
戦で9機を確実に撃墜。残りは共同撃墜。
戦後は台湾に移住し将軍となる。
劉粋剛大尉
→ 確実11機、不確実2機
1937年8月21日の吉田小隊の96中攻1機を撃墜したのが初戦果で、此の後、吉田小隊
を共同で全滅させている。南京防空戦では、96艦爆を1機撃墜するなど「空の趙雲子龍」
と呼ばれたが、10月中旬、洛陽に向けて飛行中、夜間となり、爆音を聞いて連絡機と錯覚
した高平県城の町長が、目印にと火を掲げた所、これを飛行場と錯覚して突入、戦死。
王光復中尉
→ 8機と2分の1機。
1937年に4機撃墜、太平洋戦争中は、桂林、恩施、老河口などでP-40Eを駆り、隼を1機
(25戦隊の大元軍曹か二宮伍長)などを撃墜。また、地上攻撃の破壊も多数。
董明徳大佐
→ 7機(実際は11機と言われる)。
1937年8月15日に加賀の89式艦攻を2機撃墜したのが最初。
6日後には毛利空曹の96中攻を撃墜、漢口で96艦戦を1機、重慶では96中攻を少なくとも
1機撃墜。
1939年秋、輸入したCW-21の事故で現役引退し、戦後台湾に移住。
周志開中佐
→ 6機。1939年12月22日に97重爆を1機撃墜、1942年にP-40で偵察機を1機撃墜。
1943年6月6日、90戦隊の赤沼小隊99双軽の迎撃で館野機を撃墜などP-40初のエース。
12月24日に日本機に撃墜。
高志航大佐
→ 5機。1937年8月14日に96中攻を1機撃墜。15日に加賀の89艦攻1機、この攻撃で負傷するも、
復活し、初日に水偵1機撃墜など。11月23日にI16の故障で被爆し、死亡。
後、ひとり居ますが、戦果的に?です。
#right(){(489a:128:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**東京大空襲では米軍はわざと住宅地を焼いたのでしょうか。(489a:16)
>陸軍省とかを爆撃すればいいと思うのですが
当時はそういうピンポイント爆撃がうまくできなかったんだよ
だから低高度から「まんべんなく焼く」ことにしたんだ
#right(){(489a:18,28)}
昼間高高度精密爆撃が上手くいかず
相手国の一般住民を殺傷したり、生活基盤を破壊することによって
直接ダメージや士気減退効果を与える方針に変わってますので。
#right(){(489a:19)}
わざとです。
正確に爆撃できない以上、その方が効果が高いと信じられるようになったからです。
一般市民を攻撃する事で工業力へだけでなく精神的な効果も期待していました。
結果としては人道面でリスクを犯す割に、費用や兵士の犠牲に対し効果は差が無い
と戦後の調査で結論付けられています。
#right(){(489a:20)}
一応、住宅地の中にある軍需工場を狙ったというのが建前
たしかに、東京の下町には小さな工場(こうば)が今も住宅地の中に点在してる
#right(){(489a:26)}
**戦艦大和の最後について質問です。魚雷を左舷に受け続けたのですが、&br()米軍は武蔵戦でのデータからそのような方法を考え出したのでしょうか?(488:821)
>イロイロ書物を漁ると、狙ってやった説と
>意図せずそうなったと書いてあるものがあるのですが
>どちらもあるということは、推測の域を出ないことでしょうか?
歴史群像2007年8月号の「戦艦大和を撃沈せよ」の40ページの記述では
武蔵の撃沈データから、大和攻撃時の雷撃は片舷に集中すべき との
結論を導き出した、となっている。
しかし実際の攻撃については、48ページに大和被弾状況報告についての日米の相違記載があるが
大和攻撃時に アメリカ側の記録は両舷に満遍なく魚雷を命中させたことになっているが
日本側の記録では左舷に命中魚雷が集中していることになっている。
おそらくは、どの記録を主とするかで評価が変わっているのでは
#right(){(488:824)}
**どうして大鳳はマリアナで中継基地としての使われ方をしなかったんですか? (487:451)
単艦で前に出しても、効果的な数の効果的な数の攻撃隊を出せないし、袋叩きにされるだけたから。
#right(){(487:452)}
**レイテのシブヤン海海空戦で大和はほぼ無傷、武蔵は満身創痍の損傷を受けましたが&br()どうしてああも、損害に差があったんでしょうか?(487:264)
旗艦のため、輪形陣の中央にいた大和よりも外側にいた武蔵のほうが
攻撃し易かったから。
#right(){(487:281)}
**太平洋戦争末期の米軍機による民間人の殺傷や家屋の破壊になにかメリットはあったのですか?(487:109)
>太平洋戦争末期などで、
>米軍機が逃げ惑う日本国民や家屋に空から機銃掃射していたガンカメラ映像を見たことがありますが、
>民間人の殺傷や家屋の破壊になにかメリットはあったのですか?
>
>エリア88の主人公が、
>「人間一人殺すのに20ミリ弾ばら撒いてちゃ採算が合わん」
>と、言っていましたが、このように弾丸の無駄遣いではないですか?
当時の日本は家内手工業制、工場で軍需品を生産する他に
国民の各家庭で内職みたいに生産を行なったりもしていた。
空襲などで一般家屋が爆撃対象になったのも、それに関連する。
(総力戦では相手国民攻撃して国力奪わないと終わらないっていうのも理由にあったけど)
また、航空機からだとよっぽど地上に近づかないと、
地上にいる人間が、一般人なんだか兵士なんだか見分けが付かない。
兵士だったら殺しておこう、みたいな認識で掃射していたようで
セーラー服着てた女学生が、水兵と誤認されて撃たれたらしい記録もあったりする。
接近してきたパイロットと目が合い、撃たれると思ったら、パイロットは「あっ」という顔をして、
機銃を撃たず上空へ去っていったという話もある。
もっとも一部米軍パイロットの中には人種差別感情から
一般人だろうと子供だろうと、兵士と区別することなくというか、どっちだろうと
構わないみたいな認識で機銃掃射していた者もいるらしく、そちらは
コクピットから笑いながら掃射しているのが見えた、という話もある。
#right(){(487:111)}
「東京の草」という遊び? はあったそうです。
脚を出して原っぱで草を引っ掛けて帰るという。
低空を低速で脚まで出して撃墜もされないんですから、戦闘機の
本来の相手である日本軍機というものがいないわけで。
戦闘意欲をもて余すところはあった模様。それで子供を殺してい
たことはスルーしてますが。
個人経営の傭兵にとっての20ミリ弾と、補給に問題の無い正規軍の
12.7ミリでは「採算」の定義も違いますし。機銃弾はともかく、昔は搭
載兵器の爆弾を使わずに帰ってきても着陸時には事故を避けるため
に捨ててました。
#right(){(487:112)}
>当時の日本は家内手工業制、工場で軍需品を生産する他に
>国民の各家庭で内職みたいに生産を行なったりもしていた。
>空襲などで一般家屋が爆撃対象になったのも、それに関連する。
ルメイなんかはそう言ってるが、実際には住宅地帯と工場地帯は分かれていた。
少なくとも名古屋等の大都市ではそうだった。
各家庭に旋盤等が有って軍需生産していたわけじゃない(どこまで含めるかにもよるが)。
これらの理由は後付けされたものであって、本当のところは単純に一般市民を殺すことによって
戦力や士気の減退を狙ったもの。
#right(){(487:114)}
**魚雷艇の場合、雷撃距離はどのくらいなのでしょうか?(486:805)
>魚雷攻撃について質問なのですが、大戦中の雷撃機による魚雷攻撃では
>パイロットの手記を読むと敵艦船から4~500m前後まで肉薄し、対空砲火に蜂の巣覚悟で突っ込んだりしていますが、
>これが魚雷艇の場合、雷撃距離はどうなのでしょうか?
>
>いくら魚雷艇が小型で素早いと言っても航空機と比べると大きくて遅く(時速70~80km程度)、闇夜や
>荒天に紛れて行動しても自ずと限界があると思われるのですが…。
>海自が、既にミサイル全盛となった1990年頃まで使っていた魚雷艇の攻撃方法も気になります。
大戦中の魚雷艇に関して言えば、「雷撃距離」の規定はないでしょう。
そもそも魚雷艇でまともに大型艦艇と戦闘することは、どこの国でも想定していないはずです。
機動艇(=哨戒任務)にいざという時のために魚雷を載っけておこう、ぐらいの感じでしょうから
島陰に隠れたり、(無防備な)港湾に侵入したりしてゲリラ的に使用するとか
相手が極端に弱っていたり、無防備だったり、もしくは特攻的な任務などの場合で使われていますが
いずれも特殊な例でしょう。
#right(){(486:815)}
レイテ海戦のスリガオ海峡海戦では海峡に侵入してきた西村艦隊に向けて、まず魚雷艇部隊が雷撃をかけている。
http://history.sandiego.edu/gen/st/~cengland/battle%20narrative1.html
ここの記述によれば魚雷艇は
"At 2250 they made visual contact at a range of three miles, and within two minutes were sighted by Shigure. "
とあり、この直後に西村艦隊との交戦で魚雷を発射しているので、3マイル前後の距離だったと推測される。
しかしこれは夜間と、回避運動がとりにくい海峡だから行われた攻撃で、結局損害を出しただけで艦隊に損害を与えられずに終わった。
#right(){(486:824)}
**沖縄湾に展開していた米軍艦艇を狙って、多数の潜水艦で飽和攻撃をするということはできなかったんでしょうか?(486:710)
>あの、厨な質問かもしれませんが沖縄戦では多数の米軍艦艇が沖縄湾に展開していた
>わけですからそれを狙って、多数の潜水艦で遠距離から酸素魚雷で飽和攻撃をすると
>いうことはできなかったんでしょうか?勿論、特攻機の攻撃中のドサクサの隙をぬってですが。
沖縄戦の頃に、多数の潜水艦を突入させるような力は、日本海軍には残ってないです
一応、沖縄戦にも、残存潜水艦隊が投入されてはいますが、戦果らしい戦果もなく、大部分を失っていたり
#right(){(486:711)}
沖縄戦の頃になると日本の潜水艦は米軍の対潜部隊のただのカモ。
当然相手も厳重に警戒してるので、近づけません。
#right(){(486:712)}
近いことは考えていたらしいです。日本の例だと沖縄ではなくて
フィリピンなんですが、特殊潜航艇を集団で使って島嶼海を通る船団を攻撃したというのが
あります。
また、近い例としてドイツもノルマンディーというか北フランスに連合軍が上陸してきそうなので
特殊潜航艇を配備していました。
#right(){(486:713)}
ノルマンディ上陸の時、何百隻もいたUボートでさえほとんど何もできてないですから。
当然アメリカだって警戒しているわけで、そうしたある程度警戒された状況では
浮上すれば航空機、潜航しても潜望鏡でさえレーダーで探知される状況で
近づくことさえほとんどできませんでした。
#right(){(486:715)}
**東京大空襲では、B-29が発砲してこないのを見て日本側の攻撃機のパイロットは&br()「敵は非武装だ」という風に連絡をしたりしなかったんでしょうか?(486:524)
>東京大空襲では、B-29は爆弾搭載量を増やす為に全ての機銃を降ろしたそうですが
>この日の日本側の攻撃機のパイロットはB-29が発砲してこないのを見て
>「敵は非武装だ!温存してある機も出せ!」という風に連絡をしたりしなかったんでしょうか?
当日は強風で、レーダーが使い物にならず月島に火の手が上がった段階で空襲警報がやっと出たそうです。
そのため初期対応が遅かったため、離陸した戦闘機が、火の手と合わせた強風でろくに迎撃戦闘できなかったとの事。
さらにいうと夜間戦闘になれたベテランの数が少なく、有効な誘導が出来なかったので、気が付いたとしても
増援を出す頃には、爆撃が終わって帰った後でしょう。
#right(){(486:528)}
全てを降ろしたわけではなく、尾部銃は残っている
また、大本営は本土決戦に備えて戦闘機の温存策を取っており、出撃数がごく少ない
また出撃したパイロットの手記を読むと一人で多数機を相手にしているわけだから、B-29側の火網が前より減ったと
気付く余裕もなかったようだ
しかも硫黄島陥落後はブラックウイドーなどの夜間戦闘機が護衛についたりしてる
#right(){(486:567)}
**WW2のスキップボミングについて教えてください(486:396)
>ググッてみたのですが諸説あるようです。
>ビスマルク海海戦で初めて日本の輸送船に大規模に使われた、までは共通ですが
>
>1)ビスマルク海海戦以後、米軍の(日本のソフトスキン)への標準的攻撃法になり
>大量の船腹が沈められた
>
>2)ビスマルク海海戦は特殊な例で、危険な攻撃法であったため、以後組織的には行われなくなった。
>
>3)米海軍、もしくは単発機は行わなかったが、米陸軍のB25による攻撃でよく使われた
>
>どれが本当なのでしょうか?
2)が一番近いと思います。
ビスマルク海海戦(日本側で言う「ダンピールの惨劇」)以降スキップボミングは
攻撃法としてあまり用いられていないようです。
その理由は明確ではないのですが、おそらくスキップボミング自体が変則的な
攻撃法であったため、これ以降大規模に用いる必要がなくなったのではないかと。
また、考案者であるウィリアム・ベン少佐が1943年1月に事故死したのも
関係あるかもしれません。
#right(){(486:411:名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE)}
**敵機動部隊を攻撃に向かう攻撃隊と護衛戦闘機隊が、その途上、まさに自分達の母艦を攻撃に向かう敵攻撃隊とすれ違う場面で戦闘機隊が編隊を離脱して引き返し、敵攻撃隊を排除、一方攻撃隊は援護なしで敵艦隊攻撃を強行し、ほぼ壊滅してしまったのですが、これは指揮官の判断として正しかったのでしょうか?(485:906)
>昔の太平洋戦争題材の映画で、
>敵機動部隊を攻撃に向かう攻撃隊と護衛戦闘機隊が、
>その途上、まさに自分達の母艦を攻撃に向かう敵攻撃隊とすれ違う場面がありました。
>その映画では、我が家が丸焼けになっては元も子もないと戦闘機隊が編隊を離脱して引き返し、
>敵攻撃隊を排除、一方攻撃隊は援護なしで敵艦隊攻撃を強行し、ほぼ壊滅してしまったのですが、
>これは指揮官の判断として正しかったのでしょうか?
>もっと良い選択肢があるようにも思えるのですが。
結果次第。
敵艦隊に大損害を与えたのであれば、母艦は無事で敵は大損害だからひとまずOK。
ただし「攻撃隊」が貴重な場合は考慮の余地あり。
護衛戦闘機が同行していれば敵艦隊に大損害を与えられたのに、戦闘機隊が引き返した結果として
敵艦隊に損害を与えられなかったのであれば、その判断は誤り。
どっちみち攻撃機隊は大損害を受け、しかも敵には大した損害を与えられなかったのであれば、
母艦だけでも守ったのは正解だが、それをいうなら最初から出掛けなければ良かった。
要するに「もっとも良い選択肢」など後知恵で主張するだけの物であり、明瞭な誤りでない限り、
本当に正しかったか、何がベストだったかは誰にも分からない。
#right(){(485:907)}
母艦に直援の護衛機がいるならそのまま攻撃すべき。
母艦が攻撃されるなんて想定内のはずだが。
#right(){(485:949)}
他の方の言うとおり状況次第だが、あえていえば
空母の護衛は直衛部隊の仕事。
攻撃隊の護衛戦闘機は攻撃隊を守るのが仕事なのだから、勝手に離れるのは任務放棄とみなされかねない。
すれ違う状況では空母(経由で直衛部隊)に敵進路の連絡を入れ、直衛部隊に任せるのがすじ。
#right(){(485:974)}
**硫黄島がアメリカ軍に占領された後に日本軍の航空隊が硫黄島を攻撃するような作戦計画は無かったのですか?(484:799)
>wikiの「硫黄島の戦い」の項目に
>硫黄島経由でしばしば日本軍航空隊がサイパンのB-29の基地を攻撃した、との記述がありますが
>硫黄島がアメリカ軍に占領された後に
>日本軍の航空隊が硫黄島を攻撃するような作戦計画は無かったのですか?
>
>航空隊は沖縄攻撃と本土防空で手一杯で
>そんな余裕は無いとは思いますが…
計画だけならいっぱいあった
でも実行する戦力を特攻に回してしまった
渡辺洋二の本を読むといい
文春文庫に入っていたをじゃまいか
#right(){(485:20)}
**太平洋戦争直前、日米交渉が成立すれば南雲機動艦隊は何もせず戻ってくる事になっていますが、その場合、フィリピン、英マレー半島、蘭インドネシアに対する攻撃も停止する事になっていたのでしょうか? (484:794)
建前ではそうなっていた。
しかし実際には成立した場合にどうするかの詳細な行動指針は
何も与えられていなかったことが、当時の輸送船の船長の手記などに見られる。
だから万一交渉が成立した場合でも
武力衝突が一部に発生しただろうことは想像に難くない。
というかもう成立はないだろうという諦めムードが一般的だったし。
#right(){(484:795)}
**現在のサイパン島も森林に踏み込むと普通にごろごろしてるんですか?(484:283)
>樹海に分け入ると白骨がごろごろという話を耳にしますが
>現在のサイパン島も森林に踏み込むと普通にごろごろしてるんですか?
>それが恐くてああいう島(サイパン島に限らず)に行くことができないんです
>多いところでは千単位で玉砕してるじゃないですか
>旅行会社のチラシででっかく「サイパン」とか書かれているのですが
>それを見るとすぐ万歳突撃、玉砕、白骨ごろごろと連想してしまうので
>今までずーっと恐かった(484:290)
白骨がごろごろしているかどうかは面積と、そこで死んだ人間の数
の比率で計算すればわかる事。
実際のところ、土や草木に埋まって隠れてるし、どこで死んだかも
正確な場所がわからないことが多く、
遺骨の捜索や発掘(して、日本に持ち帰る)している団体は
未だに全部の遺骨を探しきれず、大部分は不明、日本に未帰還のまま。
つまり、ゴロゴロ見つかるようなものではない。
#right(){(484:285)}
実際行ったけど、見えるところに白骨なんて一度も見なかったよ。
冷静に考えれば、目に見えるところにあれば撤去するなり回収するなりする。
インパールみたいに、その土地の政府が大規模な遺骨回収を拒否したり、未開の地だったりするわけではないので。
沖縄戦では、10万人以上が、本当南部の狭い地域で亡くなっている。
たしかに戦後の一時期は、白骨ごろごろだったらしいが、さすがに目に付くところのものは、早いうちに回収して埋葬されてる。
今でも、山の中や壕の中を掘ると、石や砂に混じって、小指の先くらいに小さく砕けた遺骨が見つかることがあるけど、大柄の骨はまずない。
あるいは、簡単に見当たるような場所には無い。
#right(){(484:306)}
樹海のことなのかサイパンなのか
樹海では白骨は見なかったが腐敗した首吊り死体を一日でニ体見つけたことがある
サイパンでは15年ほども前だが、現地の人の案内で道路脇の林に入り、人の大腿骨の一部かも知れない白骨を見た
日本側には連絡済みだが反応がなく、勝手に処分もできずに困っているとの話だった
#right(){(484:335)}
**ミッドウエーで赤城、加賀、蒼龍の甲板や格納庫に魚雷や爆弾が満載してなかったら、数発程度の500kg爆弾には充分に耐えられたんでしょうか? (484:232)
>ミッドウエーで赤城、加賀、蒼龍は米軍の急降下爆撃を受けた際、甲板や格納庫に
>完全武装の艦載機や魚雷や爆弾が満載してあった為に、それらが誘爆して沈没の
>原因になってしまったと言われていますが、もし満載してなかったら、数発程度の
>500kg爆弾には充分に耐えられたんでしょうか?
耐えられたかもしれないけど、航空用燃料タンクに引火したら分からないね。
#right(){(484:237)}
艦自体は、耐えられたかもしれないが、甲板に穴を空けられた時点で戦力外です。
そのときの米軍は延期信管を使った爆弾を使用していましたので、どちらにしろ、
甲板に大穴を明け、格納庫内の爆発で、整備員、各種機材に損害を与えるので、
戦闘継続は困難です。
#right(){(484:239)}
**戦時中、外地の捕虜を日本へ海上輸送すると嘘の電文を流したりして、潜水艦に輸送船団の攻撃を躊躇わせたりすることはできなかったんでしょうか? (482:905)
国内へ輸送された捕虜4.7万人のうち、1.1万人が、途中で海没しています。
まあ、無駄ですね。
http://homepage3.nifty.com/pow-j/j/00100camp/campinjapan.htm
#right(){(482:914)}
**日本本土空襲で日本本土に不時着したアメリカ軍のパイロットを救出する為に救援機の支援あるいは、パイロットが徒歩で海岸線に出れば、救出の為の潜水艦が常時いる救出地点があったんでしょうか? (482:295)
うる覚えだが、海岸から4kmぐらいのところまで米の潜水艦が来ていた
また、空にはSB17がボートを抱いて待機してたりする
浜松湖で撃墜されたところをみると海岸線付近の上空まで進出していたんだろう
#right(){(482:328)}
**第二次世界大戦時の米海軍はやたら対空砲を乗せてますが、トップヘビーで問題にならなかったんですか?
もちろん問題になっている。
トップヘビー問題は日本は友鶴事件を契機に収束したが、アメリカはまだその怖さを知らなかった。
台風で3隻もの駆逐艦が沈没したのは燃料切れによる重心上昇とあいまってのトップヘビー問題が原因だし、
あまりにも大量に積み込まれた対空火器は、艦そのものの設計まで変更させることになった。
ボルチモア級重巡洋艦に対するオレゴン・シティ級
クリーブランド級軽巡洋艦に対するファーゴ級
アトランタ級防空巡洋艦に対するジュノー級
これらは皆、対空火器の積みすぎによるトップヘビー問題を根本的になんとかしようと
艦級そのものを変えてしまった例。
#right(){(477:450)}
**太平洋戦争で日本海軍の潜水艦隊が通商破壊戦を行っていましたが、連合軍の戦略に何らかの影響を与えたのでしょうか?
>また影響を与えなかったとすれば、何が日本軍の間違いだったのでしょうか?
開戦から1年弱ほど仮装巡洋艦まで投入してインド洋でそれなりの成果を上げている。
そんでもって、インド洋に1個潜水艦隊規模を投入しての大々的な通商破壊作戦を行おうとして
準備中にガタルカナルでの戦いが起こり潜水艦がほとんどソロモン海に投入されたがそれでも細々と
1個潜水戦隊規模で通商破壊を行ってたのだが、連合軍の戦略に影響を与える程度の損害を与える
ことが出来なかった。
結局のところ、通商破壊を行うにしろ、太平洋には通商路がほとんど存在せず、前線の兵站への攻撃が
関の山だが、日本軍の方針として、商船よりも軍艦、それも大物狙いを優先した戦略方針に間違いが
あったとしか。
まあインド洋で大規模な通商破壊をやれればまた違った展開になるだろうけど、その際でも潜水艦の損害が
激増して、先細りになったであろうけどね。
#right(){(474:415)}
**大戦中の日本の正規空母の速力が34ノットくらいあるのはどういう要求によるものなのでしょうか?
巡洋艦と遭遇した際に逃げられる足と、合成風力を作るための高速性が要求されました。
日本はどの空母でも同じように発艦できるよう、合成風力が同じ値になるように速力を調整します。
向かい風が強いときは速力を落とし、弱いときは速力を上げます。
零戦は向かい風12m/秒=43.2km/時、つまり合成風力23ノット強での離陸距離70mを要求されています。
九九艦爆は同10m/秒で離陸距離100m(ただし爆弾搭載せず)。
実際には機動部隊所属艦中最も低速な艦の「最大戦速」、つまり過負荷でない戦隊レベルの最高速度での運用が通常。
これ、正規空母なら30ノット。つまり最大34ノットの「4ノット」は余裕分とみていい。
#right(){(466:264,268)}
**米軍はなぜ空襲する前に警告のビラを空から撒いたのか
都市空襲だけ見ると市民を焼き殺すのが目的に見えるが、ビラを撒く=脅迫する事で得られる効果もある。
例えば、
1)都市郊外に避難させることで、都市近辺に集中する重工業・工場の労働者(や家族)を減らしたり、避難のため労働効率を落とさせることが出来る
2)米軍が好き勝手に行動できる=日本軍は当てにならないといった不信感の醸成、戦争に勝てないといった不安の醸成(厭戦気分ってやつです)
ビラ単独で何かの効果を得るものでも、都市空襲での免罪符を得るつもりのものでもなく、いわばタイマンで殴りあいしていても、拳(爆撃)を振るうだけでなく、口(ビラ)ででも追い込みかけるようなものと見てみれば良いかと思われ
#right(){(456:249)}
**太平洋戦争の終戦時、米軍は原爆を何発持ってましたか? 落とす気になってたら8月9月で何発投下できたのでしょうか?
0発。ウラニウムは製法自体もまだ統一されておらず、供給が間に合いません。
プルトニウム(ファットマン型)は、爆弾のパーツ自体はすでにティニアン島に届いていました。
肝心のプルトニウムコアも8月13日には完成しており、ティニアンに運んで組み立てればいい状態。
といっても1週間程度かかると考えると、3発目の使用は8月20日以降。
どう急いでも8月15日の終戦には間に合わなかったでしょう。
#right(){(456:50)}
**[[あ号作戦>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%8A%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6]]を、攻撃隊のパイロット達は「この作戦は失敗する、あほう作戦だw」と揶揄していたそうですが、何故パイロット達は作戦が失敗すると分かっていたんですか?
操縦桿を握った事も無い(飛行機の操縦が出来ない)高級将校が
飛行機のカタログスペックの航続距離だけ見て立案した作戦だった為。
確かに、当時の日本海軍空母機の航続距離だけ見れば、
アウトレンジ作戦は可能と言えるが、これだけの長距離を飛ぶと
ちょうどパイロットの疲労がピークに達した頃に敵艦隊の上空に到達する事になる。
酷評すれば、ヒューマンファクターというものを全く考慮していない
スペック厨ミリオタ的発想のDQN作戦だったわけですな
実際にマリアナ沖海戦に参加したベテラン艦爆乗り・阿部善次氏曰く
「真珠湾のベテランが揃っていたって絶対無理」
#right(){(378:545)}
**真珠湾奇襲攻撃で「第一次攻撃隊」「第二次攻撃隊」のように複数回に分けて攻撃を行ったのはなぜですか?
>二回目の攻撃ともなれば、敵も準備してくるわけで攻撃隊の危険度も大きいし、攻撃は集中して一回で行ってもよいような気がします。
つ発艦能力
第一波で抵抗拠点を潰して第二波で戦果拡張
#right(){(377:906)}
まず攻撃時の混乱で十分な戦果が挙げられない可能性が一つ。
例えばもう十分にダメージを与えた目標を引き続き攻撃してしまうとか。
だがそれ以上に、物理的に全機を一度に投入することができないのである。
正規空母クラスは大体搭載量の半数強くらいしか一度に発艦させられない。
発艦スペースとその後方の駐機スペースの兼ね合いから。
#right(){(377:907)}
一隻の空母から艦載機が数十分の間に発艦できる数には限りがあります。
一攻撃隊の発艦に何時間もかかっていたのでは先に発艦した攻撃機の燃料を無駄に消費してしまうだけでなく、攻撃隊全体の滞空時間を著しく下げてしまうからです。
一攻撃隊の数は空母の数と発艦能力、それと目標までの距離(滞空時間)の兼ね合いによって自ずと限界が決まってしまいます。
#right(){(377:924)}
**南太平洋海戦後に、一時的に日米の空母戦力が拮抗しましたが、今の内にアメリカと講和をしようという考えは日本には無かったんでしょうか?
アメリカにその意思が無いから無理。
色々と戦略眼の無さが指摘される日本海軍and陸軍だが、
アメリカが戦力を整えるまで、守りに入っている事だけは認識していた。
#right(){(377:261)}
----
2009-04-03T05:06:29+09:00
1238702789
-
イラク戦争
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/54.html
#CONTENTS
----
**イラク戦争でイラク軍はコテンパンにやられたんでしょうか?
>それとも大した抵抗もしないうちに蜘蛛の子を散らすように逃げたんですか?
まずイラク軍といいますが、陸空海に共和国防衛隊、共和国特別防衛隊、フェダイーン=サダム、バース党民兵
など様々な組織に別かれています。独裁国家として命令系統はフセインとその親族、腹心が一手に握る形だったと
されており、横の調整には欠けていたとされています。
湾岸戦争後は装備の更新どころか充足もままならず極めて苦しい状況にあり、かつ、主敵は米国ではなく、
国内の反乱鎮圧とイランでした。
イラクの共和国防衛隊については2003年の4月頭にカルヴァラ北方でユーフラテス河に架かる橋梁(objective peach)
を米軍の先鋒が占領したその晩、旅団規模の機甲部隊で反撃した事例が知られています。装備の優劣はいかんとも
しがたく、橋梁の先で守っていた大隊か中隊に撃退されてしまっていますが。
また、どの組織がしたとははっきりしないがおそらくバース党民兵はウムカスル、ナシリヤで激烈な抵抗を
みせています。ウムカスルについてはイラクの港湾都市であり当初予定されていた人道支援物資の運び入れなどの
関係で何度か占領したと宣言してはまた戦闘がぶり返すという状況でした。
ナシリヤについては米海兵隊と激しい戦闘が続き、この最中、A-10がAAV7を誤射していたりしますね。
このほか、カルバラ市街を通過しようとした第三歩兵師団の1個旅団が予想外の抵抗に遭遇しバグダッド外縁への
進出が遅れたりなどもしています。
#right(){(376:12-13)}
**イラクにおいて治安維持が上手くいかないのは米側の兵力不足が原因なんでしょうか?
フセインが湾岸戦争のとき、クウェイトはもともとイラクの一部と主張したことで
分かるように、オスマン帝国の領土解体の仕方を列強が間違ったから。
クルド人の地域をトルコ、イラン、イラクと分割しちゃったり、19世紀にイラク南部あたりの
アラブ人がシーア派へ改宗してたのを無視しちゃったり、だけど石油の取れるクウェート
あたりは首長をつれてきて君主に据えたりといろいろやった。
つまり、フセインは国際社会での立ち回りはへぼの連続というか、向こう見ずすぎたが
国内統治については冷徹、冷厳、冷酷であり、バース党一党支配体制に部族統治、宗教統治を
盛り込んで権力構造の変遷に対応するなど苦労して統一を保っていた。
そして、イラクでは国連の経済制裁、米英軍による航空作戦により国内は疲弊し、占領を
理性的に受けれてチャンスとみ、活用しようとする社会階層で、かつ、米国にとって
戦争の果実を渡すに足るとみなせる者が失われていた(米国はシーア派宗教指導者なんて
腹の底では嫌い)。
んで、イランもシリアもヨルダンもサウジアラビアもトルコもそれぞれイラクの現況をみて
いろいろ容喙してくるわけです。
#right(){(初心者スレ479:343)}
----
2009-04-03T04:52:10+09:00
1238701930
-
レーダー
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/24.html
#CONTENTS
----
**対人レーダーや対砲迫レーダーに対する電子妨害手段は研究されていないのですか?(485:546)
対砲迫レーダーへの妨害は30年ぐらいからいろいろやってる
最近は撃った場所が推定できないぐらい進歩してるらしい
#right(){(485:548)}
対人レーダ、対砲迫レーダーにかぎらず、電磁パルスによる電子機器の無効化は
どこも研究中だよ。
#right(){(485:549)}
**AWACSやイージス艦って、大きなレーダーが付いてますが、&br()隊員への身体的影響はないのでしょうか。(485:439,441)
>電磁波が出続けてるんですよね?
乗員が危険(なくらいの電磁波出す)ってことはAWACS自体が自分の電磁波で墜落しかねないって事だぞ…
人間に影響が出るくらいの出力では当然、電波・電磁波でAWACS自機の電子機器もぶっ壊れる。
それを懸念してしっかり機体内部はシールド(遮蔽)されている。 なので乗員も安全。
#right(){(485:442)}
AWACSにしてもイージス艦にしても、高性能レーダーは高出力だけでなく、高指向性も必要とされる。
もちろんサイドローブも発生するが、これも最小化された上で遮蔽処置も行われる。
電子戦機などではキャノピーにも電磁遮蔽コーティングが施されている。
#right(){(485:459)}
(イージスシステム程度の出力でも)実際どんな影響がでるかどうかというのは具体的には不明な点も多い。
ただ、レーダー作動中は甲板にでるのは禁止されている(ヤバい影響があった時に備えて、一応)
一昔前は電子レンジ状態になって、甲板に出ていた人間が死ぬとか言われたが、
実際人が死ぬほどの出力は出せないというか、出す必要がない。
とりあえず、艦内の乗員や他の電子機器に障害が出ない程度には配慮や遮蔽処置がなされている。
#right(){(485:443)}
**HARMのターゲッティングPODは、AGM-88を積まなくても&br()レーダー脅威確認だけに、動作させることはできるのでしょうか?(485:383)
HARM ターゲッティングポッド(HTS)は単体でレーダー脅威確認だけに使用することもできます。
ttp://www.defense-update.com/products/h/HTS.htm
上記サイトにあるように、HTSに搭載されたGPSの併用によって、他機との連携で
三角測量的にレーダー脅威の座標を決定することもでき、ソフトウェアアップグレードによって
HARMだけでなく、JDAMなどによる電波放射源攻撃が可能になります。
#right(){(485:399)}
**米英が42年に実用化したというHF/DFはど(電波方位測定器)こが革新的だったのでしょうか?(485:44)
電波放射がが短時間でも測定しえたこと。電波の方向を、かなり精密に探知で出来ることなど。
#right(){(485:67)}
**ロックオン警告用のレーザー検出装置ってレーザーを自分(戦車の車体、戦闘機の機体)のどこに照射されても検出出来るんですか?
>レーザーって照射した一点でしか検出できないのでは?
照射されたレーザーは物に当たると拡散するので、その拡散したレーザー波を検出する。
(初心者スレ474:767)
**レーダーに映る物を時速500km以上で移動する物だけを映るようにすればステルス機をレーダーで発見できるような気がするのですがどうでしょうか?(468(実質469):966)
実際、現代ではそのような原理を使用したドップラーレーダーが普通に使用されています。しかし、
バックにノイズが入ることは避けられず、その際、わずかな反射はノイズに埋もれる。
レーダーに対して垂直に動いている機体は速度がゼロになるので映らない。
斜めであっても、そのぶん視線方向の速度が減るから、映らなくなることがある。
#right(){(468(実質469):967)}
ドップラーレーダーはご存じの通り周波数変化を利用して移動物体のみ捉えます。
例えば接近してくる物体を捉えようとしたら、周波数100の電波を発射し、110~120の範囲だけフィルターすると
10~20のドップラー偏位を起こす正の(つまりこちら向きの)視線方向速度をもった反射だけを捉えることができます。
しかし、967に書いたように、敵機の進行方向は未知ですから、たとえ敵機の速度がわかっていても、
視線方向の速度は、0(敵機が電波に対して垂直)~敵機の速度そのもの(視線方向に運動している)まで
さまざまとなります。
仮にレーダー回路自体のノイズがゼロであっても(熱力学的に不可能ですが)たまたまレーダーが向いた方向に、
周波数110~120の電波を発信するものがあれば、これがノイズとなる上、レーダーにはサイドローブがありますから、
レーダーが向いていない方に発信源があっても、同様にノイズ源となり得ます。
というわけで、速度がわかっていても反射が弱い敵機はとても捉えにくいことになります。
#right(){(468(実質469):975)}
**何故、航空自衛隊の早期警戒機や早期警戒管制機は未だに旧式の回転式レーダーを使用しているのでしょうか?
>フェーズドアレイレーダーを搭載した新しい早期警戒機や早期警戒管制機を調達したりはしないのでしょうか?
E-767のレーダーはフェイズドアレイだし
固定したフェイズドアレーレーダーより、回転型のフェイズドアレーの方が素子数が少なくて済む。
もちろん同時監視はできなくなるが、問題ない速さでスキャンできていれば、わざわざ高価で重いものを
積む必要はない。
さらに、固定式フェイズドアレーを機体にどのように搭載するかの問題も起きる。機体の長軸に沿って搭載する方法だと、
前後に死角ができ、それをカバーするための補助レーダーが要るが、これは機体の幅で長さが限られるため、
性能が落ちる。
機体上部に三角形にフェイズドアレーを置くことも考えられるが、回転レドーム(ロートドーム)の直径が同じ場合、
図を書けばすぐわかるとおり、回転式のフェイズドアレーよりも一辺が短くなり、性能が落ちる。
斜め方向の分解能も落ちるから、すべての方向で同じ性能にしようとしたらえらくでかいものになってしまい、
空力的にとても大変なことになってしまう。
というわけで、ロートドームの中身はフェイズドアレーになりつつあるが、回転させるメリットは大きい。
#right(){(初心者スレ478:67-71)}
**対空レーダー(定義がいい加減で済みません)で察知した敵機の機種は分かるのでしょうか。(482:509)
>反射波の解像度が高ければ、電波でも分かるのかもしれませんが、
>まさかそこまで……とも思います。
>たとえば戦闘機に付いているようなやつではムリでも、
>AWACSや地上のレーダーなら何となくわかるとか、
>「大きいから多分ベアだろ」
>とかその程度なのか、実際のところはどうなのでしょうか。
何でもファンブレードの反射のホニャララである程度は分かるようだ
そういった機能が実装されるまでは反射の特徴とかで判断してた
まあ一般人から見れば何が飛行機なのかすら分からない様だが
#right(){(482:511)}
反射波の分析で使用しているエンジンの種類がわかったりします(第1段タービンの翼数、回転数など)
さらに相手の全長や翼幅を推測する手段もあります。それやこれやで、条件が良ければ機種推測可能。
#right(){(482:512)}
**敵の対砲迫レーダーをなんとか欺いて砲撃を行う方法はないでしょうか?(482:550)
>先進各国では何か対策は考えられてはいないでしょうか。
>できればコストがかからない方法が良いのですが。
そんな簡単に欺けるものなら、だれも対砲迫レーダーなど装備しないだろ。
#right(){(482:553)}
レーダが準備できる前に決める
数で勝負して一発で決める
MLRSで決める
同時着弾で決める
多方向から攻めて決める
#right(){(482:555)}
基本は撃ったらすぐ移動。
要は相手の反撃が始まる前に、対迫レーダーで割り出された地点にいなければいいのだから。
他には金は掛かるがアメリカがステルス砲弾を開発してたと聞いたが。
#right(){(482:557)}
現状では陣地進入から数発撃ってとっとと逃げるという方法しかない
後はミサイルくらいしか
#right(){(482:558)}
----
2009-04-03T04:44:57+09:00
1238701497
-
核兵器
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/25.html
#CONTENTS
----
**宇宙空間で核兵器を爆発させた場合、威力は大気中で爆発させた時より激減しますか?(489a:265)
>大気がない為、爆風は発生しませんし、熱線も被対象物が激減する分、
>効果も減るでしょう。
>地上ならば、数キロ範囲内の全てのものが熱線を受けて熱を発生して
>結果的に相乗・累積効果で巨大な熱を空間一体に発生させますが、宇宙空間ならば、
>そういった被対象物自体が少ないですから、発生する熱の量も激減しませんか。
>
>すると、やはり被害も地球上の場合と比べて、激減してしまいますか?
爆風による被害がないからね。放射線と熱線だけの被害になる。
あと、熱線による被害のメカニズムを勘違いしていないか? 熱線を受けたこと自体による被害のことだぞ。
#right(){(489a:291)}
**質問ですが戦略爆撃調査団の人たちは被爆地で調査していて&br()自分たちも被曝しなかったんでしょうか?(489a:35)
被爆から2ヶ月もたってるので、残留放射能の心配はないよ。
#right(){(489a:35)}
**日本が非公式に核兵器を所持してるっていうのは本当ですか?(487:856)
>またたとえそれが単なる憶測であったとしても信愚性は高いほうなのでしょうか?
とりあえず、信憑性はほぼ0
#right(){(487:857)}
佐藤内閣時代に所持の可能性を探る研究をしたことはある
だけど結果的に引き合わないって結論になった
一昨年ぐらいの情報公開で新聞記事になってるから、ひまなら調べてみ
#right(){(487:866)}
**今の時代、秘密裏に核兵器を開発することは不可能なんでしょうか?(486:279)
NPTに加盟していて,原子力利用をしている国はIAEAの厳しい査察を受けるからなぁ。
非加盟国はインド・パキスタン・イスラエルのみだし。
#right(){(486:283)}
核実験をすると地面が揺れます。人の起こした人工の地震ってことで
各国の地震研究をしているところで察知される可能性がでてきます。
また、大気中に微細な粒子、放射線を発する物質が放出されます。従って
怪しげな振動があってから暫くして付近を飛行する航空機でチリを採取して
核実験でしか発生しないようなものが含まれていれば、実験をやったという
ことが分かります。
ということで、核兵器開発の最終段階である核実験はだいたいばれるかもしれません。
とはいえど、イスラエルと南アフリカのような例もありますし、海外からの情報流入、
海外企業勤務、留学などでもある程度の知識は得られるという話はある。
また、NPTに加盟してなくても核実験まで進んだ国もあるし、毛沢東の頃の中国のように
何はおいてもまず核兵器というような開発をするところもあるので、正直分からない。
#right(){(486:284)}
**原爆がバクハツするとまず光がピカっとしますが、その次に&br()熱と爆風はどっちが先に遠くまで到達するんでしょうか?(485:972)
熱=赤外線=光の一種
爆風=風=空気の流れ
よって圧倒的に熱の方が速い。
ただし「炎」はまた別。
#right(){(485:973)}
**核兵器である事を表向きは隠せば、反応兵器を日本が所有しても憲法に触れませんよね?(485:976)
>これは核兵器ではなく反応兵器です。と国民やマスコミに説明すりゃ良いだけだし
原子力基本法その他に触れるので大問題
「隠す」ことで、憲法を含むあらゆる法を無視するというのなら、そもそも憲法・法律がどうこうとか考えるまでもない
まあ、その代わり日本が法治国家を名乗れるか怪しくなっちゃうだろうけど
#right(){(485:979)}
日本は世界中で最も厳しくIAEAから監視/査察を受けてる国なんだが。
そんな国でどうやって核物質を隠匿して兵器転用するつもりだ?
#right(){(485:985)}
原子力協定では核燃料をいかなる形でも軍事転用したらだめだから核燃料を使わないならできるよ。
反応兵器ってのが核燃料を一切使わない化学反応で爆発する火薬とかなら問題ない。
逆に、火薬としてても協定で示されている物質を使ったらアウト。
#right(){(485:987)}
核兵器でない反応兵器というのは現在存在しません。
存在するようになれば、規制されるでしょう。
あと、ウランやプルトニウムといった核兵器の原料そのものに対して
所持や保管や使用に規制がかかっているので
反応兵器と名前だけを変えても無理です。
今までの核物質を使用しない新しい核兵器を開発しない限りは、
原子力基本法と核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律をよく読んでください。
まあ、新しい核兵器を作っても、その証明のために核実験をすれば
まったく被害が無くても懲役7年以下の刑にはなります。
#right(){(485:989)}
**高速増殖炉によって生産されたプルトニウムを軍事転用することは可能ですか?
そのままぶちまけるのなら可能。
兵器級プルトニュームにするなら、再処理がさらに必要です。
#right(){(378:62)}
**戦術核兵器と戦略核兵器の違いについて教えてください。(481:436)
>戦術:核弾頭巡航ミサイル、kt単位の投下型核爆弾、
>戦略:弾道弾、mt単位の投下型核爆弾、という感じでしょうか?
まあ分類方法は一つとは限らないかもしれないが、
開発目的や運用から分類するのが最も自然だろう。保有者がどう使おうとしているのかが重要
正直、爆発力では区別しにくい
比較的大きいのが戦略核で、小さいのが戦術核というのは妥当なんだが・・・・・・
最近は戦略核の精度が向上したので、メガトン級の核出力は必要なくなってきている
単純にプラットフォームで区別するのも無理
ランスとか戦術級の核弾道弾もあったし、GLCMなんかは戦術級とも言い切れない巡航ミサイル
B83は可変出力の核爆弾で、どっちにも使える
#right(){(481:440)}
440氏の回答に加えて、現場指揮官権限で使用の可否を判断できる物を戦術核、上層部の判断で使用される物を戦略核と考えてもよいかと。
#right(){(481:451)}
目標が敵の都市等、後方の戦略地域なのが戦略核
集結した敵部隊や戦場を狙うのが戦術核
それぞれの目的に適した威力が選択されてるので
どっちかというと威力は区分の基準ではない。
最近は曖昧になってる感はあるけど。
#right(){(481:452)}
**最新型、あるいは開発中の核シェルターってどの位の核を想定されているのですか?(482:574)
>トライデントⅡやトーポリMなんかが落ちてきたとして、
>シェルター内の生物は生存可能ですか?
直撃すりゃ死ぬよ
#right(){(482:575)}
核でもっとも殺傷半径が大きいのは熱線であり、これは遮蔽内に入れば逃れることができる。
次は爆圧だが、これもシェルターに入ることである程度まで助かる。
さらに、放射性降下物による周囲の汚染は急速に(7の法則)減衰するから、
数日間シェルター内に籠もっていれば生存確率は格段に大きくなる。
直撃(放射線による致死半径、あるいは爆圧が特に強い部分)でやられる範囲は狭いから、
シェルターを使用することで生存者を何十倍、何百倍も増やすことができる。
核シェルター、参考までに。pdfだけど。
ttp://www.fdma.go.jp/html/intro/form/pdf/kokumin_hinan_02_s2-1.pdf
#right(){(482:653,660)}
ついこないだまで、広島の爆心地の直下に居た人が、生きてたよ。
その人が居たのが、学校か何かの地下室だった。
民間防衛によれば、ある都市が警告なしで核攻撃を受けた場合、65%が死傷しますが、全員が避難所にいれば死傷者は10%に留められると見積もっています。
そりゃ、シェルターから至近距離で核が爆発したら助からない。
でも、空中爆発だったり(都市攻撃用の核はていていこれ)、着弾点から少し離れていれば、シェルターは爆風や熱線を完全に防いでくれる。
爆発時に発生する1次放射線も、ある程度防いでくれます。
民間防衛によれば、1mのコンクリートで100分の1に、1mの土では150分の1に、放射線を低減するそうです。
また2次放射線(爆発によって生じた放射性降下物など)も、シェルター内に閉じこもっていれば、その大半をやり過ごすことが可能です。
同じく民間防衛によれば、1mのコンクリで10000分の1に、1mの土では5000分の1に、2次放射線を弱めてくれえるそうです。
#right(){(482:656)}
----
2009-04-03T04:39:38+09:00
1238701178
-
欧州全般
https://w.atwiki.jp/armyfaq/pages/60.html
#CONTENTS
----
**イギリス陸軍連隊の所有者は外国の元首が務めていますが何故なのでしょうか?&br()また連隊所有者になる外国の元首はどういった基準で決められているんですか?(488:812)
英国の王族がほとんどの連隊所有者を務めており、外国の国王はヨルダンのアブドラ二世とデンマークのマルグレーテ二世のみ。
どちらもイギリスの友好国の君主。
イギリス貴族の連隊所有者は連隊の統廃合のため現在はいない。
#right(){(488:815)}
歴史的経緯による。
昔は連隊を戦場で指揮する人と、連隊を作るお金を出す人が別々だった時期がある。
連隊の後援者は政治的に有力なお金持ち、つまり貴族や王族にすると便利。
それに欧州の王族とか貴族は広い意味でも狭い意味でも親戚だし、国を持参金代わりに
するなんてことがあったくらいのもんだから外国とか自国って意識も今の日本でのものとは
違うみたいです。
ということで外国の王族がイギリスの連隊の名誉連隊長になっているケースは続いたのでした。
#right(){(488:818)}
**地雷の話で思い出したのですが、東ドイツはベルリンの壁の周りに地雷を埋めていたと聞いたんですが、ホント?(488:397)
>話題になりませんが。
本当。歩哨&軍用犬&鉄条網&堀&地雷原という重警備ぶり。
#right(){(488:399)}
地雷を埋めてたのは、東西ドイツ国境で、ベルリンの壁には埋めてなかったそうだ。
http://www.mauer.jp/mauer0/mauer0c.html
#right(){(488:400)}
地雷を埋めてたのはNATO軍のほう
怒涛のソ連軍の進撃を少しでも食い止めるために
西ベルリンには真っ先に突入されることが予想されたから
対戦車地雷が張り巡らされていた
#right(){(488:405)}
**第二次大戦中ハンガリーでトゥーランやズリィーニを製造していた、&br()マンフレート・ヴァイス社は現在どうなっているのでしょうか?(486:332)
うろ覚えで申し訳ありませんが
WW2後の共産政権移行時に解体されたものと記憶しております
ソース無しの記憶モードですので正確な次期は覚えていませんが解体されたのは間違えなかったはずです
#right(){(486:333)}
**ルクセンブルク軍の部隊は全て歩兵ですか?(486:184)
軽歩兵大隊一つと偵察中隊2つだけです。
装甲車両なし、ハンヴィーだけ。対戦車ミサイル装備ハンヴィーも6輌あります。
#right(){(486:194)}
**チェコスロバキアはMiG-21以降、戦闘機のライセンス生産をしていないのは何故ですか?(485:496)
>単に技術的な問題か、それとも「プラハの春」の影響でしょうか?
身の丈にあって実益にもつながる、自国開発の軽戦闘機/練習機に移行してるって事じゃない?
#right(){(485:497)}
ソ連東欧圏の高等練習機生産をほぼ一手に引き受けたから
当時、共産圏では「国際分業」などという非効率窮まることをやっていた
#right(){(485:502)}
**分裂前のチェコスロバキアはどの程度航空機を配備していたんですか? (481:300)
1980~81年のミリタリーバランスでは以下の様になっています。
空軍は3.8万人(うち徴兵1.5万)
作戦機347機。
対地攻撃戦闘飛行隊4個(MiG-17×3個35機、MiG-23MF×1個12機)
邀撃/偵察飛行隊19個(MiG-21F/MF/FL/R/U×300機)
輸送飛行隊3個(Il-14×20機、Tu-134/An-2、An-14×15機)
ヘリコプター飛行隊6個(Mi-2/4×40機、Mi-8、Mi-24D/F×70機)
練習機、Yak-11、L-29/39、Zlin326、MiG-15UTIを含む)
85年のミリタリーバランスでは、兵力5.8万人(徴兵1.8万)
作戦機474機、武装ヘリ約24機
航空軍×2個、航空師団×5個、戦闘連隊×14個
対地攻撃戦闘飛行隊11個(Su-7/BM/U×3個60機、MIG-23M×3個36機、MiG-21/21U×3個42機、MiG-15×1個12機、Su-25×1個12機)
邀撃飛行隊18個(MiG-21MF/bis/U/23×275機:防空用半数、戦場支援用半数)
偵察飛行隊3個(MiG-21RF×2個25機、L-29×1個12機)
輸送連隊2個(An-12×2機、An-24×6機、Il-14×40機、Tu-134×1機、L-410M×2機)
ヘリコプター連隊1個(Mi-24×24機、Mi-8×10機、Mi-4×100機、Mi-2×20機、Mi-1×40機)
練習機(L-29、L-39×24機、Zlin526)、連絡機ZlinZ43
#right(){(481:396:眠い人 ◆gQikaJHtf2)}
**冷戦によって二つに分かれた国のうち、朝鮮とベトナムでは、統一のための戦争が起こりましたが、ドイツでは起きませんでした。どうしてでしょうか? (480:433)
どちらも、起こるだろうとありったけのチップ(兵力)を貼り付けたため、
千日手状態になったから。どっちも、戦術核の使用をためらわないと
宣言してたこともある。
#right(){(480:436)}
----
2009-03-24T20:14:14+09:00
1237893254